今回は、位山-鞍馬-移情閣の謎解きの一環、移情閣にまつわる因縁話になります。
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このように開放的ないいところなのですが、記念館として閲覧が許されているのは八角堂の1階と2階だけ。3階は立ち入り禁止になっています。
もっとも、移設前の移情閣はもう少し東の海岸べりで、私邸ということですべて閉ざされていました。2000年4月から現在地で孫文記念館としてオープン。
その後も、3階だけはいずれの写真の外観からもわかるように、閉ざされています。
ここでは、そのわけが垣間見られるかもしれないという推理の記事にしております。
ここでも、謎解き=解放=鎮魂供養になればいいかなの思いでお贈りします。
我々は2000年9月27日に最初に入館したわけでした。
そのきっかけになる話がこれです。
この女性が10歳頃に連夜見た夢というのがあり、何かに追い立てられるようにして移情閣に辿り着く夢。何夜も何夜も、辿り着くも扉はどこも閉ざされていたと言います。
しかし、ある夜の夢で初めて扉が開いていて、中に飛び込んで中から鍵をかけたところ、今度は出られなくなり、真っ暗闇の中、誰かに身体をまさぐられる夢が連夜となる。
そんなとき、新しい展開が訪れた。知らないはずの移情閣の2階にいて佇んでいたところ、3階から足音がして青年が現れ、少女に「長い間、待たせたね」と言って抱きしめたという。
すると今まで閉ざされていた窓がすべて開いて、外から明るい日差しが入ってきた。外には大きく長い橋が青く澄んだ海の上を渡していたという。二人は共に、開け放たれた窓から飛んで外に出た。
女性が10歳の頃ということは、1976年になりますか。当時の移情閣は現在地より東の塩屋にあり、国道2号線からひときわ高い建物が海側に見えたものです。
しかし、いつ通っても窓はすべて閉じられ、誰も住んでいない様子で、建物の色も色あせた青だったため、気味の良くない幽霊屋敷の風情がありました。
女性が、夢で連夜辿り着いてもすべて閉まっていて入れなかったというのは、現実に締め切られていたからと解せます。
それが1993年に解体されて、1997年に明石海峡大橋の開通に合わせて、西の舞子公園に改装され移設展示されることが決まっていたときに、1995年の阪神大震災が起きました。
このため、オープンしたのは2000年4月になり、そのオープンしたての9月27日に、女性の要請で私は現地で出会ったことになります。
その日は秋晴れのまさに青天で、瀬戸内海は空を映してみごとなエメラルドグリーンで、明石海峡大橋が目の前に懸かり、その南面する窓辺で我々は浦島伝説を語らいました。
私は祖母が拝み屋さんで見立ててもらったのが、最上の松に泊まる鶴だったと言えば、女性は私は亀よと言います。そういえば乙姫さんに似ているなあと言えば、そうでしょと応じました。(アホデスワ)
女性が事実を語っているなら、女性が移情閣の夢の最終日がこの日をあらわしていたことになろうか。女性はこの夢を最後に、現地の夢を見なくなったという。
女性は、厳格な家庭事情があって、束縛された心理的環境にずっと置かれていたらしく、女性はそれゆえ、3階の青年に少なからず自分に対する救世主になるとの期待を持って、以後それらしい人物を探したという。
というのも、実際に行ったこともなかった夢の移情閣が実在したわけだから、きっとその人物も実在するに違いないと思ったらしい。
女性は、私の超常系のホームページを見たと言って、相談に乗ってほしいと2000年7月にメールしてきた。精神的に追い詰められている感じだった。聞けば、断眠状態に日々、置かれているらしかった。
私は極力誠実な対応で相談に乗った。そのいっぽうで、すでに1999年12月に知り合った彼女がいたから、彼女にも逐一状況を伝えながらのカウンセルをした。
やがて、女性から10歳の頃の先にした連夜の夢の話が出て、もしかしたら夢の青年はあなたかもしれないから、移情閣で会ってシミュレーションしてほしいと依頼された。
