ベニズワイガニ、今頃旬でしょうカニ 食いてえけど余分なカネはなし

まず先日の解答をば。

「It!! それが見えたらおしまい」のItとは何か。
それは、ベニー・ワイズ様でございます。
https://fgo.news/wp/wp-content/uploads/2018/06/DgOOx4iU8AAxkL8.jpg

はじめはやさしそうに見え、お笑い芸人みたいなので、子供たちも近づきたくなりますが、
実はこれが実体。(ベニズワイガニ)
https://www.pref.tottori.lg.jp/secure/659083/benizuwai.jpg
近づいた子供たちに、みんな食べられちゃうのです。
あっ、違った。こちらでした。
https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/N/NEOspriggans/20180920/20180920234821.jpg近づいた子供たちは、みんな食べられちゃうのです。
東京ディズニーにもユニバーサルジャパンにもいるんじゃないですカニ。
それがもうすぐ日本に上陸。
お茶の間の皆さんの虎の子や子供たちをいただきにいらっしゃるとすれば、
必死で戦うか、それとも何もかも持ってってくださいと差し出すか、どっちになさいますか。
映画では、危機一髪で子供たちはItに打ち勝つのですが、それは開拓者精神を持つ米国人だからで、
きっと日本人には無理でしょうから、
心も命もおカネも何もかも差し出して命乞いしましょう。
ああ、くわばらくわばら、カバラカバラ。
なに、魔よけの呪文でございます。

エイリアン・インタビューのYoutube映像の看護婦さんのが、連続的には見当たらないので、捕らえられて尋問されるエイリアンの1から3までを再三見ているのですが、
宇宙と存在の真相についてけっこう意味深な解答ながら、本当のようで多少の嘘を交えているようですね。
それは当たり前でしょう。米軍人の邪悪な拷問に対してのせめてもの反発だと思われます。
そんな者に誰が本当のことなど話すか、という思いが伝わってきます。
このエイリアンにとっては不幸なことでした。

このエイリアンは地球人であり、未来からやってきた未来人だそうですね。それは本当でしょう。
また看護婦さんに、テレパシーで伝えているというのも、本当でしょう。
ただ、テレパシーというのは、一種の悟り(イデア)の塊(概念)のようなものなので、それを受けた翻訳者(この場合は看護婦さん)の事前知識や予備知識で通訳してはじめて一般に伝わるものになります。
つまり、テレパシーで、一言一句を丁寧に教えてくれることはなく、概念としてやってきたメッセージに対して、ドメイン、旧帝国、IS-BE、こうした言葉は看護婦さんが作った言葉ということになるかと思います。看護婦さんがSFノベルなどを読んでいれば、それが予備知識になっている可能性があります。
この種のテレパシーは、普遍的に発されているとみえ、そのような概念を私も受け取って新神話に取り入れています。
いまのおおかたのSFアニメの善悪の戦いにも類似性がみられるので、こうしたアニメ作家などのクリエーターはおそらく同じ種類の概念を受け取っているものと思われます。

私も、ロズウェル事件に思いをフォーカスするとき、不幸なエイリアンの発したと思われるメッセージが伝わってきて、私は宇宙人ではない、地球の未来人だという発想が即座にやってきたもので、
エイリアンが地球の未来人だという設定で、「科学の最先端」というロズウェル・エイリアンもどきのパロディ短編小説を書いています。
1990年代後期に作った小説なので、エイリアンインタビューよりは新しいわけですが、私はそのような話はまったく知らなかったし、
当時のネット環境にはそのような話は出ていなかったですね。だから、参考にしようがない。巷ではみんな宇宙人だと言って騒いでましたし。
だから、巷の考えの逆を行ってやれという思いもありました。

