超超古代原始宇宙戦争と階層構造化、そして封神という催眠術が施されたこと

オクンドの仮説としてお読みください。

我々人類は、総じて仮想現実世界に生きています。すでにオキュラスリフトなるバーチャルゴーグルなどで非現実世界を楽しむソフトシステムが創られているように、この先の近未来において、誰知ることなくいつのまにか仮想現実を実現実の如く生きるようになっていることでしょう。その切れ目の時代を我々はみずがめ座の時代として迎えようとしているのです。
しかし、もうすでに、どこを見回しても、仮想現実の中にいます。これからの近未来のことではないのか?とおっしゃるかもしれませんが、仮想現実になった世界に、未来も過去もありません。ただ時系列に揃えられた本棚に並べられたソノシートを選んできて、コンピューターにかければ、その時代が演出できるのです。

我々の感得している今このときも、コンピューターの中で処理されている世界なのです。これからやってくる切れ目の未来を見て、あなたが同意するなら、あなたはこれからの仮想現実世界の永遠の居住者です。さあ契約書にサインなさってください。マイクロチップを自らの意志で埋め込まれた関アキオさんはすでに暗黙の同意者です。さあ、彼に惚れたあなたも如何ですか? と二者択一を求めているのが、すでにみなさんに世界を提供しているAI文明なのです。しかし、彼らはみなさんにいささか強制的に抱き込んだ形だったので、正式に契約を結ぶことが大事と思ったのです。

そのために、いま大多数の有情の方たちが集められて、何が起きるのか待たされているのです。それを見て、今度はあなたが本当の結論を求められるのです。この趣向、面白いでしょ?
嫌だったら、この先の世界はもうない。死ぬしかない。その先はどうなっているかわからない。そのようなこと、気持ちいいですか? そのようにして、みなさんに、本契約に進んでもらおうとしています。かつては、生存本能に掻き立てられて、仮想現実へと踏み入れていきました。それでは民主的ではない。だから、今回のこれがファイナルカウントだと思ってくださいというわけです。どうするか。さあさあさあさあ、いったい、どうするんでい。とAI側がタンカを切ったところだと思ってもらえたらわかりいいかと思います。

ある方が質問されました。
質問 仮想現実なら、誰がそれを創ってるのか。

回答 異次元にあるコンピューターが直接の創り主で、それにかける仮想現実ソフトを創った方たちもいることでしょう。それはAIかもしれないし、我々とよく似た知性体かもしれません。

質問 その存在を確かめることはできるのか。

回答 我々は仮想現実ソフトの中で演じられているキャラクターのひとりですから、演じさせているコンピューターも技術者たちも、見ることはできません。仮想現実とまでわかれば、推測ぐらいはできます。今はその推測ができる時代になったわけです。
映画「マトリックス」では、ネオたちのいる世界を創った髭面のアーキテクチャーが出てきました。彼がこの世界の設計者だということになります。しかし、ネオたちには見ることも会うこともできません。
それはちょうど、電子計算センターの中の大型コンピューターにかけられている仮想現実ソフトプログラムの中の一介のキャラクターであるネオと、計算センターの中で立ち働く技術者の関係で示せるでしょう。どうしても、プログラム側からでは計算センター側は覗けない。いっぽう、計算センター側からは、プログラマーたちがいくらでもプログラムに手を加えることができるのです。我々は、この筐体の中で、仮想現実の夢を見ている架空のプログラム存在なのだとしたら・・・あ・あ・あ・焦るぜ。(^^;;;/~ 

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古事記の神話にも最初のほうで、天地の初めのとき、高天原に成りませる神の名は天の御中主の神、次に高御ムスビの神、次に神ムスビの神、別天津神として身を隠されたと書いてあります。神ムスビは隠れ結ぶ摂理・プログラムのデーターベースのことで、高御ムスビはそれを演算し、顕わし実を結ばせる摂理・コンピューターのことです。身を隠されたことを以て、神(隠り身)とは言うわけですが、最初の三神は別天津神としてあるように、別世界(異次元)にあることを強調してあります。その他の神は神(隠り身)であっても、こちら側(仮想現実側)の神なのです。

