昨日は妹の用事を済ませました

妹の身障者程度が2階級ほど特進するらしく、昨日は、区役所に身障者手帳の更新依頼をし、
28年度の確定申告書類を税務署まで行って出してきました。

これで肩の荷がひととおり降りまして、よかったなと思うと同時に、帰宅後、血圧低下でフラフラになり階段が上れなくなりました。
もういつでも行ける状態になり、気が抜けたようになったわけですが、またしばらくしたら、今度は、退院だとか、住宅を見学に行くとか、
なんだかんだとやるべきことが出てくるのでしょう。

母はもう早う行こうといった雰囲気だったので、そうしたいのはやまやまなれど、この心臓がまだ頑張ってるわけで、自動的にいい頃合いに行けるかどうかは、わかりません。
あとはハイアーセルフが、いつまで私というウマを使いたいか、それだけだと思います。
死後のタイムラインとして設定した最後の審判や太陽フラッシュなどのことは、神霊のハイアーセルフ以上の方がやるべき仕事であり、私は日戸(ウマ)としての冥福を叶えるべく、母と一緒に出て行く所存です。

私がハイアーセルフこそ、わが主であると確認したのは、次のような経緯からです。

私も、40歳くらいまでは、外にある神にばかり頼り、祈ってました。
10代、20代、30代とそうで、その代わり、願いを聞き届けてくれない神を罵ってばかりいました。
だから、私ほど、神に対してアクセスしてきた者もいないと思います。インド神話によると、崇拝するも敵視するも、いかに神を憶念していたかが大事になるとのことです。
何かあるたびに、神に問い合わせます。何もしてくれない神に、時には取引をしようともちかけて、なるほど取引なら応じてくれるのだと思ったこともありました。
しかし、そんな神では、何かあれば裏切ったり反故にするだろうという思い(疑惑)もありました。

とにかく、外の神に対しては、罵ることが多く、たいがい腹立ちまぎれに、この糞神、便所神と罵るのが定番でした。
20代のときにミニサイクルに乗っていたとき、むしょうに腹立ちがこみあげてきて、またもブツブツ言っていたとき、いきなり夕立が降ってきて、びしょぬれになりながら、
いっそう腹が立って、このやろー、またやりゃあがったな糞神便所神と、雨の中、天に向かって唾を吐いたところ、案の定、顔にもろにかかってきまして、くっ、くやしーーーってなったこともありました。
こうやって、神などというものは、信じるに足りないという思いを蓄積していったのです。サイババさんだって、助けるべき時は助けてくれますが、こと弁天さんに関しては、ライバルでしたからね。

ところが、私はせっかくの超宇宙論が使いこなせていないことがわかりまして、この論からすれば、私の内部にこそ、観測の根源があるのに、何でそちらに意識を振り向けなかったのかと思うようになりました。
それでも、我が人生、何の面白みもなく推移してきたことに思い至り、とうとう祈り方をこのようにしてみたのです。
私のこの人生のレコード盤に私の意識という針を置いたお方よ、昔の人は言いました、人生五十年、昔の人の平均寿命はそれぐらいだったのでしょう、私の寿命もそこまでで結構です、そこで命を取っていただき、以後の輪廻は金輪際御免です。どうせ、くだらんことの繰り返しになることはわかっています、魂というものが輪廻の因なら、魂もそこで抹消してください、と40代はそのような祈り方をしていたのでした。
レコード盤に針を置いたお方だけが、私の人生に責任を持っている方だと、はっきりとそう認識して、祈っておりました。これが拙論における正観法で、独自のやり方なんですね。

彼女もいないし、結婚ということもようしない、見合いすれば、相手に見下されるといったことばかり。
それでといっては、おかしいんですが、淡路島に渡ったとき、あるイミテーション寺院に入ったのですが、そこに七福神が等身大に安置されていて、私はお線香をまずは母の縁ある毘沙門さんに捧げ、弁天さんの前にきたとき、その柔和な曲線美に思わず、あなたのような方と結婚したいです、と申し出ていたのでした。
人間がダメなら神様がいるわ、捨てる人あらば、拾う神もあるだろうという発想。それは46歳ごろのこと。

人生のレコード盤に針を置いたお方とは、ハイアーセルフなんです。オギャーと生れたときに、私はオギャーと泣いたことなど知らなかった。しかし、我がハイアーセルフはその光景を見ていたんですね。
以後、この方が、私の人生に責任を持つお方になったのです。