仕方ない。会ってあげねばなるまい。そのことを最初の彼女に報せると、非常に動揺し、メールと電話だけでまだ一度も出会ったことがなかったことをとても後悔していた。
もし当日キャンセルになったなら、その日は私を誘って、とまで。
しかし、キャンセルにはならなかった。
女性は家庭で信仰している宗教の重要な部分を私に教えました。私はそういう話には興味があるので、何かわけがあるかも知れないと思いました。
案の定、出会ったことによる験は出ました。M7.3という鳥取西部地震という形でしたから、何かとんでもないものが動き始めた気がしました。
では、なにかい、我々で国祖神を救出するのかい、とまで話は弾んだのです。験の中にヒントが入っていました。炒り豆に対して、火の鳥の蘇り能力をぶつければ、事は簡単ではないですか。
古事記神話が現実をみごとに誘導しているのを知っていましたから、私はこれぞ仮説の証明にもなるかもしれないと、国祖神救出に役立てるべく、新神話を書くことにしました。
翌2001年から新神話は書初められています。
炒り豆に花という呪詛はたぶん解けたのでしょう。しかし、事はそれだけではなかったのです。ドラコ・カバールがやること。一筋縄ではいかないようにしてあったのです。本命は幾何学封印にあったのです。
そしてまた、そんな甘っちょろい話だけで事は済んだりしなかった。女性は、断眠束縛の元凶たる旦那と地震の起きた月内に離婚し、三人の幼児を抱える母子家庭になりました。
私は、女性との相性の良さを考え、結婚しなければならないと思いました。このために、運転手ではまかなえない。私は電気製品販売の小売商をするために、千葉まで研修に行きました。
ところが、何の商才もなく、せっかく卸値で仕入れる権利を得たものの、どのように展開していくかの発想が湧かなかった。
すぐ数年後に、在庫を持たないネットショップ展開という手があったにもかかわらず、気がつくこともなかったのです。
この頃に、商才のなさは露呈していた。なのに、おかしな濡れ衣を着せられることになってしまいました。おまえの過去世は、呉錦堂だろうと。
移情閣の主、呉錦堂は、中国で華僑として古今、一番成功した人物とされています。
その男は、何を思ったか、当時の今で言う神出の地に、資金を出して農民のために感慨池を作ったのです。それが今も、広野ゴルフ場の向こう側に存在していて、呉錦堂池という記念碑が立っています。
その近隣に住まいした私は、いっそう疑われることになりました。誰によって? 女性がそう推理したことで、女性に取り憑いていた移情閣の迷霊が仇敵を発見したと誤解したようです。
新神話は、現状を土台にする神話です。だから、時代背景を事細かく述べることが欠かせません。私は、移情閣のことを多角的に調べて、主である呉錦堂の考えに想いを馳せました。
呉錦堂は中華ではいちばん成功した華僑であるとされる。海運業で財を成し、鐘紡などの経営にも参画したらしい。
おりしも清朝崩壊で政情不安の中華を離れ、日本に居ることを選んで、逗泊の地を故郷の浙江省に似た塩屋に求め、明治の頃に別荘「松海荘」を建てて、大正期に移情閣が増設された。
中華で国民党を立ち上げた孫文を資金的に支えだようで、1913年に孫文を別邸・松海荘に招いてもてなしたらしい。が、移情閣はまだできておらず、2年後の1915年に建っている。
呉錦堂はメーソンリーだったという。このつながりが彼の成功の下支えになったに違いない。新神話には、その辺の事情を殊更詳しく書いた。
すると、新神話を見た女性は、ここまで知っているあなたの過去世は呉錦堂だったに違いないと言いだした。
透視の超能力がある女性ではあったが、霊媒体質という大きな弱点を持つ女性でもあったから、そこから移情閣にいた迷霊が入りこみ始めたと見られる。
透視の超能力というのも、女性の霊媒体質に懸かった白蛇の持っていたものだった。白蛇が脱魂して最初の彼女(青蛇)のほうに合流したことは、2005年2月にG氏の言から証明されている。
つまり、二人の女性と私は、甘いロマンの白蛇伝における白蛇青蛇の主従と恋人の許仙という設定に当初から新神話ではしていたのだが、それが本当に異界での配役になってしまったらしい。
