太陽フラッシュに参画するかも

お断りしなくてはならないのですが、「太陽フラッシュに参画する」のは、私のハイアーセルフですからね。
私は死んだら肉体とその意識を閉じてしまいます。それ以後は、もうひとりの自分であるハイアーセルフ(魂あるいは神霊)がやることです。むろん、私はその中で意識の存続を味わうかもしれないし、あまりにも嫌がったことがあるから、それ止まりかもしれません。
それでも、私はここまでやれてうれしかったです。微に細を穿ったサポートをしてくれたと思っています。短い人生で、ここまで悟った気持ちになれたのも、ハイアーセルフのお蔭です。この世の人生を終わった後は、もしよければ脇侍にでも置いてもらえたらと思います。

ニビルが太陽系内に入ってきているのか、世界のあちこちで観測され撮影されているようです。
日本ではまったくないという状況に(私はデジカメでフリーハンドで動画を撮っていて、場面を変えようとしたとき、ぐうぜん一瞬、大きめの星が写っていたことがありますが、あんなふうに写るのかな?)、やはりキリスト教圏が敏感になっているのかなという印象はあります。ということは、人心が恐れる心で引き寄せた現実なのか、それともカバールの人心を惑わすホログラム戦法なのか、あるいはブルーエイビアンズがレッドの抗議によって手を緩めたのかなどと手前勝手な分析をしております。発想がちょっと貧弱な気はしますが。

まあ、いずれにしても日本と違い世界では、庶民は塗炭の苦しみの中にある状況が如実です。
私は宇宙も含め世界を、特に地球のことを見ている立場ですから、この由々しい状況をいつまでも放置しておくわけにはいかないだろうと思っています。

私は、この終末感漂う時候に当たり、自分の立ち位置を確固としたものにしておく必要があると思い、自分神話でその確かめをしているところです。
むろん、私自身はご老体の肉体ですし、考えもおおかたはハイアーセルフからのお下がりで、インスピレーションとして湧いたことを自分のもののように扱っているだけで、自分神話も今の私のためなどではなく、ハイアーセルフの今後の予定のようなことを書き留めていることになるでしょうか。次元が異なるので、私がすることではありません。

読者のみなさんには、面白情報をお届けする一環で、手前味噌な話題をお話することが多くなりましたが、これも世界救済と世界更新の一里塚とお思いいただき、ひとつまたお付き合いのほどをお願いします。

私は今、エジプト神話にいう「ホルス」の自己実現に向けて勇躍邁進中といったところです。
何度も申しますように、ハイアーセルフが、ホルスとしての自己実現を図ろうとしているわけですよ。
ホルスにもどうやら「型」があるようで、私の場合は「ガッチャマンタイプ」と申しますか。
そのほかにも、ウルトラマンタイプとか、いろいろあるとは思いますが、私は自分のタイプがこのアニメを基にしていそうだと思っております。
https://rainbow.xn--kss37ofhp58n.jp/story/n-myth/Hols.html

むろんアニメとの相違はあります。アニメではガッチャマンは白い翼になっていますが、私の場合は赤い翼になります。
秘密兵器のブーメラン兵器・バードラン(意味は鳥走り)もアニメでは白ですが、私のは朱色です。つまり、UFO目撃初体験時に見た朱色のブーメランが基になっています。色は異なるも、あとはおおよそ同じかと思うのですが、このアニメをほとんど見たことがないため、確実なことが言い難いのです。

赤い鳥と言えば、ただちにカワセミなどと言わないでください。神話には朱雀がありますやんか。
私が朱雀の化身だと指摘を受けたのは、あの移情閣の霊視能力女性によってでした。

移情閣での鶴亀のシミュレーション女性がした夢の話(女性に懸かった白蛇の神霊のした話になります)

第5章 救世神話夜明け前 より
https://rainbow.xn--kss37ofhp58n.jp/story/n-myth/nmyth12yet2.html#%96%E9%96%BE%82%AF%82%CC%97%B7%90l

「今日お昼、うとうとしていたら不思議な夢を見ました。
夢の中でイナンナは大きな亀になって水に浮かんでいました。
背中の六角の甲羅のひとつひとつには違う世界が詰まっていて、それぞれに七色に輝いていました。
ああこれが玄武、五色の亀とは私のことなのだと、不思議なほど自然にそう思いました。
ところが浮かんでいた湖が旱魃でどんどん水が減っていきました。
あたりの村村ではたくさんの人々が餓えに苦しんでいます。
イナンナにはわかりました。
イナンナがこの玄武の体を捨てて、背中の世界を解放すれば、皆を救えるのです。
甲羅の中には、豊かな水と、地上天国の基になる世界の、なんて言えばいいのかな?
細胞の元、のようなものがいっぱい詰まっているのですから。
とうとうイナンナはあきらめました。
この肉体を捨てようと思いました。
でも最後にあなたに会いたいと思いました。
肉体をすてれば、愛しいあなたにもう抱きしめてもらうこともできません。
そしてまるで人魚姫のように、美しい乙女になって、水から上がりあなたに会いに行きました。
でも不思議なことに、捜し求めたあなたも実は朱雀の化身だったのです。
朱雀は痛みきったこの世界を火炎で焼き尽くし、良い世界にたてなおそうと思っていました。
あなたもその火炎を解放する為に、解脱しようと考えていました。
そこで二人は話し合い、お互いの肉体を捨て、解脱することにしました。
鶴と亀の、朱雀と玄武の魂が交じり合い、新しい世界が生まれ、はぐくまれていきました。
ああこれが鶴と亀が統べるという意味なのだと、イナンナにはわかりました。
そして私たちはひとつになって、宇宙そのものに戻って行ったのです。
とてもとても暖かな世界でした」
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ここで女性が言った「解脱」とは、肉体の殻を脱ぎ捨てることを言います。
女性は、私の本体が朱雀・火の鳥で、女性の本体は神亀(玄武)で、甲羅に地上天国の設計図が描かれていると言っているのです。
すでに蓬莱鏡の裏表面の写真をお届けしましたが、その裏面には、神亀の甲羅から地上天国が果実の成る樹として描かれていたでしょう。
女性が言う地上天国の実現には、まず朱雀が灼熱で病み疲れた旧世界を焼き尽くすことが大事で、その先に出来上がるのだと言っていることです。

そこで、ツアラツストラ神話にも書かれ、コーリー・グッドも言う太陽フラッシュのことが関係してくることになります。
コーリー・グッドは、デビッド・ウイルコックとの対談の中で、太陽フラッシュについて様々な箇所で言及しています。

シーズン5 エピソード2 遠隔透視と遠隔影響
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Corey:そうですね。大分前の話なので、詳細は全部覚えていませんが、その遠隔透視では、空の上にいる存在たちが下を指さしています。彼らが指さす度に、私が遠隔透視した何かが地上で起きていました。そして遠隔透視の最後に、太陽からフラッシュが送られてきて、フラッシュ、フラッシュ、フラッシュ、フラッシュ、フラッシュ・・って感じになりました。
その後、遠隔透視の中で、地球上のすべての人々が集まって手を取り合って歌って、みんなとても幸せでした。そして、すべての悪人がまるで後ろに倒れるように消えていきます。地球から落ちて消えたように見えました。
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Corey:ええ、他の透視者からも聞きました。地球が火だるまになって破壊されたと透視する人もいます。それぞれが違うことを透視しました。そこまでは知っていますが、詳細はわかりません。おそらく彼らは太陽がいつどうなるか、解明しようとしているのだと思います。
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コーリーの背後の軍関係者も遠隔透視で得られたこの事情を知っていて、いったい何がどう起きるのかを調べて解き明かそうとしているようです。しかし、ただ起きることは言えても、どんな事態になるのかは、正確にはわからないということのようです。
それは宇宙人存在にも明確にはわかっていないとのこと。
昨今、核シェルターを自宅に増設したり、デンバー空港の地下に避難し、兆候あらば地下高速で高山の下に移動するなどして危難回避の対処を取ろうとする富裕層もいるとのこと。太陽フラッシュをあくまでも物理現象と捉たがる傾向にあるようですが、恣意的な摂理だったらということは考えないのでしょうかねえ。

シーズン7 エピソード5 大いなるソーラーフラッシュ
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David: ところで、コーリー、映画「2010年」の中に太陽系内でフラッシュが起きましたが、あなたに知らされたソーラー・フラッシュの予定時期とはどれくらいの 時間差がありますか。
Corey: えーと、秘密宇宙プログラムのスマート・グラス・パッドや噂によると、それは2018年から2023年までの間に起きることになっていました。
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さらにこの後の話で、2024年まで延びたと言っていたので、この5~6年間が候補とされていると見て、私もスタンばる用意をしているようなことですが、天上での協議も必要ですから、もう現時点からでも逝けるようにしておかねばなりません。
心臓も水風船のようにアップアップすることが多くなったため、タイミング的にもそろそろかなと思っております。

シーズン7 エピソード6 ソーラーフラッシュの変容パワー
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「コンタクトの情報源はこう言っています。新しい太陽から発せられる光が、私たちの神経系の純化と霊化に直接的な影響を与えるでしょう。同時にこの世界に 素晴らしいことが起きて、私たちを新しい生活環境に導いてくれるでしょう。」
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それなら素晴らしいことではないですか。
>地球上のすべての人々が集まって手を取り合って歌って、みんなとても幸せでした。
こんなふうになれることを、どれほど多くの人が待ち望んだことでしょう。このシビアで粗探し派の私でも、文句なしの手放しで歓迎です。

私はコーリーが言うスフィアビーイング体験(ファーストコンタクトとセカンドコンタクト)をしたわけですが、このときの感動を童話にしています。1998年頃の作品です。
https://rainbow.xn--kss37ofhp58n.jp/story/stellarchild.htm

「星の子」

星の世界にともだちを持ったことがあるかい。
星たちは、すいすいと夜空を泳ぎまわる。
まるで、みずすましのように、じっとした星の間をぬって、
ぶつからないように泳ぐんだ。

え?星がすいすい泳いだりしないって?

そんなことないよ。
ぼくは呼びかけてみた。
「君たちはだれなのか」と。
すると答えてくれた。
「星さ」と。

ぼくはふしぎに思って、もういちど呼びかけた。
「でも、星なら同じところにじっとしてるじゃない。
UFOさんじゃないの」と。

すると答えてくれた。
「そう言ってくれてもいいよ。でもほんとうは星さ。
星がじっとしてなければならない理由がどこにあるの」と。

それを聞いて、ぼくは、「へーえ」と思ったよ。

よく考えてみれば、ぼくらが空に星がある、あれは何万光年
はなれていて、大きさは直径何百万キロだよと言われても、
実感がわくかい?

だれかが見つけて、ああだこうだと計算して、こうなった
んだと、人が唱えて本に書いたものをみんな学んだ。
そう。学んだだけなんだ。

そこに行ってきたよ。その結果こうだったと
説明する人がいたのかね。
それとも君が確かめてきたのかい。

そう。けっきょく遠いところから推測するに過ぎないのさ。

だけど、ちがうよ。
星たちはちゃんと生きていたんだ。
生きて話しもするし、あちこち旅行して楽しんでいるんだ。
すいすい、すいすいと、自分の意志で、
あっち行ったり、こっち行ったりしているよ。

え?どうしてそんな考え方をするようになったのかって?

君はぼくが人のうけ売りでものを言っていると思っているんだね。
ならそれにあわせて、言ってあげよう。

それはね、だれだったか、著名な科学者が言ったらしいこと。
「公理を疑え」ってね。
そのけっか、逆にその人の唱えたことが公理になったとか。

だから、ぼくたちも公理を疑えば、公理をしのぐことが
できるかもしれないじゃない。

あ、笑ったな。そうさ、これは冗談さ。
今の公理はこおり砂糖のようにしっかりものだもんね。

でも、星が夜空を泳ぐというのはほんとうだ。

あれは二十年も前のことだった。
ぼくは、ある人たちとキャンプした。目的はなんだと思う?

