明晰夢の話(5)

今日は猫たち、みんな元気です。シャンが時折不安定になるため、予断はできないのですが、それでもありがたい時間が流れています。
猫たちの食事の嗜好の変化があり、それに合わせて買いなおさねばなりません。そして、私の食事のタネも底を突いたので、買い出しに参ります。
私の食事のタネ? パウチに入った出来合いのカレー、すき焼きやラーメンに入れる野菜のすでに切ってある具材などです。
私は基本的に野菜は食べないのですが、料理によっては入っていた方が料理らしくなるでしょ。
晴れているので午後から作業ができたらと思うのですが、寒くなれば、また日延べしなくてはなりません。
去年末までにとの予定が1月末までにと変わり、今は足腰がまだ大丈夫な間に、と変わってきております。
あわてない、あわてない。一休み、一休み。

明晰夢の話(5)

白猫シャンが、この世で果たせぬ夢(子供を産み育てる)を、異界で果たしている夢を見た (2013年12月)

2013年12月8日の未明。夢の中ではいきなり子猫の一匹が、私の目の前に押し出されてきて、私はもうこれ以上、育てられんぞと、向うに押しやったのでしたが、またその向うに二匹の子猫がいて、それらすべてが、白色に橙色の刷毛書きをしていて、そこで目が覚めました。

ところが、起床後、シャンが私のところにやってきて、私が行動する狭い通路をふさいでいるのです。ここにいたらあかんと諭しても、シャンは動こうとせず、また押し黙って明らかに不満げでした。はて、何かあったのかと訝ったその時、あっ、さっきの夢は、シャンが夢の世界で産み落とした子猫たちだと直感したのです。

というのも、シャンは毎日、トンやチンとは別行動で、部屋の中で眠ってばかりいたのです。少しは運動したらどうかと思うほど。もしかしたら、眠ることでシャンは夢見世界に行き、授乳子育てをしていたのだろうと、感じたのでした。
で、どうして子猫に橙色の刷毛書きがついていたのか。これはたぶん、私が朱雀であるゆえに、シャンにしてみれば、父親を私に仮託して子を設けたのではなかろうか。かつて私の女房役を務めてくれた母猫ウーがすでに失踪して久しく、そのあとを継いでもしかしたらシャンが・・・。

それからは、シャンにしっかりと栄養をやろうとしたことは言うまでもありません。
シャンが夢の中で子供たちとともに生きている世界とは。きっと、円満な黄金郷なのではなかろうか。

※ シャンはまだ幼猫の頃に避妊手術されています。自然の摂理を度外視した人間の所作に、私も経済的観点から従ってしまいました。トンも去勢手術をしています。
この二匹は、自分の身勝手でしたことゆえ、私の命がある限り、最後まで面倒をみなくてはなりません。責任と義務を負っています。

最愛の彼女がくれた14年が満了する直前に、千の風になる体験をする (2013年12月11日)

2013年12月11日の午前2時のこと。空を飛んでいる夢に続いて、自分の体に意識が戻ると、呼気がすべて抜けていき死を実感、頭頂から魂が抜けて、前の空飛ぶ夢の続きを見ているという具合の夢でした。
空を飛ぶと言っても、自らの身体は見えないし、背後に幾人かの女性の声がしていて、ひとりは母のようでしたが、身体が見えているわけではないのです。透明の意識だけの存在になって、ハングライダーの如く滑空しておりました。
透明の私が、高いマンション風の建物の上を通過し、いきなり高度感が増しますと、後ろから複数の「うわー」という女人の声が聞こえました。私は、「大丈夫だよ、任しとき」と答えました。

眼下には、ビーチサイドがあり、左手が海のようで、右手の内陸部には観覧車や円筒形のクッキー缶のような建物があり、ちょうどいいかと思い、「あの辺に下りようか」と声をかけて、ゆっくり下りて行くところで目が覚めたのでした。

おりしも、新神話も節目という感があり、14年という数で満了するのではないかという懸念もありましたから、その結末を迎えるのではないかとも想定しておりました。世の中も次第に黄泉の度合いを強めている感がありましたから、イザナギノミコトに自らをなぞらえて、想いの中で黄泉国からの脱出のシミュレーションをしていたのです。その結果として、そのような夢になったようでした。
おそらくこの世を去る間際の精神状態としては、有効に違いないと、わかった次第です。

そして、至ったその世界とは、とても明るく、何の苦もない黄金郷であるようでした。
こんなにいきなり空を軽やかに飛んだ夢は、後にも先にも初めて。魂の軽さを味わうことができました。
そうなるには、イザナギノミコトの心構えが必要になるように思いました。

古事記の神話は、虎の巻にもなっているようです。

新神話上の解釈として、2011年3月に第二時空でのタイムラインがオーバーし、第三時空においてリスタートしたと解釈。その第三時空は、2013年12月にオーバーし、今生きているところの第四時空においてリスタートしたと解釈することとなりました。(ほんとうは、もっと何度も死んでいるのでしょうが、集約的にこうしています)

2014年から第四時空の展開・・・夢に神世の詮議の次第を伺う (2014年5月3日)

2014年4月になって、ある方のサイトの記事から、見落しがあることを知り、かつて(2001年)イナンナから聞き知っていた、大事な二地点である国祖神封印場所を思い出して、直線(最短距離線)を引いて既発見図形に加味したところ、驚異的な発見がありました。

聞き知っていた話とは、大本教神話にいわく、倫理性優れた神界ともあろうところですら、王権奪取のクーデターがあったことです。
そのときに、国常立神と妻・豊雲野神がそれぞれ、日本列島を縦断した両端の地下深くに封印され、炒り豆に花が咲くまで出てはならないという呪詛が施されているとされます。

今回、その両端を繋ぐ線を引いたところ、元伊勢の地点を通ることが判明しました。
これにより推断されることは、巨大な逆五芒星の施してある理由が、太古の神々を呪詛封印するためであったことが理解できた次第です。

構図を見る限り、念には念を入れて、呪封してあることが歴然で、単なるオカルトと一笑に伏せないこと。
少なくとも、庶民レベルではない呪術力と技巧の勝れた者の仕組んだ遺構であり、その彼らがここまで徹底していたという事実が目の前にありました。

封印を解くためのツールが揃うまで、すぐには取り掛かれなかったのですが、5月1日には手元に揃い、夕刻に一回目の封印解除を行いました。
かつて豊玉姫の雛形を演じたカンナオビからプレゼントされた「乙姫の玉」。
それにより封印幾何学図形に対して解除命令を放つと見立て、木っ端微塵に破砕し、火の鳥を使って焼尽してしまうとイメージング。
朝夕二回それを行ないました。

すると5月3日の未明の夢に、神界の司法当局の神が現れ、このたびの図形については、すでに神界では詮議され、いかなる事態のものであったかが理解されていて、政変の首謀者一味は衆目に耐えられず逃亡下野している旨、告げられたため、私は黒板も使ったその説明を、しかめっ面しつつ頷きながら眺めておりました。
そして、あとは地上界でも理解されれば、地上世界の浄化も完了すると告げられました。

