100禁 予言元の存在への疑問

一般的に、当たる確率の高い予言者のする予言は、世の中を賑わすものである。ノストラダムスの時はものすごかった。今回のジュセリーノ氏の場合は、もっとストレートに出てくるゆえに、またも社会問題化するのではないかと推測される。しかも、すでにしたように、彼の予言は昔の人がした結果ではなく、現在カレントな時点からする予知として、精度の高いものとして出てくるわけである。ノストラダムス以上の捉え方をすべきであり、彼もそれにカウンターを合わせるように、どんどん必要先には送り付け公開をしている。
さて、誰しもの観点はどうしても予言の内容と、少し突っ込んだとしても、予言者のプロフィール、職業や立場、信頼性、誠実さなど、予言の信憑性を測る目安までで止まってしまいがちだ。
ところが、予言の解釈者としては、それだけで完全と言うことはできない。予知夢付与者が別にいることを彼も公然と語っているように、この点にも目を向けなくてはおかしいのだ。これはノストラダムスの時には、まったく欠落した観点だ。ファチマの予言の場合は、聖母の出現の裏にUFO現象があったことから、やや進んだかと思える。だが、証されない仮説を生む程度のことであった。
今回のジュセリーノ氏の場合も、彼が言った限りのものに終わるなら、巷には仮説の域を出ないものが乱立するだろう。そのうち、予言もクライマックスに差し迫ってきたなら、予知夢付与者も正体を明かしてくれるかもしれない。また、人間界の上位にある世界がどのようなものか、どのような影響を下位に与えているかといったことも、順次出されてくるかも知れない。が、それはあくまでも異界の存在の任意による。
私は、どうしても物事の裏側のほうに目が行ってしまう。これは癖というもので、それがまた疑問を発すれば、即座に、もしくは忘れた頃に解答が情報の塊としてやってくるものだから、どうしてもやみつきになるわけだ。即座の場合は、閃くという感じ。忘れた頃の場合は、現象のシンクロニシティとしてやってくる。
正確な予言が示されるようになった。清廉潔白で情熱ある正確な予言者が現れたものだ。しかも、彼にはそれをする十分な正当性があり、人格的にも範たる人であった。
だが、それだけではにわかに信用するに足りないものを感じる。といっても、予言の内容についてではない。何かといえば、彼に予知夢を与える見えざる者(異界)の意図についてである。
なぜこの時期に、というのは分かった。このままでは滅亡を必至とする状況にあり、その時期も目前に差し迫っているというわけだ。今までは注意報程度だったものが、ついに警報が出されたというわけだ。
これを回避するには、かなり困難な条件をクリアーする必要がある。二つ条件で、破局が回避できると言っている。
しかし、滅亡を回避するための時間など、ほとんどないことに気付かされる。まず物理的には無理だろう。一般大衆がどう考えを切り替えたとて、為政者クラスに従来のやり方から決別させるほどの力にはなりえない。為政者らは、今ある幸福に酔い痴れて、我が世の春を謳歌できれば、花の如く散っても良いとすら思っている。いっぽう真面目な労働者は、先の未来に子孫を託そうとボロ雑巾の如く使われるだけ使われて、面白みの乏しい人生を送ってきた。そして明日からもまた労働に出る。
そのようなとき、まるで追い討ちをかけるように、存続の希望が断たれたようなことが宣告されたようなものとなっている。そうならないためには条件を満たせと、異界からの至上命令が下ったわけだ。
だが、その条件とは、為政者側にならまだ容易かも知れないが、労働者にはどうやっても手が出そうにない。
当面の地球温暖化対策という条件のクリアーは、まるで企業目標や政府の達成目標の数値の目安のような気がして、我々いわば労働者にとっては、より大きな親会社からの要請で、労働環境の締め付けがいっそうきつくなったような思いに襲われる。
我々は、決して好んで地球温暖化の音頭を取ってきたわけではない。むしろ、賢人側に立ち、このままでは危ないという思いを表明してきたはずだ。だが、権力には立ち向かえず、為政者や企業の言いなりになり、生活のために仕方なしにここまでやってきたのだ。
予言者本人に抗議するつもりはない。彼もやはり上の言いなりになって、仕事大事と夜に昼を継いでがんばる労働者だ。問題は、彼の上にある存在のことなのだ。
こうしたケースは、私も現実に直面したことがあるので、話をそれに置き換えてみよう。
私は以前の会社で、百人ほどいる従業員が毎朝の朝礼に並び、管理職からの訓示を受けるときに、たいがい前日に起きた一人ないし少数の従業員の不祥事をあげつろい、綱紀粛正を論ずる中で、あたかも全員の連帯責任であるような言い回しになっていたことを憶えている。だが、その問題を絶えず起こす従業員を、よく調べもせずに雇い入れたのは経営者側なのである。組合長は、そうした矛盾点を何一つ突くことなく、そういうわけで会社には頭が上がらないのだといつも言っていた。結局最後に、組合長は管理職に昇格したのだが。まあ、どこの社会にも見られるような御用組合の光景といえばそうだった。
