明晰夢の話(3)

今朝は朝の気温が4度と高かったのですが、昼間の気温が上がりません。曇っているからですが、作業が捗りません。
猫たちの食事の嗜好がまた変わってきており、買い出しに行くべきかどうか迷っています。

ブーの劣勢はどうしようもなくなっているようで、少しの期間でも食べなければ、トンの威圧に負けてしまうようです。もう老猫ゆえに、保護してやりたいのですが、家の中にじっとしていないために、みんなとなじむことが難しいのです。ブーのプライドもあり、またA家のほうでの縁もあり、毎日のように出向いています。むこうで子供をたくさん作ったようで、Aさんの奥さん(亡くなられてます)が、ぼやいておられました。たしかに黒猫がたくさんいましたが、最近は外に出ている様子を見ることができなくなりました。

シャンには、薬を餌に混ぜてやる方法をみつけて、割合簡単になりました。それまでは胴の部分にサプリ軟膏に沿えてくっつけてやったのを、舐め取らせるということをしていました。シャンはそのたびに嫌だというそぶりを見せてました。やはりプライドを傷つけられたと思うようです。

明晰夢の話(3)

母の盛大なお見送りでの彼岸入り (2007年9月22日)

私の母は2007年9月6日に亡くなりました。享年82歳です。
母は、近隣とのおつきあいもさほどなく、我が家は裕福でもなかったので、家族葬にいたしました。
といっても、地元の葬儀会場を借りて行ったわけでしたが、親族でどうしてもと出席したのは、母の兄弟だけで、あとは自治会の隣保長夫婦、妹の職場の人の方が大勢を占めて、あわせて20名ばかりになりました。

私は喪主として、おかしなスピーチをしたように思います。
母はもし男として生まれていれば、位人身を極めると、行者さんに二度にわたって予言され、祖母の夢にも、毘沙門さんの二十日に生まれるとお告げがあったほどの高徳の魂の人であるにもかかわらず、一生涯を献身とみそぎの暮らしに費やしたことを、会場マイクで話したのです。母の実名も、名は体を顕して「禊」という名でした。

むろん、会場の誰がそんな話、わかってくれたかは知れません。叔父でさえもノーコメントでしたから。
しかし、私の心の中の母は最高に偉大な人物だったのです。

しかし、その母に対してしてあげたお見送りの質素なこと。位人身を極めるべきような人が、こんなみすぼらしい結末だったとは。私がいい仕事をしていて友人でも多くいたら、もう少し盛大にしてあげられたのに。それにしても、間に合うものではありません。とにかく、あまりにふさわしからざるお見送りだったのです。

私は、それが申し訳なくて・・・。せめて普通の葬儀にして、親戚じゅうに来てもらうべきではなかったかと悔やんだ末、九月二十一日の晩に、私自身すでに創作神話作りをしていましたから、そこに出てくる神々や龍神さんたちに祈ったのです。(すでに私の胸の中には彼女の神霊・雲龍がいて聞き届けていたのです)
母をなんとか盛大に、そして確実に彼岸に達せられるようできませんかと。

すると翌朝二十二日の未明の夢に、大きなホテルを借り切ってしまうほど、たくさんのダーク服に身を包んだ人々がいて、「朝になりましたから、皆さま屋上に上がってください」というアナウンスで、みんなしてエレベーターで屋上に上がってみれば、そこはなんと山の上で、眼下に広がる雲海の上に大きなご来光が出ていて、こちら側からご来光の下までエスカレーター風のムービングロードが、黄金色を呈して渡されている光景があったのです。
私はお見送りの人々の最後尾に居るものの全体を高い位置から見ていて、人々が何層にも重なるさまを見ていました。

そしてなんと、ムービングロードのいちばんこちら側に立っているのは、いつものご隠居帽をかぶった母と、付き添いの人四人で、母の左に一人、右に三人が縦向きにいて、そのうちの左にいた人は、今回の葬儀にたずさわってくださった蓬莱道龍和尚(実名)だったのです。母の葬儀に際して、葬儀社の紹介ではじめて知り合った和尚さんでした。

この和尚さんは葬儀のときに、すでに生前戒名を受けていた母の「智円妙定大姉」という名前の解釈を、前以て調べて講じてくださった方でした。

やがて盛大なお見送りの中、母は付き添いの四人とともに、ご来光の下まで渡りきり、そこから右回りにこちらを振り返ると、シルエットでしたが左手を振ってくれたのでした。こちらからもそのとき、参列者みんなが手を振ったり拍手しておりました。私もみなさんに合わせて何かしらやっておりました。
お見送りが終わって、みんなでエレベーターで下りて、ダークスーツの人たちみなが三々五々、最寄の交通機関で帰るシーンまで夢で見たのでした。私もバス停でバスを待つといったふうに。

バスを下りてホテルに向かい、終わってホテルから出てバス停で幾人かの参列者の人とともにバスを待つところで夢が覚めるという、滅多にあるものではない、とても長い夢でした。

二十二日はすでに秋のお彼岸に入っています。つまり、なくなった年のお彼岸に見た、ご来光に至る母の夢だったのです。

私は夢から醒めて、昨晩の祈りに諸天善神が総出で応えてくださったと確信し、ただちに神々のみなさんに感謝をささげました。
それは同時に、神話がまさしく活在していることを如実に知ったときでした。
その夢の出来事は、その日のうちにブログ報告しました。すると読者コメンテーターの方たちからたくさんの激励が寄越されました。ありがとうございます。
蓬莱和尚さんにも話しますと、ことのほか喜んでおられました。

さて、この話には後日譚があるのです。そのお見送りの場所が、ほんとうに実在したのです。

それはちょうど半年後、翌年2008年3月、春のお彼岸の頃になります。
この当時、ブログへのコメントを盛んにお寄せくださっていたPさんという男性(先に激励を寄せてくださっていた方でもあります)が、春のお彼岸間近に、さるところで撮られたご来光写真が、あまりにも珍しいものだったということで、写真を投稿くださって、それを見た私が、あの夢の光景にほぼ完璧に等しいことに驚いたのでした。横長の写真と縦長の写真の二枚です。

違うのはムービングロードが消えてしまいかけている部分だけというすごいものでした。
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Pさんのご説明では、実はこの方は滋賀県の野洲町にお住まいで、琵琶湖バレーでスキーをされることが多く、残雪スキーのために出向かれたといいます。

