満月と母

本日は、母の二度目の命日です。そして、満月でもあります。
母も新神話からすれば、陰の大力でした。
将来にわたっても力を持ってもらいたいところです。
男ならば位人身を極めると預言された魂。
その方が女として陰に徹する人生を送ったのです。
将来には当然のこととして、母の魂が望むなら、陽に徹することのできる人生を持ってもらいたいのです。
もちろん、本人が望むならということであり、新時代未満の逆波ばかりの世においてやってもらうつもりなどないことです。
新時代の順風の中で、人を利益し喜ばせる人生を送ってもらいたいです。
望まないなら、それでもいい。ゆっくりやすんで、くつろいでいてほしいです。
私は母に長くお世話になったわけですが、ほんとうに空気のようにしか思っていませんでした。
今頃になって、なんと偉大な人だったか、残されたものの随所を見て感心するのですが、これがあってよかったなあと、後になって実感することが多々あります。
母でなければ思いつかないような独特の良かれと思う発想の品が残っているのです。
小分けして布袋に入った大量の木炭。これは庵の湿気やすい一和室をひと夏、適湿に保ってくれました。その布袋のひとつひとつをミシンで縫ってくれてたんですね。
それは防災対策にもなり、燃料が切れたとき使える代替燃料になります。
大量の塩ビ袋も買い物のつど蓄えられていました。これがいままた役に立つ。
残し置かれたものの中にはゴミになったものも多く、始末するのに難儀しましたが、多くの場合、あってよかったと思うものです。
母は私を国民として、利益して逝かれたのだと思っています。
私は、たった一度だけですが、母の本体の夢を見たことがあります。
それは名古屋にいてサラリーマンしていたころ、明け方の濃いい群青色の空を背景に、羽根に白衣の天使の姿をした母を見たのです。
夢の中の場所は、神戸の当時もあった自宅の前のレンガ道でした。
天使の母は、右肩に大きな満月を掲げていました。バックには女性コーラスが歌っていました。
そして、やにわに、私をその満月でぴかぴかと二三度まぶしく照らしたのです。
そして眼が覚めたとき、コーラスの音は、ぱんと耳の圧力が変わった音がして消えて、ふだんの音になり、ただ起きたときの空だけが、夢の中の色でありました。
その日が満月だったかどうかは調べませんでした。そこまで超常的なこととは思わなかったころでしたから。ただ、不思議な夢を見たものだと、イメージだけはいつまでも保持しています。
さて、それからだったのです。私が、何か様々なインスピレーションを受けるようになったのは。むろん私も当時、心の持ち方の難しさに悩み、真理探究と考えて、精神世界の書物など、興味深く読んでいた頃でしたから、その辺からの影響もあるのかも知れませんが、何か人生上の、あるいは目に付くことに関して、疑問を心に持つと、即座に解答がもたらされたのです。
しかもそれが、けっこうまとまった情報として、納得・得心を伴いながらやってきますから、これはすばらしいことだと思っていたようなことでした。
この辺の話は、母の四十九日の記事のところで書いていましたね。
⇒ https://ufocolumn.blog2.fc2.com/blog-entry-404.html
そんなとき、母の命日に合わせて、腹心の巫女さんが、満月の意義を異界に尋ねてくれました。
>Q:満月の異界的意味は?
