古事記の神話はいろんな人が解読しようとされてます・・・私もそのような一人です

古事記の神話は超古代知識のあらましを網羅した科学書であると同時に、神話のシナリオを地上界に理念として垂迹するツールになっているのではないかと、以前から推理していました。

科学書であるということについては、
宇宙の創世について記され(創世記)・・・そこにはコンピューター縁起らしい記述も
素粒子物理学的な物質の基本三性質
パンゲア大陸がひび割れていく大陸移動説と国産み島産み
地上界の歴史シナリオの展開
といったふうに時間順序がわかるように並べられています。

そして地上界での歴史シナリオの展開において、上つ巻のエンドまでに、この時代の世界の歴史のあらましが預言されているとみられます。
私が関心を持ったのは、この神話に係る上つ巻までです。元々、中つ巻、下つ巻までの関心はありませんでした。それは数ある歴史家にお任せしたほうがいいでしょう。
だから、神武天皇登場前後のことは、関連書の拾い読みと推理の寄せ集めでしかなく、それゆえ細部についての検証はできていません。

神話の解読から推測できたのは、これは預言であり、神々はこのシナリオに沿って地上界に歴史の顕わしをしているのではないかと思えたことです。
当時はまだ、イルミやらメーソンやら、カバールというものも知らず、預言をアジェンダにしてその通りに実演実行している秘密組織があるなどとはまったく知らなかったのです。

カバラはカバールとはまったく違う用語です。カバールはカバラの知識を重用する組織を言い、一般人よりも知的優位に立つことで、人々をコントロールするものですから、カバラがモラルを要求していても、それに従うこともしないわけです。先修験者はユダヤ教徒でモラルが重視された修行者です。修験者もそうです。カバールはまったく別物で、むしろカバラの悪用をしたというのが実際でしょう。

ところが、カバールは、神話の預言の遂行を神の意志と思っているようで、神話に書かれる内容が人類にとって不利益であっても、それが神の意志ならばと、類義の事象や事件を起こすこともいいのだろうと解釈しているようです。だから、彼らの今のアジェンダが黙示録のバビロン崩壊なら、それを遂行しようとするのです。

かつてブッシュ・ジュニアがイラクを攻め滅ぼしたのは、イラクに古代バビロニア帝国があったからです。あたかもカバールはそれが神の意志であるかのように思い込み、実行する。それが怖いところなのです。ブッシュ・ジュニアはパパブッシュと共にキリスト教原理主義者(ネオコン)で、熱烈なプロテスタントです。彼は黙示録の天使の側、神の側に立って、神の意に従ったと思っているのです。

しかし、イラクは大淫婦やバビロンの性格ではありません。ただ地理的にそうだっただけのこと。だからこれでカバールが溜飲を下ろせたかどうか。別室でチェスゲームをしているような感覚で、ホンモノをお膳立てしていたとしても、誰も気がつくことはありません。

黙示録の預言よりもすごいのが古事記の預言です。歴史の大勢を語っているからです。黙示録が細目の実演実行要領なら、古事記は歴史の大枠の特徴を語ります。

古事記の神話のことを知っているカバールもいるのかもしれませんが、あまりにも大枠を的確に示しているので、これこそは神の意志で運行されていると思うしかないです。
しかし、人類にとって、決していいシナリオには書かれていない。もしいいシナリオであったなら、もっと人類は幸福だったのではないか。
まあそれが、霊的逼塞のうお座を前提にしたシナリオなら、どうしようもないのですが、もしそうでないなら、神話のシナリオの改稿も為されるべきだったかもしれません。実に影響力が大きいように思われるからです。

神話に最も堪能なのは神社神官かと思われるのですが、上つ巻の神名を暗号として解くようなことはなされていません。神官サイドでは、神はその御名で神棚に祭られてお祈りが何らかの祝詞でされるわけです。日課のスケジュールでしょう、精進潔斎する時間を多くとり、神への祈りに時間を捧げます。神官の中には先祖からの古史古伝があり、古神道の流派を持っておられる方もあり、その膨大な古語の書籍を勉強の対象にされていることもあるようです。そして、神社独自の祭神をお持ちで、その神のことなら知り尽くしておられます。
しかし、古事記に出てくるたくさんの神々のことは、といえば、どうでしょう。
僭越ながら申しますと、古事記の神話は、神々の演ずるシナリオに預言が篭められていますから、神名の解釈が必須であり、神々のそれぞれの意味が連携してシナリオが浮かび上がってくるようになっています。とかく気にされることの多い神々の序列や系譜上の本流亜流といったこととは別ですから、こんなときは門外漢の素人のほうが見つけやすいように思います。

私はそのような門外漢の素人でありましたが、20歳頃に神道系の新興宗教の練成教化道場で一ヶ月間そこの流儀で修業したとき、道場の売店で教祖の書いた著書をタダ読みさせてもらえたため、いくつか読んだ中に、「古事記と現代の預言」という著書があったんですね。それを読んで、日本古来の大和言葉には深遠な意味があることを知り、高校時代に古典に興味したこともあり、古語はある程度わかったため、神名が教祖によってどう解釈されているか、その手法もおよそわかったのです。おおー、御伽噺のような物語ではあるものの、こんなにすごいのかと思ったのでした。

しかし、私はそこを破門されてしまい、教祖の教えはあらましわかったものの、宗教としては無信仰になりました。社会人になってから、暇もできて、あれは面白かったな、と古事記の神話を読んでみようと、文庫本の武田祐吉訳注「古事記」を買い、小さい字でしたが、口語訳はいっさい読まず、文語体の箇所だけ見て、神名を自分で訳していったのです。

すると最初から、驚異的な知識がそこに書かれていることが見て取れたのです。先に述べたように、これは科学じゃないか、というわけです。だから、相当程度、夢中になりましたね。当時名古屋にいてスピ系仲間とガリ版青焼きで会誌創りしたとき、随時に研究報告を出していました。

そして一定程度の成果が得られた頃、ペンネームとして山田久延日子がよかろうと思い、このペンネームで誰か使っている者はいないかと、中型クラスの書店に入ったとき、なんだよ、もうこのペンネーム使ってるヤツがいるぞ、とガッカリ。見てみれば、やはり古事記神話の解読をしていて、しかも宇宙人や宇宙文明との関係で解釈していたのですね。

うわーっ、先鞭つけてたヤツがいたぞ。まさかこんなこともあるのかよと、いうわけです。ところが、解釈が彼の場合は、早々に宇宙へ出てしまうのです。私のほうはそう簡単に宇宙に出たりせずに、歴史展開の大枠を意味するというふうに捉えてましたから、解釈も異なるわけです。だったら、内容についてはいい。問題はペンネームだけ。といったことでした。

また先の教祖の成果との競合や盗作はないかと彼の著書を買って見たところ、彼の神名解釈は、宇宙でもなく、ただちに神棚に、つまり神様ごとに昇華しているのですね。ほんとうにそうだったのか、あの当時は感嘆するほどだったのに、という思いにもなるほどに、解釈は異なっていたのです。

