黒猫ブーの話

愛猫ブーが約半年ぶりに夢に現れた

すでに過去のことですが、10月3日と4日の連日の早朝の夢に黒猫のブーが出てきました。
この4月14日に家を出ていって帰らぬ猫になっていたのでしたが、いまでは向こうの世界に暮らすようになったのでしょう。

失踪の一週間ほど前から、彼は家の中に居て、尿失禁を起こし、プラダンを敷いた床に尿をこぼしていました。お尻のあたりはいつもびしょ濡れで、老いと膀胱炎のようなことで、たぶん押さえが利かなくなっていたのでしょう。長引きそうな厄介な病気のようでした。しかし私は医者に連れて行くことができませんでした。たいてい車を嫌がるだろうことと、費用のことと、私自身が二度目のオペから退院してきて間もなしだったことで、心臓に負担がかかるように思ったからです。幸いプラダンですから下にはしみこまず、ふき取ればいいわけですが、それもまたかがんでやることなので、かなりしんどいわけでした。
それで、ブーには、お前は元々、神だったのだから、自分の力で治してみろと、なじるようなことがしばしばでした。
彼は2009年11月に三匹の幼猫としてやってきた一週間後ぐらいに、夢に出てきて、白虎とその両親のシーサーであることを示し、彼はシーサーのオスであると特定していたのでした。
だから、神ならば自然治癒が自力でできるだろう、それができないようなら、すでにフーもウーもこの世に居ないのだから、元居た神世に帰れとまで言ってしまいました。
彼らは、私の新神話におけるシナリオに、スタッフが見つからないのでは困るだろうからと、特別参加してくれた神の化身たちだったのですが、三匹ともそれぞれに、決していい扱いがしてやれなかったことを重々承知し、申し訳なく思っていましたし、最後になったブーの失踪後には、なじりすぎたことをとても悔いました。

今でも4月14日の朝にブーに与えた最後の食事のときのことを憶えています。その頃、テーブルの上で彼は食事をするのが常でしたが、そのときも尿をテーブルにこぼしながらの食事でした。その際に、私はまたもなじって、なんとか治せ、それができないなら、神世に帰れとまで、いろんな話を合わせながら説得したのでした。
彼はそれでもしっかりとした面構えで食べていた、そのときいきなり面構えがふっきれたように穏やかになったのを見ました。彼はそのとき、悟ったようでした。

そのすぐあと、私は餌の補充の買出しに出かけたのですが、私が帰ってくるほぼ30分前に、彼はゆっくりと時間をかけて、出て行くさまを、監視カメラの映像に残していました。
道は地道で、北東(丑寅)の方向を向いているのですが、その中間ぐらいから石段になっていて、その最初の広くなった石段の手前で、しばし祈りを捧げるように座っていて、次にその石段に乗ってまたしばし瞑想しているようで、そしてそれから上の舗装道路のほうに出て、どちらにいくか若干躊躇しながら、A家のある北かもしくは、正面の小山の方向にむかったようでした。それ以後、帰ってくることはありませんでした。丑寅の方向に向かって祈りをしている様子は、彼もウシトラノコンシンの命でやってきてくれたことを意味するのかもしれません。

彼には、それまで約束していました。先代の猫の子のトンとシャンがいるが、ブーよ、お前もいずれ隠居したら我が家に戻って、リーダーとして後輩の指導に当たってくれと、何度か話していました。ブーは約束どおりそのようにしてくれるようになっていたのです。私が不慮の心筋梗塞で二度に渡る入院のとき、乏しくなる食糧を三匹で分配して生きていけたのも、ブーの指導のお蔭であることは紛れもありません。
退院して帰るたび、三匹がすぐに姿を見せてくれ、無事であることを確認させてくれました。ブーとトンはよく喧嘩していたものですが、三匹仲良く揃って現われてくれました。

