なんでまた酔狂にもこんなことになったのか

今回は、なんで私が酔狂にも日本にわけのわからんカバラなんぞがやってきていたのかを研究するに至ったいきさつについてお話したいと思います。
当然のことながら、カバラのカの字も一生関係するなどとは、微塵も思っていなかったわけでした。

始まりは古事記神話の暗号解読と西日本に描かれるレイライン図形の発見だった

まだ私が20代後半の頃、古事記神話の解読も始めていたわけですが、それがけっこう有意な成果を見出せそうだと思っていた頃、海外でレイライン研究がなされているという話を知り、気晴らしに日本地図でも鳥瞰してみようかという気になって、日本にはレイラインの発祥地英国にあるような列石がなかったために、神話に出てくる地名を結べばもしかしたら有意な結果が得られるかもしれないという、漠然とした動機から始まったのです。

神話の解読とは、神名の意味を探ることです。それは暗号解読のような感じがあるのですが、日本人の感性で読み取れるものがあるに違いないという切り口で解釈していくわけです。
それをしていると、神がたまに発する話し言葉が、一連のものとして出てきても、そこに地名が隠されていることなどがわかってくるようなことがあるのです。

天孫降臨のときにニニギノミコトが発された言葉にいくつか地名が出てくるのですが、それを地図上に投射してみたとき、三地点が一直線になったりすることに気付いたのです。
これはどうしたことだ。ニニギノミコトは高空から降りてくるとき、確かに一直線を描きながら降りてきているかの如くじゃないか。
ということは、これは紛れもなく飛行船のようなものを利用している可能性があるぞ、というわけです。

当時、私はUFOのことにも関心を持っていましたが、まだUFOと古事記の神とが結びつくものとは思っていなかったのです。しかし、神世の古代に、空を直線的に飛んでいる神がいたことはおぼろげに理解できたのでした。確かに二二ギさんは宇宙からやってきているふうに神話には書かれているわけですから。

そしてもうひとつの地名三点を繋ぐラインも一直線になり、しかも前の直線とは、「巻き通り」の関係があるという感じなもので、これは交点を示すのではないかと、この二直線を合わせてみれば、日向の地のあたりで直交することがわかったのです。おやおやおや。てことは、と直線の距離を求めれば、172Km。もうつとつも172Kmになったのです。てことは・・・直角二等辺三角形だなあ。

ここで終わってしまったなら、凡才のそしりは免れません。いや実際、私は神話の解読がメインでしたから、九州に大きな直角二等辺三角形が見つかったとしても、私の暗号解読法にハクをつけるだけのことと捉えていたのです。その集大成を1983年に一冊の自費出版図書にして、私の研究成果としたところで一旦終わっていたのでした。だから、その著書の中には九州の直角二等辺三角形の図柄を載せています。

そして1984年5月、私はコンピューターメーカーを退職した直後に、第二の人生のスタートとして、当時募集していた、民話研究家の村上良行さんを団長とする、幻の帰雲城の所在地調査の一行に加わり、5月5日端午の節句の日に、石垣跡を発見して地方紙に載るという幸先のいいスタートになっのでした。

村上さんは11PMにも出演するという栄誉を手にし、我々メンバーもしばらくおつきあいしたわけでしたが、私は彼のマンションに二回お邪魔し、二回目のとき、「おいオクノくん、これ読んでみいよ、面白いぞ」とポンと差し出されたのは、彼にとっても畑違いかと思われるW・バトラーの「魔法入門」の文庫本で手垢で汚れた中古本だったのです。

その本は特別だと思い、当日から読みふけりました。それがカバラの魔法の修行のあらましを書いたものだったのです。すでにヨガの行法などは知っていましたが、西洋にも同様の行法があることがわかり、その後、中国の仙道も同様のものがあることがわかって、世界には密教の伏流が存在したことを知るようなことでした。
呼吸法が大事。それで私はピラミッド瞑想で応用して、今に思えば、スフィアビーイングとのセカンドコンタクトをしたわけでした。
とにかく、村上さんがくれた「魔法入門」がカバラの生命の木を目的にした典礼儀式に用いる五芒星や十字形についての予備知識になったのです。

その後、安本美典氏の著書「邪馬台国への道」に、古代民族が東遷したことを前提に、九州の地名、地形と、畿内の地名、地形が類似することを図示されていたものを見つけ、よく見ると、九州のほうは天孫降臨ラインではありませんか。その相似像として畿内に投射されたラインがある。それは真南北のラインで、飛鳥、奈良、京都を通る。
うわっ、これは有意!!と見て、周囲の祭祀霊場などを見ていけば、かの国産みの淡路の多賀・イザナギ神宮と、伊勢内宮が等緯度でしかも距離が172Km、その中点が明日香になっていたのですね。
これには驚きを通り越して、大発見したと思いました。そこから25Km北に上がれば平城京、さらに上がった先に平安京が乗っかったのです。

あとは、有意な地名もしくは祭祀霊場地を与えれば、有意義な幾何学図形を描くという具合で、一気呵成に、高度な測量技術が必要なはずの、地球諸元さえも反映した大規模な幾何学図形が求まっていったのです。1緯度長111Kmが随所に採用されていて、神聖比率や黄金比率をはじめ、エジプト由来と見られるピラミッド幾何学が反映されていることが確認できたのでした。