あともう一人、辻本さんという方が、古事記神話の解読をして、国生み神話の記述が、淡路を中心にした島の配置どおりだと書いた本をだされていましたが、やはり内容は異なっていました。他にも、名古屋の何区だったかに小さな個人的な神社を持ち神主されているお方が古事記の神話と言霊を解釈して本を出されていたですね。私も一冊いただきましたよ。けっこう専門的ながら、もうお歳でしたから、科学的な解釈ではなかったですね。

34歳でしたか、私は神戸に戻ってから、それまでの研究成果「超宇宙の仕組みモデル概念」と「古事記神話解釈」の二本を一冊の自費出版物にして蔵書にしたのでした。
とりとめもない約半生の形ある成果になったのは、たったこれだけでした。
しかし、その中に、九州の巨大二直角等辺三角形がすでに描かれて載っておりました。それから約5年後、西日本一帯にかけて存在するレイライン幾何学図形の存在が判明し、それがカバラを原義とする図形群だとわかってくるわけです。

龍の髭からどんどん伸びるよ、この話 (4)

私の推測になりますが、
古代にもカバールなんてと思われるかもしれませんが、むろんそのような名前で呼ばれていたはずはなく、秘密結社、秘教組織と言ったほうがいいでしょう。
ただしエジプトやカルデアに端を発するカバラを保持し、神官(シャーマン)を中核に据えていたことが特徴です。
そして、幾何学図形を必ず用いますが、その数理性に神の所作を見ているからです。そう、彼らは当初は、神に認められ託されて人類を教導していると信じていた者たちです。
その思い込みが、彼らの使う幾何学魔術に力を与えています。しかし、その直接上の知的存在は宇宙人であったとわかってきているわけです。
つまり、彼らが神と信じていたものは、ドラコ系宇宙人であり、さらに上には超古代に発足した旧スーパー連邦の地球人類22の遺伝子実験グループがいたということです。

前の記事の続きのようになりますが、
安倍晴明もカバールだったと推理します。彼がまじないで多用した五芒星形は彼の名をとってセーマン図形と言われたようです。
しかし、彼が使ったのはカバールが重用する幾何学図形であり、純な五芒星形とはいえ、カバラに準拠する、いわゆるカゴメの結界術なのです。
カゴメは最も多用されるのが八角形で、八角堂は神霊さえも閉じ込めてしまうほどの呪術力がある建造物とされます。舞子の移情閣や西湖の雷峰塔などはそうですね。
アストラルボディでの探検者の話では、アストラル界にもネガがおり、最強のネガが黒いキリストと呼ばれる存在で、八角形を使い、好んでワンダラーを手にかけるそうです。
この探検者もその発する八角形のカゴメの封印に捉えられそうになったとき、ある種の精神的技法で逃れることができたとか。
この方も、ドラゴンボールのような魔術戦争の歴戦のツワモノだからこそ、できたようなことだったようです。

安倍晴明もこのような封印結界術を使って、都に出没する魑魅魍魎を退治したとか。
しかし、大江山に住む酒呑童子を、都に起きる諸々の災いの元凶として進言し、源氏の武将に討たせたのは、まったくの讒言によるものと解釈します。
酒呑童子も先修験者であり、ヒラクリティという聖句箱を前頭部に置いて修行するユダヤ教徒だったのです。
おそらく、彼らの家系は、若狭遠敷から奈良飛鳥の都に若さ回春の霊的エネルギーを送り込む、生命の木のメインになるカバラ儀式・中央柱の回流の儀式を執り行っていたものとみられます。
それが奈良時代、大陸からの仏教と陰陽道を朝廷が用いるようになったため、お役御免になってしまったのでしょう。
若狭遠敷は仏教僧侶が取って代わり、お水送りをするようになりました。
それゆえ、酒呑童子の家系は生命の木の別のセフィラ(元伊勢)の近傍の大江山に蟄居していたものでしょう。

戦々恐々の歴史を歩んできた渡来系為政者は、都に災難が打ち続くとき、瑕疵を質そうと、何でも占いに頼ります。
八つ当たり的に、没落して仕事を干された者たちにさえむごい仕打ちを与えるものです。そこに見立ての入れ知恵が入ることに。
あいつらが都のご沙汰を怨んで呪詛しているんだ、と讒言したのが陰陽師安倍晴明。なな・なんということを。

それもこれも、まだ時代が浅かりし頃のカバール・カバリストです。これからまだ伸展していくカバールの施策の露払いの一幕と言えなくもありません。
しかし、怨みの思いは長い時を経ても、衰えるものではありません。
無実の行者を横道により惨殺した行為は、彼らの怨みが消えるまで、為した者に祟りとして降りかかり、輪廻を不幸なものにすると言います。
それを謎解きで理解して心魂を和らげてやるのも、琵琶法師の願いを持った探偵オクンドの仕事。
このように、童話風物語にして、酒呑童子一族の霊を弔っています。 ⇒ 異聞・酒呑童子伝 https://p.booklog.jp/book/90955/read

その安倍晴明は、当時最も怖れられていた祟り神ウシトラノコンシンを、蘇民将来伝説の悪役・巨旦大王だとして、鬼門封じを執り行っていました。
まあ、解釈によって、蛇にも悪鬼にもできるのが、権勢を誇った立場の者です。
それが正解だったか、誤解だったかは、やはり時代の末期でなければ、解明ができないようになっているようです。
成長期のカバールは、いけいけどんどん、なにしてもうまくいくことが可能でした。
しかし、様々なところでほころびが出る末期には、祇園精舎の鐘の声、盛者必衰の理でありました。チーン。ではなかった、ゴーンでしたか。
ちゃんと、時代に即した名探偵が登場して、快刀乱麻、謎壁塗壁をことごとく切り伏せるものでございますな。

はははははは、お任せあれ。このオクンド、梵天の勅命によりまかりこしたり。
梵天の懐刀の異名をとるこのオクンド。解明できぬときは、錯乱発狂してすべてを切り伏せ焼尽することもいとわぬを旨とします。
この宇宙を、勅命にてお取り潰しも可なり。さあさあさあさあさあさあ、どうするんでい。と歌舞伎役者のタンカを切って見せたところで、お開きにいたしましょう。

ちょっと記事が短かすぎましたかな。
そこでちょっと小話を。
そういう私もまだ未熟な時代がありましてな。
50歳以前などは、不思議事があったりしたら、喜んだことも大いにありますが、祟り事のようなことに遭遇したりしますと、びびりまくりのビビディバビディブーでございまして、よくサイババさんのお世話になりました。
もっと昔に遡れば、5歳の頃に見た盆踊りの初めて見る光景に、ここはお化けの世界だと血の気を引かせ、ぶっ倒れそうになりました。
ははははは。しかし、数ある不思議を経てみれば、まるで1万年の修行をこなした如くでござってのう。
実際、このしがない救世主オクンドの人生プログラムの主線複線のことごとくをプレイバックして嘗め尽くした感あり。
いやあ、人生ははかない線香花火の如しとは、けだし名言。
それは幾多のタイムライン火花の総集でござったという次第。
これにて、合点合点とまいりたく存じます。