そんなある日、ブーは一日二日帰ってこず、外から帰ってきたとき、下半身をやせ細らせて、尿失禁をするようになっていたのです。いや、尿に濡れたせいで、がっしりしていた足腰が実は毛のふくらみでそう見えていただけかもしれません。ほんとうは使いすぎてくたびれた足だったのを、猫世界でメンツを保とうとして強がりしていたのかとも思います。

とにかく、彼には苦労させてしまいました。北にあるA家に嫁探しに行き、A家でたくさんの子を作ったようです。Aさんは、ようここに来て、さかっていくよ、うちにいるびっこのメス猫がよう黒猫を産んでなあと。
ブーは子煩悩だったからか、毎日一往復か二往復、片道200mの坂道を歩いていました。ブーはうちの猫だとAさんに言わなければ、ブーはずっとA家だけに定着していただろうに、それからは餌がもらえなくなって、我が家との往復が仕方なくなったのです。彼の足腰が早く弱るのは、そんな事情もあるのです。

この10月3日朝の明るくなってからの夢でした。私は最近よくありがちな、突然に便意を催して、うんこが出そうになるのを、下着につけまいとしてめくった途端に、ドタッとうんこを床に落としてしまうことがしばしばでした。プラダンの床にしているので、チリトリ二つで挟んで取ることができて慣れているのですが、ところがそんな夢を見てしまい、落としたうんこを上から見ているときに、開いた両足の間に現われたのは、がっしりしたブーの後頭部で、なんと彼は、私の落としたうんこを、食べているのです。
「おい、ブー、やめろ。やめろ」
しかし、彼はやめることなく、食べて平らげてしまおうとしているふうでした。そして夢が覚めたとき、そうか、ブーは在りし日に尿失禁して私にいちいちふき取らせたことの償いに、夢に出てきて、私の大便失禁の後始末をしてくれようとしたのだと悟りました。
私なら、チリトリを使い、あとはチリ紙か雑巾でふき取れるものも、ブーにはそんなことはできない、だから口をモップ代わりにして食べて取ろうとしていたのだと理解しました。
尿失禁は病気と老化による仕方ないこと。医者にも連れて行かず、非人情ななじりをした私のほうが悪い、そのことをあの失踪の日からずっとわびていたのに、ブーのほうも自分が悪かったと思ってか、償いに出てきたような気がして、感涙とどめられなくなりました。

その翌日の未明、10月4日ですが、ブーが再び夢に出てきました。今度は正面から向き合い、私が彼に手を伸ばして頭の辺りに手をやると、彼は頭をぐっと持ち上げて、私を見たわけですが、両目とも妙に突き出たようになっていて、ひょうきんな感じに思えたことでした。
力強さが感じられたので、向こうの世界で、また生活を取り戻したのではないかと思います。ウーやフーとうまく暮らすようになったのだろうか、そのあたりまではわかりません。
とにかく、幸せであってほしいと思います。また、いつも仏壇では彼らの名を称名して幸せを祈っています。ありがとう、ブーフーウーの三神獣さん。

不思議なことだらけの一生に感謝。

* その後、2020年に黒い幼猫の兄弟が道路向こうの溝から出たり入ったりして遊んでいる様があり、私はああ、あれはブーの子孫に違いない、またできたら飼いたいなと思っていました。しかし、以後姿を見せませんでした。
ところが、それから数か月後、我が家の餌場に侵入したのは大きくなったこの二匹でした。ところが、見回りのトンが見つけ追い払おうとして、一匹が高さ3mはある通路から下に落ちてしまい、下には給湯器や空調の室外機など金属物があったため、もしかするとしたたか身体を打ち付けたかも知れません。もう一匹はその騒ぎのどさくさに逃げていました。