神話は、神霊に配役とストーリーを割り振ってしまうことが確かめられた、最初の出来事だった。
白蛇のほうも、脱け出さざるを得ない時期になっていただろう。女性が20歳頃に臨死して、生き返るための条件として、差配神との交渉でそう決まっていたのだ。与える余生は両親のために捧げることだけに使えと。
白蛇のお役は、3階の青年に使命をバトンタッチすることだった。それが終われば、女性を占有することは女性の幸福、さらには冥福にも関わることになろうから、脱け出ることがモラルある行為になるとでも思ったのだろう。
だから、その後の女性の中は、元からいた自分の霊魂と、悪霊や迷霊たちの二重奏、三重奏になっていたと解釈できる。
悪霊と言い切ってしまうのは相応しくないかもしれない。
というのは、女性に懸かって悪口を吐くために電話口に出てきたのは、ファン・ナンと名乗る女性の霊だった。呉錦堂にはずいぶんひどい目にあわされたことをまくし立てていた。
ずいぶんと、気の毒なほどのひどい経験をしてきたようだった。
私ではないと言ったとしても、超能力透視で見たと言ってしまえば、筋が通ってしまうのが、異界の奇妙なところである。霊能者、超能力者たちが集まれば、勝手に誰も知らない世界が造られてしまう。
霊能者のよく当たる重鎮クラスが同じことを口をそろえて言えば、それが異界の真理の如くになって、自分本人とその相談者たちを観念の綾で縛ることになっていることに気付きもしない。
けっか、被害を被るのは、異界におびえる何も知らない無辜の民や相談者ばかりとなる。
では、ここの読者に移情閣3階の種明かしをしよう。
呉錦堂はメーソンリーであった。移情閣の3階はメーソンの密儀の間だったのだ。私は、そこに都合三回足を運んで見てきたことになろうか。
一回目は女性とのシミュレーションのために行った2000年9月27日のことだった。
二回目は、2001年の後期だったか、女性が三の宮にいたことから、そこで待ち合わせて、一緒に帰ることにしたときのことだ。
女性は、ちょうど閑になったからと、元町にある中華博物館に行こうと言いだした。オーケーした。誰も見学する者はなくて、我々だけで見て回った。博物といっても呉錦堂のものばかりだった。
その帰りである、阪神高速に乗って帰る西行き車線走行中に、女性に悪霊が突然罹った。言質を男の言質に変えて、威圧するように「移情閣へ行け」と言い出した。
私はそれをオーケーして、高速を途中から下りて、移情閣に着けた。すると女性は無言で、どんどん入館していってしまう。私は、もしかしてと、車に常備していたデジカメを携行し後を追った。
女性は一階から二階、さらには真っ暗闇の三階行きの階段を、まるでいつも見慣れた景色の如く、どんどん登ってしまう。そして何と、閉まっていると思われた三階の部屋のドアが開いていたのだ。
真っ暗な中に吸い込まれるように入っていく女性。私は遅れまいと、後に続きつつ、デジカメを上向き加減にして、次々と5回シャッターを押して、フラッシュが炊かれた。
天井付近に、悪霊がいるに違いないと思ったからだ。
後で調べれば、案の定、5枚共に、2~多数の死霊オーブが写り込んでいただけでなく、女性の生霊のオーブもひときわ大きく輝いて写り込んでいた。この生霊オーブは短髪女性の横顔のように見えた。
そして、なんと3枚目だったかに、孫文らしき銅像におびただしい数の小さな赤味を帯びたオーブが食いついたようになっていて、孫文の銅像をまるで骸骨のように彫り込んでいた。
孫文は移情閣には入ったことはない。松海荘に一回きりだ。なのにどうしてオーブが取り憑いているのか。
彼がいかに国思いの英雄でも、戦争でおびただしい命が奪われたことを示していたのではないか。
さらに驚いたのは、その同じ写真の銅像の真ん前に、女性の生霊オーブと、大きなうらなり顔のオーブが、頬をくっつけるようにして写っていたことだった。
うらなり顔は、まさしく呉錦堂の圧倒的に大きな顔だった。博物館のどこかにそのような顔写真があった。とすれば、生霊は彼の愛人なのか。
いや、愛人も当然死んでいる。しかし、女性の中に宿ることで生霊としての輝きを保っていたのかもしれない。