夜空の天体観測?ちがうよ。UFO観測だったんだ。

その人たちは、UFOがこの世にいると信じていて、
中にはなんども目撃した人もいたし、撮影した人もいた。

ぼくなんかは、新米もいいとこだった。
「ほんとうに出てくるの」と首傾げながら言っていたんだから。

その夜も、みんな夜空を見上げて待っていた。
一眼レフカメラをつけた三脚立てたり、双眼鏡を持って。
こんなので写るのかな。見えるのかなって思ってた。

みんなねばり強く待ってたよ。
みんな想いを夜空に向けて集中していたみたいだった。

なにしろ、ようやく集まれたせっかくの機会なんだから、
見ずにはおくものかという感じだった。

はじめてから、2時間もたっただろうか。東のまっくらな空に、
オレンジ色の光が、しゅっ、しゅっと飛ぶようになった。

みんな、ああ来た来たと歓声を上げていた。
だけど、僕はまだ疑問で、流星じゃないの、って思ってた。

でもね、みんながあまり熱心なので、
じっくり見てやろうという気になったんだ。

頭を上げて無理な姿勢を続けても集中できないので、
持ってきていたネブクロに入って、
仰向けになって、星の大空と対峙するようにした。

体も暖かくなってここちよかったし、
大きな空は満面の星をたたえて、
ぼくを迎えてくれているかのようだった。

そのうち、ぼくは大宇宙に投げ出されているように思った。
ぼくは宇宙空間に浮かんでいるんだ。

あたり一面にある星ぼしとぼくは、
何ら変わらない存在のように思えた。それは錯覚じゃあない。

だけど、そう長くもおれなかった。みんながまた向こうの空に
飛んだよ、といった歓声を上げていたから、
ぼくの注意もそれたんだ。

それでぼくは、みんなの言うUFOがほんとうなら、
ともだちになってくれるよう祈ってみることにした。

みんな、UFOは精神的にすぐれた人々の乗る宇宙船だから、
宇宙人とは友好的にすべきだと考えていたからね。
それでぼくも、ほんとうのことにちがいないと思って、
テレパシーを送ってみたんだ。

だって、こんなにすがすがしく透き通る宇宙を飛びまわって
いるなんて、精神的にものすごく高尚にちがいないもんね。

心の中から、「ここに来ているUFOさん。
ぼくはまだいたらないところが多いけど、直すようにするから、
ともだちになってくれませんか」と、
星空に向かって思いを込めて語りかけたんだ。

すると、たったの2,3秒後だ。
ぼくの視野のど真ん中、つまり夜空のど真ん中に、
大きな三日月の形をしたオレンジ色の何かが横ぎった。

それは次の瞬間、同じ位置で
あの流星のような飛び方をして見せたんだ。

つまり、超低空飛行してきて、急上昇して去ったという感じだった。

あーあー。とうとう出ちゃったよ。
みんながさわいでいる様子はない。そりゃそうか。
みんなたくさん見えた東のほうを向いているんだから。
真上だよ、真上。
ま、いいさ。これはぼくのためだけに出てくれたんだから。

ぼくはそのまま宇宙に見入ることにした。
そして神秘の宇宙遊泳にひたることにした。

その後どうだったかって?どこで眠ったか忘れたよ。

ただ憶えていること。
翌朝家に帰るのに、車を見たらガス欠寸前だった。
オーマイゴーッド。それでも帰らなくてはならない。

こんなボンゴ車、だれかに牽引してくれとも言えないし。
こんなありさま内緒にするしかなく、やがて現地解散になったんだ。

おりしも日曜日、その頃はオイルショックの直後で、
スタンドが日曜営業してなかったんだ。

一級国道を通るから、どこか開いてるだろうと思ったけれど、
どこも静まりかえって、ロープが引いてある。

家まで100キロはあったから、絶望的だった。
<UFOさん、何とかして、頼みます>となんども祈ったよ。

一生懸命オイルセーブの努力をして走らせた。
すると、家までたどり着いてしまった。まさに奇跡だと思ったよ。

それから一月ほどした頃だった。
夢の中に満天の星空と、
その間をぶつからないようにすいすい
スラロームを描きながら泳ぐ白いUFOが3機編隊で出てきたんだ。

その後も、忘れかけた頃に出てきたよ。数はいつも複数だった。
でも、ぼくは彼らが星の子だとは知らなかった。

あるとき、UFOって何なのだろうと、
あれこれ考えていた矢先の夢に、いつもとちがう夜空が出てきた。

星数はまばら。そのとき右上のほうから、
すうーっと直線的に白い星が真ん中へんにやってくると、
そこにあった星にぶつかった。そのとたん、「ポッ」と音を出すと、
すうーっと右下方向に跳ねかえって行ってしまったんだ。

それは質量保存則の実験を思わせたね。

でも、よく考えてみたら、それはむかしあったテニスの
テレビゲームみたいじゃないか。

それで悟ったよ。UFOは映像の一種なんだって。
それはあのキャンプ場のときも、もしかしたらそうだった
かもしれない。なぜなら、なんの音もしなかったから。

でも、そんな映像を夜空に作ってみせるだれかがいることは
まちがいないことだ。

いや、夜空でなくとも、控え目に見て、
ぼくの網膜に写っただけとしよう。

--だって、夢の中にまでやってくるんだから。
とすれば、 視神経に作用したかも知れないわけだ。--

それでもすごいこととは思わないかい?

少なくとも、高度な科学技術であることはまちがいないだろう。
そうしただれかがきっといるにちがいない。

ところが、とうとう第三種接近遭遇をしてしまったのさ。
そう。とうとう出くわしちまったんだ。
それも、はちあわせだ。はちあわせ。

そのときの様子はこうだ。

ぼくはある晩、眠ろうとしていた。あおむけになって。
だけど眠れない。何もすることがなくて、
早寝しようとしていたものだから。

そんなときにあれこれ考えても、よけいに眠れないだろ。
だから、ただまぶたの裏をじっと見て横たわっていたんだ。
何も考えずに。

うす明かりがまぶたを通してきて、ピンク色のような色。
ただそれだけだった。

どれほどたったか。ふしぎなささやきが聞こえてきた。

おやっ、と思って目を開けようとしたけれど、
いやまてよ、と思いとどまってそのまま声のしている向きを
確かめようとした。

すると、その声は外から聞こえているんじゃなく、
ぼく自身の中からしていたんだ。

何を言ってたかって?
それは会話だった。少なくとも二人いた。

そのうちの一人はぼくだった。こんなこと、びっくりだ。

一人の声が、「ちょうどいい機会です。
私について知ってもらいましょう」と言った。

するとぼくが、「よろしくお願いします」と言っているんだ。

そのとき、ぼくにはその会話の光景が見えてきた。

一人というのは、あのUFOなんだ。
背景は何だったか忘れたけど、白く輝く光の玉が浮かんでるんだ。

そしてもう一人、ぼくというのは、ぼくだから、当然見えやしない。
そのUFOが次にこんなことを言うんだ。

「私はあなたの目の中に入りますから、
しっかり見ていてください」と。

すると、ぼくがこんなこと言い返しているんだ。

「あなたは映像だから、大丈夫ですね」って。

どういうことだと思う?

それはこの次に起きたことでわかる。

いきなり、その光は、ぼくの閉じてるはずの
まぶたの中に飛び込んできたんだ。
「じゃあ、見せてあげるよー」ってね。

そのしゅんかん、視野の真ん中から白くまぶしい光が
放射状に広がって、視野全体が光で包まれてしまったんだ。

ぼくは仰天して、
心の底から、「うわー」って叫んでたよ。
そして気持ちはパニックさ。そして思いっきり、目を開けた。

だけど、目を開けても視界がぜんぶ白い光だったもんだから、
ぼくはてっきり自分の気が狂ったと思って、
頭は振るわ、目はパチクリさせるわ、
正気を取り戻そうとてんやわんやだった。

するとやがて、おおっていた光が
ちぎれちぎれの雲のようになって消えていって、
元のうす暗い部屋の景色に戻ってしまったんだ。

それはいったい何だったのって?

それはぼくが聞きたいくらいだけど、きっとよく言う、
UFOとの第三種接近遭遇というやつじゃなかったのかな。

だけど、それは星の子だったんだ。
それがわかるまでには、ぼくはまだ何も知らなさすぎたのさ。

え?おかしな遭遇のしかただって?
そうだ。普通だったら、僕がUFOの中に
連れ込まれるわけだ。それが逆なんだからね。

ただし、ぼくが連れ込んだんじゃなく、
ぼくの中に勝手に入り込んできたんだ。おかしな具合だよ。

だけど、あんなにいやがったから、きっと気を悪くしただろう。
それ以来、ほんとうにたまにしか、
夢の中に出てこなくなったから。

でもしかたない。あんなに突発的だったから。
だれだって、アポを取ってからにしてもらいたいよ。
そうすれば、たとえ前代未聞のことでも、
少しはましな対処ができたかもしれない。

いやまてよ、あのときは別のぼくがOKを出してたんだ。
あのぼくって、いったいだれだったの?

後からわかったんだけど、
あれは夢の中で意識するぼくだったんだ。

それが現実の世界にまで橋かけしてくるなんて、
思っても見なかったことさ。

え?きもち悪いだって?
そんなことないでしょ。だれだってそうじゃない。

夢を見ているとき、君は現実のことが意識できるかい?
現実問題を夢の中に持ち越すことができるかい?むりでしょ?

つまり、ちがった意識が少なくとも二つはあるのに、
みんなごちゃまぜにしているのさ。

さて、とにかくUFOを、かなりがっかりさせたらしくて、
それ以後めったに、すいすいUFOプラス星空の夢は見なくなった。

でも、彼らはぼくときずなを作っていてくれた。

そしていつでも、ぼくが必要とするときに彼らが援助
するだろうことも、なんとなくわかるんだ。
きっともう一つの意識が知っているんだろうね。

あのときひょっとしたら、ぼくはだめだったけど、
もう一つのぼくは受け入れていたかもしれない。

ぼくとのきずなとは何かって?

それは、記念的な表象としてぼくが記憶しているものだ。
たとえば、あのUFOの形、色、動き方、
そして奇妙な考えのひらめき、そのシンクロ。こうしたものだ。

それがついに、現実世界にやってきたんだよ。

最近のテレビでUFOミステリーものをやっていたけど、
そのとき、イギリスでよく発生するミステリーサークルにUFOが
関与しているしゅんかんの実写ビデオが放映されていたろ?