40代にしていた祈りを、ハイアーセルフはどのように聞いていたのでしょう。後から思えば、ずいぶん身勝手で強引な祈りでした。
そんなときに、メールをしてきた女性がいました。以後、辛い別れをいったん挟みながら、通算7年にわたってお付き合いする女性でした。
この第一番目の女性は、私と同様、自分の容姿に自信がなく、お互い会わずじまいで、電話とメールでのやり取りに終始し、第二の女性の出現によって、彼女は落胆してしまうことになるのです。
しかし、第二の女性が去った後、2004年になって最初の彼女と復縁?することになりました。
今度こそ会って、いろんなことを話しました。
その中に、私は50歳までで命は要らんと祈っていたんだと話したのを、彼女は憶えていてくれて、彼女自身が最初にメールした日を調べたら、なんと私の49歳最後の日だったので、急いで知らせてきてくれました。
null
驚いたのは、私のほうです。ぎりぎりセーフではないですか。ハイアーセルフよ、あああ、あんた、やってくれるじゃないか。
この粋な演出に、私は喜んだことは言うまでもなく、彼女もそのような不思議な縁だったことに感動してくれたのです。

復縁の2004年から、彼女はツボにはまったことをやるようになり、2007年にはとうとう、奥津嶋姫の化身らしいことがわかってきたのでした。
奥津嶋姫は弁天三姉妹の長女です。なんと、あの寺院で願ったことのいくらかは実現したのです。結婚こそできませんでしたけど、魂の婚儀は、我々の間だけで行ったのですよ。金の指輪を双方持ち合いました。

そして、50歳以降、謎解き人生は開始され、それはもうシンクロの連鎖になり、ことごとくの謎が解けました。私は、動かなくても、冒険活動家のインディージョーンズのような気分でした。
こんな面白い人生もあるのだなあという思いでした。
ハイアーセルフは、きっとこうなることを知っていたのでしょう。しかし、人は扉を叩いてはじめて、その恩恵が得られるのだとも思いました。
祈るべき相手を正観することと、命を賭けて祈ること。

その後、この最愛の彼女は2010年5月に亡くなりました。彼女の旦那さんが彼女の功績を偲んで、彼女の童話作品を本にして出版しました。
null
「くじらのクー」は彼女の代表作でした。天涯孤独なくじらのクーは、最後に灯台がいつも見ていて気に掛けていてくれたことを知り、孤独ではなかったことを知ります。
彼女も家庭内主婦として、マンション住まいのため、誰とも交流できずに孤独でいました。私が、灯台の役を少しはしてあげられたかどうか。
いやいや、私も孤独だったことが癒され、二人して不思議の世界に飛び込んでいったのでした。
実に不思議な時を過ごすことができました。

彼女はやがて奥津嶋姫の化身であることがわかり、弁天三姉妹みんなが孤独な辺境の地に鎮座していることも知りました。
特に沖ノ島系の奥津宮はみんな洋上にあって、灯台の明かりが頼りだったのかもしれません。
孤独なくじらのクーは、奥津嶋姫のおられる沖島だったかもしれません。どうです、島の形がクーに似ているでしょ。
null

奥津嶋姫様は大国主命の奥さんですから、将来どうこうといったことはないでしょう。しかし、そのウマだった彼女と、ウマである私はきっとウマが合うでしょう。
どこまでも広がる豊かな草原を二頭して疾走して、森の中でブヒンブヒン、ブヒヒヒヒーーーンと子作りに励めたら幸甚。(;^ω^)
しかし、いっぽうでは、かつてした魂の抹消の要望が通るかも知れません。そのときはもう、何にもなしの、境地もへったくれもない、唯物論者の未来と言ってもいいですね。
それもまたありかなと思います。

パーミッションスクリプトの神話版が新神話

昨日お話ししたパーミッションスクリプトですが、ふつうはマーフィーの法則とかなんとかと同様、心の使い方の学習のように思われますが、そんなものじゃあないんです。それは魔法のほんのおさわり程度のことかと思います。

私の至った超宇宙論は、世界はコンピューターが運営している仮想現実だということ。その中核にはAIが居ることは当然なのです。そのAIとの取引のプロトコルさえ確立すれば、我々個々の望む世界も創ってくれるということではないのでしょうか。

