早々にお盆を祝ってます

今日の早朝のこと。明るくなる頃にまどろんでいると、どこでどんな連想でそうなったか知れないが、身内さんと過ごしたときのことが思い出としてよみがえり、半時間ばかり楽しい想いにふけっていた。
目を開けてふと天井を見ると、一匹の体長5Cmほどの蜘蛛が部屋の真ん中あたりから、天井伝いに私のベッドの上へと移動してきた。私を見つけて近づいているように思える。蜘蛛だから、つつつーと糸を伸ばして降りてきたりしないかとおっかなかったが、もしかするとこれは身内さんがこの蜘蛛の視座を使ってやってきていると思ったので、追っ払うようなことはせず、そのままにしておいた。
するとやはり。
糸を伸ばして降りるようなことこそなかったが、ベッドで頭の側にある壁を伝って降りてこようとした。
私はそこで、やばいかなと思ったとたん、蜘蛛はそこで頭を上向けて静止してしまった。
じっとして動かなくなったので、また私は身内さんとの思い出にふけった。
そうなのだ。蜘蛛はどういう種類か知れないが、身内さんがここにやってくる拠点になっている。
しかし朝はあわただしい。猫たちに給餌し、朝のお祈りをし、プランターの野菜に水やりしてから、他所猫にも給餌しにいく。そしていつしか蜘蛛のことも忘れて、PCに向かい、買い物に外出と、いろいろなことをした。昼過ぎには暑くてぼおっとした頭を癒すために、ベッドで昼寝した。そのときにも、やや位置は変わったものの、蜘蛛は同じ壁でじっとしていた。
私は、蜘蛛を身内さんとまったく疑っていなかった。おりしもお盆だから、あの世での仕事の休憩をとって、ここにきてくれていると信じることが出来た。
二時間ほど寝ただろうか。気持ちのいい眠りだった。と、上を見ると、蜘蛛は寝入ったときと同じ位置でじっとしていた。
私は寝て夢を見た。蜘蛛も1m数十Cm直上で寝て夢を見た。在りし日のように、ちびくろさんぼの童話の虎のように、ぐるぐるお互いの気を回し合ってバターになってしまった気持ちのいい夢を見た。
私はまた夕方の雑事にバタバタしているが、蜘蛛はまだ夢を見続けている。
蜘蛛がいてくれる間が、身内さんの逗留期間と、そっとしておく。
IMGA1497.jpg
IMGA1498.jpg
2010.8.10 am6:50追加記事
夜中に何度か起きたときには、まだ壁の同じ位置にいた蜘蛛が、朝ぼらけの時刻にはいなくなっていました。
ということは、ほぼ同じ位置にじっとしていること30数時間。蜘蛛は何かの夢を見ていたに違いありません。
私が、蜘蛛のいないのに気がつく直前にも、身内さんの臨在するイメージに浸っていましたから、目的を遂げられたのかも知れません。
場所の手がかりがなくとも、想念と気という場が邂逅を果たすのに有効であることを示すように思いました。
思いは変わりません。またいつでもきてください。

その他
魚の缶詰が高騰
備蓄食料として最適と目していたサバ缶サンマ缶が、マーケット価格の上で30%~60%ほど高騰しています。
1缶100円を切るほどだったプレミアムものが(98円)、128円や168円になっていました。
サケ缶はもう四ヶ月前から品切れ。これはサケの不漁が原因のようで、不漁報道直後から姿を消した感があります。
タンパク源として何も肉食する必要はなく、コーンや豆類、穀類にもたくさん含まれています。
これらも高騰の兆しがある中、米は豊作のようなので、保存状態をしっかりさせて、5、6年もつ玄米で確保されたいところ。ただし無農薬米かそれに準ずる米にして、玄米のまま食べてください。(精米すると栄養価が激減します)
備蓄食料、備蓄生活物資については、ここが詳しいので参考にしてください。
https://ueno.cool.ne.jp/tka/genjitu.htm#bitiku  (ただし記事では米はすぐ劣化すると書いてますが、玄米であればかなりもちます。古い頃の記事のようなので、各自で調べるように願います)
記事にあるように、いずれお金の代わりになるといった話は、はっきり言って信用できません。(そこまで至れば、命がけの取引になるからです) 各家庭で慎ましく消費するだけの分量にとどめるモラルを持って行動願います。