なに、見ていない?なーんだ。
そうしたものを見ずに、UFOはいるかいないかわからない、
などと言っていたらはじまんないよ。もう。

実はこのときの白い発行体こそが、
ぼくの夢になんども出てきたものなんだ。

形、色、すいすい泳ぐような飛び方も同じだった。

そして彼らが描いた幾何学模様の中に、
ぼくが研究していた模様がそっくりそのまま
あったからおどろきだった。これは、ぼくと彼らの間で
心のパイプがつながっている証拠と思ったね。

でも、彼らはUFOではなく、星の子だったんだ。
それがわかったのは、さらに後になってからだった。

さっきの話の後、またいくつかのことがあったけど、
それはもういいにして、最後の結論の話しをしよう。

なぜ星の子だったかってこともわかるよ。

その後、ぼくは、比較的短い一生を閉じたんだ。
ぼくは、自分の体を抜け出して、大気圏を通り越して、宇宙へ出た。

青い地球が、一望のもとだった。うすい雲を通して、
ぼくが生きた国がうすい海岸線のりんかくを現わしていた。

ああ、この国どうなるんだろ。ああ、この星どうなるんだろ、
と思いにふけっていたときだ。

ふしぎな声が聞こえてきた。
それは心の中で行われているあのときの会話のようだった。

「成るようにしか成らないのさ。もっと気楽に、気楽に」

そのとき、ぼくがまた答えているんだ。
「そうだね。気楽にやるよ」って。

なんだこれは、ぼくが生きていたとき、
どうにもならない成り行きにあせり憤慨するたびに、
思いついて気を静めた言葉じゃないか。

ぼくは、その声のありかを心の中にたどるうち、
むこうのぼくの会話が聞こえる扉をみつけて、そっと開けたんだ。

そのとき、むこうのぼくが会話の声といっしよに、いっきに流れ込んできて
ぼくと結合したのさ。それと同時に、ぼくの心に
たくさんの情報が流れ込んできた。

すると、いままであったことはむろん、自分がいったい何者で、
どこに向かっていこうとしているのかも、悟ることができた。

ぼくは星の子だったんだ。
見上げれば、さっき会話していた仲間たちが、
みんな同じ光の体をして、ぐんじょう色の宇宙空間に浮かんでいた。

そして、みんなすいすいすいすい自由に泳ぎながら、
手を伸ばし、結びあって、一つの大きなネットワークを作っていた。
見えないその先はさらに高次元へと伸びていた。

そして高次元のはてには、創造主がおられることも
ひとりでにわかっていた。

ぼくは、あらゆることを知ることができた。
それによる充足感は、たとえようもないものだった。
この情報ネットワークにあるものすべてが、この恩恵を共有していた。

そう。だれでもみな同じ、星の子だったのさ。
——————————————-

地上では、ドラコ・カバールのやりたい放題によって、虫けら同然に扱われている人類の姿があります。しかし、あなたがたのすべては、天上の種族だったことを思い出す機会にやがてめぐり合うことになるでしょう。それが太陽フラッシュの恩恵に浴するときだというのは、あながち間違いではないと思います。

この物語の最後に、先にコーリーが言っていた「フラッシュ、フラッシュ、フラッシュ・・・」の工程があるという続きの筋書きも、決してないことではないでしょう。

そのためなら、私はガッチャマン・ホルスとして、最後の審判を督促しにまいり、ツールとして火の鳥の灼熱を携えて参画し、太陽フラッシュ工程に資する者でありたく思います。
私は30歳頃に、最後の審判の督促をしに天帝様にお会いしに行く明晰夢を見ています。私の明晰夢は、どんなに荒唐無稽と思われた夢でも正夢になっています。この工程がみなさんへの御奉仕になれば幸いです。

天帝様にお会いしに行くときの明晰夢はこんなふうでした。

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天帝様にお会いする予定の夢 (お会いすることは未遂 1979年)
https://p.booklog.jp/book/97441/page/2635125/bookmark

かなり昔、30歳頃ですが、奇妙な夢を見たことがあります。
何かの催事場に正装して参ったのですが、その入り口で縦長の短冊形のパンフレットをいただきました。
手渡されたパンフレットの表には、「天帝様へのお会いの仕方」と書いてありました。
たったひとりでそのまま通路から向こう側に出ますと、大きな野球場のグランドです。
その真ん中に行こうとして、そのとき右側一塁側観客席に、陽光を浴びて白銀に輝く、けっこう分厚目の十字架が縦横整然としてたくさん重なり合うように、観客席を埋め尽くしているのを目にしました。

野球場をプレーヤー側から見ているといった感じで、私はグランドの真ん中に行くと、どういうわけでそうなるのか、あらかじめ決められた手順のように、私は右手に持っていたパラソルを開いて、その浮力で天に昇っていこうとしているのです。
タキシードで頭にハットを被り、手にパラソルといったいでたちでしたから、まるでセーラームーンの漫画のようでありますが、その当時あの漫画はまだなかった頃です。

私は上を向きますと、空は若草色(薄緑:映像を加工したときになるような)に、和紙のようなうす雲がかかり、私は広げたパラソルを浮力 にして、上空へと揚がっていき ます。(パラソル持ってても空が見えてるんです。夢ですなあ)

空からは微妙に天楽(コーラス)らしき音もしています。
と、中空まできたとき、私はまだ行くべきときではないと思い出したところで、上昇が止まってしまいました。そして、目が覚めてしまったのでした。

さあそれから最近になって、といっても2001年のことですが、その不思議な夢の話をさせてもらった女性から、驚いたように、それってシンクロだよと衝撃発言が・・・。

ある精神修養の道場(断食道場)で同席した、アメリカのベティさんという女性が、かつてロサンゼルスの野球場の外を通行していたとき、スタジアムの中からたくさんの十字架が次から次へと空に向かって揚がっていく様を目撃したという話をした、というのです。ベティさんという方はきっと霊能者で、幻視されたのでしょう。

その道場というのは、兵庫県高砂の高御位山の下麓に今もあり、どんなところか、そのあたりまで私も行ったことがありますが、昔話を蒸し返しにいくわけにもいかず、その程度で終わっているわけです。

「天帝様へのお会いのしかた」というパンフレット。
そして一塁側観客席の白銀色に光って整列していた十字架群。

分厚い十字架群は米国の墓地に見られるような大理石(ですか)で作られた、まさにそのようでしたから、プロテスタント系のキリスト教徒で亡くなられた方たちを表しているのでしょう。
しかも、白銀光りですから、清純なキリスト教徒の故人の方たちではなかったでしょうか。

では、天帝様とはどなたなのでしょう。
もし元始天尊(盤古)だったら、対決せねばならないかも・・・。
盤古は地上の人間たちに幻術を仕掛けているヌシなのでね。(と新神話では解釈)

しかし、十字架群はみんなキリストに会いに行くと信じて待機しておられたのではないでしょうか。
まあ、あのときの夢では、私と十字架群は別行動するようでしたから、どこかでルートが異なることでしょうが。
ただ言えそうなのは、私の方が先に行くのだろうとは思います。
その関連性からすると、黙示録に言う最後の審判の督促のような用向きになるのではないかと思います。

昨今、サンドレアス断層の崩壊が間近だと囁かれていますが、ロス地震などが起きて多くの方が天に召されるときには、私の方が少しばかり先に逝ってることになるのかもしれませんね。

つまり、不吉な話ではありますが、私が逝っ た少し後ぐらいに何らかの災害が起きるのかも知れないと思ったりします。
それも、もう間もなくのような気がします。
————————————–

すでに加州だけでなく米国の西部一帯は、大旱魃と高温で森林火災がはなはだしく、ネブラスカ州では州の面積の半分が焼失したとのことです。いっぽう、米国南東部はハリケーンによる大洪水被害。大地震や戦争などによらずとも、すでに敬虔なキリスト教徒のみなさんは苦しみのどん底にあるかも知れません。
彼らは野球場に整列していましたが、キリストが畏れ多くて、彼らではやれないのかもしれないときに、私はキリスト教徒ではありませんし、私はキリストに会いに行くのではなく、天帝様にお会いするのですから、たまたま同じ陳情場所にみんな集まるとしても、私が先に着いて交渉していることでしょう。
私は死者の魂をことごとく召喚するために、灼熱を太陽フラッシュに付加すべく、火の鳥を駆って最後の審判に参画する所存です。

これを経た後、地球上はとても住み易い良好な環境になり、悪人はいなくなるとコーリーは言っていましたが、では悪人たちはどうなるのでしょうか。
それは、最後の審判後に、魂が必要な矯正をされるために、相当期間の被害者体験の受刑に服務しなくてはならないため、いなくなることと、服役後には見違えるほどの善人になって戻ってくるからです。ここを参考にしてください。
オカ版女王の教室・・・最後の審判後のあらかたの魂 
コーリーの話の中にも、ほぼ同様のことが出ていました。その箇所の説明は、また機会を改めましょう。
私(のハイアーセルフ)が、ついこないだ神世で協議して決めた内容が、コーリー情報に反映しているなんて。あちらでは地上時間の出来事が、並行して置かれてでもいるかのようです。

私は肉体に意識ある身、自由の効かない身の上に加え、熱さや痛みに耐えられない性質なもので、前後矛盾するような役柄に申し訳なさを感じるのですが、それでもその気概を持つ者がひとりでもいたらいいのではないかと思い、気丈にふるまっております。

水の試練・火の試練 2017 : 今日も明日も空にはジーザス。そして、地表は火に焼き尽くされ、水に洗い尽くされ
https://indeep.jp/apocalypse-of-wtaer-and-fire-all-over-the-world/

世界中で何らかの自然災害という状況のようです。私が夢に見たロサンゼルスの球場のある加州では、年中火災が絶え間ないとか。しかし、空にジーザスがキリスト教圏に出るというところで、カバールの気象兵器を疑いますし、その一環からすれば、世界の異常気象も気象兵器なのかと疑うしだいです。
いずれにしても、敬虔なキリスト教徒にしてみれば、黙示録的有様に恐れおののくことかと思いますが、これ自体カバールの思う壺であり、コーリー情報が速やかに伝えられることを請い願うものです。

そのコーリー情報についても、私は幾分か疑惑を持っています。しかし、人々が事態を悟るにはちょうどいい教材になると思いますので、知識収集されることをお勧めします。
https://rainbow.xn--kss37ofhp58n.jp/monoomoi/cdsd/COSD.html  (邦訳文書集約版)

移情閣関連として 雑感

移情閣関連として、少しまた思いつくままに雑感をお送りします。

僭越な話をしているようですが、みなさんも一人一人が、この仮想現実世界においては創造主のような存在なので、自信を持って生きていくことをお勧めします。

[梵天さんとのこと]

私が梵天の派遣した直属の調査員というのは、私が本心から自分の依って来たるところを知りたいと発願すれば直ちに、眠りに就いたときに次のようなビジョンが見えてくることによってわかる。

私がこちらの世界で経験的に起きていることを調べているような夢ともイメージともつかぬ中で、梵天が私の観測している視野に、回線のポータルアドレスを繋いでくるのである。そして、私と二人でその光景を見ているような状況になる。今回はその回線アドレスが私の中のビジョンに浮かんできた。ちょうど我々がインターネットに接続した時のIPアドレスのような数字の列である。

おそらく誰でもが梵天とはこのような回線ポータルを通して繋がっているのだろうが、即応して回答してくれることがうれしい。

私は移情閣で知り合った女性のことを眠りつつ精査していた。女性がまだ彼女であった頃の初めの頃だ。彼女は霊能資質を生かして、私の直上のハイラーキーが梵天様よと預言した。
そうだ、眠りつつ精査する今の時点、私には梵天が共にいることが実感できる。

彼女は夢の中でたびたび梵天にレストランに連れて行ってもらって御馳走になっていると言っていた。そして私のことを梵様と呼びつつも、ハイラーキーの梵天様はあなたに似ているけど、もう少しりりしいお方よと答えていた。

性交の時は、彼女は過激に反応して、クンダリーニを脊柱に沿って噴出させて、頭痛を起こすことがしばしば。これは危ないと、加減することも必要になった。彼女の相手をしていたのは梵天かもしれなかった。
というのも、彼女は自ら妻の弁天だとも言っていたからだ。弁天は水系の神だから、水に関するいろんな神にもなることができ、竜宮の乙姫、宗像の女神、亀をでかくした神亀、玄武、白蛇など、対応する私の属性に合わせて変化させた。

