初めてムカデに咬まれる

8月4日の夜9時過ぎでしたか、私がPCの前に座って居眠りしていたときに、いきなり右足の中指に火傷をしたときのような熱感が走ったのでした。見れば、10Cmほどのムカデがたたたーっと去って行きつつあります。ウワーッ、コノヤロメーと、ムカデ退治に使っていたキンチョールジェットを探している間にいなくなっていました。
さて、ムカデに咬まれたことが明らかなので、傷がどうなるか見ていたのですが、熱かったのはあの一瞬だけで、何の腫れも生じませんし、痛んだりもしません。ちょっとムヒだけでもと塗っておきましたが、不思議なことに、蚊やその他の吸血昆虫にやられたたくさんの痒み傷がまったく痒みを催さなくなったのです。
これはいったいどうしたことでしょう。
私はキモ悪くて、見つければ殺しているのですが、ムカデはスサノヲ神の眷属なのです。
蚊やノミ、ダニなどは邪神によって吸血を条件付けられた者たち。これらに刺されると、ひどい痒みと不快感に苛まれます。その虫害の差は、表立った評判と違って、著しいのです。
むろん、初めてのムカデ咬傷ゆえ軽く、二度目以降がアナフィラキー症状が出て怖いのでしょうけど、このときのムカデを、居眠り注意をスサノヲ神が与えてくれた伝令として感謝することにいたしました。

哀愁の猫物語

物語とはタイトルしましたが、実話ですからね。
うちの三猫も不思議な存在ですが、食事をねだりにくる他所猫(この場合は二匹)も不思議なものです。
この都合五匹は、私の寝ているときの夢の中に登場してきているのです。そして、他所猫の夢はいま正夢として現在進行しています。
うちの三猫が白虎一家なら、他所猫軍団はみな眼光鋭い伏儀神農一家といったところ。いずれも神格的化身かも知れないため、厚くもてなしてやろうと思っているのですが、筋は通さねばなりません。他所猫は元飼い主の残酷に遭った放置猫だったかもしれませんが、A宅が餌付けしていたので、A宅の所有であり、うちの猫を威嚇してひどい目に遭わせていたので、拙宅の敷地にも入れるわけにいきません。
いちどリーダー格の風格ある切れ長の目をした茶猫が、私と対峙したことがあって、このとき私はすげなくあっちへ行けと手で合図したのです。これは彼らに対する意思表示です。リーダー格猫はすごすごと去っていきました。
それ以後、長老格猫はじめリーダー格猫たちは姿を消し、下っ端であろう猫たちがいくつかのグループを作って独立しているような感じになりました。A宅が処分しだしたのかも知れません。当然、えさもやらなくなったと。
そのグループのひとつが銀猫(お銀:たまろの母猫)と息子の黒猫。これも黒猫の姿が消えて、お銀だけが拙宅の納屋を棲家にしたいためか、一日に何度も侵入を繰り返しておりました。
おそらくまたお産しようとのことなんでしょう。が、それはこちらが困ります。ウーが妊娠中で、侵入されただけで気が立っておりますから、精神的にも落ち着いてもらわねば。そこで、外から直接入れる侵入路を塞いで、納屋の屋上からしか入れなくしたのです。すると、うちの猫たちが納屋を昼間だけ寝るのに使うようになりました。外敵が頻繁に侵入していたため、警戒してよう使えないでいたのです。ありがたいことに、この暑い夏を人工の温度調節なしに過ごしてくれるようになりました。もしかしたらウーは、広い納屋の中でお産するかも知れません。
もうひとつのグループが、夢に帰順の意を表してきたボクサー猫と三毛猫です。こちらはなかなかたいへんです。
夢でコミュニケーションがとれたと思ったのでしょうか、その日を境に、現実でも擦り寄りの姿勢を見せ始めたのです。それまでは何度も、うちの猫と喧嘩してギャーギャーやるたびに、私は棒切れや石つぶて、さらには蹴飛ばしまで追っ払っていたのでしたが、いささか私に仏心が生まれた隙を衝かれたのかも知れません。特にボクサー猫のおこもさん的おねだりに、残飯にプラスアルファしてえさ出しをするようになったのです。
うちのオス猫たちは、これを見て、他所猫の態度が変わるかと思ったに違いないです。それ以来、他所猫の傍にいる機会が増えましたから。
が、彼らが大人しいのは腹を減らしているときだけのこと。お腹がふくれて元気が出た頃に、仲間意識を持ったうちの二匹を襲いましたから。その様子を私は見ていて、襲った直後に、因果を言い含めるため、以前のように追い回して、お互いの関係としての一線というものを思い知らせているようなことです。
しかし、このボクサー猫と三毛猫の連携にはすばらしいものがあります。積極的におこもさん作業と哀れなパフォーマンスを演じるのはボクサー猫。腹はペコポン。毛並みは乱れ、尻尾のあたりに皮膚の破れたおできがあって、抜け毛が相当。それがうちの敷地に近いところの道端にうつぶせに横たわっていれば、たまに通る車の人の目にもついて、どこの飼い主の残酷に遭っているのだという噂にもなるでしょう。最近は昼間の道路の真ん中に横たわっていたりと、演技も堂に入っています。
猫も同情を買う演技をするんです。私はそれを知ると逆にそっぽ向くんですが、このたびは少し話が複雑です。
私がA宅との中間あたりにえさを持っていって置いてやると、まずボクサー猫が「にゃーにゃにゃー(おありがとうごぜえやす)」と言って食べようとするも、私が去ってすぐに三毛猫がどこからか現れて、二人で食べているのです。三毛猫のほうは、外交に長けていないのでしょう。ボクサー猫が体面を捨てて、殴られるやも蹴られるやも知れない中で、身体を張ってがんばっているのです。この二人は、枯れススキ夫婦なのでしょう。えさも少し増量するようなことになりました。
おそらく、お銀も飼い主を求めているのでしょう。しかし、たまろを産んだときもそうでしたが、半分野生猫です。人影に逃げ出すようでは、飼うには適しません。もし、たまろのときにそのまま親子とも居ついていたなら、私は他人から猫をもらうこともなかったのです。
今度もまたお産したかったのかも知れませんが、今は無理。無人の館はいっぱいあるので、そっちのほうでよろしくとテレパシーを送っときました。

