神一厘の仕組みかミテグルマ・・・いま神世が目の前に

見える、見える。見えるぞ。

そうか。わざと騙されなすったのだ。

選民か。また選民か。もういい加減になされよと言いたいが、できることなら、これで終わりになされては如何かな。

ホピ族の神話によると

最初の人々は親という存在の神秘を理解していた。また、その原始的な知恵において、彼ら自身の構造と働き、つまり人間そのものの性質をも理解していた。
 人の生きた体と大地の生きた体は、同じようにして形成された。いずれの場合も、中心に軸が貫いている。人の軸とは脊髄であり、これが人の動きと機能の平衡を取っている。この軸に沿って幾つかの波動センターがあり、宇宙全体に原初的な生命の音を響かせ、あるいは悪しきことがあれば警戒を発する。

 人において、第一のものは頭頂にある。人類が誕生した当初、ここにはコパピ(開き扉)と呼ばれる柔らかな点があった。人は、ここを通して生命を受け、創造主と交わったのである。呼吸する度に、この柔らかな部分は創造主と交わる穏やかな波をもって上下した。赤い光のタラウバの時代、つまり創造の最後の段階において、柔らかな点は徐々に固まり扉は閉ざされてしまった。これは、人が死ぬときまで閉じたままであり、死に至って生命が飛び立つために開かれる。

ホピの預言によると

現在の世界は、まず白い兄弟たちの文明が栄える。次第に彼らはおごり高ぶり、まるで地上の支配者になったように振舞う。白い兄弟は「馬以外のものに曳かれる車」に乗ってやってきて、ホピ族が幸せに暮らしている土地を侵略する。
次に、白い兄弟は「空の道」を作り、空中に「くもの巣」をはり、陸上にも「鉄の蛇」が走る無数の線を張りめぐらす。
やがて、「第一の炎の輪」の中での戦いが始まり、しばらくすると、「第二の炎の輪」の中でも戦う。
そのとき白い兄弟たちは恐ろしい「広口びん一杯の灰」を発明する。
この灰は川を煮えたぎらせ、不治の奇病をはやらせ、大地を焼き尽くして、その後何年も草一本生えないようにしてしまう。
白い兄弟たちは空のかなたで見つめるタイオワの怒りに気づかず、ますますおごり高ぶって、とうとう「月にはしごをかける」までになる。
この段階でタイオワは「第四の世界」を滅ぼすことを決意する。その時期は、白い兄弟たちが「空に大きな家を作るとき」だと予言している。

また、そのときは頭頂のコパピを開けておけという。星に導かれるために。星とは何か。

昔に見た「未知との遭遇」をご存知か。ある特定の者だけが、あるビジョンを見せられ、それを探すようにして辿り着いた場所がエアーズロックだったことを。

同様のことがこの地で起きるのかもしれない。

武良さんが撮ったミテグルマ(御手鳳車)

それは2015年6月のことだった。
武良さん、Gさん、私の三人で元伊勢日室岳(岩戸山)の北西側に回り、武良さんはいつもどおりビデオカメラを日室岳に向けて回していて、彼独特のダウジングを試みていた。そのときGさんと私は、持ってきていたパソコンの内容を元にして話に花を咲かせていた。ピロ魂さんのアストラルボディによる岩戸山探訪のアウトプットを見せていたのである。

と、そのときだ。武良さんがなにやらパニックを起こしている。どうしたのかと彼の傍に行ってみれば、彼の水晶ダウザーがはち切れんばかりに回っているのだ。どうしたのと聞くと、「いやあ、止まらんのや」とおっしゃる。
実はその間に、日室岳から立ち昇るようにして出現するミテグルマがビデオカメラに撮られていたとみられる。
ミテグルマはしばし日室岳上空であちらの時間でゆらゆらと滞空して、どこかへ飛び去ったようだった。
ミテグルマは国常立神(トヨケ神)や天照神が行幸するときの乗り物である。
日室岳と重畳するように船体を隠していたかと思われることから推測すると、それは全長1Km以上あるだろう。

全長を推し量る手がかりはある。それが地元に残る「つなぎ石」の遺跡だ。内宮側に内宮つなぎ石があり、外宮側に二俣つなぎ石という、それぞれ高さ1mほどの石組みがあるのだ。
https://rainbow.xn--kss37ofhp58n.jp/watch/m_motoise.html
何を繋ぐというのか。なんと、船岡山が流れていかないように繋ぎとめておくのだそうな。
つまり、山や丘のように大きな船が想定されているわけである。
それをおそらく遺された二つのつなぎ石で繋いでおくということらしい。
その二つの石の間の距離は、1.6Kmほどあり、つながれる船体の大きさがどれほどか推し量れよう。
おそらく、日室岳ほどのサイズにはなろうかと思われる。

この地で1980年代によく夜間に巨大な光り輝くUFOを見たことのあるGさんは、UFOはたいてい日室岳のあたりから現れ、隣の矢部山に飛び込んでいったという。そのUFOは地元のPさんが家族ぐるみでインスタントカメラに写そうとして多くを失敗して、一枚だけ異様に感光したネガを蔵しておられた。内宮下の売店勤めのAさんも、宝船のようなものがぴょんぴょん飛んでいたと表現している。

Gさんによれば、矢部山と名づけられた意味は、昔、神々が矢を放つ的にしたのが矢部山だったからだという。
そして矢部山はそれを神体山とする外宮のトヨケ神(国常立神)の御陵でもあり、その外宮の地一帯を船岡山と呼んでいるのである。とすれば、この光り輝くこともあったUFOとは、やはりミテグルマではなかったろうか。それが昼間には、武良さんがビデオに収めて、それをキャプチャーして、私のもとに送ってくれたものと解するのである。
それをいくつか順序どおりに選んで、ストーリーを付けたのがこの推理ものの写真フローである。
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船体は鶴の形をしている。
それはGさんとともに2014年9月23日に日室岳に登頂した天台密教系修験者のM氏が言われた「岩戸山(日室岳)は鶴で、籠神社は亀。これが鶴亀の真義」の言葉どおりにもなっている。

鶴の巨大な場合は、鳳というのではないのか。とすれば、ミテグルマ(御手鳳車=異次元に存在する鳳船=鶴の形をした巨大船)のことであり、そのサイズからすれば、けっこうな人数を収容できるものかもしれない。