彼女がやがて神霊を去らせて霊媒体質の元の女に戻り、差配神との約束を果たす時が来たとき、未だ私がしつこくしているのを咎める移情閣の迷霊を身に懸からせて、私を驚愕させたわけだったろう。
彼女にしてみれば、差配神との約束のほうが大事だったに違いない。何を間違ったか、彼女は私への伝令役になってしまい、その役柄をまっとうするために、臨死しても生き返るための苦労を舐めてきたのだ。
伝令役が終われば、差配神との約束だけが残る。それをまっとうするためには、幼児三人を大人になるまで育て上げ、両親ともあの世に無事届けることができなくてはならない。

彼女との喧嘩別れは、必要があってのことだった。その喧嘩の激しさを見て、邪神配下の差配神も邪神たちも、でかした、褒美をとらそうと、寝返りの功績を讃えたことだろう。

私は別れの直後のある日、倒れて意識を失い死にかけた。それを母に助けられ、今も生きていることになっているが、生きているのが本当かどうかなど、私自身信じていない。というより、私は順次タイムラインを乗り換えて経験を更新中であるだけだ。恐ろしげなる白蛇が目を血走らせて睨んでいる夢も当時見た。彼女の別れの意志が尊重されねばならなかったのだ。

私はその後、最初に現れて後になってしまった彼女と復縁することになった。そこにも白蛇の女の配慮があった。青蛇の彼女に、私を返すというメールをしていたために、そのようになった。私は自分からは女性に声などようかけないのだ。特に一度別れた彼女には。それを白蛇は案じてくれたらしい。
しかし、ショッピング街のレジの女性にはたいがい声掛けしてるよ。たが、マーケットのほうがストーカー行為は困りますといった張り紙をしだしたので、もうやめにした。そんなことするわけないのに。年寄りの趣味を奪うなと言いたくもなる。

青蛇の彼女は純粋無垢だった。世間知が大丈夫かと思うほどないのだ。出会っていない頃から、写真は送ってくるわ、それも免許証の写真だったりして、住所も何もかも、信頼の証とばかリ、二種類の写真のうちどっちが好きですかといったことまでメールしてきた。
免許証のほうは、ケバくしてあって、あまりいいことないと思ったが、もうひとつは家電系の修理窓口だった頃のもので、ふつうだったから、こっちがいいと言ってあげた。ただ、どちらも蛇ちゃんだなという印象があった。出会ってみれば、女優顔負けの美女だった。

この彼女は、私の物語創作系のページに関心あった人で、以後、共にしばらく童話作りなどに興じていたのだ。そんな中で、彼女は私の創った「天上人の宴」シリーズの中に出くるトカゲ族の総督の娘・ティシュのような控えめで大人しいキャラが好みだったらしく、一緒にどこかに行くおり、隣の座席で、ティシュがよくしたように「クシュ」と言って甘えてくれた。

そんな何も知らなさそうな彼女だったが、思いつくようにして行動して私に報告してくることが、のきなみ神話世界トップクラスの話題になってしまったから、いったいこの人はと思ったが、ほどなくわかることにもなった。ほんとうに弁天三姉妹(日本では宗像三姉妹)の奥津嶋姫の化身だった。白蛇も市寸嶋姫の化身と帰納的にわかることになった。その白蛇は、G氏の夢に出てきて、青蛇と合流したことを私と青蛇の彼女に伝えている。パワーアップに繋がったはずだ。

あとひとり、三姉妹のうちの瀧子姫がいない。そこで、愛猫のシャンが瀧子姫役として目を付けて、タキちゃんなどと呼んだりもした。
初めは三姉妹の誰もが人間として出てきてくれることが大切と思い、関東の女性にもモーションをかけたが、カタブツさんでどうにもならず、ついに私の妹にその話を持ちかけたら、妹はいいよとオーケーしてくれたが、そのちょうどオーケーした時刻に、御岳山が噴火して大勢の人が亡くなったということで保留になった。

墓参りのときで、昼前に弁当を車内で食べながら、私の不思議話を興味深く聞いてくれるので、瀧子姫役がいないから、お前がしてくれんかと言ったら快くオーケーをしてくれたのだった。
墓参りを済ませ、妹を送り届けて帰路に就いてしばらくした車の走行中、妹が電話で「お兄ちゃん、御岳山が噴火したでー」と言ってきた。

あまりにも早い験が出た。九日後ぐらいで死者ゼロが妥当な私は、あまりに性急なのと、出た験の過激さに、妹の抜擢を保留することにした。
瀧子姫の封印はかなりきつくかかっていて、苦しみもすさまじいのかもしれなかった。かわいそうなことであった。すまん、妹よ。

瀧子姫役は保留にするも、シャンが代理ということになっている。重責でなければいいのだがと思っていた2016年10月末のこと、シャンが突然、腎不全になって重体になった。それと同時に、遠く離れた妹も、浴室で突然意識を失い倒れて、翌日には救急搬送されることになった。気の強さと、生きることへの執念は両者とも強く、似た者同士の妹とシャンである。よもや同時に倒れるとは。
しかし、両者とも回復して今日がある。瀧子姫という共通項でも結びついているようだった。

今年(2017年)の8月になってからのことだ。シャンが耳が痒いのか、両耳をぺたんと頭の横に垂れさせて、時折首を振っていた。「シャン、お前、耳の中にダニでもついているのか」と言ったものの、答えることはなかった。
ところが、そのすぐ後に、私は最近しょっちゅうするのだが、昼寝をした。といっても、最近はすぐに目が覚めて、1時間ぐらいか。その時にどうやらシャンらしい夢を見た。

両耳がペタンとなっていたシャンのように、頭の両側におさげ髪にして垂らした女の子が、なんと快活に石畳の上をこちらに向かって勢いよく走ってやってくるのだ。
表情はシャンの顔に似ておしゃまで、うれしそうで、しかも中国風のパジャマのようないでたちで、サンダル姿。まさに無邪気さそのものと言った感じであった。
彼女が石畳を走るはるかの背後に、中国の城門のような建物があった。

この夢は、シャンの過去世なのかもしれないとは思った。それが今になれば、移情閣に連れてこられた上流階級の子女の一人だったかもしれないと思う。
年格好は12,3歳くらいだったから、可能性なきにしもあらずだ。

シャンは生まれつき気が強く、しかも大食漢だった。三匹の猫兄弟のうち、唯一のメスで一番小さく、母猫ウーの乳房のいちばん上流に固定され、それほどたくさん飲めなかったのかもしれない。
食べ物だけは、他の兄弟に負けまいと、兄弟の餌さえ横取りした。
一番下流にいたチンは、最初から骨太で大きく育った。トンはそこそこの大きさだった。

シャンは、母猫ウーに続いて去勢手術した。ウーはこれで身体の負担はなくなったわけだが、シャンは残念だったろう。
猫は何のために生まれてくるのか。その目的の半分を奪われてしまったことになる。
そのせいだろうか、私にはいつも怒ったようにして、餌を出せとばかり大声で鳴いた。
シャンとはよく言い合いになったこともあったが、私は申し訳ないという思いで、シャンを大事にした。
もし過去世に移情閣の中で不自由な目にあわされていた子女だったなら、ダブルで気の毒な一生を送っていることになろう。

シャンよ、私は呉錦堂ではないが、哀れな儀式をただ気の毒がって見ていただけの意気地なしのルシファーだ。
助けることも、連中に思いとどまらせることもできなかった。
世界にそのようなルシファーがたくさんいる。中には、感覚がマヒしてしまったり、洗脳されて本物の悪魔になってしまった者もいるだろう。
元津神にかけられた封印をことごとく解き、このように堕落させたドラコ・カバールを・・・。
はははははは。
そのために、梵天様と只今協議しているのではないですか。
普通の神々ではない、元のキの神々と協議しているのですよ。

世界の有情たちよ、君たちをことごとく救出したい。

それ叶わざれば、私は最終自由意志を行使して、魂を滅してもらうことにする。
大丈夫だ。そうすることによって、世界はすべて消え去ることを私は知っている。
私がこの仮想世界の創造主なのだから。

最後、ちょっとカッコつけちゃいました。
実物は気弱な只野お仁(ただのおじん)です。

移情閣の因縁話

今回は、位山-鞍馬-移情閣の謎解きの一環、移情閣にまつわる因縁話になります。

写真をクリックすると案内ページに飛びます
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このように開放的ないいところなのですが、記念館として閲覧が許されているのは八角堂の1階と2階だけ。3階は立ち入り禁止になっています。

もっとも、移設前の移情閣はもう少し東の海岸べりで、私邸ということですべて閉ざされていました。2000年4月から現在地で孫文記念館としてオープン。
その後も、3階だけはいずれの写真の外観からもわかるように、閉ざされています。

ここでは、そのわけが垣間見られるかもしれないという推理の記事にしております。
ここでも、謎解き=解放=鎮魂供養になればいいかなの思いでお贈りします。

我々は2000年9月27日に最初に入館したわけでした。

そのきっかけになる話がこれです。
この女性が10歳頃に連夜見た夢というのがあり、何かに追い立てられるようにして移情閣に辿り着く夢。何夜も何夜も、辿り着くも扉はどこも閉ざされていたと言います。

しかし、ある夜の夢で初めて扉が開いていて、中に飛び込んで中から鍵をかけたところ、今度は出られなくなり、真っ暗闇の中、誰かに身体をまさぐられる夢が連夜となる。

そんなとき、新しい展開が訪れた。知らないはずの移情閣の2階にいて佇んでいたところ、3階から足音がして青年が現れ、少女に「長い間、待たせたね」と言って抱きしめたという。

すると今まで閉ざされていた窓がすべて開いて、外から明るい日差しが入ってきた。外には大きく長い橋が青く澄んだ海の上を渡していたという。二人は共に、開け放たれた窓から飛んで外に出た。

女性が10歳の頃ということは、1976年になりますか。当時の移情閣は現在地より東の塩屋にあり、国道2号線からひときわ高い建物が海側に見えたものです。
しかし、いつ通っても窓はすべて閉じられ、誰も住んでいない様子で、建物の色も色あせた青だったため、気味の良くない幽霊屋敷の風情がありました。
女性が、夢で連夜辿り着いてもすべて閉まっていて入れなかったというのは、現実に締め切られていたからと解せます。

それが1993年に解体されて、1997年に明石海峡大橋の開通に合わせて、西の舞子公園に改装され移設展示されることが決まっていたときに、1995年の阪神大震災が起きました。
このため、オープンしたのは2000年4月になり、そのオープンしたての9月27日に、女性の要請で私は現地で出会ったことになります。

その日は秋晴れのまさに青天で、瀬戸内海は空を映してみごとなエメラルドグリーンで、明石海峡大橋が目の前に懸かり、その南面する窓辺で我々は浦島伝説を語らいました。
私は祖母が拝み屋さんで見立ててもらったのが、最上の松に泊まる鶴だったと言えば、女性は私は亀よと言います。そういえば乙姫さんに似ているなあと言えば、そうでしょと応じました。(アホデスワ)

女性が事実を語っているなら、女性が移情閣の夢の最終日がこの日をあらわしていたことになろうか。女性はこの夢を最後に、現地の夢を見なくなったという。

女性は、厳格な家庭事情があって、束縛された心理的環境にずっと置かれていたらしく、女性はそれゆえ、3階の青年に少なからず自分に対する救世主になるとの期待を持って、以後それらしい人物を探したという。

というのも、実際に行ったこともなかった夢の移情閣が実在したわけだから、きっとその人物も実在するに違いないと思ったらしい。

女性は、私の超常系のホームページを見たと言って、相談に乗ってほしいと2000年7月にメールしてきた。精神的に追い詰められている感じだった。聞けば、断眠状態に日々、置かれているらしかった。