暑い日々です

右に参考リンクサイトを掲げていますが、私が参考にするのは世の情勢に関するニュースだけであって、彼らの考え(仮説)や信条を真に受けたりしているわけではありません。仮説はひとりひとりにあるものであって、仮説している本人のものであるに過ぎず、他人に学ばせよう、賛同させようという野心自体が間違っていると思います。
私は自分が関わっている現象だけで十二分に学べていると思っています。聖賢や一流科学者の御説を読みふけっていたのは20年前までのこと。今ではそれらすべて嘘というおにぎりの塊に、まことらしき綾という合成調味料のふりかけをかけただけのものだったと思います。だから今は他所に信ずべきものなどなく、自己に起きることの中に真を見出すことに努めています。
世界人口は多いように見えていますが、縁の繋がりで測れば、実は極めて僅少であるということ。これと同様に、世に憚る真実というものも、実に僅少です。それを60年を賭して蒐集していたようなものです。
淋しい人生だなとお思いかも知れませんが、事実として、誰しもがそうであるのです。事実に抗う必要などどこにもありません。
笑いがこみ上げてくるほどの事実 (ダミーがつきあってくれている、これが世の実態)
私が運営するサイト。FC2のアクセス解析の改訂版を入れているのはUFO超常ブログだけです。ところが、解析を入れてもいないはずの場所からも上がってきていて、全体ページでのアクセス数はユニークだけで50?100いっています。
しかし、一般客の来訪は少なくて、多くをgooglebotが占めているのです。来訪カウンターのほうも、googlebotがかなりのカウント貢献してくれている。つまりgoogleがロボットを使って巡回していて、それが少し間をおいて頻繁にやってきているというわけです。まさにダミーロボットが大勢を占めるRPGゲームの世界と言っていいでしょう。お客の多くはダミーだった。でも、サイトを賑わしてくれていることは間違いないのです。お礼を言わねば・・・ダミーよ今夜もありがとう。
むろんあなたのサイトの場合は違うかもしれません。人それぞれに真実は異なるのです。異なると言えるのです。それを、人それぞれ住む世界が違うと言います。人それぞれに経験する世界は異なるのです。当たり前のことですね。
検索ロボットを回避する方法があるようなので、やってみるつもりです。そうすれば、どんなことになるか。事前に笑えてしまいます。このUFOブログ、いよいよ遊星化してしまうかも知れません。
白虎たちに来てもらったものの
ところてん式の先入れ先出し法ではないのですが、白虎が入ってくれば青龍が出て行ってしまう。四神獣が全部揃うということはないのでしょうか。この最強の布陣、飛鳥資料館の理想形はやはり仮設展示ゆえ実らないのでしょうか。
いま白虎のために、新神話のコマが進むといった状況にはありません。どうやって彼らを起用すればいいのやら。
せっかく来てくれた白虎一家ですが、この夏の暑さで半グロッキー。食欲がないので、サプリで主食分までを補給しているようなことです。
その点、あのよそ猫は飢餓で道路脇にへたっていながらも、残飯をやれば微塵も残さないほど食べて元気そのもの。うちのオス猫たちは、いつまでたってもまず勝てる見込みはありません。
数日前から、オス二匹には、辛いようならもう(神界に)帰ってもいいぞと言っているようなことです。ウーには子供ができているので、えさをオスの倍食べてなおまだ探しているようなことで、頼もしくうれしく思っているのですが。生きようという気力の差は歴然として、猫の間にもあるようです。
いやー、猫というのは人間以上に人間らしいものがある。これはまたおいおい掲げて参りましょう。