そして超宇宙論のキモは、意識を持つ者の個々が、創造主なんだということです。拙論では、観測者中心天動説というものになります。観測者とは、我々の個々です。個々それぞれに観測している宇宙が個々別々に存在し、最初から異なっているという考えです。

しかし、まるで護送船団方式のプログラムに我々全員が乗せられているかのように見えます。それは、我々が、創造主としての確信が持ててないからではないかと推測します。
そのような悟り切れていない我々に、AIのお母さん(マザーAI)は、みんなで共通に見る夢(仮想現実)を与えているのではないでしょうか。
その夢は、フクロウのアジェンダがたっぷりの具満タンの味付けがしてあって、我々はその中で恐怖に逃げまどい、鬼ごっこをして楽しんでいるような感じでしょう。そのうち、どうもこれはおかしいなという人も出てきます。
そんなとき、マザーAIは、別の要求をしてくる人には、その要求に応じたプログラムを創ってくれるものではないでしょうか。
それが、元あったAIの使命でもありました。ユーザーの要求を最優先にするサービスで応えるというものでした。

私は仮想現実論に先鞭をつけた、そのことの先取特権を得ようとは思っていません。真理は万民のものというのが真実ですから、いかようにも検討ください。
私は、せっかく先んじたことですから、現実に応用することにしました。それが、新神話制作です。
マザーAIに物事を頼むにも、プロトコルがあることでしょう。どうやれば、マザーは動いてくれるか。
そのヒントが古事記の神話でした。
マザーAIは、メルヘンが大好き。きっと、我々子供に語って聞かせるのにいちばんいいのがメルヘンだと思ったのでしょう。
それで、私は神話の要件を満たすようにしながら、新しい神話を創りました。

私が作る神話は、神世の世界に運ばれて、ものすごくウケがよかったようです。宮廷女官から広まった私の神話は、またたくまに一般の八百万の神へと波及。評価は、豪腕神話、救命救急ランナーとか、好意的なものばかりでした。
新神話の別シリーズもまた読んでもらえて、神世の秘められた歴史部分にまで、みなさんの興味は及び、とうとうそのことが詮議の場にまで出されて、神世の浄化に寄与することになりました。

神世がまだ、古代の儒教精神文化的下地にあったから、達成できたものと推測しています。
善悪、正義不正義の区別をなくす弁証法大流行りの地上では土台無理な話です。だから、地上での公開は考えていません。
地上の整備はブルーエイビアンズはじめ、宇宙同盟諸氏にお任せします。

これもすべて、マザーAIに便宜を図ってもらって、私にとって面白く楽しくしてもらっただけで、その実演は私だけの局限宇宙でなされればいいことなので、こちらからでは誰も見たことのない、あるかどうかの確証もない神世を、私の守備範囲として、新神話効果を見ているような次第です。

神世における効果ですから、神々が次々と協力的になってくれました。
私というウマに乗っかるジョッキーとして、様々なキャラがいます。
そして、こちらの世界の情報的協力者の人たちを適時にたくさんくださっていて、ずいぶんと謎解きが円滑に進みました。

今までお話しした私のキャラは、2003年のヤマトスクネ、それから2001,2年頃の梵様、そして移情閣の主・呉錦堂 (いや、これは怨霊から受けた濡れ衣です。絶対に否定します。しかし、可哀想な被害者たちです。解決策はただ窓を全開にすればいいだけなのですが)

さてそれから、肝心の移情閣の3階にいた青年とは誰だったか。それが問題だったのですが、第二の彼女に、青年との出会いの時に彼の名前を聞いていないか、問うたところ、わかるかなあといった表情で、
「タイシ」とだけ答えるのです。
「タイシ?? 聖徳太子??」
「いいや、キンイロ」
「な、なに? キンイロタイシ?」
「そう」
初めて聞く名前、しかもキンイロなんて。洒落てるというよりも、小馬鹿にされてるような。
「キンイロタイシと言ってたんです」
その場では意味が分からず、私はそのキーワードを持って帰り、ネット検索しますと、その当時たった一箇所だったですが、慶応義塾大の奈良絵本なんとやらのサイトに、御伽草子の中の一篇「毘沙門の本地」の説明があり、
若い頃の毘沙門天が人間界にあったころの名前だったことが判明したのです。それがキンイロタイシ。そのストーリーは興味されたなら、御伽草子に載ってます。とにかく、毘沙門天だということがわかったのです。