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龍の髭からどんどん伸びるよ、この話 (2)

また後日にと予告したように、先日(10.27)の記事の続きになります。

弁天三姉妹(宗像三姉妹)の奥津嶋姫、瀧子姫、市寸嶋姫と大国主命と天の穂日は従兄弟同士という話の理由からですが、これはホツマツタエに依ります。

まず、大国主命と奥津嶋姫はご夫婦ですから、義理の関係になります。
弁天三姉妹は母が早子姫で゛、天の穂日は母が持子姫で、持子姫と早子姫は姉妹ですから、純の従兄弟同士で大国主命とは義理の従兄弟になります。

私がホツマを重用するのは、2013年5月11日未明に出雲大社で起床して、あたりを見て回った夢を見たとき、初めに弥生服の大国主命に出会い、次に奥方に出会ったとき、50歳になったときの最初の彼女が平安朝の単衣を着て長髪でお歯黒の女御のいでたちだったことから、それまでの不思議を総合して、奥津嶋姫だろうと推理していたときに、夢の中にしろ実物を目撃してしまったことから、まさにホツマの通りに違いないと確信したからでした。
それは記紀においてはまったく異なっていて、ホツマだけが正しいと感じ取れた瞬間でした。夢であるにせよ、目撃と推理が一致するというのは、他人には意味はなくとも、私には強烈な真相開示であると思えたのです。それをしたのは奥津嶋姫だったでしょう。

だから、私はホツマは神世の史実に基づいている、少なくとも神々の系譜においては正確性を期して書かれていると推理しました。
だからといって、筋書きまでが正しいかどうかはわかりません。神々の系譜には正確性があるのではないかというだけです。

その理由は、この制作に、朝鮮系文官が関与していることが、天照神の幼名「ウヒルギ」の記載に伺えたからです。これは朝鮮語の日輪を意味します。
朝鮮系の官僚は資料を正確に書くことが義務付けられていたことから、少なくとも人名記載において誤りはないだろうと思ったのです。
しかし、筋書きは、時の為政者の都合と指示で書き換えられることもあります。そんなときも、資料制作に当たった文官は自分のしていることに心を痛めながらであることが想像できます。発覚したときの責任は取らされるのですから。

ホツマにはたいへんなことも書かれています。天照神は男神であること、12人の妃が東西南北の方角に分けて、それぞれ由緒ある家系から輩出されていたこと。
天の穂日は北局の主体・持子姫から生まれ、天照神の第一子であったこと、宗像三姉妹は北局の副体・早子姫から生まれ、天照神の第二子の三つ子であったこと。
天照神の世継ぎになったのは、南局の主体・瀬織津姫の息子・オシホミミでしたが、五男三女の天照神の五男の中の第三子でした。
どこかで似たような話がありましたね。そう、金正日の長男・正男が世継ぎになれず、三男の正恩がなったというのは、どこかフラクタル相似像でなる歴史展開を物語るかのようです。

天の穂日が世継ぎになれなかったのは、母親の持子早子がスサノヲと共に政変を起こそうとしたかどで、お咎めが子孫にまで及んだ結果というのです。
これによって穂日の世継ぎ候補からの降格があり、彼は大国主命のところへ派遣される外交官に任命されたわけです。体のいい左遷ですね。
穂日の末裔である出雲国造家が出雲大社の神官であるのはこういうわけです。
しかし、大国主命が快く迎えたのは、妻の奥津嶋姫が穂日の従兄弟で、仲が良かったからでしょう。

政変のかどで刑を言い渡された持子早子は九州に遠投流罪となったあと、そこで延びてきた刺客の手から逃れて各地を転々とし、持子は長野戸隠の地で非業の死を遂げ九頭竜となり、早子はさらに転地した先で死にヤマタノオロチになったとされています。それぞれ相当な恨みを持っての化身の仕方だったようです。政変関係者を出したクラキネ家は没落。彼も恨みの言葉を遺しています。

ヤマタノオロチは地殻変動、地震や噴火の原因だと、私はかねがね推理していて、それを退治するため(なだめるため)にスサノヲは台風になって、震源地に向かうのだと神話的推理をしていたものです。スサノヲは穂日の叔父に当たります。だから私は、台風が直撃してきそうなときは、スサノヲに和らげてくれるように祈るのです。するとほとんど実害がないという結果になっています。

穂日の子孫の菅原道真も讒言により遠投流罪となり、大宰府で監視され刺客におびえながら非業の死をとげました。まるでこの一族は九州遠投が板についているかのようです。しかし、彼の恨みは超一流で、霊力が雷電を起こし復讐を遂げたとされています。それゆえ、天神に昇格もあり、それを見た判官贔屓筋が冤罪説を定着させました。今では藤原時平の陰謀に嵌められたものとして知られています。しかし、持子早子のほうは女ゆえにか、男衆でなる神社神官衆にはいつまでも悪し様に言われるのが常のようです。これでは地変も収まりがつきにくかろうと思うのですが、詳しく調べてみようという奇特な人がいないのですかね。
これももし冤罪であるなら、持子早子の政変と道真の事件とは、なにか神世からのフラクタル相似像的展開に思えます。

相似像ならば、持子早子も冤罪ではないのか。雷電を起こす道真。天変地異を起こす持子早子。もしそうなら、持子早子の冤罪を晴らすことは、天変地異の被害を少なくすることにも繋がるのではないかと思うのですがね。
このように思い、異界の謎解き専科のオクンドは、快刀乱麻、謎壁塗壁のことごとくを切り伏せて、みごと解明に繋げてみたく思います。

このオクンドは50歳になるずっと前から、もうこんなの嫌だ、昔の人は言いました、人生50年、それが長寿だった頃もあったこと。どうか、お願いだ、私をこの世という時空のレコード盤にに針を置いた方よ、50歳でもうたくさんだ、それ以上要らない、それ以後のどんな転生も御免だ、こんなくだらんことなら続けたくない、50歳で針を引き上げてくれと、まあそう真面目でもなく、運が良くないときに怒りに任せて言っていたところがありました。

まあそんなに、効果を期待していたわけではなかったのです。ぶつくさ言ったところで何か特別なことがあったことなどなかったのでね。
それで、46歳頃でしたか、ちょうど田舎から祖母が逗留しに来ていたこともあり、ちょっといいとこ案内しましょうと、淡路島の平和観音像という博物館のようなところに行って、8階だったかに四国八十八箇所の境内の砂を集めた、短時間で八十八箇所をお参りできるというコンビニ的お寺があるので、母もともども連れて行ったのです。