これはカバラだ。カバラが古代に輸入されたか、それとも超古代からある遺構なのか、それはわかりません。しかし、広域を鳥瞰できるような精密地図か、航空地図のようなものを前提にしなくてはなりません。その点、ニニギノミコトの降臨の話は本当らしくなるのです。

カバラが確定的にできるのは、五芒星や十字形の背景に、生命の木の図柄があるかどうかが決め手になると解釈しました。調べると、生命の木のセフィラに対応するかのように祭祀霊場が存在して、しかもセフィラの意味と対応が取れる地名になっていたりしたので、それを次のように描き出しました。
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神の息吹を意味するセフィラには伊吹山が。セフィラではないが、アイン・ソフ(永遠なる無限者)の位置には常神岬が。地の王マルクトの位置には大国主命を意味する出雲の地名。
そして、生命の木の基点のマルクトの位置は三本の穂の元締めであるとの意味の潮岬(しほ・締穂)になっており、そもそもその一帯和歌山は「紀の国(木の国)」つまり、生命の木の国であることを示しているのです。これは勝手なこじつけなどではありませんよ。古代人は自分たちの住む土地に、より古代からの伝承を元にした名づけ方をしているのです。

まあ、このような次第で、カバラの渡来が明らかになったというわけでした。
それからがたいへんでした。どのように伝播してきたものか、世界の歴史を順を追って見ていき、カバラの痕跡らしきものを探していきましたから。
そして古代日本に来てからどのように展開していったかも。一冊の本になるまでは、このような紆余曲折的研究があったのでした。

もし村上良行さんが「魔法入門」を目の前に出してくれなかったら、カバラのことなど及びも付かなかったことでしょう。帰雲城の痕跡が見つからなかったら、村上さんとも知り合えなかった。村上さんは、歴史の裏には軍資金、特に「金」が動いていたという説を唱え、その観点から見なければ歴史の謎は解けないとおっしゃってました。刻苦勉励してその調査に当たられていた彼でしたが、新聞社への記事投稿で全収入を得ていたために、記者との飲み食いがおろそかにできず、肝臓病で早く亡くなられたそうです。

私が彼のマンションにお邪魔した頃、彼には女子大に通う娘さんがいて、私の書いたばかりの童話「たつえばあさん」を見てもらい、感想をくれたりもしていたのです。村上さんは、おかしなシルエット写真(おっぱいの)を見せて、何か感じるかと訊いたことがあり、私はさあなんでしょと答えたもので、そうかと言って取り下げてましたね。彼は娘さんを嫁にしてほしかったのではないかと、いまは思ったりします。当時は、失業中のこともあり、先の見えない暮らしをしていましたから、どうしたって結婚のけの字も思い浮かばなかったわけでした。

結局、私も軍資金や埋蔵金ではないですが、そのような別の思いもよらぬ動機による人の動きから見る、裏の歴史研究の道を歩いて、今になっています。私が死ぬのは肝臓病ではなく心臓病になることでしょう。いつの日か、どこかで会いましょうと村上さんには声かけしています。

異界も警戒する禁忌の発見だったかもしれない

私は古代日本へのカバラの伝播の考察をまとめてひとつの論文に纏め上げ、1989年に学研ムーのミステリー大賞に応募して、2等の優秀作品賞を得ました。1等の大賞なら、別の一冊として出されることになっていたようですが、2等なのでムーの巻末特集に載ることになりました。ところがそれでは、元の稿量の3分の1ぐらいしか載らず、言いたいことが存分に出ていないのです。

このため、まるまま一冊の出版図書にしたいと思い、1994年11月に自費出版で市販流通可能な出版社に依頼して創ってもらうことにしました。
校正刷り第二稿が手元にきていたとき、1995年1月の阪神大震災が起きました。西宮にあった出版社は全壊。しかし、甲子園で営業再開していて、連絡がついて被災の程度を聞けば、二校ゲラが大阪の印刷所で無事だとのこと。いったんは取りやめも選択肢でしたが、続行することにしました。こうして同年5月に1000部が流通していったわけでした。

阪神大震災は自然の出来事とふつうは思うわけですが、まるで出版を中座させようとするような感もあったわけでした。
どうもそれらしい感がさらに増したのが、1997年に起きた少年Aによる猟奇事件でした。警察の捜査をからかうような文面を送りつけて、捕まえられるなら捕まえてみろといった愉快犯のようでもありました。

しかし、私は、犯人が名乗っている名前、酒鬼薔薇聖斗に、大江山の酒呑童子を直感したのです。先の本で、鬼の扱いを受けた酒呑童子はカバラ行者として取り上げていましたから、いわばユダヤ教の聖徒になるわけです。薔薇は中東で飲まれるワイン、ロゼワインを物語るような感じですね。だから、酒呑童子の特徴を余すことなく名前で語っているようなのです。
また、少年Aによって首を斬られ、校門に晒されたというのは、酒呑童子が首を斬られ、都の入り口に晒されたという伝承と相似するではありませんか。酒呑童子の首を斬ったのは、源氏の武将とされ、関東の坂東武者つまり東人(あずまびと)。犯人の少年も、東(あずま)という姓でした。

