新神話の基本的スタンス

新神話の基本的スタンスについて
私は齢50を過ぎてからの命を、国津神系からの委託仕事遂行のために賜与されたものと確信しております。
よって、俗世間的な常識には縛られることがあってはならず、また縛られることのない加護が与えられていると確信しております。
それゆえか、短時日ではあるものの、めまぐるしいほどのシンクロ現象が私の目の前に展開するようになったように思います。
私はそのひとつひとつを意味づけの連環に取り込み、更なる強固かつ実力を持つ連環として構築していきます。するとまたさらに、シンクロ的な知恵の啓発がもたらされるという具合に、ちょうどエンジンの回転がひとりでに得られるように円滑化していきます。
現在もまだその回転力は落ちてはおりません。ちゃんと様々な人の手を介して情報はシンクロ的にもたらされており、そのすべては連環をいっそう太いものにしていきつつあります。
それが新神話の持つ力となって、神界から下界に至るまでの三千世界を潤していくこととなると信じます。
渡るべき情報を選択しタイムリーに与えてその気にまでさせておいでなのは、どこの神様なのでしょう。
人が神となるのは、神がその人に懸かられるときです。そのとき初めて神としての役目が果たされるのです。私はその神様の懸かられた人との協調プレーにおいて、充実しながらこの事業にあたっています。
これほどまでの充実感と加護されている思いは、50前までは味わったことのないことでした。
国津神様の依頼によると目される今回の仕事の、立てるべきスタンスは次のようになります。
元々あった地球生態系の有情を救済の対象にすることを基本とし、人類においても先住民型とも言うべき自然共生型の暮らしを愛好する純朴な人々の救済をもっぱらとします。
ほんらいすべての有情を対象とすべきところ、やはりここまで生態系が痛めつけられた今となっては、積極的に地球に対して加害行為を継続する世俗従事者まで、その対象とすることにはやはり私自身の心的抵抗があります。
私は生まれ故郷が天橋立を望む宮津市です。海岸から眺めた対岸に、遠く青松の連なりが一望できるところです。
このため、この地の伝承が新神話に大きく関わってきます。
天橋立の成立伝承に、久世戸縁起というものがあります。今では天橋立を一望する成相山成合寺において、パンフレットがいただけるはずですが、その中に久世戸縁起が平易な口語文体で書き表されています。
それによると、太古の昔、天津神たちが地球にやってきて、人類を下ろそうと計画しました。それを知った地球のドメスティックな神々(龍族)は、反対運動を起こして地上で暴れ、人類の生存環境に適さないことを示そうとしました。
ところが、天津神たちは地上の龍族を、当時高名だった文殊菩薩に仏教的教化を頼み、地上に派遣したのです。
文殊は龍族をみごと教化し、おとなしくさせることに成功します。さらには、龍族全体の長であった竜王の娘の弁財天が説法内容に感動し、自らが中核となって龍族を一身に合体し、観世音菩薩として人類の守護に努めましょうということになったのです。
この地の成合観音とは、龍神と龍族が成り合ってできた観音様という意味です。
さらに文殊菩薩への約束の証として、海中に天から浮橋を下ろし、それが現在に見る天橋立となったとのこと。
ところが、やはり策謀を用いたのは天津神でした。人類は、もはや地球生態系が立ち行かぬところまでにし、龍族の穏やかに暮らしていた地球をも、何度も破壊することのできるほどの準備をしてしまいました。
そして、事態の深刻化が叫ばれ、自らの存続が危ぶまれるまでになっても、人類には何の改悛の情もないどころか、彼ら独自の”合理化”精神によって、それら加害行為を自分たちの内輪で許し合うことまでしているのです。
噂を聞けば何でも、地球環境に対して破壊工作する者を天使だと讃えているとか。そして、自分たちのした過ちを許すことが大事だとか。そして、地球のことはそっちのけ。無視を決め込んでいるのです。龍族が見えないからというのは、まだわかります。毎時見ている地球の大地が見えないはずがありません。無視しているのです。
なんとも無責任極まりない話ではないでしょうか。それどころか、その”合理化”の推進主が天津神だったということがわかってきたとすれば。
裏切られたことを知った龍族たちは、文殊との約束があるため、ざわめく心を抑えねばなりませんでしたが、とうとう、当の文殊に問うてみようとなったのです。
