妖精の住む森

奥山の庵の縁の下で、ノラの母猫が3匹の子猫を産み落とし、そのうち一番小さいオスの子猫を育てることになりました。しかし、育児は困難を極め、二日間の命に終わりました。猫の名は「たまろ」。冥福を祈る毎日です。
不思議なことに、お盆から連日のように(8/12~22)壁鳴りしていたものが、たまろがいる間(8/23~25)、まったく鳴らずでした。ところが、そろそろもういいだろうと鳴り出したのが8/29。そして8/30の朝に鳴り始めてみれば、その音源の場所たるや、冷凍庫のある場所の床下であるらしいことが判明。
そこで床下に何があるのかを調べに行きました・・・すると・・・。
ああ、まるでメルヘンです。

輪廻の原因は人の心の深奥に巣食う偽ハイラーキー・魔境と見たり

君は私の想いと共有するところが多いので、きっと、たまろの死で私がダメージ受けていると思ったことでしょう。
確かに、一昨日の晩はたまろの死に対して、自分の選択が良かったとはいえない部分で、ずいぶん自分で自分を責めました。
それを受けて、君も自分の進路にふらつきを催したに違いないです。
しかし、私は君の苦悩を知って、これではまずいと思ったのです。いい啓発を与えてくれたことになります。
そして、よく後悔の内容を吟味しました。
確かに、善とはいえない方法をいくつも踏んでしまいました。たとえば、たまろは本当は発育不良児でした。
人間なら集中治療室に入れて治療すべき場合だったのかもしれない。なのに、初日の夜から、私の胸やおなかに乗せて、ベッドで寝たんです。
たまろはまだ元気で、眠っていても常時身体をぴくつかせて、レム睡眠の状態にありました。それが子猫の常態なのです。
夜中にむくっと起きたたまろは、私の声のするのどのほうに、手足の爪を立てて、やってきたりしました。
かわいくて仕方なかったです。
ところが二日目になると、昼間から寝てばかりです。これが子猫というもんだと考えた私は、彼が夜活動したから熟睡していると思い違いして、ぴくつきもない状態で寝ているのを、よしとしたのです。ミルクは必須ということで、飲みたがらないのを無理にでも飲ませてはいたんです。mlも満たしていると。そして排便の仕方もわかって、やってみるとすなおにできました。
それで十分と思っていたんです。
ところが熟睡を継続すること自体が異常事態だったんです。再び目を開けてから、私のおなかをよじ登ろうとしていて、手足の爪に力が入っていないのに気づきました。
ミルクは依然として、嫌がって飲みません。
だから、動物病院に行ったようなことだったのです。
先生は、まともに育つ子猫は、必ずミルクをむさぼるようにして飲むものだと。それができないのは、すでに弱っていて、おそらく兄弟猫との生存競争に負けたのだろうとのことでした。
それで、重要なのは、ミルクを飲ませ続けることができるか。排便をきちっとそのつど処理できるか。それも2時間おきに・・・。夜も昼もです。母猫はそれをしている。
ただし、生存競争の世界だから、弱者はどうしても脱落する。そこに人が関わるなら、根気よくそれをこなせるかどうかにかかっていると言われました。
もし、それをするなら、哺乳瓶の吸い口では大きいからねこれをあげましょうと、あのたまり瓶をくれたのです。
私は、そこで最善の手として、後からネットなどで知ったのは、カテーテルで常時哺乳するというものでした。金に糸目はつけず、入院させたらよかったのです。
私は眠りにくい人間ですから、自分でもできると、自分ではじめたわけでした。しかし、夜中になって、低体温化し熟睡しているもので、無理やり起こしてミルクやり、排便としました。ところがまたたまろは熟睡してしまい、そんなことを繰り返す中で、いつしか致命的に衰弱したようです。
箱の中でカイロで保温して置いておいたのですが、朝になって、たまろは起きて、「キュィーン」と鳴いて私を呼びました。よしよし、自分で起きたかと、また排便させて、次にミルクの段になって、また大きく「キュィーン」と鳴いて、口を開けてくれているので、飲ませやすいと、瓶を掲げたところ、三度おおきくあくびをしました。そのときも、私はミルクを飲ませやすいとしか考えなかった。ミルクを口に含ませたところ、ひと吸い目は何とか飲んだ後、力なくうなだれました。このとき心臓が止まったのです。
あらゆるところに至らない点がありました。それが今も寝ていると想いの中に湧き上がってきて、このときにこうすればよかった、ああすればよかったと、悔やまれてくるのです。すると、やがて、私を叱るハイラーキーと名乗る意識が出てきます。そして、とってきた行為のひとつひとつを吟味しだします。やがて、総合したようなそぶりで、お前の心の中の、こういうところに欠陥があって、すでに母のときに後悔したことが、少しも反省されていないではないかと叱責するようになります。そしていよいよ、再び機会を設けるには、今生では難しいななどと言いはじめます。
