君は私の想いと共有するところが多いので、きっと、たまろの死で私がダメージ受けていると思ったことでしょう。
確かに、一昨日の晩はたまろの死に対して、自分の選択が良かったとはいえない部分で、ずいぶん自分で自分を責めました。
それを受けて、君も自分の進路にふらつきを催したに違いないです。
しかし、私は君の苦悩を知って、これではまずいと思ったのです。いい啓発を与えてくれたことになります。
そして、よく後悔の内容を吟味しました。
確かに、善とはいえない方法をいくつも踏んでしまいました。たとえば、たまろは本当は発育不良児でした。
人間なら集中治療室に入れて治療すべき場合だったのかもしれない。なのに、初日の夜から、私の胸やおなかに乗せて、ベッドで寝たんです。
たまろはまだ元気で、眠っていても常時身体をぴくつかせて、レム睡眠の状態にありました。それが子猫の常態なのです。
夜中にむくっと起きたたまろは、私の声のするのどのほうに、手足の爪を立てて、やってきたりしました。
かわいくて仕方なかったです。
ところが二日目になると、昼間から寝てばかりです。これが子猫というもんだと考えた私は、彼が夜活動したから熟睡していると思い違いして、ぴくつきもない状態で寝ているのを、よしとしたのです。ミルクは必須ということで、飲みたがらないのを無理にでも飲ませてはいたんです。mlも満たしていると。そして排便の仕方もわかって、やってみるとすなおにできました。
それで十分と思っていたんです。
ところが熟睡を継続すること自体が異常事態だったんです。再び目を開けてから、私のおなかをよじ登ろうとしていて、手足の爪に力が入っていないのに気づきました。
ミルクは依然として、嫌がって飲みません。
だから、動物病院に行ったようなことだったのです。
先生は、まともに育つ子猫は、必ずミルクをむさぼるようにして飲むものだと。それができないのは、すでに弱っていて、おそらく兄弟猫との生存競争に負けたのだろうとのことでした。
それで、重要なのは、ミルクを飲ませ続けることができるか。排便をきちっとそのつど処理できるか。それも2時間おきに・・・。夜も昼もです。母猫はそれをしている。
ただし、生存競争の世界だから、弱者はどうしても脱落する。そこに人が関わるなら、根気よくそれをこなせるかどうかにかかっていると言われました。
もし、それをするなら、哺乳瓶の吸い口では大きいからねこれをあげましょうと、あのたまり瓶をくれたのです。
私は、そこで最善の手として、後からネットなどで知ったのは、カテーテルで常時哺乳するというものでした。金に糸目はつけず、入院させたらよかったのです。
私は眠りにくい人間ですから、自分でもできると、自分ではじめたわけでした。しかし、夜中になって、低体温化し熟睡しているもので、無理やり起こしてミルクやり、排便としました。ところがまたたまろは熟睡してしまい、そんなことを繰り返す中で、いつしか致命的に衰弱したようです。
箱の中でカイロで保温して置いておいたのですが、朝になって、たまろは起きて、「キュィーン」と鳴いて私を呼びました。よしよし、自分で起きたかと、また排便させて、次にミルクの段になって、また大きく「キュィーン」と鳴いて、口を開けてくれているので、飲ませやすいと、瓶を掲げたところ、三度おおきくあくびをしました。そのときも、私はミルクを飲ませやすいとしか考えなかった。ミルクを口に含ませたところ、ひと吸い目は何とか飲んだ後、力なくうなだれました。このとき心臓が止まったのです。
あらゆるところに至らない点がありました。それが今も寝ていると想いの中に湧き上がってきて、このときにこうすればよかった、ああすればよかったと、悔やまれてくるのです。すると、やがて、私を叱るハイラーキーと名乗る意識が出てきます。そして、とってきた行為のひとつひとつを吟味しだします。やがて、総合したようなそぶりで、お前の心の中の、こういうところに欠陥があって、すでに母のときに後悔したことが、少しも反省されていないではないかと叱責するようになります。そしていよいよ、再び機会を設けるには、今生では難しいななどと言いはじめます。
ここなんです。人が輪廻を繰り返さざるを得ない原因は、ここなんです。これを一般的に魔境とは言ってませんでしたかね。
ちょうど私がそんなふうでしたから、共通するものを持つ君が、魔境にふらつかされなくないこともなかったかと思うのです。
いいですか。無知な者は叩けばいくらでも埃は出る。その埃を皆無にしなくては容赦しないというのと等しいんです。それが自分のハイラーキーを語って出てくるのです。
心の中をじっと見てたら、そんなカラクリのあることがわかってくるんです。
