七夕というと天の川・・・にまつわるあべこべ物語を一席披露・・・神話編(Ⅴ)

天の川とは天の安の河のこと。古事記ではそう書かれます。そこを舞台にした神話のひとつに「誓約(うけい)」の段があります。
物語化してあるサイトをどうぞ参考に 
https://www5c.biglobe.ne.jp/~izanami/monogatari/09.htm
天の安の河の両岸に立って、アマテラスのものざねとスサノヲのものざねのそれぞれから子供を設けるときに、アマテラスのものざねからは五男子が生まれ、スサノヲのものざねからは三女子が生まれたといいます。ここにアマテラスは男子が生まれたことにより勝利を確信し、スサノヲは女子を得たことで勝利を宣言するという、相互の価値観の矛盾が示されています。古事記全体を通してみれば男子優位を謳うことは明らかなのですが、その元にあるアマテラス自身が女神であるという矛盾を圧して、古事記は成立しているわけです。
もういちどホツマツタエに戻れば、アマテラスの子として登場するアメノホヒは、反逆者持子の子です。古事記では瀬織津の子を長男に仕立て、ホヒを次男に据えて後継候補から除外し、後に失策させることによって神界から追放するという展開にしてあるわけです。いったんは男子優位の矛盾を解消すべくアマテラスの子に含めたり、後で追放したりと、国書編纂上の改変の荒業をいくつも行っていることが見て取れることでしょう。ならば後に論議を呼びそうな矛盾の最たるアマテラスを男神としても良かったのではないか。それ以上に、アマテラスが女神でなくてはならない理由があったのでしょう。
たぶん卑弥呼が大きく関わっていたことでしょう。と同時に、秘教的に瀬織津姫を陰ながらトップに据えたかったからと推理するのです。秘教組織は創作物に必ずお里の知れる痕跡を残すのです。たぶんわざと。
私が宮廷内で黒煙の上がるクーデターを目撃した夢を見たことは、すでに書いたことがあります。それはどうやら神界の宮殿での出来事であって、そのとき私は柱の陰で不安そうに佇む身内さんを見ているのです。衣装からすると機織女かと思うも、あまりの美しさに気を引かれたのですが、よもや奥津嶋の姫君であろうとは。高貴なお方でも未婚の娘時代は様々な研修に励まれているのでしょう。
私はそのときどのような役回りの参内者であったかは知れません。が、女官たちと連携して、なにやらたくさんの重い資料を運び出す手伝いをしていたのです。だから、少なくともクーデター首謀者側ではありません。その後、危難を避けて多くの有志と共に避難体制に入ったと思われます。そしてこの世界に、どれほどの時と転生を経てか辿りついたものと思われます。が、すべては霊が記憶していることであり、私はおぼろげにこの推理に納得しているだけの者です。多少の錯誤はあるかもしれません。
弁天様はなぜ湖中や海中にばかり御座所があって、陸から離れ、孤独でいらっしゃるのか。
父母が姦計によって陥れられた不遇と、諸神の冷酷な視線に遭って、孤高の境涯に甘んじておられるのでしょう。
あるいはまた、暴虐な男神たちの懸想、言い寄りを避けて、然るべき頼れる神が現れるまで、貞操を保とうとされているのでしょう。
私はそんなこととは何も知らずに、弁天様の仏像に向かって結婚を申し込み、それなら相応しい男神になれとてか、弁天様の化身との相互作用を通して、神話の男神のいくつにも磁化されたようにして雛形を演じてきたようなことでした。結果は、恋ロマンについては及第だったでしょう。が、弁天様の様々な汚名を晴らすことまではまだできていない状況です。それが満たされなければ、弁天様が私を頼ってくださった意味がなく、共に力を合わせてでも、やり遂げねばならないと思っていたことなのに、すでに化身はこの世になく、その前の市寸嶋姫の化身とて自身の役をこなすのにやっと。私ひとりでどこまでやれるかといった状況に顔を曇らせています。
早々に私も逝けば良かったのですが、自分から臆してしまい、姫君からは嫌われるに違いないと思っています。
2007年1月14日未明に、雲がみるみる白龍の形になり、私の家の周りを旋回してから窓を開けて、佇む私の胸めがけて飛び込んできた夢を見たのですが、その感動を身内さんに言うと、「それは私よ」と即答して返してくれたのでした。そして、場所を知っているから、飛んで会いに行けるのよとも。
あのときの白龍はちょうど北面を進むとき、夕陽を浴びて頬を紅潮させたときの横顔が、まるで精悍なサラブレッド馬のようでした。夢の中ですら感心しながら、龍の横面は馬そっくりなんだと気づいたようなことでした。
しかし、千と千尋の神隠しに描かれるハク(白龍)も苦悩する神であったように、身内さんも心的外傷を抱えたような弱いところがあって、私が当時、ブログで何人ものコメント投稿者のお相手をしている頃でしたが、彼女は夢の中で、意識を飛ばして私の家にやってきたものの、家の中に何人もいて、意見を言い合って騒いでいるので入り込めず、窓の外で滞空していると、中から一人が気づき、みんな注目して、彼女のことを悪し様に罵ったため、彼女はいたたまれなくなってその場で小さく縮こまっていたところ、空から観音様が降りてきて救ってくれたという話をしてくれました。私までその一同に洗脳されたように思ったと、厳しく非難されました。私は、そんなことはない、私が啓発されるときにはシンクロという不思議を伴うから、印象に強く残るのであって、君からのそれは格別であり、よその話を見たり聞いたりして触発されたりしたのは若いときだけで、つまらん出費や労力を伴うものだったから懲りてますよと、弁解したものでした。
私のブログ内での交友関係を、私の家の中での有様として見てしまうのは、私の心の中に深く入り込んでいたからでしょう。また、普通人ならそこまでの思いになるほどのことでもないのに、彼女には強く出てしまうような心的外傷を負っていることも見て取れました。その外傷は平和な生い立ちにあったのではなく、それ以前の神のときに負った傷のようでした。私は、どう慰めてあげればいいのか、再度突き放したような関係になり、絶望して去ってしまったとも思えますし、今となってはもう会話することもできないのです。
ただ私に努力できることは、新時代への早い移行を正神諸神に祈ること。その中で、神々の汚名が晴れることを願うものです。

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