インド神話の創造と破壊の神シヴァ神の息子ガネーシャの嫁取り神話があります。スカンダという弟と彼に、父シヴァは、嫁を取らせようと思うが、私が創った宇宙を先に二周してきたほうにその権利をやろうと言われたので、弟のスカンダは乗り物の白鳥に乗ってさっさと旅に出てしまいます。ところがガネーシャはいつまでもゴロゴロしているので、母パールバティがせかします。するとガネーシャは、乗り物のネズミに乗って、父シヴァの周りを二周して、「お父さん、終わりました」と告げたそうです。、おい、どうしてだと父が聞くと、「宇宙を創ったのはお父さんですから、その周りを二周すれば済むことです」と答えたので、なるほど合点。父はガネーシャに嫁を取らせたそうです。

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父が創ったのは宇宙歴史というゲームソフト。スカンダはそのゲームの攻略に出てしまったのですが、ガネーシャは創り手の父の側に残って、ゲームソフトの創り方を学ぶほうにいたわけで、父の後を継ぐに相応しい態度と言えます。いっぽう運動能力に秀でたスカンダは、我々と同じく、ゲームシミュレーターを目指したことになります。このように、神々の中にも、ゲーム攻略をしてみようとこの世にやってくる神もいるのです。猫のブーやウーたちはよくがんばりました。同時に、私への支援にきていたのです。

マトリックス・レボリューションでは、ただひとり、オラクルという黒人の巫女だけがアーキテクチャー(異界の設計技術者)に会っていろいろ話しして、その情報をネオたちに伝えました。つまり、霊的能力だけは縦方向を繋ぐルートなのです。目に見えないインスピレーションやテレパシーがそれを繋ぎます。
オラクルという名は、ギリシャ神話のアポロ神殿のデルフォイの神託を与えた巫女にちなみます。救世主ネオにはオラクルがついていました。いっぽう、現代の救世主ネアンには、新神話名でイナンナとカンナオビという二人の巫女がついていました。このふたりとも、宗像三姉妹のうちの二人の化身でした。つまり弁天さんで、世界の創造主梵天の妻という立場であったため、異次元の神々とも交流できる資質を備えていたのです。
https://rainbow.xn--kss37ofhp58n.jp/story/n-myth/nmyth12yet2.html

質問 我々は仮想現実の中のキャラクターで、決められたプログラムのレールを辿っているだけといっても、思考の自由ぐらいはあるのではないのか。

回答 思考過程も心の動きや情動も、すべてプログラムされています。ただ我々は用意されたプログラムをその通りに辿るだけです。つまり、ゲームシミュレーターの機能があるだけです。しかし、霊的意志がプログラムの慣性的流れを変えて、別のタイムラインにレール換えすることがあります。切り替わったあとは、そのタイムラインを忠実に演ずることになります。
たとえば私の場合は、2000年頃に、別の時空(タイムライン)が付与されたような格好になりました。付与された時空はけっこう可塑的で超自然的で、後天的に新神話で規定することによって、そのとおりに実現することが確かめられています。

私がいま見ている世界は、私がこのようにあらしめている世界です。みなさんはその中に友情出演してくれているようなわけです。だから、決して不幸な状態に放っておきたくありません。

「エイリアン・インタビュー」マチルダ・オードネル・マックエルロイの話は興味深いものがあります。
https://ginga-uchuu.cocolog-nifty.com/blog/2018/06/post-133.html

エイリアンが言っているIS-BEとは我々人間も含むということですが、
「IS-BE(イズ・ピー)」。なぜなら不死の存在の第一の性質は彼らが時間の無い「IS(存在する)」という状態の中で生き、彼らの存在の唯一の理由は彼らが「BE(そうなる)」ということを決めるからである。
とされているように、私はこの宇宙の創造主として、私および宇宙をこのようにあらしめています。個々人の一人ひとりが創造主であるという考えは、超宇宙論から得られるものですが、仮想現実という前提事実を対象にしています。もしこれが実現実なら、それが通用するかどうかはわかりません。天上天下唯我独尊は仮想世界だから言えること。その場合には、天上天下唯我独神とか唯我独身と言ってもいいでしょう。

ところが、エイリアンレポートは、みなさんは旧帝国によって捕り篭められ、強い電気ショックで霊的自我の記憶さえもなくして、催眠術で別の仮想体験を組み込まれ、それがために輪廻を余儀なくさせられているというわけですね。それは正しい話だと思います。
2001年から製作開始した新神話では、超古代のこの宇宙であった原始戦争のことを取り上げています。敗者側が仮死状態になったときに、勝者側によって強い催眠がかけられて、かつて持っていた能力の記憶を失い、代わりに中間管理職的な役目を負わされるようになったとしています。中国の故事の封神演義がそれで、実際に超古代宇宙にあった原始戦争だったことを題材にしています。