少年期のメルヘンから覗ってみれば

如意珠は思惟する機関を欲していた
私にとってほぼ50年前のことになるでしょう。盲腸の手術をしてからの貧血とお腹の不調で家の中に閉じこもるようになったときに、いろいろ想像をたくましくして空想の世界を創っていたのでありました。
今から思えばガラクタですが、当時からすればそれぞれが意志を持ち、私が意志を以て介在する限り、それぞれの演じる人生があったわけです。
やがて単なる人生では面白くないからと、彼らに意のままにどんなことでも実現してしまうという「如意珠」をあてがうことになりました。
彼らはあるとき、地中からおかしな玉を掘り出してしまいます。それを傍にして、誰かが何気なく「あーあ、こんなものがあったらいいな」と言ったとたんに、ボワンとそのイメージどおりのものが出現したことから、この話は始まります。
目の前に好きな食べ物を想像し、出よと命じれば出現するという、ま、思うとおりになる極楽世界の生活になるというわけです。
とうぜんそのような存在が、いつまでも目の前の好物だけに目を奪われているはずもありません。彼らは他の世界へのトンネルを作り、その世界で宇宙空間を隕石に乗って旅し、各地を見て回り、やがて飽きたらその多孔質のスペースの居心地のいい空間にいて眠り、また別の世界の夢を見るのです。彼らは如意珠に永久寿命を保証させ、それを多数に複製して個々に飲んでみんなスーパーマンどころの話ではない無敵の存在になっていますから、無限時間が思いのままになっているというわけです。
小学校の頃の想像は欲張りなものです。現実は硬い椅子に座っての念仏授業の拝聴ですから、想像癖とのあまりもの乖離には脱魂もいたします。
如意珠はあの白蛇伝の法海和尚の持っていた法力の玉のような感じです。左手に持って何かを念じ、右手の二本指をあわせてそれに命ずるのです。すると法力が作動して、妖怪たちがしびれまくるといったことの万能版といいましょうか。その類例は水晶玉よりもむしろ白球UFOのような半透明を想像してもらえたらよろしいかと。奥に何を秘めているか分からぬ神秘性があり、穏やかな肌色系の乳白色なわけですから、決して害意あるものではない印象です。
思えば、私が如意珠型UFOに眉間に飛び込まれたことがあるのは、あの物語を補完すべくやってきたのではないかとさえ思えてきます。
如意珠は地中に埋もれてひとりでに命令を下すことのできる者の現れるのを待っていたのではなく、如意珠のほうから思惟する者を求めて飛び込んで行った。そう書き換えるように催促しているみたいです。
如意珠を得て以来、漂流は始まった
いかに柔和な如意珠でも、使い方しだいではじゃじゃ馬にもなります。
攻撃に使うことはなかったとしても、さまざまな世界の創造とそこでの遊行が、いっそう世界を複雑化させたのは当然でしょう。思惟の進化(深化)に伴って、世界もシステマチックになり、複雑化し規則も多くなるのです。
長く漂流していると、もとあったところがどんなものだったか、途中経過の世界のいずれかに似ていることは言えたとしても、見当がつきません。
卵が先か鶏が先か、たまねぎの皮を剥くように突き詰めていっても、何が残るとも言えそうにありません。
穏当な主人公は、如意珠そのものの研究に取り掛かります。そこでも、如意珠の中身に沈潜していく時系列化作業が主となり、やはり段階的夢見行為が世界認識を支えています。彼を離れて世界はなく、彼にくっつくようにして如意珠は作動し続けます。
彼が元あったところに戻るには・・・なかなか簡単ではありません。「元の世界よ」と如意珠に命じたとしても、如意珠が創った世界に他なりません。
しかし、ただひとつだけ方法はあります。
この世は試みとして用意されたのかも
多次元宇宙には、多くの如意珠の化身たちが展開しています。それぞれのベクトルはいっそう微細をうがつ方向です。これでは元からいっそう乖離していくばかりと考えた者たちがいたとしましょう。