足が弱くなっていた祖母は喜びまして、母とともに参拝している間に、私は先に出ていて、そこに七福神の金塗りの等身大の神像があったので、まず毘沙門天にお線香を捧げ、もう一本あったのを、なめらかな豊満さをたたえた弁天様に捧げつつ、あなたのような方と結婚したいです、と祈ったのです。
だから、そのときには50歳でどうのこうのといった話は忘れていたのでしょう。また、母を残して50で去るなんて、母がどれだけ落胆したやらと後で思います。

平和観音像の中は博物館のようになっていて、有名画家の絵画や、江戸時代の参勤交代でお殿様が乗る籠や戦国武将の甲冑が展示され、地下階にはレトロな外車が展示されているといった場所でしたが、中身はぜんぶイミテーション、レプリカなのです。

さて、どうやら私のハイアーセルフは、私にそれならと、楽しい時空を増設してくれたようなのです。だから、50歳になった途端から、彼女ができ、めくるめく不思議な人生が始まったのでした。
私は、50歳どうのこうのといった話はとうに忘れて、面白人生を堪能しました。最初の彼女とは第二の彼女からのアクセスでしばらく別れることになりました。そして復縁といいますか、出会うのは初めてになるのですが、2004年に最初の彼女と親密になり、私は50歳になった時点で人生を終わらせてくれと祈っていたけど、生きていて良かったよと何気なく語った言葉で、彼女が最初にメールした日を調べたら、私の50になる直前日だったことを電話で知らせてきてくれました。それを聞いてびっくり。じゃあ、あの祈りは聞き届けられていて、これじゃあいかん、いい時空にしてやろうと、このような展開にしてくれたのだろうという結論になったのです。

私が願い祈ったのは、どこかの神様などではありません。私はこの世がコンピューターで運行する仮想現実だと理論化していましたし、自論ゆえ信じています。私が意識を持って眺める人生は、プログラムであり、その起動はレコード盤に針を置くようなことと思っていましたから、それをなさったお方、ハイアーセルフですね、この方が私を主人公にしたゲームをしているのだから、私の人生に全責任を持つこの方に、針を50で上げてくれと言っていたことになります。
どうやら、それが正解だといったことのようです。

しかも、最初の彼女も第二の彼女も、やがて弁天三姉妹のうちの二人の化身とわかってくるわけですから、化身すなわちイミテーションなんですね。淡路島で祈ったことも、イミテーションで実現したのです。ただし結婚はできなかったですが、最初の彼女(奥津嶋姫の化身)とは魂の婚儀として我々だけで執り行ったのです。
と、左の薬指を見れば、していたはずの指輪がなくなっているではないか。彼女との約束の指輪なのに。そうか昨日、病院でいろいろ検査したときに、外れてしまったのかもしれない。最近、骨が細くなっていて、簡単に抜けそうになっていたからだろう。今の今まで気がつかなかった。二万円もするのに。そのとき、猫のシャンが食事をねだりにやってきました。

こういうときは、解釈で乗り切ることにしています。解釈改憲のようなこと?ノー!
これをいま書いているときに起きたことゆえ、これは今回のプロジェクトが終わりに近づいたことを意味するだろう。そしてシャンがたまたま来たのは、いつも何らかの彼女がいてまるで女房のようにしているが、次世代はシャンが後釜に座ったのだろうといった解釈をするわけですね。

さて、ではそのプロジェクトとはなんだったかを知る上で大事なことを、ストーリー風に並べてみましょう。

50歳以降をどうやら私は、別人生をあてがわれた、このことは何らかの神がハイアーセルフに就いたことを意味します。
最初は弁天様の旦那さんの梵天様だったのですが、弁天様も三姉妹に展開してそれぞれの役目を果たされようとする頃には、日子ホホデミ(山幸彦)や天の穂日がかかる、つまり私オクンドというウマにはこのような方たちが乗馬されるようになったものと推測します。弁天様が乙姫や豊玉姫になるときは浦島やウシトラノコンシンやホホデミが。宗像三姉妹になるときは穂日といった具合ですね。

ちょっとひがみ根性が入りますが、
穂日様などはきっと、命要らずの魂要らずのちょっと論理思考の強いオカルト贔屓の者は下界にいないかと探されていたときに、おりますよおりますよ、ここにおります、ここに使い捨ての駄馬がおりますが、けっこうものを考えるやつですから、いかがですかといったことだったかも知れませんね。ざけんなよ、もう二度とこねえぞ。
そうだよ。おいらこそ、命要らずのギャリソン・ゴリラでい。
そしていまは、穂日様の名馬として、へっへっへ、そうかね、ホントかね。
まあ、穂日様のお役に関する謎解きはほとんど完了したといえるのではないかと思っています。それも解釈ですけどね。

龍の髭伸びるよ伸びるどこまでも・・・菅公左遷のこと

今回はちょっと菅公左遷の謎解きについてです。

知っているようで知らない菅原道真公の謎(その2・国史篇)
https://ameblo.jp/neko-tomotyan/entry-12147062549.html

引用
太宰府天満宮をはじめ各地の天神社・天満宮では、道真の命日の2月25日(現在の1月25日)「うそかえ祭り」という一風変わった神事が、千年以上たった現在でも続けられています。

「替えましょう~替えましょう~嘘をまことに替えましょう~」

正直な学者であり、また古代の出雲氏族を祖に持つ菅原道真にとって、日本の正史が歪められていることは、まさに断腸の思いだったのではないでしょうか。
道真は、配流先の大宰府でその「歴史のうそ」について周囲に話していたかもしれません。

——————

こんな質問を正式にした方がおいでです。

問い
菅原道真の歌「東風(こち)吹かば にほひをこせよ 梅の花、主(あるじ)なしとて春を忘るな」を「春な忘れそ」と書いてあるものもあるが、どちらが正しいのか。

答え
文献によって記載が異なる。
「拾遺和歌集」「大鏡」「源平盛衰記」
では「春を忘るな」になっている。

「宝物集」「十訓集」「古今著聞集」「延慶本平家物語」「太平記」では「春な忘れそ」になっている。

なお、所蔵がない文献では、
「古来風体抄」「定家八代抄」「高良玉垂宮神秘書紙背和歌」「源氏物語古注釈書」――春を忘るな
「真名本曾我物語」「神道集」「荏柄天神縁起」――春な忘れそ
となっていた。

文献が一番古いものは拾遺和歌集であるが、どちらが正しいかは一概に言えないのではないか。

——————

「春を忘るな」の歌のほうは、真意を知られてはならない者の手によって作り変えられたのでしょう。
なぜならば、歌の中に、「う」と「そ」の言葉が入っているほうが道真らしいからです。

よって、こちらで見ていけば、

こちふかば
にほいをこせよ
うめのはな
あるじなしとて
はるなわすれそ

太宰府天満宮をはじめ各地の天神社・天満宮では、道真の命日の2月25日(現在の1月25日)「うそかえ祭り」という一風変わった神事が、千年以上たった現在でも続けられています。
「替えましょう~替えましょう~嘘をまことに替えましょう~」

この道真の指示からすれば、藤原一族によって歴史の不都合な真実が書き換えられているが、そのうそを
まことに替えてくれとの訴えであり、こちふかば・・・の歌にも解き方の暗号が込められているのではないか、と解釈しました。