喩え話の趣旨はお分かりいただけただろうか。この卑近な例は、もしかすると、この神霊界、宇宙人社会など仮定できる異界を含めてのオカルト的な世界にも通用するのではないかと思っている。そこで喩えの会社はまだましなほうであり、この世の仕組みでは、問題児のほうが為政者の座に就きやすく、失政をしても責任を認めようとせず、兵隊を使ってでも潔く下りようとしないというおかしな事態が生じているのである。
労働者はそれに対して、苦笑ばかりしていて、引き摺り下ろす行動にも出られないような子羊ばかり。今はその大人しさが裁かれようとしているとでも言うのだろうか。これではまるで、ストライキか暴動でも起こせと言わんばかりだ。
だから、迂闊に彼の予言には、はあそうですかと同意了承してしまうわけにはいかないのだ。予言は建前であって、本音の部分ではないと思えるものだから。
本音の部分とはおそらく・・無理難題・・できないことが分かっていて、むりにやらせてできずに終われば処罰するという、江戸時代のお家取り潰しの幕府の画策のようなことなのではないか。
それを、こちらから見えないことをいいことに、異界の側はやりたい放題やっているのではないかというわけだ。
よく考えてみたらいい。キリスト文明とイスラム文明の衝突ひとつとっても、見えないところにいる存在には信仰と帰依を誓い、見える当面する敵と殺し合い傷つけ合ってきた。同列にいる者や弱者には敢然と立ち向かっていくが、見えない者に立ち向かった例はひとつもないだろう。相手が神だから、見えないから戦えないというのは詭弁だ。要は、どちらの陣営も、見えない上位の存在にはよう歯向かえないように仕組まれているのだ。これは催眠術でしかない。オカルトの世界丸出しの中にあって、何も矛盾を感じていないのが人間なのだということだ。
私の友人も同様の考えで、私が災害の備えだけはしておいたほうがいいからこの本を読んでみたらという方向で話したのだったが、急に疑わしい顔つきに変わり、そういうのはあちら(異界)の意図が見え隠れしているから見たくないと言い出した。彼は労働者側の痛みが分かる清廉潔白な人間だ。何もそこまでしなくてもいいと思うほど、異界の本音を鋭く見据えている。
二人とも奇しくも同意見になったことから、私はそこで、そうだ、これは異界にまんまと嵌められているのかも知れないと思ったわけだった。ジュセリーノもこう言っている。これを知ったときから、その人には責任が生ずると。しかも、私は知らせることで責任を果たし、知らされた者は受取人として責任を負うと。予知を受け取った責任を転嫁するために、彼はそれを然るべきところへ回す。彼はそれで責任の荷を降ろす。受けた者は、次に然るべきところに回していかねば、全面的に責任を負ってしまうという論理。
こんな卑近な例は、どこかで見たことはないか。そう。不幸の手紙だ。この不幸を幾分かでもやわらげたいのなら、別人に回せと。その手紙が異界から流されてきているというわけだ。しかもシステマチックに。
だが、この場合は不幸というより、不幸の原因を知らせることによる回避策を授ける手紙だ。だから、妙な意図は感じることなく、ありがたく思ってしまう。身の安全を図る情報を教えるという目先の利益に、我々はついほだされて、飛びついてしまう。
しかし、そこには「責任が生じる」という曖昧模糊とした謎の契約文が付いている。善意のオブラートに包んだ何か妙なものを飲まされたような違和感がしないでもない。
まったくの善意なら、災害予知情報を伝えるだけで済む。二つ条件が付帯するところに、ユダヤ的な発想を垣間見る思いがするわけだ。すると心の警戒が呼びさまされることになる。
契約書なら、まだサインするしないによって反故にもできるが、聞いちゃったといえば聞いちゃったんですよ、の村上流に言えば、一挙にインサイダーに問われることにもなるわけだ。興味深々が招いたこととはいえ、こんなところにも嵌め込みがあるのかと思ってしまう。
いや、私の誤解ならばいいのだ。高い情報料を異界に対して払わされるのではないか。そんな思いがして、ぞっとさせられたわけだった。
問題は、その「責任」とは何かということだ。また、どの程度で責任を果したと言えるのかということだ。
最低限、知ったことを然るべき人に回すこと。これは責任の転嫁、横流しになる。あるいは知らせ、共に避難すべき人に行動を起こさせること。個人的にできるのはその程度だ。それ以上のことを望まれても、できる話ではない。
