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12月17日 17:54 ·
奇抜なチベット型仮死体験をした方の話を聞きました・・
先日14日に病院での検査結果に唖然。心不全の度合いを示すNtproBNPの値が3900??(下限値0上限値125) とっくに死んでレラ状態か(医師のこれに関する説明なし)と思い、今回の稿を思い立ちました。
不思議にもそんなふうであるのに今日は爽快。まるで肉体がないが如しなのです。やっぱりね。体重も14日から2.3kg落ちていて(64.5→62.2)幽体(半霊半物質)に切り替わりつつあるのかなと勝手に思っているような次第です。
(1)
仮死体験の研究を昔したことがあります・・
私には仮死体験はありませんが、昔から興味深いテーマでした。当時はムーディ博士が調べた臨死体験の定型パターン(お花畑や水辺が出てくる)や、民族、宗教の違いによって違いが出ることもあると思われるチベットの死者の書における定型パターン(異形の神々が出てきて再誕生先が決まるまでの死後49日)もあるだろうと思っていました。私は当時から仮想現実論者でしたので、原型手続き的なプログラムが幾通りか与えているのかも知れないといった解釈をしていました。
これは日本サイ科学会の”サイ情報”という機関誌に取り上げてもらった論文です。
https://rainbow.xn--kss37ofhp58n.jp/monoomoi/dead.htm
(2)
奇抜なチベット型の仮死体験が聞けた・・
予備知識したことが後で役立つということをよく経験しています。
一般的には前者のパターンでしょう。しかし2000年になって日本人でかつ無知識でありながら、死者の書のパターンらしい仮死体験をした人の話を聞きました。この方は20歳代のとき通勤時にプラットフォームで倒れ、救急で運ばれ入院。原因不明の昏睡状態になり、10日あまりの間に臨死さらに死後体験まで踏み入ったケースかと思われます。
死者の書では、のっけから次の行き先を決めるための体験が始まるとしていて、お花畑などといった死者の労をねぎらうような工程がないのですが、この方もいきなり原色体験が開始され、見たこともないビジョンに威圧され早速の恐怖体験となっています。
死者の書によれば、死後最初の一週間は平和の神々の来訪を受けるとされ、何らかの仏教絵画への帰依などを生前にしていれば、心は平和であるはず。ところがこの方は真っ青な空を背景にしてあちこちから雲がやってきて、雲の上で仏が踊っていたというのです。それは非常に気持ち悪い光景だったと。その後、憤怒の神々の来訪の期間になるのですが、形相すさまじい悪鬼のようないでたちで威圧し怖がらせる。いちばん怖かったのが、馬の顔をした化け物だったとのこと。私は予備知識していたことを思い出して、おおそれは馬頭観音(タドリン)で、類似のものにハヤグリーヴァ(全身に目がある)がいるよといった説明をしました。静止画ならどうってことなくても3Dなら怖いかも知れません。
こうした神々のビジョンは死者を解脱させるために現れるというのがチベット仏教の教えなんですね。しかし、生前に導師がガイドするのは、2次元絵画が前提。3次元動画で現れたらどうなのかというわけです。まず知識してないから面食らう。それに対して、合一を図って解脱するなど思いつきもしない。まずビジョンとして気味の悪いのは逆効果でしょうに。私はむしろ、輪廻に向かわせるために怖がらせる仕組みなのではないかと思いましたね。
確かにこの方はどのビジョンにも恐怖心で応えました。その後この方は地獄の最下層まで下りて天国に至るまでのビジョン体験(天国は未だに火の中にあってできていなかったとのこと)や様々な化け物に追われる恐怖体験をした後、差配神の前に放り出されたわけです。
差配神が言います。お前はここで生前と決別するのだと。
ところがこの方は、どうしてもやり残したことがあって、ここで死ぬわけにはいかないと拒否。いいやダメだ連行する。なおも困ると必死に訴え続けて押し問答。ならばと、これからする質問に全問正解したら許すという条件をつけたので、この方はそれならやりますと応じたそう。
ところが質問は矢継ぎ早に次々と、おそらく千問にも及んだろうとのこと。当然、分からない質問も出てきます。ところが不思議なことに横に男がいて、こう答えなさいと指示している。その通りしていると、とうとう全問正解してしまった。
この直後、差配神は最高級難度の実地テストを課しました。ところが男の頓知が勝りクリアーしてしまった。業を煮やした差配神は仕方ない、お前に○十年の命をやろう。ただしその命を両親のために使え、たがえたならば即座に召し上げるからなと言い残して去った。その直後、病院のベッドで10日以上に渡る昏睡状態から覚めたとのこと。
実はこの方というのが50歳以降二番目に現れた女性で、話もじっくり聞けたわけでした。
(3)
霊が封印に遭っているケースか?・・
彼女は霊視などの霊能資質あり、霊を簡単に憑依させてしまう霊媒体質ありで、けっこう霊的なトラブルを抱えていたもようです。
原因は心霊レベルで封印されていたのではないか?という、探偵的見解で見ています。というのは、彼女がさらに幼少期に見た連夜繰り返されたという夢が如実に物語っていました。
彼女には自身を解放できると信じる唯一の方法がありました。それがその夢の中での出来事でした。精神崩壊寸前だった彼女は私に協力を求めてきたのでしたが、またこの話も前代未聞のものでした。次回はそれを。
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その時には明日に架ける橋が架かっていた?