新神話第十一章から引用して示します。
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このたびの神話も、すべて龍族がお膳立てし、そこにヒーローとヒロインの恋物語が組み合わ
され、それぞれの織り成す人間的な悲喜こもごもの感情のぶつかり合いにより、世にも不思議
な物語として自然に組み上がってきたような気もする。それを平家物語の語りに涙する悲運の
平氏の落ち武者のように、傍で観覧しているのも彼らなのではないだろうか。ネアンは琵琶法
師、法一でもあるのだ。だが、耳なし法一とは異なるところがある。彼が神話の創造主である
ということだ。既成のものを取り去る側に回る、むしろ龍族期待の英雄ということになる。
<そうか。一度見せたものは、訂正せずに、ストーリーを書き加えていけばいいんだ。起きた
ことと期待することを織り交ぜながら。そうするしか、このネアンという神話レポーターのす
べきことはないんだ。あとは成行がひとりでに次の扉を開けていくだろう>
ネアンは、そう悟ると、龍族の今ある思いがこみ上げてきて、この神話の成行を観覧するであ
ろう龍族の長に託して、ひとつの語りを書いた。
龍族里長の嘆き
息子たちよ、よくお聞き。
これは遠い神代の物語。
ごたごた好きの侵略者が里にやってきた。
平和に慣れた里人がかなうはずもなく、
殺されたり捕らえられたり里の外に離散した。
里は無法者たちのしたい放題となり
捕らえられた者も抵抗できず、泣く泣く下働き。
こうして神代は暗い夜を迎えたのじゃ。
いっぽう地上では、知ってのとおり我々が、
生き物を束ねて豊かに暮らしていた。
そこに神代から、人類を下ろすとのお達しが。
神の似姿の人を下ろすとのこと。
神代の荒みを聞き及んでいた我々は真っ向から反対。
ごたごた好きの者がやってくる。
侵略に生甲斐を持つという者たちの似姿とはどんなものか。
我々は地上の自治が崩壊させられるのではないかと危ぶんだ。
こうして長きに渡って、抵抗が試みられたのだ。
だが、高徳の僧がやってきた。
世の移ろいを無常観を以て説くお方が。
文殊菩薩という名のお方。
生きる楽しみを享受しているばかりの我々に
無知ではなるまいと高僧は、一堂に集めて説法なさったのじゃ。
真新しい知識の泉。このような大きな世界があろうとはな。
婦女子や少年らは、目を丸くして聞き入った。
高僧に恋したのは婦女子ばかりではない。
王の姫君もあられた。
わしら古老は理想よりも今を尊んだから、いい傾向にあらずと
出向かなかったが。
だが、新しいタイプの有情も有情。優しく今までの生き物同様
慈しみましょうと姫君は、観音会を発起なされ、王を始め
多くの者が従ったのじゃ。
こうして人類はやってきた。
ここからは今の時代の物語。
だが、どうじゃ。神と生き物の二つを足して二で割ったという
有情は、生き物という自らの土台さえも壊し始めた。
神から受け継いだ知能が土台を壊していると分かって、我々は
やはりそうだったかと気付いた。が、すでに遅かった。
我々はもう一度文殊菩薩を招請した。菩薩は三昧境を出て立ち上がり、
見識を飛ばして地上のよすがをご覧じた。
三昧の空にかかる暗雲とはこのことだったかと、意趣を悟られ
ご自身の見識力のなさを素直に詫びられた。
菩薩は僧衣を脱ぎ捨て、やにわに甲冑に身を包むと、
操られる人類必ずしも悪しからず、哀しき有情の一に他ならぬ。
むしろ元の因たる神代の咎を糾しましょうと、
一命を賭して遣り遂げたいと仰せの上、
先頭に立つ決意をなされたのじゃ。
我々古老も感服した。
ところで我が姫君は、菩薩からいっそう教わりたいと、
自らも関わることを仰せられたのも、
観音会の主催者としての責任を感じられたからじゃ。
かくして菩薩は姫観音と契りを結ばれ、法力が発動して、
多くの神代の神々が復活の意志を鮮明にされた。
成さねばならぬは神代における大峠。
菩薩はかつての里の長たちや、会衆の味方を得て、
法力を携え出陣なされようとするとき、観音を、もしやして
戦場になるやも知れぬところには遣れぬと、
遺し置かれようとしたのじゃ。
妻は妻として家を守ってこそとの思いだったのじゃが、純粋な
姫君は、たえず傍に置くという約束を違えてまで、役立たずゆえ
