8月4日の夜9時過ぎでしたか、私がPCの前に座って居眠りしていたときに、いきなり右足の中指に火傷をしたときのような熱感が走ったのでした。見れば、10Cmほどのムカデがたたたーっと去って行きつつあります。ウワーッ、コノヤロメーと、ムカデ退治に使っていたキンチョールジェットを探している間にいなくなっていました。
さて、ムカデに咬まれたことが明らかなので、傷がどうなるか見ていたのですが、熱かったのはあの一瞬だけで、何の腫れも生じませんし、痛んだりもしません。ちょっとムヒだけでもと塗っておきましたが、不思議なことに、蚊やその他の吸血昆虫にやられたたくさんの痒み傷がまったく痒みを催さなくなったのです。
これはいったいどうしたことでしょう。
私はキモ悪くて、見つければ殺しているのですが、ムカデはスサノヲ神の眷属なのです。
蚊やノミ、ダニなどは邪神によって吸血を条件付けられた者たち。これらに刺されると、ひどい痒みと不快感に苛まれます。その虫害の差は、表立った評判と違って、著しいのです。
むろん、初めてのムカデ咬傷ゆえ軽く、二度目以降がアナフィラキー症状が出て怖いのでしょうけど、このときのムカデを、居眠り注意をスサノヲ神が与えてくれた伝令として感謝することにいたしました。
日: 2010年8月6日
哀愁の猫物語
物語とはタイトルしましたが、実話ですからね。
うちの三猫も不思議な存在ですが、食事をねだりにくる他所猫(この場合は二匹)も不思議なものです。
この都合五匹は、私の寝ているときの夢の中に登場してきているのです。そして、他所猫の夢はいま正夢として現在進行しています。
うちの三猫が白虎一家なら、他所猫軍団はみな眼光鋭い伏儀神農一家といったところ。いずれも神格的化身かも知れないため、厚くもてなしてやろうと思っているのですが、筋は通さねばなりません。他所猫は元飼い主の残酷に遭った放置猫だったかもしれませんが、A宅が餌付けしていたので、A宅の所有であり、うちの猫を威嚇してひどい目に遭わせていたので、拙宅の敷地にも入れるわけにいきません。
いちどリーダー格の風格ある切れ長の目をした茶猫が、私と対峙したことがあって、このとき私はすげなくあっちへ行けと手で合図したのです。これは彼らに対する意思表示です。リーダー格猫はすごすごと去っていきました。
それ以後、長老格猫はじめリーダー格猫たちは姿を消し、下っ端であろう猫たちがいくつかのグループを作って独立しているような感じになりました。A宅が処分しだしたのかも知れません。当然、えさもやらなくなったと。
そのグループのひとつが銀猫(お銀:たまろの母猫)と息子の黒猫。これも黒猫の姿が消えて、お銀だけが拙宅の納屋を棲家にしたいためか、一日に何度も侵入を繰り返しておりました。
おそらくまたお産しようとのことなんでしょう。が、それはこちらが困ります。ウーが妊娠中で、侵入されただけで気が立っておりますから、精神的にも落ち着いてもらわねば。そこで、外から直接入れる侵入路を塞いで、納屋の屋上からしか入れなくしたのです。すると、うちの猫たちが納屋を昼間だけ寝るのに使うようになりました。外敵が頻繁に侵入していたため、警戒してよう使えないでいたのです。ありがたいことに、この暑い夏を人工の温度調節なしに過ごしてくれるようになりました。もしかしたらウーは、広い納屋の中でお産するかも知れません。
もうひとつのグループが、夢に帰順の意を表してきたボクサー猫と三毛猫です。こちらはなかなかたいへんです。
夢でコミュニケーションがとれたと思ったのでしょうか、その日を境に、現実でも擦り寄りの姿勢を見せ始めたのです。それまでは何度も、うちの猫と喧嘩してギャーギャーやるたびに、私は棒切れや石つぶて、さらには蹴飛ばしまで追っ払っていたのでしたが、いささか私に仏心が生まれた隙を衝かれたのかも知れません。特にボクサー猫のおこもさん的おねだりに、残飯にプラスアルファしてえさ出しをするようになったのです。
うちのオス猫たちは、これを見て、他所猫の態度が変わるかと思ったに違いないです。それ以来、他所猫の傍にいる機会が増えましたから。
が、彼らが大人しいのは腹を減らしているときだけのこと。お腹がふくれて元気が出た頃に、仲間意識を持ったうちの二匹を襲いましたから。その様子を私は見ていて、襲った直後に、因果を言い含めるため、以前のように追い回して、お互いの関係としての一線というものを思い知らせているようなことです。
しかし、このボクサー猫と三毛猫の連携にはすばらしいものがあります。積極的におこもさん作業と哀れなパフォーマンスを演じるのはボクサー猫。腹はペコポン。毛並みは乱れ、尻尾のあたりに皮膚の破れたおできがあって、抜け毛が相当。それがうちの敷地に近いところの道端にうつぶせに横たわっていれば、たまに通る車の人の目にもついて、どこの飼い主の残酷に遭っているのだという噂にもなるでしょう。最近は昼間の道路の真ん中に横たわっていたりと、演技も堂に入っています。
