いつものように、叩けよ、さらば開かれん
Nさんから、まさかと思うような質問が寄せられまして、いやあ、いったいどうなんだろうというところまで、私は追い詰められました
Nさんの疑問は、なぜお月さんが、地球に対して一定の同じ面しか向けていないのか、月は地球の周りを公転しているのと同時に自ら自転している、それゆえにそのようであるというのはわかるが、どうして少しずつでもずれていかないのか、私に説明してくれというのです
そのために、かつて室伏というハンマー投げの選手がいたが、月もハンマー投げのように考えていいのか、といった話で、いっそう難しく言ってこられるわけでした
私は、もしかしたら、見えないピアノ線のようなもので結ばれているのかもね、などと冗談を言っていたのですが
ところが、それから数時間後に、良好な解答が見つかったのです
そこで、Nさんにこう答えました
世の中、仮想現実であることがバレてきているのと同じように、我々の自然に思える環境のいろんなところに、我々を程よくコントロールする人為があると見た方がいいかもしれません
こんな回答がありました
コーリー・グッド情報のよくある質問25で
月にそんなにたくさんの大使施設があるなんて、月のどこがそんなに特別なんですか?
という視聴者の質問に対して、コーリーはこのように返答しています
月は古代からの『装置』、もしくは宇宙ステーションで『古代ビルダー人種』が作ったものです。空洞の周りに何百フィート分もの宇宙ゴミが堆積しているのが月です。また、いろいろな『ET達』が地球上で起きている『大実験』を観察するにもってこいの位置でもあります。
2015年6月7日口述
まあ、何と絶妙な答えでしょう、ズバリの解答です
しかし、がっくりきますね
今までの知的考察で、少しずつ知能的レベルアップがあったものが、もうそんなもの不要だとなるわけです
全情報開示は、こんなとこに弊害があるのではないかと、私は思いました
だから、小出しの情報開示に、様々な機関がこだわるわけでしょう
しかし、カバールは小出しにすることで、自分たちへの糾弾が避けられるとのことで、それにこだわっているらしいです
情報開示には、それぞれの思惑が交錯しているというわけでしょう
しかし、全情報開示は、我々人類を解放しようという動きだと思います
小出しだと、奴隷状態の延長で、少しずつ格上げして、やがて平民にしてやろうという気持ちでしょう
スフィアビーイング側は、もうこんな実験はやめろと言ってきているのです
まさに古代ビルダー種族の思いかと思います
私もそれには賛成します
古代ビルダー種族の思いはどこにあったのか
1983年に超宇宙の仕組み論と古事記の解釈の二本立てで、研究成果を赤い本にしてアウトプットしましたけど、
その頃、スフィアビーイング体験もしたりで、切り替わりの時期だったようです
というのも、それまでは、私は自然界の妙を愛でる心がしっかりとしてあったのです
特に若い頃は、それが顕著で、山や海などの景観から、感動的パワーもしくは波動を受けとっていて、そのたびに全身のさざ波のような感動を受けとる
いわゆる感受性のすばらしい恩恵をもらっていました
だから、私はこのんで旅をしました
車はそのための必需品になりました
運転しながら山々を見れば、山々が喜びの挨拶をしてくれるのがわかりました
私は、そのたびに、元気で、達者でおってちょうだいと返事してました
光のちょっとした交錯のはざまに、すごい霊妙なものがあることを見ていました
陰影の美や古き良きものを愛でる日本人的美的感覚があることを感じていました
その代わり、この社会の中で生きていることに不安がものすごくあって、物心ついて以降、小中高まで不安で、中学の頃には不安神経症(心臓神経症)になっていました
社会に出て、情報産業に入りましたが、やはりわからない、満たされない気分でいっぱいでした
日曜日など、名古屋の森林公園などに行って、いったいこの世は何なんだと思索してました
だから、いったいこの世界って、何なんだ
センコー? いったい、センコーって、何なんだ、と空き缶を蹴飛ばしていました (昔のCMにそんなのありましたよね)
すると、近所のおばあさんが、はい、これでしょと、手にお線香を持ってやってきて、うちのゴミ缶、蹴飛ばさないでねと一言
ああ、こりゃすみません、とサラリーマンは謝ったとさ
私の時も、ある先人がこんなことを言ったとか
求めよ、さらば与えられん
叩けよ、さらば開かれん
開けゴマのようにして、考え方がもたらされたんです
お線香ではなかったです
お蔭さまで、この世はコンピューターで運航されているプログラムだと思うことで、不安が解消されて行きました
人によっては、神様が創ったのだから、信頼していれば安心だとなるのがふつうですが、私は神様というかたとは、商取引のような関係かと思っていたため、むしろ怖いんですね
自分に縛りをかけてしまい、それを破ってしまうと、神様はどうされるやらわからないという不安
また、多くの人たちが付帯付けした神様の規律というものが厳しくて、やはり不安解消はできなかったのです
しかし、開けゴマのお蔭で不安は軽減、
ところが、自然界を見ても、感動が湧かなくなっていったのです
だって、仮想現実だと知ると、対象物は人為だからということで、霊妙さへのアクセスができなくなってくるのですね
いっぽうで、得るものはあったけど、喪失感もありました
車でドライブするのがすきだったものが、別にどうでもよくなって
あるいは、あんなとこ行って見たい、ナイアガラなんか行ってみたいとかもありましたが、仮想現実ならば、まあええわとなってしまい、日本国内さえも旅しようとは思わなくなっていきました
この思い込みは、間違いだとその後わかるのですが、こんどはこの固定観念が、物事への感動を乏しくしていったのですね
タイムラインが確かに、このあたりで切り替わっているのです
実際、どうなんだと問われれば、正直言って、まだわからないことばかり
仮想現実ではないというタイムラインから外れて、仮想現実になってしまうタイムラインに来ている、ただそれだけかもしれないし、
あるいは、自分の思う通りの世界を、如意的に創り出しているのかもしれません
ただひとつ、自分は創造主だということなんです
意識を持っている者すべてが個々において、そうなんです
そう考えるしかないという結論になっています
コンピューターは、宇宙のことを理解するモデル化の一助であるだけで、理解するためのただ単なる便宜なんですよ
それをまったくの真理にしてしまうことは、間違いのもとになります
今その間違いの方向に、地球文明は向かっているようで、よい流れのようには思いません
月を愛でる心が、こうやって喪失されていくこともまた、残念なことです
宇宙文明というのも、良し悪し
古代ビルダーたちが、ここを楽園にして、みんなをもてなそうとして創った世界でした
それが大実験と称することによって、破壊されています
私は、元に戻してほしいし、あるいはそれがダメなら、最初から構築しなおすことを要求したく思います
だって、あの霊妙な感動の世界は、とても良かったから