私はまだGさんと知り合った初期の頃、1990年代後期に、彼のすごさを基にして、SF物語「遥野不思議紀行」という作品を作っている。
https://rainbow.xn--kss37ofhp58n.jp/story/harukano.htm

その最後の8章・時を超える宇宙船 において、こんなエンディング・フレーズを設けている。

私は、上空に陽光を浴びて光る巨大宇宙船が滞空し、
何名かの搭乗員や係り官が舟の下の地上を
行き来している有様を眺めていた。
宇宙船は「鳳船」と呼ばれていた。

鳳船は、銀色の葉巻型の船体を中空に浮かせて、そこから幾筋かの
可視光の碇綱を、いかり石の前に設定された装置に照射しており、(いかり石とはつなぎ石のことです)
断続的なハミング音がするほかは、船体はその位置のまま、
微動だにしなかった。

何万年前からの技法で作られ、そして今なお最新型であるこの船、
世界各地の古文献や神話伝説に採り入れられたものが、
まさにそこにあった。

全長900メートルはあるかというその船内は、何階層にもなっており、
オリハルコンの壁面は自然光を発して明るく、空間は広々としていた。
人口7000人を収容できるという。

管制制御室は直径50メートルほどの円形であって、ここを見下ろしつつ、
取り巻くように、会議室がいくつも並んでおり、
各分科会の決定事項が、直ちに船の運行に直結するようになっていた。

提督の座席の右手に、今回、もしかしたら稼動させねば
ならなかった装置があった。エーテル波動を発生させる装置だ。
精神波動の8つのディメンジョンに関し、特定のレンジを設定し、
その範囲にある人々に、特定の行動を取らせることのできるシステムだ。

人の側からすれば、シンクロニシティーに驚き、
奇妙な意図に導かれたと後で思うかもしれないが、
そうした偶然に似た形で、救出作戦が展開されるのだ。

だが、こうした形で、新時代が始まったとしても、その恩恵は
これらの者と、その後の多くとも数代にしかなるまい。
記憶は風化し、教訓は歪曲され、やがてランダムな胎動の波に乗って、
粗雑な魂が訪れてきて、すべてがもくあみになる日がきっとくる。
彼ら一つかみの者が神々しい黄金時代を味わったとて、
どうすることができよう。

私は、鳳船の頂上の展望塔に出た。
かつて、精神性に極めて優れた神々が、ここから360度を眺望した。
あらゆる国の命の生活の様子を眺め、愛でられたのである。

そういう私は、精神性のかけらも持ちあわせない、一介の放楽者だ。
記者が、どんなところへでも、その資格いかんに依らず赴くように、
私はこの神聖な場所への立ち入りが許された放楽者。
その実態は、明日どこでぶっ倒れているや知れぬ身なのだ。
それに気付いて、ふと淋しくなった。

風が、展望塔の開け放たれた窓から吹き込み、
一枚の枯れ葉を運んできたので、拾い上げた。
そのように私は、時間という風が送り込むところ、
どこにでも漂い落ちる、木の葉そのものに違いなかった。
そこを汚していこうが、いくまいが。風情を与えようが、与えまいが。

そのとき、また一陣の風が吹いた。
手のひらにあった木の葉は、捕らえきれず再び風に乗って、
窓の外に運ばれていった。

夢であったようだ。鳳船は夢であったのか?
私は呆然として、手のひらを見た。
それは、私の身勝手な夢だったのか、
それとも将来起きうる正夢だったかのか。

手のひらには、まだ木の葉の軽くてざらついた感触が遺されていた。
これを物化という、のか? 

———————-

キザなエンディングをご覧じ申したかな。

この物語の中では、鳳船は時代のエンディングに、人々の救出に当たる役目を持った乗り物として登場するとしておりました。つまり、いよいよ人類も滅亡かと思われる最後の最後に、神一厘の仕組みとして起動する摂理というわけですね。

それまでの時代も同様にして救出された人々が、次の時代に置かれることでまた文明が勃興するという繰り返しがホピの神話では謳われていたわけでしょう。

では救出された人々は、次の時代に出現するまで、どこに仮住まいしているのでしょうか。

どうやら、その手掛かりも、つい最近起きた鳥取中部の群発地震によって与えられた感がありました。
同地の群発地震は、他所で起きた地震とは特徴が異なり、震源位置がまるで点字ブロックのように秩序正しく間隔を置いて並んでいるのです。
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コーリー・グッドの話に出てくるフィフス・ジェンという核兵器は、核爆発のあった範囲をすっぽりと空間にしてしまうことができるため、火星などで地下に居住空間を創るために用いられているといいます。むろん、地球内部でも誰知られることなく使われているはずです。核兵器の有効利用になるというわけですね。宇宙情報の全情報開示で明らかにされるようです。

鳥取中部群発地震は、二年に渡ったものの、まるで都市計画で決められた範囲を開発したかのような、開発期間と開発場所だったなあという印象があります。
フィフス・ジェンで一定区間ずつ空洞を開けながら、それを道路で繋いでいけば、すごい都市空間が極めて短期間にできあがることでしょう。
今回は、どうやら神一厘が予定されているようで、だからこそ起きた群発地震だったかもしれません。

古事記神話の「因幡の白兎」の段で、大国主命が大火災の中、命を助けられたのはネズミ(根住み)によってでした。この場所「因幡」は、鳥取県なのです。偶然とはいえ、できすぎてませんか。
大過去にあった逸話が元になっているのか、それとも未来を預言しているのか。漂白の民を表す大国主命とは、時代を繋いで渡っていく漂白の民ホピだったかも知れません。

次時代のホピはあなたかも知れません。
頭頂のコパピを開いておけば、星の導きが得られ、救済に浴することができるかもしれませんね。
そのためには、自分を中心にして、創造主の方向・縦に繋がろうとすることです。
ハイアーセルフを大切にしてください。

神一厘の救出劇。いやいや、そんな茶番はもうおしまいにしては如何ですか、と、この門外漢番キシャは心の中でつぶやくのです。
そろそろ、日月神様のおっしゃる「大建て替え」に進みませんか、と。

明晰夢の話(3)

