如意珠は思惟する機関を欲していた
私にとってほぼ50年前のことになるでしょう。盲腸の手術をしてからの貧血とお腹の不調で家の中に閉じこもるようになったときに、いろいろ想像をたくましくして空想の世界を創っていたのでありました。
今から思えばガラクタですが、当時からすればそれぞれが意志を持ち、私が意志を以て介在する限り、それぞれの演じる人生があったわけです。
やがて単なる人生では面白くないからと、彼らに意のままにどんなことでも実現してしまうという「如意珠」をあてがうことになりました。
彼らはあるとき、地中からおかしな玉を掘り出してしまいます。それを傍にして、誰かが何気なく「あーあ、こんなものがあったらいいな」と言ったとたんに、ボワンとそのイメージどおりのものが出現したことから、この話は始まります。
目の前に好きな食べ物を想像し、出よと命じれば出現するという、ま、思うとおりになる極楽世界の生活になるというわけです。
とうぜんそのような存在が、いつまでも目の前の好物だけに目を奪われているはずもありません。彼らは他の世界へのトンネルを作り、その世界で宇宙空間を隕石に乗って旅し、各地を見て回り、やがて飽きたらその多孔質のスペースの居心地のいい空間にいて眠り、また別の世界の夢を見るのです。彼らは如意珠に永久寿命を保証させ、それを多数に複製して個々に飲んでみんなスーパーマンどころの話ではない無敵の存在になっていますから、無限時間が思いのままになっているというわけです。
小学校の頃の想像は欲張りなものです。現実は硬い椅子に座っての念仏授業の拝聴ですから、想像癖とのあまりもの乖離には脱魂もいたします。
如意珠はあの白蛇伝の法海和尚の持っていた法力の玉のような感じです。左手に持って何かを念じ、右手の二本指をあわせてそれに命ずるのです。すると法力が作動して、妖怪たちがしびれまくるといったことの万能版といいましょうか。その類例は水晶玉よりもむしろ白球UFOのような半透明を想像してもらえたらよろしいかと。奥に何を秘めているか分からぬ神秘性があり、穏やかな肌色系の乳白色なわけですから、決して害意あるものではない印象です。
思えば、私が如意珠型UFOに眉間に飛び込まれたことがあるのは、あの物語を補完すべくやってきたのではないかとさえ思えてきます。
如意珠は地中に埋もれてひとりでに命令を下すことのできる者の現れるのを待っていたのではなく、如意珠のほうから思惟する者を求めて飛び込んで行った。そう書き換えるように催促しているみたいです。
如意珠を得て以来、漂流は始まった
いかに柔和な如意珠でも、使い方しだいではじゃじゃ馬にもなります。
攻撃に使うことはなかったとしても、さまざまな世界の創造とそこでの遊行が、いっそう世界を複雑化させたのは当然でしょう。思惟の進化(深化)に伴って、世界もシステマチックになり、複雑化し規則も多くなるのです。
長く漂流していると、もとあったところがどんなものだったか、途中経過の世界のいずれかに似ていることは言えたとしても、見当がつきません。
卵が先か鶏が先か、たまねぎの皮を剥くように突き詰めていっても、何が残るとも言えそうにありません。
穏当な主人公は、如意珠そのものの研究に取り掛かります。そこでも、如意珠の中身に沈潜していく時系列化作業が主となり、やはり段階的夢見行為が世界認識を支えています。彼を離れて世界はなく、彼にくっつくようにして如意珠は作動し続けます。
彼が元あったところに戻るには・・・なかなか簡単ではありません。「元の世界よ」と如意珠に命じたとしても、如意珠が創った世界に他なりません。
しかし、ただひとつだけ方法はあります。
この世は試みとして用意されたのかも
多次元宇宙には、多くの如意珠の化身たちが展開しています。それぞれのベクトルはいっそう微細をうがつ方向です。これでは元からいっそう乖離していくばかりと考えた者たちがいたとしましょう。
彼らのやることは、多元の要素を持った有志たちを集めて、平面に閉じ込めて、せめぎ合いさせることで、情報の渾然化を図り、新しい打開の道を見つけようとすることだったとしたら。
如意珠を持ちながらも、その作用を抑えて競合させあうという、ある種の取り決めの世界ですね。
ところがそれでも、世界に架空を持ち込むことで複雑化させる者たちがいっぱいになり、とうとう矯正的に痛みを与え、複雑化よからずの思いを動機として元への回帰を狙った世界運営をするようにしたのがこの世の真相とすれば・・・。
究極の狙いはこうです。
あまりの苦しみや痛みや痒みに耐えかねて、もう金輪際命など要らんと思い詰める、奇特な御仁を作ること。最終自由意志を行使して、如意珠を放棄し、魂を滅することを求めること。