彼らのやることは、多元の要素を持った有志たちを集めて、平面に閉じ込めて、せめぎ合いさせることで、情報の渾然化を図り、新しい打開の道を見つけようとすることだったとしたら。
如意珠を持ちながらも、その作用を抑えて競合させあうという、ある種の取り決めの世界ですね。
ところがそれでも、世界に架空を持ち込むことで複雑化させる者たちがいっぱいになり、とうとう矯正的に痛みを与え、複雑化よからずの思いを動機として元への回帰を狙った世界運営をするようにしたのがこの世の真相とすれば・・・。
究極の狙いはこうです。
あまりの苦しみや痛みや痒みに耐えかねて、もう金輪際命など要らんと思い詰める、奇特な御仁を作ること。最終自由意志を行使して、如意珠を放棄し、魂を滅することを求めること。
つまり、永遠の命の放棄です。99%誰しもが嫌がるであろうことです。どんなに嫌な人生でも、来世はきっといいに違いないと命の存続を願うのが当然でしょう。来世でなくても、来来世でもいいと思うかもしれません。そのような転生を何度繰り返したか。が、元々のこの世の設計思想が、かの打開策の発見にあったなら、この世における幸福を願うことは難しい。ならば、もうやめにしようと決意するかも知れない。
神々にあっては解脱が難しくとも、人間ならば可能性があるとされるのも、ただひとつ、如意珠との離別を動機する可能性があるかどうか、というわけです。
せっかくの神々しい永遠の命「魂」を持つと分かって、それをいま「要らん」と喜捨し去ることができますか。金銀財宝以上の宝を放棄することはおそらくできませんね。たとえ夢見の映画世界であっても、もっと映画を見たいのは、誰しも同じ。
取り決めの世界は、厳しく創られている
映画「マトリックス」では、夢の中で死んだら、夢を見ている本人も死ぬことになっていました。
が、真実はそうではなく、夢の中で死んだら、次のプログラムが直ちに用意されて、そこから次の夢がスタートするのです。
たまたまプログラムの架け替えのときに、ノンオペステップを余儀なくされて、原初の光(クリアーライト)を見てしまうこともありましょう。しかしそれはほんの一瞬で、まずお花畑の中陰のプログラムを見て心を和ませ、水辺を越えて次の世界へと入っていく夢を見るのです。
その後、多次元宇宙を瞥見するかもしれません。それを一般的に霊界と言います。そしてまた、目的を果たしにこの世に戻ってくる。
これは如意珠の効力を薄めた取り決めの世界ですから、有志たちはある程度自由度を奪われて、究極の目標を達成すべくプロジェクトに参加しているのです。
生と死、また生と死、このプロセスのほとんどが舞台の黒子によって操作されています。この世のシナリオにおいても同じ。ひとりに一票以上の力が与えられていないという規約もその中に含まれています。
特別仕様のプログラムの中で、さまざまな欲望の振幅を大いに増大させ、限界に跳ね返されまた対偶まで飛ばされ、ぐっちゃぐちゃのボロボロになるべく予定された人々の葛藤と闘争の時空間たるや如何。
その繰り返しの中で、大いに絶望し、つくづく嫌になり、ようやく解脱の登竜門の入り口に立つのですね。
仏教はそのために生まれた思想と言っていいかもしれません。
譬えにしてはいけないとは思うものの
私の家系の女族はほとんどがカルマ落とし(こんな表現はしたくないんですが)に生きた感があります。いったい霊界の何がそれを強制しているのか、たえず疑問に思っていたことではありました。私としては、そのようなことが摂理然としているなら、とても承服しかねることでありました。
私の母方の祖母は霊能もあり、家族だけでなく人のために尽くしてきた人です。しかし、貧乏のどん底の生活の中でそれを実現してきた実力者でした。しかし、祖母は決して豪胆ではなく、たえず葛藤の日々を送ってきました。宗教家でしたから、いくつかの信仰に触れて、相当に理解もしていました。下地がそんなわけですから、拝み屋さんに見てもらうこともあり、どうしてこんなに苦労が重なるのかについて聞いたらしいです。すると、仰るには、「あんたは前世で有徳な拝み屋をしていて、多くの人を助けている。が、たったひとつ、自分の子と他人の子を別け隔てしたことにより、今生で家族(子供)のことで苦労することになったのだ」と。たったそれだけのことで、人生八十有余年を苦労で送るとは・・・。自ら義と信ずるところを生きた善人の中の善人でした。「はつの祖母の思い出」は祖母が嫁に行く前までの話。「たつえおばあさん」は、フィクション物語ながら、祖母をモチーフにしたものです。