>A:通路
>★異界との通路にふさわしい神秘さです。
まさに通路であることが、シンクロ的にはっきりしました。
情報の通路です。天使が運んでくるから、天使の通路でもあるのです。インスピレーションとして、精神感応的にやってきます。
母天使の掲げる月光の、あのときのぴかぴかは、私のお粗末な脳みそに、それを感受する通路(回路)を刻んでくれたのです。そう思います。
そこでまた思い起こすのは、これです。 
⇒ https://ufocolumn.blog2.fc2.com/?q=%A5%A6%A5%A8%A5%B5%A5%AF
人もまた地球生態系の一員です。生態系全体が月の影響を受けているというのは、異界からやってくる天使の恵みと啓発を受けているということなのです。
もし、その霊的通路を閉ざしてしまうようになれば、人は生態系から乖離していくようなことになります。
だから、自然破壊をしていてもなんら良心の咎めも起こらない。このような人類になっていたのです。
過去には、おぞましい殺戮宗教が洗脳によりその乖離の促進役をしました。今は、科学万能と工業化社会と拝金主義が、生態系との乖離を急加速させています。
人類はこのままでは、地球からお払い箱になる運命です。ロケットやアセンション節理に依頼せずとも、絶滅という形でお払い箱になります。
霊魂だけ残る? 甘いです。通路が閉ざされているんですよ。まともな導きが受けられたものではありません。天使がそこまできていても、わからないことになるのです。
だから今、目を覚まさせる節理・弥勒とその思潮が大きな影響力になっています。弥勒は吉凶の相が伴う節理です。いいこととして出てくるかどうかは、現下の退廃度によるでしょう。
新神話における弥勒思潮は、草の根の正義の民衆運動のことです。弥勒としての顕現は、一国の為政者として出ることもありますが、それは霊的な懸架という形ですから、その為政者が別のものに懸かられて、機能停止することもあります。終始一貫できるかどうかは、支援しだいです。
弥勒の懸架を支援する正義の民衆運動こそが本質的です。そうすることで、多国の為政者に弥勒が顕現し出します。
あのときに見た母天使の夢は、月光に秘められた力ありということを知らせるものでもあったと思います。
ホピもこう言っているではないですか。「人において、この第一のものは頭頂にある。人類が誕生した当初、ここにはコパピ(開き扉)と呼ばれる柔らかな点があった。人は、ここを通して生命を受け、創造主と交わったのである」
ここに書いてあるのは「人類がこの世界に誕生した当初」のことで、今の個々人は幼時に限られていますが、そこは、その気になればいつまでも柔らかいのです。
ぜひ、月光浴をお勧めします。

妖精の住む森

奥山の庵の縁の下で、ノラの母猫が3匹の子猫を産み落とし、そのうち一番小さいオスの子猫を育てることになりました。しかし、育児は困難を極め、二日間の命に終わりました。猫の名は「たまろ」。冥福を祈る毎日です。
不思議なことに、お盆から連日のように(8/12~22)壁鳴りしていたものが、たまろがいる間(8/23~25)、まったく鳴らずでした。ところが、そろそろもういいだろうと鳴り出したのが8/29。そして8/30の朝に鳴り始めてみれば、その音源の場所たるや、冷凍庫のある場所の床下であるらしいことが判明。
そこで床下に何があるのかを調べに行きました・・・すると・・・。
ああ、まるでメルヘンです。

輪廻の原因は人の心の深奥に巣食う偽ハイラーキー・魔境と見たり

君は私の想いと共有するところが多いので、きっと、たまろの死で私がダメージ受けていると思ったことでしょう。
確かに、一昨日の晩はたまろの死に対して、自分の選択が良かったとはいえない部分で、ずいぶん自分で自分を責めました。
それを受けて、君も自分の進路にふらつきを催したに違いないです。
しかし、私は君の苦悩を知って、これではまずいと思ったのです。いい啓発を与えてくれたことになります。
そして、よく後悔の内容を吟味しました。
確かに、善とはいえない方法をいくつも踏んでしまいました。たとえば、たまろは本当は発育不良児でした。
