1964年に捕まった宇宙人に似た生き物は、地球の未来人だった。(エイリアンインタビュー)
この3本のビデオにおける、米軍の係官のインタビューに対するエイリアンの答えをまとめてみました。
宇宙、存在、命などについて
すでに宇宙の起源、命ど呼ばれるものの本質が解明されている
意味ではなく、本質が解明されている 意味とは理屈だが、本質とは客観的事実のこと
神は迷信だ 神や神話は不要になった
Q. 人は死んだらどうなる?
死は人間が作り出したもの
お前は命と呼ばれるものの一部をこれからも生きるし、すでに生きている、みんなそうだ
我々は同じ命の一部として存在している お前が死と呼んでいるもので隔てられているだけ
無限の数の宇宙が存在し、それぞれに異なる物理的性質を持っている
命をはぐくむことができる宇宙はごくまれなのだ
宇宙は創造されてはいない
無は定義上存在しない 無以外の残りが存在であり、存在は無限
存在には終わりがなく始まりもない だから創造主はいない
Q. だが、宇宙には始まりがあると言ったが?
この宇宙は存在そのものではない 厳密には、(宇宙は)存在の中の無限の小さな部分なのだ
この宇宙は自発的に起こった出来事であり、それは存在の永遠がある以上、必要不可欠なことだった
あらゆる出来事が可能で、そして起きた
この宇宙を含んだ無限の宇宙があるが、事実上、すべての宇宙が生命を抱くことができるわけではない
しかし、この宇宙は偶発的に生命を抱く力を持っていた
生命は物理的性質の必然的な結果に過ぎない 我々は単なるランダムの産物に過ぎない
この宇宙は生命に関しては無関心 だから、この宇宙に意味はないというのは正しい
Q. ならば生きている意味もないのか?
生きている意味はある 意味は心の中に宿っている
あなた方の種族は、意味を想起して作り上げるが、それが誤った信念の元で動いてしまう
神などの神秘的な計画なのだと だがそれは間違い 意味はあなた方自身が作っている
未来に起こる核戦争について
Q. 人類を滅ぼした核戦争はなぜ起こったか?
ドグマ 政治上、宗教上のドグマ それがお前たちの種族のあらゆる大きな紛争の根源となっている
次の世紀には大量破壊兵器を持つようになり、ドグマに支配された国々が、お前たちの種族を滅ぼす
Q. いつ核戦争は始まるのか?
私は歴史を変えられる立場にはない それは、いまこの時点(1964年)からわずか半世紀後
Q. 誰によって始められるのか?
この国で始まる
Q. どのように?
ある男性が、あなたの国を簡単に支配してしまう そしてその責任を負うのは、あなたがた全員だ
Q. その男はいま現在生きているのか? その名前を言ってくれたら、その男を殺す
生きているが、その名前が私たちの歴史的記録から消えてしまってわからないため、教えられない
それに、殺人によって歴史を変えることは許されていない
Q. では彼は何をする?
民主主義の仕組みを弱める 多くの人たちにアピールすることで つまり最も原始的な本能を使って
怖れ、部族主義、宗派、組織、仲間意識、政治と宗教のドグマ、独断的な思想
これらが要因で国際的非難が起こり、それに対して彼は先制攻撃を命ずる
これが世界的な核戦争へと広がる
そして時代が切り替わる たった数百万人の生き残りの時代に切り替わる
Q. クェッ たった数百万人か!!
結果として放射能が、あなた方の種族のほとんどを絶滅させる
私たちの種族は、進化の結果こうなった
Q. では、それを食い止める方法は?
民主主義を守ることだ 政治と宗教のドグマ、独断的思想、方針の拒絶から、民主主義を守ることだ
いまこの時点で、あなた方の民主主義は安定しているが、これは半世紀の間だけだ
Q. クェッ だからもし破滅に導く狂人を食い止めれば、我々は大丈夫なんだな?
いいや、別の脅威がある
Q. それは何なんだ?
もだえ苦しむエイリアン 何を言っているのか解読不能・・・つづく (つづきのビデオがない)
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以上でございます。
1964年に捕獲されたエイリアンは、地球人の進化した子孫だったということのようです。
1947年にロズウェル墜落UFOの搭乗員が宇宙人だったことから比べると、ホント?という気にもなりますが、実録されているエイリアンがじかに語る言葉ですから、信じられるように思いました。
1964年に捕まった宇宙人に似た生き物は、地球の未来人だった。(エイリアンインタビュー)