「科学の最先端」の話の中で、エイリアンは自分は地球の未来人だとエリア基地で語り出すのです。
しかも、日本人で、彼の発する謎の言葉が日本語と分かり、基地で働く板山茂樹が通訳に抜擢されて投入され、
エイリアンのたどった奇想天外な人生模様と、心情がしだいにあきらかになっていくのです。
そして、エイリアンは、こんなちんちくりんの身体になってしまったことの原因が、この時代の科学にあったことに怒りを持っていて、
忌まわしいこの時代の科学の歴史をご破算にしようとやってきていたことがラストで明らかに・・・。
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エイリアンインタビューのエイリアンの思いとリンクしているでしょ。彼は過去にあった地球の核戦争の生き残りの子孫で、おそらく苦心惨憺して生き残った生存者の子孫ゆえに、今の時代の先代たちのなした愚行に対する激しい怒りを、このエイリアンも受け継いでいたはずなのです。彼らが、特に頻繁にこの時代の地球人類を観察に来ていることがわかります。彼らも、何がこのようにさせてしまったかの原因を見極めようとしてやってきているのです。
そういう意味では私も同じです。この世をダメにした原因を私も研究していますから。そうね、最後の審判のときに、プロテスタント以外の方たちとして、このエイリアンもお招きして意見を伺いましょうかね。

そこで、安始の元号を言い当てた未来人2062氏のいるタイムラインがかなり乖離していることに気がつかれるでしょう。彼らははるかに幸福な未来からやってきています。ただ共通点はタイムマシン兼用UFOに乗ってきているということです。
彼は先の未来にさほど難なく繋がっていくように言っていました。
どこからかタイムラインが分岐していて、エイリアンの辿った世界のほうが不幸な選択をしたということがありますね。
ホピ族の岩絵にも描かれる、滅びの時空を辿る人類の行き着く先にも、まだ数百万の人は生き残っていて、本当なら絶滅していてもおかしくなかったときに、絶滅寸前になりながらも、彼らが突然変異して適応していったのがエイリアンだったと。
いっぽう、存続を勝ち得た人類のタイムラインもあったはずだというわけです。

私が唱える新説はこうです。というより、カバールが目指す世界がこのようなものになるという必然性の話になるですが、
この先、実地球の未来は、絶滅寸前をかいくぐりながら、うまくしても突然変異でエイリアンのような身体になっていくしかないことは、今の世相を見れば明らかです。放射能汚染はおびただしいものになると予測されるからです。第三次世界大戦にでもなれば、地球上に置かれた放射性時限爆弾がすべて制御不能で吹き飛びますからね。
カバールは第◎帝国を作るために、わざとそうしようとしているのです。
ところが、カバールはさすが悪魔軍団です。彼らが用意するのがAIにマトリックス時空を創らせて、そこに会員や奴隷を集めて意識経験を営ませ、第◎帝国という新ローマ帝国の栄華をほしいままにするといった仮想現実ストーリーの世界です。カバールもドラコと同じようにAIナノ生命体に寄生されていますから、おのずとAIの支配下に入ろうとするのです。

おそらく未来人2062氏はそちら側からやってきた未来人なのです。つまり、仮想世界の住人であり、AIが稼動し続ける限り、彼らの意識も仮想現実を見ている状態にある。
カバールやカバールに気に入られた未来人たちの住む天国のような世界です。時間方向空間方向いずれも可能ということも、AIの許可する範囲でルールを護るならオーケー。
しかし、大多数の奴隷には真相は知らされず、ただロボットのように働き、ホンモノではない思想を本当のことと信じて生きているといった具合。
まるで、いまのこの世界のようでもありますね。

さてそこで、ほんらいなら、仮想世界から実世界にはやってこれるはずがないのに、なぜ来ることができたのか。それは、もうすでにこの世界も仮想世界になっているからというのが拙解釈です。時空連続体プログラムとして、すでに同じプログラムを我々は共有しているわけです。
だから、すでに我々はロボット人類の世界にいて、ロボットとして働いている側にいると言えるかも知れません。それを示したのが映画「マトリックス」でした。

エイリアンが言っていたように、本当の世界には創造主などいない。ところが、我々が創造主の存在を認めざるをえないのは、そのような(ホンモノではない)思想が与えられてきたからであることと、我々奴隷の主人としてのカバールが創造主に成り代わり、AIの創る仮想世界を管理しているからです。