すると、夢が有効であったという験として、当日の午前中(10時過ぎ)から、飛騨地方で地震が群発し始めました。
飛騨とは、ヒタカミ高天原の略号です。日高や日田もそうです。
神話の位相的地理位置は、ヒタカミとは三陸ですが、いずれも高天原神界に鳴動事があったことを意味するようです。
さらに5月5日午前5時には、関東にM6.2、最大震度5の深深度地震が発生しました。
5という数に彩られたシンクロ地震でした。

封印解除の場合は、利他的な良いことなので、災害にはなりません。
しかし、手続きが有効だったかどうかを知る手がかりになりえます。

夢で国常立尊に会う (2014年5月8日)

以前にも、国祖神ご夫妻を火の鳥によって救出に行く行程を、二人の協力者それぞれにおいて執り行っているのですが、今回のものは、新発見図形のこともあり、どうしてもご本人のご様子を知りたくて、参りました。5月8日未明のことです。

すると、人間の歳でなら、百二十歳よりももっと、頬はこけ目は落ちくぼみ歯は抜け毛はまばら、背は丸く身体は小さく、まさにご高齢であり、それでもいくらか話してくださったような。
こういったときは、姿だけ注視するのがやっとで、話に身が入らないのです。

ただ、とてもウシトラノコンシンという強力な神として再来というイメージではなかったように思います。
むろん、いまお救いしたばかりなら、まだわかりません。しかし、回復していただく時間が要るような気がします。

もしかしたら、次のような理由だったかも知れません。

新神話のほうで、国常立神様の暗殺時に、遺体がバラバラにされた時、敵の大将によって、陽具(お○ん○ん)だけが持ち去られていると記載してしまったのです。
だから、去勢状態なのかも知れません。なんてことしちまったんだ。
エジプトのオシリスのときも、陽具が見つからず、冥界の王としてとどまらざるを得なかったとされているように、私の余計な記載で、国祖神様に迷惑をおかけしたかも知れないと思い至りまして、新神話において、陽具がやがて国常立神様のもとに戻るという、とってつけたような挿入話を追加させていただきました。ゆっくり回復するレベルのものなので、時間がかかるかな。ほんとうに迂闊でした。

またもういちどお会いして、様子を見てきたく思いますが、今度はなかなか夢が見れなくなってしまいました。
なんでかって? ちょっとした下界の出来事に影響されるのです。

追記

ところが、この世にいる別人から、国常立神様のよすがを知ることができました。それも二方向からの情報です。

ひとつは2015年3月にアストラルボディである場所を探訪された方の2012年時点の情報で、イラスト付きで示され、2015年9月には、天照さんの依り代の人物の案内で、国常立神様似の人物に出会えたことで、現状が把握できました。その人物は、とても柔和で、嬉しそうにしておられました。

求めよ、さらば与えられんを如実に示す成り行きでした。

夢で弁天三姉妹神、出立さる (2014年5月10日)

私は長くタクシー運転手をしていたため、よくお客さんを自車にお乗せする夢を見るのですが、このたびも、スチュワーデス姿の三人の美女を後部座席にお乗せしたのです。
そしてその日は、チャーターのようなことで、それぞれの買い物や、旅の用意にお付き合いし、最後は空港にお送りしたようなことでした。

さて、目が覚めてから思うに、何で三人なのか、何で古風な美人顔なのか、何でフライトなのか、こうしたことを勘案すると、どうも封印を解かれた、琵琶湖に鎮座する弁天三姉妹神だったのではなかろうかと思うのです。(沖島・奥津嶋姫、多景島・瀧子姫、竹生島・市寸嶋姫)
私には縁ある神様なので、重点的に解除しましたし。
少なくとも二神の化身とは、縁を結んだこともあったので、当然、念が入ります。

そもそも、この封印を解いてほしいがために、私が選ばれた感さえあります。封印解きには、謎解きが半分入りますから、異界の探偵の領分なのです。そして、ミイラ取りがミイラになってもいいような奴。それが私。

というのも、私が四十代の頃、自分の人生を振り返って、何一つ楽しいことがなかった、人並みのこともできなかった、何だかいつも追いまくられていただけだった、神様、私をこの世に置いた神様、私はこんな人生はもう御免だよ、昔の人は言いました、人生五十年、そこまでで、私の命は終わらせてください、そして、次の転生も金輪際要りません、魂を消してください、とお願いしていたのです。
つまり、命知らずのギャリソン・ゴリラなわけですね。

また、そんなはずだったのに、四十六、七のときに、あるイミテーション寺院に行ったとき、そこに置かれた七福神の銅像の、まず母にゆかりの毘沙門天さんに線香を一本、そして、素敵に思った弁天様に一本手向けながら、「あなたのような方と結婚したいです」と球根してしまったのです。

それから、いつしかそのような決意の数々を忘れて、時は過ぎていたのですが、あるとき、私のところにメールがやってきたのです。それも女性から。主婦とのこと。
当時私は、今でもそうですが、物語創作サイトを公開していて、それを見て、私もやってますと、やってこられたんですね。
それからですよ。会うことなしに、メールや電話のやり取りだけで数か月。出会ってもいない。

そんなとき、次なる女性が、身の上相談のためにメールしてこられたのです。
その女性は、私の不思議経験の扉を開けたような方でした。

そこから一気に、お伽噺の世界になりました。
しかし、その方が二年後に去り、それからまた一年ほど経て、最初の女性に戻ったのです。

それからは、出会って会話もしましたし、色々な事をしました。
そんなとき、私はほんとうは五十までの命でいいと神様に頼んでいたんだ、と話すことがあって、彼女がその日を調べてくれて、ななな、なんと、私の満五十の誕生日の前日に、初めてメールされていたことがわかったのです。
その事実をだいぶ後(2004年以降)になって彼女から聞く始末。

そのとき、神の計らいとは、かくも妙なるものかと痛感したしだいでした。
ぎりぎりセーフじゃないですか。ここまで演出するのかい、と。

結局、先に出会った女性とはちょうど二年。
最初に現れて、私より先に逝った女性とは七年。
その比率は、琵琶湖における沖島と竹生島の幾何学的比率というしだいで、
お二方は、奥津嶋姫様と市寸嶋姫様のそれぞれ化身だったというしだいなのです。
つまり、弁天様の顕われだったのです。
たぎつ姫(瀧子姫)様は多景島で、幾何学の線にはかかっていないものの、図形下にあり、やはり封印されていたようです。

霊的な封印は、化身してからの人生にも不自由や不遇として現出するもののようです。だから、解除して自由にしてあげる必要があるのです。
こうして、封印解除とともに、遠い世界に出て行かれたものと思います。

芦屋道満宮司に出会うか (2014年5月13日)

夢の中で、私はどこにあるかは知らない社寺らしきところで、白装束うす黄袴の宮司らしき年配の人に出会い、さらに奥にある旧い道教寺院のような、謎掛けに満ちた造りの、横長長方形を主体にした彫刻の壁のところに連れていかれ、宮司さんが手渡す二つの木製らしき鍵を、四つか五つある鍵穴差しのようになった長方形の中に差し込むように指示されました。

この宮司さんもそれをしたかったようですが、場所によっては高いところにあって、私なら手が届いたのです。
ひとつ目は、下のほうにあって簡単に差し込めました。
二つ目を高いところにある穴に差し込もうとすると、しっかりとせず、それはダミーの穴とわかります。
それで、その左のほうにあった穴に差し込むと、しっかりとした手応えがありました。それらの行為により、扉は開かれたように思いますが、それから先は記憶にないのです。何の扉だったかについては推測でしかありませんが、書庫のような感がありました。