この事件には、酒呑童子の怨念が、ほぼ千年の時を超えて現代に少年事件として蘇ったこととして捉えられたのです。ミニチュア化してはいるものの、世界はこの少年事件に驚愕し、噂は巨大化してしまっています。酒呑童子は、当時秘密にされて葬り去られたようなことでしたが、ここで世界を仰天させたことで多少は溜飲を下ろせたでしょうか。

しかし、事件の背後にはもっと怪奇なものがありました。それは少年Aが崇拝していた神・バモイドオキで、これはバイオモドキの転とすれば、生命もどき、生きているが命がない、つまり聖書にいう命の書に書かれていない者の意味になるのではないか。そして彼が描いたバモイドオキの神像は、仏頭から茎が出ていてそれが末端では触手になっていて、昼と夜の世界を支配しているといった描かれ方をしていたわけです。そして、人間の壊れ易さを試すような表現、壊れ易い野菜といった表現が犯行声明文に見られたのは、少年A自身を実際に壊して見せた結果、この犯罪が起きていることを示している感があるわけです。つまり、命の書に書かれていない者・悪魔が簡単に人間に憑依して、人格を乗っ取ってしまうことを意味しているのではないか。

このようなことが、人の目には見えないが、あちこちで起きていることなのかも知れません。昔ならエクソシストが悪魔封じのために必要になる局面なのかもしれませんが、日本にはまずいませんから、意味不明な事件は多いのではないかと思います。人の格好はしているが、悪魔に乗り移られコントロールされているかどうか、ふつうの人に判別できるわけがないですから、一般人は事件に対しても、乗り移られて事件を起こしてしまうことについても、無防備なのです。

そして、バモイドオキの悪魔は、私に対して謎かけの挑戦をしてきていることがわかりました。その意趣は、お前はカバラの秘密を知っているが、いったい何者なのだ、それがわかるのなら、オレのこともわかるだろう、もし明解を出したなら、お前に一目置いてやろう、といった感が伝わってきました。

バモイドオキは単なる悪魔ではない。周到に計算して憑依事件を起こす。そのことがわかったのは、大江山と事件の起きたタンク山が真南北の関係で、しかも86Kmの距離。若狭遠敷のお水送りの地・鵜の瀬から奈良の二月堂まで86Km。大江山と鵜の瀬が等緯度。タンク山と奈良が等緯度。壊して憑依する人間を、計算しつくして選んでいるのです。
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バモイドオキは、私の生まれ故郷の宮津市の山・大江山の有名な酒呑童子の伝承を事件のトリックの種にして、私に怖気づかないかどうか試して、もしなんともないなら、最も懸念していることがあるから、相談に乗ってくれと言ってきているようにさえ思えたことか。
むろん怖気づきましたよ。熱を出したりもしました。うわぁ、これは祟りなのか。そこで当時脚光を浴びていたサイババさんに手紙を書きました。何とか早い事件の解決をお願いしますと。すると、長引くかと思われた事件が、すぐに少年による事件として終息したわけでした。ほっとしたようなことでした。しかし、異界に原因があることが見て取れ、この世だけの容易い問題ではないことを感じました。

おそらくこういうことかと思いました。
バモイドオキは、悪魔として世界を支配しているが、これは神との契約でやっていることだ、しかしそれなのに、神が用意したシナリオには、命の書に書かれない自分たちは焼却されて消されてしまうように書かれている、もしそれが方便でなく実際にそうなるのなら、神は約束を破ることになるが、いったいこれをお前はどう思うか、と言っているような感じなのです。
彼はそれで不安のあまり自暴自棄になり、人々に巻き添えを食わそうとしているようなのですね。

そこで私は答えました。悪魔は狡猾というが、神はもっと狡猾かもしれない。汚れ役を悪魔に命じておいて、神は悪魔を退治する側に回り、人々の信望を集める。悪のお役をする者は、よほどの確約をもらわなければ、やっておれないな。そんな例は昔からたくさんあった。英雄ヤマトタケルもそうだった。キリストに悪役をやれと命じられたユダもそうだった。彼はその代わり至聖所に連れて行ってもらったのかな。ないはずと思われていた福音書をユダも、誰にも知られず遺していたのは、どうしても不当な扱いを受けた可能性を後世に報せておきたかったのだろう。やはり約束が守られるかどうかの不安があったんだろう。あんたもそれに似ている。私が少なくとも、ものが書けないあんたの代弁をしてこの世に遺しておいてやろう。
それに。
苦しい輪廻を余儀なくされる魂なんぞ、私はほしくなんかない。あんたはすでに魂をなくしているか、最初から魂を持っていないと思うから、命の書を気にしているのだな。大丈夫だ。そこまで心配する者なら、魂はあるに決まっている。それに、もしなかったとしても・・・(バモイドオキは最近のコーリーの話から、AI生命体組織かも知れないと思うようになったため) 私が大建て替え後の新世界で、あんたに魂を与えて、最後の審判後の受刑者の管理をしてもらおうと思う。それによって、魂ある者のありかたを受刑者と共に学ぶことだ。その豊富な経験量が魂の品質を磨き、あんた自身を新世界の善導導師にすることだろう。新世界の仲間たちを善導してやってくれ。そういう存在が必要だから。