それを見て、かつて創作した「科学の最先端・未来人勝田末吉の場合」という物語を出していたことに、とても感激した次第です。
そうでしょうとも。そうでしょうとも、といった感じでしたね。
https://p.booklog.jp/book/89760/read
未来人エイリアンの世界観は拙超宇宙の仕組み論で説明できる
このエイリアンインタビューによると、宇宙や生命の偶発性が量子論的なものであることを示していますね。
生命をはぐくむ宇宙はごく僅少でも、確率的にないことはない。そのような宇宙の発生もあるということでしょう。それがたまたまこの宇宙だった。
また、死というものはない、死は人間が作ったものだというシーンがあります。
また一方で、刹那滅をこのエイリアンは説いているそうで、瞬間瞬間に死んでいるといったことも言っているようですね。別のシリーズでかと思われます。
それから、我々は大きな命の一部を生きている、とも言っています。個別や死は、それを隔てているだけ、とも。
これらはコンピューターをモデルにした拙超宇宙の仕組み論で説明がつくことです。
刹那滅は、コンピューターの動く単位が命令語ですから、その単位でストップをかけたり割り込み処理が可能だということで、動作原理的に起きていることと言えます。
そして、人生と死、そしてまた繰り返される意識経験のすべては、大きなプログラムの中の局部の精査をプロセッサが担当している姿として捉えることができ、たくさんのプロセッサによって分担精査してプログラムの全容を実行してしまおうとしている姿にも喩えられると思います。
私の考案した「人生は線香花火の如しモデル」は、私ひとりの人生のタイムラインの総集されたものがソフトとして用意されており、その総延長時間的距離は1万年にも及ぶという言い方をしていますが、これは私だけのひとつの目的を成就するために設定されていたテーマであり、実現予定時間だったということになります。
私はこのために、他の人たちとは違って、栄光に満ちた充実した不思議人生を享受できたことを、このテーマソフトを与えてくれた命に感謝したく思います。
そう、このオクンドの全人生ソフトは一巻に入っていると仮定されますが、ソフトのタイトルは「ある、しがない救世主オクンドの場合」と名づけられていたように思い出されます。
そのタイトル通り、誰にも知られず、あらゆる能力をそぎ落とされて、ごくごくしがない地味ぃな人生を生き、まるでただのひとりよがりのようにして、栄光に満たされた自分を感受しつつ、誰にもできないことをみごと達成させたという充実感を、まるでスパルタカスに匹敵するほどの壮大なスペクタクルドラマとして味わえたことが、このソフトの特色だったと思います。実に面白かった。
エイリアンが言っていたのは、始まりも終わりもない無限の存在というものが偶発的に発生させた命というものの全体を我々の個々は分担して生きている (巨大なソフトの中の個別された一部をシミュレーションしている) ということのように捉えました。
私の線香花火モデルは、これ以前に、ほんとうはもっと本源があって、そこと密接に結びついているのでしょう。
存在の本源、つまり幹はもっと深奥にあり、巨大な枝葉を広げる大木が全体像のようであるときに、葉先にある分担可能なひとつのソフトを私はあてがわれて精査(シミュレーション)しているといったことだったと想像します。
つまり、私は多くの意識たちと同様に、本源の存在というものの個別分担された一部として、自ら意識し、意味をマインドで創り出し、命にフィードバックする奉仕をしているように思います。 (新世紀エバンゲリオンの哲学にも共通しますね)
その無限にあるソフトのうち、最も啓発に富み栄光に満ちた部分をあてがわれるという栄誉をいただけたことを重ねて感謝申し上げる次第です。
未来人エイリアンの祖先(今現在の我々)が遭遇した絶滅戦争のこと
現在の米国はトランプ大統領により非常事態宣言などが出され、独裁制まであと一歩といった感じがしますが、彼は国民への公約を着実に守ってきており、いたって民主主義的であるように思います。
むしろ、当確とされていたヒラリーのほうが、戦争屋と結びついていて、偽旗作戦によって早期に戦争に入っていく公算が強くありました。しかし、神の介在的な高次元存在の介入で、タイムラインが変わってしまった感があります。
民主主義が核戦争を防ぐことになっているなら、むしろ現状で最も危ないのは日本ではないかと思います。潜在的な核大国ですし、兵器転用技術もそれを飛ばすロケット技術も完備していますから。