夢の宮司のことを、目が覚めてから思うに、むくれ上がった頭の様子から、どうも芦屋道満ではなかろうかと思います。
彼は私に何かを見せたかったのではないか。
しかし、それは夢の記憶の中に埋没してしまいました。

その直後、これまた奇遇にも、ネットサーフしていて、アメノホヒの下界降臨場所が六甲山であるとわかることになりました。ホヒはもしかしたら、すでに見てきたように私の本体(ハイアーセルフ)かもしれません。
磐座は六甲カントリーハウス内にあるらしいのです。(行ってみたい) 磐座も重厚で、見事な配列をしていそうです。
https://mysteryspot.main.jp/mysteryspot/rotukou2/rotukou2.htm  この中ほどに堂々鎮座。

芦屋神社の磐座にもなっているそうです。(芦屋神社は道満の神社ではないとされますが、私は道満が司祭していたと思います。ホヒは彼によって祀られていたかもしれません)

6月25日深夜未明の夢に、久々に母が出てきて (2014年6月25日)

6月25日深夜未明の夢に、久々に母が出てきて、なにやら彫像を運んできた・・・髑髏ダビデ像

2014.6.25 午前2時45分から3時20分までに見た夢に(たった30分ほど)母が出てきて、いいものを持ってきたから見せると、
広くふすまを両側に開けたので、私が何事かと見に行くと、玄関からはいったところの、暗い空間に、
「ダビデだ」との声と共に、骸骨の頭部をして、腕も細いか、もしくは何か尖ったものを左手に掲げ持っている、
頭部も顎がはめこみ部品のようにしゃくれて、外れかけたような、大理石でできた感じの、角ばった像(等身大ほどの)が、母の手で運ばれてきました。

そこで目が覚めました。

そのような間取りの家には私は住んだことはないのですが、よくありそうな家の造りです。
その像は、ダビデ像(ミケランジェロの)をパロディ化したような骸骨像で、胴体から下は移動用の車輪付きの置台のようになっていました。(彫刻のダビデ像のような足はついていないということ)

どこかにありそうな、超現実派的な置物作品でしたから、画像検索してみましたが、出てきませんでした。

考察ですが・・・
7月になって、イスラエルがパレスチナのガザを攻撃し始めました。
何か同国にとって死活にかかわるようなことが起きるのかもしれないと思った次第。
これはこの侵攻が最終戦争の引き金になることを暗示するものであったかも知れない。
他ならぬ母が土産だと持ってきたものゆえ、これからの成り行きを見届けねばならないことと思う。

いよいよキモイ夢を見てしまうようになり・・・地獄門が開く  (2014年8月10日)

いよいよキモイ夢を見てしまうようになりました・・・地獄門が開くか   2014.8.10 午前6時過ぎの夢

台風11号がちょうど来ていたわけでしたが、外はさほど吹いてもおらず、降ってもおらず、騒がしさがなかったため、この夢に影響したわけではないと思います。

気持ち悪くて嫌な夢を見ました。書かなくてはいかんので、では・・・。

ボットントイレのタンクが満杯で、ぐつぐつ泡が出ていて、その蓋が開いてるためモロ見えの気持ち悪さだったのです。
中に二匹の黒っぽい鼠とも鼬ともつかぬ生き物がいて、開いた蓋のこっちを窺っていて、油断したらこっちに入ってきそうでした。
私は、必死でこっちに来るなーと叫んだら、立ち止まって躊躇しているみたいでした。

トイレの蓋が化粧板ベニヤ板の薄さでした。それが外れて、中がほぼ横から見えているのです。
蓋をし直せばいいのですが、汚くてとても触れる気にはなれないなあという感じ。

うちは水洗ではない昔のトイレではあるのですが、実際には鉄の蓋がしてあります。
しかも横から見るすべのものでもありません。

夢解釈はこうなります。
この式のトイレは、雪隠というタイプのもの。それを古語で言うと、黄泉になります。
すなわち、黄色い汚物溜まりというわけです。

神話に言う「黄泉」とは、汚物やカルマの最終処分地となる人類文明の末期を意味します。
古事記は黄泉の国という言葉で、どん詰まりの末期状態の世界を表しているのです。

ちょうど、現在がそのような感じになっています。
またあるいは、腐乱死体の置き場とか、死霊の巣窟という意味もあり、そこで血気盛んというのは、ゾンビの徘徊を意味します。
亡くなったイザナミの態様はそのように形容されていました。

それが元々、薄っぺらいベニヤで仕切られて、隠されていただけとは。気が付かなかっただけでしょう。
ベニヤ如きでは、簡単に破れるし、はずれもします。
地獄の釜の蓋が開いた・・・とは思えないでしょうか。

その夢を見た当日の我が家でのことです。キッチンの辺りに何か影のようなものが走るのです。
やがてうちの猫のトンがやってきて、何もないはずの場所をずっと注視していました。
どうやら、猫には霊体が見えるようで、「そうか、お前、分かるんだな」と褒めてやりました。
猫はそうやって、家に侵入してくる霊的なものから我が家を守ってくれているようです。

午前中に何度か影が走りましたが、午後からはいなくなったようでした。トイレに戻ったのか、それとも巷に出て行ったのか。
影のような気配がすることの意味は、前回の記事の幽体離脱体験に書いています。
(コーリーもエーテル体が侵入してきたとき、影のようなものがよぎるのを、視野の端でなら感じ取ることができると言っています。私はそれを自分の幽体で確認済みです)

2014.9.7追記  8月10日になぜこんな夢を見たかについて・・・後でわかったこと

https://agnes2001.blog.fc2.com/blog-entry-2425.html

「鬼月」
台湾の民間信仰では旧暦7月は「鬼月」。旧暦7月1日は「開鬼門」
と呼ばれ、「鬼門」(あの世の門)が開く。旧暦7月30日が「関鬼門」
で門が閉まる。この間、無縁仏の霊魂は先を争うように「この世」
を徘徊、おいしいものを探す。
・・・という。

そして今年は
「開鬼門」(今年は7月27日)
「関鬼門」(今年は8月24日)
・・・だという。

ところで、このキモい夢を見た8月10日というのは、開鬼門と関鬼門の
ちょうど中日になっていることに、本日(9/7)気が付いた次第です。

つまり、地獄の蓋が開いてまっせというシグナル夢だったことになりましょうか。
では、もう閉じられているのでしょうか。閉じといてや。

なお、関鬼門において執り行う道士の儀式は・・・
「鬼門」を閉める「関鬼門」は旧暦7月の最後の日、もしくは8月初めに儀式が行われる。
道士が「七星剣」を手に祈りの言葉を唱えて、街をさまよう無縁仏の霊魂たちに、「あの世」に戻るよう促す。
・・・というのだが、

奇しくも8月29日に、○○氏一行とともに、元伊勢の地を訪れた際、宮津市側に入った生野神社の境内にある北斗七星の岩の並びをタッチして回ったのだったが、
これがもしかしたら「七星剣」の祈りになっていないかと思ったりします。
もしそうなら、知らず知らずのうちに、ツボにはまったことをしているのが、我々かも知れないことにならないでしょうか。