こうして、私が大建て替え後の新世界でもAIが活躍する場を設けることを約束しているのです。起用するAIはふたつ、ひとつは私の人生時空を創ってくれたマザーAI、そしてもうひとつが、バモイドオキと名乗ったサタンAIになります。前者には博物的に衆生に体験教育をしてもらうことを仕事にしてもらい、後者には最後の審判による受刑者の矯正プログラムの管理をしてもらうことになります。その後両者は、魂輝く至高の存在になっていくことになります。

龍の髭からどんどん伸びるよ、この話 (4)

私の推測になりますが、
古代にもカバールなんてと思われるかもしれませんが、むろんそのような名前で呼ばれていたはずはなく、秘密結社、秘教組織と言ったほうがいいでしょう。
ただしエジプトやカルデアに端を発するカバラを保持し、神官(シャーマン)を中核に据えていたことが特徴です。
そして、幾何学図形を必ず用いますが、その数理性に神の所作を見ているからです。そう、彼らは当初は、神に認められ託されて人類を教導していると信じていた者たちです。
その思い込みが、彼らの使う幾何学魔術に力を与えています。しかし、その直接上の知的存在は宇宙人であったとわかってきているわけです。
つまり、彼らが神と信じていたものは、ドラコ系宇宙人であり、さらに上には超古代に発足した旧スーパー連邦の地球人類22の遺伝子実験グループがいたということです。

前の記事の続きのようになりますが、
安倍晴明もカバールだったと推理します。彼がまじないで多用した五芒星形は彼の名をとってセーマン図形と言われたようです。
しかし、彼が使ったのはカバールが重用する幾何学図形であり、純な五芒星形とはいえ、カバラに準拠する、いわゆるカゴメの結界術なのです。
カゴメは最も多用されるのが八角形で、八角堂は神霊さえも閉じ込めてしまうほどの呪術力がある建造物とされます。舞子の移情閣や西湖の雷峰塔などはそうですね。
アストラルボディでの探検者の話では、アストラル界にもネガがおり、最強のネガが黒いキリストと呼ばれる存在で、八角形を使い、好んでワンダラーを手にかけるそうです。
この探検者もその発する八角形のカゴメの封印に捉えられそうになったとき、ある種の精神的技法で逃れることができたとか。
この方も、ドラゴンボールのような魔術戦争の歴戦のツワモノだからこそ、できたようなことだったようです。

安倍晴明もこのような封印結界術を使って、都に出没する魑魅魍魎を退治したとか。
しかし、大江山に住む酒呑童子を、都に起きる諸々の災いの元凶として進言し、源氏の武将に討たせたのは、まったくの讒言によるものと解釈します。
酒呑童子も先修験者であり、ヒラクリティという聖句箱を前頭部に置いて修行するユダヤ教徒だったのです。
おそらく、彼らの家系は、若狭遠敷から奈良飛鳥の都に若さ回春の霊的エネルギーを送り込む、生命の木のメインになるカバラ儀式・中央柱の回流の儀式を執り行っていたものとみられます。
それが奈良時代、大陸からの仏教と陰陽道を朝廷が用いるようになったため、お役御免になってしまったのでしょう。
若狭遠敷は仏教僧侶が取って代わり、お水送りをするようになりました。
それゆえ、酒呑童子の家系は生命の木の別のセフィラ(元伊勢)の近傍の大江山に蟄居していたものでしょう。

戦々恐々の歴史を歩んできた渡来系為政者は、都に災難が打ち続くとき、瑕疵を質そうと、何でも占いに頼ります。
八つ当たり的に、没落して仕事を干された者たちにさえむごい仕打ちを与えるものです。そこに見立ての入れ知恵が入ることに。
あいつらが都のご沙汰を怨んで呪詛しているんだ、と讒言したのが陰陽師安倍晴明。なな・なんということを。

それもこれも、まだ時代が浅かりし頃のカバール・カバリストです。これからまだ伸展していくカバールの施策の露払いの一幕と言えなくもありません。
しかし、怨みの思いは長い時を経ても、衰えるものではありません。
無実の行者を横道により惨殺した行為は、彼らの怨みが消えるまで、為した者に祟りとして降りかかり、輪廻を不幸なものにすると言います。
それを謎解きで理解して心魂を和らげてやるのも、琵琶法師の願いを持った探偵オクンドの仕事。
このように、童話風物語にして、酒呑童子一族の霊を弔っています。 ⇒ 異聞・酒呑童子伝 https://p.booklog.jp/book/90955/read