山小屋で一泊されて、翌朝早朝のたぐいまれなご来光と雲海が出ている光景に感動されて写真を撮られたとのことでした。

左右のせり出した山々のシルエットは、夢で見たときにはお見送りの人々の頭と背中の重なりだったはずなのです。
ムービングロードらしきものが一部残っていることにつき、Pさんに問えば、雲海の切れ目から見える琵琶湖湖面への太陽の照り返しだとのこと。なんという、粋なはからいでしょう。

そして、なんと・・・撮影場所は蓬莱山頂で、真東に向いたムービングロードを支えているであろう沖島の山頂は蓬莱嶽、道行の引率を蓬莱道龍和尚(道行きの龍というお名前)がされるという、ウルトラC級の超シンクロとなっていたのです。
縦長の写真を和尚さんにもお渡しし、二度目のびっくりをしていただきました。
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3つの「蓬莱」の言葉が揃うという、三位一体的超シンクロ。
それは、制作中の新神話ともシンクロしたのです。
と言うのは、ちなみに私が2001年から書き始めた新神話は、蓬莱島(蓬莱山)を重要拠点にして、正しい神々が根拠し活躍する物語になっているからです。

なぜ蓬莱島なのか・・・それは私が50歳以降になってから始まったインディー体験の”とば口”を開いたのが、神戸の舞子公園にある移情閣での出来事であり、当館の三階が拝観禁止の暗闇にあり、真っ暗闇の階段からわずかに垣間見られた三階の天井書画に書かれた文字が右書きで「蓬莱第一」だったことによります。
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新神話ではこの蓬莱島とは、この宇宙が閉塞された場と仮定したときに、より外宇宙に出て行くための大使館もしくは西ベルリンのような働きをしている場所という設定です。
天則に則った神々や人々の住むムー大陸が沈没して、浮き締まった島嶼部分が蓬莱島、海中部分が竜宮となり、亜空間に常在することになった、正しい神々の根拠地という設定にしています。

つまり、ほんとうに解脱するならここ蓬莱島しかないという二つとない場所。
母は新神話における最高の自由門を通って解脱したと思います。
(が、その後に、母を引き戻すようなことをしてしまいました。しかし、少なくとも七福神のおわす蓬莱島には、いてくれていると思います)

この粋なはからいは、カンナオビの本体の奥津嶋姫様による

さらにたいせつなことがわかりました。
今はなきカンナオビさん(2010年5月15日にご逝去)が、沖島(奥津島)に祭られる奥津嶋姫(弁財天)の化身だったと判明したのです。
亡くなる前日の彼女を写した写真に、彼女の最後の生霊オーブが撮られています。それは亀甲に花模様のご神紋を顕しておりました。通常は縦向きの六角なのですが、亡くなることを示されてか、横になられていました。
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彼女が六角オーブを撮影したのは、高野山金剛峰寺で持仏間を写した時に、加納元信作の群鶴図の一枚の襖絵上に出ていたことが始まりです。
このとき彼女は、空海から弥勒誕生のお告げを受けています。2008年9月24日~25日のこと。

以後、陸上でも水中でも、彼女の水陸両用カメラには六角オーブ(亀甲紋オーブ)が大量に写り込みました。
彼女は元々海が好きで、スキューバダイビングをやっていましたから。
彼女はそれらオーブを、自分の子供と思っていました。海中で撮られた彼女の股間に一番大き目の六角オーブがくっついていましたからね。それら子供たちの父は? はは、ふしょうそれがしめということになりましょうか。
あの日、ふたりしてちょっと燃えましたもので。(意識同士の交流であるため、可能なこともあります)
今生で人として子が作れなかった彼女には大きな喜びになったようです。

新神話では、山幸彦と豊玉姫という設定でした。御伽草子では浦の嶋子と乙姫というわけです。たくさんの玉の子(亀甲紋ゆえ国津神でしょう)が授かりました。
そして、2010年に彼女は沖縄の海で亡くなりました。

古事記にも二人の想いのすれ違いから、ウガヤフキアヘズ一人残して子供をみんな率いて海坂を閉じて海原に帰ってしまう豊玉姫が描かれています。

亡くなる前日のちゅらうみ水族館内でのご本人の写真には、頭上に彼女の六角オーブが写っていました。
撮影当日のうちにホテルから日記ブログにアップロードして、謎解きグループの人はどう解釈するでしょうね、とコメントしてありました。
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六角の内部に花柄が出ていて、奥津嶋姫のものとわかります。
つまり、六角オーブ写真は、弥勒に始まり彼女自身のもので締め括られたことになります。

ウガヤフキアヘズは、当時のコメンテーターの中に大阪在住の女性が名乗りを上げられたので、玉依姫の神格を差し上げて、後を託しています。彼女は石切さんの信者で、ニギハヤヒの信者です。彼女ならきっと適役でしょう。というのも、ここでウガヤフキアヘズ=弥勒=ニギハヤヒ=神武天皇に象徴される次の時代の統率者への橋渡し役というみごとなシンクロになっているからです。

高野山詣での後、彼女は思いついたようにして2009年に出雲地方を旅して、ご当地の神社で六角オーブをたくさん撮っています。
多倍神社にて
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そのあたりの神社は、そもそも、ご神紋からして六角です。
そして、最近になって、その意味がわかりました。奥津嶋姫様は、出雲大社の大国主命の奥様なのです。(それはホツマツタエでなくては解読できません。当時ようやくネットに載り始めたホツマの口語訳版を見て知った次第)
それが後の、出雲大社の夢見へと繋がってまいります。(後述・すべてがシンクロしているのです)

祖母と母が共に出てきた夢 (2007年11月3日)

十一月に入って見た夢でした。文化の日の未明の夢で、なぜか記念日的なときによく見てしまうようです。

そこでは朝になってガラス窓から日差しが入っており、カーテンも何もない部屋に寝ていて、布団の中から出たところだった。ふと見れば、ベランダを隣家の男が歩いているではないか。
プライバシーを除き見された気がして、怒鳴ってやらねばならないと見れば、ベランダはそうとう広くて、四軒ほどの家の共有のようになっているではないか。(私の家は一戸建てだぞ)
左のほうを見れば、住民が花や木の鉢植えを、屋内からベランダに運び出しているところだった。