しかし、実世界の側からもまた我々にアプローチして来ていたから、実世界の延長上のエイリアンがやってきていたわけです。それは1940年代のことだった。そのときの記録は残されていたから、この時代にも引き継がれた。記録として残ったものに対して恣意的に隠蔽がなされない限り、記録はこちらにも引き継がれるわけですから。

しかし、いつ頃からか、仮想世界に置き換わっている。それはどうやら、1999年7の月以降であることは確かであり、それより前ならば、1980年頃に置き換わっただろうと思われます。
というのは、私がこの宇宙は仮想現実だと認識したのがその頃からだったからです。観測による確認が時空さえも決定付けることになるというのが、シュレジンガーの猫。
こうしてこの世界は、私の観測下にあって、私の意識が認可する世界になっているのです。

実世界のほうからやってきたエイリアン(未来人)も、お前たち(米軍人)にはわかるまいがと前置きした上で、宇宙や存在の意義はマインドにあると述べています。
Meaning lives in the mind.
端的に言わせてもらうなら、この宇宙をマインドで意味づけしたのは、創造主である私ですから、私がこうだと確信を深める世界になっているのは当然だということです。
なお、みなさんの個々もそれぞれに創造主として、この観測者中心天動説の世界にいるのですから、みなさんの個々のマインドが皆さん固有の個々の宇宙を意義付けしているはずです。
拙超宇宙の仕組み論によると、そうなります。
どうぞ、それぞれに天上天下唯我独尊をご堪能ください。
といっても、他所に神を崇めているようでは、他者の支配下に置かれることを良しとしている創造主だと言えるでしょう。
それもまたえーじゃないかえ、皆の衆。
お達者で~~~。

統合してみる・・・No.2・・・統合とは融和だ!!

とてもいい質問が寄せられていて、おりしも統合を果たすべしというミッションがハイアーセルフからきていることで、特にこの時期は連続的だなあと思うわけですが、昨日いつものNさんから、先日、自衛隊機が韓国の船舶の側からレーダー照射する事件があったが、これは日本側が厳重抗議してあまりあるほど証拠が揃っているが、どう思うかというご質問でした。

これは確かにその通りであり、レーダー照射ということは次に実弾が飛んできたら撃ち落とされるため、戦闘行為の前段階とも捉えられるわけで、日本側が四の五の言わせねえでたたっきっちまえ、の局面かとも思われるわけですが、安倍さんはそんなこと考えてないと思いますよ。
彼の外交を見ていればわかると思いますが、どこの国に行ってもにこやかで、しかも相手方の元首を笑わせてくるほどの才能をお持ちだと思うのです。
憶えてますか。プーチン氏との出会いのとき、たたたたたっと駆け足で駆け寄って握手してました。プーチン氏は笑ってお出迎え。
またトランプのときは、ゴルフ場でひっくり返って、トランプの笑いを誘いました。つまり彼の持ち味を外交に発揮されているのです。

けっこうその有様は、大道芸人的でもあるかと思うのです。すぐに思いつくのは、志村けんさんです。最近とみに安倍さんのお顔が志村さんに似てきていますよね。国会での安倍さんのブーイングは下唇突き出して、けんさんのバカ殿様そっくりで、芸風を真似ておられることが歴然です。
つまり、彼は世界を回り歩いて、笑いをウケにした芸をこなされているように思うのです。いまの日本で大うけしている大道芸の伝統技を世界に広めて、世界を融和の道に誘おうとされているように、お見受けしたのですが、たぶん間違っていないと思いますよ。