今朝は朝の気温が4度と高かったのですが、昼間の気温が上がりません。曇っているからですが、作業が捗りません。
猫たちの食事の嗜好がまた変わってきており、買い出しに行くべきかどうか迷っています。

ブーの劣勢はどうしようもなくなっているようで、少しの期間でも食べなければ、トンの威圧に負けてしまうようです。もう老猫ゆえに、保護してやりたいのですが、家の中にじっとしていないために、みんなとなじむことが難しいのです。ブーのプライドもあり、またA家のほうでの縁もあり、毎日のように出向いています。むこうで子供をたくさん作ったようで、Aさんの奥さん(亡くなられてます)が、ぼやいておられました。たしかに黒猫がたくさんいましたが、最近は外に出ている様子を見ることができなくなりました。

シャンには、薬を餌に混ぜてやる方法をみつけて、割合簡単になりました。それまでは胴の部分にサプリ軟膏に沿えてくっつけてやったのを、舐め取らせるということをしていました。シャンはそのたびに嫌だというそぶりを見せてました。やはりプライドを傷つけられたと思うようです。

明晰夢の話(3)

母の盛大なお見送りでの彼岸入り (2007年9月22日)

私の母は2007年9月6日に亡くなりました。享年82歳です。
母は、近隣とのおつきあいもさほどなく、我が家は裕福でもなかったので、家族葬にいたしました。
といっても、地元の葬儀会場を借りて行ったわけでしたが、親族でどうしてもと出席したのは、母の兄弟だけで、あとは自治会の隣保長夫婦、妹の職場の人の方が大勢を占めて、あわせて20名ばかりになりました。

私は喪主として、おかしなスピーチをしたように思います。
母はもし男として生まれていれば、位人身を極めると、行者さんに二度にわたって予言され、祖母の夢にも、毘沙門さんの二十日に生まれるとお告げがあったほどの高徳の魂の人であるにもかかわらず、一生涯を献身とみそぎの暮らしに費やしたことを、会場マイクで話したのです。母の実名も、名は体を顕して「禊」という名でした。

むろん、会場の誰がそんな話、わかってくれたかは知れません。叔父でさえもノーコメントでしたから。
しかし、私の心の中の母は最高に偉大な人物だったのです。

しかし、その母に対してしてあげたお見送りの質素なこと。位人身を極めるべきような人が、こんなみすぼらしい結末だったとは。私がいい仕事をしていて友人でも多くいたら、もう少し盛大にしてあげられたのに。それにしても、間に合うものではありません。とにかく、あまりにふさわしからざるお見送りだったのです。

私は、それが申し訳なくて・・・。せめて普通の葬儀にして、親戚じゅうに来てもらうべきではなかったかと悔やんだ末、九月二十一日の晩に、私自身すでに創作神話作りをしていましたから、そこに出てくる神々や龍神さんたちに祈ったのです。(すでに私の胸の中には彼女の神霊・雲龍がいて聞き届けていたのです)
母をなんとか盛大に、そして確実に彼岸に達せられるようできませんかと。

すると翌朝二十二日の未明の夢に、大きなホテルを借り切ってしまうほど、たくさんのダーク服に身を包んだ人々がいて、「朝になりましたから、皆さま屋上に上がってください」というアナウンスで、みんなしてエレベーターで屋上に上がってみれば、そこはなんと山の上で、眼下に広がる雲海の上に大きなご来光が出ていて、こちら側からご来光の下までエスカレーター風のムービングロードが、黄金色を呈して渡されている光景があったのです。
私はお見送りの人々の最後尾に居るものの全体を高い位置から見ていて、人々が何層にも重なるさまを見ていました。

そしてなんと、ムービングロードのいちばんこちら側に立っているのは、いつものご隠居帽をかぶった母と、付き添いの人四人で、母の左に一人、右に三人が縦向きにいて、そのうちの左にいた人は、今回の葬儀にたずさわってくださった蓬莱道龍和尚(実名)だったのです。母の葬儀に際して、葬儀社の紹介ではじめて知り合った和尚さんでした。

この和尚さんは葬儀のときに、すでに生前戒名を受けていた母の「智円妙定大姉」という名前の解釈を、前以て調べて講じてくださった方でした。

やがて盛大なお見送りの中、母は付き添いの四人とともに、ご来光の下まで渡りきり、そこから右回りにこちらを振り返ると、シルエットでしたが左手を振ってくれたのでした。こちらからもそのとき、参列者みんなが手を振ったり拍手しておりました。私もみなさんに合わせて何かしらやっておりました。
お見送りが終わって、みんなでエレベーターで下りて、ダークスーツの人たちみなが三々五々、最寄の交通機関で帰るシーンまで夢で見たのでした。私もバス停でバスを待つといったふうに。

バスを下りてホテルに向かい、終わってホテルから出てバス停で幾人かの参列者の人とともにバスを待つところで夢が覚めるという、滅多にあるものではない、とても長い夢でした。

二十二日はすでに秋のお彼岸に入っています。つまり、なくなった年のお彼岸に見た、ご来光に至る母の夢だったのです。

私は夢から醒めて、昨晩の祈りに諸天善神が総出で応えてくださったと確信し、ただちに神々のみなさんに感謝をささげました。
それは同時に、神話がまさしく活在していることを如実に知ったときでした。
その夢の出来事は、その日のうちにブログ報告しました。すると読者コメンテーターの方たちからたくさんの激励が寄越されました。ありがとうございます。
蓬莱和尚さんにも話しますと、ことのほか喜んでおられました。

さて、この話には後日譚があるのです。そのお見送りの場所が、ほんとうに実在したのです。

それはちょうど半年後、翌年2008年3月、春のお彼岸の頃になります。
この当時、ブログへのコメントを盛んにお寄せくださっていたPさんという男性(先に激励を寄せてくださっていた方でもあります)が、春のお彼岸間近に、さるところで撮られたご来光写真が、あまりにも珍しいものだったということで、写真を投稿くださって、それを見た私が、あの夢の光景にほぼ完璧に等しいことに驚いたのでした。横長の写真と縦長の写真の二枚です。

違うのはムービングロードが消えてしまいかけている部分だけというすごいものでした。
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Pさんのご説明では、実はこの方は滋賀県の野洲町にお住まいで、琵琶湖バレーでスキーをされることが多く、残雪スキーのために出向かれたといいます。