その後のある日、私の部屋の猫用入り口に佇んでいたのはきっと落ちた猫(雌猫)だったでしょう。瘦せ細って、私を見上げていました。
私は餌をいちおうやり、それでもじっとしていたので、「ここに居着いてもいいぞ、どこでもいいから、中で暮らしなさい」と言うと、どうやら本当に理解しらしく、それ以後、我が家の中で暮らすようになりました。
よくトンとは睨み合ったものの、動作は鈍く身体はかなり痩せて小さくても、ひるまずに睨み返していたので、トンも理解したようです。
こうして雌猫は室内と屋根の上で暮らすようになり、やがて妊娠し、たぶん父親はよく遊んでいた兄弟猫だったと思います。というのも、雌猫の室内暮らしに合わせるようにして、やや大柄の黒い雄猫が餌場に現れるようになり、やがて猫用入り口で私からの直接の餌を摂るようになったからです。

そして、不思議なことに、雄の黒猫は皿に入ったウエットフードをきれいに平らげ、まるで彼こそがモップ代わりになったブーの再来かと見まがうほどでした。
そう、ブーは将来のために、子孫をここに派遣して、ブーの在りし日を再現しようとしてくれたのだと思いました。 しかももう一匹の雌は、ブーが子孫を残そうとしてか、虚弱だが雌猫を付けてくれたといったことだったのかと思います。

雌猫はやがて一匹の雌の子猫を生みました。名前はアカではじめは屋根の軒下暮らしを母猫、そう名前が後になりましたが、母猫はクロです、と共にしていました。そしてアカを育てていたときのクロはすごく嬉しそうでしたし、アカも喜びいっぱいを身体で表わしていました。このときの父親はクロの兄弟で名前はクロアニでした。
アカが生まれたちょうど1年後に次の赤ちゃん、黒で雄猫のアオが生まれました。このときの父親は、最近引っ越してきた家の飼い猫で、この辺ではいちばん強い縞模様の猫、タイガーです。というのもクロが子猫を生んでからというもの、毎日のように母と子の様子を見に来ていましたから。もう一匹、タイガーの弟になるコジュウトとともに訪れていました。
ただ、コジュウトは我が家の猫、とくにアカに襲い掛かり、トンがよく助けに入っていました。私はこの猫だけは危険視して、捕まえて懲らしめようとしましたが、何度やっても逃げられてしまいました。

しかし、この父親兄弟はアオの遊び相手をし、アオも思いっきり体当たりして力を付けようとしていました。そこにクロも加わったりして。クロは父親兄弟と仲が良く、いつも屋根伝いに車庫の屋根から、父親兄弟の来るのを待っていましたね。どれも素晴らしい光景でした。
むろんコジュウトを捕獲しようとはもう思いませんでした。しかし、アカは深夜に忍び込むようにして我が家にやってくるようになり、明らかに恐れている様子でした。可哀そうでしたが、そのお蔭か体格が良く、いずれ母猫になるだけの力をつけているふうでした。がんばれ、アカ。たいへんだろうが、子育てするようになれば、母猫は力を倍加して強くなれる。がんばれ、アカ!!

おかしなことに、アオの父親のタイガーはいつしかいなくなっており、コジュウトもその後、失踪してしまいました。アオもクロも屋根の上からタイガー兄弟を長い間待っていましたね。とても寂しそうでした。可哀そうでした。

本日は旧暦の七月四日、お盆にいう鬼月です

今日8月14日は、我が家最大の功労猫ブーがこの4月14日にいなくなって、四ヶ月目になります。
おしっこ垂れ流しの病気に罹り、さりとて治る見込みも無いと見切ったこの日に我が家を去りました。
覚悟を決めて出て行きましたから、もうすでに死んだものと思います。
最後に何も支えてやれなかったことを申し訳なく思います。

すでになき、ウーやフーとともに我が家にやってきてくれたのが2009年11月のこと。まだ一ヶ月ほどの幼猫の3兄弟としてやってきました。
初めは性別もわからず、半年ぐらい後になって体の特徴でわかったようなことでした。
ブーは黒猫で、オスでした。彼は去勢してなかったので、一歳になった頃から他所に嫁探しに出ました。猫として生まれて、ひととおり以上の苦労経験をしてきたことが明らかです。