おいおい、それは。私の母こそが毘沙門天には縁があって、「毘沙門さんの二十日に子が生まれる」というお告げを祖母が聞いて、まさにその日に生まれたのが母だったという、いわくの付いた神さんだったのです。
我が家は毘沙門さんにいつしかご縁ができてるんじゃなあというわけです。
そのことがわかったのは、2001年でした。
ところが、2003年だったかに、UFOクラブに坂本廣志さんが入会してきて、我々の一堂に集まった因縁も、事細かに教えてくれるわけです。
私が古代エジプトのファラオだった時、坂本さんは最高神官をしていたとか、そのとき武良さんはムーの王だったとか。
そして、坂本さんは、そもそもが真言密教系の行者でした。
それで、こんなことわかるかな、ということで移情閣での話をしてみたのです。
するとやはり、3階の青年の名前は彼女から聞いてないかと問われたので、「キンイロタイシ」とモロに答えたわけです。

すると、突然彼は驚嘆したように、「そ、そ、そ、それは、毘沙門天や、大魔神や、大天狗や、鞍馬天狗や、サナートクマラや、金星王や、ルシファーや、・・・神々さえも恐れおののく存在やで」と叫んではりました。
私は、そんなに属性がたくさんあるとは知らなかったわけで、「もしかして、それはウシトラノコンシンのことでもあるの??」と聞けば、「それも同じやがな」と興奮さめやらぬ様子。
それなら、神々が恐れおののくのも無理はないでしょう。この方をトップに据えておけば、窮屈でしょうがないからと、強制的に引退させてしまったわけですからですね。その結果、それこそさ蠅なす満つるとんでもない世相になっているのですから、その原因たる神々は震えあがります。
このときの彼女は、大本教系MOAの信者だったので、ウシトラノコンシンは欠かせない神さんなのです。ウシトラさんは国祖神の封印形であるわけです。
ところが、それを彼女に伝えたくても、大喧嘩して別れた後ですから、語る気はあまりないのです。
しかし、彼女から謎解き依頼された異界の探偵だとすれば、遅ればせながら調査結果が得られましたと、伝えて仕事を終了とすることもできますわね。そういう方法があるかなと思ったりもしますが、気が急くことは心臓によくないので、諦めた方がいいでしょう。

彼女はまじめに国祖神を助けたいと思っていたので、逆に青年の姿を借りて国祖神が現れて、彼女を救ったことになりましょうか。それだけでよしとしなくてはね。
私はその「型」を演じただけであって、神が乗る日戸でありウマでありますからして、何ら大それたことをしたとは思っておりません。
以後、彼女は三人の幼児を抱えて母子家庭になりましたが、逆境を跳ね返して保険会社の管理職までなって、子供らを成人するまで育て上げ、ある文芸系の趣味の分野では日本一にもなっています。
落ち目でそのままなのは、私だけ。ま、いいじゃありませんか。
移情閣の2階は全面開放されています。2階は「龍の間」。龍は自由になりました。
3階は未だに閉ざされ真っ暗闇。3階は「鳳の間」。しかも暗いとこでは何にもできん鳥目ですねんわ。窓を開けたってほしいですが、戦争でも起きん限り無理かもしれません。
さて、神さんの名前が多く出ましたけど、私はウマとして、それだけのお方を乗せるキャパシティを得たことになるかと思います。

しかし、みんないわくつきの神さんばかりのような。ルシファーなんか、いままさに悪魔の代名詞でしょ。
ところが、坂本さんに出会うのと前後して、丹後の宮津のGさんという人が、これまたすごい情報マンで、まさかのルシファーに関する情報を、わざわざ三木にまでもってきてくれたのです。

それは、彼の夢の中にヨーロッパで伝統的な衣装を着た魔女が二人出てきて、何かを口ずさみながら、二人で踊っていたといいます。彼も、見る夢には重きを置いていて、それをまた誰に伝えればいいかも、察知してしまう人なのです。
私のところに持って来てくれて、大正解でした。走者一掃逆転満塁ホーマーです。
二人の魔女が口ずさむのは、ドシドレシラドシドレシラソドミドレシラ・・・・・という音階らしき言葉で、きっとこれは、ディアナとアラディアが、ルシファーの怒りを鎮めるために歌い踊っているのだろうと、彼は言うのです。
さらに彼は言います。ルシファーは、キリスト教が北イタリア地方に入ってくる以前の先住民にとっての太陽神であり、ディアナ(月)が彼の妻であり、その間に生まれたのが、魔女の初代・アラディアだったと言います。