山小屋で一泊されて、翌朝早朝のたぐいまれなご来光と雲海が出ている光景に感動されて写真を撮られたとのことでした。

左右のせり出した山々のシルエットは、夢で見たときにはお見送りの人々の頭と背中の重なりだったはずなのです。
ムービングロードらしきものが一部残っていることにつき、Pさんに問えば、雲海の切れ目から見える琵琶湖湖面への太陽の照り返しだとのこと。なんという、粋なはからいでしょう。

そして、なんと・・・撮影場所は蓬莱山頂で、真東に向いたムービングロードを支えているであろう沖島の山頂は蓬莱嶽、道行の引率を蓬莱道龍和尚(道行きの龍というお名前)がされるという、ウルトラC級の超シンクロとなっていたのです。
縦長の写真を和尚さんにもお渡しし、二度目のびっくりをしていただきました。
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3つの「蓬莱」の言葉が揃うという、三位一体的超シンクロ。
それは、制作中の新神話ともシンクロしたのです。
と言うのは、ちなみに私が2001年から書き始めた新神話は、蓬莱島(蓬莱山)を重要拠点にして、正しい神々が根拠し活躍する物語になっているからです。

なぜ蓬莱島なのか・・・それは私が50歳以降になってから始まったインディー体験の”とば口”を開いたのが、神戸の舞子公園にある移情閣での出来事であり、当館の三階が拝観禁止の暗闇にあり、真っ暗闇の階段からわずかに垣間見られた三階の天井書画に書かれた文字が右書きで「蓬莱第一」だったことによります。
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新神話ではこの蓬莱島とは、この宇宙が閉塞された場と仮定したときに、より外宇宙に出て行くための大使館もしくは西ベルリンのような働きをしている場所という設定です。
天則に則った神々や人々の住むムー大陸が沈没して、浮き締まった島嶼部分が蓬莱島、海中部分が竜宮となり、亜空間に常在することになった、正しい神々の根拠地という設定にしています。

つまり、ほんとうに解脱するならここ蓬莱島しかないという二つとない場所。
母は新神話における最高の自由門を通って解脱したと思います。
(が、その後に、母を引き戻すようなことをしてしまいました。しかし、少なくとも七福神のおわす蓬莱島には、いてくれていると思います)

この粋なはからいは、カンナオビの本体の奥津嶋姫様による

さらにたいせつなことがわかりました。
今はなきカンナオビさん(2010年5月15日にご逝去)が、沖島(奥津島)に祭られる奥津嶋姫(弁財天)の化身だったと判明したのです。
亡くなる前日の彼女を写した写真に、彼女の最後の生霊オーブが撮られています。それは亀甲に花模様のご神紋を顕しておりました。通常は縦向きの六角なのですが、亡くなることを示されてか、横になられていました。
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彼女が六角オーブを撮影したのは、高野山金剛峰寺で持仏間を写した時に、加納元信作の群鶴図の一枚の襖絵上に出ていたことが始まりです。
このとき彼女は、空海から弥勒誕生のお告げを受けています。2008年9月24日~25日のこと。

以後、陸上でも水中でも、彼女の水陸両用カメラには六角オーブ(亀甲紋オーブ)が大量に写り込みました。
彼女は元々海が好きで、スキューバダイビングをやっていましたから。
彼女はそれらオーブを、自分の子供と思っていました。海中で撮られた彼女の股間に一番大き目の六角オーブがくっついていましたからね。それら子供たちの父は? はは、ふしょうそれがしめということになりましょうか。
あの日、ふたりしてちょっと燃えましたもので。(意識同士の交流であるため、可能なこともあります)
今生で人として子が作れなかった彼女には大きな喜びになったようです。

新神話では、山幸彦と豊玉姫という設定でした。御伽草子では浦の嶋子と乙姫というわけです。たくさんの玉の子(亀甲紋ゆえ国津神でしょう)が授かりました。
そして、2010年に彼女は沖縄の海で亡くなりました。

古事記にも二人の想いのすれ違いから、ウガヤフキアヘズ一人残して子供をみんな率いて海坂を閉じて海原に帰ってしまう豊玉姫が描かれています。

亡くなる前日のちゅらうみ水族館内でのご本人の写真には、頭上に彼女の六角オーブが写っていました。
撮影当日のうちにホテルから日記ブログにアップロードして、謎解きグループの人はどう解釈するでしょうね、とコメントしてありました。
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六角の内部に花柄が出ていて、奥津嶋姫のものとわかります。
つまり、六角オーブ写真は、弥勒に始まり彼女自身のもので締め括られたことになります。

ウガヤフキアヘズは、当時のコメンテーターの中に大阪在住の女性が名乗りを上げられたので、玉依姫の神格を差し上げて、後を託しています。彼女は石切さんの信者で、ニギハヤヒの信者です。彼女ならきっと適役でしょう。というのも、ここでウガヤフキアヘズ=弥勒=ニギハヤヒ=神武天皇に象徴される次の時代の統率者への橋渡し役というみごとなシンクロになっているからです。

高野山詣での後、彼女は思いついたようにして2009年に出雲地方を旅して、ご当地の神社で六角オーブをたくさん撮っています。
多倍神社にて
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そのあたりの神社は、そもそも、ご神紋からして六角です。
そして、最近になって、その意味がわかりました。奥津嶋姫様は、出雲大社の大国主命の奥様なのです。(それはホツマツタエでなくては解読できません。当時ようやくネットに載り始めたホツマの口語訳版を見て知った次第)
それが後の、出雲大社の夢見へと繋がってまいります。(後述・すべてがシンクロしているのです)

祖母と母が共に出てきた夢 (2007年11月3日)

十一月に入って見た夢でした。文化の日の未明の夢で、なぜか記念日的なときによく見てしまうようです。

そこでは朝になってガラス窓から日差しが入っており、カーテンも何もない部屋に寝ていて、布団の中から出たところだった。ふと見れば、ベランダを隣家の男が歩いているではないか。
プライバシーを除き見された気がして、怒鳴ってやらねばならないと見れば、ベランダはそうとう広くて、四軒ほどの家の共有のようになっているではないか。(私の家は一戸建てだぞ)
左のほうを見れば、住民が花や木の鉢植えを、屋内からベランダに運び出しているところだった。

