8月4日の夜9時過ぎでしたか、私がPCの前に座って居眠りしていたときに、いきなり右足の中指に火傷をしたときのような熱感が走ったのでした。見れば、10Cmほどのムカデがたたたーっと去って行きつつあります。ウワーッ、コノヤロメーと、ムカデ退治に使っていたキンチョールジェットを探している間にいなくなっていました。
さて、ムカデに咬まれたことが明らかなので、傷がどうなるか見ていたのですが、熱かったのはあの一瞬だけで、何の腫れも生じませんし、痛んだりもしません。ちょっとムヒだけでもと塗っておきましたが、不思議なことに、蚊やその他の吸血昆虫にやられたたくさんの痒み傷がまったく痒みを催さなくなったのです。
これはいったいどうしたことでしょう。
私はキモ悪くて、見つければ殺しているのですが、ムカデはスサノヲ神の眷属なのです。
蚊やノミ、ダニなどは邪神によって吸血を条件付けられた者たち。これらに刺されると、ひどい痒みと不快感に苛まれます。その虫害の差は、表立った評判と違って、著しいのです。
むろん、初めてのムカデ咬傷ゆえ軽く、二度目以降がアナフィラキー症状が出て怖いのでしょうけど、このときのムカデを、居眠り注意をスサノヲ神が与えてくれた伝令として感謝することにいたしました。
カテゴリー: だるまさんがころんだ(猫関連)なのだ
やはりこの庵には河童がいる?
本日の午前10時頃のこと。先日壁鳴りのあった仏間の北側で、異様な電磁音ともとれそうな「ガーガー、ガーガー」という不揃いな音が一分間ほど鳴っていたので、私は「おい、誰かいるのか?」と音源のほうに問うと、音は鳴り止んでしまいました。先日の壁鳴りは南側の壁だったことと、音程も異なり、カラスやガチョウのするような低音。セミにもこんなのいないはず。残念ながら、鳴り止んでしまったので、ビデオ収録ができませんでした。
その場所は神棚の上横でもあり、うちのウー(メス猫)が昼寝する場所にしていたのですが、最近は居心地がどうかなったのか、他を探してばかりいて、ようやく納戸に居場所を定めたところ。妙な音がしたとなら、猫といえどもキモ悪がりますよね。
この界隈には狸や狐がいることが確か。何でもいいから化けてやれというわけなのでしょうか。
どうもアザーズの世界(こちらの現実世界と並行して走っている、性質の異なる世界(いわゆる妖怪の世界))からのコンタクトのような感もあります。何の妖怪(用かい)どこが怪異(痒い)のと案内を出していても、こちらの世界からの便りはほぼ皆無。なるほど、妖怪の世界からのほうが、はるかにトラフィックがあるというわけです。
でも、「フニヤフニャ・・・」や「ガーガガー・・・」では意味が分からんのよね。ちょっと夢にでもでてきては如何。言葉が分からなくても、今までいちばん通用しているコミュニケーション法なのでね。
超常人奥人の超常略歴
私の超常趣味は、生い立ちからして変な具合だったことから嵩じたような感があります。
そこで、超常体験と超常系活動に限っての略歴を披露させていただくことにしました。
人によっては、こんな程度ではすまないという豪傑もいらっしゃるとは思いますが(たとえばUFOの坂本さん)、恥ずかしながら及ばずながらも掲出させていただくことにします。
https://shinwa.nomaki.jp/caree/rec_okundo.html
※漏れた項目、忘れていて思い出した項目は後ほど追加してまいります。
身体のケアーは自然任せ
昨日は自治体が薦める健康検診で指定の病院に行き、基本的な検査(尿と血液)をしてもらいました。
病院行くのは、足が腫れ上がってリンパが汗腺からも流出するようなことになって、びっくりして大病院の皮膚科に行って以来の快挙です。五年前までは、心房細動で用もない治療費名目の出費を重ねましたが、無意味どころかむしろヤバイと分かって以来、内科系は受診していません。皮膚科には水虫で我慢できず行って、いい薬をいただけて助かりましたけどね。今回の検査も、受けていなければ介護保険料が割高になるとかで、渋々だったんです。
さて、検査の結果は、ただひとつ悪玉コレステロールが非常に高いとのこと。189もあるので、再度精密検査しましょうと、上手にOKさせられてしまいました。昔はしょっちゅう計っていて、230以上はたいがいあって、すでに15年くらいは経てるんですがね。
期待した糖尿は出てないとのこと。おいおい、それではあのハルンの泉にやってくるミツバチたちはいったい何を目当てに・・・ああ、もしかしたらロイヤルゼリーが出ているのかもね・・・太陽神ルシファーの雛形もしてますから、身体は王室クラスなんですよ。ああそれでなのか、イノシシが泉の下に何があるのか調べようとしてか、掘り起こして穴ぼこにしていたほどなのです。すぐそばにジャガイモが植わっているのに、手もつけずにですよ。ミツバチの飼い主は近所のKさんで、一箱から初めて、元気がよくていま二箱だそうです。ハルンの泉にどうぞいらっしゃい。
ミツバチといいイノシシといい、いずれも超常的です。
病院はもう御免というのも、ふたつ理由があります。