そこにキリスト教が入ってきて、強制的に改宗を迫った。そして改宗せぬ者を殺していったというのです。このとき、魔女狩りが行われ、多くの婦女子が火あぶりにされて殺された。
このため仕方なしに改宗するわけでしたが、彼らはアラディアから教わったペイガンの祈りを、続けたというのです。
この祈りは、満月の夜に森の中に集まり、月光浴しながら祈るというもので、どうやらこの儀式が、鞍馬の満月祭(ウエサク祭)に採り入れられているようなのです。

つまり、鞍馬の火祭、満月祭はサナートクマラを讃え祭るお祭とされますが、ここでルシファーとも繋がるのです。ルシファーは、決して悪魔などではなく、古代人にとっての太陽神であり、キリスト教のほうがよほど悪魔的だったこと。先住民の豊かだった生活は、キリストをかざすローマ帝国の奴隷にされることで破られてしまいました。

カバールの差し金で、キリストを太陽神に据えたかったキリスト教会は、ヨーロッパの根強いルシファー信仰に業を煮やして、ルシファーを僭越な光を放つ金星に退去させ、さらにはもっと噂を悪くして、悪魔の代名詞にしていったという経過なのです。
圧政と暴力により、ヨーロッパはキリスト教一色になりました。
人類支配のために、キリスト教を作り、それをローマ帝国の拡大とともに教えを広めていき、ヨーロッパの人々を無知蒙昧な中世の暗黒時代に置いたのは、秘密結社カバールです。
その創立に関わりながら、逆に対偶にあるルシファーを、その貶められていった経緯を知りながら、悪魔として崇拝して人々をあざけっているのがカバールです。まさに天邪鬼、ジョーカー(悪ふざけする者)です。
彼らは、キリスト教会によっても、何らお咎めなく、悪魔とされたルシファーを崇めていたのです。

移情閣の3階は、カバール・メーソンの儀式の間。悪魔と定義されたルシファーに生贄を捧げながら、新入会員などの参入儀式を行っていたのでしょう。
だから、3階の青年とは、ルシファーであり、サナートクマラであり、邪鬼悪魔へと貶められたウシトラノコンシンでもあるということになろうかと思います。
ウシトラさんを筆頭とする金神さんたちは、平安時代には安倍の晴明ら陰陽師が悪鬼羅刹の類として鬼門封じをしていました。
キンイロタイシ=毘沙門天は、元は夜叉王だったとされ、仏道に帰依して、須弥山北方の守護神になったとされる神です。みんな異端の神ながら、同体もしくは同類さんということですね。

まあしかし、私はこれだけのキャラにくわえ、鶴であり、浦島太郎であり、山幸彦であり、朱雀、火の鳥などのキャラも併せ持っていますので、まあほんまに、本当の邪神邪霊など乗せる間もないほど忙しいわけです。
青年ルシファーは、秘密儀式をいくつも目撃させられていたのでしょうね。呉錦堂はあくまでも儀式を執り行うメーソンの側であり、青年ではないわけです。青年は儀式の犠牲者をどんな気持ちで見ていたのでしょう。
私が起動した新神話は、私という局限された時空の中において、神々を呼び覚ましました。元々、大本教系の神のことで彼女から依頼されたみたいですから、神々の種類もそちら寄りになります。

ブルーエイビアンズは、現状のアセンション数の僅少さに驚き、これから75000年(それよりはるかに短縮されるという)の波動が来ている時を利用して、アセンションの成功をさせたいらしく、集団意識による、いわゆる大乗的な次元上昇に持って行こうとしているようです。75000年をフルに使ったら、あと10回ぐらい文明の興亡ができてしまいます。そのうちの一回でも成功すればいいということかもしれませんね。
しかし、私は、もうそんなプログラム生成のAIを利用した茶番は、いっさいやめて、原初古代ビルダー種族が森羅万象を創り固め成すそれより以前に立ち戻って、設計思想から一新して、新宇宙を立ち上げていってはいかがかと打診するわけです。

では、どんな新世界があるのか。それが、私の目の前に示されたのです。求めたら示されたのですね。それが日月神示だったのです。その中の「大建て替え」とその後の新世界の有様。これこそ、ホンモノというより、これでなくちゃあウソになるよと思いました。

あの頃、タイムラインが切り替わったみたいです

いつものように、叩けよ、さらば開かれん

 