だが、もしかすると、地球の未来への責任ということはないか。全地球人が総和して未来を改善して、希望を先に繋ぐこと。責任を取らされるのは、滅亡させてしまった時ということにならないか。
それは連帯責任なのか。私はやめておけと、ずっと昔から言っていたのに、一部の権力志向者や拝金主義者の不祥事に付き合わされる破目になるのか。それはないだろう。雇われ人の清き一票しか持たない者に何ができるというのだ。
どんな責任の取らされ方をするのか・・まあそれ以上は考えないことにしよう。土台、なんの予備知識も付与されているわけではない。しかし、また同様の試行錯誤ゲームの振り出しからやり直させられるようなのは、金輪際ご免被りたい。あるいは火と硫黄の燃える池に放り込まれるというのも、お門違いもいいとこだ。
ゴキブリなら多少の抵抗もしようが、手足もがれた柿の種のような我々人間だ。責任取れと言われたところで、もう殺せと、裸になって開き直るしかない。
こんな気味の悪い状況に追い込まれたら、人によっては合理化(心理学用語の)の道を選んで、これぞ福音、伝道するにしかずと、異界側に就職したような気分で行動するかも知れない。それで昔から闇雲に原始信仰を弾圧し、逆らえば容赦なく殺戮していったというのも、集団ヒステリーのようなものではなかったかと思ったりする。
要は彼らは病気の蔓延に加担する同胞作りを積極的に進めてきただけであり、洗脳されて破滅の道を突き進むことを待望し、世界の穏便な平和的存続の志を裏切ってきた罪は歴然としている。
世界人口の60%が、地球文明と人類の滅亡に無関心もしくは待望の気持ちでいるという現実。その方向に思想的に舵を切らせたのは、異界からの入れ知恵。その異界から、今度は警告が発された。異界には対立する複数の勢力があるという仮説もある。ならばいったい、地上世界の人類とは何なのだということになる。ところがこの人類は、科学万能人類至上を掲げ、異界の存在などないと徹底して言い切る。だが、そのすごい力で宗教を正そうという気も毛頭ないらしい。恐ろしい戦争の源になっている宗教対立。それを科学という力で矯めようともせず、この領域だけは信教思想の自由だと、推奨していたりする。そこで、ああそうかと気付くのは、私ばかりではあるまい。
科学界の象牙の巨塔の裏にも異界があるという推測が立つ。陰謀論となるが、フリーメーソンとか、異界のエージェントのような存在に行き当たるわけだ。科学全盛にして、地球温暖化を促進し、シナリオどおりに滅亡の淵に人類を追いやる。シナリオはちゃんと世界人口60%以上が知っている。そして、期待しながら固唾を飲みながらクライマックスのイベントを待っている。ゴグ、マゴグよ、米猶よ、まだやらんのかと。
つまり、どこを向いても異界に牛耳られているということだ。一般人と同様に、知らぬ存ぜぬの三猿主義を貫くのが正解かとなってしまうわけだ。ああ、これはすべて向こう(異界)の終始一貫したやり方じゃないか。そう気付いた時は、すでに引き返すことのできない地点にいたというわけだ。
ああ、これはすべて向こう(異界)の終始一貫したやり方だよ。そう気付いた時はすでに遅し。
私は興味深々で入り込んだはいいが、ついに終わりの日の到来を告げるあの人たちと同じ者になってしまったに違いなかった。
いや私の場合は、遥か前からそうなってしまっていたに違いない。古事記にも福音は書かれていたのだから。その解釈を本にした時点で私は伝道者になっていたのだ。
こうしていつしか、私は羊を囲いに追い込む側に就職している自分を発見する。就職すれば、その他いろんな情報を閃きというネットで入手もできる。だから、心は下種でも学者以上に博識になっちまった。へへへ。ナザレの。お前もか。なに、お前と違って上種だと。言ってくれたもんだぜ、この罪作りがよお。
だが、私の博識ぶりは、バモイドオキ・サタンにも一目置かれたし、神々も苦々しく思っていてもしたい放題させてくれている。異界は邪神の征するところとなってしまっているのだ。
地にある如くが天にもあり、神々の世界に覇権争いのあったことも知っている。これではあかんよと思いながらも、一介の異界のリーマン。勝手にしろ、そのうち粉飾でイカれるぞ、とかね。
どうせ滅び行く人類向けの知識をここで書いているのかも知れない。下種であることも手伝って、自分は一生懸命と思っていても、信憑性のない、あるいは見向きもされない役立たず情報になって出力だ。
ジュセリーノはその点、誠実で真面目だ。連帯責任を負わせるばかりでは辛かろうと思ってか、滅亡回避の方法も授けてくれている。それはとてつもないノウハウだ。
地球に思いを振り向けて感謝すること。自分をこの場所に置いてくれた創造主に感謝すること。これは窮極の魔法だ。
えっ。たったそれだけでいいの? 自分だけでいいの? 知った者全員でしなくてはならないんじゃないの?