私も何事かと見に行き、屋内に入ってみれば、なんと祖母がいた(平成六年に逝去している)。
どこかの店の中で、店員から品物の説明を受けているようだった。
懐かしさに近づくと、目と鼻の先で祖母は私に何か話しかけてくれたのだが、それよりも祖母の顔が皺ひとつない透き通る肌色をしていて、つんつるてんの坊主頭だったもので、じっと観察してしまい、話のほうを聞き漏らしてしまった。
しかも、墨染めの黒い僧衣姿だった。

その直後、母が普段着姿で、人に話しかけるときによくする、口に手を当てるしぐさをしながら店員のところにやってきたシーンで目が覚めた。
(色彩豊かな明るい夢だったが、目が覚めてみれば外は真っ暗だった)

母の夢は母の死後もう何度も見ているが、祖母を夢で見たのはまったくはじめてである。

目と鼻の先で顔を見合わせながら話をしたというのも鮮烈な印象だった。あれは死後の世界なのか?
だとしたら、現実とさほど変わらない。ただ、祖母の八十歳当時の貫禄ある風貌そのままに、肌年齢を10歳ほどに保っておれる世界みたいに思えた。それはそうか。魂は永遠。好きな年恰好をしてすごせるというが、祖母なら気に入りそうな姿だ。
しかも祖母は尼僧になっているようだった。信心深い人だったから。
童話「たつえおばあさん」は、祖母から聞いた話をアレンジしたもので、祖母をモデルにしている。
物語の中で、おばあさんには、お寺で説法して、死者の煩悩の衣服を剥ぎ取る奪衣婆の役柄を設定したが、もしかすると祖母はそのとおりの仕事をしているのかも知れない。

母の四十九日は終わったが、なぜかいっそう近くにいるような気がして・・・というのも、眠りに就けば何パーセントかの確率で、母に会うことができるわけであり、この世とあの世の区別や場面の違いはあったにせよ、隔絶された印象がまったくないからである。
かくして、私は朝晩欠かさず、お供えの食膳作りをして、般若心経を唱えている。見えないが、すぐ傍で生きているように思うからである。
アセンション後の世界は、死者と交流ができる世界だと聞いたことがある。もしかして、私はアセンションの予行演習をしているのかも知れないね。
あるいは私が死ねば、同時にあのカーテンのない部屋で目を覚ますのかも知れない。
もうこちらの世界で目を覚ますことはなく、むこうでの日々の暮らしを、何事もなかったように重ねていくのではあるまいか。文化の日の未明に、異文化の夢を見たという話であった。

この夢の要点は、死んだ人は若返る、しかも幼児ほどの肌にまでなっているのではないかと思われること。
また、生前の願望を反映した暮らしをしていると思われること。
おそらく祖母は仏教導師として説法する願いを生前に持っていたので、尼僧のスタイルで暮らしているふうでした。
あるいは、私の作る童話すらも、新神話として機能していて、そのシナリオに則って祖母も霊界で生きているのでしょうか。
あるいは、私が身勝手な願望を夢のビジョンに反映させただけなのでしょうか。

母がえべっさんの日に流し台いっぱいの大きい鯛を買ってきた夢 (2008年1月9日)

これもお祭りの日に見た母の夢として、びっくりするようなシンクロがあったわけでした。

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じゃじゃじゃじゃ~ん!!本日は宵戎でございました。
実は、そうとも分からずにいた今朝のこと。またまた未明の夢に故き母が出てまいりまして、買い物に出かけて、何か担いで帰ってくるなり、キッチンで流し台いっぱいの大きさの鯛を、調理し始めたのであります。
そこで目が覚めて、いったい今日は何かお祝いでもあったのかいなとカレンダーを見ても、先勝しか書いてません。
やがて、ああそうや、えべっさんやないかいなと思い出し、母の演出に驚いたようなことでした。そこで仏壇に向かってお話しするわけですが、「あのお、母さんは毘沙門さんとは縁がありましたが、今回はえべっさんのつもりでございますか?」と。
すると、こんなお答えが返ってきたような。
「宝船の中は戎祭りでなあ。お前にもおすそ分けや」
ふと、そんふうに聞こえた気がしたわけでありました。この夢は今朝ほんとうに見たものです。

この夢の要点は、宵戎の日に、大きな鯛を持つ姿で描かれるえべっさんが、何らかの関与をされているようであったこと。
私はその日が何の日といったことはまったく思いも持っていなかったのです。その日は関西だけのお祭り行事日でありました。今日は何の日かと暦を見れば、そのような次第だったというわけです。

また、母はもともと毘沙門天の縁者のようでしたから、恵比寿さんや大黒さん、弁天さんとは宝船で同席されているよしみで、大鯛を受け取って帰ったようなふうでした。

母と私でフェリーを乗り継いでどこかに旅行する夢 (2008年2月24日)

2008年の2月24日未明の夢でしたが、これも死後、人は若返って生活しているのではないかと思われるような夢でした。

けっこう長い前置きのある夢で、憶えているのは、母と旅行に行こうと二段階でフェリーを乗り継ぐ予定で、どこか分からない目的地に向かおうとしているところだったこと。
遠距離なのでたぶん二段構えなのです。夢の場面は一段目の近距離フェリー乗り場でした。

通勤時らしく、サラリーマンやOL風の客がたくさん階段を駆け下りてきており、母と私は座席を確保すべく、一番後尾にあったえんじ色の革張りの二人用の椅子を倒して、母にまず座らせ、私がその隣に座ったのでした。
と、その途端にです。母のスカートが前開き(今の流行にそんなものはない)だったせいで、風を受けてぱらっと開いてしまい、そこから見えた素足が二十歳そこそこのまぶしいものだった(まぶしく輝いた)ため、「うわー、冗談よしてくれよ」と顔をそむけたすぐあとで目が覚めてしまったのでした。(たわけた夢ではあります)

このフェリーに現実に乗ったことはないのですが、かなりリアルだったことから、実在しているのではないかと思うのです。
その手がかりは、まったくといっていいほどなのですが、最近になって、蓬莱山の真東にある琵琶湖中の蓬莱嶽のある沖島行きのフェリーではないかと思ってみるわけです。
就航している船の写真などをネットで、これかなあなどと見ております。実際に行ってみなくてはわかりませんが、ちょっと遠いし、腰が重くて・・・。とにかく、どこにも行けておりません。九州にもまだ行ったことがないのです。(北海道には行きましたが)

般若心経が原因?