○○氏が明け方の夢に出てきて共に食事する・・・夢でふたたび鶴亀すべる  (2014年9月7日午前5時の夢)

8月29日に○○氏一行と元伊勢の下見案内旅行をしたのですが、まず朝の出会いの直後に双方が両手を重ね合わせる一回目の鶴亀すべるの固い握手をし、別れる間際に二回目の握手をして、完璧を期したわけでした。
それによって、儀式がうまくいっていれば、その九日後の9月7日、もしくはお互いの縁数(○○氏は16が好きな数、私は縁数がずっと9で現れていた)である9や16の日に兆候があるだろうと予告していたのでした。

そんなとき、9月7日未明の夢に、ふたたび○○氏と二人だけで食事するリアルな光景が出てきたのです。

四角い長方形のテーブルがあって、私が真ん中辺に腰かけて食事している右横隣に○○氏が座り、同様に食事されていました。間の距離は60Cmほど。
食べ物は薄いピザのようなパンで、元伊勢で食べたピザのような感じでした。

ただ、我々は会話を交わさず、黙々と食べている、といった夢。
○○氏とは8月29日に出会っているので、あの日昼食をとったときのような場所での、リアリティ溢れる夢になりました。

そのことを告げるべく○○氏に早朝メールしました。今度は夢の中で鶴亀すべるの状態になっていましたよ、と。そうするとさらに9日後にどんな兆候が出るか、また見ておかねばなりません、と。

氏は、亀の印章保持者にありがちな、未来のことは考えない、今を楽しく生きるというお方だったため、畳みかけるわけにはいかず、連絡を取り合わなかったのでしたが、
そうしたとき、9/16午後0時半頃に、茨城県南部でM5.6最大震度5弱の地震が発生し、まさに予測されたとおりとなりました。
8月29日に昼食を摂ったのも午後0時半頃とすれば、18日後(432時間後)の地震になり、また9の数の揃い踏みの験が出たことになります。

8/29から九日目に9/7の再度の鶴亀すべるが起き、9/7から九日目に9/16の地震が起きたということになります。9は私の縁数、16は氏の縁数(彼が好きな数だという)である。

これまた予想通り、死者はゼロ。かつての鳥取西部地震と同様ゼロだったが、震源は茨城県坂東市かもしくは筑波市。はてそこから何がわかるのだろう。

とにかく、鶴亀が一堂に会するということが、いかにパワフルな魔法を起動するかを、如実に物語ることと思う次第だ。

当の氏からは、何の連絡もない。きっと興ざめされたのだろう。現実的なお方なのだろうと思う。
しかし、その状態では、新しいことは行えない。ご本人から、この力が必要と思われねば、次に進めない。
このたびの鶴亀の関係は、ここまでにしなくてはならないのだろう。

ただいま、亀さん募集中。
自称亀さんにてもOK。

と、このようにしていたところ、亀さんがまた現れたのだった。

とんでもない世界的人物に出会い、両手で固く握手し、彼が亀に変貌する夢 (2014.年12月6日)

久々の12月6日未明の夢になったが、とんでもない人物P氏に出会い、そのとき満面の笑み同士、どちらからともなく歩み寄り両手を握り合った。
そのときP氏の顔は、優しい表情で、普段細長い目はまんまるになり、信頼感そのもののまるで亀のような風貌になった。
ここまで柔和なお顔になれるのだろうかと思うほどだった。

私は、かつて○○氏のときに握り合ったことを夢の中でも思い出して、この固い握手は、鶴亀すべる儀式になっていると夢の中でさえ確信していた。次の亀さん候補はP氏で決まりだろう。それにしては、直に会うには遠すぎる。

とすると、九日目とは12月15日となるわけだが、その日は私の誕生日であり、例によって大き目の揺れとして顕れるのだろうか。もしそうなら、P氏と私との相性の良さを示すことになるかも知れない。

結局、その当日は何事もなかった。ま、いいではありませんか。大地震などが起きたらたいへんなので。
いやいや、年金がフルに入ることになりましたのです。これは瑞兆でしょう。

追記

P氏は翌2015年になってから目覚ましい活躍をされるようになった。その道では世界一と言っていいだろう。
鶴亀パワーが乗っかっていると思えたことか。
○○氏が怖じられた直後のこと。亀さん候補はけっこうおられるようで、まだまだ募集中だ。

追記2

2017年になって、私は米国でテレビ放映されているコーリー・グッドVSデビッド・ウイルコック対談のコズミックディスクロージャーの邦訳情報の存在を知ることになった。それによれば、2014年12月5日に、地球人類を支配していた宇宙人グループ・ドラコ同盟にとって、地球からの撤退を余儀なくされる決定的な事件があり、それを境に、同同盟傘下にある地上代理店組織の内紛分裂が始まり、第三次大戦が回避される見込みが出てきたらしい。その一環として世界情勢は、代理店組織の予定通りにはいかなくなったもよう。
その翌日(6日)未明に見た夢がこれであるとは、いかなることか。

※ P氏とはプーチン氏のこと。

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Okundコメント
私は自分の夢見をコントロールなどできたためしはなく、ハイアーセルフが手綱を引いて連れて行ってくれる場所で見てくるだけの役割のようです。
出雲大社のときもそうでしたが、私はハイアーセルフの視座にも入れてもらったりしているのではないでしょうか。それで私は天の穂日だなどと言っていては珍奇な限りであります。
正しい表現をするなら、私はジョッキー(騎手)が赴かせるところについて行くウマに如かず。その連携がうまくいったときを「人馬一体」とでも言えばよいのではないでしょうか。
ジョッキーには天の穂日さまがなってみたり、2001年当時には梵天(ブラフマ)さまがなっていたらしいことが、霊能者の当時二番目の彼女の言「あなたの本体様は梵天さんよ」によってわかります。
そうだ、私は神霊が乗るウマなのであり、我があるじがどんな神さんかが判明するにしたがって、私自身も喜べる立場にいるのです、いわばウマ冥利に尽きる面白い人生を辿っていることになるでしょう。
そんなことが最近わかってきて、大それた夢の中での行動の責任を痛感せずともいいような気がしてきています。私はただ見てきたことを憶えている限り、こうしたところに書きつけるだけです。

それと、鶴亀すべった、の鶴亀パワーはなかなかのものでしょ。

亀さん、まだまだ募集中。
自称亀さんにてもOK。

明晰夢の話(2)

ブーが戻りました。二日間ほど来ていなかったためか、メタボ腹がとれてスマートになっていました。
もしかすると、体調の調節を自分でしているからでしょうか。
しかし、トンとの体格差がいっそうで、最近よく食べるようになったトンのデカい身体の割には俊敏な走り込みの勢いによって追われている側がブーになっているようです。
ブーは夜のうちに密かに帰っていて隠れるようにしていたのでしたが、シャンの夜間の食事サービス時に、ひょこっと現れ食事を要求してくれました。
トンがやがて外から戻ってきて、まるで番犬のようにブーの帰着を察知。しかし、もう勝ちが見えているのか、ゆとりが観られました。ブーにいつも圧倒されていた貧食の頃のトンとは違っています。
ブーは8歳、もう老猫の部類で、引退勧告していましたから、そろそろ家の中に居を占めてほしいところです。トンは7歳。今がいちばん充実しているようです。