それはそうに決まっているだろう。一人より全員がそうあれば、地球に対して思いやりの施策だって講じられるようになる。
政界や経済界をも動かすこともできるだろう。渋ちんの悪魔国家だって、世論の高まりには敵わず、考えを改めるかもしれない。
だが、オカルト的なことはとかく白眼視されて、どうしても科学者が否定するし、彼らが権威付けて世論を誘導しない限りは難しい。だから、たゆまぬアクセスと実績の披露が、頑迷の壁を破るしかない。不思議なことに、彼はそれを律儀にやってのけるスパルタンな精神力の持ち主だ。さすが、異界からの派遣者ならばこそ。そう思ったとたんに、幻滅してしまう。
「不都合な真実」も、彼の手紙を送りつけるたゆまぬアクセスが生ましめたのかも知れない。米国民主党の主張するところとなっている。議会多数派ともなっている。年末のタイムリミットまでに、間に合うか。異界には、やはり対抗する二つの勢力があるのかも知れない。実際、邪神の徒党がいるなら、正神陣営もいるはず。
ジュセリーノはこうも言っている。もう神には何も願ってはならない、と。これも、二つの対立軸があることを示すいいヒントだ。
神と創造主は別物だということに注意したいものだ。無理やりくっつけると、パラドックスを抱えて鬱になるだけだ。
感謝するのは、生態系という土台を整えて、人間一人一人に土の息吹を吹き込んだ地球。そして、魂(意識原理)の直接付与者である創造主に対してだ。こちらは正神側と言えるだろう。
いっぽう神とはゼウス様で、シュメール神話やギリシャ神話から読み解くと分かるように、人類を憎むお方だ。人類の歴史をこうあるふうに仕組んだお方だ。楽園追放をなさったお方だ。その始末もできないのを見て、容易にお見放しなさる。
「そうか。まんまと火を盗んだか。それで得意げになっているようだが、プロメテウスよ。それは人類にとって大いなる禍でもあるのだぞ」と。確かに火の誤用でこの世はヤバくなっている。
それを一介のリーマンの私が端から見てどう思うか。いちおう社長だから尊敬語を使うが、本当はその権力志向の強さと愛情のなさが見え見えで、ベーッて感じなんだ。こんな奴に支配させておくなよ。
しかし、人類の目先の利益主義に狂奔する向きの多いこと。まあ、社長の人類教育の成果なんだが、一向に気が付かないとは、あきれてしまう。
世界経済の破綻で大打撃して初めて気がつくのかも知れないが、うまく問題を糊塗して絶妙な綱渡りをしていること。ちょっと下から息を吹きかけてやろうかと思ったりするね。
まあしかし、そうなればそうなったで、自暴自棄の世界大戦でも起こしかねない。本当に強欲のズルムケ族に変貌した人類は処し難し。
そんな中に置かれて、責任論が出てくるとは。あー、責任なあ。殺せーと開き直るしかないか。
いやいや、この態度が良くないのだ。この世のおかしいのを、みんな人のせいにしている。
お前らの暗愚のせいで、この世はヤバくなっているんだ。そんなことをしていたら滅ぶぞ。かなわねえ奴らだな。俺はお前らの地獄行きに付き合いたくなんかないんだよ。と、何十年前から思っていたことか。
そうした自分の心を分析すれば、人類への蔑みと呪いがわだかまっていることに気付かされる。それは、自分の心を否応なしに、その結果を見届けねばならない時空に縛り付けてしまっている。人を呪わば穴二つ、とはまさに真理だ。
賢者に多いこうした心の動機は、一見正しく見えるが、知識的優位を傘に着て、他者排撃しているだけであり、翻って自分の関わっている時空に対しても排撃していることになることに気付いていない。すると時空はそれに相応しい反応を返してくる。するといっそう矛盾に満ちた外界となってはね返ってきて、泥沼にはまっていくというわけだ。その結果、ジュセリーノの赤札警告付きの時空にとうとうぶつかってしまった。
真の賢者にあるべき心の態度は、今自ら受けている幸せを、この置かれた立場や環境に感謝することである。足るを知り、地球、創造主、そして与えられた時空に対して心から感謝する。そのような賢者は、いかなる忌まわしいニュースを聞いても、人を排撃することなく、等しく愛せるものなのだ。馬鹿になれというのとは意味が違う。守備範囲がこれだけしかないくせに、余計なお世話を焼いて、守備妨害するなというわけだ。知ること見ることにおいても、足るを知れ。そして、生き抜くための知恵を得ること。手元にある時間は、迂回しているほどありはしない。
ジュセリーノは、少ないノウハウの文意の中に、個人的に通用する回避策を語っている。
何も人類の過半数以上をその気にさせる必要もない。たった一人だけでも、滅亡の道をすり抜けられることを語っている。