その後、私のブログ報告での亡き母の夢見の頻発を思い測られたあのPさんが、何でも、伊勢白山道のリーマンさんの情報として、般若心経の読誦で、最後の「ぎゃーてい・・・」のマントラ部分に、作者の鳩摩羅什の呪詛が籠められているとのことを知らせてくださいました。

鳩摩羅什は生い立ちからずっと人々からは蔑まれ虐められていたために、このようなすごいお経を世に出すこととの引き換えに、死者を現世に引き留めるような呪いを篭めているというのです。

そこで私は、般若心経の読誦を取りやめ、普通の感謝と供養の言葉だけにしたのでした。すると、その日から母が夢に出てくることはほとんどなくなりました。
寂しくはありますが、母にとってそのほうがよほどいいに決まっています。

Pさんには、重ね重ねお世話になっております。ありがとうございます。

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Okundコメント

今回は、死後の世界について、私が夢見で経験したことから推理してみる格好になりました。
明晰夢、すなわち夢見の身体・幽体で見てくる世界というのは、やはり幽界ということになって、次元が低いということになるのでしょうか。しかし、生前の面影を反映している世界だということは言えそうです。

またその世界では、若返った表現ができるようで、皴が多かった祖母も、痩せた静脈瘤だらけの脚をした母も、みんないちばんいいときの姿になっているようでした。私の願望が反映した?? それはまったくありません。夢に見たことも、彼らが若返った姿だったことも、まったくの想定外のことだったのです。

前回も申しましたが、地球が汚染されて3次元密度的に使い物にならなくても、幽体の次元であれば、可変自在の環境と見ていいため、十分にアセンションに値するのではないかと思います。
日月神様も「半霊半物質の身体」と言われていますし、幽体次元のことではないかと思うのです。霊体・霊界だともっと希薄でしょうから、世界の様相もまったく異なることでしょうが、半分地球らしさを醸しながら、可塑自在性があるというのは、とても心地いいように思うのですがねえ。

アセンションって、やはりいったい何なのと疑問を感じます。
このまま世界がAI文明化の方向に進むなら、それはAIの支配下で仮想の生を営むことゆえに、ディセンションではないですか。また次のマトリックスに嵌りこむようなものですから、脱け出すどころか、いっそう深度が深くなる方向に向いているようでなりません。スピ系で流行の話も、出所はどこなのか吟味されてはいかがでしょうか。

そうなれば、コーリーの話も、催眠下の出来事、創り出された話ということかもしれません。
コーリーの話には、人の死後どうなるかの話がほとんどありません。キリスト社会が受け容れないからという理由は加味しても、ディスクロージャーするというなら、どんなことでも説明してほしいですね。(まだ記事を見ていないだけかもしれませんが)

私は自分自身の体験(夢見も含めて)をベースに、推理していく異界探偵です。他所から入った情報ならば、自分の感性に触れたものだけが検討の対象です。最初から、私に必要な謎解きに関係する情報だけを与えてくれとハイアーセルフに言ってありますから、目の前にひとりでにやってきます。ネット情報や情報のホームランバッターとしてやってきます。
それ以外にどれほど膨大な資料情報があったとしても、私から探しに行くことありません(昔は図書館や書店などに行って調べたものですが、労力と時間の無駄でした)し、自分の手に負える話ではないです。寿命が長いわけでもなし、IQ32~80程度の者に何が憶えておれますか。20分前にしたことや、昨日の昼食が何だったかさえ忘れているというのに。そこそこのことをやれたことでよろしいんじゃないですか。
それだって、催眠下の出来事かもしれないのに。仮想現実下にあること自体、催眠状態(封印状態にある)のことなんですよ。

龍神さんとのご縁・・・龍族は両生類だから大人しい

 龍神さんのお顔はサラブレッド馬のような気品あるお顔で、獰猛なワニのような顔ではない

私は龍や龍神さんとは、けっこうご縁があるようです。

UFO撮影は武良さんに誘われて行くようになったのですが、出会った当初から私はポータブルビデオデッキとカメラのセットを持っていたため、早速行くことになりました。⇒ UFO撮影同道記

その二度目が1994年10月9日のことで、西播磨で龍の飛行とみられる映像を撮りました。非常に高速のため、コマ送り再生して形が掴めました。⇒ 2分間で3種類緩急混在で9シーンのUFOの競演を撮る

ずっと撮影場所を眺めていたつもりでしたが、UFOを目撃したわけではありません。後でモニターで再生して、高速で飛ぶ飛行物体をかろうじて発見したようなことです。

玉型UFOも同時に撮れ、龍と玉の伝説さながらの気持ちでした。あまり関係ないでしょうが、それからちょうど100日後に阪神大震災が起きていました。

そこで、龍が飛んでいった先を地図上で直線的に伸ばすと、あの淡路の北淡町(震源地)あたりになりました。まさか、知らせていたわけではないでしょうけど。

神戸六甲の地獄谷では、龍の子供と思しき実体をこの目で目撃しました。視野全体での目撃で、まるでストップモーションのような見え方でした。(CFCとの観測会で見たブーメラン型UFOもストップモーション的でしたね)

神戸の住吉山手の住吉霊園の上にある地獄谷は、坂本さんが幼時から龍神さんたちと遊んだ場所とのことで、我々はすでに何度かビデオカメラを持ち込み撮影していたわけでした。

撮影物はスカイフィッシュということで、2003年9月13日に週刊プレイボーイから取材があって、そこでカメラを谷に向けて回し、我々は谷の方向をじっと見ておりましたところ、
突然目の前に躍り出た巨大な物体があり、それを視野全体で捉えました。形は巨大なねじれ棒のようで、谷の下から上空へ飛びあがったようでした。

私は咄嗟に奇声を上げ、坂本さんも同時に叫んでおりました。大きさは10mもあったかと言うと、坂本さんは、いや3mぐらいのもんや、大きいのが出たら腰抜かすでと仰いました。