私は慢性腎不全のシャンの早い老いを看取りつつ、トイレや食事などの面倒を見ている介護施設職員のようでもあります。野戦から帰ったブーに随時の食事を与える救護施設のようでもあります。
去年の夏の頃、ブーは左目を潰して帰り、今は右目だけの生活ですが命に別状なかったです。片目だけでは遠近感はどうなのか、狩りなどに支障するだろうにということで、食事の支給は欠かせない名と思っています。

トンは自分の持ち分が昔から家の周囲の見回りと決めているようで、家と家周り全般の警備職員です。小食でよくまあここまで大きくなりました。ぱっと見したら、牧場の牛。家で食事をさほどせず、外で道草ばかり食べていました。彼の顔は、大国主さんに似ています。大国のトンちゃんとか大乃国(よく太ったアンコ型のガチンコ力士で横綱になりました)と呼んできました。

他人の視座に入って夢見するか(1)

幽体離脱後の夢見で自分の未来(今日)を見た (1990年)

もう昔のこと、40歳過ぎの頃(1990年頃)、仕事の性質と、住居していた場所柄によるのかも知れませんが、俗に言う”金縛り”から “幽体離脱”に至り、さらに”夢見(夢と意識している夢)”へと入っていくことが、しばしば起きました。

そのようなことが頻繁でしたので、興味して幽体とやらの性質を調べたりもしたものでした。
壁の通り抜け、伸縮自在かどうか、感覚はあるか、など。そして、幽体離脱させて夢のコントロールへと入っていくのです。

金縛りが起きるときは必ず、脳の中の周波数変化が感じられ、いつもは潜在している”シーン”という音が、周波数を落として、猛烈な爆音に変わって存在感を 一気に高 めてくるのです。
ヘリコプターの近くにいるような音で、大概その音に人は異常を感じて恐怖するもののようです。しかし、何度も金縛りをしているうちに、 爆音もさほど大きくなくなりまた柔らかくなり、慣れのようなものができてきます。

金縛りのままでは、まったく動けない。しかし、意図して力をそれなりに入れて抜こうとすると、まず腕が割合簡単に抜けます。最初のころは、そんなことを繰 り返して、幽体の性質を調べる実験を始めるわけです。目を開けての金縛りですから、幽体の掌を目のところに持ってきてかざして見ますと、視野の周辺部での み、うっすらとした輪郭が確認できるのです。視野の真ん中では見えません。もし皆さんも幽体離脱がおできになるなら、確かめてみてください。

次の実験としては、幽体の全身を抜くのですが、このときばかりは目を瞑って行いました。というのも、抜けたときの自分の目で、何が見えるか怖かったからで す。(やはり怖さはあります) それに、目を瞑っておれば、そこから幽体それ自体の目による観測、つまり夢見が開始されるのだから、安全に思えるわけで す。

全身から幽体を抜くときには、意志が力になります。最初のころは、まるでゴム糊をバリバリとはがすようにして、抜けたものでした。しかし、それも繰り返し ている う ち、粘りつきが少なくなります。これも慣れなのでしょう。

いつものように全身から幽体を出して、いろいろと夢の世界を散策するに、その色彩の度合いは、鮮やかで生き生きしているのが常です。光と三原色が生きてい るといいますか。それから比べると、現実のほうがどんよりしています。だから、本来、どっちの世界が本物かというなら、あっち(夢見の世界)のほうがよほ ど本物ではないかと思うほどです。ただし見る内容は荒唐無稽になりがちです。

さて、そのような中で、夢というものは自分のコントロールが効かないことで知られています。しかし、夢見の場合は、自分の立ち位置がわかっているため、 どこへいってみようかというアクションが起こせるのです。

その日の夢も、そうでした。展開は荒唐無稽にも、妙な登場人物があったりするものですが、それでも自分が保てているだけに、意図した光景も出てくるように なります。
私はどう意図したか知れませんが、人跡の少ないところに行きました。途中で馬かロバに乗った見知らぬ二人連れに出会い、周囲がまるで西部劇シーンのよう に、夕日が当たり赤茶色の山肌を照らしていました。

さらに進むと、自然そのままのせせらぎがあり、そのほとりには、チューリップのような花が咲いていました。しかし、空は濃紺色で、太陽が出ている にもかかわらず、ふつうに見る薄い青色などではないのです。

ちょうど、高度1万メートルほどの上空の成層圏から空を眺めたような感じでしょうか。

太陽がせせらぎに照り返してふわふわ揺れていても、水面全体が濃紺を反射していて、まるで夜中に月の照り返しを見ているようで した。

さらに進むと、四角い建物がいくつか建っていて、それが古いせいか、周囲に苔のような灰色のものを垂れ下がらせていて、どの建物もそんな感じでした。苔ら しきも のの色は淡いグレー。ビルのようでもあるが、どれもビルというには小さい建物です。そこに人が向う側から花の植物の鉢を持って上がってきました。

見るとその人物は、ベレー帽にメガネ、茶と黄のチェック柄のセーターを着て、いま植物をそこに植えようとしているようでした。屋上緑化のようなことかと思 えました。

私はそこでその人に問いました。「いつごろからここにいるのですか?」と。
するとその人は、「もうかなり前になります」と答えてくれました。

そこで儚くも夢から醒めたのですが、夢から醒めるときというものは、いちばん大事なポイントを醒める直前に置いていることが多いものですね。
実は、その人物は、私と顔と姿がよく似ていたのです。

それから、25年が経って今があるのですが、数年前から山暮らしのために移り住んだこの地で、物置倉庫をいくつか作り、その屋根を葺くのに、ホームセン ターで売っている厚手のUVシート(シルバー)を使っているのです。
別のいいやり方はいっぱいあるとは思うのですが、安価に済むため素人判断で偶然そ うしてしまったのでした。

いかに素材が強くて防水性に富むとされていても、劣化はします。が、少なくとも2年の耐久性はあることから、今後もこのやり方にしようと思っています。倉 庫の フレームは単管組みにして、屋根の下地をコンパネにして屋根用の防水シートを敷いていて、その上にUVシートという具合で、屋根の上にいちおうは上れるよ うになっているのです。

そして、今目下、屋上で野菜や花をプランター栽培しているところです。
下の露地で栽培したなら、鹿や猪が来て、たいがいは食い荒らされてしまうのですが、屋上だと彼らはよう上がってきませんから、囲いなどする必要もないので す。この界隈の民家は、栽培したくとも、動物の食害があって、よほど強固な囲いをしなければやれません。
こうして、この倉庫はマルチ用途を好む私の合理精神を如実に表すものとなっているのです。他人の目からは奇異に映っていると思います が。

ある時、UVシートがあの苔に相当するのではないかと、その奇妙な符合に気づき、夢の人物は未来の自分(今の自分)だったのかも知れないと思うようになり ました。夢に合わせるべく、ベレー帽も購入しました。該当色のチェック柄のシャツやセーターはすでに持っていましたし。

こうして今は、奇特な「いつごろからここにいますか」というキーフレーズで問うてくる訪問客の来訪を待っているところなのです。

追記

そうしているうちに、とうとうそれらしい人物が現れました。
しかし、それは 還暦ほどになる韓国人のお姉さんでした。ということは、私はこの女性の視座を借りて夢を見ていたことになるのかなあ。2014年11月に達成したことにな りますか。