私も何事かと見に行き、屋内に入ってみれば、なんと祖母がいた(平成六年に逝去している)。
どこかの店の中で、店員から品物の説明を受けているようだった。
懐かしさに近づくと、目と鼻の先で祖母は私に何か話しかけてくれたのだが、それよりも祖母の顔が皺ひとつない透き通る肌色をしていて、つんつるてんの坊主頭だったもので、じっと観察してしまい、話のほうを聞き漏らしてしまった。
しかも、墨染めの黒い僧衣姿だった。

その直後、母が普段着姿で、人に話しかけるときによくする、口に手を当てるしぐさをしながら店員のところにやってきたシーンで目が覚めた。
(色彩豊かな明るい夢だったが、目が覚めてみれば外は真っ暗だった)

母の夢は母の死後もう何度も見ているが、祖母を夢で見たのはまったくはじめてである。

目と鼻の先で顔を見合わせながら話をしたというのも鮮烈な印象だった。あれは死後の世界なのか?
だとしたら、現実とさほど変わらない。ただ、祖母の八十歳当時の貫禄ある風貌そのままに、肌年齢を10歳ほどに保っておれる世界みたいに思えた。それはそうか。魂は永遠。好きな年恰好をしてすごせるというが、祖母なら気に入りそうな姿だ。
しかも祖母は尼僧になっているようだった。信心深い人だったから。
童話「たつえおばあさん」は、祖母から聞いた話をアレンジしたもので、祖母をモデルにしている。
物語の中で、おばあさんには、お寺で説法して、死者の煩悩の衣服を剥ぎ取る奪衣婆の役柄を設定したが、もしかすると祖母はそのとおりの仕事をしているのかも知れない。

母の四十九日は終わったが、なぜかいっそう近くにいるような気がして・・・というのも、眠りに就けば何パーセントかの確率で、母に会うことができるわけであり、この世とあの世の区別や場面の違いはあったにせよ、隔絶された印象がまったくないからである。
かくして、私は朝晩欠かさず、お供えの食膳作りをして、般若心経を唱えている。見えないが、すぐ傍で生きているように思うからである。
アセンション後の世界は、死者と交流ができる世界だと聞いたことがある。もしかして、私はアセンションの予行演習をしているのかも知れないね。
あるいは私が死ねば、同時にあのカーテンのない部屋で目を覚ますのかも知れない。
もうこちらの世界で目を覚ますことはなく、むこうでの日々の暮らしを、何事もなかったように重ねていくのではあるまいか。文化の日の未明に、異文化の夢を見たという話であった。

この夢の要点は、死んだ人は若返る、しかも幼児ほどの肌にまでなっているのではないかと思われること。
また、生前の願望を反映した暮らしをしていると思われること。
おそらく祖母は仏教導師として説法する願いを生前に持っていたので、尼僧のスタイルで暮らしているふうでした。
あるいは、私の作る童話すらも、新神話として機能していて、そのシナリオに則って祖母も霊界で生きているのでしょうか。
あるいは、私が身勝手な願望を夢のビジョンに反映させただけなのでしょうか。

母がえべっさんの日に流し台いっぱいの大きい鯛を買ってきた夢 (2008年1月9日)

これもお祭りの日に見た母の夢として、びっくりするようなシンクロがあったわけでした。

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じゃじゃじゃじゃ~ん!!本日は宵戎でございました。
実は、そうとも分からずにいた今朝のこと。またまた未明の夢に故き母が出てまいりまして、買い物に出かけて、何か担いで帰ってくるなり、キッチンで流し台いっぱいの大きさの鯛を、調理し始めたのであります。
そこで目が覚めて、いったい今日は何かお祝いでもあったのかいなとカレンダーを見ても、先勝しか書いてません。
やがて、ああそうや、えべっさんやないかいなと思い出し、母の演出に驚いたようなことでした。そこで仏壇に向かってお話しするわけですが、「あのお、母さんは毘沙門さんとは縁がありましたが、今回はえべっさんのつもりでございますか?」と。
すると、こんなお答えが返ってきたような。
「宝船の中は戎祭りでなあ。お前にもおすそ分けや」
ふと、そんふうに聞こえた気がしたわけでありました。この夢は今朝ほんとうに見たものです。

この夢の要点は、宵戎の日に、大きな鯛を持つ姿で描かれるえべっさんが、何らかの関与をされているようであったこと。
私はその日が何の日といったことはまったく思いも持っていなかったのです。その日は関西だけのお祭り行事日でありました。今日は何の日かと暦を見れば、そのような次第だったというわけです。

また、母はもともと毘沙門天の縁者のようでしたから、恵比寿さんや大黒さん、弁天さんとは宝船で同席されているよしみで、大鯛を受け取って帰ったようなふうでした。

母と私でフェリーを乗り継いでどこかに旅行する夢 (2008年2月24日)

2008年の2月24日未明の夢でしたが、これも死後、人は若返って生活しているのではないかと思われるような夢でした。

けっこう長い前置きのある夢で、憶えているのは、母と旅行に行こうと二段階でフェリーを乗り継ぐ予定で、どこか分からない目的地に向かおうとしているところだったこと。
遠距離なのでたぶん二段構えなのです。夢の場面は一段目の近距離フェリー乗り場でした。

通勤時らしく、サラリーマンやOL風の客がたくさん階段を駆け下りてきており、母と私は座席を確保すべく、一番後尾にあったえんじ色の革張りの二人用の椅子を倒して、母にまず座らせ、私がその隣に座ったのでした。
と、その途端にです。母のスカートが前開き(今の流行にそんなものはない)だったせいで、風を受けてぱらっと開いてしまい、そこから見えた素足が二十歳そこそこのまぶしいものだった(まぶしく輝いた)ため、「うわー、冗談よしてくれよ」と顔をそむけたすぐあとで目が覚めてしまったのでした。(たわけた夢ではあります)

このフェリーに現実に乗ったことはないのですが、かなりリアルだったことから、実在しているのではないかと思うのです。
その手がかりは、まったくといっていいほどなのですが、最近になって、蓬莱山の真東にある琵琶湖中の蓬莱嶽のある沖島行きのフェリーではないかと思ってみるわけです。
就航している船の写真などをネットで、これかなあなどと見ております。実際に行ってみなくてはわかりませんが、ちょっと遠いし、腰が重くて・・・。とにかく、どこにも行けておりません。九州にもまだ行ったことがないのです。(北海道には行きましたが)

般若心経が原因?