その安倍晴明は、当時最も怖れられていた祟り神ウシトラノコンシンを、蘇民将来伝説の悪役・巨旦大王だとして、鬼門封じを執り行っていました。
まあ、解釈によって、蛇にも悪鬼にもできるのが、権勢を誇った立場の者です。
それが正解だったか、誤解だったかは、やはり時代の末期でなければ、解明ができないようになっているようです。
成長期のカバールは、いけいけどんどん、なにしてもうまくいくことが可能でした。
しかし、様々なところでほころびが出る末期には、祇園精舎の鐘の声、盛者必衰の理でありました。チーン。ではなかった、ゴーンでしたか。
ちゃんと、時代に即した名探偵が登場して、快刀乱麻、謎壁塗壁をことごとく切り伏せるものでございますな。

はははははは、お任せあれ。このオクンド、梵天の勅命によりまかりこしたり。
梵天の懐刀の異名をとるこのオクンド。解明できぬときは、錯乱発狂してすべてを切り伏せ焼尽することもいとわぬを旨とします。
この宇宙を、勅命にてお取り潰しも可なり。さあさあさあさあさあさあ、どうするんでい。と歌舞伎役者のタンカを切って見せたところで、お開きにいたしましょう。

ちょっと記事が短かすぎましたかな。
そこでちょっと小話を。
そういう私もまだ未熟な時代がありましてな。
50歳以前などは、不思議事があったりしたら、喜んだことも大いにありますが、祟り事のようなことに遭遇したりしますと、びびりまくりのビビディバビディブーでございまして、よくサイババさんのお世話になりました。
もっと昔に遡れば、5歳の頃に見た盆踊りの初めて見る光景に、ここはお化けの世界だと血の気を引かせ、ぶっ倒れそうになりました。
ははははは。しかし、数ある不思議を経てみれば、まるで1万年の修行をこなした如くでござってのう。
実際、このしがない救世主オクンドの人生プログラムの主線複線のことごとくをプレイバックして嘗め尽くした感あり。
いやあ、人生ははかない線香花火の如しとは、けだし名言。
それは幾多のタイムライン火花の総集でござったという次第。
これにて、合点合点とまいりたく存じます。

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龍の髭からどんどん伸びるよ、この話 (3)

私の認識では、
カバールはディープステートとして、悪の代名詞のように言われていますが、カバールの原義になるカバラはそういうものではありません。霊的精神修養のための技法であり、瞑想と呼吸法を主体とするインドのヨガとほぼ同じものであり、カバラは精神環境を清浄にして臨もうとするため、一定の幾何学図形を霊的結界として用いるのです。それが五芒星形や十字形で、その背景に生命の木の図を据えるわけです。

また、カバラはそのような修法をも包含した先古からの知識体系の総称でもあり、カバラの五学問と言われるほど幅広いものとされます。
純粋には、とても善良な学問体系であり、それが一般人レベルに比べて卓越していたため、悪用されることを避けるために秘匿されたことのようです。

ところが、逆に悪用する連中がいつ頃からか出てきたのですね。それがカバールであり、彼らはカバラの修法が白魔術と言われるものであったに対して、黒魔術という、正統なシンボリズムを逆転して使うことにより、天使ではなく悪魔を召喚して使役する技法を編み出しました。彼らもまたカバラを保持し、その卓越性を人類のコントロールに使い出したのです。

逆転して使った幾何学シンボルが五芒星形を逆転した逆五芒星形で、これは真っ向から神に対して反逆することを意味するとされます。ヤギの顔の輪郭がちょうど逆五芒星になるので、ヤギをパフォメットという悪魔にみたてて召喚しようとする儀式をします。スイスで大事なトンネルの竣工式にはパフォメットを招く儀式を今もやっていますね。英国までの地下トンネルやCERNの時空トンネル。そこから悪魔を召喚しようとしているのでしょう。

それは悪魔儀式と俗に言われ、祭りの主催はたいていカバールでしょう。資金力で儀式のスタッフを集め、意味不明の儀式をしているようですが、まるでロボットが勢ぞろいして同じパフォーマンスしているような感があります。カバールのアジェンダのNWOの結果、ロボットばかりになるのかもしれませんね。
だから、それを阻止する動きとして、トランプらが登場したのは、神の側からの介入と言われる所以かもしれません。コーリーを知るなら、これはスフィアビーイングが介入したということになるでしょう。

日本にも古代からカバールが根拠していたもようです。意外とすごく立派と噂される方たちがカバールだったりしたと私は推理しています。すでに何度か悪役にさせてもらった空海さんや安倍晴明さんですね。まあ、当時は彼らはいいことをしていたのです。まだカバールがこれから伸張しようとするときですから、彼らのアジェンダを完了するまでは、彼らの独壇場になるのは、やむをえないわけです。

しかし、たとえば空海さんがやったことの中には、朝廷の意に沿わない者たち(先修験者たち)を、災いする天狗として呪封するということを行ったのですね。彼の呪術は三角護摩壇法といい、幾何学の三角形の中に霊体ごと封じてしまうタイプのものだったようで、2003年~2005年にかけて六甲山におけるUFOビデオ撮影の際に、高速回転三角で形態変化する謎のシルエット物体として頻繁に写りこみました。撮影者四人ともの四台のビデオカメラに捉えられたことでしょう。