私は極力誠実な対応で相談に乗った。そのいっぽうで、すでに1999年12月に知り合った彼女がいたから、彼女にも逐一状況を伝えながらのカウンセルをした。

やがて、女性から10歳の頃の先にした連夜の夢の話が出て、もしかしたら夢の青年はあなたかもしれないから、移情閣で会ってシミュレーションしてほしいと依頼された。

仕方ない。会ってあげねばなるまい。そのことを最初の彼女に報せると、非常に動揺し、メールと電話だけでまだ一度も出会ったことがなかったことをとても後悔していた。
もし当日キャンセルになったなら、その日は私を誘って、とまで。
しかし、キャンセルにはならなかった。

女性は家庭で信仰している宗教の重要な部分を私に教えました。私はそういう話には興味があるので、何かわけがあるかも知れないと思いました。
案の定、出会ったことによる験は出ました。M7.3という鳥取西部地震という形でしたから、何かとんでもないものが動き始めた気がしました。

では、なにかい、我々で国祖神を救出するのかい、とまで話は弾んだのです。験の中にヒントが入っていました。炒り豆に対して、火の鳥の蘇り能力をぶつければ、事は簡単ではないですか。
古事記神話が現実をみごとに誘導しているのを知っていましたから、私はこれぞ仮説の証明にもなるかもしれないと、国祖神救出に役立てるべく、新神話を書くことにしました。
翌2001年から新神話は書初められています。

炒り豆に花という呪詛はたぶん解けたのでしょう。しかし、事はそれだけではなかったのです。ドラコ・カバールがやること。一筋縄ではいかないようにしてあったのです。本命は幾何学封印にあったのです。

そしてまた、そんな甘っちょろい話だけで事は済んだりしなかった。女性は、断眠束縛の元凶たる旦那と地震の起きた月内に離婚し、三人の幼児を抱える母子家庭になりました。

私は、女性との相性の良さを考え、結婚しなければならないと思いました。このために、運転手ではまかなえない。私は電気製品販売の小売商をするために、千葉まで研修に行きました。

ところが、何の商才もなく、せっかく卸値で仕入れる権利を得たものの、どのように展開していくかの発想が湧かなかった。
すぐ数年後に、在庫を持たないネットショップ展開という手があったにもかかわらず、気がつくこともなかったのです。

この頃に、商才のなさは露呈していた。なのに、おかしな濡れ衣を着せられることになってしまいました。おまえの過去世は、呉錦堂だろうと。

移情閣の主、呉錦堂は、中国で華僑として古今、一番成功した人物とされています。
その男は、何を思ったか、当時の今で言う神出の地に、資金を出して農民のために感慨池を作ったのです。それが今も、広野ゴルフ場の向こう側に存在していて、呉錦堂池という記念碑が立っています。
その近隣に住まいした私は、いっそう疑われることになりました。誰によって? 女性がそう推理したことで、女性に取り憑いていた移情閣の迷霊が仇敵を発見したと誤解したようです。

新神話は、現状を土台にする神話です。だから、時代背景を事細かく述べることが欠かせません。私は、移情閣のことを多角的に調べて、主である呉錦堂の考えに想いを馳せました。

呉錦堂は中華ではいちばん成功した華僑であるとされる。海運業で財を成し、鐘紡などの経営にも参画したらしい。
おりしも清朝崩壊で政情不安の中華を離れ、日本に居ることを選んで、逗泊の地を故郷の浙江省に似た塩屋に求め、明治の頃に別荘「松海荘」を建てて、大正期に移情閣が増設された。
中華で国民党を立ち上げた孫文を資金的に支えだようで、1913年に孫文を別邸・松海荘に招いてもてなしたらしい。が、移情閣はまだできておらず、2年後の1915年に建っている。
呉錦堂はメーソンリーだったという。このつながりが彼の成功の下支えになったに違いない。新神話には、その辺の事情を殊更詳しく書いた。

すると、新神話を見た女性は、ここまで知っているあなたの過去世は呉錦堂だったに違いないと言いだした。
透視の超能力がある女性ではあったが、霊媒体質という大きな弱点を持つ女性でもあったから、そこから移情閣にいた迷霊が入りこみ始めたと見られる。

透視の超能力というのも、女性の霊媒体質に懸かった白蛇の持っていたものだった。白蛇が脱魂して最初の彼女(青蛇)のほうに合流したことは、2005年2月にG氏の言から証明されている。
つまり、二人の女性と私は、甘いロマンの白蛇伝における白蛇青蛇の主従と恋人の許仙という設定に当初から新神話ではしていたのだが、それが本当に異界での配役になってしまったらしい。
神話は、神霊に配役とストーリーを割り振ってしまうことが確かめられた、最初の出来事だった。

白蛇のほうも、脱け出さざるを得ない時期になっていただろう。女性が20歳頃に臨死して、生き返るための条件として、差配神との交渉でそう決まっていたのだ。与える余生は両親のために捧げることだけに使えと。
白蛇のお役は、3階の青年に使命をバトンタッチすることだった。それが終われば、女性を占有することは女性の幸福、さらには冥福にも関わることになろうから、脱け出ることがモラルある行為になるとでも思ったのだろう。
だから、その後の女性の中は、元からいた自分の霊魂と、悪霊や迷霊たちの二重奏、三重奏になっていたと解釈できる。

悪霊と言い切ってしまうのは相応しくないかもしれない。
というのは、女性に懸かって悪口を吐くために電話口に出てきたのは、ファン・ナンと名乗る女性の霊だった。呉錦堂にはずいぶんひどい目にあわされたことをまくし立てていた。
ずいぶんと、気の毒なほどのひどい経験をしてきたようだった。

私ではないと言ったとしても、超能力透視で見たと言ってしまえば、筋が通ってしまうのが、異界の奇妙なところである。霊能者、超能力者たちが集まれば、勝手に誰も知らない世界が造られてしまう。
霊能者のよく当たる重鎮クラスが同じことを口をそろえて言えば、それが異界の真理の如くになって、自分本人とその相談者たちを観念の綾で縛ることになっていることに気付きもしない。
けっか、被害を被るのは、異界におびえる何も知らない無辜の民や相談者ばかりとなる。

では、ここの読者に移情閣3階の種明かしをしよう。

呉錦堂はメーソンリーであった。移情閣の3階はメーソンの密儀の間だったのだ。私は、そこに都合三回足を運んで見てきたことになろうか。

一回目は女性とのシミュレーションのために行った2000年9月27日のことだった。

二回目は、2001年の後期だったか、女性が三の宮にいたことから、そこで待ち合わせて、一緒に帰ることにしたときのことだ。

女性は、ちょうど閑になったからと、元町にある中華博物館に行こうと言いだした。オーケーした。誰も見学する者はなくて、我々だけで見て回った。博物といっても呉錦堂のものばかりだった。
その帰りである、阪神高速に乗って帰る西行き車線走行中に、女性に悪霊が突然罹った。言質を男の言質に変えて、威圧するように「移情閣へ行け」と言い出した。
私はそれをオーケーして、高速を途中から下りて、移情閣に着けた。すると女性は無言で、どんどん入館していってしまう。私は、もしかしてと、車に常備していたデジカメを携行し後を追った。

女性は一階から二階、さらには真っ暗闇の三階行きの階段を、まるでいつも見慣れた景色の如く、どんどん登ってしまう。そして何と、閉まっていると思われた三階の部屋のドアが開いていたのだ。
真っ暗な中に吸い込まれるように入っていく女性。私は遅れまいと、後に続きつつ、デジカメを上向き加減にして、次々と5回シャッターを押して、フラッシュが炊かれた。
天井付近に、悪霊がいるに違いないと思ったからだ。

後で調べれば、案の定、5枚共に、2~多数の死霊オーブが写り込んでいただけでなく、女性の生霊のオーブもひときわ大きく輝いて写り込んでいた。この生霊オーブは短髪女性の横顔のように見えた。
そして、なんと3枚目だったかに、孫文らしき銅像におびただしい数の小さな赤味を帯びたオーブが食いついたようになっていて、孫文の銅像をまるで骸骨のように彫り込んでいた。
孫文は移情閣には入ったことはない。松海荘に一回きりだ。なのにどうしてオーブが取り憑いているのか。
彼がいかに国思いの英雄でも、戦争でおびただしい命が奪われたことを示していたのではないか。

さらに驚いたのは、その同じ写真の銅像の真ん前に、女性の生霊オーブと、大きなうらなり顔のオーブが、頬をくっつけるようにして写っていたことだった。
うらなり顔は、まさしく呉錦堂の圧倒的に大きな顔だった。博物館のどこかにそのような顔写真があった。とすれば、生霊は彼の愛人なのか。
いや、愛人も当然死んでいる。しかし、女性の中に宿ることで生霊としての輝きを保っていたのかもしれない。
あるいは、この女性の過去世そのものが呉錦堂の愛人だったのかもしれない。幼時期の連夜の夢は、過去世で女性がこの館に連れ込まれたときの経緯を再現していたのかもしれない。

女性は一度も写っていなかった。すべてオーブばかりの異界の写真だった。
女性は用が済んだようにして、その部屋から出て階段を下りて行ってしまったので、私も追いかけた。
高速に再度乗りなおした後で、女性は気がついたようだった。その間のことは何も憶えていないとのことだった。

このときに、3階にある設備で判明したのは、孫文の銅像があることだった。

それからのあるとき、もう一度移情閣に行ってみたい気分になって、いつしか単身で入館していた。いつのことだったか、定かではないが、2002年から2003年頃のことだ。
移情閣周辺を散策したときに、ついでに入ってみようと思い立ったのだった。

そのときは、なんと、開かずの間であるはずの3階に電気が灯り、ドアも解放されていた。

ドアから入ったすぐ右手に中華寝台(四方を緞帳カーテンが下ろせるようになっている)が置かれていて、その前に椅子の列ができていた。(図)
この配列は、どこかネットで見たことがある。秘密結社の儀式の間のレイアウトのようだ。

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ここで何が行われていたか。現在と少し前では異なることも多いと思うが、メーソンのカバールもだいたい次のようなことをしていた可能性がある。

「子どもが生贄に…」元イルミナティ構成員が“顔出しインタビュー”で号泣暴露! 脱退時には激しい拷問も!
https://tocana.jp/2017/08/post_14250_entry.html

呉錦堂は清朝末期のあきんど(華僑)である。
当時の習俗として、上流社会の子女は、幼少期から纏足を施され、遠くに行く自由を奪われた上で、性的奉仕作業に就かされていたらしい。
この日本は遠く離れているとは言っても、現地から否応なく連れ出されてきた人々がいたに違いない。
当時の中華の習俗の陰で、一般人より優秀と自負するカバールにとって、女人の痛みや生き死になどどうでもよかったかもしれない。
彼が移情閣をメーソンの儀式のために作り、生贄に子女を使ったこと。それが彼自身が主催者として怨みを買う理由になっているに違いない。
そして、ファン・ナンはそのようにして若くして生贄にされた女性だったようだ。呉錦堂にとっての愛人でもあっただろう。
呉錦堂を心底憎むも、手慣れた性戯に媚びなくてはならなくて、今なお、その3階では呉錦堂を閉じ込めてチークダンスのあわおどりを踊っているのかもしれない。