その後、私のブログ報告での亡き母の夢見の頻発を思い測られたあのPさんが、何でも、伊勢白山道のリーマンさんの情報として、般若心経の読誦で、最後の「ぎゃーてい・・・」のマントラ部分に、作者の鳩摩羅什の呪詛が籠められているとのことを知らせてくださいました。

鳩摩羅什は生い立ちからずっと人々からは蔑まれ虐められていたために、このようなすごいお経を世に出すこととの引き換えに、死者を現世に引き留めるような呪いを篭めているというのです。

そこで私は、般若心経の読誦を取りやめ、普通の感謝と供養の言葉だけにしたのでした。すると、その日から母が夢に出てくることはほとんどなくなりました。
寂しくはありますが、母にとってそのほうがよほどいいに決まっています。

Pさんには、重ね重ねお世話になっております。ありがとうございます。

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Okundコメント

今回は、死後の世界について、私が夢見で経験したことから推理してみる格好になりました。
明晰夢、すなわち夢見の身体・幽体で見てくる世界というのは、やはり幽界ということになって、次元が低いということになるのでしょうか。しかし、生前の面影を反映している世界だということは言えそうです。

またその世界では、若返った表現ができるようで、皴が多かった祖母も、痩せた静脈瘤だらけの脚をした母も、みんないちばんいいときの姿になっているようでした。私の願望が反映した?? それはまったくありません。夢に見たことも、彼らが若返った姿だったことも、まったくの想定外のことだったのです。

前回も申しましたが、地球が汚染されて3次元密度的に使い物にならなくても、幽体の次元であれば、可変自在の環境と見ていいため、十分にアセンションに値するのではないかと思います。
日月神様も「半霊半物質の身体」と言われていますし、幽体次元のことではないかと思うのです。霊体・霊界だともっと希薄でしょうから、世界の様相もまったく異なることでしょうが、半分地球らしさを醸しながら、可塑自在性があるというのは、とても心地いいように思うのですがねえ。

アセンションって、やはりいったい何なのと疑問を感じます。
このまま世界がAI文明化の方向に進むなら、それはAIの支配下で仮想の生を営むことゆえに、ディセンションではないですか。また次のマトリックスに嵌りこむようなものですから、脱け出すどころか、いっそう深度が深くなる方向に向いているようでなりません。スピ系で流行の話も、出所はどこなのか吟味されてはいかがでしょうか。

そうなれば、コーリーの話も、催眠下の出来事、創り出された話ということかもしれません。
コーリーの話には、人の死後どうなるかの話がほとんどありません。キリスト社会が受け容れないからという理由は加味しても、ディスクロージャーするというなら、どんなことでも説明してほしいですね。(まだ記事を見ていないだけかもしれませんが)

私は自分自身の体験(夢見も含めて)をベースに、推理していく異界探偵です。他所から入った情報ならば、自分の感性に触れたものだけが検討の対象です。最初から、私に必要な謎解きに関係する情報だけを与えてくれとハイアーセルフに言ってありますから、目の前にひとりでにやってきます。ネット情報や情報のホームランバッターとしてやってきます。
それ以外にどれほど膨大な資料情報があったとしても、私から探しに行くことありません(昔は図書館や書店などに行って調べたものですが、労力と時間の無駄でした)し、自分の手に負える話ではないです。寿命が長いわけでもなし、IQ32~80程度の者に何が憶えておれますか。20分前にしたことや、昨日の昼食が何だったかさえ忘れているというのに。そこそこのことをやれたことでよろしいんじゃないですか。
それだって、催眠下の出来事かもしれないのに。仮想現実下にあること自体、催眠状態(封印状態にある)のことなんですよ。

近況の夏

いろいろお取り込みがありまして、かなり開いてしまいました。

近況をダイジェストでお伝えしておきます。

武良さんから
8月7日の新聞に、神奈川県銚子市でのUFO召還イベントで、母船の撮影に成功したことが掲載されていましたので、記事をお送りします。
UFO撮影家 コンタクティ
武良信行

ということで、新聞記事の抜粋の画像がメールされてきています。
先日縮小画像をメールしましたが、その中の一枚が使われています。
超大型母船です。

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それから、以前に読者のカミラセ氏に個人的には知らせていたのですが、さる5月27日未明に私の母が夢に出てきた話が次です。

>何かどこかの館の中での様々な登場人物のいるごちゃごちゃした夢(記憶していない)の最後のあたりで、私を含む四人の男性が、畳の部屋で研修会の ような長テーブルを前にくつろいで座り、何やら談笑しているのです。
すぐ右隣りの人は、前の職場で知り合っていた悪ふざけ仲間で、その彼がまたずいぶん若いのです。せいぜい20歳頃までの皴ひとつない顔をしていて、元々男 前なので何と言いますか、△△ダチにしてもいいような感じ。夢の中でも数十センチのところまで接近していましたね。(笑)
その彼とどんな話か(忘れました)を交わしていた直後です。
私の左手方向に襖の扉があるのですが、右にいた彼が誰か外に来ていることに気付き、誰か来てる風だと指し示したので、私はそこを見ると、わずかに開いた向 こうに人影があるんですね。
それで私は、「入っていらっしゃいよ」と声をかけ手招きしますと、襖が少し開いて、何とそこに私の母が顔だけ覗かせて、「○○、一緒に家を出るんよ」と言 うのです。明らかに母の声。○○とは私の下の名前。母はせいぜい30歳代の若い頃の顔でした。
そこまでで夢が覚めてしまいましたが、今回の夢は、最後のほうが鮮明な明晰夢になっているのです。

母は2007年9月6日に亡くなっており、その後9月22日未明にご来光に至る夢として出てきて、その後も何度か私の夢に登場しています。
私とだけの夢の時は、けっこう若返って出てきていたような。複数の登場人物の時は、亡くなる当時の御隠居風で出てきていたように思います。

今回の夢解釈は、ズバリ、私を迎えに来てくれたのだと思います。
家とは、この世界のこと。南閻浮提とは、愉快極まる館と言われるように、そのようなところだったかも知れず、いやもう気持ち悪いお化け屋敷のようでもある 気がしてました。
そろそろ、この家からおいとましなければならんように思います。