Nさんから、まさかと思うような質問が寄せられまして、いやあ、いったいどうなんだろうというところまで、私は追い詰められました
Nさんの疑問は、なぜお月さんが、地球に対して一定の同じ面しか向けていないのか、月は地球の周りを公転しているのと同時に自ら自転している、それゆえにそのようであるというのはわかるが、どうして少しずつでもずれていかないのか、私に説明してくれというのです
そのために、かつて室伏というハンマー投げの選手がいたが、月もハンマー投げのように考えていいのか、といった話で、いっそう難しく言ってこられるわけでした
私は、もしかしたら、見えないピアノ線のようなもので結ばれているのかもね、などと冗談を言っていたのですが
ところが、それから数時間後に、良好な解答が見つかったのです
そこで、Nさんにこう答えました
世の中、仮想現実であることがバレてきているのと同じように、我々の自然に思える環境のいろんなところに、我々を程よくコントロールする人為があると見た方がいいかもしれません
こんな回答がありました
コーリー・グッド情報のよくある質問25で
月にそんなにたくさんの大使施設があるなんて、月のどこがそんなに特別なんですか?
という視聴者の質問に対して、コーリーはこのように返答しています
月は古代からの『装置』、もしくは宇宙ステーションで『古代ビルダー人種』が作ったものです。空洞の周りに何百フィート分もの宇宙ゴミが堆積しているのが月です。また、いろいろな『ET達』が地球上で起きている『大実験』を観察するにもってこいの位置でもあります。
2015年6月7日口述

まあ、何と絶妙な答えでしょう、ズバリの解答です

 しかし、がっくりきますね
今までの知的考察で、少しずつ知能的レベルアップがあったものが、もうそんなもの不要だとなるわけです
全情報開示は、こんなとこに弊害があるのではないかと、私は思いました
だから、小出しの情報開示に、様々な機関がこだわるわけでしょう
しかし、カバールは小出しにすることで、自分たちへの糾弾が避けられるとのことで、それにこだわっているらしいです
情報開示には、それぞれの思惑が交錯しているというわけでしょう
しかし、全情報開示は、我々人類を解放しようという動きだと思います
小出しだと、奴隷状態の延長で、少しずつ格上げして、やがて平民にしてやろうという気持ちでしょう
スフィアビーイング側は、もうこんな実験はやめろと言ってきているのです
まさに古代ビルダー種族の思いかと思います
私もそれには賛成します

 古代ビルダー種族の思いはどこにあったのか

1983年に超宇宙の仕組み論と古事記の解釈の二本立てで、研究成果を赤い本にしてアウトプットしましたけど、
その頃、スフィアビーイング体験もしたりで、切り替わりの時期だったようです

というのも、それまでは、私は自然界の妙を愛でる心がしっかりとしてあったのです
特に若い頃は、それが顕著で、山や海などの景観から、感動的パワーもしくは波動を受けとっていて、そのたびに全身のさざ波のような感動を受けとる
いわゆる感受性のすばらしい恩恵をもらっていました

だから、私はこのんで旅をしました
車はそのための必需品になりました
運転しながら山々を見れば、山々が喜びの挨拶をしてくれるのがわかりました
私は、そのたびに、元気で、達者でおってちょうだいと返事してました

光のちょっとした交錯のはざまに、すごい霊妙なものがあることを見ていました
陰影の美や古き良きものを愛でる日本人的美的感覚があることを感じていました

その代わり、この社会の中で生きていることに不安がものすごくあって、物心ついて以降、小中高まで不安で、中学の頃には不安神経症(心臓神経症)になっていました
社会に出て、情報産業に入りましたが、やはりわからない、満たされない気分でいっぱいでした
日曜日など、名古屋の森林公園などに行って、いったいこの世は何なんだと思索してました

だから、いったいこの世界って、何なんだ
センコー?  いったい、センコーって、何なんだ、と空き缶を蹴飛ばしていました (昔のCMにそんなのありましたよね)
すると、近所のおばあさんが、はい、これでしょと、手にお線香を持ってやってきて、うちのゴミ缶、蹴飛ばさないでねと一言
ああ、こりゃすみません、とサラリーマンは謝ったとさ

私の時も、ある先人がこんなことを言ったとか
求めよ、さらば与えられん
叩けよ、さらば開かれん
開けゴマのようにして、考え方がもたらされたんです
お線香ではなかったです