つまり、永遠の命の放棄です。99%誰しもが嫌がるであろうことです。どんなに嫌な人生でも、来世はきっといいに違いないと命の存続を願うのが当然でしょう。来世でなくても、来来世でもいいと思うかもしれません。そのような転生を何度繰り返したか。が、元々のこの世の設計思想が、かの打開策の発見にあったなら、この世における幸福を願うことは難しい。ならば、もうやめにしようと決意するかも知れない。
神々にあっては解脱が難しくとも、人間ならば可能性があるとされるのも、ただひとつ、如意珠との離別を動機する可能性があるかどうか、というわけです。
せっかくの神々しい永遠の命「魂」を持つと分かって、それをいま「要らん」と喜捨し去ることができますか。金銀財宝以上の宝を放棄することはおそらくできませんね。たとえ夢見の映画世界であっても、もっと映画を見たいのは、誰しも同じ。
取り決めの世界は、厳しく創られている
映画「マトリックス」では、夢の中で死んだら、夢を見ている本人も死ぬことになっていました。
が、真実はそうではなく、夢の中で死んだら、次のプログラムが直ちに用意されて、そこから次の夢がスタートするのです。
たまたまプログラムの架け替えのときに、ノンオペステップを余儀なくされて、原初の光(クリアーライト)を見てしまうこともありましょう。しかしそれはほんの一瞬で、まずお花畑の中陰のプログラムを見て心を和ませ、水辺を越えて次の世界へと入っていく夢を見るのです。
その後、多次元宇宙を瞥見するかもしれません。それを一般的に霊界と言います。そしてまた、目的を果たしにこの世に戻ってくる。
これは如意珠の効力を薄めた取り決めの世界ですから、有志たちはある程度自由度を奪われて、究極の目標を達成すべくプロジェクトに参加しているのです。
生と死、また生と死、このプロセスのほとんどが舞台の黒子によって操作されています。この世のシナリオにおいても同じ。ひとりに一票以上の力が与えられていないという規約もその中に含まれています。
特別仕様のプログラムの中で、さまざまな欲望の振幅を大いに増大させ、限界に跳ね返されまた対偶まで飛ばされ、ぐっちゃぐちゃのボロボロになるべく予定された人々の葛藤と闘争の時空間たるや如何。
その繰り返しの中で、大いに絶望し、つくづく嫌になり、ようやく解脱の登竜門の入り口に立つのですね。
仏教はそのために生まれた思想と言っていいかもしれません。
譬えにしてはいけないとは思うものの
私の家系の女族はほとんどがカルマ落とし(こんな表現はしたくないんですが)に生きた感があります。いったい霊界の何がそれを強制しているのか、たえず疑問に思っていたことではありました。私としては、そのようなことが摂理然としているなら、とても承服しかねることでありました。
私の母方の祖母は霊能もあり、家族だけでなく人のために尽くしてきた人です。しかし、貧乏のどん底の生活の中でそれを実現してきた実力者でした。しかし、祖母は決して豪胆ではなく、たえず葛藤の日々を送ってきました。宗教家でしたから、いくつかの信仰に触れて、相当に理解もしていました。下地がそんなわけですから、拝み屋さんに見てもらうこともあり、どうしてこんなに苦労が重なるのかについて聞いたらしいです。すると、仰るには、「あんたは前世で有徳な拝み屋をしていて、多くの人を助けている。が、たったひとつ、自分の子と他人の子を別け隔てしたことにより、今生で家族(子供)のことで苦労することになったのだ」と。たったそれだけのことで、人生八十有余年を苦労で送るとは・・・。自ら義と信ずるところを生きた善人の中の善人でした。「はつの祖母の思い出」は祖母が嫁に行く前までの話。「たつえおばあさん」は、フィクション物語ながら、祖母をモチーフにしたものです。
いつぞやには、すでになき祖母がなき母とともに夢に出てきたのでしたが、祖母は墨染めの僧衣を着て、頭は剃髪、顔は祖母そのままなるも、肌は透き通るようであったことを憶えています。たつえおばあさんも、生前満たされなかった思いの説法道場主として中陰世界で活躍するのですが、祖母もそのようであるらしいことを偲ばせてくれる夢でありました。
私の母も”禊”に生きた一生でした。名は体を表すではないでしょうが、名前それ自体がこの字なのです。
母の妹は、母より先に亡くなっているのですが、戦後間もなしから結婚生活に入り、最初の子を流産して子を産めなくなり、嫁ぎ先で夫と姑のいびりに遭うこと。さらにこのとき受けた輸血がもとでC型肝炎になり、家業の製麺所はもとより激務ですが、身体がだるく思うに任せぬ中をがんばり、そんな中でもらい子を育て上げ、肝硬変となって亡くなりました。今でこそ薬害肝炎訴訟など言われていますが、そんな音信を聞くこともない、祖母や母でさえ、不憫に思うような人生でした。
