私のハイアーセルフは誰なんだろう。
そんな思いをいつしか持っていました。
しかし、そんなにひけらかすほどのものでもないと思っていました。
私自身がいくじなしで思い切ったことができないということは、いかにハイアーセルフが良かろうと、何の意味もないからです。
しかし、私とハイアーセルフの関係を、ジョッキー(騎手)とウマの関係に喩えたとき、客観的な明瞭さが得られました。
そうだ、こんな喩え方が一番適切だなと、今になって思っています。
2000年7月に知り合った女性は霊能者で、私のことを透視して、あなたのハイアーセルフは梵天様よ、と言いました。
梵天と言えば、この宇宙、いやもっと前からの全宇宙の創造主ではないですか。ええっ!?
この人との付き合いは2年ほどだったのですが、当初から私のハイアーセルフのことを梵様と呼び倣っていたので、私は時折、梵天ジュニアと自らを呼称しましたね。縮めて、ボンジュニとは言います。軽妙でしょ。
そうするとこの女性は、恋人あるいは配偶者たる弁天になるんだがなあと思ったものでした。じっさい、私は46歳頃に家族と淡路島に旅行した時、世界平和観音像の8階だったかに四国八十八か所霊場の境内の砂を敷いて、ミニチュア施設を作り、簡便に参拝気分を味わえるコーナーがあって、その近くに七福神を金箔であしらった銅像があって、お線香など手向けられるんですが、そこで私は弁天様の前に立ちその曲線美に、あなたと結婚したいです、などと思いつくままにとんでもないお祈りをしていたのです。
その一方で、こんな面白く無い人生はこりごりだ、50歳までで終わらせてほしいと、私をこの世に置いたどなたか(普通の人は神様とか思うんでしょうが、私は超宇宙論を30歳頃には考案していて、観測者中心天動説のような概念でしたから、外に神様がいるわけではなく、自分の意識の深いところに自分を含むこの宇宙を起動する全責任者が居ると思っていました)に、特に40歳代にはくどいほど頼みこんでいたのでした。
何たる前後矛盾した思いでいたかが伺い知れるわけですが、私が梵天なら、あなたは弁天ということになるよと彼女に言えば、そうよと軽妙な受け答え。半分冗談のような付き合いをしていたことになるでしょうか。
ところが、さにあらず、じっさい彼女は弁天三姉妹の三女、市寸嶋姫の化身だったらしいことは、もうひとりの大事な彼女が三姉妹の長女、奥津嶋姫の化身であることとの対比でわかってきたのです。
まあしかし、この暗愚で臆病で病気持ちの肉体の私がもろに梵天であるわけはなく、いちばんしっくりいくのが、ジョッキーとウマの関係ですね。このように喩えればいいわけです。ウマは駄馬でもいいんです。
あるいは、「ひと」とは日戸、つまり神霊が出現するための戸口と譬えることもできます。しかし、このときは、人は霊媒あるいは依代ということになり、神霊はそんな戸口を気分によってとっかえひっかえしますから、永久性が保証されなくなってしまいます。
多くの神懸かり的な偉人がおられましたが、そのほとんどが永久性が保てず、落ちてしまいましたわね。そんな偉人を頼って信仰してしまった方も多いわけです。
そうじゃなしに、自分をこの世に置いた方といえば、自分という存在の中にいて宇宙を見ている、自分に固有の神様でしょ。その方こそが、自分の人生の全般にわたって、全責任が負える方なんです。
そのお方をさしおいて、どうして雲の上の神様なんですか。それでは具体性が欠けるというわけか、ついには憑依された偉人を拝んでしまうんですね。
さて、梵天はどんな神にも変身もできるというわけでしょうか。時の経過とともに、神話上の神様らしくなっていきました。
ジョッキーがウマをして、その謎解きのヒントが置かれた現場に赴かせるとしか言いようがないことが、続々起きました。それをシンクロ劇(新国劇ではない)とでも言いましょうか。
その多くは夢見においてです。私は夢の世界をけっこう軽んじていたんです。夢なんて、自分のストレスを何とかしようとして、脳が創る自己満足ビジョンとでも思っていたのです。ところが、夢に見たことが現実に起きることを暗喩的に予告していることがわかって、これは内なるところからの啓示だと思うようになっていったのです。
夢見だけではなく、シナリオ書きすることで、そのような出来事が起きてくることもわかりました。
これはもう、一介のウマのできることではない。ウマに驚くほどのシンクロのウマ味を見せて、ウマを喜ばせて、どうしようもなく謎解きにいそしませる誰かの働きかけを感じないわけにはいかなくなりました。
ウマは3次元的な筋道だてた論理思考と言葉による物書きで、この次元での働きをさせてもらい、誰かはもっと鳥瞰的かつ総合的で、絶妙な物知り情報を送ってきてくれるという、この二本立てで、どこの馬場で演技しているのか知りませんが、人馬共同で何かしらやっているわけです。
それが私の場合は、謎解きだったのです。
つづく