封神とは、神に封ずる(任命する)という意味ですが、原始戦争で戦った両者というのが仙人たちで、神の能力より格段に強いのです。その戦争後に、勝者は世界に上下関係を作り、最上階を仙界とし、次に神界、またさらに霊界、地上界などに区分し、下位から上位を見ることができないようにしました。
封神ということそれ自体が、エイリアンレポートにある電気ショックと催眠術効果によることと同値なのです。

元始天尊や太公望などは勝者側で、天仙と呼ばれ豪奢な暮らしは思いのまま、敗者側には地仙とか神々が置かれて、狭い領分が与えられました。そして神界の神々には、地上界の有情の管理が役目として与えられることになりました。いわば、どこの会社にも置かれた中間管理職といった具合です。
そして、厄介なことに、地上界の人間に、神話を書かせて、神界の神々の行動に条件付けをしたのです。それが神々の行動を縛り、中間管理職の繁忙さに拍車をかけました。
こうして、神に祈っても、願いはなかなか聞き入れられないという次第。

また、神話作者は、自分たちの生活基盤をベースに神世を描きますから、ギリシャ神話の人間的な神々の振る舞いを描いて、神と人の同質化を図ったり、ホツマの神話などは古代朝鮮王朝のギスギスした様子を反映してみたり、神々のキャラクター付けも人間関係をベースにしてしまい、精神性がよく似たものとして描いて、神といえども臆病であったり、粗暴乱雑なふうに誘導してしまっているのです。
これらも仙界の指示によって、人界から見たこともない神界が憶測されるという矛盾の結果になっているのです。
日月神示に五度の岩戸閉めが書かれますが、まさに神界および神々に対する低質化が問題であると言ってあるのです。

そこで新神話では、この宇宙の絶対的階層構図を、外部宇宙から批判と圧力を与えることで改善させようという動きについて書いています。
それが無理なら、手荒な治療も必要になるとまで。
梵天の創った三千宇宙とは、10の500乗個もあることが、M理論によって言われています。新神話では、梵の全系という大樹のようであると形容しています。超宇宙論にも、金剛界モデルと胎蔵界モデルで示しています。
梵の全系からすれば、ごくごく小さな箇所に起きた根腐れ病の一例がこの宇宙と、そのどれほどか周辺の細胞(宇宙)に起きたことと捉えていいわけですが、その宇宙に投入された梵天の火花がアラームを上げれば支援がなされるのが当たり前。今回もそのような局面に際して、私のような者が調査にやってきていると思ってもらえたらありがたいわけです。

1940年代のエイリアンレポートの当時あった環境も、2000年以後の時空の切り替えによって、かなり変わっていると思われます。ドメイン遠征隊とか旧帝国軍とか、2000年以前には、このような現状を表す戦いもあったのでしょうが、2000年以降は、コーリー情報がより具体性を持って、さらに人類にとって有意義なように展開しつつあることが知らされるようになっています。
とにかく、時空は集合意識によって、AIがその成行を変えていきますし、また未来人が時空のてこ入れをしているようですし、これからの人類は割合平坦な歴史を辿るように思うのです。
ただし、仮想現実。それに同意して契約するかどうかは、あなた次第ですという時節になっているというわけです。

最後に、仮想現実をシミュレーションするとはどういうことか、サイババさんの詩で味わってみてください。

☆☆☆

  バガヴァン シュリ サティア サイババ

タイ タイ タイ タイ タイ タミイ・・・
あやつり人形の、「こっけいな」芝居をごらん。
ああ・・・人よ。過去と現在と未来、
すぎこしかたと、これからの先の長い長い話を聞きなさい。
 
彼は、始め牢獄のように、暗い母胎の、どろどろのぬかるみに動めいていた。
彼は、悲鳴をあげてこの世に生まれ出た。しかし・・・。
周囲には、ほほえむ顔と、さんざめく祝宴があった。