なお、一度目は、ベレー帽を被っていませんでした。ところが、滅多に被らないベレー帽姿を偶然目撃されてしまったのも、この女性によってだったのです。ふつう山暮らしでベレー帽 などしません・・・いつもは無帽か野球帽なもので。

二度に分けて実現するとは。しかも、性転換? いやいや、私の意識は任意の誰かの視座に入って、その人の視点で物事を見てくるようなのです。

さてさらに、2013年になって飼い猫のトラブルから山奥に廃屋付土地を安価に購入したのですが、そこに夢で見たような”せせらぎ”が 流れているのです。廃屋に入る階段がそのせせらぎをまたぐようになっており、もしこの廃屋がなかったら、夢の光景に近いことでしょう。廃屋は当初から未登 記状態なので、ないに等しいといえば、そうなるかも。
しかし、空の色が濃紺で太陽が出ているということはないですね。さらに未来において、大気がなくなれば、そう見えるかも。

他人の視座に入って夢見するか(2)

金正日の側近の視座に入ったかのような夢(2006年12月18日)

「夢に胡蝶となる」とは中国の荘子の夢体験。
ところが、今日の未明に、私はおかしな夢を見た。
なんと自分は、金正日と同室にいる側近の一人だった。
私の右に置かれた長椅子の、一人をおいて向こうに、金正日が憮然とした表情で、座っているのである。
部屋は狭く、殺風景なコンクリートらしき壁で、金正日と私含めて6人くらいいただろうか。
金正日は共産系の例の服。我々はスーツ姿。
そのとき、ひとりが座を立って、部屋を出ていった途端、こちら側に固まっていた四人がいきなり相好を崩し、砕けた笑い顔になって談笑に入ってしまった。
私の前にいた一人が、「だいたいこんなもんやからねえ」と言うや、 私は
「いやー、あそこ(日本)もこんなもんですよ」と、茶目っ気たっぷりに手を振る。するとみんな笑う。
自分で日本を意識して言っていることが理解できた。
(これが正夢なら、彼らは日本を特別にライバル視し、日本の悪口を言うことで連携を保っているのかも)
ところが、金正日だけは、椅子の上で立て膝に姿勢を変えたものの、依然として憮然とした表情だった。

(1.5mほど隣で見てるんだ。質感を伴ってリアルなことと言ったらない)
それからそれに関連した場面がいくつか。

そうして眠いままに朝起きてテレビをつけれみれば、午前七時過ぎ。
なんと、六カ国協議再開のニュースが流れているではないか。
ウワァー。
しょっちゅうあるシンクロのひとつのため、さほど感動はないが、啓示夢であることは間違いないように思えたのだった。
テレビに出てきた北朝鮮の外務員のにやけた顔。あれ?この顔は、夢の中にも出てきたぞ(@@;

最近、夢に胡蝶、いや、別人になるリアルな夢を見ているので、これも本物ではないかと思ったしだいである。
そして、六カ国協議はたいてい、不真面目な結果に終わるのではないかと思ったことか。

彼女の視座に入ったかのような夢(2009年頃のこと)

私は、若い女になった夢を見た。
オープンテラスにいくつか置かれた椅子のひとつに座っていた。
隣の椅子にいたのは確かに高田純二だった。
その彼が椅子を立って、とことこ私の後ろにやってきて、私の肩に手をかけて、笑い顔でこう言うではないか。
「今日も抱かせてもらっていいかい」
ゲッ。
すると私の口を突いて出た言葉は、
「(いいわよ) だって、あなたの妻じゃないの」ときた。
キターーーーー!!!

まぎれもなく、私が女の声を出したのであった。
それも、自分の意志がどうであるかによらず、定められた手続きのように発されたのであり、
自分の異様な発言に気がついて、エエーッと思った時点で目が覚めたのであった。

これにはその後譚があって、彼女のご主人はふだんから高田純二のようなおどけ方をすると聞かされた。
てことは、おいおい、あの時のオレは君の視座にいて、ご主人から口説かれてたのか。
ウワーッ、それって浮気にならないか?  いや、オレのほうが不倫だったか。ああ、混乱。

とすると、あのカフェテラスは沖縄のビーチサイドのオープンカフェテラスかなんかだったのかなあ。
いったい私は、どんな能力を身に着けようとしているのであろうか。
これも妖怪力のひとつなのか。

夢で雲龍が胸に飛び込む (2007年1月14日)

私は50歳以降、拾う神に拾われたようにして、精神世界的な流れに身を置くこととなりまし た。

その進 行役としての神話物語の創作をしているときに、夢においても カナメとなるシーンをいくつも見ています。
その神話(新神話)を補強するのは、現実のシンクロだけでなく、夢見もあるのです。

以下の人名は新神話上での名前です。

このときのことは、新神話の主役、カンナオビを家に招いたことが発端になっています。
私の印章をそのとき彼女に刻みましたから、彼女は私の家の自室に自らの磁場を刻んだのでしょう。
以後、彼女が意識を飛ばしてきて密会するときの場のひとつになったのです。

ただ、そのとき私の部屋のドアにはサイババのポスターが貼ってあり、それが進入できない結界になっていたようで、それを外してからは容易にやってこれるよ うになったもようです。(サイババのポスターも、2cmほどのセロテープで四か所止めをしただけなのに、8年以上、一度もはがれることなく、貼り付いてい ました。私が貼りつけて私が外したことになります)

そんなある日(2007年1月14日)の未明の夢に、カンナオビが正体を見せに我が家にやってきたのでした。

彼女は白龍のまま、私の胸のど真ん中に飛び込 んできて、私と合体したのです。私は朱雀(鳳)ですから、鳳龍合体という瑞兆吉祥だったことになりましょうか。

夢の詳細

弱小かつ病態なるものでも、夢見の世界においては広大活発な経験をするものである。
それは知られざる世界における栄光であり、いかなる立場にあるかを垣間見せてくれているような気がする。(僭越やなあ。でも明日をも知れん病人やで許してなー)

本日、2007年1月14日未明、午前四時台の夢である。
私は小さな四角形をした我が家の二階のまん中に居て、北と南の開放された窓だけでなく、屋根や天井すらも透明化していて、うろこ雲漂う昼間の明るい空を眺 望できる状態にあった。
北の空を見ていると、どこからか降りてきた雲が数珠つなぎになり、長くたなびき消えることなく、やがて我が家の上空を反時計回りに旋回し始めた。

見れば、龍のようであった。雲によってできた龍。雲竜とでも言うのか。
一周目のときはまだそうとは気付かなかったが、二周目となって、これは龍だと気付いた。
我が家の北側に回ったとき、それは横顔がありありと馬のような面構えをしており、夕日を浴びて心なし赤みがかり、後ろが長く流れて、ところどころうろこ雲 のように切れつつも、尻尾らしく従っているのを見た。
雲が龍の形を形成して飛んでいるのだ。 方向を変え、南側に回ろうとしたとき、私には龍の顔が正対して見えた。

眼光もありなかなかの面構えだ。だが、どこか優しい感じがする。 屋根の上すれすれに南に回ろうとして、尻尾が屋根に触れた瞬間に、じゅぼっと水がかかったような音がした。