離縁されたかと思われ、東海の実家に駆け込んでしまわれた。
王はそうはあるまい、様子を見ようとの仰せだったが、
それを聞いた兄龍は、やはり我々をたばかるものぞと
本拠に戻って大暴れ。千島海溝地震はこうして起きたのじゃ。
姫君の心は千地に乱れた。
というのも、婦女子に戦術をたしなむ者がおり、危険な役を姫から奪い
同時に菩薩の心をも一時奪っていたからじゃ。
戦士はお役目を姫君に返上しますと去ったが、菩薩の未練か
いつまでも抜け切らぬ戦士への思いに、姫の怒りと嫉妬
の心は絶望の淵へ。いっぽう慕う心が雲竜となり、菩薩の家の
周りを廻って探り当て、菩薩の胸に飛び込んだ。
本体ならばどれほど密度の濃いい身か知らぬものを、
淡い水滴の如き身体ではあったが、菩薩はそれを姫の形見の
お守りとして、胸の真ん中にはめこみ、そう姫に伝えておくれと
言い残し、いざ出陣と出向かれたのじゃ。
男、戦場に出るときは、妻に離縁を言い渡してでも、妻と実家の
安寧を願うものとぞ。
もし死して還らぬ場合でも、観音と会衆には咎及ばぬようにとの
計らいじゃが、我々とてもいちどは死んだようなもの。
かかる地上に未練はなし。菩薩に従い討ち死にもするものを。
だが、息子たちよ。孫たちよ。お前たちにはまだまだ未来がある。
地上のこれからは・・。姫の思いは・・。ああ、どうして差し上げたら。
古老のわしには、荷がかちすぎる。
大丈夫です、里長よ。このネアン文殊に任せてください。
龍族の姫君と共に必ず大団円へと導いて見せますぞ。
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このように救世の主人公ネアンは、インド渡来の文殊菩薩の雛形も演じており、太古の昔に人類が地球に移植される頃に立ち戻って、当時行われた龍族の教化というものが、果たして妥当だったかどうかを反省して語らせているわけです。
ご覧になればわかるように、生態系の守護者とも言える龍族が、人類の登場に際して激しく抵抗したのを、知恵の付与教化として文殊が説得に当たり、彼らを懐柔して、龍族の総帥である弁財天を中核にして合体して観音菩薩として、人類の守護に当たるようにさせていたわけで、この終局の時代において、雛形ネアンをして、その処置はまずかったと言わしめていることになります。
その書き手の私は、当然のことながら、龍族のシンパであることは言うまでもありません。神話的に言えば国津神の側に立って書いています。だから、幸福になる者の基準を一寸の虫のほうに置きます。
人類は地球を何十回も破壊するほどの兵器を量産し、いつでも使用可能の状態にしていることから、地球の守護者たちは非常に困苦しております。それを邪神たちは止めようとはしません。最初から使い捨ての大地だったのです。当然、維持に当たった国津神も使い捨てされることを感じ取っています。もうどんな生易しい教化も功を奏さないでしょう。私がしてあげられることは、新神話の力で彼らの封印を解くことです。まず、元の故郷で憩わせてあげるつもりです。
人間の胸先三寸から出る言葉ひとつで、地球生態系はおわってしまうどころか、再構築できるかどうかさえ危惧されるレベルです。今の彼らが、どれほどの苦境に置かれているか、人間の身においてすら窺い知れないとするなら、それはもう地球上に存在する資格がないと言い切るしかありません。ところが、人類のほとんどはその資格のない者たちで占められています。
いや、龍族の姿が見えないからわからなかったというのは、まだわかります。しかし、生態系がどんどん衰退していても、実態を無視し、環境破壊にいそしむヤカラで充満しています。彼らは自分の子孫の未来すら、もはや眼中に入っていないのです。企業の、あるいは国家の被使用人だったから仕方がなかったというのは詭弁です。そのような業種から足を洗えなかったのは、個々人の認識欠如の問題だからです。
すでに年末に揚げた第九章は人類にとって穏便なシナリオとして用意したものです。しかし、その他の終局を語る章は、すべて阿鼻叫喚の中に終幕することとしています。私は第九章の終幕の最も穏便なシナリオを採る気はありません。なぜなら、人類はあまりにも傲慢に過ぎるからです。それなりのエンドを用意するのが適切と判断しました。