だから、注意深く、歌のほうも見ると

うめのはなの「う」と
はるなわすれその「そ」までの間に
うそがあるから、注意して読むか、もしくは「うそ」の文字を
「まこと」に取り替えてくれと言っているように思われるのです。

では一例として取り替えてみると

まめのはな
あるじなしとて
はるなわすれこと と読めます。

豆の花、在る字なしとて、貼る名忘れ(ぬ)こと という意味にならないか。

つまり、はじめに在ったはずの文字がなくなっているが、さる名前を思い出せば、豆の花も咲いて匂いを漂わせるような季節の便りを聞くだろうという意味に捉えられないか、というわけです。

豆の花? で思い起こすのはこの話です。

大本教の開祖・出口なおの『お筆先』に登場する「三千世界一度に開く梅の花、艮(うしとら)の金神(こんじん)の世になりたぞよ。神が表(おもて)に現れて 三千世界の立替え立直しを致すぞよ」

その梅の花が、実は豆の花だったらどうなるか。
三千世界に一度に豆の花が開くとは。

ウシトラノコンシンは大本教によれば、国常立神が封印されて「炒り豆に花が咲くまでは出てはならない」という呪詛がかけられていて、それが解けるまでは出て来れなくなっている元在った本来の正神の姿であるわけです。

道真が読んだ、あるじ(在る字)とは、在ったはずの「炒り豆」の字のことであり、忘れてはならないはるな(お札に貼る名)とは国常立神のお名前のことではないかと推理するのです。
つまり、道真も現代における正神の復活を予想していたのではないか、というのが私の推測です。
つまり、当時にはすでに、大本教のような思想があったものと思われ、それが朝廷を憚って表にできなかったのではなかったかというわけです。

当時は日本書紀が正史とされ、それに反するような史書はことごとく抹殺されたはず。その事実を知ってしまった道真は、時平に悟られて、時の醍醐天皇にとっても都合の良くない存在と看做され、左遷されてしまったのかもしれません。

見つけた真相は大宰府でも隠さねばならず、真相を知りうる暗号を暗示歌に込めて詠い、また鷽(うそ)という鳥を喩えに使い、地元民に伝承を託したのではないか。

鷽鳥(うそとり)のお守りは、嘘を取る者を守るというお守りになっているのですね。
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道真が言いたかったのは、いずれ炒り豆にも花が咲き、私のもとにも匂いが届くだろう。そのとき正神が復活なさって天地の天の岩戸開きをなさるだろうということではなかったかと、想像するのです。

そのような伝承は藤原一族によって、元あった神話から外されたり、意趣を誰にも気取られぬよう、徹底的に抹消され封印されてしまったのでしょう。

当時の藤原氏はここに書いてありますように、カバールです。
https://p.booklog.jp/book/99385/page/2690671/bookmark
歴史の改竄はカバールの十八番と相場が知られていますからね。嘘つきはカバールの始まりなんて諺もありましたかね。
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イルミカード (歴史の書き換え)

朝廷の天皇も、いまの米国歴代大統領を見るよう、カバール派と正義派が乱立していたのかもしれません。
宇多天皇は道真を重用し、信頼を置いていました。しかし、後の醍醐天皇は藤原氏を重用。宇多天皇が退き上皇になってからは、口出しできなくなり落胆されたとか。

大宰府にいた道真を、藤原時平はなおも監視し藤原清貫を派遣し見張らせたとか。
道真の辞世の歌にも疑いを持ち、改竄して伝えたのが「春を忘るな」だったかもしれません。これでは何の含みもない単なる和歌です。

その清貫は清涼殿での会議のとき、落雷によって焼死。
その他陰謀関係者も落雷や変死怪死で亡くなったとか。
これには朝廷の重臣たちも怖れをなして、道真に畏敬の思いを込めて天神として祀ることにしたとか。

もし今の米国がトランプ敗北となりカバールが勝利したなら、歴史はフラクタル相似像的に繰り返し、
道真公の相似像として火の鳥を御す者が太陽フラッシュでカバールの焼尽を図ることになりましょう。

正神復活の時代は、いまここに来ています。
しかも、道真公。ご貴殿のいちばんご先祖の天の穂日様じきじきに、このご神業に携わることになっているのです。
この時代ゆえに。

それを語る天の穂日様の乗馬ウマであるオクンドのいと誇らしい思い。ヒヒヒヒヒーーン。
そこで、神楽舞を一席ご披露つかまつろう、とウマが後ろ足で立ち上がり、

オクンドの介はおいらの仲間ぁ~
奥の戸めざして進んでく~
こりゃ、てけれつてけれつりっしゃんしゃん、てけれつてけれつりっしゃんしゃん。

立ち塞が~る塗壁の介ぇ~
快刀乱麻に解いていくぅ~
こりゃ、てけれつてけれつりっしゃんしゃん、てけれつてけれつりっしゃんしゃん。

数ある謎もこのとおりぃ~
天神様よ、ごらんあれ~
こりゃ、てけれつてけれつりっしゃんしゃん、てけれつてけれつりっしゃんしゃん。

太鼓、笛、鈴の神楽のお囃子に載せて
オクンド・オーマンコスキー。

龍の髭からどんどん伸びるよ、この話

トンの話の続き・・・龍の髭からどんどん伸びるよ、この話

昨日の記事で、トンは「龍の髭」を道草としてよく食すると書きました。実際、こんなふうです。
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少しずつ伸びてくるので、先のほうから噛みとって食べているのです。薬草になるのでしょうね。
自分の毛を舌で毛繕いのたびに食べてしまうので、それが胃腸に入って毛玉になって腸閉塞を起こすのを自分で吐くために、これらを食べるそうですが、それ以外にも胃腸を強くする効果があるのでしょう。

シャンは当初からそれをしなかったから、胃腸が弱く病弱になったかもしれず、最近はトンに倣って時々食べるようになっています。慢性腎不全も治ればいいのですが、いちおうかなり快活さを取り戻してきています。

最初の彼女との初デートのときに知った「龍の髭」

さて、「龍の髭」という植物の存在について知ったのは、2004年のことで、1999年12月の私の50歳の誕生日前日に初めてメールしてきた女性と、初めて出会って初デートしたときでした。

デートの場所は、兵庫県加西市にあるフラワーセンターで、3時間ほどの見て回りの終わりに、出口のところが植物の販売所になっていたので、「お土産を買ってあげます、いい花があったら示してください」と言いますと、彼女はなんと、小さなプラポットにこんもりと入った花のない観葉植物を持ってきたのです。
これでいいの、花でなくてもいいのですか、と聞くと、部屋の中で観葉植物を育てているから、これでいいとのことでした。

その名前を見れば「龍の髭」と書いてあるわけですね。それを見て、オワッ、君も龍の関係者かとびっくりしたようなことでした。本人は何も知らずとも、彼女のハイアーセルフが教えているわけですね。