ひとつは、病気になるからです。検査して判明したからと、病名がつけられたときから病気になるわけですから、病院に行って初めて病気になるわけです。それまでは元気なのに、以後通院の習慣がついてしまうわけです。病気になりたくないなら、迂闊に病院に行かないことに限ります。それをマスコミ宣伝であたかもいいことのように言っていますが、とんでもない。
もうひとつの理由は、私は生きるも死ぬも、自然任せにしようと決意しているからです。山に篭り、いますぐ死ねばかねがね言い聞かせているように、猫たちが肉を食べてくれる手はずで、死して捨身飼虎することになります。フーなどは待ちきれず、私の足指を鼠にわざと誤解して夜中に襲ってきますから、まだわしゃ生きとる、早いと叱りつけています。ブーなどは私の右足を早々にキープしたと、風呂場に入ろうとするつど頬をすりよせてきますから、かわいいものですが、風呂に入ろうとする私をじっと見つめているものですから、どこ見てんのよとついカマっぽく言ってしまいます。
生きるも死ぬも自然任せ・・・
私には、かつて祖母が親身になって、拝み屋さんに拝んでもらって、いただいてきたいくつかの託宣があるのですが、その中に、この者は一生食いはぐれることがないというものがあります。私は、このような大事な神聖な宝は、自らの不注意で毀損することのないようにします。親身になって考えてくれた祖母や神様に恥をかかせないためにです。
厄神さんに元旦にお参りするようになったのは前厄の年からでしたが、それまで事故だらけだったものがぴたっとやんだのは超常的でした。よく振り返ってみれば、ちゃらんぽらんに動かない、目の前のことに集中して事に当たる、を励行したからでしたが、そのわけはひとえに厄神さんに恥をかかさないためにという思いからだったのです。無難をお願いに行っておいて、無難でなかったら神様に申し訳ないではないですか。むろん、それだけでは当然なかったほど超常的な難逃れも何度かありました。だから神様に確かに守ってもらっていると確信しています。
一生食いはぐれがないとの神宝についても、この先、国家破産、ハイパーインフレなどが見込まれると確信が持てたなら、わずかな金を増やそうとか保全しようなどと考えるより、食べていける下地を作るほうに力をかけます。そして、もしそれで食尽きたら、そこで寿命と腹をくくる。私には育てるべき人間の妻も子もいませんから、なけなしの仕事を探して稼ぐつもりもありません。金が尽き食が尽きたら、それでお終い。もっともその前にポックリ逝くのがよろしかろう。動脈硬化で血栓作るなら、なまじ下手なものを作らずしっかり作れと身体に言い聞かせています。公衆にとって死体が臭くて見苦しいなら、焼いて灰にしてその辺に撒いといてもらえばよろしかろうでしょう。昔は死んだら野辺に転がっていたのですから。灰にまでなれば、玉手箱の煙かぶった浦島太郎の英雄ものです。猫たちが残されますが、私を食べ飽きたら、野生となるか、それとも共に参ろう大五郎となるかでしょう。
私の身体のケアーについては、自然任せです。気楽この上ありません。
巷の噂では、米国が人口削減計画に着手したとか。
日本もやがて追随するようなことでしょう。
ノストラダムスは、大きな七が小さな七になると言っていた様な。
でも、いいではありませんか。
アセンションを字義どおり果たせるんです。
ありがたやありがたや・・・・・・。♪♪
しかし、日本だけは助かって残るという話もあります。
日本よりも白人種の彼らのほうから先に削減するような話ですね。
もう始まっている米国。
崩壊するバビロンは日本ではなく米国だったとか。
アングロサクソンミッションとやらはどうなるのでしょう。
秘教組織も徹底できない何かがある。
それは、日本こそが・・・だったから、とか。
メルヘンですね。ポエムですね。
私もそれに対して少しばかり貢献できたかも知れません。
こんなのあからさまにしちゃったから、
秘教組織も手出しできなくなったかも。
その昔、行方知れずとなった総本山がどこか捜していて、判別ついたのかも知れません。
それとも、ふぐりさんが日本守護のウルトラマンだったことが判明したから?
まあそんなことは、どうでもいいことです。
私の食は2012年末までで尽きるからで、泣いても笑てももう二年。
心房細動歴15年。ようここまで持ったものです。これも超常的。
まあ、せいぜいがんばってください。
ごいさんへの書き初め
信頼のおけそうな今年の観測(予想)が出ていました。
https://eagle-hit.com/
2010年大観・上半期と下半期という記事がそれです。
マスコミの流す楽観的観測に対してとても悲愴的ですが、こうであろう、これに近いだろうという思いです。
宵越しの金も命も持つつもりはねえ、という方はいちばん安気な過ごし方ができそうです。
ただ子孫たちもそう思ってくれたらいいのですが。
私もごい60年生きて、ゲップとしゃっくりが出ていてもういいのですが、子孫たちにどう言って聞かせようかと。
森野ブー、フー、ウーのことです。
といっても、猫たちはその場その場が喜べたらいいようで、ニャーかゴロゴロズーズーとしか答えてくれません。
むしろ、猫たちから生き方を学んでいるようなことです。
今年もおめでたく、悲愴観を笑い飛ばしましょう。