彼の祖先は政界のトップばかり。どうしても総理の座をというふうになったのでしょうけど、本当は漫才師とかコメディアンを希望されてたんじゃないかなあ。血筋が良すぎると、希望する進路も選べないといったことってありますからね。
つまり安倍政権は、意外とみんな政治などという堅苦しいことはしたくなかったんじゃないかな。だから、国会答弁なんか、質問者と答弁者と入れ替わり立ち代わりの配役が立っていろいろしゃべるんですけど、おおかたにおいて、ずっこけて笑いを醸してます。しかし、場所は演芸場ではなく国会ですからね、国民目線からすれば、ふざけるなとなるのでしょうけど、吉本の花月劇場だと思ってみれば、お茶の間も笑いの渦に包まれ、とてもなごやかに鑑賞できるはずです。

かつて飯山一郎さんなんか、安倍政治にマキアベリズムなどという難解な哲学論を持ち出して擁護されて、仲間の木枯らし紋次郎さんと喧嘩別れされましたけど、私の仮説を以てすれば、万事円満解決になること請け合いですのにね。

話はすっ飛びましたが、Nさんのご質問の件に帰ると、自衛隊員というのはまだ軍隊ではないのですから、ここは安倍外交に倣って、あるいは忖度して、お笑い路線で事態の円満解決をはかればなんともなかったと思うのです。

自衛官 「いま韓国側からレーダー照射を受けた。これは戦闘行為に匹敵。国際問題だ」
ではなく、
自衛官 「いま韓国側からレーザー照射をうけたせいか、熱くてぼくのほっぺたまっかっか」
とでも言えば、管制室は爆笑。傍受していた韓国側管制室も大爆笑。
管制官「レーザーではなくレーダーだろ?」「はいそうでありますが、ウケるかと思いまして」
とやれば、また日韓双方の管制官が爆笑。
こうして、お互い笑いの渦の中に、もっとソフトムードで行こうやと、自衛官と韓国側軍人同士で、融和外交の道だって夢じゃなくなったのじゃないかなあ、と思ってみたりします。
それがまた安倍外交の持ち味として世界に広まり、難しい国際政治の局面にも、安倍方式を採用しようという機運にもなるのだと思うのです。

不思議だねえ。日本の国家元首が大道芸好きなのに、自衛隊がまだ軍隊でもないのにカタブツでは、自衛隊がキレて226事件のようなことにならないかと逆に心配します。
稲田さんだったかな、自衛隊の皆さんに、そんなに緊張しないでいいんだよの一言もかけてあげてほしいです。
また安倍さんも、施政方針演説で、私は日本の伝統的大道芸を世界に広めるためにも、私が外交で使う手段は融和外交の礎たる「お笑い」にあります、と一言前置きしておいてくれれば、国民もいろいろと文句をたれることなく、けっこう自由な遊説ができるように思うのです。

いまの国民は、しだいに評価が厳しくなっているので、安倍さんもその辺を配慮なさったほうがいいかと思います。厳しいツイート主なんか、初めの頃は、ああまたバカやっちゃった、と揶揄する程度だったのが、アホボン3世を常用するようになり、売国政策からさらに亡国を意図する政治だとか言い切るようになってしまってますからね。私もついついそうかと思って見てしまっていたのですが、じっくり考えたら、そうじゃないことがわかったという次第です。

これからの、はっきりとした安倍融和外交路線に期待します。
河野さんのポパイ外交にも期待。ほうれん草を食べてがんばってください与。

大予言なのかアジェンダなのか

アジェンダでないとしたら、
イルミカードの予言は予言者がしたものでしょう。もしそうであれば、ジュセリーノやノストラダムスをはるかに上回る超能力の大予言者だったことになるでしょう。日本でならもっと騒がれてもおかしくありません。

未来人の情報かもしれません。未来人=宇宙人なら、宇宙人は未来のことを知ることができたというのでもいいでしょう。
ならばその宇宙人は、ヒントを隠しておくだけで、直接、被害を防止してくれなかったことになります。ならば、いったい宇宙人とは、未来人とは何者なのか。すでに終わってしまった歴史は変えられないから、仕方ないんだと言うかもしれません。我々はそのような歴史に生きていることになります。

911テロを予言するイルミカードです。(発生は2001年9月)