というのは、2000年7月頃に割り込むようにメールしてきた第二の彼女が、霊能者で霊媒体質で、大本教系の信仰があり、どうやら白蛇の精らしさを醸す、本体(ハイアーセルフ)が金縁の龍という人だったのです。それで私は、新神話でこの人を白蛇伝の白蛇と設定して、最初にメールしてきた彼女を青蛇(白蛇の部下もしくは姉妹)という具合に記載していたのです。
この彼女も「龍」にちなむものを選んできたわけなので、やはり君もそうだったのか、となったのです。まさかフラワーセンターで数ある草花の中から、龍にちなむものを選び出すなんて、確率的に稀でありすぎます。新神話はこのように神話上の出演者をも用意してくれるように働くという、最初の経験になりました。

すでにいくつもの不思議を醸した白蛇の彼女とは喧嘩別れしていましたが、新神話は、目の前のどこにでもいるような彼女を励起するようにして新たに回り出したのです。

この方は、キリスト教系の家庭でしたが、本人は無信仰で、なんの宗教的知識もない方でした。加えて、旦那さんが家計のいっさいを掌握し、彼女には不自由させないという以外は、財産管理はむろん、家計簿なども付けさせてもらえなかったのです。それで彼女はマンションの中で、特に買い物以外どこに行くでもなく、閉じ込められたような気持ちでいたようです。そこに私が割って入った格好になり、連れ出してラブホに時折行きますと、そこで彼女は、自分自身に魅力があることに気づいて、太っていた身体をいつしか引き締めて、まるで女子高生のような引き締まったプロポーションで私に抱かれてくれたのです。エッヘッヘヘヘ。ああ涎が・・・おっとっと。

その年、2004年の10月に彼女は、それまででも籤運がめっぽう強かったらしいのですが、地元の商店会の抽選でみごと一等賞のハワイ行きを引き当てたため、私にハワイ土産を贈りたいから、何がいいかと聞くわけですね。すると私は、ハワイを東海洋上の蓬莱島と見立てて、そこと地続きな竜宮にある「乙姫の玉」として、海岸に落ちている丸い石なら何でもいい、君からの贈り物の玉は乙姫の玉になるからと、所望したのでした。

ところが、ハワイは土地にあるものは何も持ち出してはいけないことになっているのですね。それで彼女は、中国民芸店でトパーズ玉と、欧州民芸店で木彫り人形の二つを買い、私に少し早いがと言って誕生日プレゼントとしてくれたのです。

トパーズ玉は乙姫の玉として私の神通力の拠り所の宝になりました。これはヒコホホデミが豊玉姫からもらった潮干る潮満つの玉であると共に、ウシトラノコンシンが乙姫から世の建て直しに使うときに授かる乙姫の玉でもあると見立てたのです。

もう一方の木彫り人形を見てびっくりしました。何とこれは、太陽神であった頃の青年ルシファー像だったのです。七対羽根が天使であることを表し、猫をひざの上に抱いて結跏趺坐している様で彫られていました。
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ルシファーは、先住民族の太陽神として信仰されていたのですが、キリスト教がキリストを太陽神に挿げ替えるために、まず金星に退去させ、さらに悪魔にまで仕立てた、立場を簒奪された神だったのです。
このことは2003年に丹後のGさんが、わざわざ我が家にやってきて、猫好きだったというルシファーの伝承を教えてくれまして、それを知っていたから、この人形はいったいどういうシンクロなのだと驚愕したのでした。やはり彼女のハイアーセルフが選んだのでしょう。

そして、ウシトラノコンシンは、二番目の彼女が信仰していた神・国常立神の強制引退させられ封印された憤怒相の神で、この彼女がどうしても封印からお救いしたいのだと私に話していたときに、移情閣で鶴亀統べる儀式をしてしまい、鳥取西部地震で封印解除の手掛かりになる「火の鳥」の言葉を掴んだことから、これはもしかしたら私に課された役割なのかも知れないと思っていたわけでした。

しかし、その彼女とは喧嘩別れして、もうあかんかなと思っていたときに、最初の彼女が復帰してくれ、しかも龍に縁がある人だとわかり、期待が生まれていたのです。
そんなときの、この二つのプレゼントに、あんたもホンモノに間違いない、となったわけでした。そして、役割はまだ続いていると確信した次第でした。

ルシファーもウシトラノコンシンも、元あった立場を簒奪された神だったのです。しかも、2003年には、移情閣の三階の青年の話を打ち明けたのが密教行者の坂本廣志氏。
すると彼は、そそそそれは、毘沙門天や、大魔神や、大天狗や、鞍馬天狗や、サナートクマラや、金星王や、ルシファーや、神々さえもおそれおののく存在やで、と絶叫され、併せてウシトラノコンシンのことでもあると述べられたことから、これらの神々がひとつに繋がり、さらにこの彼女のプレゼントの超シンクロ劇に、私は打ち震える思いがしたのでした。

こうした経緯を知ると、おのずと故事来歴がわかってくるというものです。サナートクマラはルシファーと同体で、鞍馬の満月祭(ウエサク祭)とは、ルシファーとその妻ディアナを讃えるものであり、欧州先住民族の異教徒ペイガンの月光浴の祈り、サバトにまで遡ることがわかったのです。その伝承がいつ頃か日本にやってきて、鞍馬に収まっているのです。

最初の彼女と二番目の彼女は、互いに嫉妬し合っていたわけでしたが、白蛇伝の故事が決していい加減な話ではないことから、やはり共同作戦の体制をとっていたことがわかってきました。
私は、青蛇の彼女に、いずれ白蛇が脱魂してでも合流してくると新神話に書いて見せていました。それであって初めて白蛇青蛇の白蛇伝が成立するからです。いっぽうだけがいなくなってしまうのでは、物語は終わってしまうからです。

するとどうでしょう。2005年の2月の終わりごろに、すでに2001年に二番目の彼女を連れて行った丹後の元伊勢に、この彼女も連れて行くことにしたのです。地元を案内してくれるGさんに会ってもらうためでもありました。二番目の彼女は彼に会うことはできなかったのですが、この彼女にはいつもの元伊勢の売店でGさんに会わせることができました。

待ち合わせ場所にやってきたGさんが開口一番に言ったのが、「これはもしかしたら、この方に関係がある話かもしれませんが」と前置きし、その日の未明に見た夢の話をするのです。
「夢の中で、白蛇と青蛇が交互反転しながら、僕の前に飛んでくるのです。蛇は財運に関係するので、いい夢を見たように思うのですが、もしかするとこの方に関係があるのかと思いまして」

むろん私は、新神話を書いていることなどいっさい彼には話していません。彼もかなりの霊能者だということだけなのに、まさかこんな話を彼女と初対面ながら最初に話し出すとは。

私は唖然として聞くばかりでした。彼女は私とはお互い物語書きの同好者として付き合いが始まったので、新神話を書き加えていくごとに、彼女には逐一読んでもらっていたのです。