ここなんです。人が輪廻を繰り返さざるを得ない原因は、ここなんです。これを一般的に魔境とは言ってませんでしたかね。
ちょうど私がそんなふうでしたから、共通するものを持つ君が、魔境にふらつかされなくないこともなかったかと思うのです。
いいですか。無知な者は叩けばいくらでも埃は出る。その埃を皆無にしなくては容赦しないというのと等しいんです。それが自分のハイラーキーを語って出てくるのです。
心の中をじっと見てたら、そんなカラクリのあることがわかってくるんです。
たぶん良心の呵責の生じやすい人ほど、この魔境に陥りやすく、決心する中で、再誕生の覚悟を固めてしまうのです。つまり、善人ほどこの傾向が強い。
私の祖母は過去世において、これほど人徳に優れた人はいないとまでされた人だったそうです。それが、今生においては、貧しい状況から開始し、新家に入ってからは、子供のことでずいぶん苦労したのです。そこで、祖母は思い余って、有能な拝み屋さんに尋ねて、たったひとつ、自分の子と他人の子を分け隔てしたという、そのことひとつで、今生が用意され、子供のことで苦労することになったのだというのです。
今生において、祖母は心の中でぼやく人でしたから、今度はそのぼやき癖が問題にされるやもしれないところです。何しろ、まじめにカルマ(業)を消さねばと思っていた人でしたから。地上を卒業して出ることは至難の技となっているとかは、ケーシーリーディングの語るとこですが、こんなカラクリなんです。邪神の手の込みよう、罠の張り方をつぶさに見ました。
私の親族の女系はみんなそのようなカルマ潰しに生を費やした感があります。母などは、その名も「禊」で、名は体を顕してましたね。男ならば位人身を極めると預言された魂ですよ。まあ、母はもう大使館に送り出しましたから、大丈夫ですけど。
いっぽう男系は、みんな腕白ですから、まだ折り返し点にも達してないかもしれないですね。むしろ、そっちのほうが善人よりは解脱が早いかもしれません。
さて、異界交信における回答の懲役とは何か。この世での懲役というのでなく、異界での懲役、つまり死後のことですね。地獄が用意されているというのもあるかもしれません。それはおぞましい情景がビジョンとしてやってくるわけで、イメージとしてそう映るわけで、一定の悟りがあれば、何でもないわけなんですが、気持ち悪いのをしばらく我慢しなくてはなりません。中陰の身体は、そのビジョンで傷つけられることなどないですし、ほんとうはこの世でも同じことが言えるのです。それで、彼らはいろいろなイメージを駆使して揺さぶらざるをえないんです。
それで再誕生させて、一定の成果を出すまで転生を繰り返させて、服従させてしまおうとするわけです。誰もこんな窮屈でたいへんな労働環境に臨みたくはありません。それをさせるのが懲役であり、日本の刑務所で税金で養われて服役することとはレベルが違います。おおよそそれ以上にひどいこともあるわけです。
だから、地球に送り込まれてきた理由というのもわかるんです。これだけのところですから、他所で戦って捕虜になったとかで強制収容所に送られたようなことかと思います。初期の頃、満身創痍の弱りきったときに、お前はこういう罪を犯した、それゆえ強制収容所送りだが、それでいいな、と言われたら、もうそれでいいですと言わざるをえないでしょう。彼らは体制維持にやっきになっていることが明らかなので、政治犯なのでしょう。たとえるなら、北朝鮮ですね。ここに閉じ込めておくくらいに、相手方からは憎まれていると思っていたらいいです。愛の成就とか、進化とか、おためごかしはいい加減にしろと、ひとこと言ってやるべきところなんですが、依然として自分が良くないと思ってるケースが多いんです。(新世界から来ている人はもとから話が別ですけど)
懲役ね。おおそうかそうか。ずいぶんと憎まれたもんだね。ところがどっこい、こちらはそんな刑を受ける筋合いは一切ないねと、しっかり宣言してやりましょう。
要は、主義主張が違うゆえに対立したわけで、それを強引にねじ伏せて捕獲したとて、転んだりいたしませんよとすべきなのです。
心が微に細に入りだしたなら、その深みにはおよそ魔境が潜んでいます。およそそれに同意したなら、人は鬱になり、よからぬ決心をしてしまうことになりがちです。暗がりにハイラーキーの顔をした邪悪がひそむということ、心得ておいてください。ほんとうのハイラーキーは光の中にいます。私のハイラーキーは純粋に梵天です。