それは、私の超時空仮説とタイアップすることによって、なおさら自明の理となる。
だから、堂々と何も恐れることなく、我々を育んでくれた地球と創造主に対して、愛情に満ち溢れた感謝を捧げよう。
そこから自ずと涌いてくる自然界に対する謙虚さを実行していくことだ。
ゴミをポイ捨てする心と、ひとつ拾い上げる心には雲泥の開きがある。高下貴賎はその際、何の関係もない。とは、ひとりでに心の赴くままにそうふるまえるようになるということである。
そして、いざ最後のとき、いっぽうは滅亡の肥溜めへどうぞ。いっぽうは指定席へどうぞ。こんな感じかなと思ってしまうのは、まだ私ができていない証拠だ。
自分を流路にして、創造主と宇宙の愛情のありったけを地球に注ぎ込もう。あとはイメージ。色だ。色即是空、空即是色。この簡単な原理解説はここの後半に物語風の記事にしている。
自分で色によって空を動かし、更新された色へと変貌させるのである。
世界を組み立てるとは、テレポートを可能にするナワリズムの言い回しだが、まさにそのようなことである。
他人に頼る必要はない。
意識原理を有する者が、一人だけでも救われれば、その人に伴って地球も外界(時空)も歴史も栄光を得て救われる。あなたが救世主になるのだ。
あわただしい騒乱の歴史から乖離すれば、もっとそれ以上の真実を理解する時間も得られる。まずは彼のもたらした心のノウハウをありがたく活用しよう。
それから、しばらく自らの身の安全を図るために、事件予知情報を活用させてもらおう。それは、自分の位置がどのへんにあるかを確認する海図としても機能するだろう。
もっとも、あなたがさっさとあの世に行ってしまったら、この時空から離れることはできる。そういう自動的な時空切替の節理を頼みにするのも良い。が、生ある限り、この時空とそれに伴う責任はついてくる。自殺は責任放棄と契約違反を問われ、あとの処置がきついから駄目。
生きて生きて生きまくり、うまくいかなくとも最後は裸になって開き直るもよし、首尾よく生きて娑婆世界に脱出するパピヨンさながらを演じてもよし。
そういうわけで、これ以後は脱出のチャンス獲得のための自己保身対策としての実用論を主体にしていきたい。

100禁

ジュセリーノ予言で未来史編纂を
2007年1月時点で8万8千件の予知情報が公開。そのうちの多くは過去のものとして過ぎ去ったことだろう。当たった確率は90%。それはもう神業であり、この予言の警告を素直に受けて対策を立てるなら、高い確率で功を奏するというわけである。
これほど膨大な数があるとするなら、また今後も同様のペースでなされるとなら、あくまでも「現時点における予定的事件」と断った上で、未来情報のみを総集した「未来史」が創り上がるかもしれない。そこには世界のあらゆる国の期待値的歴史が、予め与えられているといった具合になるだろう。
サッカー大会での優勝チームやその得点、著名人の異動、テロや汚職、国の政変、そして大地震や津波、噴火、台風などの天変地異まで、およそ顕著な歴史的事件が網羅される。
だが、問題はあるように思う。
人類は、一寸先の未来も予測できない生き物として従来は知られていた。そのことを以て、我々はフェアー性を力説もできたのである。だが、こうしたケースが出てくると・・いや古代にもこのようなことがあったのだが・・そのフェアープレー精神が崩れてくることにならないか。
すべての人に伝えられなくてはならないタイプの情報が中にはある。天変地異の情報だ。天気予報のように、この日は洗濯物を取り込んでおけとかの形で、被害を最小限にする指針が示せるからだ。
だが、ごく一部の者が独占すれば重宝になる情報も中にはある。その予知情報がフェアーな精神で用いられるべきなら、世界の万民に同時に通報されなくてはならない。
ところが、必ず隠蔽のフィルターがかけられ、知らせるべきを知らせず大被害を垂れ流ししている現実がある。そして、都合のいい情報は抜き取って、知った本人の利益にしたりする。
その辺がアンフェアーであると思うのだが、これも少数でも助かればというジュセリーノ氏の上位存在の意向ならばどうしようもないのだろうか。
ブッシュが911テロを事前に知っていた可能性について、いろいろ物議を醸しているが、国が超能力捜査官なども多用しているように、荒唐無稽な予言さえも重視し、いつでも入手しうる立場にあったとすれば、事件直後の彼のリアクションの不自然さも理解できないか。
そうした秘儀的な事前情報は、けっこう友好国にも伝えられていて、高官の事前予知的な退避行動に繋がっているケースも指摘されている。同高官の奇妙な行動が昨年のクリスマス前にも見られたことから、その時分の英国テロを予想していたサイトがあった。このサイト主は、これがもし起これば米英陰謀説をさらに強調したかもしれないが、実際には、英仏海峡でのテロは未然に防がれ、テロリストたちは逮捕されている。