いつぞやには、すでになき祖母がなき母とともに夢に出てきたのでしたが、祖母は墨染めの僧衣を着て、頭は剃髪、顔は祖母そのままなるも、肌は透き通るようであったことを憶えています。たつえおばあさんも、生前満たされなかった思いの説法道場主として中陰世界で活躍するのですが、祖母もそのようであるらしいことを偲ばせてくれる夢でありました。
私の母も”禊”に生きた一生でした。名は体を表すではないでしょうが、名前それ自体がこの字なのです。
母の妹は、母より先に亡くなっているのですが、戦後間もなしから結婚生活に入り、最初の子を流産して子を産めなくなり、嫁ぎ先で夫と姑のいびりに遭うこと。さらにこのとき受けた輸血がもとでC型肝炎になり、家業の製麺所はもとより激務ですが、身体がだるく思うに任せぬ中をがんばり、そんな中でもらい子を育て上げ、肝硬変となって亡くなりました。今でこそ薬害肝炎訴訟など言われていますが、そんな音信を聞くこともない、祖母や母でさえ、不憫に思うような人生でした。
みんな働き詰めに働き、世のため人のために生き切ったという人ばかりであります。(そういえば、私の妹もそのようなところがありますね。いっぽう、男系は奔放であったり、覇権的であったりと、まだまだ終息に向かう方向にないようですけれど)
一昔前は、封建時代の不合理、不条理をもろに受けたこのような人が(特に女性は)多かったでしょう。アセンションがやがてある云々の話を聞くこともなく、すでに亡くなられている場合が多いと思います。
アセンションプロジェクトは解脱プロジェクトの終焉を意味するか
有志を募ってした解脱プロジェクトも、かなりいびつ。いびつなのをてこにして跳躍しようという考えだったかも知れませんが、ここにも無理があるとされるようになったのかも知れません。成功例はあったでしょうが、たとえ元の世界への復帰に成功したとて、彼が如意珠を放棄したとたんに灰になって消えてしまったのでは、便りも何も届いたりしません。
そこで、自然体であるべきことが叫ばれるようになったのかも。滅多やたらの深化を求めず、無為自然がいちばんだとか。かくして、もうこんないびつなプロジェクトは解散しようとなった。解散にも、納得のいくストーリーが必要ですから、たとえば手前味噌ながら新神話で対処するとか、ですね。
しかし、アセンションもまた夢から別の夢への遷移を意味することに過ぎません。その先で幸福になることはむろん結構なのですが、アセンション後の世界の質が問われなくてはなりますまい。
噂に聞くアセンション後の世界とは、食事が不可欠ではないようです。生きるために食事を摂らねばならないことから解放されれば、諸悪を誘引しがちだった経済活動が不要になります。地球圏内を構成する物質の波動が変わって、人体の物理的組成も変化するとか。いわば、霊界のようとまでもいかないまでも、幽界レベルにはなるのでしょうか。つまり夢見の身体、死後中陰を生きるバルドの身体ということになるかと思います。そうなれば、おのが恐怖心以外、傷つける何ものもないようになりますが、縛りが解かれたぶん、意思のコントロールが必要となるでしょう。しばらくは初乗りのUFOの如き想念体をコントロールする訓練が要りますよ。
活動の主体は想念体ゆえ、欲望が対応する世界にチューニングされてしまい、おそらく同じ思いを持った者の集う趣味嗜好の世界に進むようになるかと思います。ここでも極端が進めば、復元する動きがあるかと。そんな中においても、如意珠を放棄しようという御仁が生じるのは自然のことかも知れません。
アセンションは肉体の死によって達成される?