今朝はなぜか夜明け頃からブーの気配がして、思い出のようにして様々なことを振り返っておりました。
ウーもフーもよくやってくれました。この3兄弟は名猫です。もういずれもこの世に居ません。
ウーとフーの間に生まれたのも3兄弟で、チン、トン、シャンで、チンはもうすでにこの世に居ませんが、トンとシャンがまだがんばっています。

旧暦の七月はお盆の原義を伝える台湾では鬼月といい、
旧暦7月1日は「開鬼門」と呼ばれ、「鬼門」(あの世の門)が開く。旧暦7月30日が「関鬼門」で門が閉まる。この間、無縁仏の霊魂は先を争うように「この世」
を徘徊、おいしいものを探す、とされている。 
というわけで、我が家はいつもより賑やかな感じがしております。
まだこの世にいるトンやシャンも、彼らは霊の姿が見えるらしく、いつもより上品に構えています。
今朝は、二匹とも一緒に食事に、家の中に入ってきてくれました。こんなにまとまりがいいのは、なかなかあることではありません。

黒猫のブー(8歳6ヶ月)が14日午後から帰っていません

14日というと、朝から雨と強い風で肌寒い一日でした。
そんなときに、ブーは先月の終わりからずっと尿の垂れ流しが続いていたのですが、白猫のシャンとともによく食べること。食べられるということは、回復の見込みがあることの裏返しなわけですが、私は一日おきにマーケットまで車で走り、かなりおカネを使って餌を購入していても、二日ももたないことにいらだって、また昨今のPCのトラブルで時間を食うこと食うこと。そこにブーが尿をたらしながら食事を求めてくるといったことで、臭いやら不愉快やらで、ブーに当り散らすことばかりしてしまいました。

ブーはたぶん医者に見てもらいたいということだったのかもしれません。遠い幼い頃には2,3回連れて行って、すべて治してもらえたので、あてにしていたのかとも思います。
しかし、私は去年一昨年あたりからの方針で、我が家のメンバーは医者にはもう行かない、行こうとして車に乗せたら必ずパニックを起こすから、私の心身がもたないからという理由でした。だから、私もよほど特別なことでもなければ、医者にはかからないという約束を、猫三匹にはしていたのです。

ところが、私は昨年末ごろから、前立腺肥大で排尿困難の苦しみに耐えかねて、医者に見てもらって、その次に今年2月の胸苦しさが致命的かもしれないと思えて、見てもらったところ、急性心筋梗塞で緊急オペになり、約三週間の入院になる始末。

さっそく、自分から約束を破ってしまったわけですが、そんなときブーが膀胱炎か、あるいは腎臓炎か、苦しそうというより、ぼおっとしてぐったりしている様子。本当なら、動物病院に連れて行かねばならないのに、叱咤激励して、自分で治すぐらいの気構えを持てとか、小便が出そうになったなら猫砂トイレにすぐ行けとか、トイレの外にこぼすなとか、床にたまった尿にこれみよがしにチリ紙を撒いて、よほど迷惑なんだぞといったゼスチャーで反省を迫るようなこと、つまり動物虐待をしてしまっていたのです。

食事はちゃんと出してやったにしても、合間のお小言が辛らつで厳しいものだったこともあってか、ブーは上目遣いで、睨むような表情をするのが常だったです。

私はどんな小言を言っても、ブーは理解していないだろうと思っていたのです。シャンはけっこう理解しているようで、反論めいた応答をするのですが、ブーは応答せずに、じっとこちらを睨んでいるふう。いっぽう、私は彼らの言葉がまったく理解できないところに、無応答のブーを思いやる気持ちにまでなれなかったのです。
だから、私はこの家での原則論をまくしたてるばかり。もし、彼が理解できるようなら、ものすごく辛かったろうし、心が傷ついただろうと思います。