とならば、逮捕劇も何らかのインサイダー情報があってのことだろうと推測できる。優秀な諜報活動の結果かもしれないし、もしかすると彼の予言が功を奏したかもしれない。その辺は不明の中に埋没し、この成果をもし氏が訴えたとしても、関係者は誰も反応しないだろう。
予知情報は、彼の意図からするに、未来の書き換えを目指している。タイムマシンでその時代に行って作用せずとも、同様の効果が得られる。しかし、このルールはどうなのか。決してアンフェアーな用いられ方をすべきではないことは当然だろう。戦争になる場合は、起こされる側と起こす側双方に同じ予知情報が与えられるべきだ。そうして初めて、予知が抑止力となる。だが、一方に偏ったものなら、受益者側はおそらく偏った使い方しかしないし、情報の出所を明かすこともないだろう。
だから神の下にあった予言は、いかに時期が切迫しているからといっても、人類を一寸先の見えない状態にルール付けしてきた経緯から、人類の全時間においてフェアーさが求められると思う。もうどうでも良くなったのか。それとも贔屓筋にはえこ贔屓されるのか。と訝られる。
いや、えこ贔屓なのだろう。
巨大金融資本は、わずかな利益の鞘を求めて群がるくらいだから、おそらく彼の予言をすべて入手して、予測資料化しているに違いない。また秘密結社はもっと高度な計画に使うことだろう。
いっぽう大衆は、やはりつんぼ桟敷に置かれたままで、逃げ惑う子羊のように、明日をも知れぬ身の上にぴりぴりしていなくてはならない。
この格差はいただけたものではない。
だから、提案としては、人為に依存するものは、あえて出さない。いっぽう、人為ではどうすることもできない天変地異や、著しく未来展望を悪くするテロや不慮の戦争勃発については、細大漏らさず出すといった形にはできないものか。某国の内乱の情報など出せば、いいことさえも封じられてしまうように思う。それとも神は想像どおり人類をいたぶる抑圧者ゆえ、やはり偏ったことをなさるか。ジュセ氏の上位の意向におかしな部分が多々あるように思うのは、拙者が細かすぎるからであろうか。

わが内なる悪魔(滅びに至る)部分の囁き

あなたに聞きたいことがある。
あなたは自我意識を持っていますか?と。
我考えるゆえに我ありの自我のことだ。
他と分離していると認識している意識があるかどうかということだ。
ない者がいるなら、その人はダミーである。そうであっても、彼は当たり前の人と同様にふるまうだろうから、判別はつかない。自分だけが存在しているという以外は、本質的なことは何も分からないわけだ。
拙時空論からすると、私以外の皆さんは、プログラムとして記述された存在であるのみで、夢幻の類に等しいのである。もっと厳密に言えば、私の身体も心の動きもすべてプログラムの作る幻術であるのみで、私そのものではない。
ただ意識原理が、あるプログラムを実行し観測している。それが自我を形成するプログラムだから、自我が生じている。IF条件の付いたところに来れば、その価に従って分岐したりもする。するとパラレルワールドに航路が変わったりする。
プログラムがプログラムを呼び寄せ、観測機能の賦活主体である意識原理に実行させ、観測しているという具合だ。けっこうそのプログラムの連携は、ウインドウズのOSのタスクの有様からも推測できるように、複雑化していて、何がどこを制御しているかなど、開発者にも把握困難なほどだ。
とすれば、誰しも世界の幻術を理知的にコントロールすることなど不可能に近くなる。釈迦のような聖者でも、この有様を概括して表現するしかなく、ただマーヤの原理と、そこからの厭離を説くことしかできないというわけだ。
だが、世界への対処は割合簡単にできる。
今の世界の様は、意識を持つあなたが、今呼び寄せているプログラムの実行結果である。何がそのプログラムを呼び出したか。それは、心の性向を形成するプログラムから呼び出されたのだ。そのような世界であることを心のどこかで望んだか、あるいは経験してみたいという、心理プログラムを実行したからに他ならない。そのゆえに、あなたの今の時空があるというフローになる。
もしその時空が、現象的に滅亡の方向にあるなら、それはあなたが選び取ったプログラムである。そのゆえに、受けるべき滅亡の体験は、すべてあなたの責任によるわけだ。
けっこうこの滅亡に向かう時空にいる人というのは、賢者が多いように思う。