奥底の暗がりにいる高級然とした邪悪は、邪神がまんべんなく仕込んでいる原型の手続きです。
死後、中陰に立ち現れる幻影と同じです。のどかな人なら、花畑と水域がビジョンとして現れるということになります。生前の思考傾向により、人によっては裁きの場のビジョンを見たり、おぞましい怪物を見たりするでしょう。それと同じなのです。幻影が自らを傷つけることなど、できたりしません。自分の思い込みが、自分を閉じ込めるだけなのです。再誕生、転生を決めるのも自分です。
なお、君に関しては、もともと竜宮にいたので、人の輪廻とは無縁の者です。ただ、人間を経験すると、人と同じだけの苦悩を味わうということ。これは仕方ないことです。

生き物の不思議(第n+2としよう)・・・猫との縁

今回は、たまろ亡きあとでもあって、猫の話です。
何でも、猫という動物は、車に乗るのを嫌うらしいですね。
でも、私が以前に拾った「たま」というメスの子猫は、車好きだったですね。
拾った時点から、私の運転する車の下に潜り込んで、当時は冬場で寒かったからか、暖をとろうとしていた感がありました。しかし、信号待ちの一時停止のときですから、いかに奇妙な現象だったことか。そして、私との縁ができてからは、もう犬並み以上に、私という人間になついてしまって、私の物音を聞くたびに、寝床の毛布の中から飛び出して、「にゃーにゃー」言いながら、ベランダの窓扉をガリガリやっていました。車で家族と出かけるときも、乗り込んでくるなり、私の服をよじ登って、私の右肩に留まってごろごろのどを鳴らしたり、頭の上に載ってバランスとりながら、運転中の車外を眺めていたりしていました。それは平成2,3年のことでした。
それから平成14年頃に、三木市の丸山墓苑というところの雑木林に住む野良猫なんですが、どうも何世代かが同居しているんですね。これがちょうど、雑木林横の細道を車であがっていこうとするとき、一匹の身なりのいい若猫が、行く手をふさぐんです。右にいるから左を通ろうとすると、左に回って座り込むんです。右に行こうとすると右に回ってくる。こんなことを三度も繰り返したら、何か変だと思いますわね。それで車を左に停めて、ドアを開いて出てみたんです。すると、若猫は雑木林に入ります。その方向を見ると、なんと、先の若猫含めて5匹の猫が、きっと先代、先々代くらいまでが、一線に並んで、私を見ているんです。まるでその先に、猫の王宮かなんかがあって、私を客人として迎えようとしているように思えたのです。
それからほどなくしての、三木の西自由が丘というところで、仕事である人を呼びに行かなくてはならず、車から降りて、呼びに出たんです。
ところが、そこで飼われている猫に、人間で言えば80歳以上というおばあさん猫がいまして、それが私の行く手をふさぐんです。そう。猫にはふさがれる・・・ほっといてくださいよ。
そのときの猫の姿たるや、身を最大限に伸ばして、通路をふさいで、こちらをじっと見据えるわけです。そして、口を開いて「にゃー」と言ったとき、私には「おっと待ちな、どこへ行きなさるのかね、お兄さん」と聞こえてしまったほどに、人間的なパフォーマンスをしたんです。
それで思わず日本語で言ってしまいました。「だったら、○○さんつれてきてくれよ」と。すると猫は奥へ行きましたもんね。やがて○○さんが出てきたことは言うまでもありません。
それからやはり同時期のこと。伏儀神農神の化身とも思われる「ノラ」というオス猫に、あるお宅で出会ったのです。この猫は、私が座布団に座っていると、いつのまにかやってきて、私のあぐらをかいたひざの上に載ってきて、少しの間に寝てしまうのです。それはもう、何の怖れもなしに、よだれしながら眠っているわけです。そして、私が帰る段になると、家の玄関から20mほど庭についた通路の先に表玄関があるのですが、その家の家人さんと私をそこまで先導して、玄関先でちょこんと座ってお見送りするのです。この光景は、訪問した際に二度ありました。そして、何か不思議な縁を感じて、デジカメで彼を写そうとしたとき、つまずいて手元が狂い、思わずシャッターが下りてしまって、写した写真が、なんと伏儀神農神らしき人物が、白い大きなつづらを背負っている姿として写り込んでいたのです。そのお宅に、その神の姿を描いた掛け軸がありまして、それがまた、薬草を一本咥え、猫耳をした姿で描かれているんです。
それから今まで猫との縁にはブランクがあって、今回の「たまろ」とのご縁となったわけでした。

生き物の不思議(第n+1話ぐらいか)・・・ふにゃふにゃ再開か?