—————————————————

といったことを書いて送っていたのですが、その後、この8月になってから、私のM市の前の家が、雑草や木立が生い茂りすぎて、隣家に迷惑をかけると、市 のほうから刈り込むよう、現状写真付きで催促が来たのです。
これはいかんと、そのすぐ後で市役所に出向いて、話をしてきたのですが、
まあ私のほうとしては、2011年3月の東日本大震災の被災者がたくさん住居を求めて避難してくるだろうと思い、3月28日に家賃など無償提供する旨、登 録しに行って、家の合鍵まで預けているのですが、ところが無視されてしまっていたらしく、なしのつぶてだったのです。

そしてもう、被災者誘致はやめているとのことで、そのことを抗議したわけでした。
終わったなら、終わったで、最終報告と合鍵返還の封書ぐらいあっていいはずだと。
当時の担当部署も解散し、どうやら紛失してしまっているようでした。

市の空き家部門の担当者からは、そのことは申し訳なかったということにはなったのですが、やはりその件は家主の責任で何とかせなならんということで、こち らも費用やら管理やらが大変なので、何だったら市に寄付するとまで言ったので、管財課が受けとれるかどうか、調べてくれることになりました。

そして、空き家担当の人と家まで行って見てきたところ、確かに草ぼうぼうでしかも作物のイモ類の葉がものすごく大きいんです。そして、樹木が家の屋根を越 してしまって周りに枝ぶりを広げているほどでした。

ところが、家の前面を見たら、なんと、すごくきれいんです。
私が住んでいた頃でさえ、クリーム色の壁面に緑の苔が這い上がっていたというのに、汚れさえも何一つついていないのです。

そこで私は気がついたのです。母ちゃんが、ずっとこの家を守っていたに違いないと。あの世とこの世を何度も行き来しながら、家の周りの掃除をし、作物作り が好きだったから、むしろ大きくなり放題になっていると解釈できたのでした。

だから、5月27日に夢に出てきたときに言った「一緒に家を出るんやで」という「家」とは、Mの家のことだったかもしれないわけです。
私にとっては、この世界は須弥山の南方に浮かぶ大陸・南閻浮提という「館」という認識でしたから、てっきりそっちだと思っていたけど、母ちゃんにしてみれ ば、Mの家に、このころいろいろ苦情が持ちあがっていたために、一緒に家を出ようという判断になって現れたとも思えるわけです。

一緒に家を見に行った担当者に、そのような不思議な話もしましたら、理解してくれましてね。若い人ですがさすがでした。

担当者さんも、家がこんなにきれいのなら、売ってもいいんじゃないですかとまで言います。
しかし、売るとなれば、仲介だし、また何度も足を運ぶ手間がたいへんだから、もしするんだったら現状有姿の買い取りでしてもいいかな。

あるいは担当者さんは奥さんや子供さんもいて、賃貸住宅住まいとのことなので、あなたに差し上げますよとまで申しましたが、さすがに公務員なのでそれはや ばいなと。

それで思いついたのが、母ちゃんの葬儀とお見送りのお手伝いをしてくれた、お寺さんに寄進しようかと思いました。というのは、住職さんの娘さんと、この担 当者さんは同級生で知り合いらしく、うまくすればお寺さんからお安く借りることもできるのではないかと、そのようなうまい具合にいくならいいなと思ったよ うなことです。
隣家には大鳴きする犬がいるのですが、この担当者さんは、犬好きで問題ないとのことなので、なお良しということかと思いました。
この担当者さんはいま関東に出張中で、月末に戻られるらしいので、そのとき具体的にどうするか決めたく思います。

このメルマガ読者の方には時折、震災などで被災するようなことがあったなら、こちらに来て住んでくださいよと申し上げておりましたが、事が緊急性を帯びて きたので処分することにいたします。あしからず願います。

私はもういつでもお迎えはオーケーなのですが、しかも母ちゃんがお迎えに来たとなら、なおさらオーケー、仕方ないわけですが、そんな考えでいたとき、妹も 何とか落ち着きそうになってきました。

墓参りに18日に行ってきたのですが、けっこうしっかりしていて、そのときに私が後見人を誰か適任の人をつけねばなあと言いましたら、もうその人物は決 まっているとのこと。あとは家庭裁判所で登録するだけのようです。相手の人もオーケーしていて、しかも息子さんたちも引き継げることも言っておられるとの ことで、バックアップ体制も出来上がっているようなので、それに対して私は全部オーケーしておきました。
ここにも母ちゃんが手を回しておいてくれたのかもしれないと思うことしきりです。

さあ、あとは、してもいいし、しなくてもいいしと思うことがひとつだけあり、また猫たちみんなのことも気がかりとはいえ、一蓮托生。
そろそろ、おいとまするときがやってきそうです。
ありがとうございます。
危ないのでテープは投げないでください。
あ、そこの花束だけいただくことにします。
ではまた、どこかで会えたら。
君の名は・・・ああ、誰だったか、忘れてしまいそう。

夢のような不思議話 というか 不思議な夢の話 というか

備忘録の意味で、思いだしながら、時期は不特定不確実ながら書くものと、最近のものは記録しておこうと書くために日時までわかって書くものの二通りで書き進めた「夢見超常体験記」なるものを、ささやかに公開しています。⇒ https://p.booklog.jp/book/97441/read
私は只今67歳ですが、50歳より前に見た顕著な明晰夢の正確な時期はすでにわかりません。だいたい○○歳ごろだったという表現しかしようがありません。
すでにUFO/宇宙人関係で見た明晰夢については、30歳までに、MIB風の外人の夢と、CFCでのUFO観測会の数日後からスフィアビーイング(白球)複数機が出現する夢を何度か見たことがあることを申し上げております。⇒ https://p.booklog.jp/book/97090/read
スフィアビーイングについては、その時にファーストコンタクトがあったとして、セカンドコンタクトが33歳頃にピラミッド瞑想中に起きたことも書き添えています。