彼の心の中は、あんな愚かなことをしてと、他人への批判に満ちているものだ。そんなことをする奴は助からない。いや、助かるべきではないと心底では叫んでいたりする。選民主義者もそうだ。愚か者ばかりだから滅ぶのだと思っている者もそうだ。
それは、私を自己観察すればよく分かる。これまでここでしてきた記事のほとんどが、第三者への罵詈雑言に彩られていることからも分かるだろう。
つまり、私は滅びに至る時空を自ら呼び寄せているのだ。面白くもない人生であったし、高下貴賎もろともに滅ぶことを願っていた。
いや、みんなそうだろう。そうでなくてはならない。みんな同士でなくてはならないのだ。たとえ多少意見は違っても、滅びを目指す同士に変わりはない。そうでない人は、こんなところにいるべきではないから、去るべきだし、去らねばならない。ここから去って良好なパラレルワールドに行って、もし私のいるのを見たとしても、それは私のダミーでしかない。
いっぽう私からすれば、もし滅ぶような局面にいるべきでない人が共に至ったときには、プログラム上のダミー人形と思い込む。こうすれば、いざ同士間の殺戮の局面においても、呵責なしに事が行える。
この先行き閉ざされた時空から出たい人は、今までにノウハウを授けてきたから、何でも利用して去っていくがいい。純粋な人間愛を心に築くなら出られるだろう。早く出て行くことだ。
ジュセリーノ氏は予知夢に関わる以外の生活態度においては、仕事と家庭を両立させ、曇りのない人生を送っている。が、彼の役割に傾ける意志は、彼の頑固なまでの正義感と終始一貫した主義、行動パターンで裏打ちされ、彼の魂の高尚さを物語るものとなっている。このプロジェクトのために捧げる神霊界を含めた役割の霊団が存在しているように見受けられる。このプロジェクトは、優れた伝令者を地上に派遣したものだと思う。人選に抜かりがないのも、マトリックス主催者側ゆえと苦言をひとつだけ呈したい。
その点私などは、若い頃からひんぴんとくる情報によって普段と仕事の手を取られ、メモの山の中に寝る生活をするという、彼の有様にちょっと似たところがあったように思う。が、人生の選択肢は不義かつ卑怯な側ばかり選び取って、ついに滅びの時空に辿り着いてしまった感がある。当然、いくらご高説を垂れていても、ほとんど支離滅裂、信憑性に足るものではない。彼が魂の高潔さの割合で信憑性95%をマークするなら、私の仮説などその5%も達成できないだろう。が、分かっちゃいるけどやめられない。
私も当然、過去に幾度もあった歴然とした分岐点をくぐってここに来ている。
多くの場合、それは二者択一の形でやってきた。というのも、私が優柔不断で、たえず”カマ掛け”をする癖があったからだ。
そして、おおかた不義の側を選択して、ここまでやってきた。もし最初の頃のあのとき、義の側を選択すれば、今頃はOA企業のトップにいて、申し分ない幸せが享受できていただろう。そして、こんな滅びかけた世界に臨むこともなかったように思う。
だが、今は自らの心の性向に従って、ジュセリーノ予言を見て絆を持ってしまった世界に来ている。かの有望なパラレルワールドは、不可逆の時間法則の中に泡と消えた。
だが、私はそれと引き換えに、自ら掴んだ発見がある。その検証のために、これからの時間があると思えば少しは楽しくなってくる。
ジュセリーノ予言によれば、今年中に地球温暖化対策が講じられなければ、人類は青い空を拝めなくなるという。そのフレーズは、古事記の「天の岩戸」のくだりを髣髴とさせる。田を埋め溝を壊し、ついには水と土でできた斑の天体を墜落せしめた過去の文明を、スサノヲの暴虐に仮託させて、結果的に太陽神のお隠れを招いたとしている。
小惑星の衝突までも・・まさに今の文明も同様の経過を辿ることが予言には語られている。この文明の展開のレパートリーの少なさは、歴史の必然性を物語ることとのみしても良いが、もっと多くが学ばれなければ、もったいない限りだ。
”さ蝿なす満ち、もろもろの禍ことごとに”の状況下にあっても、太陽神復活の儀式が執り行われた暁に、見事復活すると預言しているのは古事記だ。復活するのは、世界(そこではUFOが用いている時空ジャンプ航法が採られるようだ)。世界の古代神話の中にも類義が見出せる。生きて見届けることができるなら、これほど面白いイベントもないに違いない。
私と同様の人ばかりとすれば、安心できる。だから、みなさんをみな同士と思っている。同じ土俵に立ち、未来に取り組んで行かねばならないと思う気持ちも同じだろう。ふはははははは・・。なぜか心の底から笑えてくるのも、とてつもなくアドベンチャラスだからだろう。

100禁 死に赴かんとする人に贈る三種のガイダンス+Option

突然、何の脈絡もなくこのような話題が出てくるのも、超常的な嗜好かと思うのだが、如何か。