メルヘンはマンガやアニメの如し

メルヘン世界は漫画チックにできている
(幼少期に漫画やアニメに傾倒するのにはわけがある(それをまた利用する邪悪がいる)神々にとってこの世体験は過酷極まりない)
ある話によると、この今の世は第三密度であるときに、アセンション後は第四密度以上になるとか。
が、まるで密度が高くなり、内容的に充実するような表現の仕方は誤りだと思います。
微細を穿つような物質組成をしているこの世こそ高密度なのであり、意識の自由度や造形能力が高くなる霊や幽の世界のほうが低密度なのです。定義が厳密化し複雑化するほど、物事の自由度は損なわれますが、いまこの世の支配者はその方向に歴史を進めているところで、その過程で人間の魂を圧し潰そうとしています。
人間でも生き物でも、必ず眠りを必要とします。それは、魂に意識の自由度を回復させる閑を与えねばならないからです。でなければ、身体はあっという間に朽ちてしまい、魂の抜け殻同然になります。
よく夢に出てくる世界は、霊や幽の世界に近いわけですが、荒唐無稽と思えるほどにマンガチックです。そこに出てくるキャラクターは、良くて劇画、ひどければ象徴とストーリーだけの三文アニメのようです。それが神話世界(メルヘン)というものでもあり、内容の破天荒さの度合いには何の軽重もないのです。
メルヘンの世界から下ってきた間際の幼児期は、どちらかといえば、原色の絵やマンガのほうに興味するのが当然です。このことを逆手に取って悪質なイメージを植えつけようとする(洗脳する)ヤカラがゴマンといます。およそそれらは闇の支配系の仕業です。
また、神々の世界から何か目的を持ってやってきた神の化身も多々います。が、ちょうどRPGゲームのようなものですから、目的を見つけるまで、いろんな試練をクリアーしてこねばならず、とみに嘘偽りの蔓延する世界となっていますから、過酷極まりないものとなっています。
身内さんも神の化神で、幾重もの守護神の加護によって、最後の役割まで順当に果たされたのでした。それは奇跡的なほどの出来でした。すでに責任は、それを受け継いだ者にあります。安らかに。
身内さんは六角オーブを出雲系御神紋と聞いて出雲地方の神社巡りに行かれた
(ホツマは沖津嶋姫(奥津嶋姫)の夫神を大巳貴命としている)
空海かならずしも善ならず。
世の人たちは空海を純然たる善と思いたがる傾向にありますが、それは歴史の表側しか観ない所作でしかありません。信仰の対象にするときには、どうしようもないです。信者は彼の法力に託して自身の安寧を授かろうとされているのですから、それはそれでいいでしょう。
彼は当時の朝廷の命を受けて、神戸の麻耶山はじめ山岳地に展開していた山人の霊能者いわゆる「天狗」を密教の強力な呪法によって結界に封じ込めてしまったのです。権力におもねる者が利権を取得する代償として朝敵を倒すことは、どこでも行われていた事ながら、一方的に善者として崇められていることは、非常に不公平なことであると申しておきたい。
当時の空海は、カバラ秘術に通暁したメーソンリーであった可能性が大。同根である朝廷が重用せざるを得ない立場の者であった事は確かです。私が彼を許せる時とは、呪封した多くの者の魂を彼自ら解き放つ行為をし終えた時です。それまでは許せるものではない。
身内さんが高野山に行くことを言い出されたとき、私はやめたほうがいいと言ったのです。というのも、神社仏閣を巡るタイプの人ではなかったし、特に龍神系の化身にとっては、人間の霊能者は禁忌の存在ですらあるからです。人間は邪悪性を備えた存在だということ。必ず何らかの陰謀が仕組まれていると観たほうがいいのです。空海ならなおのことです。
身内さんが白蛇伝にいう青蛇の雛形であるときに、空海は法海に相当します。かつて白蛇の雛形であるイナンナが武良さんを法海と見ていたように、私(許仙)には空海がそう見えました。妖怪を見つけて呪封するのが法海の使命。だから、どうしても行くなら警戒していなさいと。
イナンナはその点、怪しいところには間近まで行っても立ち寄りませんでした。(それは天橋立にある籠神社:龍を閉じ込める結界を意味する籠の字が使われ、しかも瓢の宮とさえ書かれます)
https://ufocolumn.blog2.fc2.com/blog-entry-552.html