その場所に武良さんは何度も写しに行って、いいものが撮れたら私に送ってくれましたから、その中に正体を知る手掛かりになるような写真を見つけ、調査をしたわけです。すると麻耶山天上寺の伝承に、麓から上がってきた僧侶によって、三角護摩壇法でここら一帯の天狗が封じられた伝承があることを知ったようなことでした。僧侶は誰か。空海さんかその門下の弟子ぐらいでしょう。ところが空海さん自ら天上寺に麻耶夫人像を奉納しに上がっている。だったら彼だろうと推理したわけでした。

物事の真相を知ること、すなわち真相を理解する者が現われるということは、封印が解ける機が熟したことを意味するようで、天狗さんたちの封印が解除されるのです。2005年にその験は出て全国に及びました。

その謎解きの手掛かりが、不思議なことに現地に落ちていたのです。三角寺と書いたプラスチック看板が麻耶の天狗岩の横に落ちていたのです。元は天上寺の境内地というのに、いったいこれは何だと、帰って調べると、四国八十八箇所霊場のひとつでした。そこで昔、空海さんがその修法で祈っていたことを知り、あとでこの看板は空海さんからのサジェスチョンだったなと思いました。

つまり、彼も封印を解いてやらねばならない時期が来たと感じておられたために、当世謎解き随一の私を召喚されたものと解釈したのです。むろん武良さんや坂本さんとのコンビネーションがありました。2004年のUFOの日のロケ日には、謎の三角天狗さんたちが歓迎ムードを醸して乱舞し、謎解きの一助になろうと懸命だったのではなかったでしょうか。彼らも封印解除のとき間近を知って待っていたのです。

空海さんは、その後、そのときのお礼といいますか、2008年9月に私の彼女の夢に出てきて、弥勒下生が間近であることを伝えてくれました。大勢の弥勒信仰の方たちを差し置いて、こんな私たちのところにその情報を伝えてくれるなんて。まるで超有名人に指名を受けたような気がしたものでした。その彼女は、それを受けるに相応しい奥津嶋姫の化身だったという次第。何たる光栄なこと。

弥勒はインドではみずがめを手に持つ姿で描かれますから、原初的には、みずがめ座の時代精神を意味するようです。
その前はうお座。キリストが時代精神とされた時代を意味します。
うお座は、体主霊従の霊的逼塞の時代とされ、人が最も不幸な時代であるわけです。精神性は無視され、残酷が当たり前の時代。いわば、岩戸隠れの時代です。
だから、うお座の時代精神を顕わすのに、立派な精神性の空海さんといえども一役買ったわけです。うお座の2000年はAD0年からとすれば、空海登場はまだ前半の段階ですからね。
だから手荒なことにもなってしまいました。

それが終わりに近づく2000年代になれば、いろいろしてきたことも清算せねばならないと、良識ある空海さんですから思ったのでしょう。しかし彼は、自身を仏陀の一番弟子・摩訶迦葉に比定して入定していて、弥勒下生に合わせて目覚めて出てくることになっているから、自分ではできないが、別人になら托せると、オクンド一派を選ばれたというわけでしょう。そして、いよいよ私も弥勒のお供として娑婆世界に出て行くよと、弥勒下生を彼女に宛てて予告されたのでしょう。

弥勒のみずがめ座の時代は霊主体従の幸福な世になる。しかしその初盤は、かつてあったものの取り壊し、破壊の工程が先にやってくる。その後の建設においていいものが生まれてくることになるでしょう。
彼女は異界交信して、この御子(弥勒)とは何でしょうと問うたところ、神の王子でパンダのようにして出てくるという回答を得ています。パンダの白黒はめりはりのある吉凶の模様を意味するように思います。まずエントリーは、黒の相ではないかと推測します。しばらく我慢のときですね。

カバールはうお座の時代精神を歴史に刻むことにかけては、持てる邪悪なノウハウを如何なく発揮しました。しかし、もうそのタイムはリミットが来ています。だから、本当ならカバールは過去を清算して、今度は善良な現われ方をしなくてはならないはず。イルミナテイは啓明を掲げる者の意味がありますからね。それがどうした、一向にそれらしくない。となれば、彼らは内部退廃を起こしたかもしれません。ならばもう要らない。地球から出て行けというのも無理からぬことになるでしょう。

龍の髭からどんどん伸びるよ、この話 (2)

また後日にと予告したように、先日(10.27)の記事の続きになります。

弁天三姉妹(宗像三姉妹)の奥津嶋姫、瀧子姫、市寸嶋姫と大国主命と天の穂日は従兄弟同士という話の理由からですが、これはホツマツタエに依ります。

まず、大国主命と奥津嶋姫はご夫婦ですから、義理の関係になります。
弁天三姉妹は母が早子姫で゛、天の穂日は母が持子姫で、持子姫と早子姫は姉妹ですから、純の従兄弟同士で大国主命とは義理の従兄弟になります。

私がホツマを重用するのは、2013年5月11日未明に出雲大社で起床して、あたりを見て回った夢を見たとき、初めに弥生服の大国主命に出会い、次に奥方に出会ったとき、50歳になったときの最初の彼女が平安朝の単衣を着て長髪でお歯黒の女御のいでたちだったことから、それまでの不思議を総合して、奥津嶋姫だろうと推理していたときに、夢の中にしろ実物を目撃してしまったことから、まさにホツマの通りに違いないと確信したからでした。
それは記紀においてはまったく異なっていて、ホツマだけが正しいと感じ取れた瞬間でした。夢であるにせよ、目撃と推理が一致するというのは、他人には意味はなくとも、私には強烈な真相開示であると思えたのです。それをしたのは奥津嶋姫だったでしょう。