人間なら集中治療室に入れて治療すべき場合だったのかもしれない。なのに、初日の夜から、私の胸やおなかに乗せて、ベッドで寝たんです。
たまろはまだ元気で、眠っていても常時身体をぴくつかせて、レム睡眠の状態にありました。それが子猫の常態なのです。
夜中にむくっと起きたたまろは、私の声のするのどのほうに、手足の爪を立てて、やってきたりしました。
かわいくて仕方なかったです。
ところが二日目になると、昼間から寝てばかりです。これが子猫というもんだと考えた私は、彼が夜活動したから熟睡していると思い違いして、ぴくつきもない状態で寝ているのを、よしとしたのです。ミルクは必須ということで、飲みたがらないのを無理にでも飲ませてはいたんです。mlも満たしていると。そして排便の仕方もわかって、やってみるとすなおにできました。
それで十分と思っていたんです。
ところが熟睡を継続すること自体が異常事態だったんです。再び目を開けてから、私のおなかをよじ登ろうとしていて、手足の爪に力が入っていないのに気づきました。
ミルクは依然として、嫌がって飲みません。
だから、動物病院に行ったようなことだったのです。
先生は、まともに育つ子猫は、必ずミルクをむさぼるようにして飲むものだと。それができないのは、すでに弱っていて、おそらく兄弟猫との生存競争に負けたのだろうとのことでした。
それで、重要なのは、ミルクを飲ませ続けることができるか。排便をきちっとそのつど処理できるか。それも2時間おきに・・・。夜も昼もです。母猫はそれをしている。
ただし、生存競争の世界だから、弱者はどうしても脱落する。そこに人が関わるなら、根気よくそれをこなせるかどうかにかかっていると言われました。
もし、それをするなら、哺乳瓶の吸い口では大きいからねこれをあげましょうと、あのたまり瓶をくれたのです。
私は、そこで最善の手として、後からネットなどで知ったのは、カテーテルで常時哺乳するというものでした。金に糸目はつけず、入院させたらよかったのです。
私は眠りにくい人間ですから、自分でもできると、自分ではじめたわけでした。しかし、夜中になって、低体温化し熟睡しているもので、無理やり起こしてミルクやり、排便としました。ところがまたたまろは熟睡してしまい、そんなことを繰り返す中で、いつしか致命的に衰弱したようです。
箱の中でカイロで保温して置いておいたのですが、朝になって、たまろは起きて、「キュィーン」と鳴いて私を呼びました。よしよし、自分で起きたかと、また排便させて、次にミルクの段になって、また大きく「キュィーン」と鳴いて、口を開けてくれているので、飲ませやすいと、瓶を掲げたところ、三度おおきくあくびをしました。そのときも、私はミルクを飲ませやすいとしか考えなかった。ミルクを口に含ませたところ、ひと吸い目は何とか飲んだ後、力なくうなだれました。このとき心臓が止まったのです。
あらゆるところに至らない点がありました。それが今も寝ていると想いの中に湧き上がってきて、このときにこうすればよかった、ああすればよかったと、悔やまれてくるのです。すると、やがて、私を叱るハイラーキーと名乗る意識が出てきます。そして、とってきた行為のひとつひとつを吟味しだします。やがて、総合したようなそぶりで、お前の心の中の、こういうところに欠陥があって、すでに母のときに後悔したことが、少しも反省されていないではないかと叱責するようになります。そしていよいよ、再び機会を設けるには、今生では難しいななどと言いはじめます。
ここなんです。人が輪廻を繰り返さざるを得ない原因は、ここなんです。これを一般的に魔境とは言ってませんでしたかね。
ちょうど私がそんなふうでしたから、共通するものを持つ君が、魔境にふらつかされなくないこともなかったかと思うのです。
いいですか。無知な者は叩けばいくらでも埃は出る。その埃を皆無にしなくては容赦しないというのと等しいんです。それが自分のハイラーキーを語って出てくるのです。
心の中をじっと見てたら、そんなカラクリのあることがわかってくるんです。
たぶん良心の呵責の生じやすい人ほど、この魔境に陥りやすく、決心する中で、再誕生の覚悟を固めてしまうのです。つまり、善人ほどこの傾向が強い。