あるいは、この女性の過去世そのものが呉錦堂の愛人だったのかもしれない。幼時期の連夜の夢は、過去世で女性がこの館に連れ込まれたときの経緯を再現していたのかもしれない。
女性は一度も写っていなかった。すべてオーブばかりの異界の写真だった。
女性は用が済んだようにして、その部屋から出て階段を下りて行ってしまったので、私も追いかけた。
高速に再度乗りなおした後で、女性は気がついたようだった。その間のことは何も憶えていないとのことだった。
このときに、3階にある設備で判明したのは、孫文の銅像があることだった。
それからのあるとき、もう一度移情閣に行ってみたい気分になって、いつしか単身で入館していた。いつのことだったか、定かではないが、2002年から2003年頃のことだ。
移情閣周辺を散策したときに、ついでに入ってみようと思い立ったのだった。
そのときは、なんと、開かずの間であるはずの3階に電気が灯り、ドアも解放されていた。
ドアから入ったすぐ右手に中華寝台(四方を緞帳カーテンが下ろせるようになっている)が置かれていて、その前に椅子の列ができていた。(図)
この配列は、どこかネットで見たことがある。秘密結社の儀式の間のレイアウトのようだ。
ここで何が行われていたか。現在と少し前では異なることも多いと思うが、メーソンのカバールもだいたい次のようなことをしていた可能性がある。
「子どもが生贄に…」元イルミナティ構成員が“顔出しインタビュー”で号泣暴露! 脱退時には激しい拷問も!
https://tocana.jp/2017/08/post_14250_entry.html
呉錦堂は清朝末期のあきんど(華僑)である。
当時の習俗として、上流社会の子女は、幼少期から纏足を施され、遠くに行く自由を奪われた上で、性的奉仕作業に就かされていたらしい。
この日本は遠く離れているとは言っても、現地から否応なく連れ出されてきた人々がいたに違いない。
当時の中華の習俗の陰で、一般人より優秀と自負するカバールにとって、女人の痛みや生き死になどどうでもよかったかもしれない。
彼が移情閣をメーソンの儀式のために作り、生贄に子女を使ったこと。それが彼自身が主催者として怨みを買う理由になっているに違いない。
そして、ファン・ナンはそのようにして若くして生贄にされた女性だったようだ。呉錦堂にとっての愛人でもあっただろう。
呉錦堂を心底憎むも、手慣れた性戯に媚びなくてはならなくて、今なお、その3階では呉錦堂を閉じ込めてチークダンスのあわおどりを踊っているのかもしれない。
さて、そこで私は何者だ。私は呉錦堂などではない。救出する青年の雛型になった者だ。さしずめ青年はメーソンの儀式で、生贄を捧げられたルシファーだろう。
彼はキンイロタイシと名乗り、坂本氏からはルシファーでもあるとの言葉をもらった。そして、ルシファーはカバールによって崇拝の対象になっている。
生贄の儀式を、封印されて拘束されて、否応なく見せつけられてきた神霊だった者ルシファー。私はその雛型としてあの日、実演したにすぎない。
犠牲者たちは、呉錦堂らを憎むだけでなく、崇拝の対象たるルシファーも憎むのが当然だ。
それが封印というものが創り出す恐ろしい弊害なのである。
封印とは、催眠状態に置いて、まともに行動できなくさせる術のことである。大岩を置いたり結界を張ったりも、取り籠める催眠に誘うのだろう。
鶏が目の前に引かれた、たった一本のチョークの線に、目が釘付けになって動けなくなる状態がまさにそうだ。
ドラコ・カバールの罪が深重なることは言うまでもないが、鳥の側もいつまでも釘付けの封印状態に甘んじていることも問題なのではないか。
3次元密度のこちら側からもの申す。閉じ込められている神霊は、自らの偉大性を思い出して、直ちに八角の結界を蹴って出ましょう。
だから、私は急ぎます。ハイアーセルフかハイラーキーか知らないが、ぐずぐずしていてはいけない。
さらにもう少し、私が呉錦堂ではない理由を言っておきましょう。
なぜ私が呉錦堂のことに詳しいかについて。
そこに閉じ込められたハイアー存在が生贄の儀式を見てきただけでなく、そこに住む主人・呉錦堂のことも見つめてきたことがひとつ。