みんな働き詰めに働き、世のため人のために生き切ったという人ばかりであります。(そういえば、私の妹もそのようなところがありますね。いっぽう、男系は奔放であったり、覇権的であったりと、まだまだ終息に向かう方向にないようですけれど)
一昔前は、封建時代の不合理、不条理をもろに受けたこのような人が(特に女性は)多かったでしょう。アセンションがやがてある云々の話を聞くこともなく、すでに亡くなられている場合が多いと思います。
アセンションプロジェクトは解脱プロジェクトの終焉を意味するか
有志を募ってした解脱プロジェクトも、かなりいびつ。いびつなのをてこにして跳躍しようという考えだったかも知れませんが、ここにも無理があるとされるようになったのかも知れません。成功例はあったでしょうが、たとえ元の世界への復帰に成功したとて、彼が如意珠を放棄したとたんに灰になって消えてしまったのでは、便りも何も届いたりしません。
そこで、自然体であるべきことが叫ばれるようになったのかも。滅多やたらの深化を求めず、無為自然がいちばんだとか。かくして、もうこんないびつなプロジェクトは解散しようとなった。解散にも、納得のいくストーリーが必要ですから、たとえば手前味噌ながら新神話で対処するとか、ですね。
しかし、アセンションもまた夢から別の夢への遷移を意味することに過ぎません。その先で幸福になることはむろん結構なのですが、アセンション後の世界の質が問われなくてはなりますまい。
噂に聞くアセンション後の世界とは、食事が不可欠ではないようです。生きるために食事を摂らねばならないことから解放されれば、諸悪を誘引しがちだった経済活動が不要になります。地球圏内を構成する物質の波動が変わって、人体の物理的組成も変化するとか。いわば、霊界のようとまでもいかないまでも、幽界レベルにはなるのでしょうか。つまり夢見の身体、死後中陰を生きるバルドの身体ということになるかと思います。そうなれば、おのが恐怖心以外、傷つける何ものもないようになりますが、縛りが解かれたぶん、意思のコントロールが必要となるでしょう。しばらくは初乗りのUFOの如き想念体をコントロールする訓練が要りますよ。
活動の主体は想念体ゆえ、欲望が対応する世界にチューニングされてしまい、おそらく同じ思いを持った者の集う趣味嗜好の世界に進むようになるかと思います。ここでも極端が進めば、復元する動きがあるかと。そんな中においても、如意珠を放棄しようという御仁が生じるのは自然のことかも知れません。
アセンションは肉体の死によって達成される?
巷の陰謀論では、世界の支配勢力は世界人口の大幅削減を計画していると言いますね。
9割を自然災害や戦争などを通じて削減してしまうという話です。財力、武力、政治力を手中にする彼らにとって、あとはいかに人々に気取られずにそれを完遂するかということのようです。それでも、最後の土壇場には、彼らは残虐さをいかんなく露わに発揮するようですけど。
人口の1割で地球をほしいままにする。地球がだめになっても隣に火星がある。彼らに加担する宇宙人の技術で、火星だけでなく宇宙への進展が可能になる。クローン技術と記憶転写技術で肉体のまま半永久の命が保証される。そこでもダイヤなど宝石類を集めて笑う傾向は続く。何かすごく質の低い世界になっていきそうです。⇒未来物語・科学の最先端
いっぽう9割は肉体の死を以てアザーズとなって地球の異次元を生きることになる。元の地球に似ているものの、かなり様子が異なっている。あらゆるものが色鮮やかで生気に溢れている。霊界に行くか中陰界に行くかは別として、それがアセンションというもので、肉体次元よりも意識の自由度の高い経験世界になる。どちらかといえば、こちらのほうがいいね。
祖母は墨染めの僧衣で剃髪なるも、皺ひとつない透き通った顔。母は、おいおい冗談じゃないぜというほどのまぶしい肌になってた。これはクローンなのか? いやいや、そうじゃないことは分かる。
私は重たくて空など飛べないよというときには、ほいこれを持ってと窓枠を手渡されて、その助力ですいすい空を飛ぶ。かなづちでも足ひれを付ければ遠泳も可能になるが如しだ。要は自信しだいというわけ。なんなら宇宙人と親しくなってUFOを貰い受けて自家用車にどう? UFOなんか信じられるかという現実派だったら、こんなの一台貰い受けて、毎日空を走りなよ。
食事は嫌いな肉食などしなくていい。面倒な食事自体が無用なんだ。どうしても食べたければ、かすみを丸めて肉にして食べる。お化け(アザーズ)にゃ学校も(金を稼ぐことも)試験も何にもない。
どちらかといえば、こちらのほうがいいじゃない。要は夢見の世界なのさ。ストーリーは思いのままだ。
口惜しくも、最後の残虐という関門を通過しなくてはならないことが情けないけどね。そんなものすぐ忘れることだろう。