私の祖母は過去世において、これほど人徳に優れた人はいないとまでされた人だったそうです。それが、今生においては、貧しい状況から開始し、新家に入ってからは、子供のことでずいぶん苦労したのです。そこで、祖母は思い余って、有能な拝み屋さんに尋ねて、たったひとつ、自分の子と他人の子を分け隔てしたという、そのことひとつで、今生が用意され、子供のことで苦労することになったのだというのです。
今生において、祖母は心の中でぼやく人でしたから、今度はそのぼやき癖が問題にされるやもしれないところです。何しろ、まじめにカルマ(業)を消さねばと思っていた人でしたから。地上を卒業して出ることは至難の技となっているとかは、ケーシーリーディングの語るとこですが、こんなカラクリなんです。邪神の手の込みよう、罠の張り方をつぶさに見ました。
私の親族の女系はみんなそのようなカルマ潰しに生を費やした感があります。母などは、その名も「禊」で、名は体を顕してましたね。男ならば位人身を極めると預言された魂ですよ。まあ、母はもう大使館に送り出しましたから、大丈夫ですけど。
いっぽう男系は、みんな腕白ですから、まだ折り返し点にも達してないかもしれないですね。むしろ、そっちのほうが善人よりは解脱が早いかもしれません。
さて、異界交信における回答の懲役とは何か。この世での懲役というのでなく、異界での懲役、つまり死後のことですね。地獄が用意されているというのもあるかもしれません。それはおぞましい情景がビジョンとしてやってくるわけで、イメージとしてそう映るわけで、一定の悟りがあれば、何でもないわけなんですが、気持ち悪いのをしばらく我慢しなくてはなりません。中陰の身体は、そのビジョンで傷つけられることなどないですし、ほんとうはこの世でも同じことが言えるのです。それで、彼らはいろいろなイメージを駆使して揺さぶらざるをえないんです。
それで再誕生させて、一定の成果を出すまで転生を繰り返させて、服従させてしまおうとするわけです。誰もこんな窮屈でたいへんな労働環境に臨みたくはありません。それをさせるのが懲役であり、日本の刑務所で税金で養われて服役することとはレベルが違います。おおよそそれ以上にひどいこともあるわけです。
だから、地球に送り込まれてきた理由というのもわかるんです。これだけのところですから、他所で戦って捕虜になったとかで強制収容所に送られたようなことかと思います。初期の頃、満身創痍の弱りきったときに、お前はこういう罪を犯した、それゆえ強制収容所送りだが、それでいいな、と言われたら、もうそれでいいですと言わざるをえないでしょう。彼らは体制維持にやっきになっていることが明らかなので、政治犯なのでしょう。たとえるなら、北朝鮮ですね。ここに閉じ込めておくくらいに、相手方からは憎まれていると思っていたらいいです。愛の成就とか、進化とか、おためごかしはいい加減にしろと、ひとこと言ってやるべきところなんですが、依然として自分が良くないと思ってるケースが多いんです。(新世界から来ている人はもとから話が別ですけど)
懲役ね。おおそうかそうか。ずいぶんと憎まれたもんだね。ところがどっこい、こちらはそんな刑を受ける筋合いは一切ないねと、しっかり宣言してやりましょう。
要は、主義主張が違うゆえに対立したわけで、それを強引にねじ伏せて捕獲したとて、転んだりいたしませんよとすべきなのです。
心が微に細に入りだしたなら、その深みにはおよそ魔境が潜んでいます。およそそれに同意したなら、人は鬱になり、よからぬ決心をしてしまうことになりがちです。暗がりにハイラーキーの顔をした邪悪がひそむということ、心得ておいてください。ほんとうのハイラーキーは光の中にいます。私のハイラーキーは純粋に梵天です。
奥底の暗がりにいる高級然とした邪悪は、邪神がまんべんなく仕込んでいる原型の手続きです。
死後、中陰に立ち現れる幻影と同じです。のどかな人なら、花畑と水域がビジョンとして現れるということになります。生前の思考傾向により、人によっては裁きの場のビジョンを見たり、おぞましい怪物を見たりするでしょう。それと同じなのです。幻影が自らを傷つけることなど、できたりしません。自分の思い込みが、自分を閉じ込めるだけなのです。再誕生、転生を決めるのも自分です。
