今回は、たまろ亡きあとでもあって、猫の話です。
何でも、猫という動物は、車に乗るのを嫌うらしいですね。
でも、私が以前に拾った「たま」というメスの子猫は、車好きだったですね。
拾った時点から、私の運転する車の下に潜り込んで、当時は冬場で寒かったからか、暖をとろうとしていた感がありました。しかし、信号待ちの一時停止のときですから、いかに奇妙な現象だったことか。そして、私との縁ができてからは、もう犬並み以上に、私という人間になついてしまって、私の物音を聞くたびに、寝床の毛布の中から飛び出して、「にゃーにゃー」言いながら、ベランダの窓扉をガリガリやっていました。車で家族と出かけるときも、乗り込んでくるなり、私の服をよじ登って、私の右肩に留まってごろごろのどを鳴らしたり、頭の上に載ってバランスとりながら、運転中の車外を眺めていたりしていました。それは平成2,3年のことでした。
それから平成14年頃に、三木市の丸山墓苑というところの雑木林に住む野良猫なんですが、どうも何世代かが同居しているんですね。これがちょうど、雑木林横の細道を車であがっていこうとするとき、一匹の身なりのいい若猫が、行く手をふさぐんです。右にいるから左を通ろうとすると、左に回って座り込むんです。右に行こうとすると右に回ってくる。こんなことを三度も繰り返したら、何か変だと思いますわね。それで車を左に停めて、ドアを開いて出てみたんです。すると、若猫は雑木林に入ります。その方向を見ると、なんと、先の若猫含めて5匹の猫が、きっと先代、先々代くらいまでが、一線に並んで、私を見ているんです。まるでその先に、猫の王宮かなんかがあって、私を客人として迎えようとしているように思えたのです。
それからほどなくしての、三木の西自由が丘というところで、仕事である人を呼びに行かなくてはならず、車から降りて、呼びに出たんです。
ところが、そこで飼われている猫に、人間で言えば80歳以上というおばあさん猫がいまして、それが私の行く手をふさぐんです。そう。猫にはふさがれる・・・ほっといてくださいよ。
そのときの猫の姿たるや、身を最大限に伸ばして、通路をふさいで、こちらをじっと見据えるわけです。そして、口を開いて「にゃー」と言ったとき、私には「おっと待ちな、どこへ行きなさるのかね、お兄さん」と聞こえてしまったほどに、人間的なパフォーマンスをしたんです。
それで思わず日本語で言ってしまいました。「だったら、○○さんつれてきてくれよ」と。すると猫は奥へ行きましたもんね。やがて○○さんが出てきたことは言うまでもありません。
それからやはり同時期のこと。伏儀神農神の化身とも思われる「ノラ」というオス猫に、あるお宅で出会ったのです。この猫は、私が座布団に座っていると、いつのまにかやってきて、私のあぐらをかいたひざの上に載ってきて、少しの間に寝てしまうのです。それはもう、何の怖れもなしに、よだれしながら眠っているわけです。そして、私が帰る段になると、家の玄関から20mほど庭についた通路の先に表玄関があるのですが、その家の家人さんと私をそこまで先導して、玄関先でちょこんと座ってお見送りするのです。この光景は、訪問した際に二度ありました。そして、何か不思議な縁を感じて、デジカメで彼を写そうとしたとき、つまずいて手元が狂い、思わずシャッターが下りてしまって、写した写真が、なんと伏儀神農神らしき人物が、白い大きなつづらを背負っている姿として写り込んでいたのです。そのお宅に、その神の姿を描いた掛け軸がありまして、それがまた、薬草を一本咥え、猫耳をした姿で描かれているんです。
それから今まで猫との縁にはブランクがあって、今回の「たまろ」とのご縁となったわけでした。