猫も同情を買う演技をするんです。私はそれを知ると逆にそっぽ向くんですが、このたびは少し話が複雑です。
私がA宅との中間あたりにえさを持っていって置いてやると、まずボクサー猫が「にゃーにゃにゃー(おありがとうごぜえやす)」と言って食べようとするも、私が去ってすぐに三毛猫がどこからか現れて、二人で食べているのです。三毛猫のほうは、外交に長けていないのでしょう。ボクサー猫が体面を捨てて、殴られるやも蹴られるやも知れない中で、身体を張ってがんばっているのです。この二人は、枯れススキ夫婦なのでしょう。えさも少し増量するようなことになりました。
おそらく、お銀も飼い主を求めているのでしょう。しかし、たまろを産んだときもそうでしたが、半分野生猫です。人影に逃げ出すようでは、飼うには適しません。もし、たまろのときにそのまま親子とも居ついていたなら、私は他人から猫をもらうこともなかったのです。
今度もまたお産したかったのかも知れませんが、今は無理。無人の館はいっぱいあるので、そっちのほうでよろしくとテレパシーを送っときました。
暑い日々です
右に参考リンクサイトを掲げていますが、私が参考にするのは世の情勢に関するニュースだけであって、彼らの考え(仮説)や信条を真に受けたりしているわけではありません。仮説はひとりひとりにあるものであって、仮説している本人のものであるに過ぎず、他人に学ばせよう、賛同させようという野心自体が間違っていると思います。
私は自分が関わっている現象だけで十二分に学べていると思っています。聖賢や一流科学者の御説を読みふけっていたのは20年前までのこと。今ではそれらすべて嘘というおにぎりの塊に、まことらしき綾という合成調味料のふりかけをかけただけのものだったと思います。だから今は他所に信ずべきものなどなく、自己に起きることの中に真を見出すことに努めています。
世界人口は多いように見えていますが、縁の繋がりで測れば、実は極めて僅少であるということ。これと同様に、世に憚る真実というものも、実に僅少です。それを60年を賭して蒐集していたようなものです。
淋しい人生だなとお思いかも知れませんが、事実として、誰しもがそうであるのです。事実に抗う必要などどこにもありません。
笑いがこみ上げてくるほどの事実 (ダミーがつきあってくれている、これが世の実態)
私が運営するサイト。FC2のアクセス解析の改訂版を入れているのはUFO超常ブログだけです。ところが、解析を入れてもいないはずの場所からも上がってきていて、全体ページでのアクセス数はユニークだけで50?100いっています。
しかし、一般客の来訪は少なくて、多くをgooglebotが占めているのです。来訪カウンターのほうも、googlebotがかなりのカウント貢献してくれている。つまりgoogleがロボットを使って巡回していて、それが少し間をおいて頻繁にやってきているというわけです。まさにダミーロボットが大勢を占めるRPGゲームの世界と言っていいでしょう。お客の多くはダミーだった。でも、サイトを賑わしてくれていることは間違いないのです。お礼を言わねば・・・ダミーよ今夜もありがとう。
むろんあなたのサイトの場合は違うかもしれません。人それぞれに真実は異なるのです。異なると言えるのです。それを、人それぞれ住む世界が違うと言います。人それぞれに経験する世界は異なるのです。当たり前のことですね。
検索ロボットを回避する方法があるようなので、やってみるつもりです。そうすれば、どんなことになるか。事前に笑えてしまいます。このUFOブログ、いよいよ遊星化してしまうかも知れません。
白虎たちに来てもらったものの
ところてん式の先入れ先出し法ではないのですが、白虎が入ってくれば青龍が出て行ってしまう。四神獣が全部揃うということはないのでしょうか。この最強の布陣、飛鳥資料館の理想形はやはり仮設展示ゆえ実らないのでしょうか。
いま白虎のために、新神話のコマが進むといった状況にはありません。どうやって彼らを起用すればいいのやら。
せっかく来てくれた白虎一家ですが、この夏の暑さで半グロッキー。食欲がないので、サプリで主食分までを補給しているようなことです。
その点、あのよそ猫は飢餓で道路脇にへたっていながらも、残飯をやれば微塵も残さないほど食べて元気そのもの。うちのオス猫たちは、いつまでたってもまず勝てる見込みはありません。
数日前から、オス二匹には、辛いようならもう(神界に)帰ってもいいぞと言っているようなことです。ウーには子供ができているので、えさをオスの倍食べてなおまだ探しているようなことで、頼もしくうれしく思っているのですが。生きようという気力の差は歴然として、猫の間にもあるようです。
いやー、猫というのは人間以上に人間らしいものがある。これはまたおいおい掲げて参りましょう。