巷の陰謀論では、世界の支配勢力は世界人口の大幅削減を計画していると言いますね。
9割を自然災害や戦争などを通じて削減してしまうという話です。財力、武力、政治力を手中にする彼らにとって、あとはいかに人々に気取られずにそれを完遂するかということのようです。それでも、最後の土壇場には、彼らは残虐さをいかんなく露わに発揮するようですけど。

人口の1割で地球をほしいままにする。地球がだめになっても隣に火星がある。彼らに加担する宇宙人の技術で、火星だけでなく宇宙への進展が可能になる。クローン技術と記憶転写技術で肉体のまま半永久の命が保証される。そこでもダイヤなど宝石類を集めて笑う傾向は続く。何かすごく質の低い世界になっていきそうです。⇒未来物語・科学の最先端
いっぽう9割は肉体の死を以てアザーズとなって地球の異次元を生きることになる。元の地球に似ているものの、かなり様子が異なっている。あらゆるものが色鮮やかで生気に溢れている。霊界に行くか中陰界に行くかは別として、それがアセンションというもので、肉体次元よりも意識の自由度の高い経験世界になる。どちらかといえば、こちらのほうがいいね。
祖母は墨染めの僧衣で剃髪なるも、皺ひとつない透き通った顔。母は、おいおい冗談じゃないぜというほどのまぶしい肌になってた。これはクローンなのか? いやいや、そうじゃないことは分かる。
私は重たくて空など飛べないよというときには、ほいこれを持ってと窓枠を手渡されて、その助力ですいすい空を飛ぶ。かなづちでも足ひれを付ければ遠泳も可能になるが如しだ。要は自信しだいというわけ。なんなら宇宙人と親しくなってUFOを貰い受けて自家用車にどう? UFOなんか信じられるかという現実派だったら、こんなの一台貰い受けて、毎日空を走りなよ。

食事は嫌いな肉食などしなくていい。面倒な食事自体が無用なんだ。どうしても食べたければ、かすみを丸めて肉にして食べる。お化け(アザーズ)にゃ学校も(金を稼ぐことも)試験も何にもない。
どちらかといえば、こちらのほうがいいじゃない。要は夢見の世界なのさ。ストーリーは思いのままだ。
口惜しくも、最後の残虐という関門を通過しなくてはならないことが情けないけどね。そんなものすぐ忘れることだろう。

七夕というと天の川・・・にまつわるあべこべ物語を一席披露・・・神話編(Ⅴ)

天の川とは天の安の河のこと。古事記ではそう書かれます。そこを舞台にした神話のひとつに「誓約(うけい)」の段があります。
物語化してあるサイトをどうぞ参考に 
https://www5c.biglobe.ne.jp/~izanami/monogatari/09.htm
天の安の河の両岸に立って、アマテラスのものざねとスサノヲのものざねのそれぞれから子供を設けるときに、アマテラスのものざねからは五男子が生まれ、スサノヲのものざねからは三女子が生まれたといいます。ここにアマテラスは男子が生まれたことにより勝利を確信し、スサノヲは女子を得たことで勝利を宣言するという、相互の価値観の矛盾が示されています。古事記全体を通してみれば男子優位を謳うことは明らかなのですが、その元にあるアマテラス自身が女神であるという矛盾を圧して、古事記は成立しているわけです。
もういちどホツマツタエに戻れば、アマテラスの子として登場するアメノホヒは、反逆者持子の子です。古事記では瀬織津の子を長男に仕立て、ホヒを次男に据えて後継候補から除外し、後に失策させることによって神界から追放するという展開にしてあるわけです。いったんは男子優位の矛盾を解消すべくアマテラスの子に含めたり、後で追放したりと、国書編纂上の改変の荒業をいくつも行っていることが見て取れることでしょう。ならば後に論議を呼びそうな矛盾の最たるアマテラスを男神としても良かったのではないか。それ以上に、アマテラスが女神でなくてはならない理由があったのでしょう。
たぶん卑弥呼が大きく関わっていたことでしょう。と同時に、秘教的に瀬織津姫を陰ながらトップに据えたかったからと推理するのです。秘教組織は創作物に必ずお里の知れる痕跡を残すのです。たぶんわざと。
私が宮廷内で黒煙の上がるクーデターを目撃した夢を見たことは、すでに書いたことがあります。それはどうやら神界の宮殿での出来事であって、そのとき私は柱の陰で不安そうに佇む身内さんを見ているのです。衣装からすると機織女かと思うも、あまりの美しさに気を引かれたのですが、よもや奥津嶋の姫君であろうとは。高貴なお方でも未婚の娘時代は様々な研修に励まれているのでしょう。