なお、君に関しては、もともと竜宮にいたので、人の輪廻とは無縁の者です。ただ、人間を経験すると、人と同じだけの苦悩を味わうということ。これは仕方ないことです。

生き物の不思議(第n+2としよう)・・・猫との縁

今回は、たまろ亡きあとでもあって、猫の話です。
何でも、猫という動物は、車に乗るのを嫌うらしいですね。
でも、私が以前に拾った「たま」というメスの子猫は、車好きだったですね。
拾った時点から、私の運転する車の下に潜り込んで、当時は冬場で寒かったからか、暖をとろうとしていた感がありました。しかし、信号待ちの一時停止のときですから、いかに奇妙な現象だったことか。そして、私との縁ができてからは、もう犬並み以上に、私という人間になついてしまって、私の物音を聞くたびに、寝床の毛布の中から飛び出して、「にゃーにゃー」言いながら、ベランダの窓扉をガリガリやっていました。車で家族と出かけるときも、乗り込んでくるなり、私の服をよじ登って、私の右肩に留まってごろごろのどを鳴らしたり、頭の上に載ってバランスとりながら、運転中の車外を眺めていたりしていました。それは平成2,3年のことでした。
それから平成14年頃に、三木市の丸山墓苑というところの雑木林に住む野良猫なんですが、どうも何世代かが同居しているんですね。これがちょうど、雑木林横の細道を車であがっていこうとするとき、一匹の身なりのいい若猫が、行く手をふさぐんです。右にいるから左を通ろうとすると、左に回って座り込むんです。右に行こうとすると右に回ってくる。こんなことを三度も繰り返したら、何か変だと思いますわね。それで車を左に停めて、ドアを開いて出てみたんです。すると、若猫は雑木林に入ります。その方向を見ると、なんと、先の若猫含めて5匹の猫が、きっと先代、先々代くらいまでが、一線に並んで、私を見ているんです。まるでその先に、猫の王宮かなんかがあって、私を客人として迎えようとしているように思えたのです。
それからほどなくしての、三木の西自由が丘というところで、仕事である人を呼びに行かなくてはならず、車から降りて、呼びに出たんです。
ところが、そこで飼われている猫に、人間で言えば80歳以上というおばあさん猫がいまして、それが私の行く手をふさぐんです。そう。猫にはふさがれる・・・ほっといてくださいよ。
そのときの猫の姿たるや、身を最大限に伸ばして、通路をふさいで、こちらをじっと見据えるわけです。そして、口を開いて「にゃー」と言ったとき、私には「おっと待ちな、どこへ行きなさるのかね、お兄さん」と聞こえてしまったほどに、人間的なパフォーマンスをしたんです。
それで思わず日本語で言ってしまいました。「だったら、○○さんつれてきてくれよ」と。すると猫は奥へ行きましたもんね。やがて○○さんが出てきたことは言うまでもありません。
それからやはり同時期のこと。伏儀神農神の化身とも思われる「ノラ」というオス猫に、あるお宅で出会ったのです。この猫は、私が座布団に座っていると、いつのまにかやってきて、私のあぐらをかいたひざの上に載ってきて、少しの間に寝てしまうのです。それはもう、何の怖れもなしに、よだれしながら眠っているわけです。そして、私が帰る段になると、家の玄関から20mほど庭についた通路の先に表玄関があるのですが、その家の家人さんと私をそこまで先導して、玄関先でちょこんと座ってお見送りするのです。この光景は、訪問した際に二度ありました。そして、何か不思議な縁を感じて、デジカメで彼を写そうとしたとき、つまずいて手元が狂い、思わずシャッターが下りてしまって、写した写真が、なんと伏儀神農神らしき人物が、白い大きなつづらを背負っている姿として写り込んでいたのです。そのお宅に、その神の姿を描いた掛け軸がありまして、それがまた、薬草を一本咥え、猫耳をした姿で描かれているんです。
それから今まで猫との縁にはブランクがあって、今回の「たまろ」とのご縁となったわけでした。

生き物の不思議(第n+1話ぐらいか)・・・ふにゃふにゃ再開か?