有史以後の人類はそもそも、邪神がわざわざ世界を破壊するために送り込んだ環境破壊因子なのです。それまでにあった先史人類の遺伝子とはかなりかけ離れています。遺伝子組み換えによってもたらされた、世界の有情を困難に向かわせるための霍乱工作部隊であり、知能を獲得するに従い、凶悪化していく獣だったのです。
むろん私もその遺伝子を受け継いでいますし、認識欠如の症状を呈して、悪しき業態に就いていました。内心はこんな世の中、絶対よくないと思いながらも、人間関係の中にあると、そんなことは二の次になってしまったのです。
工業系企業はほとんどが邪悪です。しかし、お金を得なくては暮らしていけないからと、目を瞑らされてきたのです。
今でも大人口を抱える大企業は、彼らにお金を分け与える機関ゆえ、彼らの間では善良とされていますが、”合理化”による思い込みにすぎません。絶対的には極悪です。
地球の大地を支えてきた国津神たちはことごとく邪神たちの封印に遭って、メンテ要員となってきた経緯ですが、このたび封印を我々が解いており、順次故郷帰りを果たされているところと観測します。すべての神はここからいったん撤退して、この世界をたたむことにいたし、その間、邪神たちと人類の残存を皆無にして、もしやり直すのなら無菌状態から励起しなおすこととせねばなりません。
私はそのための最後のご奉公をさせていただく所存です。正神の皆様は、人類の進むべき方向を振り分けていただきたい。故郷に帰らず居残った者たちの魂は、邪神とともに焼却処分といたしますゆえ。
※ 私の創造していく宇宙では、かくのごときでありまして、みなさんの個々が創造するものとは異なるものとお断りしておきます。なお、拙シナリオ通り事態が推移しましても、私ひとりの責任において成就することであり、みなさんとの共有を目的にしたものではありません。被害を受けてはたいへんだとお思いの節には、私の創造宇宙から離れていてくださいますようお願いします。もし同調されるなら、それも可能ですが、自己責任であることを自覚しておいてください。

天狗さんたちも解放を目前にして狂喜乱舞していた

2004年頃には、麻耶山方面で天狗系UFOを何度もビデオカメラに収録しました。
このタイプは武良さんもよく撮っています。あるときには(取材ロケ日)別々のビデオカメラで同じものが、距離と角度を変えて写されていますから、ひとつのカメラに限った特異性ではありません。
https://ufocolumn.blog2.fc2.com/blog-entry-83.html
カラス天狗とでも言っていいのか。黒いはっきりしたシルエットで、シャッタースピード1/4000以下で設定したビデカメに写っています。(私はPanasonicMX5000で1/8000堅持)
https://www.youtube.com/watch?v=CgGrL6yFXlw
https://www.youtube.com/watch?v=TnqvsM-v8GU
カラスの形ではなく、三角やブーメラン形をベースに、飛行中にいろいろ変化します。
当時は、全国的にガードレールに三角形の金属片が生え出るという怪現象がブームになりましたから、関連あると思ったことも(というのは、彼らは写りたがるひょうきんなところがあるからです。目立ちたいのに、我々人間の側が認めようとしないから、コミが取れないでいるのでしょう)あります。
画面の範囲を2~10コマですり抜けていますから、現物を目視することはかなわないと思います。
1/30秒・コマ進捗のふたコマで前転しながら画面を抜けていく、連続するふたつのカラス様シルエットも撮れています。はばたいているかにも思えますが、こんな速度ではばたくことは実物のカラスには無理です。
写真(なおv02とv03の間には数コマの間合いがあります)
karasuteng.jpg
アニメは次に。
https://rainbow.xn--kss37ofhp58n.jp/general/ufo/boomerang2.htm
感度のいい人は気配は感じるかも知れません。(私は鈍感なので気配は感じず、あとでモニターで精査して見つけるわけです)
ひとつだけ、麻耶山頂の天狗岩のところにある石丸猿田彦大神の祠のところで、祠をよぎるように、5コマですり抜けるオバQのような白く淡い影を撮っています。これはたぶん、大天狗の神霊ではないかと思います。
ここに先端。(既出)
https://rainbow.xn--kss37ofhp58n.jp/general/ufo/boomerang2.htm
