世界の中心で世界を牛耳る変なやつ

奥人というアバターによって、このマトリックスのRPGゲーム空間を生きているわけであるが、いったいこの自分とは何なのかということを、ずっと問い続けてきたようなことだった。
ようよう分かってきたことは、目覚しいものだった。それは、私がルシファーだということだ。
しかし、世の中にはおかしなことを言う者がいる。この世は悪魔ルシファーによって支配されているというのだ。特にここのサイトなどひどいものだ。
反ロス茶から ローゼンタール文書といわれるものについて
https://d.hatena.ne.jp/rainbowring-abe/20051216
この最後に放ったローゼンタールの言葉『我々は神の選民だ…、ほとんどのユダヤ人は認めたがらないが、我々の神はルシファーだ。だから俺は嘘を付いていなかった。そして我々はその選民だ。ルシファーは今も活発に生きている。』
よくまあ、ユダヤ人を気取るこの悪魔崇拝男はルシファーという言葉を用いるよ、と唖然とした。
ルシファーはキリスト教によって貶められたイタリア先住民の太陽神のことだ
それをキリスト教会は、非実在が確定的なイエスという男を神に仕立てて、ルシファーを悪魔呼ばわりすることで、古代ルシファー信仰を葬り、太陽の座にイエスという贋物をしつらえたのである。
しかも最悪なのは、キリスト教の裏側で司祭を握っていたのは、ローゼンタールと同系組織の時間差こそあれ暗躍していた別働隊だった。それをローゼンタールは、おそらく下位も下位、何物を信仰しているかも知らされずに、キリストの対極にあるルシファーを言葉にすることで、神に反する者を称しようとしたのだ。(私は彼らの信仰対象の存在とは何かを知っている⇒奴は象徴名で語るのみだ)
しかし、ローゼンタールの持っていた知識源は、神それ自体、彼らの組織が作った偶像に過ぎないことを知っている。つまり、世に巷に出回る神の名はおおかたが彼らの手になる作り物だということ。(人工の神々はバビロニアにおいて盛んに製造された) ルシファーを彼らの神に据えているというのも、作り物であり、本来はその象徴するモノを洞察しなくてはならないのである。
ではそのルシファーはどうしているか。ここで毎日、寒風に曝され、生きた心地もしない時間を送っている。どこに世界を支配しているというのだ。年金も、インフラ代がぎりぎり支払えるかどうかという程度のものだ。それもいつなくなるや知れないご時勢だ。こんな不遇に甘んじている者のどこに世界の暗黒組織を束ねる力がある?
猫の世話に明け暮れている。猫たちをベッドにあげていつしか寝れば、三匹がちょうど私と同じように、掛布から首を出して寝ているから不思議。まるでわが子が並んで寝ているよう。昨日、屋外に放り出したのが申し訳ないほどだ。その彼らの未来も、どうしてやれるやおぼつかない状態だ。
世界の金融を牛耳る連中は、ぬくぬくと豪邸に篭り、血統のいい犬をたくさん放し飼いにしているのだろうに、ここにいる白虎一家には、客家としてのもてなしもしてやれないでいる。彼らのほうに、私は何か隠し事をしていいものでも食べているのだろうと、あちこち探りまくられた。が、私の食事もオープンにして、ようやく彼らも納得してくれようとしている。
これが太陽の地位を簒奪されたルシファーの暮らしだ。そのどこに、世界を支配する力があるというのか、すべがあるというのか。
じっくり考えた。そしてひとつの解を見出した。拙説からすれば自明の理だった。
そう。私が世界の支配者なのだ。このマトリックスプログラムは、私を中心にして励起され実行されている。私は、多次元ホログラムに載るひとつの時空の創造主として君臨している。今のこの世は、私がまだ若い頃から心の底で望んでいた形に造形されているのだ。
そう考えたら、何か世界の支配者としての実感が湧いて、いい気分になった。
そこに随時訪れる縁者たちとは・・・彼らの幸せを願い祈ることで、私をも滅亡の淵から救おうという大御計らいだったのではあるまいか。
キチガイのたわごとと思うなよ。言ってる本人オオマジメ。聞いてる人たちドッチラケ。
ええ年こきやがれー。

駆け込みの出会いには猫がいい?