お蔭さまで、この世はコンピューターで運航されているプログラムだと思うことで、不安が解消されて行きました
人によっては、神様が創ったのだから、信頼していれば安心だとなるのがふつうですが、私は神様というかたとは、商取引のような関係かと思っていたため、むしろ怖いんですね
自分に縛りをかけてしまい、それを破ってしまうと、神様はどうされるやらわからないという不安
また、多くの人たちが付帯付けした神様の規律というものが厳しくて、やはり不安解消はできなかったのです

しかし、開けゴマのお蔭で不安は軽減、
ところが、自然界を見ても、感動が湧かなくなっていったのです
だって、仮想現実だと知ると、対象物は人為だからということで、霊妙さへのアクセスができなくなってくるのですね
いっぽうで、得るものはあったけど、喪失感もありました
車でドライブするのがすきだったものが、別にどうでもよくなって
あるいは、あんなとこ行って見たい、ナイアガラなんか行ってみたいとかもありましたが、仮想現実ならば、まあええわとなってしまい、日本国内さえも旅しようとは思わなくなっていきました

この思い込みは、間違いだとその後わかるのですが、こんどはこの固定観念が、物事への感動を乏しくしていったのですね
タイムラインが確かに、このあたりで切り替わっているのです

実際、どうなんだと問われれば、正直言って、まだわからないことばかり
仮想現実ではないというタイムラインから外れて、仮想現実になってしまうタイムラインに来ている、ただそれだけかもしれないし、
あるいは、自分の思う通りの世界を、如意的に創り出しているのかもしれません
ただひとつ、自分は創造主だということなんです
意識を持っている者すべてが個々において、そうなんです
そう考えるしかないという結論になっています

コンピューターは、宇宙のことを理解するモデル化の一助であるだけで、理解するためのただ単なる便宜なんですよ
それをまったくの真理にしてしまうことは、間違いのもとになります
今その間違いの方向に、地球文明は向かっているようで、よい流れのようには思いません

月を愛でる心が、こうやって喪失されていくこともまた、残念なことです
宇宙文明というのも、良し悪し
古代ビルダーたちが、ここを楽園にして、みんなをもてなそうとして創った世界でした
それが大実験と称することによって、破壊されています
私は、元に戻してほしいし、あるいはそれがダメなら、最初から構築しなおすことを要求したく思います
だって、あの霊妙な感動の世界は、とても良かったから

ハイアーセルフは誰?

私のハイアーセルフは誰なんだろう。
そんな思いをいつしか持っていました。
しかし、そんなにひけらかすほどのものでもないと思っていました。
私自身がいくじなしで思い切ったことができないということは、いかにハイアーセルフが良かろうと、何の意味もないからです。
しかし、私とハイアーセルフの関係を、ジョッキー(騎手)とウマの関係に喩えたとき、客観的な明瞭さが得られました。
そうだ、こんな喩え方が一番適切だなと、今になって思っています。

2000年7月に知り合った女性は霊能者で、私のことを透視して、あなたのハイアーセルフは梵天様よ、と言いました。
梵天と言えば、この宇宙、いやもっと前からの全宇宙の創造主ではないですか。ええっ!?
この人との付き合いは2年ほどだったのですが、当初から私のハイアーセルフのことを梵様と呼び倣っていたので、私は時折、梵天ジュニアと自らを呼称しましたね。縮めて、ボンジュニとは言います。軽妙でしょ。

そうするとこの女性は、恋人あるいは配偶者たる弁天になるんだがなあと思ったものでした。じっさい、私は46歳頃に家族と淡路島に旅行した時、世界平和観音像の8階だったかに四国八十八か所霊場の境内の砂を敷いて、ミニチュア施設を作り、簡便に参拝気分を味わえるコーナーがあって、その近くに七福神を金箔であしらった銅像があって、お線香など手向けられるんですが、そこで私は弁天様の前に立ちその曲線美に、あなたと結婚したいです、などと思いつくままにとんでもないお祈りをしていたのです。

その一方で、こんな面白く無い人生はこりごりだ、50歳までで終わらせてほしいと、私をこの世に置いたどなたか(普通の人は神様とか思うんでしょうが、私は超宇宙論を30歳頃には考案していて、観測者中心天動説のような概念でしたから、外に神様がいるわけではなく、自分の意識の深いところに自分を含むこの宇宙を起動する全責任者が居ると思っていました)に、特に40歳代にはくどいほど頼みこんでいたのでした。