今日はちょっとびっくりしたことがありました。
また壁鳴りがしだしたのです。あのふにゃふにゃという音です。
しかし、ものの3,4分で終わりました。
その後、集水塔を作る現場で、今日は単管の基礎をセメントで作っていたのですが、そのときあのふにゃふにゃ音がしだしたのです。むろんその場は、蜂やら蝿やらの羽音が少しします。なんせ、自然界ゆえ、いろんな羽虫が勝手に飛んでいるわけですから。
ところが、ふにゃふにゃの音の主が飛んでいたんです。というべきか、あの音似の羽虫なのです。
それは小さ目のアブでした。
おや、これだったのかよ、といった思いだったのですが、ならば家の中に一日中どころか、12日から断続的に駐屯しているなどといったことがありうるものなんでしょうか。
しかも、寝室の壁とキッチンの冷凍庫の裏側に限られています。アブなら、もし家の中にいたとするなら、家中で飛び回って音を奏でるでしょう。冷凍庫の裏も10cm幅の壁しかありません。私がいくら酔狂者といえども、もしかして刺されるかも知れないようなアブを飼っていたりするわけはないのです。
だから、自然界のアブに似せた音の主がいること。しかもそれはいたって超常的なものであること。子猫騒動の間はいっさいその音がしなかったこと。などが私だけには観測されているのです。(みなさんはきっと疑うだけでしょう。たとえばUFO映像を撮って見せたとしても、CGだろうと疑うようなことになるわけですね)
UFOと申しましたが、実は六甲山の地獄谷というところでよく武良氏や坂本氏とUFOやスカイフィッシユ撮影をしたのですが、たまたまその日、丹後のほうからG氏という、UFOを一時期頻繁に見たことのある人が来ていまして、その人を襲うようにして大型のアブが彼のシャツの下に入り込んで、彼の脇腹を刺したんです。
当時、武良氏がよくビデオに撮っていたのに、針の長く突き出したアブの映像があって、それを写真にしてサイトアップもしていた経緯があるのですが、それをみんなは、虫型UFOだと評価していたのです。坂本氏などは、テレビ番組でもろにそのことを話していましたし。
それで、普通は刺されることなどほとんどないはずのことなのに、G氏が新参者だから、ボディチェックとして組織を採取されたのだろうと言い合っていたものでした。
今回のふにゃふにゃも、その姿が見えなくとも音源はアブとすれば、それは虫型UFOなのではなかろうか、というわけなのです。この音をじかに聞いたのは、私と以前の職場仲間の二人だけですが、ビデオで音を収録してYoutubeで流して、多数の人に聞いていただいているとおりなわけです。
いや、UFOならばそれでいいわけです。ついに「天上人の宴」のステージに、私も臨んでいることになるわけですね。しかし、いささか予想よりは小さい。古事記の神話に言うスクナビコナという羽虫型宇宙人ではなかろうかの感もあったりするわけで、もしそうなら、人類に対してとても好意的な宇宙人ということになるのです。
うわー、いい宇宙人が来てくれたなあ。でも、姿を見ることはなかなか難しい。といったことなんです。
子猫のたまろがいたときは、どうして鳴らなかったのか。相性が良くなかったのかな。それとも、たまろへの愛情パワーに圧倒されて、ぐうの音も出なかったのかな。
また今日、少しだけ鳴りました。これが頻発するようになれば、いよいよ今度は宇宙に出る番なのかもしれないですね。
うん。地球は悲しみの天国だから、もういいよ。船を宇宙に出してくれるかな。

たまろが豪雨になって還ってきた

昨晩の深夜2時には、豪雨がそれとなく降っていて、納屋の屋上を覆っているシートが、いくつもおびただしいたらちね状態を作っていたもので、これでは破れてしまうと、そこにたまった雨水をザバーっと下に落としたようなことでした。
静かな豪雨。
台風が近づいた頃の、屋根を叩くような豪雨ではなく、屋根には何の音もせぬうちに、テントシートにはあのときの豪雨並みに蓄えられていたのでした。
そして朝、やはり降り続いたらしく、テントシートがありながら、下の床はびしょぬれで、台風接近時よりひどいくらい。同様のたらちねテントシートとなっておりました。