米国は高次元介入で救われ、また宇宙開示情報の世界への発信基地としての期待を担っていますが、日本は民主主義を捨てて全体主義化しようとしており、エイリアンの言っている危ない国とは、属国も入れたときには日本のことだろうと思います。
では何で日本にお鉢が振られたのかって? ははははは、裏話をするなら、レッドがブルーにおまえちょっとタルいぞ、邪魔だからどけと言ったものだから、それならてめえの国はてめえで始末しろ、となってしまったのかもしれんね。ちょっと迂闊だったかな。
おーい、ブルー、カムバック。おいらは生身の人間なもので、そこまでの力が出せないんだ。この国もまぜてやってくれ。たのむわー。
まあ、こんなふうに一報しとけば、また状況は変わってきますよ。はっはははは。
また、予測されたとおりになかなかいくものではないこともあります。未来人エイリアンが確定的未来を語ったものであっても、我々はごく自然に個別にタイムラインを切り替えてしまっている場合もあります。
心の中で真剣に拒絶すれば、あなたの未来はそうはなりません。待望したり恐怖心で捕えてしまっていれば、引き込んだりしますが。私は怖くはないが、待望していることはしているね。ま、そんなこと、いーじゃない。
だから、未来人エイリアンへと進化していくこれからが待っているといったタイムライン自体も確率的に小さいと思われます。
それに各人に個別に偶発的に訪れるマンデラ効果のようなこともあるでしょう。私はそれの経験もしていますよ。
私は確定的だった過去さえも変わってしまう、マンデラ効果を経験したようだ
マンデラ効果とは、Wikiで見てもらえば、どういうことか出ていると思いますが、コーリーも認めていて、彼の話の随所に出てくるのですが、すでに決まっているはずの過去の事件が後で異なったものになっていたり、確定的な未来が変化していたりする、いわゆるタイムラインの慣性方向からの逸脱やシフトがひとりでに起きていることがけっこうあるという話です。
2008年頃にしていた異界交信によれば、それは「フーコーの振り子」と回答が出ていました。
つまり、少しずつタイムラインがずれるのがひとつの法則だということを異界の存在は伝えてきていたようです。
私が顕著に経験したマンデラ効果では、こんなことがありました。
私は明晰夢を見たときは、たいがい正夢だということは幾度か書いてきたことです。
明晰夢とはリアルな色彩の新鮮で、目覚めてからも憶えておれるほどの夢なのですが、今現在ではヘミシンクという技術で、一晩に何度も明晰夢を見て、そのたびに枕元に置いているメモ帳にかきつけているヘミシンカーさんが多々おられるようです。
私は幾多の夢を見ていることはわかっているのですが、何の夢かはっきり憶えているいわゆる明晰夢は、ほんのたまにしか見ないのです。
しかし、それがおおかた現実とリンクした正夢と言っていいものになっているのです。
あれは明晰夢体験の最初と言っていいでしょうか。私の父が昭和55年4月4日午前4時20分に大学病院で亡くなりまして、そのときは危篤の報せで病院にいて、父の最期を看取ったのですが、その二日後未明の夢に亡き父が出てきまして、赤銅色をした太い丸柱の横に置いてある黒電話から、こちらのほうに電話しているのです。
その父の様子がこちらから見えているのですが、浴衣姿で左腕を斜めにだらーんと垂らし、右手で受話器を握っている姿でした。
(入院しているときのそのままの姿で出てきていたようです。左腕はずっと点滴を受けていたからかも)
電話をかけてきた父に応答して、私はなんでこんなこと訊くのかも変なのですが、「ああ、お父ちゃん。いまどこに居るの?」と言ったのです。
すると父は、「ああ、いま、しんしょうじにおる」と答えて、そこで私は夢から覚めたのでした。
その当時、私は遠方で勤務していて、その日は忌引き休暇で実家にいたため、さっそく起きてから母に、「お父ちゃんが夢に出てきてなあ、こんなこと言うとったで」と夢の状況報告をしたのでした。
「しんしょうじ」というのはなんだか知ってるか?」と訊くと、 母も知らんと言います。
その後日、父の菩提を弔うために墓入れすべく、父の生まれ故郷の実家の菩提寺に行くことになり、さて着いてみれば、お寺の玄関に「振相寺」と表札が出ており、その場で「ああ、しんしょうじとは、ここのことや」と叫んだのでありました。
そして和尚さんとの話の最初に、夢の内容について話し、「振相時はしんしょうじとも読めますよね。父はそっちのほうで呼んでいたんじゃないでしょうか」などと話し、反応を覗いますと、和尚さんは、「よくあることですよ」と、事も無げに仰ったので、いささか感動も半減したわけでした。