だから、Gさんの話に彼女は驚くと共に、私と口裏合わせているのかとまで疑ったほどでした。しかし、私はそんなことは絶対にしないと言いました。だから、その会見の場は超越した話の場になっていたのです。その後で、Gさんは天橋立のほうに案内してくれたのでした。

それでも、疑いは簡単に晴れるわけではありません。しかし、時の流れは不思議にも、青蛇を主役にしようと動いていたのでした。

私が当時、初めてブログを書き始めたのでしたが、FC2というサーバーを借りてのことでした。そこにたくさんの表紙になるテンプレートが利用者のために提供されていたのですが、そのいちばん最後のZのタイトルのテンプレート作品を私は自分のブログに採用したのです。なぜかと言えば、フラッシュアニメで映像が流れるとともに、魅力的なバックミュージックがかかり、しかも漢詩の歌詞がアニメの字幕として流れていたのです。
おや? これはもしかして白蛇伝にちなむものではないかと思い、当時はまだ読者レギュラーが多いときでしたから、みなさんに注目してもらうべく採用したのでした。

そうするうち、いったいこの曲は何だろうと思い、漢詩の数行を検索にかけてみれば、「流光飛舞」という曲で、映画「青蛇転生」という香港映画の主題曲だったのです。
https://youtu.be/htSdR0wIeu4

白蛇伝にちなむものに間違いなかった。
この映画は、日頃、脇役に甘んじている青蛇を主役にしなくては可哀想だという判官贔屓のファンの期待に応えてできた映画だとのことです。

それを見て、彼女に報せ、同映画をチャイニーズショップから原語ながらも取り寄せ、彼女にも見せたのです。そして、時代は青蛇に代わったのだよと諭し、だから新神話に起きる真実を信じてちょうだいねと。
彼女は不思議な世界へのお輿入れにびっくりしながらも、納得してくれました。

その後、彼女の旦那さんが定年退職して、出会いが困難になりましたが、彼女は意識を飛ばしてやってくることができるようになり、霊能力がどんどん開花しているようでした。

2007年1月14日の未明の夢でしたが、彼女は本体を顕わして我が家にやってきました。たくさんの雲を伴った雲龍として我が家の周りを二周して、北側の窓を龍の髭でちょこんと開けて、私の胸に飛び込んできたのです。私は、龍と合体したので、その場でウルトラマンのポーズを決めたところで目が覚めました。そんな夢を見たことを彼女に告げますと、「それは私よ」と返事がありました。
https://p.booklog.jp/book/97441/page/2635130/bookmark

胸の中に宿った彼女が最初に貢献してくれたらしいことが、同年9月にありました。
2007年9月6日に我が母が亡くなり、9月21日夕方に、母の盛大なお見送りができなかったことを悔やみ、というのも、男に生まれたなら位人身を極めるほどの魂の人なのに、何とかできないかと神々に祈りを捧げたその翌朝未明の夢に、大きなホテルを借り切るほどの人を集めて、「屋上に上がってください」のアナウンスで、エレベーターで屋上に出て見れば、山上から見る富士山のような雲海にご来光が輝いており、我が母がご来光に向けたムービングロードを渡っていくのを、お見送りのみんなで盛大に見送るという、けっこう長い印象的な夢だったのです。
https://p.booklog.jp/book/97441/page/2635142/bookmark

前夜に神々に祈ったことが叶えられたことで、私は朝、神々に感謝を捧げました。こんなことがあるのかと。夢だから誰も検証できないのですが、私にとってはあらゆる不思議が起動したように思えたことでした。

そのときには、まさか彼女が関わってくれているとは思わなかったのですが、それからちょうど半年後に、私のブログをよく見に来てくれていた滋賀県に住むPさんという男性が、琵琶湖バレーで残雪スキーをするために山小屋泊まりした朝に、ものすごくきれいな雲海とご来光が出たので撮影したものを贈りますと、メールで送ってくれたのです。
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それを見てびっくり。夢の中の山上から見た雲海と、寸分違わぬ光景が写っていたのです。夢の中のお見送りの参列者の黒服の折り重なる後ろ姿が、その写真では左右の山の稜線になっていました。そして、ムービングロードが消えかけて写っているのは、雲海の切れ間から見える琵琶湖湖面にご来光がそこだけ照り返して写っているのだと、Pさんは説明してくれました。

このすばらしい演出をしてくれたのは、そうだ、胸の中に納まった彼女だよきっと、弁天三姉妹の長女・奥津嶋姫様だから、きっとこういうわけだろうと、地図で調べてみれば、案の定、Pさんが撮った方角は春分の頃に撮ったわけですから真東で、ご来光へと伸びる直線は、蓬莱山頂上から琵琶湖沖島の蓬莱嶽を通るものになり、蓬莱道龍和尚の付き添いでご来光へと渡っていく母のムービングロードを下から支えてくれたのは沖島に祀られている奥津嶋姫様に相違ないとわかったわけでした。 https://p.booklog.jp/book/97441/page/2635142/bookmark
ブログでその感動を伝えますと、10人ほどのレギュラーコメンテーター陣は炎上して祝福してくれたのでした。

奥津嶋姫様は琵琶湖では市寸嶋姫様とともに、幾何学的に7対2の構図を作ります。市寸嶋姫様は白蛇の彼女の本体で、ちょうどあなたとの関係は2年でした、と言い残して別れていきました。だから、やや晩生の奥津嶋姫様が本体の彼女とは、ほぼ通算7年のお付き合いになったのでした。
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その奥津嶋姫様は、ホツマツタエによれば、大国主さんの奥様です。その通り、式年遷宮があった翌日の2013年5月11日という日の未明に私が見た出雲大社で起床した夢では、最初に見たのが弥生服姿の大国主さんで、二番目に見たのが、平安朝の単衣スタイルの長髪の女御で、笑えばお歯黒がキラリと印象的だった彼女のお顔の奥津嶋姫様だったのです。 https://p.booklog.jp/book/97441/page/2635600/bookmark
何度も何度も、彼女は奥津嶋姫だよと、いろんな局面で教えてくれているのです。

さてそこで、私は誰のキャラクターをやっているのだろうと思いますよね。彼女たちが古事記にも載る有数の神々のキャラクターなのに、彼女らと肉体まで関わった私はいったい何なのだと、ふつう思いますわねえ。
もしかすると、式年遷宮という出雲大社にすれば大行事。その翌朝に緞帳で仕切られただけとはいえ一室が与えられた私とは。そうだ、大国主命をお祭りする側の立場の天の穂日なのかもしれないと推測したわけでした。
その年の10月には出雲国造千家と皇室の典子様のご婚儀がありましたが、千家さんは一番末端の子孫で、天の穂日は一番先祖になります。