女性は言います。10歳の時、毎夜見る夢に、同じ道を何者かに追われていつも同じ建物のところに行き着くとその入り口は必ず閉まっていて、逃げ込みたくてもできずに夢から覚めたと。
そんなある日、何者が追っているのかとこわごわ後ろを振り返れば、大きな鬼の顔が迫っていて「お前は偽物だ」と呼びすがってくる。女性は咄嗟に「私は本物よ」と言い返したとき、鬼の顔は消え去り、建物に辿り着くと初めて扉が開いていて、開けて中に入るや扉を閉めた。すると今度は外に出られなくなり、その後の毎夜の夢は、真っ暗な建物の中に閉じ込められて出られずに終る夢となって、その間何者かの手が身体じゅうを触ってきたのだという。
そのような夢もついに終るときが来る。ある日、建物の2階の電灯のともる下に佇んでいると、3階から階段を下りてくる誰かの足音がして、ひとりの青年が姿を現し、彼女の手をとって「長い間待たせたね」と言った。すると次の瞬間、建物の窓がすべて開き、外から陽光が差し込み、窓のひとつから望まれる青い海を渡す”明日に架かるかのような橋”があった。二人はその窓から外に出て、夢は毎夜の繰り返しとともに終わりを告げた。その不思議な繰り返し夢の期間は始まりから2ヶ月にもなっていたとのこと。
その頃、私はまだどの彼女とも出会ったことがなく、それらの話はメールのやり取りによりました。が、メールには、あのときの青年は貴方かも知れない、会ってあのときの光景を再現してもらえないかとの要請が書かれていました。いちど、大学時代の男友達に頼んで再現してもらったのだが、異なった人だったらしく、かえって境遇は悪化して罰を受けているのが今の結婚生活かも知れないという。今回ももし間違っていても、もう諦めるつもりだから、この勝手な頼みを聞いて欲しいと。
彼女によれば、建物は初め名は分からなかったが、後に移情閣という名と分かってからは、夢で見た建物が実在しているのだから、あの中で出会った青年も実在しているに違いないと、青年の姿を電車やバスの中に追ったという。私も車を運転していて、昔から青白い不気味な洋館として国道の浜側に建っていたのは知っていたが、何の建物かは知らなかった。それが淡路島と本土を繋ぐ明石海峡大橋の本土側のたもとに移設され、舞子公園のシンボルとなって入場できるようになったという。今なら観光が可能だから、ぜひ協力お願いします、というわけたったのです。
私はその不思議な建物について事前にネットで調べました。問題の2階はどうやら”龍の間”で3階は”鳳の間”と特定でき、八角三層の移情閣は風水塔として瀬戸内の龍を鎮めるための設備とされてきたことも知りました。つまり神霊を閉じ込めてしまう作用を持つらしいのです。その意味では風水術というものは恐ろしい効果を発揮するようです。彼女はその罠に嵌った神霊だった可能性がある。ならば3階の青年というのも只者ではない。ナワリズムの師匠なら、それは力の場なのだから、絶対にチャンスを逃すなと言うでしょう。(むろん私はカスタネダの著書に触発されただけのただの素人に違いありませんが)
私は分かりました、引き受けましょうと、私の予定の空いた日の11時に明石駅で待ってもらうことに。2000年9月27日、暑いぐらいの秋晴れの日でした。私はその前々日にマイカーが故障し、修理屋から宛がわれた代車で迎えに。ところが代車のクーラーが故障していてこれまた暑い。どこか鈍くさい成行でしたね。
彼女はピンクのワンピースでのお出まし。目的地までは一駅ほどの距離で、まずは食事でもと北にある舞子ビラの最上階のレストランで、下に移情閣を見下ろしながらの食事をし、そのとき彼女の語り口でいろいろな事情も聞けました。
彼女は霊能者であるとともに霊媒体質で、悪霊を憑依させやすく、それが家庭内の旦那のDVの原因となっている感がありました。3人の幼子を設けながらも家庭内不和で離婚も考えたが、生活のことを考えるとそれもできなかったと。