しかし、まあどうして僧職の方は、ああもおちついておられるのかなあ。リップサービスぐらいなさらんのでしょうかね。
夢に出てきた赤銅色の太丸柱もありました。が、そこには電話機はありませんでした。しかし、この場所から掛けてきていたことは間違いないようでした。
母が亡くなったときに葬儀に携わってくださった和尚さんのときも、たいへんな明晰夢を見まして、和尚が夢の中にいて亡き母をご来光まで引率する導師として出てこられていたことを話しても、嬉しそうにはしておられましたが、さほど仰天されているふうでもなかったので、やっぱり不思議経験の量が和尚さんたちのほうが半端じゃないんだろうなと思ったことでした。
さて、当時の記録は、インターネット環境ができてからすぐに、「亡き父、夢枕に立つ」という短編にしてホームページ掲載しました。1994年頃でしたか。「振相寺、しんしょうじ」として書いていました。
ところが、最近になってネット地図で場所を調べようとしたところ、「振相寺」で出てくるところがひとつもないのです。
丹後半島のちょうどそれらしい場所には「振宗寺」というのがあります。ええーっ?? おかしいな。
それでその言葉で検索して、最近になってから改名の謂れがないかどうか調べたところ、創建当時から「振宗寺」のままのように書かれていました。
そもそも、これでは「しんしゅうじ」と呼んでも、「しんしょうじ」にはならないですね。
父が言った言葉さえも、間違っていることになり、菩提寺を訪ねた当時の私の見たものも間違いということになってしまうわけです。
しばらくこのわけは何なのか考えましたよ。
そして、わけのわからんことは、これにしてしまうにしかずということもあり、マンデラ効果説を唱えることにしたという次第。
ここでもし謎解きを放棄して、どうでもいいやとか、気のせいだろうとしてしまえば、もう気づきの機会は失われるかもしれません。
気付けなければ、何の解明もできるはずもない。
多くの人は唯物論者が圧倒的ですから、そんな機会を、どうでもいい、気のせいだと心の中で繰り返します。すると、洞察できなくなって、たとえIQ120の人でもIQ32の私のような老人の思考にさえ及ばないようなことになるのだと思います。
以前の記事で2000年のときに時空の架け替えあるいは増設があったとしましたが、それ以前を旧時空、それ以後を新時空とすれば、この両者にはけっこう差異が見られるのかもしれないといったことになります。
だって、この蓼食う虫もすきずきの蓼である私が、いきなりモテ始めたのが2000年前後からなんですからね。
まあむろん、その蓼を食う虫は神様の化身だったんですけどね。
そしてまた、神さんばかりがいらっしゃる不思議な時空になってしまいました。まさか、これってアセンションなんですかね?? いや、とんでもなくこの世は危機的に思うのですがね。
私が経験したマンデラ効果がどんな影響を世界に及ぼすか。それはいたってローカルでマイナーなものと思います。
父の実家の菩提寺の名称が異なっていたというのは、私固有のマイナーなタイムラインの過去が変化していることになります。
そのわけは、私の意識が新時空に移行したために、新時空にすでにあったタイムラインの過去がこうだったにすぎないということになるでしょう。
私が時空をいじったのではありません。何本か並行して存在するタイムラインの間でシフトしただけです。
むろん、私がタイムラインシフトしたせいで、以前のAさんといまのAさんでは異なるかもしれませんが、それはタイムラインごとに別々のプログラムが用意されているからという推測が成り立つかと思います。
タイムラインシフトに関しては、こんな豪傑もいます。
坂本廣志さんは初めて出会った当初から、不思議なことを言う人で、彼自身タイムラインを複数持っていて、まず第一時空で生きていたとき、社長をしている私に出会ったと言っています。
エジプト時代の過去世のよしみで会いに行ってみたら、金儲けのことばかり考えていてけんもほろろだったので、がっかりしたとのこと。
その時空では短命に終わることがわかったので、第二時空にシフトしたのですが、そこでも短命に終わるとわかった。
それで第三次空にやってきたとき、ここにいる今の私に出会って、ああこれぞホンモノだと思ったそうです。
実際、私が社長になる可能性のある選択肢もあったのですが、二つの会社が同時採用になって、二者択一の時、そちらを選択しなかったことが、こちらに居る理由になるでしょう。
これでだいたいの概念はわかるでしょうか。