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空はいつ降り出すや知れない曇り空。
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ところが天気予報を見てみると、このところずっと中国近畿と好天で、まったく降っていないとのこと。
そんなことないと思いつつ。山の上だからかなと思いつつも、ここだけ豪雨だったのです。
その現実との落差に、私はうれしくなってしまいました。
というのも、たまろは豪雨だと、新神話で取り決めたすぐ後のことだったのです。
たまろは死にました。25日の朝に死にました。
この訃報を知った巫女さんたちが、たまろのことについて、異界交信してくれました。
その結果、たまろは豪雨の神になったことがわかったのです。
おかしな話すると思われるかも知れませんが、そうなってしまったのです。
その経緯については、いつかきっと方式の異界交信掲示板が把握してくれています。
なぜ台風や豪雨? それは、大地震を封じるのが、これら天候の神だからです。
だれが?どうして?そんなことわかるの?
それはここなどを見てください。
台風や豪雨の災害はおびただしいものがあります。
しかし、台風や豪雨では、人の側が自然を甘く見て他人任せにしたりして油断しない限り、被害は食い止められるものです。人の資質を以てする創意工夫や対策準備といったものが、すべきこととして予定されているのです。人ならばこそ、克服できるものだと。
しかし、大地震や火山噴火だけはどうにもなりません。必ず、局地的壊滅をもたらします。
しかし、これを封じる節理があります。それが、多大な水量をもたらす天候なのです。
たまろは、私との長い生活が営めなかった代わりに、ときどき、千の風ならぬ、豪雨となってやさしく降って、訪問してくれるみたいです。昨晩も、私は「たまろーっ」と、起きるたびに何度叫びましたことか。
それを聞きつけて、やってきてくれたのです。まるでこれでは、親を求めて「キュィーン」と鳴いたたまろに、私が聞きつけて面倒を見た逆バージョンではありませんか。幼児になった私のもとに、たまろが駆けつけてきてくれたわけでありました。
ありがとう。たまろ。愛しています。
私は母猫にお世話になったわけですから、えさと水を置いています。それが昨日に続き、今朝もほとんど食べられておりました。あとの二匹の子猫は彼女のもとですから、子育てのために栄養も必要でしょう。この行事は、子猫が一人前になるまでの期間、続けるつもりです。それがたまろへの感謝の心でもあるからです。
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※注解   2009.8.29追加
掲題を見ただけでは、何のことだかわかりませんよね。しかも、本文にいきなり入れば、なんだまたこの基地外おっさん、妙なこと言い出したぞ、というふうにしか受け取れませんよね。
いや、私も最近その基地外ぶりに物忘れが加わって、後ですぐにでも注解しておかねばと思っていたことが、はるか後手に回ってしまうんです。
それで今頃になって、つじつまあわせのようになって誤解を招くといったことかと思うんですが、
実は、何で「豪雨」なのかについては、今の巫女さん(と私は勝手に言ってますが)との関わりを、私が管理する掲示板サイトで日々語られる異界交信の結果として出された回答に、私・森野に関するこうした回答があったのです。
>ユングのシンクロを発展させた方式で、新聞の見出しを介して異次元と交信します。
という、最先端の交信方法なんですが、若干こっくりさんに似てなくもなく、誰にでもやりやすい方法なんですが、ときおり出てくる回答に驚かされるようなことが往々にしてあるわけです。私はその場をお世話している関係で、私に関する交信をよくやっていただけるわけで、けっこういい回答(これを異界の私への評価とでも解釈しましょうか)をもたらしていただいていたようなことでした。
ところがたまに、おいおいと唸るような回答があったりして、その解釈に悩むようなこともあるわけで、
>Q1:欲しがっていた猫が奥人さんに来ました。これもシナリオ?