さて、そこで私は何者だ。私は呉錦堂などではない。救出する青年の雛型になった者だ。さしずめ青年はメーソンの儀式で、生贄を捧げられたルシファーだろう。
彼はキンイロタイシと名乗り、坂本氏からはルシファーでもあるとの言葉をもらった。そして、ルシファーはカバールによって崇拝の対象になっている。
生贄の儀式を、封印されて拘束されて、否応なく見せつけられてきた神霊だった者ルシファー。私はその雛型としてあの日、実演したにすぎない。
犠牲者たちは、呉錦堂らを憎むだけでなく、崇拝の対象たるルシファーも憎むのが当然だ。
それが封印というものが創り出す恐ろしい弊害なのである。

封印とは、催眠状態に置いて、まともに行動できなくさせる術のことである。大岩を置いたり結界を張ったりも、取り籠める催眠に誘うのだろう。
鶏が目の前に引かれた、たった一本のチョークの線に、目が釘付けになって動けなくなる状態がまさにそうだ。
ドラコ・カバールの罪が深重なることは言うまでもないが、鳥の側もいつまでも釘付けの封印状態に甘んじていることも問題なのではないか。
3次元密度のこちら側からもの申す。閉じ込められている神霊は、自らの偉大性を思い出して、直ちに八角の結界を蹴って出ましょう。
だから、私は急ぎます。ハイアーセルフかハイラーキーか知らないが、ぐずぐずしていてはいけない。

さらにもう少し、私が呉錦堂ではない理由を言っておきましょう。
なぜ私が呉錦堂のことに詳しいかについて。

そこに閉じ込められたハイアー存在が生贄の儀式を見てきただけでなく、そこに住む主人・呉錦堂のことも見つめてきたことがひとつ。
私はその情報を、必要があって求めたがゆえに、さらば与えられん式で脳裏に受け取ってきた受信者であること。

そして、移情閣の「移情」の意味を洞察してもらいたい。そこにすべてが語られています。
「移情」とは、心をその対象に移して、そのものの心になり切ることを意味しているのである。

彼が建物にこう名付けたのは、書籍「移情閣遺聞」(中村哲夫著)にも書かれるように、次の伝承に基づくだろう。
唐代の琴の名手・伯牙がいまひとつ才能が伸びずにいることを、師匠の仙人に相談したところ、東海洋上の蓬莱島に琴の先生になるべき仙人がいるから、連れて行ってやろうということになり、その島に船で送ってもらった。
伯牙はそこに置き去りにされたが、待てど暮らせど琴の仙人は現れない。そこにあるのは、潮騒と木々を吹き抜ける風の音と鳥の声だけだった。そこで、伯牙ははたと気付く。
琴の仙人はこの地で奥義を体得した。ならば、その同じ境地に至ってみようと。すると伯牙の心に、琴の仙人の心が読めてきて、導かれるようにして琴の弾き語りを一曲奏でた。
その頃合いを見て、本土から師匠が連れ帰りにやってきた。こうして、伯牙は帰国して琴の名手の名声を得たという。

これを移情の術とでも言ったらいいだろう。私は移情閣のことをより深く知るために、心をその者に重ね合わせる移情の術を使って、彼の心と彼の情熱を知り、新神話に書き留めている。
むろん、史実とは異なる記述が多々ある。孫文が移情閣にやってきたことにしているが、実際には来ていない。
しかし、当時生きた女の霊に、てっきりそうだと疑われてしまうほど、私も移情の術達者になったということだ。

私は意識を飛ばすことはけっこうやる。ともに夢見して、すごい成果を出したこともあった。朱雀の親子として飛んで、ナスカの地上絵にも遺してもらえたほどだ。
海神の娘との間にたくさんの子供も設けて、写真に六角オーブとして幾多撮られている。その筆頭の子が金剛峯寺持仏間に写った弥勒菩薩だったことも、当時のブログコメンテーター諸氏の知るところだ。
意識の身体、夢見の身体というものは、変幻自在。
対象に意識の一部を遺して、様子を探ることもできる。
新神話では、梵天直属の調査員という設定だから、種々の能力が開花したのかもしれないのよね。
すごいでしょ。神話は現実を、まず異界から誘導するのです。

話が横道にそれてしまったが、3階の悪霊の巣窟を解除する方法は、ただ昼間に窓を開放すればいいだけ。
それには、開放できる権限のある者がその気を起こすしかない。
あるいは、天変地異や戦争によって建物が破壊されることがその代わりを果たすかも知れない。
当時、ジュセリーノ予言でM8級大阪大地震が言われていたから、期待半分があった。

そして、もうひとつある。それは、移情閣とくに3階の関連樹を謎解きし、つまびらかにすることだ。
それによって、3階にアストラル界側から光が射す。
これは私がやるべきことだ。
K氏らのお蔭で、良好なヒントが与えられ、隠された霊ラインが判明したことは、謎の完解にリーチが掛けられたに等しくなった。

3階の狭いスペースを暗がりに維持していたものは、何であるのか。
火の鳥を外に出さないことに目的があるとすれば、新神話で言えば天仙の仕業と、当時から書いている。
鳥は暗がりではよく目が見えない鳥目であることを知っての狼藉だ。
ドラコ・カバールが天仙の指示で開かずの間を維持させているのだろう。

あるいは、悪霊と化した者たちが懸命に自分たちの砦として維持させているのかもしれない。
解放してもらいたいという気持ちと同等以上に、縛られていたいという思いがあると推測する。
ファン・ナンという女性も、自らのエゴのために、他の閉じ込められた者たちを縛り付けてはならない。
本当に解放されたいと思っている者がひとりでもいるのなら。

また、3階の神霊がその気になれば、こんな封印は造作もなく解けるはずなのに、時を待っているのだろうか。
そうかもしれない。
ことに地上界は面倒なことだが、手順(シーケンス)で事が進むから、地上界におけるイベントが満たされることが次の手順を導くという順序を踏むことが大事なのだ。
要は、私が3次元密度において、しなくてはならないことがあったということなのだ。

移情閣に始まり、移情閣に戻ってきた謎解き

2000年9月27日に始まり、2017年9月27日に元の原点に戻ってきた感がある。
我が謎解きの最終章になるのか、自分に関連する隠された封印構図が見つかった。
国祖神様たちの封印解除に続いて、これも解除可能なのかどうか。

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たぶん、これが見つかるということは、解除してくれとのお達しに違いあるまいと思い、まずは謎解きから入っていくことにした。

事の始まりは、2000年9月の舞子移情閣における鶴亀の出会いからだった。
女は亀であり、乙姫であると名乗った。
私は鶴であり、浦嶋であると名乗った。
そして、協力する合図の握手をした。

そこは八角三層の風水塔。
神霊をも閉じ込めるという八角多層塔は、女の神霊を閉じ込めていた。女は龍であった。
女の幼児期の予知夢に従い、私は女を解放するという青年役を演じた。
女は移情閣2階の龍の間にいた。
私はさしずめ3階にいた何者かの神霊であったろう。3階は鳳の間だから、鳥の神霊かと思われた。
そうして儀式は2階において行われた。2000年9月27日午後1時半のことだった。
女に問う。これでよかったのかと。たぶん、これでいいと思いますとの言。
その験はいずれ出てくるだろう、そこで確たることがわかると言って別れた。

験は九日後に現れた。2000年10月6日午後1時半に、鳥取県日野町を震源にしたM7.4の鳥取西部地震が起きた。
ちょうどまる九日後、216時間後だった。
その二日後ぐらい後には、女の友達がその当日は旧暦の九月九日ひのととりの日であることを報せてきたという。
九の数は、女の信仰する宗教にとっては、大事な数であった。それがずらりと居並ぶではないか。
しかも当日は重陽の節句に当たる。
女の宗教は、古代九鬼氏との縁があった。
大地震の発生地、発生日の語呂の中に、「火の鳥」の言葉が重なって出てきた。
女の宗教では、国祖神が暗殺され封印されたとき、「炒り豆に花が咲くまで出てはならない」という呪詛が掛けられたという。
なんだ、マグマに飛び込んでなお蘇る火の鳥にすれば、造作のないことではないか。炒り豆百万粒でも、ぜんぶ生き返らせてみしょう。

言葉の呪詛は、言葉の解除条件さえ与えれば、簡単に解けてしまうのです。
こうして、この方面からは、簡単な意識上の救出手続きで国祖神を蘇らせることは可能だった。
私は鶴であったから、火の鳥・朱雀をダイモンにし、九の数は以後、私の縁数になった。

さて、ところが、呪詛はそれだけではなかったことが2014年に発見された。
そもそも、国祖神を殺し、封印することのできた邪神とは何者なのか、どれほど実力のある神なのか、新神話には神話的な解答を与えていた。
2001年から創作を始めた新神話には、初期の頃から、封神演義を題材にした宇宙全体を股にかけた宇宙大戦争のことを書き、全体の支配権をとった元始天尊 はじめ天仙族こそ、諸悪の根源と設定していた。
その大昔、ドラゴンボールのアニメのような魔術、呪術の駆使合戦があったこと。
そのときに敗者側には強い薬を嗅がせて、封神処理という封印呪詛を施したという。
それは今に言う、別建ての仮想現実を与えて、元の世界を忘れさせてしまうタイプの催眠処理であった。
そのような処理がどれほどの階層、行われたかは知れない。

2016年になって、コーリー・グッド情報から、古代ビルダー種族の音信が得られた。
もしかすると、25億年前にはいたという古代ビルダー種族とは、宇宙で最初に戦われた大戦によって敗者になった者たちではなかったか。
ヘミシンクの夢見体験女性の情報にも、そのような宇宙規模の大戦があったことが語られている。
その後を支配したのは、古代ビルダー種族の打ち建てた偉業、宇宙の星々の配置から星の創り固め成し、そして森羅万象を生み育てた神々しい所作のことを理解しない、後発種族であったことが想像できる。
後発種族は、むしろ古代ビルダーたちの英知の所産を破壊しても何ら顧みない者たちであることは、今現在を見てもわかるとおりだ。彼らはむしろ、古代ビルダーたちからの脱却を図ろうとしている。
彼らの求める新しいものとは、機械文明。テクノポリスを構え、有機生命体を電子生命体や機械生命体に置き換えることらしい。
その先に何がありうるのか。私にはわからないし、関わりたくもない。

どうやらそれは、AI生命体文明であり、有機生命体を乗っ取って、これらを操り、互いに戦わせ自滅の道に誘っているように見受けられる。コーリーもこれには肯定的で、AI化には警鐘を鳴らしている。
ドラコ・レプ種族はAIナノ生命体に100%乗っ取られているとか。
その彼らが有機生命体文明を破壊することをためらわないのも、操られているからという等式が成り立ちそうです。
その地上的先鋒がカバールであり、黒魔術として幾何学結界を使います。

2014年に発見された国祖神封印呪詛は、幾何学結界でした。カゴメの封印結界になります。
カゴメの結界は神霊を閉じ込めてしまうものとして、アストラル界でも恐れられているようです。
ヘミシンク女性はその世界で宇宙規模のネガの発する八角形の結界に危うく取り込まれそうになり、あるコツで逃げ出せたとのこと。
その世界に君臨する最強のネガがいて、黒いキリストの姿をしてたといいます。
多くのポジの側、特にワンダラーがそれによって取り込まれ、奈落に落とされたらしい。

なんだか、こちらの世界にも、かつて黒い教皇と呼ばれた者が居ましたな。
19世紀のアルバート・パイク卿ですね。彼の預言・アジェンダは今なお健在で実行途上のようです。
カバラの正当な魔術儀式を歪曲し悪に転用するカバールの19世紀におけるドンというわけです。
数千年の人類支配それ以前から、地球在来の神々を封印しまくってきたカバール。
国祖神は約37万5千年前に封印されたことになるでしょうか。
コーリー情報は神話的年代まで弾き出すほどの効果があります。