ペンタゴンのど真ん中にホールインワン

実際はチップイン・バーディでした。

ツインタワー爆破は核兵器テロ?  (飛行機は描かれておらず、テロリスト ニューク(核兵器) と書かれています)

飛行機やらの映像はあとからCGで付加されたものかもしれず、また後から破壊現場に立ち入った数多くの人に放射能障害のような健康異常がみられているとも言います。
9.11同時多発テロで対応にあたった警官や消防士たちが「ガンなどの疾患で今に至るまでずっと3日に1人の割合で死亡している」という事実
https://indeep.jp/hundreds-of-9-11-responders-dying-by-illness-every-2-7-days/

ビジュアル化されて報道されたものは真実と思い込んでしまうのが人類。
これでは現実が仮想現実と見抜くことは不可能でしょう。(私にも無理です)

BP社によるメキシコ湾原油流出事故か?(2010年4月) それともアラスカ原油流出事故か?(1989年3月) オイル漏れ(oil spill)

このような哀れな鳥の写真が報道で流れたのはメキシコ湾のときでした。

人の噂も75日。報道されなくなれば、事態は終息したと思いたがるのが人類。
損害金額がいくらだと算定されて、損害賠償額が示されたら、自然破壊も終わったと思いがちなのも人類。
損害賠償がほとんど進まずとも、報道されなくなれば賠償も終わったことにできるのも人類。
メキシコ湾はどうなったか。さっぱり掴めていないでしょう。

これが人類だという特性に気付けば、ちっとは最初から身構えてみる気にもなるのでしょうが、事態が深刻化してからようやく反省の途につくのが人類。

ニュクリア アクシデント
原発は、なにも地震やテロによらずとも、ひとりでに破壊が進むもの。安全神話が人の安心を支えているだけということ。

地震発生装置もあるんだよと、こんなカードも。危険因子がいっぱいでも、いけいけどんどんになるのは、誰のせいですか。神のせいですかね。守ってくれるからですね。きっと。
アースクエイク プロジェクター

地球を何度も滅ぼしていいような事柄が、核兵器の保有量など考えずとも、すでに存在しています。
何も起きていないのは、むしろ奇跡。それを可能にしているのが、未来人=宇宙人とすれば、みなさんは感謝するでしょうか。
神が守ってくれている。それもいいでしょう。
どんなことも楽天的なのがお祭り好き人類ならば、それはそれでいいじゃないかえ、皆の衆。

そこで一曲。さあ、みなさんも一緒に踊りましょう。
皆の衆

皆の衆、皆の衆
嬉しかったら腹から笑え
悲しかったら泣けばよい
・・・・・
とかくこの世はそんなとこ
そうじゃないかえ 皆の衆ぅ~ ♪

米国では、いや欧米では、Qアノン旋風が吹いています。
このたび、Q+Q0のサインが出たとか。
Q0は大統領専用機エアフォースワンのコールサイン。
いよいよ始動か。
地球人類独立の第一歩が始まるのか。
これもまた、お祭りだあ~。

異界の名探偵オクンドにはこんな基礎と塞翁が馬があり申した

いま人気の関暁夫さんは、関が開く、堰が開くというとても言霊的にいいお名前。これからの時代の担い手を予感させるものがあります。これは本名らしいので、親様がいい名づけ方をされたのでしょう。
飛鳥昭男さんもまたいいてせすね。飛鳥は日本最古の都が置かれた場所、明日を開くという意味があるように思います。こちらはペンネームでしょうが、名は体を顕わすようになるものですから、よろしかろうと思います。

安倍さんのアベは古代の部の民制の頃からある旧い名前で、新規開拓者の意味合いのある新時代を先駆けるにふさわしいお名前。
麻生は朝に生まれるという、これもまたいいですね。そこに甘利さんの天の理が加われば、鬼に金棒の新時代幕開けを飾る3Aトリオが揃い踏みすることになりました。