だから、私はホツマは神世の史実に基づいている、少なくとも神々の系譜においては正確性を期して書かれていると推理しました。
だからといって、筋書きまでが正しいかどうかはわかりません。神々の系譜には正確性があるのではないかというだけです。

その理由は、この制作に、朝鮮系文官が関与していることが、天照神の幼名「ウヒルギ」の記載に伺えたからです。これは朝鮮語の日輪を意味します。
朝鮮系の官僚は資料を正確に書くことが義務付けられていたことから、少なくとも人名記載において誤りはないだろうと思ったのです。
しかし、筋書きは、時の為政者の都合と指示で書き換えられることもあります。そんなときも、資料制作に当たった文官は自分のしていることに心を痛めながらであることが想像できます。発覚したときの責任は取らされるのですから。

ホツマにはたいへんなことも書かれています。天照神は男神であること、12人の妃が東西南北の方角に分けて、それぞれ由緒ある家系から輩出されていたこと。
天の穂日は北局の主体・持子姫から生まれ、天照神の第一子であったこと、宗像三姉妹は北局の副体・早子姫から生まれ、天照神の第二子の三つ子であったこと。
天照神の世継ぎになったのは、南局の主体・瀬織津姫の息子・オシホミミでしたが、五男三女の天照神の五男の中の第三子でした。
どこかで似たような話がありましたね。そう、金正日の長男・正男が世継ぎになれず、三男の正恩がなったというのは、どこかフラクタル相似像でなる歴史展開を物語るかのようです。

天の穂日が世継ぎになれなかったのは、母親の持子早子がスサノヲと共に政変を起こそうとしたかどで、お咎めが子孫にまで及んだ結果というのです。
これによって穂日の世継ぎ候補からの降格があり、彼は大国主命のところへ派遣される外交官に任命されたわけです。体のいい左遷ですね。
穂日の末裔である出雲国造家が出雲大社の神官であるのはこういうわけです。
しかし、大国主命が快く迎えたのは、妻の奥津嶋姫が穂日の従兄弟で、仲が良かったからでしょう。

政変のかどで刑を言い渡された持子早子は九州に遠投流罪となったあと、そこで延びてきた刺客の手から逃れて各地を転々とし、持子は長野戸隠の地で非業の死を遂げ九頭竜となり、早子はさらに転地した先で死にヤマタノオロチになったとされています。それぞれ相当な恨みを持っての化身の仕方だったようです。政変関係者を出したクラキネ家は没落。彼も恨みの言葉を遺しています。

ヤマタノオロチは地殻変動、地震や噴火の原因だと、私はかねがね推理していて、それを退治するため(なだめるため)にスサノヲは台風になって、震源地に向かうのだと神話的推理をしていたものです。スサノヲは穂日の叔父に当たります。だから私は、台風が直撃してきそうなときは、スサノヲに和らげてくれるように祈るのです。するとほとんど実害がないという結果になっています。

穂日の子孫の菅原道真も讒言により遠投流罪となり、大宰府で監視され刺客におびえながら非業の死をとげました。まるでこの一族は九州遠投が板についているかのようです。しかし、彼の恨みは超一流で、霊力が雷電を起こし復讐を遂げたとされています。それゆえ、天神に昇格もあり、それを見た判官贔屓筋が冤罪説を定着させました。今では藤原時平の陰謀に嵌められたものとして知られています。しかし、持子早子のほうは女ゆえにか、男衆でなる神社神官衆にはいつまでも悪し様に言われるのが常のようです。これでは地変も収まりがつきにくかろうと思うのですが、詳しく調べてみようという奇特な人がいないのですかね。
これももし冤罪であるなら、持子早子の政変と道真の事件とは、なにか神世からのフラクタル相似像的展開に思えます。

相似像ならば、持子早子も冤罪ではないのか。雷電を起こす道真。天変地異を起こす持子早子。もしそうなら、持子早子の冤罪を晴らすことは、天変地異の被害を少なくすることにも繋がるのではないかと思うのですがね。
このように思い、異界の謎解き専科のオクンドは、快刀乱麻、謎壁塗壁のことごとくを切り伏せて、みごと解明に繋げてみたく思います。

このオクンドは50歳になるずっと前から、もうこんなの嫌だ、昔の人は言いました、人生50年、それが長寿だった頃もあったこと。どうか、お願いだ、私をこの世という時空のレコード盤にに針を置いた方よ、50歳でもうたくさんだ、それ以上要らない、それ以後のどんな転生も御免だ、こんなくだらんことなら続けたくない、50歳で針を引き上げてくれと、まあそう真面目でもなく、運が良くないときに怒りに任せて言っていたところがありました。