2014年5月に国祖神封印呪詛結界を、施術して破砕しました。そして、火の鳥による焼却をしました。
朝夕合わせて3回の儀式の翌朝に神世から報せが来ました。神世ではすでに邪神が投降し浄化が果たされているとのこと。
邪神は捕縛された者もいるが、多くが遁走下野したため、地上界は艱難だろう。しかし、このことが説明され理解されれば地上界も浄化されると聞きました。

その5日後の未明には、国常立神(玉杵尊)が解放直後のお姿を見せてくださった。
それから2日後未明には、宗像三姉妹が下界で買い物をして、空港からフライトして旅立たれた。
さらに3日後未明には、道満宮司が秘密の書庫の扉を開けて見せてくださった。

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蓬莱鏡の写真の下段の二列の枠は、今から10年ほど前にネットサーフして見つけたサイトに載せられていたもので、当時から画面キャプチャーして取ってあっ たものです。
大本教系の誰かのサイトだったかと思いますが、もうどこを探してもありません。
まさにこの通りのことを、我々はやってきました。知らず知らずのうちに、その通りのストーリーを実演してきたのです。

そもそもその当時から、蓬莱島は大事な場所でした。
最初に入館した移情閣の3階は、そこに至る通路からして真っ暗闇で、中段まで上ったところから上を眺めれば、八角の辺のひとつが外からの採光に浮き出て、墨書の額の文面が見えました。
そこには、「一第莱蓬」と書かれていました。左書きすれば、「蓬莱第一」です。
古い伝承の神仙境が蓬莱島。

我々は、御伽草子の「浦の嶋子」を演じ、乙姫は亀で、嶋子は鶴だった。
嶋子は玉手箱を開けて灰になり、その灰から鶴が飛び立ち、蓬莱島に還り、亀と睦まじく暮らしたと伝える。
ぜひ、そうでありたいものよ。草子の作者の配慮に感謝。
鶴と亀が書かれる掛け軸の絵の背景は、白砂青松の蓬莱島。
2001年に書初められた新神話は蓬莱島竜宮を我々の故郷とする神仙物語です。

鶴亀すべりの験を見て、我々が歌った短歌。

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女が20歳代の頃に作っていた詩集が「夜明けの旅人」というものだった。
私と出会った当時は、34、5歳だったろう。
複雑な想いの文化系の女だった。
夜の時代が明けるすぐ前の時代が今なのか。
とても長い気がする。
常世の長鳴き鳥よ、早く鳴けと言ったところで、鳥の封印ラインはまだ暗闇の中にある。

女は言った。
移情閣の3階にいたという青年の名はキンイロタイシ。風貌は伊勢正三に似ていたらしい。
それに似た男を探して学生時代を送っていたという。彼女自身を解放してくれる人と信じて。
女は信じたとおりになっただろうか。それはわからない。知り合って2年後に別れがやってきたから。

2003年にこの経緯を話した坂本氏が、3階の青年の名を聞いて驚いて叫んだ。
「そ、そ、それは・・・毘沙門天や、大魔神や、大天狗や、鞍馬天狗や、サナートクマラや、金星王や、ルシファーや。神々さえも恐れおののく存在やで」と。
そして、「この人は鬼のところから何かを持ち出してきとる」と仰る。それが見えるのかと問えば、「ああ、そう見えるんやがな」と仰る。
そう言えば女は、夢の中で移情閣に辿り着くまで、何か魔物に追われていたといい、肩にかけた破れかけたバッグから光が出ていたという。
青年に送り届けるためのものか。そして渡すことができたのかどうか。

我々の新神話は白蛇伝にも準拠していたので、白蛇が盗んだのは西王母の蕃桃園の桃ではないかとの推理もあった。
またあるいは、ウシトラノコンシンは竜宮の乙姫から玉を譲り受けて世の建て直しに入るという情報もあったことから、坂本氏に問う。
「その青年とは、ウシトラノコンシンのことでもあるの?」と。すると、
「その通りやがな。そのウシトラノコンシンのことやがな」とさらに大声で叫ばれた。

それでなるほど合点。女は乙姫の雛型として、ウシトラノコンシンの雛型である青年に光物を届ける役割を担ったことがわかったのだった。女はその系統の宗教教祖の密命でも帯びていたのだろうか。
私はずいぶんたくさんの雛型を演ずる役割をいただいたものだ。数えただけでも途方もない。
みんな、封印された神々ばかりだ。火の鳥さえも、カゴメの結界の中に封じられていると書かれていたではないか。
鶴亀がすべったことで、少しずつ解放されている気がするが。

女と別れた後、女の便宜で、私が50歳になる直前日に知り合った元の彼女と2004年に復縁して、この彼女とは鶴亀の仲で居続けた。
彼女は、世間的に無知であったが、2004年の11月に少し早いが、私の誕生日プレゼントにと、ハワイ土産として、トパーズ玉と木彫り人形をくれた。
トパーズ玉はもろに乙姫の玉と見立てられた。いっぽう、木彫り人形は、一見しただけで私は驚愕した。
それは七対羽根の天使像で、胡坐をかいたその上に猫が彫りこんであるルシファー像だったのだ。
無垢の彼女が提示したシンクロ啓発に、押しも押されもせぬ自己認識を果たすことになった。

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それは悪魔にされてしまう前の、先住民にとっての太陽神としての姿だった。

これにはG氏からの情報があった。先の坂本氏に移情閣の件を話す少し前のことだった。
彼は突然、拙宅にやってきて、最近夢に出てきたという、二人の魔女の話をしたのである。
北イタリア風のまさに箒に乗って飛ぶようないでたちの二人だったが、部屋の中である音階を経文のように口ずさみながら踊っていたというのだ。
彼はその文句をこのように言った。ドシドレシラドシドレシラソドミソレシラ。ドシドレシラドシドレシラドレシドレシラ。と。
彼は夢の中で聞いた言葉をそのまま記憶して持ち帰るほどの夢見の達人、超能力者である。
魔女が口ずさんでいたのは、メロディーではなく、ただ音階だけだったという。
そして、彼は言う。この二人の魔女は、たぶんディアナとアラディアではないかと思うと話し出した。
私はディアナは理解できても、アラディアは初耳だった。
彼はそこである地方の神話を話しだした。

その昔、月神ディアナから太陽神であり配偶者になるルシファーが別れ出た。
ディアナはルシファーが恋しいが、彼が嫌がり遠ざけるので、一計を案じたディアナは、ルシファーが日頃、猫を愛好していたので、猫に化けてルシファーと契 りを持って、その時に生まれた娘がアラディアだったというのだ。
これを知ったルシファーは怒り心頭となる。そこでこの二人は、ルシファーの気持ちをなだめるために、歌を歌うことにしたというのだ。
G氏は、その夢を見せられたのではないかと言う。
彼は、どんなメロディーになるのかわからないと言う。そこで私は、当時はWindows98かMeの頃だったかと思うが、DTMソフトを買い揃えたりしていて、さっそくメロディー化したのだった。
それがこの曲「アラディア」になっている。伴奏部分全体に、彼が言った音階が入っている。
彼はその曲を聞いて、けっこういいメロディーになるのですねと言い、それを憶えて帰ろうとしていた。

G氏はさらに言ってくれた。ルシファーは北イタリア地方の先住民にとっての太陽神であったこと。そこにキリスト教が入ってきて、ローマ軍の後ろ盾で改宗を迫り、多くの人が殺され、おおかたは奴隷にされて、改宗は進んだ。
しかし、先住民の元の神々への思慕は衰えず、このためキリスト教の弾圧は続き、魔女アラディアは住民たちに満月の夜に森の中で集まり、月光浴をしなさいと教えた。 そうすれば、抑圧者から解放されると。
これをペイガンの祈りとかベネベントの遊戯と言い伝えられていると、民俗学者のリーランドは魔女の福音書に書いているようである。
この先住民の信仰は幾世代も経て失われ、キリスト教化して今日がある。

しかし、相当に激しい抵抗であったらしいことは、太陽神ルシファーの扱いにおいて見ることができる。
キリスト教はイエスを太陽神に擁立したいがため、ルシファーをまず金星に退去させ、金星王と名乗らせて僭越な光を放つ者との烙印を押し、さらには魔女との戦いを広宣し、彼を悪魔へと貶めていった。
ツアイトガイストというタイトルの映像を見たことがある。いかにも象徴主義的な中身だったが、それを解読した推理が素晴らしかった。

そうした流れを作ったのは、大したことでもないことを、さも深い意味ありげにして、人類を馬鹿にしたがるカバールに違いない。
それを象徴主義とか称して、礼賛したがる人類側の知ったかぶりしたがる馬鹿がいて、調子に乗ったそのカバールはルシファーを悪魔として崇めて、キリスト教勢力に対抗し続けている。要は、カバールはキリストとルシファーの両者をともに冒涜しているのである。
まさに地球外からやってきたならず者ならではの所作であるが、この両者ともにカバールの創作品である事実を知るゆえに、平気でできる冒涜であることに注意が要る。人類よ、賢くありたまえ。
どこまでもふざけたジョーカーであり続けることよ、カバール。その背後には宇宙人ドラコやAI生命体がいたというわけだ。

魔女アラディアの教えが、どうやら日本の鞍馬に遺されていたようである。年に一度行われる満月祭(ウエサク祭)だ。
この日、庶民は山に上がり月光浴を楽しむ。そして、ペイガンの祈りを捧げているように思える。
ルシファーがまだ金星王だった頃に、金星王サナートクマラとして日本にやってきて、異界のダアトに眠っているのだ。

坂本氏から移情閣3階の青年について、ルシファーの声がかかっても、私が動じなかったのは、ひとえにG氏からの予備知識があったからである。
ところが、G氏は坂本氏の調子の良さが嫌いでペテン師呼ばわり。
私はこの二人とも、非常に大事な情報マンとして大切にしたいのに、二人の仲が良くないために、相互乗り入れ的な話題を提供できないでいる。

移情閣3階の主と、鞍馬山の魔王尊サナートクマラを推理によって繋げることができたことは大きな成果だった。
今回はそこに位山が繋げるべき場所としてクローズアップされてきた。
そこには、クマーラたちを側近として抱えるブラフマー・梵天がおられたようである。

まさに、上位から下位へと理念垂迹のルートと、下位から上位への情報伝達のルートの双方向が整った感がある。

ならば、祭りの中の祭りを始めようではないですか。

辺津宮の移情閣3階の主の、さらに下僕か雛型かもしくは乗馬ウマかもしれぬ者から、3階の主および、中津宮のサナートクマラ、毘沙門天様と、奥津宮の両面宿儺、梵天様にもの申す。

祭りの中の祭りが始まりますぞ。
もう、起きだしてくだされい。時はいたれり。
ヒヒンワンニャンコケコッコー。

あまりにのんびりされているようなら、火の鳥を使い、灼熱でお尻を炙ります。

位山-鞍馬-移情閣3階の関係 ・・・ まず位山、そして鞍馬

位山の件は、K氏が深く研究しているところでしょうが、私もまた新たな謎解き用件がでてきたことから、ちょっと関わらねばならなくなりました。
掲題にしたように、三箇所あります。
まず、奥津宮の位山からです。

位山とは

最も重鎮は位山で、そこに封印されている神とはいったい誰かということが大事なように思いました。
位山は、下図のように日本列島の真ん中にあるように見えます。もしこのこと(外観)が、すでに古代に知られていたとするなら、この場所に何らかの標章を置くことが日本掌握の証になったかもしれません。
ちょうどエベレスト登頂記念に自国の旗を立ててくる如くです。

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伝説によると、この位山において、神武天皇が神から王位を受けられたと言います。
その神は、二つの頭が合体して四つの手があったとのことで、両面宿儺と呼ばれました。