私はそのときどのような役回りの参内者であったかは知れません。が、女官たちと連携して、なにやらたくさんの重い資料を運び出す手伝いをしていたのです。だから、少なくともクーデター首謀者側ではありません。その後、危難を避けて多くの有志と共に避難体制に入ったと思われます。そしてこの世界に、どれほどの時と転生を経てか辿りついたものと思われます。が、すべては霊が記憶していることであり、私はおぼろげにこの推理に納得しているだけの者です。多少の錯誤はあるかもしれません。
弁天様はなぜ湖中や海中にばかり御座所があって、陸から離れ、孤独でいらっしゃるのか。
父母が姦計によって陥れられた不遇と、諸神の冷酷な視線に遭って、孤高の境涯に甘んじておられるのでしょう。
あるいはまた、暴虐な男神たちの懸想、言い寄りを避けて、然るべき頼れる神が現れるまで、貞操を保とうとされているのでしょう。
私はそんなこととは何も知らずに、弁天様の仏像に向かって結婚を申し込み、それなら相応しい男神になれとてか、弁天様の化身との相互作用を通して、神話の男神のいくつにも磁化されたようにして雛形を演じてきたようなことでした。結果は、恋ロマンについては及第だったでしょう。が、弁天様の様々な汚名を晴らすことまではまだできていない状況です。それが満たされなければ、弁天様が私を頼ってくださった意味がなく、共に力を合わせてでも、やり遂げねばならないと思っていたことなのに、すでに化身はこの世になく、その前の市寸嶋姫の化身とて自身の役をこなすのにやっと。私ひとりでどこまでやれるかといった状況に顔を曇らせています。
早々に私も逝けば良かったのですが、自分から臆してしまい、姫君からは嫌われるに違いないと思っています。
2007年1月14日未明に、雲がみるみる白龍の形になり、私の家の周りを旋回してから窓を開けて、佇む私の胸めがけて飛び込んできた夢を見たのですが、その感動を身内さんに言うと、「それは私よ」と即答して返してくれたのでした。そして、場所を知っているから、飛んで会いに行けるのよとも。
あのときの白龍はちょうど北面を進むとき、夕陽を浴びて頬を紅潮させたときの横顔が、まるで精悍なサラブレッド馬のようでした。夢の中ですら感心しながら、龍の横面は馬そっくりなんだと気づいたようなことでした。
しかし、千と千尋の神隠しに描かれるハク(白龍)も苦悩する神であったように、身内さんも心的外傷を抱えたような弱いところがあって、私が当時、ブログで何人ものコメント投稿者のお相手をしている頃でしたが、彼女は夢の中で、意識を飛ばして私の家にやってきたものの、家の中に何人もいて、意見を言い合って騒いでいるので入り込めず、窓の外で滞空していると、中から一人が気づき、みんな注目して、彼女のことを悪し様に罵ったため、彼女はいたたまれなくなってその場で小さく縮こまっていたところ、空から観音様が降りてきて救ってくれたという話をしてくれました。私までその一同に洗脳されたように思ったと、厳しく非難されました。私は、そんなことはない、私が啓発されるときにはシンクロという不思議を伴うから、印象に強く残るのであって、君からのそれは格別であり、よその話を見たり聞いたりして触発されたりしたのは若いときだけで、つまらん出費や労力を伴うものだったから懲りてますよと、弁解したものでした。
私のブログ内での交友関係を、私の家の中での有様として見てしまうのは、私の心の中に深く入り込んでいたからでしょう。また、普通人ならそこまでの思いになるほどのことでもないのに、彼女には強く出てしまうような心的外傷を負っていることも見て取れました。その外傷は平和な生い立ちにあったのではなく、それ以前の神のときに負った傷のようでした。私は、どう慰めてあげればいいのか、再度突き放したような関係になり、絶望して去ってしまったとも思えますし、今となってはもう会話することもできないのです。
ただ私に努力できることは、新時代への早い移行を正神諸神に祈ること。その中で、神々の汚名が晴れることを願うものです。

あべこべ物語・・・神話編(Ⅳ) 史実改竄史書もしっかり読み解けば分かってくる