30歳になったときに、父が亡くなり、その二日ほど後に亡き父の夢を見て、父がどこにいるのか聞き出すことができ、その時は意味不明だったのですが、そこが実在する父の実家の菩提寺であったことを後に知るという流れになりました。⇒ https://p.booklog.jp/book/97441/page/2635119/bookmark
先祖の墓の移転(魂抜き)のときも、ちょうどその時期に合わせたかのような気持ちの良くない夢を、名古屋にいながらにして見て、そうだ昔は土葬だったから、あんな夢になったのだなあと思い返せるのです。⇒ https://p.booklog.jp/book/97441/page/2635121/bookmark
魂抜き、魂入れは母と妹でやってくれていて、先祖の菩提寺もそのときに神戸に移したのですが、そのときに母が生前戒名をこしらえてもらっており、ちょうどその時期に、戒名通りのいでたちで、母が夢に現れたのでした。このときも、私は名古屋にいて見ており、しかも母の生前戒名のことは私が神戸に戻ってから知ったようなことだったのです。⇒ https://p.booklog.jp/book/97441/page/2635122/bookmark

天帝様に会いに行こうとする夢は30~34歳頃に見ています。⇒ https://p.booklog.jp/book/97441/page/2635125/bookmark
ロサンゼルスの球場と言えば、有名なのはドジャースのドジャースタジアムで、もうひとつロサンゼルスエンジェルスの本拠地球場があります。
さいきん、Wikipediaで外観を見てみたんですが、どっちもよく似てます。
ダッグアウト側から場内に入っていくとき、右側の一塁側スタンドに観客ではなく、大きな太めの十字架が秩序整然と並んでいて、陽光を浴びてか、白銀に輝いてるんですね。まあ、このような十字架というのは、墓地にあるモニュメントに似てますから、観客は亡くなった方たちなのでしょう。
その続きらしい話は、また聞きの情報でしたが、野球場の中から十字架が次から次へと空に上がっていく光景を見たという米国女性の話を聞きまして、驚いたわけです。
それからは推測ですが、ノストラダムスの詩で、「大地は激しく揺れる。その巨大な劇場は一瞬に廃墟になる」というのがありましたね。この場所というのは、カリフォルニア州ですから、サンアンドレアス断層が動くかなんかして、あのあたりはえらいことなるかもしれん、と思ってたりもしました。
大地震と絡めて考えたもので、映画「カリフォルニアダウン」なんてのもツタヤで借りて見ましたもんね。でも、あの規模が起きたら、それだけで済んだりしませんよ。対岸にまでやってくる津波のことは映画に出してませんもんね。

天帝様に会って何するのかも当然興味します。あの光景からすれば、黙示録かなあと。100基ほどの大きな十字架が秩序整然と観客席に合わせて並んでいました。しかし、黙示録では、「員数がまだ満ちていないから」という理由で、清教徒たちの言い分は却下されるんですね。その代わり、白い衣をいただくという流れです。
プロテスタントの教会では、この員数とは14400人だと言ってるようですが、どっからそんな数が導き出せたのやらわかりません。144人でもいいんじゃないの。だったら、もうちょっとって感じですよ。
そして、陳情に上がるトップバッターがここにいるとすれば、みんなついて来なよ、でいいんじゃないでしょうか。
とんでもない夢を見やがってとお叱りを受けるかもしれません。私も何の催しものやらわからないで夢を見ているのです。催し物会場に着いてみれば・・・・・催し物とは実は最後の審判だったなんてことになれば、そこまでのことは考えてなかったよ、で笑って許してもらうしかありません。
それに私如き不徳の者がやることじゃないですよ。そんな畏れ多いことはようしません。だって、そんなイベントなら、嫌がる人も多いはずですから、彼らの自由を奪うことなどできないし、それを敢えてするなら、カルマのしっぺ返しという返り血を浴びてしまうでしょうからね。
そこで私は、3次元密度的思考の粋をフルに働かせて、次のように見立てるのです。
私は人であり、日戸であり、霊止ですから、神霊の視座に入って、その光景を見てきたに違いないと思う、いや、そのように設定いたしました。
だって、いつの明晰夢にしても、私が自分の意志で見に行ったわけではないのです。ひとりでに、その場所に行って見てくるわけなので、その場所に誰かが私を伴って見せているとしか考えようがないのです。
そこで私は、こう考えることにしたのです。
私は神霊の誰かが乗るウマなんだと。神霊の誰かがジョッキーとして私をそこに赴かせるもので、私はそれを見てこざるを得ないのだというわけです。ジョッキーは、ハイアーセルフかもしれませんね。
実際、そうですよ。私はIQがどんどん下がって、いまや32の脳力低下に遭遇しているわけでしょ。その能力を引き立たせてくれているのが、ジョッキーなわけです。
駄馬コマンコスキーを名馬の如く操れるのは、名ジョッキーですよ。とはいっても、いつもいつもジョッキーしてくれるわけではありません。ちょっと気が向いたらといった感じですかね。

だから、私はこの3次元密度側に置かれたステイタス情報のようなものにはなっていて、私の消長が次のイベントを呼び起こすことに使われているんだろうな、とは思うわけです。
あとは、あの世に行ってのことですから、ジョッキー以上のレベルでイベントをこなしてもらえばよろしいわけで、まあもしよければ、見学に行ってみたくは思いますが、私が何もそこまでせんでもいいわけです。
そんなときに、私の母が、つい先だって肩叩きに来たというわけです。5月27日の未明の夢で、「トシアキ、一緒に家を出るんやで」と、あの母の表情からすれば、いつまでぐずぐずしてるんや、といった感じもありましたからね。
家とは、もし三木の家のことだったら、早いとこ誰かにさしあげてしまったらどうかという意味にもなりますが、それもまたいいとしても、仏教観からすれば、須弥山の南に位置する南閻浮提、すなわち、この宇宙のことになるのです。
南閻浮提は、他の三大陸と比べて、宗教が発達しているから解脱しやすいとされていて、愉快極まる館と言われています。だから、次回転生してくるのは、最低限、どうあってもここにしなさいとまで言われている好所なんですね。

ところで、須弥山の北面を守護するのが、母に縁のある毘沙門天さんです。須弥山は仏教世界におけるピラミッドでして、ぴしっと東西南北の各面が揃っていて、それぞれの面が七宝の瑠璃やめのうでできていて、それぞれ四天王とされる専属の神々によって守られており、中でもいちばんすごいのが北の毘沙門天なんです。昔から、北面の武士というと、警護に当たる最強の兵団を言いました。政所でもトップバッターが北の政所とされてます。
私のペンネームの一つ、”北卓司”も、北の毘沙門天を意識しています。麻雀で北家(ペーチャ)の位置は私が牛耳っているという意味と、本を読んで魅了された読者は、”来たタクシー”に乗ったお客さんというわけです。⇒ 古代日本にカバラが来ていた https://p.booklog.jp/book/99385/read