しかし、ブー、フー、ウーの最初の三匹が幼猫としてやってきた一週間後くらいに見た正夢は、彼らが額の真ん中にもうひとつ目をつけた神獣で、そのうち一匹は古墳に描かれる白虎であることを物語っていました。それは重々わかっていて、なおかつ不遜かつ高拍子な言動に出てしまったのは、わが身の不覚でしかありません。

私は、口から辛らつな小言が次から次へと飛び出すのを、心の中で、もうやめろもうやめろと声を出していたのでしたが、自分とはまったく別人が勝手にしゃべっているふうで、そのとき、はっと気づきました。
私は、このように確定した時空のタイムライン、すなわちプログラムをシミュレーションしているのであり、私の心は、真の意志は、成り行きに対して懸命に抵抗しているという事実に思い至ったのです。
それでも、意志の力は、悪魔的成り行きを封じるほどにはなれなかったことに、自分でも絶望感が沸きました。
この世にある人の多くは、そのようなことがよくあることに思い当たるでしょう。ほんとうは、こんなことしたくはないのだが、どうしてもしてしまい、たいがい後で後悔するってこと。

ああっ、何てことだと思ったとき、それまでブーは一度として睨むような表情を崩すことはなかったのでしたが、彼の目がほろっと優しい目に変わり、心なしか表情が笑ったように思えたのでした。諦めたというのか、ふっきれたというのか。好々爺のような表情になったのでした。もしかしたら、ブーは何か理解したのかも(悟ったのかも)しれないと感じました。
それが14日の午後2時頃のこと。ブーとシャンに一食ずつ食事を与えたときのことでした。

私はその時間から買い物に出たことはあまりないのですが、明日まで在庫がもたないと思い、買いに出ました。車で出かけたのが午後2時半。
そして4時に帰ってきてから、ブーには出会えていません。
本日17日の今は夜になりましたが、14日からまる三日以上、ブーは消息を絶っています。

監視カメラの実績を調べたところ、彼は14日午後3時10分に地道の通路を上がって、車道まで出ていることがわかりました。そこから消息が途絶えたわけですが、道路までの地道の通路は20mほど。そこに上がりきるまで、3分もかかっていました。彼は地道の通路の最初の石段で、彼自身の儀式のようなことをしばし行ない、意を決したようにして出て行ったことが確かめられました。この通路は、ちょうど北東に向き、最初の石段が広い目で祭壇のように水平なのです。ここで、もしかすると三神獣の家長として、儀式のようなことを執り行ったかもしれません。

私はここで奇妙なことを言いますが、ブーは私の親父の生涯によく似た一生を送ってきたのです。けっこう胆力があり、真面目で苦労性で、しかも冒険を怖がらないため、たくさんの猫のいるA家に出向いて、喧嘩しながらも、向こうでたくさんの子孫を設けているのです。しかし、向こうの掟のようなものがあって、使い走りさせられるようなこともあったようです。向こうの襲撃猫の仲間にもなって、我が家の猫たちと喧嘩もしていました。私は、そんなブーをたしなめるつもりで、当時から小言を言うのが常でした。
そもそも、私がウーの出産の後、すぐに避妊手術をしてもらったため、ブーは自分の役目が果たせなくなり、よそに出向かねばならなくなり、多数の猫を飼うA家に出入りするようになっていました。だから、食事を我が家でするにしても、A家までの約200mの道のりを2往復ぐらいしていたのです。それだけでも大変な苦労です。

彼が8歳になる頃から衰えが目立ち始め、左目を潰してしまってからは、たぶんネズミの捕獲も困難になり、いよいよ人から餌を得るしかなくなったとき、私のもとに戻って食事をするようになり、やがて我が家の中に定住するようになりました。白猫二匹とは対立していましたが、ブーには耐えて怒らぬよう努めさせたので、やがて違和感ある中にも居場所を見出すようになり、昨今ではシャンと仲良く連れ立っていることもしばしばでした。