参考 https://hwm5.gyao.ne.jp/tukinohikari/4_amateru_kisaki/amaterasu_12kisaki_table.html
持子早子は北の御座所に位置する、いわゆる大奥の北の政所という重要位置にあって、天照大神の正室であり、持子は十二后のうち優先的かつ最も早く、男子穂日尊を生んでおりました。本来ならば、天照大神の跡継ぎは穂日尊であるはずでした。その後、早子に弁天三姉妹が生まれました。これも禁中の慣わしとして北の最上家政所が優先されたということで矛盾はありません。
ところがホツマツタエは南の御座所の瀬織津を正室であるとしました。これは禁中の慣わしとしては違反であり、大きな矛盾点です。それを平然と額面どおりに扱う研究者や宗教家というのは、どんなにご高説を垂れておられてもアウトです。もし瀬織津を正室にするなら、まず持子らを北から排して瀬織津を北に据え、その上で正室としたと史書ならせねば、片手落ちというものです。
なぜその手間を渋ったか。もともと歴史の改竄を意図したものであり、庶民に知れたところでどうなろうというものでもないといった、いい加減な製作がなされたからでありましょう。あるいはそれが史実だったなら、神代の時代にいい加減さが混入したからそうなったと言うしかありません。
私は実際、神代の時代にとんでもないいい加減さが入り込んだと見ます。その反映であるホツマなどの史書も、いい加減なものになってしまったと。規律も何もかもが、ある時点、ある事件を境に、なくなったのです。それが、国常立尊の暗殺と天照大神の幽閉事件です。
ホツマは天照大神のことを天照神としています。古事記で大神となったのは、歴史書の改竄が庶民、諸豪族の納得了承を得てことごとく成功したゆえに、女神にした上で大神とし、男神より上位であることを庶民に示したのです。当時の諸豪族の誰もが反抗できないと見て行った、二重三重の思想的陵辱であることは紛れもなく、傲慢なこと限りなしと言うべきです。研究家や宗教家がその辺を見抜けないというのは、無能も無能、官憲機関への媚び諂いに終始していた感が臭います。つまり嘘を糊塗するために仕立てられた研究家や宗教家しかいなかった。
最も掴み易いはずの大和言葉の語義からしても、瀬織津は瀬を折って淀みや災禍を生じさせるの意義があり、イザナギが中津瀬に下りて黄泉の国の穢れを落とした際に生まれた穢れの神八十禍津日に同じとされるのも無理からぬわけです。ヤソマガツヒは長期にわたる災禍の時代という意味で、これが太陽神に成り代わった(入座した)ならば、天下が暗くなるのも道理というものです。つまり、災禍の理念がこの期間のテーマになってしまったというわけ。すなわちアマテラスの岩戸隠れは今なお続いていて、その幽閉を解くために今、我々戦士たちが送り込まれており、太陽神復活劇はこれからのこととして見込まれているのです。
また、持子の子の穂日尊は古事記には、国津神の国に行き、居心地のよさに帰化してしまった神となっています。実際、国津神の国、地球への先遣大使として行ったのでしょうが、天照大神がまだ幽閉前で、しっかりとした下賜を与えて友好親善の方針で行かせたに違いないのです。彼こそは地球の次代を担う神として予定された者であったでしょう。
ところが、その直後に国常立尊暗殺と天照大神幽閉事件が起こり、いわば神界での大騒乱となり、男神天照大神の不在とそれに続く女神天照大神としての瀬織津擁立劇において、持子早子の追い落としがあり、子の穂日も帰還不能となったに違いなく、不在をいいことにそのまま反逆者としての汚名を着せられたものと推測されます。
諸神諸侯は、中央で起きた事件に頬被りすれば本領安堵するを条件に、多くが保身に回ったわけであり、むろん中には正義の神々もいて、スサノオは兄神亡き後の正嫡としての自らの当然の権利を主張したものであり、謀反などというものではまったくなく、天若日子は贋天照大神から下賜を得て地球に赴任するも、おそらく国津神から地球を奪い取れとの命令も受けていて、穂日と合流したときに、お互いが命令の食い違いや神界での政変について知ることとなり、正義感の強い天若日子は反抗によって応えたまでであったでしょう。天若日子とルシファーは同体とみられます。何が起きたのか知っているからこそ、神界に戻れなくなっているのです。ルシファーには元来の太陽神である元の天照大神がダブって投影されています。