さてそこで、天帝様というのは、須弥山の頂上にいる帝釈天、もしくはさらに真上上空にいる梵天さんということになります。だから、言葉の意味の関連付けはすぐにできてしまいます。

母も、きちんと方位が定まってルート付けされて、あの世に旅立っていますからね。毘沙門さんに縁のある者は方位もきちっとしているみたいです。私は母がご来光(仏の世界)に至るまでのルートを、夢で目撃させてもらいましたから。そして、その夢の場所が実在することも半年後に判明したりしました。⇒ https://p.booklog.jp/book/97441/page/2635142/bookmark
私も、母と一緒となら、母が道案内してくれるのでしょう。そこで、もうひとつ奇妙な夢を見ています。母と一緒に、フェリーボートに乗って、どこかに行こうとしている夢でした。⇒ https://p.booklog.jp/book/97441/page/2635146/bookmark
二段に乗り継いでいくフェリーのルートという印象でした。乗り込んだのは、琵琶湖に就航しているオーミマリンの船ではないでしょうか。ネットで見ましたら、高速艇のようであり、どこか似てるんですよね。
フェリーの第二段こそ、沖島の頂上・蓬莱嶽から出ているご来光行きの宝船・宝来フェリーだろうと思います。

以上に申しました夢の内容については、こちらにまとめています。⇒ 夢見超常体験記 https://p.booklog.jp/book/97441/read

詩か随想のようなウマの歌

私は神ではない
神が乗るウマだ
そうしとかなきゃあ、重たい責任など負えりゃあせんでのう
ウマはウマでも、荷運びのウマではなく、勘と頭脳労働主体のウマじゃけんのう

人とは、日戸、霊止であり、神霊や心霊の止まり木のこと
たまたま神が止まり木に泊まったからと言って、自分は神だと錯覚する者、はなはだ多いわな
そんなこんなで、我は神なりと思い込み、おかしな教祖になった者もあまたいるが、
神が止まり木を発った後は、もぬけの殻になるから、それまでしこたま儲けた金と人脈の腐臭を嗅ぎつけて、邪神だの、悪霊だのが取り憑き棲み着くようになり、とんでもない悪さを仕込むのさ

おかしな道に入りこまないコツは
私は神が乗るウマだと認識すればいいだけだ
ウマを選ぶのは、あちら側(神)で、私は神に選ばれたいために、感性を研ぎ澄ませ清く保つのさ
人は日戸、古事記には現しき青人草(うつしきあおひとくさ)と書かれている
たくさんある様々な草のひとつが、私という人(日戸)なのであり、現実世界に何らかの神の意向を反映すべく、行動するんだ
それが人であり、それができなければ、人間さ
○○人間、◎◎人間、丸の中に何とでも入れてみてくれ
たいして、いい言葉は入らないはずだ

人には人にあって、ウマにはウマにあって、誇りとモットーを主張できるんだ
間違っても、神だなどと名乗るなよ

たとえば、私はこうだ

私は神が乗るウマ、赤兎馬

やあやあ我こそはかくたる由緒ある駿馬、音にこそ聞け赤兎馬なり

三国志の英雄、関羽公が乗る駿馬が赤兎馬
馬上の主人の手綱さばきの通り、的確に地歩を踏みしめ、
優れた探知能力で目的地の素性をつまびらかにして主人に伝える
一瞬にして大地の微細を穿ち、はるか宇宙の果てさえも出て三千宇宙のことごとくを駆け抜ける

様々な神を主人として乗せるも、審神者して、正義であることを深く探知し、ふさわしからざるを振り落とす
至ってじゃじゃ馬なれど、ふさわしき主人には忠義なふるまいで応ずる探知能力優れた赤兎馬なり

神芝居三国志

2001年には我が背に梵天が乗っていたという噂
2004年には、我が背に天の穂日が乗るようになって、私を活用した
2005年には、主人に縁ある天狗さんたちを封印解除した
2014年○月には、ホツマの謎解きをして、主人の母親と叔母の無実を証明し、ウマの私も共に泣いて差し上げた
その頃、伊勢原の渡辺兼子様が御歳百歳にて趺坐したまま大往生を遂げられたとの由
元伊勢の天皇神教元伊勢皇大神宮の信者で、岩長姫を祀る巫女としての転生を繰り返されていた売店の叔母さんたちが相次いで逝去され、
その後、売店は閉鎖され、元伊勢の名物店はこうして幕を閉じた
こうして、原初神を守り抜いた人々のお役が順次解かれることになった
お役目ご苦労様でした
間もなくして、岩戸開けがなされるでしょう

2014年5月には、国常立神(ウシトラノコンシン)と豊雲野神(ヒツジサルノコンシン)を本格的封印解除して、封印されていた原初の神々をお出しした
神々の中には、弁天三姉妹も含まれていた

コーリー・グッド情報によれば
2014年後半に、古代ビルダー種族と言われるスフィアビーイングがやってきて、本格介入しだす
⇒ 太陽系外核と地球周囲にバリアーを張り、行き来不可能にする
2014年12月には地球を牛耳っていたドラコ同盟が衰兆を見せ、2015年前半に本流が太陽系外に撤退
取り残された亜流と秘密結社が内紛しだし、いっそう衰退が始まる

ドラコ同盟とその支援宇宙人グループこそが、原初神を強制引退させた者たちであったことが判明する
彼らは、太陽系内惑星(ことに地球)を、実験場として利用しようとしていたらしい
50万年前の内惑星モルディブ(ティアマト)の破壊をきっかけに、保護バリアーが外れたため、大挙して太陽系にやってきた

ために地球など惑星生態系の創設に尽力していた古代ビルダー種族たる原初の神々が邪魔になり、強制引退させ封印したらしい

世界神話にいう、神世の政変事件は、このようなことの裏返しとして伝えられている
ギリシャ神話にいうクロノスの治世(黄金時代)を終わらせたゼウス、エジプト神話にいうオシリスの地上での王権を殺害して奪い取った邪神セトなど