私はその情報を、必要があって求めたがゆえに、さらば与えられん式で脳裏に受け取ってきた受信者であること。
そして、移情閣の「移情」の意味を洞察してもらいたい。そこにすべてが語られています。
「移情」とは、心をその対象に移して、そのものの心になり切ることを意味しているのである。
彼が建物にこう名付けたのは、書籍「移情閣遺聞」(中村哲夫著)にも書かれるように、次の伝承に基づくだろう。
唐代の琴の名手・伯牙がいまひとつ才能が伸びずにいることを、師匠の仙人に相談したところ、東海洋上の蓬莱島に琴の先生になるべき仙人がいるから、連れて行ってやろうということになり、その島に船で送ってもらった。
伯牙はそこに置き去りにされたが、待てど暮らせど琴の仙人は現れない。そこにあるのは、潮騒と木々を吹き抜ける風の音と鳥の声だけだった。そこで、伯牙ははたと気付く。
琴の仙人はこの地で奥義を体得した。ならば、その同じ境地に至ってみようと。すると伯牙の心に、琴の仙人の心が読めてきて、導かれるようにして琴の弾き語りを一曲奏でた。
その頃合いを見て、本土から師匠が連れ帰りにやってきた。こうして、伯牙は帰国して琴の名手の名声を得たという。
これを移情の術とでも言ったらいいだろう。私は移情閣のことをより深く知るために、心をその者に重ね合わせる移情の術を使って、彼の心と彼の情熱を知り、新神話に書き留めている。
むろん、史実とは異なる記述が多々ある。孫文が移情閣にやってきたことにしているが、実際には来ていない。
しかし、当時生きた女の霊に、てっきりそうだと疑われてしまうほど、私も移情の術達者になったということだ。
私は意識を飛ばすことはけっこうやる。ともに夢見して、すごい成果を出したこともあった。朱雀の親子として飛んで、ナスカの地上絵にも遺してもらえたほどだ。
海神の娘との間にたくさんの子供も設けて、写真に六角オーブとして幾多撮られている。その筆頭の子が金剛峯寺持仏間に写った弥勒菩薩だったことも、当時のブログコメンテーター諸氏の知るところだ。
意識の身体、夢見の身体というものは、変幻自在。
対象に意識の一部を遺して、様子を探ることもできる。
新神話では、梵天直属の調査員という設定だから、種々の能力が開花したのかもしれないのよね。
すごいでしょ。神話は現実を、まず異界から誘導するのです。
話が横道にそれてしまったが、3階の悪霊の巣窟を解除する方法は、ただ昼間に窓を開放すればいいだけ。
それには、開放できる権限のある者がその気を起こすしかない。
あるいは、天変地異や戦争によって建物が破壊されることがその代わりを果たすかも知れない。
当時、ジュセリーノ予言でM8級大阪大地震が言われていたから、期待半分があった。
そして、もうひとつある。それは、移情閣とくに3階の関連樹を謎解きし、つまびらかにすることだ。
それによって、3階にアストラル界側から光が射す。
これは私がやるべきことだ。
K氏らのお蔭で、良好なヒントが与えられ、隠された霊ラインが判明したことは、謎の完解にリーチが掛けられたに等しくなった。
3階の狭いスペースを暗がりに維持していたものは、何であるのか。
火の鳥を外に出さないことに目的があるとすれば、新神話で言えば天仙の仕業と、当時から書いている。
鳥は暗がりではよく目が見えない鳥目であることを知っての狼藉だ。
ドラコ・カバールが天仙の指示で開かずの間を維持させているのだろう。
あるいは、悪霊と化した者たちが懸命に自分たちの砦として維持させているのかもしれない。
解放してもらいたいという気持ちと同等以上に、縛られていたいという思いがあると推測する。
ファン・ナンという女性も、自らのエゴのために、他の閉じ込められた者たちを縛り付けてはならない。
本当に解放されたいと思っている者がひとりでもいるのなら。
また、3階の神霊がその気になれば、こんな封印は造作もなく解けるはずなのに、時を待っているのだろうか。
そうかもしれない。
ことに地上界は面倒なことだが、手順(シーケンス)で事が進むから、地上界におけるイベントが満たされることが次の手順を導くという順序を踏むことが大事なのだ。
要は、私が3次元密度において、しなくてはならないことがあったということなのだ。