妹の身障者程度が2階級ほど特進するらしく、昨日は、区役所に身障者手帳の更新依頼をし、
28年度の確定申告書類を税務署まで行って出してきました。
これで肩の荷がひととおり降りまして、よかったなと思うと同時に、帰宅後、血圧低下でフラフラになり階段が上れなくなりました。
もういつでも行ける状態になり、気が抜けたようになったわけですが、またしばらくしたら、今度は、退院だとか、住宅を見学に行くとか、
なんだかんだとやるべきことが出てくるのでしょう。
母はもう早う行こうといった雰囲気だったので、そうしたいのはやまやまなれど、この心臓がまだ頑張ってるわけで、自動的にいい頃合いに行けるかどうかは、わかりません。
あとはハイアーセルフが、いつまで私というウマを使いたいか、それだけだと思います。
死後のタイムラインとして設定した最後の審判や太陽フラッシュなどのことは、神霊のハイアーセルフ以上の方がやるべき仕事であり、私は日戸(ウマ)としての冥福を叶えるべく、母と一緒に出て行く所存です。
私がハイアーセルフこそ、わが主であると確認したのは、次のような経緯からです。
私も、40歳くらいまでは、外にある神にばかり頼り、祈ってました。
10代、20代、30代とそうで、その代わり、願いを聞き届けてくれない神を罵ってばかりいました。
だから、私ほど、神に対してアクセスしてきた者もいないと思います。インド神話によると、崇拝するも敵視するも、いかに神を憶念していたかが大事になるとのことです。
何かあるたびに、神に問い合わせます。何もしてくれない神に、時には取引をしようともちかけて、なるほど取引なら応じてくれるのだと思ったこともありました。
しかし、そんな神では、何かあれば裏切ったり反故にするだろうという思い(疑惑)もありました。
とにかく、外の神に対しては、罵ることが多く、たいがい腹立ちまぎれに、この糞神、便所神と罵るのが定番でした。
20代のときにミニサイクルに乗っていたとき、むしょうに腹立ちがこみあげてきて、またもブツブツ言っていたとき、いきなり夕立が降ってきて、びしょぬれになりながら、
いっそう腹が立って、このやろー、またやりゃあがったな糞神便所神と、雨の中、天に向かって唾を吐いたところ、案の定、顔にもろにかかってきまして、くっ、くやしーーーってなったこともありました。
こうやって、神などというものは、信じるに足りないという思いを蓄積していったのです。サイババさんだって、助けるべき時は助けてくれますが、こと弁天さんに関しては、ライバルでしたからね。
ところが、私はせっかくの超宇宙論が使いこなせていないことがわかりまして、この論からすれば、私の内部にこそ、観測の根源があるのに、何でそちらに意識を振り向けなかったのかと思うようになりました。
それでも、我が人生、何の面白みもなく推移してきたことに思い至り、とうとう祈り方をこのようにしてみたのです。
私のこの人生のレコード盤に私の意識という針を置いたお方よ、昔の人は言いました、人生五十年、昔の人の平均寿命はそれぐらいだったのでしょう、私の寿命もそこまでで結構です、そこで命を取っていただき、以後の輪廻は金輪際御免です。どうせ、くだらんことの繰り返しになることはわかっています、魂というものが輪廻の因なら、魂もそこで抹消してください、と40代はそのような祈り方をしていたのでした。
レコード盤に針を置いたお方だけが、私の人生に責任を持っている方だと、はっきりとそう認識して、祈っておりました。これが拙論における正観法で、独自のやり方なんですね。
彼女もいないし、結婚ということもようしない、見合いすれば、相手に見下されるといったことばかり。
それでといっては、おかしいんですが、淡路島に渡ったとき、あるイミテーション寺院に入ったのですが、そこに七福神が等身大に安置されていて、私はお線香をまずは母の縁ある毘沙門さんに捧げ、弁天さんの前にきたとき、その柔和な曲線美に思わず、あなたのような方と結婚したいです、と申し出ていたのでした。