ここに終端。(既出)
https://ufocolumn.blog2.fc2.com/blog-entry-83.html
この麻耶山では、それを背景に、当時のメンバーみんな白球UFOや天狗系UFOを撮っています。
武良さんは、杖に乗った布袋さんのような姿を撮影。
https://rainbow.xn--kss37ofhp58n.jp/general/ufo/magician/magician.htm
その降りた先を直線的に辿ってみると、麻耶山頂だったというわけで、ここに何かあると感じた私は単身現地に行き、大天狗さんを撮影させていただいたというしだい。
このとき探査したその他顕著なこととして、なぜか三角寺の看板が祠の傍に落ちていたこと。これは手がかりになります。
三角寺は四国八十八箇所第番の札所。空海が開いたお寺ですが、ここで密教最強の呪封術、三角護摩壇法が空海によって執り行われたとされています。そして、麻耶天狗は麓から上がってきた僧侶の三角護摩壇法によって、天狗岩の下に封印されてしまったと伝承されているのです。さあ、この僧侶とは誰なのか。
また、白球UFOはキリストをテーマとして出現した感があること。空海はむかし、麻耶夫人像を麻耶天上寺に奉納したとされていますが、近世になってマリア像のような麻耶夫人彫像が設置されているのです。その腕に抱かれるのは子供。釈迦であるはずがありません。なぜなら産み落としてその傷がもとでなくなっているからです。マリアとキリストに違いないのです。
こうしたことから麻耶天上寺に隠された秘密も垣間見たような気がしたわけです。
それはどんな解釈か・・・は、またのお楽しみとしておきましょう。
新神話では、古代に盛んに行われた”殺して祭る”をさらに悪質化した”殺して呪封する”という凶行の被害者たちを救出し、手当てするところまで描いています。そして彼らに、悪質な虚構のゲーム世界から優先的に離脱を図ってもらうことを推進しているしだいです。彼らがおろかな復讐に手を染めないように。ただ、癒しの故郷に戻ってもらうべく努めています。
ちょうど2004年頃は新神話創作に熱意を傾けていたときです。第八章あたりを作っていたでしょうか。第七章で完成形にしていたのですが、イナンナの離反でシナリオ変更が必要になっていたのです。アシスタントの役割を引き継いだのはカンナオビ。再構築がなされつつも、すでに決まったシナリオの中に、有情の解放が備わっていたのです。
彼らが超能力で察知して、狂喜乱舞していたとしても不思議ではありません。

今朝明るくなってから見た夢は・・・

昨晩から、5匹の猫たちがさんざん暴れまわり、私もふだんにない動作をして(ハザマ間平さんの怒りズッコケ)、みんなを威嚇して収まらせたのですが、そうして大人しくなったあと、4匹の猫たちは別の場所で眠り、黒猫ブーが私の寝床のほうにやってきて、コタツの中に入って寝たのです。
最近のブーは私とともに寝るときには、脚にからみつくようになっているのですが、今朝は言うに言えないところにくっついているのです。そして見た夢が、言うに言えない夢だったというわけです。
簡単に暗号化して言いますと、次に書いています神話的故事と同じで、まさかオス猫がと意表を突かれたようなことでした。が、これも化身であって、本体はわからないわけですから。
https://ufocolumn.blog2.fc2.com/blog-entry-85.html
ブーは10時過ぎの屋根上点呼にくたびれた様子で遅れて出てきたので、お疲れさんとマッサージしておいてやりました。
ブーは幼い頃こそ、夢見る空飛ぶ猫で、私の視野に何度も豆電灯の周りを飛ぶシルエットとして捉えられ、魔法使い猫のようだな、黒猫はそんな傾向があるのかなと思っていました。大きくなって最近はそのようなことは皆目だったようなことですが、ディアナは魔女のルーツですから、なにも不思議ではなかったということ、いっそうはっきりしました。
さて、うまくいっていたなら、いずれアラディアが登場してくると思うのですが、これで魔女が揃い踏みすれば、新神話の成就に大きなプラスになるに違いありません。

ちょうど一年前の今日の記事

私にとっての911は
ちょうど一年前の今日、2009.9.11は、奥津嶋姫の化身という方からの夢見の投稿を解読して差し上げたのでした。