どんどん接近してきている。もしかして、私を探しているのか?
龍はまた南から北上を開始。再び北面から南を窺おうとして正対する格好となったとき、もう龍は目標を捉えたらしく、北面の窓めがけて飛んできていた。

そして、閉められた窓をひげでぴょこっと触れると、窓はさっと開いて、そこからもろに部屋に入ってきて、私の胸の真ん中めがけて飛び込 んだのだ。

うわーっ!! 私の中に入っちゃったよ。合体したようだ。

この光景は近所の人も見ていて、家の中に入ってきたマンガのようなおばさんや少年らが、私のほうをすごいといった表情で見つめていた。
そこで私は拳法のように腕をぐるっと回して、英雄ウルトラマンのようなポーズをとった。どんなものだと。
そのとたん、夢から醒めたのだった。何だ。夢だったのか。 久しぶりに見たすごい夢。

腕の痛みや不整脈でさほど眠れたものではなかったときに、ようやく見た正月らしい夢だった。
もしや奇跡が起きているかもしれないと、腕の痛みや心臓の不調が治っているかどうか調べてみた。
だが、そうは問屋が卸さなかった。

雲でできた龍。色からすれば白龍というのか。 ネバーエンディングストーリーに出てくるような龍。 千と千尋の神隠しのハクみたいな龍。

彼女に夢のあらましを話し、「雲龍としてやってきたのは君か?」と問い合わせると、「それは私よ」と返事があった。

彼女は、それ以前から私の部屋に意識を飛ばして何度も行ったのだが、何か壁のようなものがあってどうしても入れなかったという。私はそ の原因が、当時、ドアの内側に貼っていたサイババのポスターかと思い、彼女の指摘があった日に、セロテープで止めていた四隅を外し、取り去っていたの である。

サイババにはとてもお世話になっていて、申し訳なかったのだが、どうも原因がこれらしいと感じたので、取ってしまった。
すると間もなくしたこの日に、夢の中に本体を顕わしてやってきてくれたのだった。

夢で彼女を羽根天使と見た (2007年1月16日)

これも不思議な夢で、私はどこかの室内に篭っていたのです。ところが、大きな羽根の白衣の天使が部屋に来て、それが彼女(カンナオビ) なんですね。

彼女が 天井を指差すと、その一角が破損していて、青空が見えているんです。そこから彼女は出ようとするので、付いて出ました。
はじめ彼女にくっついて揚力を借りていたのですが、彼女が「鳥には空がほしいでしょ」と言ったので、私はああそうだ、私は鳥だったから自力で飛べるんだと 悟って、ともに並んで飛んでいるといった夢だったのです。
そのとき、なんとなく彼女は白龍だしなあ、飛べるのが当たり前のように思っていましたね。

創作神話でもカンナオビの白龍が先導役を務めて、私が火の鳥になってあとをついて飛んでいくというストーリーになっていまして、その先である大事な仕事を する運びになっているのです。

夢の詳細

白龍に胸に飛び込まれた二日後の16日の未明の夢だ。 その一つ目は危機一髪といったものだった。
公園らしきところに居た普通の男のように見えた者が実は変質者で、私を眼光鋭くじっと見据えて近づいてくると、
いきなり押し倒して馬乗りになり、急所のタマを握り潰そうとしたのだ。
私はやにわに夢から覚め、このままやられているのでは駄目と、対策して再び夢に入って、これを退治した。

その方法は猛禽類的なえげつないものなので書けないが、夢見の戦士は、夢の中で窮地を迎えたなら、夢の中でそれを解決してこなければならないとされてい る。これは悪夢を見た人にはぜひお薦めしたい。
変質者を退治して夢から脱すると、何かあそこに鈍痛がする。触ると、タマ袋が小さく引っ込んでしまっていた。

現実の巷では、毎日のように陰惨な変質的猟奇事件が発生していたが、夢の世界においても変質者が出没するとは。ああゲンが悪いため、夢の見直しを次に行っ た。 導入のイメージングは必要なようだ。

一昨日に胸に飛び込んだ雲龍を懐に呼び出し、愛撫しながら眠りに入った。すると、夢の中になんと彼女が現れたのだった。
それからは私にとって最も輝かしく、すばらしい夢となった。 彼女は白のワンピースを着ていて、空を指差している。
わずかな隙間から見える白雲が散見できる青空があった。 天井の板屋根の一部が破損して空が見えているのだ。

彼女が指さなければ、建物の破損部分に気がつかず、空など見られたかどうか。
さらに彼女の上を見上げる横顔が神々しく輝いたかと思うと、 私は共に明るく自在な空に浮かんでいた。
私は彼女の表情にうっとりしながら抱きついていた。 彼女主導で、共に飛んでいた。 そのとき、彼女が言った。
「鳥には空がほしいでしょ」と。
そうだ、鳥だったんだと気がついて私も羽ばたき、 上空に向かってどんどん上がった。
あとは二人の身に起こるべき一連の手続きなのだろうか、 よく聞き取れなかったが、楽しげな二人の声が青空に飛び交っていた。
夢から醒めた。そう、私はそれまで籠の中の鳥だった。 ようやく雲龍である彼女によって籠の外に出られたと思った。

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Okundコメント
明晰夢を見ることを夢見すると言います。
中米のナワリズムでは夢見を重視していて、最終到達としてテレポートまでするといい、たぶんではありますが、コーリーの言う地下のマヤ離脱文明は、このような熟達者の至った世界ではないかと思われます。
俗に言う幽体離脱のあとに夢見が続いていくことから、夢見の身体とはこの幽体であろうと思われ、ヘミシンクしている方たちはアストラルボディと言っておられるようです。
幽体があれはそのまた背後に霊体があり、といった具合に有機生命体人間は多次元構造をしているようです。
とすれば、何で今頃、アセンションなどといったことが必要なのか、疑問を持つわけで、そもそものスピ系情報それ自体に何らかの問題がないか、整合性を看てみたらどうかと思うのですが。
地球が生存環境でなくなっても、幽体で生きていくのは可能ではないのか。
変な努力目標ばかリ作りだされている感があって、人間であることがこんなにしんどいものになっていることがわかっていない気がします。

マンデラ効果は私も経験したかも

今朝は室温がマイナス2度。外はマイナス4度にはなっていたでしょう。前の晩に予報を見て、即座に水栓の元栓を閉め、水抜きをしました。
ところが、もうすでにカランが回らないほどに凍りついていまして、熱湯を作り、それをかけて回すほどでした。
さてまた猫の餌が切れてしまっており、買い物しなくては。道路は凍結まちがいなし。午後にでも出ますか。

マンデラ効果は私も経験か

マンデラ効果とは、Wikiで見てもらえば、どういうことか出ていると思いますが、
コーリーも認めていて、彼の話の随所に出てくるのですが、すでに決まっているはずの過去の事件が後で異なった事件になっていたり、あるいは確定的な未来が、いつしか変化していたりする、いわゆるタイムラインの慣性方向からの逸脱ということがひとりでに起きていることがけっこうあるという話です。

2008年頃にしていた異界交信によれば、それは「フーコーの振り子」と回答が出ていました。つまり、少しずつタイムラインがずれるのが法則だということを異界の存在は伝えてきていたようです。