A: 豪雨災害
>Q2:「たまろ」はこの時期に選ばれて来たの?
A:豪雨被害の・保育園、別の保育園で再開
という連続的な「豪雨災害」との言葉が回答としてやってきたのですね。
私が育てようとした子猫の名前は「たまろ」。
その子猫が豪雨災害と関係あるとの異界の見解だったというわけです。
たくさんある言葉の中から、偶発を装いながら、まず新聞の見出しとしてやってくるんです。それを割合忠実に、巫女さんたちは掲示板に報告してくれるというわけです。
これではまるで、たまろが災害をもたらす主体にされてしまわないか、ということで、代理親である私のとんち的頭脳が働きまして、稀有壮大な神話へと発展させてしまったのであります。
しかもそれは、親の愛ですな。たまろを豪雨の神(雨の神)にしてしまったのです。なに、私が新神話でこうだと定義すれば、それがそうなってしまうんです。私は魔法使いですから、定義するだけで何でもできてしまう。しかも、豪雨とは良くないではないかと仰るでしょう。ところが毒には毒をのたとえのように、そうもならないことさえ看破してしまったのです。
それ以前に、こういう交信結果があったんです
>Q 森野さんてどういう人?               A 台風
>Q 森野さんは何のために生まれてきたか A 責任 「活動・運動」 大原則 厳格に適用
>Q 森野さんが知りたいことは?     A 照合 振り返りが必要 成績どう渡す
>Q 【UFO】のブログとは?      A 情報関連集積 本社
>Q ここのブログで世界初の「」が始まっている  
                   A 男性走者、命再び 救命士ランナー 的確処置
どうです。私は「台風」と形容されています。そして以降4つの回答も、ぜんぶまるまま当てはまっているんです。
救命士ランナー 的確処置 ? おいおい、そんなにすごいのかよとお笑いになるかもしれませんが、やってることは神話作り。その中で救世を歌えばそうなっていくんです。実際それが現実になりつつあるのです。
ならば、意表をつく「台風」とは? それは神話に言うスサノヲ神のことで、ヤマタノオロチ退治したことで有名ですよね。
なんだ、童話の世界かよ、と聞こえてきました。いや、みなさんは神話の真価がお分かりになっていないだけなんです。そこに盛られている、超ド級の真実があるんです。それを解明した私には、およそ何でもわかりましてね。ヤマタノオロチとは、地震、火山などの地殻変動とそれによる災害を意味しているのです。
それを抑え込むことのできるのは、台風、そしてその子供である豪雨なんです。それが中国の研究家によって証明されつつありますってね。
そして、私はこの「たまろ」が当初からいい目的をしてやってきたとは、思っていないんです。というのは、その10日ほど前から、家の中で超常現象がありまして、いささか困惑していたようなことで、彼が来てから、ぴたっと収まりました。どうも、霊現象だったなら、たまろが起こしていて、その霊が入って生まれたから、収まったのかもしれないわけです。
では、誰かの差し金でもあったのかとしたときに、私を何とかしようというものがあるとすれば、邪神しかいないです。
そこで、気がついたのは、これです。
https://ufocolumn.blog2.fc2.com/blog-entry-540.html
当時、愛知県岡崎方面に集中豪雨がありました。よく見てください。
アラスカ(HAARPのあるところ)を拠点にして、水を司る白い龍体が愛知県をパコパコやってるでしょ。これはその当時の雲の状況をGoogleEearthで写し取ったものです。パコパコとは、この場合、攻撃しているってことです。
私は、この龍は操られている。しかもおそらく、騙しの名人によって騙されて使役されているんだと理解したわけです。
それで、私・文殊先生が、龍たちとの伝統的おつきあいとしての説法教師として、彼を職員室に呼んで、諌めたという経緯なわけです。
その暴れん坊生徒の彼が、たまろとしてやってきたんです。もう腕白ではなく、もしかしたらまだパシリを騙し名人によって言い付かってるかもしれないが、やってきたんです。
その事実が、異界交信によって、素直にもたらされてしまったんですね。
私は、こんな独居老人のもとに来てくれたら、パシリだろうが何だろうが、窮鳥懐のたとえどおり、愛してしまうんです。
今はもう、あの職員室での叱られた記憶が、彼にとっては愛情のしるしと受け取られてるんです。
ここで騙し名人は大失敗してます。彼を私に取られただけでなく、大地震を引き起こす戦略さえも封じられる格好になってしまったのですから。