まあそんなに、効果を期待していたわけではなかったのです。ぶつくさ言ったところで何か特別なことがあったことなどなかったのでね。
それで、46歳頃でしたか、ちょうど田舎から祖母が逗留しに来ていたこともあり、ちょっといいとこ案内しましょうと、淡路島の平和観音像という博物館のようなところに行って、8階だったかに四国八十八箇所の境内の砂を集めた、短時間で八十八箇所をお参りできるというコンビニ的お寺があるので、母もともども連れて行ったのです。

足が弱くなっていた祖母は喜びまして、母とともに参拝している間に、私は先に出ていて、そこに七福神の金塗りの等身大の神像があったので、まず毘沙門天にお線香を捧げ、もう一本あったのを、なめらかな豊満さをたたえた弁天様に捧げつつ、あなたのような方と結婚したいです、と祈ったのです。
だから、そのときには50歳でどうのこうのといった話は忘れていたのでしょう。また、母を残して50で去るなんて、母がどれだけ落胆したやらと後で思います。

平和観音像の中は博物館のようになっていて、有名画家の絵画や、江戸時代の参勤交代でお殿様が乗る籠や戦国武将の甲冑が展示され、地下階にはレトロな外車が展示されているといった場所でしたが、中身はぜんぶイミテーション、レプリカなのです。

さて、どうやら私のハイアーセルフは、私にそれならと、楽しい時空を増設してくれたようなのです。だから、50歳になった途端から、彼女ができ、めくるめく不思議な人生が始まったのでした。
私は、50歳どうのこうのといった話はとうに忘れて、面白人生を堪能しました。最初の彼女とは第二の彼女からのアクセスでしばらく別れることになりました。そして復縁といいますか、出会うのは初めてになるのですが、2004年に最初の彼女と親密になり、私は50歳になった時点で人生を終わらせてくれと祈っていたけど、生きていて良かったよと何気なく語った言葉で、彼女が最初にメールした日を調べたら、私の50になる直前日だったことを電話で知らせてきてくれました。それを聞いてびっくり。じゃあ、あの祈りは聞き届けられていて、これじゃあいかん、いい時空にしてやろうと、このような展開にしてくれたのだろうという結論になったのです。

私が願い祈ったのは、どこかの神様などではありません。私はこの世がコンピューターで運行する仮想現実だと理論化していましたし、自論ゆえ信じています。私が意識を持って眺める人生は、プログラムであり、その起動はレコード盤に針を置くようなことと思っていましたから、それをなさったお方、ハイアーセルフですね、この方が私を主人公にしたゲームをしているのだから、私の人生に全責任を持つこの方に、針を50で上げてくれと言っていたことになります。
どうやら、それが正解だといったことのようです。

しかも、最初の彼女も第二の彼女も、やがて弁天三姉妹のうちの二人の化身とわかってくるわけですから、化身すなわちイミテーションなんですね。淡路島で祈ったことも、イミテーションで実現したのです。ただし結婚はできなかったですが、最初の彼女(奥津嶋姫の化身)とは魂の婚儀として我々だけで執り行ったのです。
と、左の薬指を見れば、していたはずの指輪がなくなっているではないか。彼女との約束の指輪なのに。そうか昨日、病院でいろいろ検査したときに、外れてしまったのかもしれない。最近、骨が細くなっていて、簡単に抜けそうになっていたからだろう。今の今まで気がつかなかった。二万円もするのに。そのとき、猫のシャンが食事をねだりにやってきました。

こういうときは、解釈で乗り切ることにしています。解釈改憲のようなこと?ノー!
これをいま書いているときに起きたことゆえ、これは今回のプロジェクトが終わりに近づいたことを意味するだろう。そしてシャンがたまたま来たのは、いつも何らかの彼女がいてまるで女房のようにしているが、次世代はシャンが後釜に座ったのだろうといった解釈をするわけですね。

さて、ではそのプロジェクトとはなんだったかを知る上で大事なことを、ストーリー風に並べてみましょう。

50歳以降をどうやら私は、別人生をあてがわれた、このことは何らかの神がハイアーセルフに就いたことを意味します。
最初は弁天様の旦那さんの梵天様だったのですが、弁天様も三姉妹に展開してそれぞれの役目を果たされようとする頃には、日子ホホデミ(山幸彦)や天の穂日がかかる、つまり私オクンドというウマにはこのような方たちが乗馬されるようになったものと推測します。弁天様が乙姫や豊玉姫になるときは浦島やウシトラノコンシンやホホデミが。宗像三姉妹になるときは穂日といった具合ですね。

ちょっとひがみ根性が入りますが、
穂日様などはきっと、命要らずの魂要らずのちょっと論理思考の強いオカルト贔屓の者は下界にいないかと探されていたときに、おりますよおりますよ、ここにおります、ここに使い捨ての駄馬がおりますが、けっこうものを考えるやつですから、いかがですかといったことだったかも知れませんね。ざけんなよ、もう二度とこねえぞ。
そうだよ。おいらこそ、命要らずのギャリソン・ゴリラでい。
そしていまは、穂日様の名馬として、へっへっへ、そうかね、ホントかね。
まあ、穂日様のお役に関する謎解きはほとんど完了したといえるのではないかと思っています。それも解釈ですけどね。