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そのような異形の人の例は、けっこうあるらしいです。たとえばシャムの合体双生児は少し前のことでした。
しかし、古代の”まれ人”を貴ぶ風潮からは、神伝説が生まれたことでしょう。
この神とは誰なのか。むろん両面宿儺でもいいのですが、”まれ人”として見た場合、その原型がなかったかどうか。
それが有数の神としてしられていたようなことがなかったかということが大事に思えました。

たとえば、エレファントマンで知られたジョン・メリックは、そのような”まれ人”であり、インドの情報が伝わっていたイギリスにおいて、インドの神・ガネーシャ(シヴア神の息子)としての原型があることが彼に知らされたそうです。
両面宿儺は、もしかしたら、ブラフマーになぞらえられたのではないか。(左・ブラフマー 右・両面宿儺)

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ブラフマーなら、日本では梵天とされ、大宇宙創造神です。
文句なしの、王権神授が成り立ちます。

とにかく、建国の意志を持った者には、自らの出自や武勇伝を自らの確信に組み込み、内外にそれを示すことが大事でした。
北朝鮮の金一族に白頭山伝説有り、日本の天照伝説へのなぞらえあり、といったことと同意義です。
神武天皇には、それがあったはずです。特に、知らなかった土地柄でもありましたから。

北朝鮮と違うのは、それから先の工夫があったことです。科学万能主義の現代では、必要ないですし。
それは、神に余計な口出しをさせないために、呪術的に封じたことでした。
両面宿儺の場合は、仁徳朝に地元に多大な貢献をしたものの、飛騨国造の意に沿わぬ意見をしたのでしょう、朝敵として討たれました。
朝廷への口出しを恐れて、殺して祀り、封印したもようです。

神から地上の統治権を受けてしまえば、地上は神の手から離れ、地上神である自分のものになりますから、元の神は祀られると同時に、封印されたのではないかと推測します。
例えば、元伊勢の岩戸山がそうです。
ここには、神武天皇に位を譲ったニギハヤヒが天照として祀られ、封印されていました。(アストラル報告で判明)

記紀には、ウガヤフキアヘズの子として日子の系譜を引き継いだことになっていて、ここにも先代からの譲位があったことと、先代ウガヤ王朝を祀って封印する処置がなされていると見られます。
祀る側の処置は、神官にその役割をさせ、もっぱら社殿の中でシャーマンの意識行為によって鎮魂を行いました。社殿は中津宮や辺津宮に当たります。
いっぽう、奥津宮は封印のためのもので、神霊を地下に封じて大岩を置いて出られなくする見立ての呪術を意識行為として行なっていたもようです。
そこにエジプトのカバラの知識を持つカバールが入れ知恵し、封印場所の配置を幾何学的に決めることで、いっそう見立ての呪術を強固にしていたようです。

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今回見つかった移情閣-鞍馬-位山ラインは、「暗がりに置く」という意味での封印幾何学構図と見られます。
移情閣3階の開かずの間、暗い間(ダアト)を意味する鞍馬、位山は岩戸山と同じく、神がお隠れになった寝所の暗い山を意味します。

>この位山にはいろんな説や言い伝えかたくさんあり、世界最古の古文書といわれる竹内文書には「位山に、日の神の皇太子の居る大宮を日王国と云ふ」と天孫降臨が記載され、古代丈研究聚の間では「高天原は日本にいくつもあり、中でも一番古いのが飛弾高天原で、位山はその中心となり天照大神の幽の宮(かくれのみや)がある」と言われている。

つまり、幽の宮とは、お隠れになった宮のことで、お亡くなりになった意味も併せ持っています。

そこには両面宿儺と神武天皇の伝承がありました。また、朝敵になり討たれた地では、神社では祀らず、仏教寺院(飛騨千光寺)で祀られたのでしょう。
みな、どこかで繋がってくるようです。

位山の補足として

アニメの「君の名は」を以前に借りて見たのですが、ストーリーの難しさに困惑し、通りすぎてしまった感じがします。

その「君の名は」がハリウッドで実写映画化されることが決まったそうで、そんなにすごい映画だったかと、そそくさと見てしまったことを残念に思いました。
https://woman.infoseek.co.jp/news/entertainment/sponichin_20170928_0087

ところで、視聴者に感動を与えたからでしょう、新海監督の絵コンテの背景画の探索がブームになっているそうで、ほぼ解明されつつあるようなのですが、その中に、田舎の不思議の里がどうやら飛騨の位山周辺らしいことを推理しているサイトがありました。
https://souraku.jp/newpage200.html

「君の名は」聖地巡礼として、まさに聖地化してしまうほどの人気ぶりなんですね。
飛騨古川駅がひとつの絵コンテになっていること。(位山の北約21キロにあります)
宮水神社という場所が、飛騨一ノ宮・水無神社のことではないか、とか。(位山の北東約7キロにあります)
同神社は位山を御神体にしているのです。
位山には巨石が多く、この映画のパンフレットを飾る絵コンテにもなっているらしいとのことなんですね。

私にしてみれば、何でここで位山に結びついてくるの?というシンクロに驚くようなことでした。
だって、つい一か月ほど前にDVDを借りて見た映画ですからね。
しかし、ただ漫然と見すごしてしまったことは問題でした。もう一度借りることも検討したいです。

そして先には、位山が重要な神のお隠れ場所(暗い山)という推理をして、どうやらその神とは両面宿儺の風貌に似た梵天ではないかとの推理をしました。
梵天とはインド神話の宇宙創造神ブラフマーのこと。

もしそうであれば、神武天皇には、天から降りてきた両面宿儺(の風貌をしたブラフマー)から、王位を譲られたという伝説があることになります。これなら至上最高の王権神授です。
また、神世の日子の系統のウガヤフキアヘズの嫡男として皇位を受け継ぎましたし、天から降りてきたという神・饒速日命によって統治されていた河内・大和地方を譲り受けたという具合に、多角的にも王権神授が成り立っているすごさがあります。
昔ならいざ知らず、現代においても北朝鮮で、長白山神話(檀君神話)が用いられる現実を見ても、いかに民心掌握のために王権神授思想が大事だったかがわかります。

しかし、王権はいただいたものの、為政に口出しは困るので、磐座を置いて封印して祀って、そのための祭政システムが必要だったのではなかったでしょうか。それが神社システムだったのではないかというわけです。(仮説です)
位山には天照大神の幽宮だったという言い伝えがあるようですが、隠された神の実体はブラフマーだったと推測します。
仁徳天皇の頃には、ブラフマーの概念もやや不明瞭になっていて、両面宿儺が現れたときには、土地のために働いた功績で讃えられるも、土地の為政に反対したため討たれてしまうことになったようです。
それでも最初は神とみなされたわけで、為政の立場上、気色よくないですから、ちゃんと祀る(というより封印する)シャーマン部門を置いて対応させたのでしょう。
何でそのシステムが日本全国にあるかといえば、先住部族を順次平らげていったからでしょう。それぞれの場所で戦いがあり、多くの民とシャーマンとその神々が封じられているからです。併せて鎮護国家、五穀豊穣、民心安寧が祈願されました。

鞍馬(暗間)

奥津宮の位山から下って、中津宮の鞍馬の検証をいたしましょう。 (次回は辺津宮の舞子移情閣です)

鞍馬の祭神は、魔王尊・サナートクマラと、毘沙門天とされているようです。

<サナート・クマラ>
サナートクマラ、サナット・クマラ、サナト・クマラ(Sanat Kum?ra)は、ヒンドゥー教の神話・説話に登場する賢人にして、ブラフマーの精神から生まれた四人のクマーラ(チャトゥルサナ)の一人である。
近代神智学では、1850万年前に金星から、地球のロゴス(地球の創造主、神)の、物質界における代理人としてやってきた霊的指導者マハトマである。

クマーラとは軍神のこととされます。ブラフマーにはお付きの軍神が四人いたことになります。サナートクマラはその一人。

<毘沙門天(びしゃもんてん>
仏教における天部の仏神で、持国天、増長天、広目天と共に四天王の一尊に数えられる武神であり、四天王では多聞天として表わされる。
また四天王としてだけでなく、中央アジア、中国など日本以外の広い地域でも、独尊として信仰の対象となっており、様々な呼び方がある。種子はベイ(vai)。
日本では四天王の一尊として造像安置する場合は「多聞天」、独尊像として造像安置する場合は「毘沙門天」と呼ぶのが通例である。
庶民における毘沙門信仰の発祥は平安時代の鞍馬寺である。

ブラフマーから生まれた四人のクマーラ(軍神)とは、もろに四天王のことだとわかります。ここでサナートクマラは北方守護担当の毘沙門天(多聞天)に特定されることになります。
毘沙門天信仰は、平安時代にこの鞍馬から始まっているとも。つまり、本家本元というわけです。

さて、そのようなサナートクマラの祭祀霊場は、畿内の生命の木の図象の「ダアト」に当たります。ダアトは表からは見えないセフィラで、裏世界にあることを示します。
つまり、表側から見れば封印されていることになります。
サナートクマラと言えば、まるで聖者のように思われていますが、実はブラフマー直属の軍神で、東西南北のそれぞれの方位を軍事的に守護する神のひとりという位置づけだったのです。
特に北方守護の毘沙門天・サナートクマラは四人のうちでもいちばん強い。
腕っぷしはめっぽう強く、親分のブラフマーが封印でもされれば、祟り神としての性格を出して、何されるかわからない。
そのために、性格をまろやかな聖者風にしておいて、このダアトに封じたといったことだったのではないかと思ったりします。
存在空間を裏世界の暗がりに置くことにより、行動制限をかけていることになります。
位山(暗い山)の親分のブラフマーから下に下って、鞍馬(暗い間)の子分のサナートクマラへという封印の構図が見て取れると思います。

私はまさか、このような構図があったことなどまったく知らずに、2001年から作り始めた新神話では、主役の神は梵天(ブラフマー)に設定していて、しかも直属の部下に四天王が居ることにしておりました。
何でそのような発想になっていたか。それは私の母が毘沙門さんの縁者で、母自身、毘沙門さんの二十日に生まれると祖母の夢にお告げされていたからなんです。https://p.booklog.jp/book/97091/

毘沙門さんって、すごいなあというだけでなく、母に定められたタイムラインが置き換えられていて、本来なら男として生まれて位人身を極めるべきが、女に生まれて「禊」の人生を送ってしまったことに対しての、「どうして?」の思いがずっとあったからです。これは、毘沙門さんが母に、名誉を求めるな、仏道成就を取れ、というお達しをされたのではないかと思ったのでした。

この不思議な話に、いっそうこの世界の真理とは何か?を、私に探求する気にさせたのかもしれません。お蔭で、パラレルワールドを可能にする超宇宙論ができ上がりました。https://p.booklog.jp/book/91316/
その超宇宙論を土台にして、新神話も出来上がっています。

私固有の宇宙で新神話は営まれているわけですから、どのような設定にしてもいいわけで、梵天は三千世界の主ですから、おかしな具合になったブラック宇宙の取り潰しも、監督者としてやってしまいます。
そのためには、調査員が何度にもわたって投入されて徹底調査され、その宇宙主催神に対して諫めが効かないのであれば、戦端が開かれるという具合です。

さらに梵天の懐刀と言われるのが火の鳥。羽ばたきのひと振りで何千万億無量大数度の灼熱を放って、対象範囲すべてを一瞬に焼却浄化してしまうという能力設定を新神話ではしています。
子供のままごと遊びのような封印ごっこなど、一瞬に吹き飛ばしてしまうことも可能なのですが、神芝居として大トリと大団円の幕はとってあるのです。

次回は辺津宮の舞子移情閣です。