そんなときに私は、虐待の言葉を浴びせ、それがもし彼に理解できたとしたら、深い絶望感を与えたことでしょう。なんせ、彼は身元が神獣なのです。万事見通す第三の目を額に持った神獣として夢に出てきたのですから。また、私の親父の再臨のような感じもして、親不孝を知りつつ虐待していた感もありました。

親父ならば、晩年は医療機関にかかることが多く、私に医者に連れて行くようねだっていたような気もするのに、原則論を立てて、自力で治そうとするぐらいでなくてはいかんといった叱咤もしていたわけです。しかし、膀胱炎などのしつこさは、私ですらも克服困難でしたのに、猫のブーにそんなことができたでしょうか。ブーは一生懸命に、尿道口を舐めて、自分なりの治療の努力をしていたことを何度か目撃しています。

そしてとうとう、彼は私の無慈悲な言葉に、すべての希望を吹っ切ったか、あのときふと穏やかな表情を見せたのではないかと思います。そのすぐ後、私は買い物に出て、その間に彼は家から出発していきました。

次は、彼が出て行くときの監視カメラ映像の写真です。

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枯れた老木の横でしばし座っていました。
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石段の上に座り直して、しばらく瞑想しているようでした。
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上の車道に出たところです。
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こんなときがあったのです。もう一匹の白猫はシャンです。ともに食事をしているところ。
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もし、ブーがいたたまれなくなって、ここを後にしたとするなら、私は40代に”たま”というメス猫を同様の目に遭わせてしまった二の舞を演じてしまったことになります。⇒ 「たまとしてうまれ」
絶対に二度とそのような不義を為すまいと誓ったことも、いとも簡単に破ってしまう自分に、がっかりしました。
心の中でいくら叫んでも、日頃の訓練のなさがこのような悲劇を招くこともあるということでしょう。
体主霊従のおろかさは、結果が予測できるのに、嵌り込んでいくもの。
私は肝脳地にまみえてもおかしくない不祥事の結果を、心の苦しみとともに享受しています。

ブーよ、もしまだ里心あるなら、どうか戻ってきてほしい。
もうこんなことは絶対にしないから。
そして医者にどんなふうにしても診せて、最善をつくしてもらうから。

うちの猫たちの最近況をお届けします

四神獣別天に輝くという新神話の行程がどのように顕現するのか、全員揃って別天移行がかなわなくなったとき、いったいどうなるのやらまったく五里霧中となったようなことでした。ところが、五月雨式に移行するという手順のあることを見落としていたようなことです。
青龍がこの5月に移行し、白虎が10月に移行。それぞれに新時代への遷移の功績を携えておりました。
次は最終、朱雀(私)の番です。それがいつになるかは分かりません。ただそのときには、黄金時代の兆しがはっきりと見えるはずです。
かごめ歌によると、それはいついつ出やるとのことなので、五月五月となって、朱雀は2011年3月かも知れません。準備しとかなくてはと思いながらも、なかなかです。
我が家には、白虎フーの忘れ形見の三匹の子猫が元気にしています。まだ生後二ヶ月足らずながら、体重1Kgで、高さ2m以上から過って落ちても平気です。すでにチンとシャンが落ちています。さすが虎の子。
では写真を。
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ちょっと休憩


なぜかこの曲を聴くと、心の奥底の琴線が揺れて、泣けてしまいます。
過去世でドイツにいたのでしょうか。
そんな詮索は野暮というもの。
いいものはいいのです。
だってウーまで、隣室で子供の世話をしていたのに、こちらの部屋の上の棚に上がって、聞き入りながら寝てしまっているのです。
野暮とは言いましたが、私にはこの曲のもと、将校服で踊っていた記憶があるのです。