https://ufocolumn.blog2.fc2.com/blog-entry-755.html
私はこの方の夢見のメッセージを新神話に取り込もうとして、当時のコメンテーターで窮迫されていた方の救出に、ふたりで当たろうとする意味ではなかろうかと解釈したのでした。当時の記事の赤字部分は私の解釈です。
ところがこの方は、夢で救出したのは自分自身だと、私に抗議されたのです。
何不自由ない方なのに、どうして救出が要るのか。私は、まさかの意表を衝かれて、答えるすべを見つけられませんでした。
私は、彼女の与えてくれたメッセージにシンクロさせて、確かにある方の救出を完了させることができました。これは私だけでなく彼女の成果でもあります。
しかし、彼女は別のシナリオを彼女自身の神話空間に設定したようです。
それゆえやや遅れて、彼女は自身を解放する時空に導いて、早逝されてしまったかと思います。
人(有情)はみな(ダミーは除いて)、それぞれの自分の世界の創造主です。
それぞれが神話をイデア界に設定して、そこからのパラフレーズを受けて、結果を査収するのです。
この方と共同で新神話作りができたことは、実に稀有で幸運なことでした。
何せ、もとが神様ですから、新神話に莫大な実現力が生み出されたのです。シンクロ事象が矢継ぎ早に起こり、やっていることが異界を鳴動させていることを実感する日々でした。
私は自然に、さまざまな神々の雛形を受け持つようになりました。
新神話で新たなシナリオを設定する。そのために彼女に、このようなものを手に入れてほしいと頼めば、それを彼女は手に入れてくる。そればかりか本人は何も知らずに、新たな神の雛形も併せて手に入れてくるという、ボンドガールどころの騒ぎでない働きをしてくれたのです。
こんなことがありました。
私の誕生日が近づいたある日、彼女はショッピングモールかの懸賞に当選してしまい、ハワイ旅行を射止めたのです。何かお土産を誕生日プレゼントに買ってくると言ってくれたので、私は海岸べりに落ちている石ころを所望したのです。それは当時、彼女を東の青龍でかつ竜宮乙姫と設定し、私を南の朱雀でかつ浦嶋と設定していたものですから、日本神話的には豊玉姫と山幸彦の設定となり、必然的に乙姫の潮満潮干玉がいただけたらという話になったのです。それはたとえ石ころでも、東海の竜宮にあった玉として見立てることができるから、というわけでした。
それに加えて、どこぞかの神話に、国常立神(ウシトラノコンシン)も乙姫の玉をもらって世の建て直しをするという話もありましたから、この乙姫の玉は新神話にとって幾重にも重要なキーとなるはずのものだったのです。
果たせるかな、彼女はお土産を持って帰ってくれました。ただし、現地の自然のものは何一つ持ち出せないので、チャイニーズショップでトパーズの3cm玉を買い、欧州雑貨店で人形を買ったといい、その二つをくれたのです。
黄色の玉はまさに乙姫の玉にふさわしく、それに対して祈れば、どんな邪悪も(特にいじめ系の)縮小殲滅させることができると信じられるものでした。奥津嶋弁天が乙姫としてそれをくれるのですから、どんなにパワーがあることでしょう。
私は新神話を人間のだれかれに見せずとも、彼女一人に見せてオーソライズされれば、神話空間にあまたの神話あるといえども、それらをことごとく凌駕して、この新神話が主導的にこの世を牽引していくに違いないと踏んだのでした。
もうひとつのお土産の人形は、七対の羽根を持つ天使像であり、胡坐をかいてひざの上に黒猫を抱いているというものでした。これも彼女が何気なしに選んだものでしたが、それを見て驚愕したのは私でした。
Luxifer.jpg
これはルシファー像なのです。それも、キリスト教によってサタンへと貶められる前の、太陽神だった頃の神像なのです。どうしてそうと判断したか。
ちょうど、この少し前に、女の魔法使いが二人出てくる不思議な夢を見たというGさんという方が、その夢解釈までを、いろいろ調べものをして教えてくれていたのです。どうも夢に見た二人の女は、古風な魔女衣装を着ていたので、イタリア先住民の神話にいう、ディアナとアラディアのようだ。彼女らが旋律のない言葉だけで、ドシドレシラドシドレシラソドミドレシラドシドレシラドシドレシラドレシドレシラと口ずさんで踊っていたのだが、それはある神(ルシファー)をなだめるための歌だったのではないか。Gさんは、博識にも、リーランドの「魔女の福音書」という伝奇に言い及びました。