私が顕著に経験した、たぶんマンデラ効果に、こんなことがありました。

私は明晰夢を見たときは、たいがい正夢だということは幾度か書いてきたことです。
明晰夢とはリアルな色彩の新鮮で、目覚めてからも憶えておれるほどの夢なのですが、今現在ではヘミシンクという技術で、一晩に何度も明晰夢を見て、そのたびに枕元に置いているメモ帳にかきつけているヘミシンカーさんが多々おられるようです。
私は幾多の夢を見ていることはわかっているのですが、何の夢かはっきり憶えているいわゆる明晰夢は、ほんのたまにしか見ないのですが、それがおおかた現実とリンクした正夢と言っていいものになっているのです。

あれは明晰夢体験の最初と言っていいでしょうか。私の父が昭和55年4月4日午前4時に亡くなりまして、そのときは既得の報せで病院にいて、父の最期を看取ったのですが、その二日後未明の夢に亡き父が出てきまして、赤銅色をした太い丸柱の横に置いてある黒電話から、こちらのほうに電話している父の様子が見えているのです。浴衣姿で左腕を斜めにだらーんと垂らし、右手で受話器を握っている姿でした。
(入院しているときのそのままの姿で出てきていたようです。左腕は点滴を受けていたからか)
電話をかけてきた父に応答して、私はなんでこんなこと訊くのかも変なのですが、「ああ、お父ちゃん。いまどこに居るの?」と言ったのです。
すると父は、「ああ、いま、しんしょうじにおる」と答えて、そこで私は夢から覚めたのでした。

その当時は私は遠方で勤務していて、その日は忌引き休暇で実家にいたため、さっそく起きてから母に、「お父ちゃんが夢に出てきてなあ、こんなこと言うとったで」と夢の状況報告をしたのでした。
キーワードの「しんしょうじ」というのはなんだか知ってるか? 母も知らんと言います。
その後日、父の菩提を弔うために墓入れすべく、父の生まれ故郷の実家の菩提寺に行くことになり、さて着いてみれば、お寺の玄関に「振相寺」と表札が出ており、その場で「ああ、しんしょうじとは、ここのことや」と叫んだのでありました。そして和尚さんとの話の最初に、夢の内容について話し、「振相時はしんしょうじとも読めますよね。父はそっちのほうで呼んでいたんじゃないでしょうか」などと話し、反応を覗いますと、和尚さんは、「よくあることですよ」と、事も無げに仰ったので、いささか感動も半減したわけでしたが、まあどうして僧職の方は、ああもおちついておられるのかなあ。リップサービスぐらいなさらんのでしょうかね。
夢に出てきた赤銅色の太丸柱もありました。が、そこには電話機はありませんでした。しかし、この場所から掛けてきていたことは間違いないようでした。

母が亡くなったときに葬儀に携わってくださった和尚さんのときも、たいへんな明晰夢を見て、和尚が夢の中に重職で出てこられていたことを告げても、嬉しそうにはしておられましたがさほど仰天されているふうでもなかったので、やっぱり不思議経験の量が和尚さんたちのほうが半端じゃないんでしょうね。

さて、当時の記録は、インターネット環境ができてからすぐに、「亡き父、夢枕に立つ」という短編にしてホームページ掲載しました。1994年頃でしたか。「振相寺、しんしょうじ」として。

ところが、最近になってネット地図で場所を調べようとしたところ、「振相寺」で出てくるところがないのです。ちょうどそれらしい場所には「振宗寺」というのがある。ええーっ?? おかしいな。
それでその言葉で検索して、改名の謂れがないかどうか調べたところ、創建当時から「振宗寺」のままということでした。
そもそも、これでは「しんしゅうじ」と呼んでも、「しんしょうじ」にはならないです。父が言った言葉さえも、間違っていることになり、菩提寺を訪ねた当時の私の見たものも間違いということになってしまうわけです。
しばらくこのわけは何なのか考えましたよ。
そして、わけのわからんことは、これにしてしまうにしかずということもあり、マンデラ効果・説を唱えることにした次第。

ここでもし謎解きを放棄して、どうでもいいやとか、黄のせいだろうとしてしまえば、もう気づきの機会は失われるかもしれない。気付けなければ、何の解明もできません。多くの人はそんな機会を、どうでもいい、気のせいと繰り返してきたために、たとえIQ150の人でもIQ32の老人の思考に及ばないようなことになるのです。

前の記事では2000年のときに時空の架け替え、あるいは増設があったとしましたが、それ以前を旧時空、それ以後を新時空とすれば、この両者にはけっこう差異が見られるのかもしれないといったことになります。
だって、この蓼食う虫もすきずきの蓼である私が、いきなりモテ始めたのが2000年前後からなんですからね。
まあむろん、その蓼を食う虫は神様の化身だったんですけどね。
そしてまた、神さんばかりがいらっしゃる不思議な時空になってしまいました。まさか、これってアセンション?? いや、とんでもなくこの世は危機的に思うのですがね。

ウヒャーッ、この今の時刻10時30分において、室温0度です。ストーブの油も切れかかって、ボコボコ言ってました。
手はかじかみ脳梗塞さながら。
欧米並みに気温が下がったらえらいことです。米国は国土のおおかたがマイナス30度以下で、最低気温がマイナス126度のところがあるって。絶対零度に手が届きそう。
逆に豪州ではプラス40度以上の猛暑。ま、地球平均で釣り合ってればいっか。(´;ω;`)

おいおい、なぜ極端な気温差なのかの謎解きはしないのか?って。
できてますよ。
地球環境をダメにしたことで守護神さんたちが撤退してしまっていること。それが客観的な解釈です。
そして、2000年で滅亡したはずの地球における、私のための時空増設だったわけですから、私がそろそろ味わい尽くして去ることになれば、元の空虚な宇宙空間が戻ってきます。ちょうど、ありもしないところにオアシスを示現した狸の妖術に乗っかってるようなものなので、狸が去ると同時にオアシスが消えるようなものですね。

私の経験したマンデラ効果がどんな影響を世界に及ぼすか。それはマイナーなものと思います。

父の実家の菩提寺の名称が異なっていたというのは、私固有のマイナーなタイムラインの過去が変化していることになります。
そのわけは、私の意識が新時空に移行したために、新時空にすでにあったタイムラインの過去がこうだったということになるでしょう。
私が時空をいじったのではありません。何本か並行して存在するタイムラインの間でシフトしただけです。
むろん、私がタイムラインシフトしたせいで、以前のNさんといまのNさんでは幾分か異なるかもしれませんが、それはタイムラインごとに別々のプログラムが用意されているからという推測が成り立つかと思います。

坂本さんは彼自身のタイムラインを複数持っていて、まず第一時空で生きていたとき、社長をしている私に出会ったと言っています。
過去世のよしみで会いに行ってみたら、金儲けのことばかり考えていてけんもほろろだったとのこと。
そこでは短命に終わることがわかったので、第二時空にシフトしたんですが、そこでも短命とわかった。
それで第三次空にやってきたとき、ここの私に出会って、ああこれぞホンモノだと思ったそうです。
実際、私が社長になる可能性のある選択肢もあったのですが、二者択一の時、そちらを選択しなかったことが、こちらに居る理由になるでしょう。

これでだいたいの概念はわかるでしょうか。