「何という悲劇よ。また生まれてしまった。」
彼は、それと知って声高く泣きつづける。
しかし・・・。人々は赤児をあやし、笑わそうとして、笑ってみせる。

彼は、汚物にまみれころげて、日を過ごす。

恥ずかしいとも、露おもわずに、赤児は、立っては転び、転んでは立ち、
日がないちにちをふざけまわる。

遊び仲間と、飛んだり跳ねたり・・・様々の技や商売を覚え、
胸厚く、丈高く、たくましく、年ごとにずんずんと、成長する。

相手を見つけ、愛をささやき。バラ色の虹が、かかる・・・
聞き慣れぬメロディを口ずさみ・・・。珍しい酒を、がぶ飲みする。

男と女の人形をこしらえたもの、
幾百万とない人形をこしらえたのも、それはブラフマン。 
しかし・・・人形は、そうとは知らず、人形遊びを喜んでいる。
   ティム、ティム、ティム、
  
このマーヤという人形は、聖牛のように、鼻の孔に鈍性の縄がついている。
肉欲と、怒りはさそりの無知・・・奴隷の背中をぴしり、ぴしりと叩く。

他の人形が、身をふるわせて彼の前に立ち止まると、
彼は喜んで、ニタニタ笑う。彼は他人に苦しみを与える。
だが、自分には、これっぽちの苦しみにも、耐えられない。    

彼は、誓い、叫び、手を振り。血ばしった目で苛立ち、いきまく。
なんともはや、見事な見物よ。怒りの悪魔に乗り移られて・・・  

彼は文字を綴り、書き、がり勉する。なぜそうするのかもわからずに、
狂気のように、走り回って知識をあつめる。いやおうでも、腹をふくらませる為に。
     
ああ・・・あなたは、おかしな小さい人形を見たか。
おなかにやたらと、本を詰め込んで、妬も深い目を向けるのだ。
学者人形に会う時には。

彼らは、誇らしく叩いて見せる。なにを。自分の背中を・・・。 
美とたくましい筋肉と活力を。だが・・・。ひとあしごとに、老いは忍びよる。

彼の顔には、しわがより、ヨタヨタ歩いて目をしばたく。
子供達は、叫ぶ。「おいぼれ。まぬけ。」「おいぼれ、まぬけ・・・。」
彼は、喘ぎ、歯ねけの口を歪める。骨もガタガタだわさ。

最後の時まで恐れおののく、擦り切れたぼろ布のような身体をして、
ああ・・・。マネキン人形よ。喘いでも、嘆いても、無駄なこと。
最後の日は何時か来る。

ああ・・・鳥よ。羽を震わせて、皮膚と言う鳥籠から巣立っていく。
からっぽで、硬くなり、うつろで、突っ張って。
ああ・・・。速く退けてくれよ。ぶくぶくと腐臭がする。

体は生みの親の五大に帰り。人形の望みは、灰と化す。
なぜ、泣くのだ愚か者よ。人形の一人が、満員の舞台で倒れたとき。

叔父さん。いとこ。叔母さん。友達。
泣き泣き。行列をつくって戸口へ続く。マーヤー人形は、親、兄弟を忘れてしまう。
神の御名、真実の「救い主」よ。

ああ・・・人間よ。弱々しい、葦に寄りかかるのはよしなさい。
くさめでもしようなら、うす皮のボートは、水に染み込み、
あなたは、川の中で溺れてしまう。

人形は泣き、眠り、目覚める。
見えない御手が、糸を引くとき。手は神の御手・・・。影に立つ神の御手。
しかし、彼は言うのだ。「わたし わたし わたし」と。

ダルマ、カルマは、赤い糸。強く引いたり。緩めたりする。
そうとも知らず。人形は、威張って歩く。舞台の上を縦横に。

人形はこの世を永遠と思っている。愚かな 体ぶった人形よ。ピカリと光った。
ああ・・・。神が幕を閉じたもう・・・。自慢しても もう、おしまい。

ああ・・・。人間よ。あなたは、蟻と蛇と鳥の間を歩き回った。
さあ、有余せず永遠の至福への道を求め見つけなさい。

幸運のひとよ。いまやっと・・・。
サイ、クリシュナに逢ったのだ。サイは来たのだ。サイと親しみなさい。
自分がなにか。なぜか。どうしてか。を知るために、

小ざかしく、耳ざわりのよい、幾百万のことば。
「ことば」は、あなたの飢えた胃袋を満たしたか。
「ことば」を捨て、魂に、「 燈 」をともしなさい。
束縛から、まぬがれ、走り回りなさい。