午後1時の少し前、そろそろ現地に行きましょうと席を立ち、車で数百mほど移動して移情閣の駐車場に。館の中に入り入場料の支払いと記帳を済ませ、1階2階と見学するも書画骨董類の展示物や額入りの水墨の達筆があるばかり。問題の2階で南面の窓から瀬戸内海のエメラルドグリーンと明石海峡大橋を見ながら、私は昔祖母が拝み屋さんから”最上の松に泊まる鶴”との見立てをもらっていると言えば、彼女は”私は亀です”と応ずる。おお、そう言えば乙姫さんに似てますね、などと語り、年甲斐もなく浦島太郎の話もしました。
では手続きになるシミュレーション儀式をばと、私は3階への階段を上ってみればそこは真っ暗。これより先は立ち入り禁止との案内も置かれていました。
これでは儀式の完璧は期せないと、さらに上れば、暗闇に上の明り取り窓からの採光を得て3階の天井書画の一枚が”蓬莱第一”と右書きされているのが確認できました。その階段の途中から下りていくしかなく、私は彼女の佇む2階へ足音を響かせながら。そして彼女の手を取る。
「これでいいんですか?」「はい、これでいいと思います」
そうして、私は彼女を住所地のある最寄駅まで車で送りました。その間、彼女はたぶん貴方に間違いありません、と言いました。青年に似ていたこともあったのでしょう。青年は伊勢正三似だったとか。建物が実在するのだから、青年も実在するはずとの思いから、通学電車や通勤電車の車内を見回してきた。けして男前とは言えずとも、学生時代からその思いを友達に話し、蓼食う虫の異名をとっていたともいう。あ・あのなあ。焦るぜ。
開運の成果のほどは先の未来のことゆえ分かりません。そんなある日(2000年10月6日)の午後1時30分、鳥取県の日野町を震源とするM7.3の大地震が発生しました。倒壊家屋数件あるも死者ゼロ。阪神大震災では規模はほぼ同じながら巨大災害になったのとは対照的でした。
移情閣で手を取ったのは1時半。ちょうどまる九日後(216時間後)であること。またやや遅れてわかったのは、同年10月6日は旧暦の九月九日のひのととりの日で重陽の節句でもありました。
日野・鳥取、ひのととりの日(⇒火の鳥)、九という数字のゾロ並びという言葉と数字のシンクロが顕著に発生していました。
また彼女の家の宗教は大本教系分派の家族揃っての篤信者で、特別な話も聞き知っていました。
最も大事な神様は国常立神でその昔、奥様の豊雲野神とともに暗殺され、遺体がばらばらにされて丑寅の方角と未申の方角に封印され、「炒り豆に花が咲くほどの未来でなければ出てこれない」との呪詛が施されているといい、また天照様も封印されているようなので、教祖や理事長のために何とかしてお救いしたいのだと、遠大な話をしているのですね。私にすれば、えらく不似合いなところに首を突っ込んだ感がありました。
そんなとき、こんな験が出てしまった。それは火の鳥を明示していた。火の鳥はマグマに飛び込んで灰の中から甦ってくるという霊鳥。炒り豆ごときやわな加熱程度なら、何の問題もなく甦らせることができるではないかという、自信のようなものが生まれてましたね。
おお、これはやはり”力の場”に至り、フォースの力を手に入れたんだ。
彼女はさらに言います。貴方の名前もすごいと。奥の戸を押し開けるという意味になり、国祖神と同様に封印されている天照様を岩戸からお出しするタヂカラヲの仕事もできると思ったようです。
びっくりしたのは10月のうちに旦那と離婚してしまったこと。てことは私とまさか。そう、彼女はそんなつもりはなかったのですが、私が焦った。何か商売でも別にと、電気製品のブローカーの研修も受けにいきました。が、商才も財運もない。しんど。
結局、何がもたらされたかと言うと、神様たちの封印を解いて差しあげてな、というミッションだけだったような。