たぶん良心の呵責の生じやすい人ほど、この魔境に陥りやすく、決心する中で、再誕生の覚悟を固めてしまうのです。つまり、善人ほどこの傾向が強い。
私の祖母は過去世において、これほど人徳に優れた人はいないとまでされた人だったそうです。それが、今生においては、貧しい状況から開始し、新家に入ってからは、子供のことでずいぶん苦労したのです。そこで、祖母は思い余って、有能な拝み屋さんに尋ねて、たったひとつ、自分の子と他人の子を分け隔てしたという、そのことひとつで、今生が用意され、子供のことで苦労することになったのだというのです。
今生において、祖母は心の中でぼやく人でしたから、今度はそのぼやき癖が問題にされるやもしれないところです。何しろ、まじめにカルマ(業)を消さねばと思っていた人でしたから。地上を卒業して出ることは至難の技となっているとかは、ケーシーリーディングの語るとこですが、こんなカラクリなんです。邪神の手の込みよう、罠の張り方をつぶさに見ました。
私の親族の女系はみんなそのようなカルマ潰しに生を費やした感があります。母などは、その名も「禊」で、名は体を顕してましたね。男ならば位人身を極めると預言された魂ですよ。まあ、母はもう大使館に送り出しましたから、大丈夫ですけど。
いっぽう男系は、みんな腕白ですから、まだ折り返し点にも達してないかもしれないですね。むしろ、そっちのほうが善人よりは解脱が早いかもしれません。
さて、異界交信における回答の懲役とは何か。この世での懲役というのでなく、異界での懲役、つまり死後のことですね。地獄が用意されているというのもあるかもしれません。それはおぞましい情景がビジョンとしてやってくるわけで、イメージとしてそう映るわけで、一定の悟りがあれば、何でもないわけなんですが、気持ち悪いのをしばらく我慢しなくてはなりません。中陰の身体は、そのビジョンで傷つけられることなどないですし、ほんとうはこの世でも同じことが言えるのです。それで、彼らはいろいろなイメージを駆使して揺さぶらざるをえないんです。
それで再誕生させて、一定の成果を出すまで転生を繰り返させて、服従させてしまおうとするわけです。誰もこんな窮屈でたいへんな労働環境に臨みたくはありません。それをさせるのが懲役であり、日本の刑務所で税金で養われて服役することとはレベルが違います。おおよそそれ以上にひどいこともあるわけです。
だから、地球に送り込まれてきた理由というのもわかるんです。これだけのところですから、他所で戦って捕虜になったとかで強制収容所に送られたようなことかと思います。初期の頃、満身創痍の弱りきったときに、お前はこういう罪を犯した、それゆえ強制収容所送りだが、それでいいな、と言われたら、もうそれでいいですと言わざるをえないでしょう。彼らは体制維持にやっきになっていることが明らかなので、政治犯なのでしょう。たとえるなら、北朝鮮ですね。ここに閉じ込めておくくらいに、相手方からは憎まれていると思っていたらいいです。愛の成就とか、進化とか、おためごかしはいい加減にしろと、ひとこと言ってやるべきところなんですが、依然として自分が良くないと思ってるケースが多いんです。(新世界から来ている人はもとから話が別ですけど)
懲役ね。おおそうかそうか。ずいぶんと憎まれたもんだね。ところがどっこい、こちらはそんな刑を受ける筋合いは一切ないねと、しっかり宣言してやりましょう。
要は、主義主張が違うゆえに対立したわけで、それを強引にねじ伏せて捕獲したとて、転んだりいたしませんよとすべきなのです。
心が微に細に入りだしたなら、その深みにはおよそ魔境が潜んでいます。およそそれに同意したなら、人は鬱になり、よからぬ決心をしてしまうことになりがちです。暗がりにハイラーキーの顔をした邪悪がひそむということ、心得ておいてください。ほんとうのハイラーキーは光の中にいます。私のハイラーキーは純粋に梵天です。
奥底の暗がりにいる高級然とした邪悪は、邪神がまんべんなく仕込んでいる原型の手続きです。
死後、中陰に立ち現れる幻影と同じです。のどかな人なら、花畑と水域がビジョンとして現れるということになります。生前の思考傾向により、人によっては裁きの場のビジョンを見たり、おぞましい怪物を見たりするでしょう。それと同じなのです。幻影が自らを傷つけることなど、できたりしません。自分の思い込みが、自分を閉じ込めるだけなのです。再誕生、転生を決めるのも自分です。
なお、君に関しては、もともと竜宮にいたので、人の輪廻とは無縁の者です。ただ、人間を経験すると、人と同じだけの苦悩を味わうということ。これは仕方ないことです。