人間がダメなら神様がいるわ、捨てる人あらば、拾う神もあるだろうという発想。それは46歳ごろのこと。
人生のレコード盤に針を置いたお方とは、ハイアーセルフなんです。オギャーと生れたときに、私はオギャーと泣いたことなど知らなかった。しかし、我がハイアーセルフはその光景を見ていたんですね。
以後、この方が、私の人生に責任を持つお方になったのです。
40代にしていた祈りを、ハイアーセルフはどのように聞いていたのでしょう。後から思えば、ずいぶん身勝手で強引な祈りでした。
そんなときに、メールをしてきた女性がいました。以後、辛い別れをいったん挟みながら、通算7年にわたってお付き合いする女性でした。
この第一番目の女性は、私と同様、自分の容姿に自信がなく、お互い会わずじまいで、電話とメールでのやり取りに終始し、第二の女性の出現によって、彼女は落胆してしまうことになるのです。
しかし、第二の女性が去った後、2004年になって最初の彼女と復縁?することになりました。
今度こそ会って、いろんなことを話しました。
その中に、私は50歳までで命は要らんと祈っていたんだと話したのを、彼女は憶えていてくれて、彼女自身が最初にメールした日を調べたら、なんと私の49歳最後の日だったので、急いで知らせてきてくれました。
驚いたのは、私のほうです。ぎりぎりセーフではないですか。ハイアーセルフよ、あああ、あんた、やってくれるじゃないか。
この粋な演出に、私は喜んだことは言うまでもなく、彼女もそのような不思議な縁だったことに感動してくれたのです。
復縁の2004年から、彼女はツボにはまったことをやるようになり、2007年にはとうとう、奥津嶋姫の化身らしいことがわかってきたのでした。
奥津嶋姫は弁天三姉妹の長女です。なんと、あの寺院で願ったことのいくらかは実現したのです。結婚こそできませんでしたけど、魂の婚儀は、我々の間だけで行ったのですよ。金の指輪を双方持ち合いました。
そして、50歳以降、謎解き人生は開始され、それはもうシンクロの連鎖になり、ことごとくの謎が解けました。私は、動かなくても、冒険活動家のインディージョーンズのような気分でした。
こんな面白い人生もあるのだなあという思いでした。
ハイアーセルフは、きっとこうなることを知っていたのでしょう。しかし、人は扉を叩いてはじめて、その恩恵が得られるのだとも思いました。
祈るべき相手を正観することと、命を賭けて祈ること。
その後、この最愛の彼女は2010年5月に亡くなりました。彼女の旦那さんが彼女の功績を偲んで、彼女の童話作品を本にして出版しました。
「くじらのクー」は彼女の代表作でした。天涯孤独なくじらのクーは、最後に灯台がいつも見ていて気に掛けていてくれたことを知り、孤独ではなかったことを知ります。
彼女も家庭内主婦として、マンション住まいのため、誰とも交流できずに孤独でいました。私が、灯台の役を少しはしてあげられたかどうか。
いやいや、私も孤独だったことが癒され、二人して不思議の世界に飛び込んでいったのでした。
実に不思議な時を過ごすことができました。
彼女はやがて奥津嶋姫の化身であることがわかり、弁天三姉妹みんなが孤独な辺境の地に鎮座していることも知りました。
特に沖ノ島系の奥津宮はみんな洋上にあって、灯台の明かりが頼りだったのかもしれません。
孤独なくじらのクーは、奥津嶋姫のおられる沖島だったかもしれません。どうです、島の形がクーに似ているでしょ。
奥津嶋姫様は大国主命の奥さんですから、将来どうこうといったことはないでしょう。しかし、そのウマだった彼女と、ウマである私はきっとウマが合うでしょう。
どこまでも広がる豊かな草原を二頭して疾走して、森の中でブヒンブヒン、ブヒヒヒヒーーーンと子作りに励めたら幸甚。(;^ω^)
しかし、いっぽうでは、かつてした魂の抹消の要望が通るかも知れません。そのときはもう、何にもなしの、境地もへったくれもない、唯物論者の未来と言ってもいいですね。
それもまたありかなと思います。