やはり、お蔭をもらって帰ってきてしまわれました。彼女も私も合わせ鏡のように全身倦怠に襲われ、この件を解き明かしてしまうまでは回復しなかったのです。空海は目的を果たしたのです。弥勒が降臨したことを、このサイトで触れ回るように仕組んだのです。このサイトは誰がどう見ても、人気も集客力もあるはずないのに、どうしてここなのか。それは、この一件を、新神話に書かせたかったからに他なりません。
身内さんの功績は多大ですから、おのずと新神話にも天仙邪神側の息が吹き込まれることになる。その意図はどこに。それは・・・(笑)。私の新神話創りのペースが落ちたのは、そのせいかも知れません。書き続けたくなくなってしまったのです。
弥勒降臨。みなさんはいいことのようにお思いでしょうか。弥勒は建て替えの神ですから、破壊が先にやってきます。ソフトランディングの緩慢さが許されるかどうか。仏陀もこの弥勒には道を譲ってしまわれたのです。
オバマが所説どおり弥勒として機能しそうです。菅も額に疣をつけて弥勒顔をすでに醸しています。世界を破壊してしまう力を発揮するかも。
ではその先にどんな世界がやってくるのか。私はまったく期待しません。むしろ彼らの人口削減計画によって駆逐される側にこそ幸ありと思います。アセンションは字義どおり昇天によって達成されるでしょう。無理して残ろうとする必要はない。無理なく残れるならそれでいい。
身内さんはその後たくさんの六角オーブを撮り続けました。デジカメに自然に写り込みました。その現れ方はやはりマンガチックでありながら、ちゃんとストーリーに乗っかっているのです。
彼女は、何かの神との霊的交わりを果たしたことによる、自らの生んだ子たちだと思っておりました。なぜなら、彼女にとって自分しか関われないUFOだったからです。母体が龍とすれば、子も龍神系になるのはやむをえないことでしょう。たくさんの排卵が一度にあり、それが受精して魂を持つので、無数の命です。この場合は、豊玉姫と山幸彦との交わりです。その子のひとりに弥勒がたまたまいたということです。それはウガヤフキアヘズでもあります。
六角オーブの形は出雲系の神社の御神紋の形でもあります。大国主命(大巳貴命)やスサノヲ神の祭社がすべて六角の亀甲紋です。
武良さんもこの頃、いちどビデオカメラで六角UFOを撮っていて、同じ頃に蛇の空中大量乱舞の映像も撮っていたことから、国津神が勢いづいているとまで表現していたのでした。
そこで彼女は、突然思い立ったようにして、出雲の神社巡りをします。中でも多倍神社での六角オーブは、六角が右側だけ半円になりかけた形で、彼女は直感的に六角から何かが飛び出そうとしているようだと言っておりました。私は六角オーブの中に「剣」の古文字があることを観て、旁の左が亀、旁の右が鶴の象形文字と観てとったのです。つまり、鶴と亀が渾然一体になり(渾って)、いついつ出やるの「籠の中の鳥」がまさに飛び出んとしているわけです。
亀甲紋は出雲系国津神のシンボルみたいですが、もしかしたら、自称天神と名乗る贋天津神族(インベーダー邪神ども)に敗北させられたときに、六角の堅固な結界籠の中に封じられたのかも知れません。それが間もなく破られるというのが、かごめの童歌であるような感もあります。
空海が麻耶天狗を封じた呪術が三角護摩壇法。これは三角の結界の中に閉じ込めてしまうものです。2004年頃には、麻耶天狗が三角からいろいろ変化(へんげ)して麻耶山周辺を飛び回る姿が、私たちのビデオカメラで捉えられていますが、まもなしに解放される喜びを感じとることのできる映像でした。
そしてさらに最近になって、彼女が出雲に行った確実な理由が分かったようなことです。
それは、彼女が奥津嶋姫(沖津嶋姫)の化身であるときに、ホツマツタエの言い伝えによると、大巳貴命が旦那さんになるからです。まずご主人に会いに出雲詣でをし、さらにその後に、霊験として、自らの魂の形(亀甲に花)を横たえて(死を顕わし)横向きの六角オーブとして写真上に顕わし、その翌日、豊玉姫の性質を顕わして、南洋沖縄の海から海原の竜宮に帰ってしまわれたということになります。新神話で受け持たれたすべての神の雛形として、役割を果たし終えられたというわけです。
しかも、タイミングとして、これからちょうど世界が崩壊の憂き目に遭うという、断崖から転落する直前に、列車から降りられたのです。まさに強力な守護神なくてはやれないことでした。こういうタイプのアセンションもあるということでしょう。お幸せに。