かのルシファーとは先住民の太陽神であり、その妻のディアナがかまってもらいたくて、ルシファーの好きだった黒猫に化身して交わり、生んだのが先住民の守護神であり魔女の源流であるアラディアだったという。ところが猫になってまで近づいたことに怒ったルシファーは以後、ディアナを相手にしない。そこで魔女の母子は、歌を作って歌って、ルシファーの怒りを鎮めたという。先の音階の読みはその歌ではないかと言うのです。
私はそれで、DTMでそれを旋律にして曲に組み込み、歌詞をつけました。
https://rainbow.xn--kss37ofhp58n.jp/watch/aradia.htm
(なかなかきれいな旋律でしょ。Gさんも、こんなふうになるんですね、と驚かれていました。夢では棒読みの音階を聞いただけというわけなので。その話を最初に私のもとに持ってきてくれるというのも不思議なことです。さて、リーランドの説く先住民の儀式、ベネベントの遊戯が日本に渡ってウエサク祭に反映していると見るのが私です。⇒https://ufocolumn.blog2.fc2.com/blog-entry-501.html)
その後に彼女からルシファーの天使像をもらうというこの順繰りのすごさ。しかも誕生日プレゼントなのです。
なお、この天使像、ネットで同じものがあるか調べましたら、量産も複製もされておらず、その場の作者の発想の任意による作品であり、作者自身がルシファーを作る意図を持って作ったわけでもないようです。
またそれを、前知識なしに選んでくる彼女にも、何の意図もなかったのです。
ただ、シンクロ現象としてのみ不思議は起きています。
乙姫の玉とルシファー像を同時プレゼントされたということは
プレゼント主は弁財天なのです。化身の顕在意識がいかに無知でも、為された行為には大きな意味があるはずです。
その時点で、私の受け持つ雛形にルシファーが加えられたことは言うまでもありません。
しかも、今まで関わってきた毘沙門天(金色太子)、国常立神(ウシトラノコンシン)、サナートクマラ(金星王、大天狗、大魔王)は、ルシファーと同体だったのです。しかも太陽神ルシファーを介して、エジプトのオシリスとも繋がり、邪神によって封殺された国祖神たちが居並ぶことになるのです。
オシリスもウシトラノコンシンも復活前までは冥界の王です。サタン呼ばわりされているのも頷けます。
しかし、真に復活するとき、もともとの邪神はことごとく駆逐され、正神として返り咲くのです。
雛形的には、コンシンは乙姫の玉も受け取っています。世の建て直しが始まります。

さきほど、身内さんの視座に

午前7時半頃、椅子に架けていたスエットパンツをはいたとたん、右脇腹のぽてっとしたところを、こないだの蜘蛛に、ちくりと咬まれました。私は視野の右端で影のようなものを捉えたもので、何であるかはわからず、ムカデでも?と思って叩き落としたのですが、床に落ちたそれを見れば、壁にとまっていた身内さんの視座ではありませんか。思いは遂げられましたかな。
つぶれていないかとチリ紙でつつくと、それにつかまってきます。猫たちが傍にいたので、これはまずいとベッドにあげて、動画の記念撮影としゃれ込みました。咬まれた箇所は、少し痒くなっただけで、すぐに収まりました。
https://www.youtube.com/watch?v=qw9RS8DuxB0
どうも女郎蜘蛛のようで、伝説の絡新婦の雅さです。
「江戸時代、美女の妖怪(絡新婦)が男を人気のない小屋へ誘い琵琶を弾き聞かせるという。男が美女の姿とその琵琶の音にうっとりとし、油断している隙に蜘蛛の糸を出し巻きつけ、男を喰らうとされる。
絡新婦はもともとはクモで齢400歳を迎えると妖力がついて、人間の女に化けるとされている。その容姿は、見る者を魅了するほどの絶世の美女だとされている」
白龍であったり、青蛇であったり、亀であったりと、いろいろなものになった身内さん。とうとう絡新婦となら、私はあえて琵琶の音に痺れながら食われてみたい。
そういえば、弁財天も琵琶を奏でておられたですな。
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奥津嶋弁財の琵琶音にほろ酔ひつ蜘蛛の巣寝床で昇天したや