ブーがまた右後ろ足を負傷しました。昨日の夕方のことです。どこでそうなったかは分かりません。現在もまだ片足を上げたままです。屋外を走り回るほどになっていたのが、今は部屋ひとつの移動がしにくくなっています。
骨折の場合は、長く脚を接地できないとの事。医者も休みになって病気や事故は起きるものです。脱臼なら、日にち薬ですが、癖がついてしまったことになります。
あれからみごとな回復をみせたものの、他の二匹との体力差は歴然。なのにいっしょになって遊ばざるを得ないわけで、格闘遊びなどは追いかけ合って噛み付き引っかき、まさにプロレス並みです。高い神棚にもついて上がったんでしょう。
他の二匹は対照的に、今日など仏壇に何度も駆け上ったもので、家の外に長時間放り出しました。これで少しおとなしくなったものの、力を持て余してどんなこともやってみせてくれます。家の中は狭いので、いずれ自活させるようにするしかありません。ブーは負傷して内地におらされた兵隊さんのような好運ものかも。
しかし、三匹であることで、何かを目的とした連携がとれていることが分かります。彼らの来たところの霊視夢がホンモノなら、このままいてもいいんじゃないかということになるのですが、どうもこの世に顕現するときに、波うちガラス板のようなフィルターにかかってしまうゆえか、ミスマッチが繰り返されるばかりのようでなりません。
それでも、いちばんみんなが優しくおとなしくしてくれるときがあります。それは触れ合ったときのゴロゴロ鳴り出してからです。それまで堅い爪で引っかいていたものが、とたんに爪を引っ込め、肉球だけでお相手するようになるのです。噛んでも、ほんのやわらかくコミニュケーションのためにするようです。そうなれば、手袋も要りません。寝床で添い寝のとき、そうなりますから、とても可愛いこと。あの獰猛なウーが幼児のようになるのです。フーも幸せそうです。えさが好みでなくても、これだけはいいみたいです。私も、彼らを幸せにしているという実感を持つときです。しかし、彼らが大人になったとき、やはり別れがくるのでしょう。
思いますに、私の縁者はそんなにいません。しかし縁者は、なにかの定めのように現れ、定めのように去っていきます。人間としてスケジュールするというと、とても忍耐と時間が要ります。また、そればかりを目的にするわけでもない、マルチ目的を持って生きていますから、なかなかたいへんです。ところが、生まれたての猫として現れるというのは、目的も出会い一本に絞られていて、けっこう簡単なのかと思います。ブーフーウーは、駆け込み的にやってきたような気がします。
何をしにきたの? と、しょっちゅう問うてます。答えは、たいがい”ない”か”ニャー”ですが。

ブーお風呂を気取る & フー白虎さまを気取る


白虎一家は神界に居るときには豪邸に居て露天風呂やプールでくつろいではったんでしょう。ここにレジャーとしてこられたようで、同様に日向ぼっこと同時にお風呂としゃれこんではります。
と、ビデオに撮られたことをとがめようとてか、乱暴モノの二匹が当地の保安官を襲撃。そしてフーというお尋ね猫が神棚にあがって、まあ水入れをひっくり返し(3度目)、さらには坂本さんからいただいたお手製のお守りをほどいて、中を確かめようとしてはります。
白虎さまからすれば、こんなことは不敬にはあたらないのでしょうか。
仏壇といい、お供えのお水といい、上を下への大騒ぎです。