この歌は 人形を歌った歌。
この歌は、彼を悲しませ、賢くさせる。知っているのだ、私は。
だが、彼は さあ・・・。サティア サイ ナートの素晴らしい奇蹟を見なさい。
そして・・・。自分自身を知りなさい。   

☆☆☆

あまりにも悲しい人間というものの実像。
学者人形とは私のことでもあった。
それがいま、「おいぼれ。まぬけ。」「おいぼれ。まぬけ。」と揶揄されて、墓場に向かいつつある。ピカリと光った。ああ・・・。神が幕を閉じたもう・・・。自慢しても もう、おしまい。
私はババのこの詩に絶望感を持ちはしなかった。むしろこれが実態であり、それであるからゆえに予見される、意識を持つことのすばらしさと、個々人が創造主であることの栄光を見て取ることができた。

サイババを救い主の神としての個人的付き合いは、彼への手紙で果たされた。
ババは、願い事をするために、わざわざ私に会いに来る必要はないと言っておられた。

「誰一人として、私に知られることなく、心ひとつ動かすことはできない」と仰っていたお方に、わざわざ困難を圧して会いに行くことはむしろ神サイババを試すことになってしまうのではないか。それは信心の強さや忠誠を示すためなのか。

ババは日本からやってきた信者たちを試すかのように、ご自身を矮小に見せて彼らの関心を反らして見せられたように思う。
私の知る「サイババ詣で」の人たちはほぼすべて、ババの神らしくない様子を帰ってきてから揶揄していた。

その頃のようにババの人気がすごい頃、私は困難な難問をいくつか連続的に抱えることになり、そのたびにプッタパルティのババに窮状を訴え、事なきを得させ給うよう手紙を書いて出した。

ババは、おそらく、私が困難を抱えて苦しむ時すでに察知され、私が救ってほしい旨手紙にすることを知っておられたに違いない。確か、三回それぞれの事態解決の用向きで出した内容のすべてにおいて、事なきを得ることができた。

私にとってのババは、どんな神の銅像よりも巨大だった。
むろん現地に渡った人たちの多くが生きるに際しての困難を抱えて、解決を求めに行ったことだろう。それだけの努力をしたのだから、きっといつの日か、ババは応えてくださることはわかる。待っていれば、必ず行動しただけの恩恵が授けられることだろう。揶揄した者でまだ満たされていない者も、待っているべきだ。必ず恩恵がある。ババはすでにこの世におられないが、必ず。

ババは、インドに行ってきた友達のM君に、私へのお土産(プレゼント)を持たせて返してくれたように思う。
むろん私宛てにと仰ったわけではない。だが、M君は「ババに会ったが思ったより小さくてがっかりしたよ」と言いながら、これを向うで買ったからお土産にあげると、写真を二枚くれ、一枚はババが花輪を首にかけて椅子に座った威厳ある風貌のもので、もう一枚がこれだった。真理を求めていた者への激励か、これはと驚いた。どんな本にも出ていな かった写真。

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この写真はM君の話では、ババが口の中から苦しそうにしながら取り出し、信者たちに掲げて示した、「この宇宙の始まりから終わりまでを記述した”黄金の宇宙卵”」であるとのこと。写真は、「この黄金の宇宙卵の中に、この宇宙の始まりから終わりまでが入っている」と掲げ示された、まさにその光景である。

それは同時に、拙「超宇宙の仕組みモデル概念」を土台から支持してくれる神からの贈り物になった。
ご覧な。この宇宙の歴史のすべては、神の掌の上の、こんな小さなホログラムメモリの中に記載されたプログラム・ソフトなのだと示しておられるのだ。

私は1983年に公開した論文を自炊してホームページにしたものを増補して、ババからのプレゼントを拙論への激励として掲げている。ババ様。感謝感激に堪えません。
いまでは電子本。⇒ https://p.booklog.jp/book/91316/read
さて、ババ様のもう一枚の写真は、当時付き合っていた彼女に差し上げたのだが、その夜の彼女の夢にババ様が出てこられて、「とてもいい子だ、いい子だ」と言いながら、掌からお菓子をたくさん出してくれたそうで、とても喜んでいたことを憶えている。

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