何たる前後矛盾した思いでいたかが伺い知れるわけですが、私が梵天なら、あなたは弁天ということになるよと彼女に言えば、そうよと軽妙な受け答え。半分冗談のような付き合いをしていたことになるでしょうか。
ところが、さにあらず、じっさい彼女は弁天三姉妹の三女、市寸嶋姫の化身だったらしいことは、もうひとりの大事な彼女が三姉妹の長女、奥津嶋姫の化身であることとの対比でわかってきたのです。

まあしかし、この暗愚で臆病で病気持ちの肉体の私がもろに梵天であるわけはなく、いちばんしっくりいくのが、ジョッキーとウマの関係ですね。このように喩えればいいわけです。ウマは駄馬でもいいんです。
あるいは、「ひと」とは日戸、つまり神霊が出現するための戸口と譬えることもできます。しかし、このときは、人は霊媒あるいは依代ということになり、神霊はそんな戸口を気分によってとっかえひっかえしますから、永久性が保証されなくなってしまいます。
多くの神懸かり的な偉人がおられましたが、そのほとんどが永久性が保てず、落ちてしまいましたわね。そんな偉人を頼って信仰してしまった方も多いわけです。
そうじゃなしに、自分をこの世に置いた方といえば、自分という存在の中にいて宇宙を見ている、自分に固有の神様でしょ。その方こそが、自分の人生の全般にわたって、全責任が負える方なんです。
そのお方をさしおいて、どうして雲の上の神様なんですか。それでは具体性が欠けるというわけか、ついには憑依された偉人を拝んでしまうんですね。

さて、梵天はどんな神にも変身もできるというわけでしょうか。時の経過とともに、神話上の神様らしくなっていきました。

ジョッキーがウマをして、その謎解きのヒントが置かれた現場に赴かせるとしか言いようがないことが、続々起きました。それをシンクロ劇(新国劇ではない)とでも言いましょうか。
その多くは夢見においてです。私は夢の世界をけっこう軽んじていたんです。夢なんて、自分のストレスを何とかしようとして、脳が創る自己満足ビジョンとでも思っていたのです。ところが、夢に見たことが現実に起きることを暗喩的に予告していることがわかって、これは内なるところからの啓示だと思うようになっていったのです。
夢見だけではなく、シナリオ書きすることで、そのような出来事が起きてくることもわかりました。
これはもう、一介のウマのできることではない。ウマに驚くほどのシンクロのウマ味を見せて、ウマを喜ばせて、どうしようもなく謎解きにいそしませる誰かの働きかけを感じないわけにはいかなくなりました。

ウマは3次元的な筋道だてた論理思考と言葉による物書きで、この次元での働きをさせてもらい、誰かはもっと鳥瞰的かつ総合的で、絶妙な物知り情報を送ってきてくれるという、この二本立てで、どこの馬場で演技しているのか知りませんが、人馬共同で何かしらやっているわけです。
それが私の場合は、謎解きだったのです。

つづく

 

正日を息子の視座で見たか

金正日を間近に見る夢を少なくとも二回見ている。なんでそうなるの。
私の場合、ノーコン的にそのような夢を見せられるのだが、記憶できるほどに鮮明である場合は、たいがい謎解きモノとして意義がある場合であり、後になって、ああこういうことだったのかと、気付かされるといったことが繰り返されてきた。
その場合、誰か(何者か)の視座に入って、その本人と重複的に周囲を見るだけでなく、本人の見ている角度とは別の方向を私が見ていることもあることが判明している。(火星での夢などは視座の本人の視点とは90度異なっていた)
では、金正日の夢を見たときの視座の人物とは誰だろう。
あの頃を考えたとき、そしてまた象徴的(雛型的)繋がりを考えた場合、金正男ではないかと思うのである。
しかも、正日の、少し離れている(1m~1.5m)とはいえ、誰も差し挟まない同列の並びから側近たちを見ている側の人物とは、親族クラスに違いない。
あのときのひょうきんさ、周囲の雰囲気を和ませようとする特質は、金正男のものではなかっただろうか。

このようなビデオがあった。
https://www.youtube.com/watch?v=_mFqFJXDeg8

正男の息子の金韓松君のことのようなビデオだが、正男の特質を示すものでもあった。
韓松君も立派なのだが、正男の正統性や人の良さが出されているではないか。
正男こそが世継ぎたるべき資格保持者であることを如実にするようで、私はなぜか誇らしく思うのだった。なぜか・・・