異伝として、聖書の中の創造神がアダムとイブの裏切りに怒り、楽園追放したという、唯一神の心変わりに起因する話にされたり、神世の政変は企てられたが、あわやのところで未然に防がれたというホツマや記紀の伝承がある

いずれが真かは問うまい、立場立場によって、定義し論じたいことは様々にあろうから
しかし、不正義あらば必ずや真偽が質されるであろう
そこで善のお役に就いた者は幸いだ
悪のお役に就いた者は松の世の御沙汰を思うと、長く心労することだろう

三千世界に一度に開く梅の花 梅(生め)で開いて、松(末、待つ)で閉める神芝居

私の初期条件は、祖母が持ちかえった拝み屋さんの見立て
この人は、最上の松に泊まる鶴じゃ、との見立てがある
そのお蔭で、私は丹頂鶴、朱雀などの鳥人(エイビアン)の属性を得た
赤い鳥だ(レッドエイビアンなり)

そうだよ、いまこのタイムラインが、松の木の最上段なのさ、最上の松なのさ
最上の結果が待っている神芝居のオオトリがこのタイムラインの末尾にあるのさ

神芝居三国志、こんなソフトもあったけな
まったくそうとは気付かずに、ユーザーが我を忘れてのめり込むような
仮想現実ソフトが、バーチャルリアリティ体験コーナーにあったものだ

仮想現実論は2003年から科学界で論議されるようになったとか
https://youtu.be/nv7WQqJLru0

ちょっとまってくれよ、赤兎馬はそれより20年前1983年には超宇宙の仕組みモデルをアップしていたぜ
https://p.booklog.jp/book/91316/read

といっても、私は名誉への執着や功名心があるわけではない
当たり前だろ、仮想現実ソフトなのだから、私はそれを実行する主人公であるのみなのさ
ユーザーにとって、いいようにしてあるのが、こうした提供ソフトなんだ
どうです、お客さん、満足できましたか、と提供者はいつも気に掛けてくれている

そんな中で、あの論は私の成果だ、返せ戻せと叫んだところで、そういう体験ソフトなんだとわかれば、何の執着もないだろ
はっ、あれは夢だったのか、面白い夢だったなあで、終わるのさ

母が、この5月27日未明の夢で、一緒に家を出るんやで、と声をかけてくれた
https://p.booklog.jp/book/97441/page/3117848/bookmark

家とは、今、私が神芝居ソフトにはまっているバーチャルリアリティ体験会場のことだ

母と一緒に、面白くもない遊戯施設があったものだと、後にすることだろう
そうだ、あの建物がそうだったんだ
https://p.booklog.jp/book/97441/page/2635602/bookmark

空から見ていて、円筒形のクッキーの詰め合わせ缶のような建物
たしか、お化け屋敷とも書いてあったから、肝試しに、ちょっと入ってみようかとなったが、とんでもないとこだった
まさしくお化け屋敷だったよ
マメもずいぶん苦労したもんな
もうこりごりだ

さあ、ふたたび、千の風になって、思いのままに飛んでいこう
今度は、どこに行こうかな
うかつな行動はしないようにしなくちゃな

ふたり母

私の母は現実の人がひとり。
もし男に生れていれば、位人身を極めると預言された母でした。
結局は、模範的な贖罪の人生を送り、私を世界市民に見立てて、至れり尽くせりのケアーをしてくれました。
お蔭様で、何不自由なくやってこれました。ひとえに母のお蔭です。
もし世界総督として世界市民を養っていたなら、良識を以て統べて、長い持続性ある為政になっていたことでしょう。
そのような母の子供でおれたことは誇らしいことでした。
母へのお返しは、夢の中だったけど、神々の応援をいただき、盛大なお見送りをプレゼントできたことです。
当時いた彼女の本体である奥津嶋姫弁才天様が直接、龍神さんや龍族の方たちを参集くださったのです。それはもう、蓬莱山-蓬莱嶽-ご来光-中を取り持つ蓬莱道龍和尚という、シンクロの勢揃いになりました。ありがとうございました。
しかし、私は奥津嶋姫様の納得いくようなことがして差し上げられただろうか。
勇気がなくて、せいぜいできたことは、封印解除のアクションだけ。
5月10日に弁天三姉妹らしいスチュワーデス3人を空港に送った夢を見て、きっと封印が解けて揃って旅立たれたに違いないと思い込むことで、やっと自分が保てています。
本当なら、邪神討伐までやりたいのだけど、肉体の身は臆病で勇気がなくて鈍重で、予定の半分もこなせておらず、そうするうちに、自分自身が主役という当初のスタイルから離れてしまい、いつしか埒外に置かれている自分を発見しています。
もうひとりは神世の母上。
最も不幸な高貴な后であったことでしょう。私はなんとか冤罪を証拠立てる論を作り、母上には喜んでもらえたかと思うのですが、正神の復活という画期的な神一厘の神業にまで至れなかったことは残念なことでした。
鈍重な肉体の身を以てしては、困難なものです。
この身を捨てた後に予定を繋ぐしかありません。
ああ、そうだ。これを忘れるとこでした。
現実の母は、亡くなることになる心筋梗塞発症の前日、テレビを見ていて、私のほうをいきなり振り返ると、「私はお前がおってくれて、幸せやったで」と、天使の素顔のような、びっくりするような神々しさで一言言ってくれました。2007年8月30日のことでしたか。
そして翌日倒れて入院。9月6日に逝去でした。
そういえば、白虎のフーちゃんも、夢に顔が崩れる様を見せて事前に知らせた日の翌日の朝、いつのまにか私のベッドで添い寝しておりまして、そのときの寝顔が神々しい天使のようでした。
いつもそんな間近に寝ていることはなかったのに、その朝だけは脚のすぐ横に添い寝していたのです。そして、朝ご飯を少し食べて外出し、それっきり還らぬ猫になりました。
今では、フーちゃんとウーちゃんは神世の母子にもどって、仲良く暮らしてくれていることでしょう。
そこにもしよければ、チンちゃんが今生の縁で加わっていてくれたら、これほどうれしいことはありません。
神世の母上にも、幸せをあげたい。叔母上様にも。
最後は天使のような神々しい表情になっていただきたいです。