当時は、ねじれたような太い棒のようなものという形容しかできなかったのですが、坂本さんはそれが竜神さんだとおっしゃる。

あの上昇する様は、ちょうど「鯉の滝登り」の掛け軸のさまに似ている気がしました。しかし、鯉ではなく、スカイフィッシュであり龍神さんだったのですね。

ところがそれから約半年後の2004年4月7日に同地で撮影した武良さんが撮影データーを送ってくれた中に、地獄谷の向こう側のほうを横向きに飛ぶ物体があり、その形が私の見たものとまったく同じであることに気がついたのです。撮影物は遠目を飛んで小さく写っていたので、気付くのが遅くなったのですが、まさしくこれで、
その姿は、イモリのオタマジャクシに似ていまして、これがもし龍神さんの幼生なら、あれから半年後ゆえ成長して、頭部に”とさか”のような”広がった角”のようなものが付いて写っているようでした。

龍ということから、最近の宇宙情報について博識な方から、ドラコの関係かとご質問がありましたが、ドラコは爬虫類ですよね。地獄谷の龍神さんは、イモリやサンショウウオの仲間の、両生類のようなのです。

爬虫類は卵から孵ったら、そのままの姿で大きくなりますが、両生類はオタマジャクシの幼生を経て大人に変化します。まだこの時に見た姿は幼生の段階のようです。

坂本さんもスカイフィッシュはコロニーを創るとのこと。これは一定の水場に卵をいっぱい産み付けて、親が孵化を見守るという両生類の生態ではないですか。

両生類は大人しいんですよ。ドラコは爬虫類なので好戦的ですけど。地球がドラコに簡単に征服されてしまったのは、この辺に理由がある気がします。

キリスト教で扱う竜や獣いわゆるサタンとは獰猛な爬虫類ドラコ、日本古来から扱われる竜とは種族が異なるのです。

龍は地球に古くからいて進化してきた種族で、半霊半物質といったいでたちのようです。1994年10月に撮った龍らしきものは、シルエットとして写っていました。

多少、高次元化していれば半霊半物質になるのでしょうか。いっぽう人類はまだ数万年ほどの経過のものなので物質そのものです。

だから、日本古来の神々は、深化の歴史が古く、本体が龍とされていることが多いのですね。

実は、2008年9月24日から25日にかけて、空海和尚から「弥勒下生」の夢のお告げをもらった彼女は、日本古来の神の化身なのです。信じがたいでしょうが、古事記にも載る神で、奥津嶋姫です。

本体は白龍で雲龍として我が家(M市の)にやってきて、私の胸に飛び込んでこられたんですよ。夢の中での話ですが、2007年1月14日の未明の夢でした。
このとき初めて龍の横顔を拝見したのですが、きれいなサラブレッド馬の顔で、よく絵に描かれるようなワニのような顔ではないのです。爬虫類という印象から、ずいぶんと獰猛に思われているようですが、地球古来の神々である龍族は大人しいのです。

空海も大事なことゆえ、報せる相手を選んでメッセージしてきているのですね。弥勒は彼女の第一子とも言えますから、受胎告知のようなことだったかもしれません。

そしてまたこの彼女は、金剛峯寺の六角オーブ(身六)を皮切りに、彼女がデジカメで撮りさえすれば、写真一枚にいくつもの六角オーブが写り込みました。
六角オーブは出雲系の神々の紋章で、出雲地方の神社のご神紋はみんな亀甲紋になっています。

彼女は2009年の後半にも、思いついたように出雲方面のツアー旅をして、たくさんの六角オーブ写真を送ってくれました。

彼女のデジカメは彼女がスキューバダイビングするため水陸両用で、画素数が大きい上等品で、海中でも幾多の六角オーブが撮れていました。

そうした写真は、私のほうで受けとり、こちらのブログに載せていたのですが、ブログサーバーをキャンセルした際にバックアップを取らずにいたため全部なくしてしまいました。パソコンにも残っていませんでした。

そして、彼女本人が海難事故で亡くなる2010年5月15日の前日の14日に、彼女本人の六角の生霊オーブ写真を幕引きとしてか、彼女自身の日記にアップロードして逝ってしまわれました。

そのときの彼女の生霊オーブは、六角が横倒しになっていて、オーブの中には奥津嶋姫神社の御神紋どおり、亀甲紋に花柄が写っていました。オーブの横倒しは死の前兆を意味するようです。
こうして、彼女は第一子の弥勒のオーブを最初に、最後をご自身の生霊オーブで撮影を締め括られたことになります。

さてその後、私は2013年5月11日の未明の夢に、神世の出雲大社の社殿の板間に敷かれた布団で目を覚ました光景が出てきて、そこでまず弥生式衣装でみずらを結った大国主命に出会い、
次に平安調の単衣を着た長い髪の女御と顔を合わせれば、なんと彼女であり、にこっと笑って見せた口の中がお歯黒になっていたので、おおっと感動。彼女は本体に戻って、出雲大社に居られたのですね。

それから社殿の外に出てみれば、非常に大きな造りの建物で、50mほどの高さの山の上に建ち、横長の社殿からは左右に一つずつ対称的に長い階段が下のフラットな境内地までついていて、
階段にはたくさんのブラックスーツ姿の男衆がいてなにやら作業をしていました。

目が覚めてから、ああそうだ、前日の5月10日は出雲大社の式年遷宮があったんだと妙に納得した次第でした。

彼女がなぜそこにいたのか。それは奥津嶋姫は大国主命の奥様だからです。ホツマツタエの伝える系譜の通りだったのです。

その後、2014年になって、あるサイトに縁ができ、そこから辿ってみたサイトに、夢で見た大国主命のお顔そっくりの人物の写真を見つけ、これはいったい誰だと写真の主を辿りましたら、なんと彼らの仲間内では、「カミサマ」と呼ばれ、
しかも大国主の神だと噂されていました。私以外に、けっこう神世の大国主さんに出会ってる人がいるようです。やはりそうだったか、夢の中とはいえ、見る目に間違いはないと思ったようなことでした。

カミサマの顔写真が見れます
https://ameblo.jp/cocoa-maco/entry-11756668328.html
やっぱり大国主さんの特長が丸出しになってます
https://profile.ameba.jp/erickson-consulting/