いや実際、私でなければ封印の実態が掴めなかった筈。だって、私が全部見つけた幾何学図形でしたからね。だから彼女の目標とする人物にも間違いはなかったのでしょう。彼女が臨死からどうあっても生還しなければならなかった事情はこの役割の伝達だったのかも知れません。
そして彼女は言いました。矢継ぎ早の質問の隣の席にいた男の人は貴方のようだった、と。
よう知らんけど、ようできた話です。
Wiki>明石海峡大橋の建設を機に移情閣移転の話が持ち上がったが、コンクリートブロック造3階建ての建築を移転することは建築基準法上不可能で、一時は取り壊しのうえ外観のみ復元という案も出た。しかし、1993年に建物が兵庫県の有形文化財に指定されたことから法規上の問題はクリアされた。建物は1994年から解体に着手。この時、金唐革紙等の館内装飾・備品の復元製作が行われた。解体中であったことが幸いして、翌年1月の阪神・淡路大震災では被害をまぬがれた。200メートル離れた現在地に移築完了したのは2000年のことである。
つまり、移情閣の解体撤去が終っている最中に阪神淡路大震災は起きているのですね。瀬戸内の龍の活動を鎮めるという風水塔の役割が停止中だったということ。震災の影響で移設後の公園のシンボルとしてオープンするまで、これも遅れに遅れて2000年5月竣工、観光地としてのオープンがその7月からだったようです。我々は9月末に行って彼女の開運の儀式をしたことになりましょう。
明石海峡大橋が架かるまでは開運の条件が揃っていなかった。時計仕掛けの仕組みがあるような感じですね。しかもそれは決まった時刻にというのではなく、(夢に出てきた)情景が満たされた時というのが起動のかかる条件になっていると推理をするわけです。
私はこの不思議話に飛び込んだのは、何か”力”が欲しかった。そのお蔭で、まさかと思うような”力”、”ダイモン(デーモン)”が手に入ったのではないか。これはいわば魔法力のようなもので、ちょうど魔法系のゲームでパワースポットで”力”を身に着けて、悪魔と戦い目的とするもの(たとえば魔法使いにさらわれた姫の救出など)を実現するようなことです。
この移情閣では他にも、3階の青年の名は”キンイロタイシ”だったといいます。この名は御伽草子の”毘沙門の本地”に書かれていて、毘沙門天の若い頃の名なのですね。毘沙門天は私の母に縁のある神様で、毘沙門さんの二十日に生まれると祖母が夢枕で告知され、まさにその日に母は生まれたということなのです。母には生まれた当時の異伝があり、もし男だったなら位人身を極めただろうにと予言されていたのでした。https://puboo.jp/book/97091 毘沙門天が関わって母の生涯は書き替えられたのか。元の時空はどうなった。あるのかないのか。こんな刺激が私の子供心をして真理探究に赴かせたように思います。
さて、キンイロタイシのいた3階は未だに拝観できない真っ暗闇。これも封印そのものでしょう。解放された彼女は実業で成功し女手ひとつで3人の子を育て上げ、ある分野では日本一にもなりました。2階は全面開放されています。私は強い神のダイモンは得たが、同時に真っ暗闇に飛び込んで封印されたようなものです。鳳は鳥だから鳥目だろうし。身動き取れないため何やってもうだつが上がらないという状況が現実世界に投影してしまい、そのような運気の違いとなっているみたいです。どうして3階を開かずの間にしているのか。これが神霊の活動を妨げているに違いない。その影響が現実の私に及び・・おいおい。私にはこの謎解きが新たなテーマにもなりました。魔法世界は表象が支配的なようで、魔術戦争があるなら、表象をコントロールすればいいのです。それが現実世界で誰にも怪しまれず静かに起こされているのをまざまざと私は見ているわけです。施主の呉錦堂はメーソンリー。表向きの経済活動だけでない魔術活動も伴っているはずなのです。それが今尚? そう、故意なのか偶然なのか不明ですが公開できない状況にあるようです。
実は故意だったこと。次回に。