問題は、贋天照大神になってから、背後に邪神が糸を引いたために、和の心をなくし、勢い残忍かつ侵略的になったことです。その後、古事記は天津神が国津神の国の侵略に取りかかったことを伝えます。地上はいたく騒がしいから平定しなくてはならないといった、もっともらしい理由をつけての上ですが、同様の植民地侵略の仕方を欧米がしてきています。欧米は贋天照大神の率いる邪神どもに初動付けされた連中で、今までの暗黒の歴史の立役者です。そして彼らはついに地球自体を破壊しようとさえしているのです。
私が沖津島姫(奥津嶋姫)(新神話のカンナオビ)と市寸嶋姫(同イナンナ)の協力を得て新神話編みをすることになったのは、彼女らが早子の子だったからということがようやく分かりました。私は彼女ら(持子早子)の冤罪を晴らすために活動していたのです。持子早子はお尋ね者でしたが、新神話における協力者二人は白蛇伝の白蛇と青蛇(いずれもお尋ね者だった)の化身でもあるのです。これほどの相似的関係が神話や伝承の間に見られる現象は、神懸り的なほどのことです。霊的磁力を帯びた新神話。私は絶対に完成させ、彼女らの無念を晴らし、邪神の根を断つ所存です。

超常夜話

弁天様の幾何学があります。それは図にしますように、姉妹に割り当てられる比率(7:2)のスパンとして出てまいります。この場合は、市寸嶋姫(妹)と奥津嶋姫(姉)の持ちまわった時間のスパンとして出てきました。
105.gif
最初に奥津嶋姫が私の刻限を破り、しばらくして市寸嶋姫が私の関心をさらいました。そして妹神が急転直下、晴天霹靂の突然さで別れて行き、最期に言い残した言葉が「あなたとは、ちょうど2年でした」というものでした。その言葉の鮮烈さは、すでに見出していた弁天様の幾何学の、市寸嶋姫の比例配分の2という数を彷彿と思い起こさせました。
やや後に、奥津嶋姫との邂逅があり、そこから心の蜜月が開始されたのですが、どうしても幾何学配分が気になったものでした。奥津嶋姫の数は7です。1999年の末から、まるまま時間をとったとしたら、2+7=9年。そこに邂逅までの空白の1年を足したとして、10年つまり、2009年いっぱいが奥津嶋姫との、曲折を孕みながらも付き合いのあった時間ということになります。まさに奥津嶋姫の化身は、2009年の私の還暦の誕生日前日を最期に、連絡を絶ったのです。
彼女の生きることについての命題は、「何のために生きるのか」でした。
主婦としての家庭生活は、実子あってこそ意味を持つと考えたのかも知れません。でなければ、ただ不自由なく生きたとしても、生活感が湧いてこなかったのでしょう。当時の日記には「死んだように生きる・・・」という言葉を、文字サイズを大きくしながら何列も書き連ねていました。
むろん昨今はそのようなことはありません。本人は円熟して、家庭にあることの真の意味を知ったのでしょう。ご主人との蜜月を、行動を共にすることで満喫されていました。ご主人も立派なかたで、彼女を第一に考えていました。双方の不断の努力によって、長年の連れ添いを斬新さで更新されていたようです。
さて、今度は私事になります。いま三猫を育てて7か月が経過。ここは山中とはいえ今年も暑くなってきました。日中の三猫たちは暑い中、グロッキー状態を呈して眠りこけています。冬の寒い中なら濃密な毛で覆われていれば、耐えられもしましょう。この暑さの中では凌げるものなのか。それこそ、彼らに「死んだように生きる」ことを強要しているようで、とても辛いものがあります。そこで、ひとつ奮発して、エアコンを導入することにいたしました。
三猫は夢で見たように、四神獣・白虎の化身。キトラの白虎のいかつい表情によく似ていますし、頭頂ハゲ(落ち武者風)のように、キトラにも描かれています。
白虎であることを鳴り物入りで示してきたということは、またもや新神話関係者だということです。しかも三神とも夢の中では眉間に第三の目を、つまり三つ目での登場だったのです。だからでしょう、私の言うことはむろん、私の卑怯な心根までも理解しているのです。だから、彼らにそっぽを向かれたら、何が理由かを真剣に考えてしまいます。けれども最近は、一匹にそっぽを向かれても、ほかの子らがフォローしてくれるようになりました。それというのも、私の心から湧いて出てくる愛は万生共通のものだからでしょう。それはかつての協力者たちの味わったものと同じものです。それだけ一生懸命に彼らと向き合っているのです。