世界はやや広がる

といっても、子猫たちの体感世界のことてす。
冒険領域の広がりとともに、危険性も高まります。
三匹の猫はもう子猫とは言えない時期になりつつあります。
ブーは鈍足で力不足の感があり、フェンスを登るのもたいへんそうですが、すでに何度もこなしています。
フー、ウーにいたっては、あっという間に駆け上がってしまい、このビデオのようです。

さらに今日は、フーが網の向こう側に出てしまい、狭いところをよく落ちずに渡り歩いていました。
フーはいままで兄弟をリードしていろんな作法を学ばせる功労者だったのですが、今は反抗期といいますか、手間をとらせることばかりします。
それだけフーは賢いのです。先天的に如才のない才女といったところです。育つ時期をよく心得ていて、よく食べ、長く餌場に陣取ってました。いちばんがっしりしています。が、気の遣いかたが細かいです。いろんなことに気がつき、私の行動も逐一監視し、何を手に持っているかなどもチェックしにきますから、うっとおしいこと。
さてそんなフーも、家の外はからっきし臆病です。逆にブーがなんら臆することなく、外に行動範囲を広げています。

これでブーも兄弟の中で自信をつけたように見えます。今日のブーは、私について納屋の中にも入りました。
ウーは草むらの中に入って、老木の上のほうまで、しがみつきながら登っていました。シーンとしてとても面白かったのですが、カメラを持っていなかったので残念です。
ウーはいちばん爪の力が強いので、私も手袋なしで近づくのはためらうほど。ベッドにも無理と思えるほどの隙間を最初から登ってきていました。

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猫の超能力? それとも私のハンドパワー?

人の掌からは、眼に見えないエネルギーが出ていると言います。
私が猫を触ると、そのとたんにゴロゴロ言い始めます。私が触るのを期待していて、ゴロゴロ言ったとしてもいいでしょう。
ところが、三匹の猫をベッドに上げて寝ていますと、不思議な現象に気がつきます。
彼らはふつう、どこにいてもですが、静かな呼吸をしていて、寝ているときなど、たまにすーすー寝息を立ててはいても、静かなものです。
ところが、私が接近すると、特に掌を持っていったりしますと、まだ触れてもいないのに、とたんにゴロゴロズーズー言い始めるのです。三匹ともそうで、私が掌を妖しくも寄せてくるのを、たぬき寝入りして薄目を開けて見ているわけではないようです。毎度そうなりますから。
彼ら猫族の本能的な直観力、もしくは予知能力なのでしょうか。やはり、何か生き物同士が感応し合えるエネルギーを自動感知して、何かの感情を顕わにしているに違いありませんが、ゴロゴロ言うのは、心地いいからという説のようですね。三匹が心地よさそうに折り重なって寝ていても、音を立ててませんから、私に限ってのようです。そう思うと、何かうれしいではありませんか。
心地いいから、猫たちは添$い寝することをせがむ。部屋に入れてくれとニャーニャーコーラスするから、近所迷惑(距離があるので関係ないですか)というより、私が眠っておれませんから、部屋に入れる。すると、何とかしてガラス窓を伝ってでも上がってこようとします。上がれないときは、下で情けない声を上げますもので、連れてあがらねばということになります。最近は三匹ともに征服されました。
食事はいいものばかりせがむ。期待にこたえられないエサには、前足で床を掃いてパスしよります。寝るときも按手サービスをせがむ。いやはや、ぜいたくな猫たちです。神界からやってきた猫ならばこそかも知れません。最高のもてなしでなくてはならないのです。
がっつり猫的ではありましたが、白虎の夢を見せていただきましたので、神妙にお取り扱いしなくてはならないのですが、まだ白虎の機能を果たしてもらったような気はありません。これでは神話工作員とも言えないか。ただ、猫弁天三姉妹という線はありえます。
なるほど、弁天様系なら、私のハンドパワーには相当ご執心かと思います。過去世から今までずいぶんと貢献しました。いやこれは、長距離遠隔にも届くパワーであることが実証できているほど。いわば未知の力なのです。