今日はちょっとびっくりしたことがありました。
また壁鳴りがしだしたのです。あのふにゃふにゃという音です。
しかし、ものの3,4分で終わりました。
その後、集水塔を作る現場で、今日は単管の基礎をセメントで作っていたのですが、そのときあのふにゃふにゃ音がしだしたのです。むろんその場は、蜂やら蝿やらの羽音が少しします。なんせ、自然界ゆえ、いろんな羽虫が勝手に飛んでいるわけですから。
ところが、ふにゃふにゃの音の主が飛んでいたんです。というべきか、あの音似の羽虫なのです。
それは小さ目のアブでした。
おや、これだったのかよ、といった思いだったのですが、ならば家の中に一日中どころか、12日から断続的に駐屯しているなどといったことがありうるものなんでしょうか。
しかも、寝室の壁とキッチンの冷凍庫の裏側に限られています。アブなら、もし家の中にいたとするなら、家中で飛び回って音を奏でるでしょう。冷凍庫の裏も10cm幅の壁しかありません。私がいくら酔狂者といえども、もしかして刺されるかも知れないようなアブを飼っていたりするわけはないのです。
だから、自然界のアブに似せた音の主がいること。しかもそれはいたって超常的なものであること。子猫騒動の間はいっさいその音がしなかったこと。などが私だけには観測されているのです。(みなさんはきっと疑うだけでしょう。たとえばUFO映像を撮って見せたとしても、CGだろうと疑うようなことになるわけですね)
UFOと申しましたが、実は六甲山の地獄谷というところでよく武良氏や坂本氏とUFOやスカイフィッシユ撮影をしたのですが、たまたまその日、丹後のほうからG氏という、UFOを一時期頻繁に見たことのある人が来ていまして、その人を襲うようにして大型のアブが彼のシャツの下に入り込んで、彼の脇腹を刺したんです。
当時、武良氏がよくビデオに撮っていたのに、針の長く突き出したアブの映像があって、それを写真にしてサイトアップもしていた経緯があるのですが、それをみんなは、虫型UFOだと評価していたのです。坂本氏などは、テレビ番組でもろにそのことを話していましたし。
それで、普通は刺されることなどほとんどないはずのことなのに、G氏が新参者だから、ボディチェックとして組織を採取されたのだろうと言い合っていたものでした。
今回のふにゃふにゃも、その姿が見えなくとも音源はアブとすれば、それは虫型UFOなのではなかろうか、というわけなのです。この音をじかに聞いたのは、私と以前の職場仲間の二人だけですが、ビデオで音を収録してYoutubeで流して、多数の人に聞いていただいているとおりなわけです。
いや、UFOならばそれでいいわけです。ついに「天上人の宴」のステージに、私も臨んでいることになるわけですね。しかし、いささか予想よりは小さい。古事記の神話に言うスクナビコナという羽虫型宇宙人ではなかろうかの感もあったりするわけで、もしそうなら、人類に対してとても好意的な宇宙人ということになるのです。
うわー、いい宇宙人が来てくれたなあ。でも、姿を見ることはなかなか難しい。といったことなんです。
子猫のたまろがいたときは、どうして鳴らなかったのか。相性が良くなかったのかな。それとも、たまろへの愛情パワーに圧倒されて、ぐうの音も出なかったのかな。
また今日、少しだけ鳴りました。これが頻発するようになれば、いよいよ今度は宇宙に出る番なのかもしれないですね。
うん。地球は悲しみの天国だから、もういいよ。船を宇宙に出してくれるかな。