というのも、かねてから創作作品の紹介をしておきたかったときに、いきなり先の未来の展望もなくしたような話題を扱うようになり、ならばいっそ死んだつもりになるのも逆転の発想でよかろうかと思ったしだいだ。思いっきり暖かい死後の世界をご紹介したくなったというわけである。
最初の話は、お年より向け、信心深い仏教徒向けのガイダンスになるかも知れない物語だ。
不思議体験豊富な祖母により、幼い頃に教えられたあの世に行ったときの話で、多少は祖母の夢体験も入っている。
祖母から聞いたときには、その筋書きの構成の見事さとビジュアルなリアルさが私の心を魅了したものだった。
その幾分かでも、物語に篭めることができたかどうかは知れない。
たつえおばあさん(奪衣婆異聞記)
次の話は精神世界に興味する人向けの童話だ。
多少のガイダンスを果せるものとなるなら幸いだ。
私は若い頃、夢でUFOを見ることが多かった。そのときに決まって出てくるのが白球型UFOだった。
夜空の星の間をすいすいみずすましのように泳いでいるのだった。
私は彼らを友達であると思っていた。
というのも、現実のUFO観測会で、友達になってくれるかというテレパシーを彼らに向けて発した2,3秒後に、視野のど真ん中で姿を捉えてしまったのだから。
それ以来、私のUFOへの思いは友好的なものとなり、夢の中にまで出てくるようになったのだ。
夢の中に出てくるのは決まって白球型UFO。まるで星の精のようだから、「星の子」と呼んだ。
そのときに作った童話がこれだ。
星の子
やがてそれが本当に存在することを、UFO撮影をするようになって確信することとなる。
あの夢に何度も出てきた白球型UFOがいくらも撮影された。
それを私は「星の子UFO」と命名した。
夢のときの動きほどダイナミックな円舞は描かなかったが、それでも軌道は円舞の如きものだった。
いちばん最近には、2005年11月のGの嵐のロケ時に現れた二十機ほどの球体UFO。
ZAQのひよこのようにシャイで、見つかったと知ると、そそくさと山陰に隠れてしまった。
たまたまテレビカメラがうまく撮影していて放映された。その正体はやはりあの星の子だった。
以来、撮影をやめて今に至る。
ちなみに、よく似た表現の「星の王子さま」は、つい最近になってネット上でタダ読みさせてもらったところ。いや、感動ものだった。たちまちサン・テグジュベリの信奉者となってしまった。
次の話は学究肌の人向けのガイダンスたりうる随想だ。
人の意識の根底に潜在する、意識の辿る原型的手続きを明らかにしたもので、もしかするとここから一歩踏み込んだ世の真実をも読み取ってもらえるかも知れない。
死の科学
話はチベットの死者の書を叩き台にしているが、基礎的な概念は、ユニークな時空モデル概念で与えている。
それから約二十年の後に、同じ発想による映画「マトリックス」が登場して、我が発想に間違いのなかったことを確信した。
決して映画ほど陰謀的でなくとも、類似的なイメージングを通して、世の裏の真実が理解できるかも知れない。
超宇宙の仕組みを考えるためのモデル概念
(コンピューターモデルでサイ情報系を観測する意識の仕組みをシミュレートするため、
UFOの動作原理、夢、催眠、死後の意識存続などの未知の問題に幅広く応用できる)
そしてもうひとつオプションとして掲げるのは、拙時空論を基にした即興的仏教説話である。

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元祖 ご当地UFOソング

古いファイルを見つけてきました。
UFO撮影活動を始めた頃の作品であります。
元祖 ご当地UFOソング (再生は矢印をクリックのこと)

《歌詞》
《・・・・・前奏・・・・・》
UFOさんとは言うけれど、いったいあなたは誰ですか。
空ゆく鳥も怖じさせず、見ようとすれど姿なし。
音もせぬならなぜ映る(なぜ映る)。
ホンにあなたは屁のような(屁のような)。
残り香だけでも嗅がせてよ。
《・・・・・・・・間奏・・・・・・・・》
雲の中におわすのか。山の彼方にお住まいか。
やはり宇宙がふる里か。それとも心におわすのか。
驚き映像イリュージョン(イリュージョン)。
謎は尽きねど 一つだけ(一つだけ)、
言えるは我らの想いかも。
《・・・・・・・・間奏・・・・・・・・》
この世に謎は尽きぬもの。じかに見せられ試すなら、
おかしな世界もそこにある。想ってみれば本当は、
うつつが夢ではなかろうか(そうかもね)。
UFOにピントあわすとき(あわそうか)、
辺りは縄文の故郷なれ。
《・・・後奏・・・96年8月29日作詞作曲(By OKUND) 》