ついに宇宙船が飛来か

https://hyouhei03.blogzine.jp/tumuzikaze/2013/01/post_3878.html
無数の葉巻型UFO。これはすごいですね。これがほんとうなら、人為天災が防がれているわけであり、それまでもあったことでしょうし、そしてこれからも、人為的天災は防御されることになりそうです。少なくとも、電磁波を使ったものは、です。
それでもやらねばならない連中は、そこで機械的な工作をしてくるわけです。海底掘削工作船ちきゅうが核を仕掛けて、任意のタイミングを見計らうわけですが、これをもはたしてUFOが防御しうるのかが焦点でしょう。2/7~9は、そうしたタイミングのひとつとなりそうなわけですが、ほんとうにまあ、預言のシナリオ通りに仕事をしたい極悪連中の数と種類の多いこと。宇宙人を人々や権力者の間に幾通りも入り込ませないと、逐一の防御もかないません。
あとまだ、中国の侵略戦争や、日本の経済破綻とハイパーインフレが見込まれており、これらも極悪人為の積み重ねによって起こされるものゆえ、宇宙からの手で、つぎはぎ的に解決できるものなんでしょうか、とても懸念されるわけであります。
さっと、水戸黄門のように宇宙命令の家紋入りの印籠を公衆の前に示して、鎮まれいー、ええい鎮まれいー、と出てきてもらったほうが、安全かつ円滑に事が運ぶように思うんですが、やはりスリルとサスペンスのほうがお気に入りなんでしょうか、と一言揶揄ってみたい私がいたりします。
日本が守られているのは確かなようです。原発事故も、必至とも思えた最悪の事態が奇跡的に免れています。UFOの介入なくしては、この奇跡は語れないでしょう。そのことに心の中で気づいている人も多いのではないでしょうか。
では、そのスリルを与える彼らの目的は何なのか。私は探偵性なもので、深いところまで追求するわけですが、たぶん東電内部の瓦解ではないかと思うのです。いかに東電がああいった人たちの集まりでも、外部大衆の気づきの声や正論に圧され、長期に及べば被爆量も大きなものになることもあって、自己保身からどんどんリタイアする者が出てきて、その中から内部告発がたくさん出てくることになるのではないでしょうか。つまり、ああいった人たちの改心の課程が展望されるわけです。
そして、それが収拾できなくなって、会社が立ち行かなくなる。それが政府にも波及し、政府も内部から瓦解するといったことになるのかと思います。ゆっくりズムの大衆に合わせた形での自浄作用が起きるのではないかというわけですね。
人為天災もない。ましてや自然天災もない。そして、戦争や経済破綻もないとすれば、このまま危ない綱渡りを演じながら、すべてが温存されて、やがては自浄作用によって、瓦解するべきものすべてが瓦解して、この黄泉の国に見えたものが、熟成された肥やしに生まれ変わるといった、ものすごい遠大でかつ収穫の大きい成り行きが用意されているのではないかという話にもなるかと思います。
その間、宇宙人は大衆の被爆を軽減するようにしていてほしいものですが、きっと併せてやってくれているように思いますね。
その宇宙人たちですが、地球外部からの宇宙人であればオンの字。もしも、地球の未来人(神人)ならば、私にとって最高の出来となるのです。その理由は、少しばかり前の記事を見てね。

グレーは地球の未来人

よくUFOでやってくる宇宙人グレー。どうも地球人の未来の姿のようですね。
私がグレー・勝田末吉から聞いたわけではありませんよ。↓これは物語に過ぎませんから。
https://rainbow.xn--kss37ofhp58n.jp/story/saisentan1.htm
しかし、この物語の末尾の爆発事件。ロズウェルで起きたUFO墜落爆発事件と置き換えられた可能性はあります。
とにかくグレーの乗っていたUFOというのはこんなのだったわけです。(ホート中尉の目撃談からすれば)
iiio.jpg
グレーの中にも、未来人のあり方について疑義を持つ者がいたとすれば、反乱も反抗もします。
反抗者が過去を変えようと米軍基地にやってこようとして、同族に撃墜されたのがロズウェル事件の真相かも知れません。
私の言いたいのは、この地球文明の未来はまだまだ続く。しかし、命(魂)にとって決して正しい方向ではないということ。
たぶん、ロスチャもロックフェも未来に命を繋ぐのでしょう。イルミやメーソンはむろんのこと、彼らの下僕となるロボット化していく人々や、協力関係にあった大富豪なども。だめになった地球をいったん去って、スペースコロニーや火星に転進。未来人の科学によって、クローンという手法によって命を繋いでいく。
新神話ではこうした邪神の係累は滅菌処理よろしく焼却してしまう手はずだったんですが、いずれはまた爆発的増殖することの弊害を見越して、和らかく温存することになるのでしょう。
どうして金星やプレアデスなどの友好的宇宙人がなかなかやってこれなかったのか。おそらく彼ら(未来人グレー)が、地球は地球人で自治していると、宇宙文明社会に宣言しているからでしょう。北朝鮮が国際社会に巾を利かすが如く、地にもあるは天にもあるのです。未来人も地球人に変わりありません。ずっと地球の歴史を見守ってきたことを、証拠として出しているはずです。むろんおおかたは悪しき部類の干渉の歴史でしょうが。
地球を解放できるのは、地球の神々しかいないのです。地球古来の神々が乗り出せば、人類という地球の番人(代官)の出る幕ではありません。ところが、ことごとく邪神に呪封されていて、何もできないでいたのです。贋の天津神に逆らえない国津神とか、オリンポス神族に封じられたチターン神族とか言われて。
これからはそうではありません。
宇宙の外にいる創世の神々が満を持して返り咲こうとしているからです。これが真の天津神です。それはこの宇宙(国)の去就、廃絶さえも視野に入れています。そこまで大げさなことでもないのは、元が単なるRPGソフトだからです。
外野の創世の神々は、地球の神々の封印を解き、協力して建て直しに当たることでしょう。このRPGゲームを続かせる方針ならば。
続かせないとなれば、明日にでも有情全員、まばゆい光の中に放り出されることでしょう。それを原初の光(クリアーライト)といいますが、有情自身の魂から出る(ホログラム)照見の光です。これは場合によっては、被核体験と重なることになるかも知れません。最後の瞬間まで、みなさん個々人の納得のいくドリームストーリーとして展開します。