天の穂日なら、奥津嶋姫様や市寸嶋姫様と肩を並べられますし、実際に私は彼女たちをリードしていた立場でしたから、釣り合いましょう。

天の穂日という線がいっそう濃厚になったことがありました。
名古屋のマメさんという主婦とは2008年からのネット友達だったのですが、当時、食べるものもないという窮状を私は目にし、事情を聞けば、ある邪悪な宗教に高額な壷を買わされて借金でどうにもならなかったのでした。事情を聞いて解決策を教えると、けっこううまく解決がつき、以後、彼女に複在していたマメ君という宇宙人霊を新神話上の私の後釜に据えるべく、私が父親になり彼が息子だということにして、ある種の意識的訓練を夢見で行うという不思議なことをしていたのでした。ほんとうに変人です。

意識訓練だから、直接出会うことは一度もなく、マメ君はマメさんと共に夢見して、私と夢見の立場で訓練に励んでくれていたのです。2008年から2009年までそのようなことをしておりました。

その方が、2013年の式年遷宮の頃、思い出したようにして、2008年頃に異界交信して得られた回答に、こんなものがありましたと、それだけ抜き出して伝えてきました。これも偶然でしかもマメさんのたくさんある交信結果の中から大事なものだけ二つ選んで伝えてくれたんですね。

Q 私の道行の友は誰ですか  A 鳥
Q 私は銀河宇宙出身ですか、それとも地球出身ですか  A ひな出荷

私はそれを見て、一瞬のうちに、天の雛鳥という、天の穂日の息子の名前になることに驚きました。
それだけでも、この超特大シンクロには、ウワーッ、でありました。

意識的訓練でやっていたのは、新神話で私は火の鳥・朱雀を受け持つ四神獣のひとりでしたから、私が亡き後はマメ君に継がせようとしてのことで、夢見の中で朱雀親子の飛行訓練をしていたのです。
特に私は親鳥ながら、飛行したことがさほどないのは、古墳の壁画を見ればわかることでもあります。飛んでいる姿で発見された古墳の例がひとつもないのです。
ところが、このたび、その当時発掘調査されたキトラ古墳だけは、朱雀が助走をつけて飛び立つ寸前の様子が描かれていたことから、私は夢見の丘で助走をつけて飛ぶ訓練をしたわけでした。マメ鳥はその点、その場から飛び立つほどに軽量でしたから、たいがい私が彼に追いつく格好でした。

夢見の丘には、いつしかギャラリーが集まり、どうやら異界交信チームの黒装束の5,6人と、マメ君の友達になっていたアインシュタイン博士の白衣のひとりがいたことは、上空から確認しています。そして私も異界交信して、我々の飛行する様子について、彼らから「芸術的」という評価をもらっています。

芸術と見て、彼らが描いてくれたのでしょう。夢見の丘に、彼らは親子の鳥の大きな絵を描いてくれていたようです。2014年に初めて発見されたナスカの地上絵として、今までは砂塵に埋もれて発見されなかったのだろうとの注釈付きで、大きな親鳥と小さな子鳥の線描画が写真に撮られて残されています。この通りの形の丘が、夢見の世界では緑の芝生の丘であり、そこにギャラリーは集まり、参観してくれていたのです。
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また同時に、二匹の蛇の線描画も見つかって、写真に残されています。こちらのほうは、我々初心者が飛行するので、飛行に熟練した白蛇と青蛇の彼女たちが伴走あるいは先導してくれたときの絵が描かれているとみられます。
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このように、我々はありあまるほどの果報者です。不思議が目白押しになることほど、愉快なものはありません。おカネではない、すごい宝を持ち合わせているという気持ちになります。

何か目的があるのだろうか。そうなのです。そのために私はこうやって新神話を書き続けているのです。

新神話は、神世の歴史シナリオと言っても過言ではありません。それを書くことで、その物語に出てくる登場人物や神々の役柄に応じた俳優さんの応募があるのです。新神話のキャラクターのポストはほとんどはそうやって埋まりました。

マメ君の場合も、ちゃんと異界交信の回答が来ているように、ヒナとして出荷、つまり彼の母星からこの役柄を演ずるために、派遣されてきているのです。ある映画の出演者が、様々な芸能プロダクションから送り込まれるように、彼も羽虫型宇宙人の惑星(スクナビコナ星)から霊体としてやってきているのです。

しかし、思ったよりもたいへんで、長らくカルチャーショックで塞ぎこむようなことがあったのです。私もそうでした。一度、幼少期にこの世を怖がると、自閉症のようになるものです。彼は複在の霊であったわけですが、経験は主婦さんの霊と共有していて共に苦しんでいたのです。

私はだから、彼を夢見の世界に連れ出し、我が息子にして訓練していたのです。それが後に、神話上の天の雛鳥になろうとは、思ってもみなかったわけでした。

すべてがシンクロのうちに新神話のポストにきちんと収まる。そういう不思議経験を積み重ねています。
もう求まらないかと思っていた四神獣の白虎のポストですらも、2009年11月に神世のシーサー一家が白虎のフーちゃんを連れて我が家にやってきてくれました。

またさらに言えば、天の穂日の系統は、息子が雛鳥(ひなどり)で、元服して建比良鳥(たけひらとり)となるように、鳥の種族・エイビアンなのです。穂日も朝鮮読みするとホィルになり、ホルスから日本語に転じていることが見て取れます。ホルスは隼の頭を持つ未来太陽神であり救世神です。

私がそうなのか? 簡単にはそうは言えません。
私は穂日やホルスをハイアーセルフとしていただくことがけっこうある人(日戸)であり、いわば乗馬ウマというのがいいところでしょう。出雲大社の夢も、穂日の視座から見た光景だったかもしれません。

後の菅原道真も天の穂日の子孫であるとのことです。彼が後に天神さんと言われるようになったのも、祟りの強さだけでなく、灼熱の火の鳥を実際に使ったかも知れず、清涼殿落雷で陰謀を謀った藤原清貫らを焼き殺した雷電とはその効果なのでしょう。また鳥族ゆえに天神に擁立されたかもしれません。

あともうひとつポストが埋まっていないかのように見えるのは、弁天三姉妹の真ん中の次女・瀧子姫様を本体とする俳優さんが長らく未定だったのですが、2014年9月に思わぬ人物として現われ、求めに応じてくれました。役柄受諾のちょうどその日その時刻に、国常立神を祀る御嶽山が、まさに受諾の時刻に噴火しました。しかし、死者が58人も出たため、ちょっと保留としていたのですが、やれる人物がおらず、ゆるやかな抜擢ということにしています。猫のシャンが今のところ瀧子姫役を半分務めていますが、けっこうお姫様のようにわがままなのはそのせいでしょうか。毎日というのはおえりゃあせんぞな。

その方は、私に2013年の前半にダウンシュラフを献じてくれた人で、出雲大社で起床する夢のきっかけを作ってくれているのです。鳥族の穂日にふさわしい羽毛の寝袋ですから、きっと穂日の夢を見るのに適切だったのでしょう。そして瀧子姫は奥津嶋姫の妹ですから、出雲大社の大国主さんとも従兄弟同士になります。では、天の穂日は? そう、彼も出雲の皆さんとは従兄弟同士になるのです。

またその話は次回にでもいたしましょう。