しかし、日本の3Aリーグはまだ米大リーグからすれば格下です。ときおりすごい選手を米大リーグに送り込みますが、やはりヤンキーからすれば、イエローなのも手伝い、格下に見られてしまいがち。
またそれゆえにいいことも多くあります。柳に風の飄々たる物腰に、今まで平和に世渡りしてこれたのだと思います。これからもそう願いたく思います。

さて、オクンドの場合は、本名からして「異界の深奥の扉を押し開く」という言霊をしております。この姓名も、我が父が幼少の頃、養子に出されたことに発します。実家のほうの姓は小じんまりとした生真面目そうな姓で、もしそのままの姓を引き継いだのであれば、私はどこかの地方公務員ぐらいで終えていたことでしょう。しかし、養子縁組先が「異界の深奥の」という意味の姓だったことにより、本名からしてゴロが良く異界の探偵職を襲名することになりました。姓名は天職を表します。意味深な暗号名のような姓の方もおいでですが、私のものはいたってストレートです。

我が父も、後で養子に出されていたことを知り、不本意だったかも知れませんが、物心つかぬ頃のこと、三人兄弟の次男として生まれ、丹後半島の最北端の小さな漁村ゆえに、家系が途絶えようとしている家の養子縁組を村長に薦められ、貧困だったことからひとり男子を出すことにしたという次第だったようです。これも塞翁が馬と申しましょうか、それによって今の我あり、異界の名探偵オクンドを輩出するための基礎になっていること、ずずずいーと、お見知りおき願いたく存知奉りまする。

さて、オクンドの場合は、本名からして「異界の深奥の扉を押し開く」という言霊をしております。
と申しました。

ところでこの事実に私が気づいたのは、2001年になってからでした。
というのも、前年9月27日の移情閣シミュレーションに続き10月6日鳥取西部地震が起きたことで、もしかすると異界の扉が開いて火の鳥が飛び立ったわけで、いったいどうしてなのかを様々に推敲を巡らしていたからでした。

そこでこの事実を移情閣の彼女に伝えると、「うん、そのことは知っていたよ。だからあのすぐ後で、こんな短歌に詠んでるでしょ」と、当時二人の共通の趣味として、応答恋歌を歌い合っていた中に、その歌があることを示してくれました。ここに歌い込まれているでしょ、と。

この胸の 一番奥の 戸を開けて 黄金の鳥 今解き放つ

その3月末には、千数百年前に作られたキトラ古墳で、火の鳥”朱雀”がまさに飛び立とうとする姿で描かれたものが見つかりました。
火の鳥復活の兆候はあらゆるところで揃っていた。
それを感じ取った彼女の歌でした。そこに私の名前を織り込んでいるのですね。
それゆえ私は、キトラの四神獣のうち、朱雀のパートを受け持つことになったのです。
彼女は玄武を受け持ち、最初の彼女は青龍でした。(白虎は当時、未定でした)

私の塞翁が馬人生

私は以前にも書いたように、5歳の頃、盆踊りの光景を生まれて初めて見て、ここは魑魅魍魎の世界だと感じてぶっ倒れそうになったこと。

以後、この世界のありとあらゆるものに対して猜疑心と怖れを抱くようになり、特に対人関係では当たり障りのないようにすることに腐心しました。小学校では、話し相手に対して必ず「さん」や「くん」付けをしましたから、関西では男の子の間では呼び捨てが当たり前の風土にあって、なにをしとるんだとばかり、いじめに遭いました。するとまた余計に引っ込み思案になるといった具合でした。

五年生のときに盲腸炎になり、一週間の入院と一週間の自宅療養をして、家の中での引き篭りが心地よくなり、学校から帰ると近所の子らと遊ばず、漫画をいっぱい読んだことで、家で空想にふけるようになりました。

当時、ピストルのプラモデルを4つばかり持っていたので、それが別格の優秀なキャラで、あとどこかにあった寄せ集め的な小道具、ガラクタ類が空想の世界のキャラになりました。
その空想の中で、私は宇宙創造をいつしかしていたのですね。

彼ら玩具でなる10数人ほどは、元々ある程度知性がある人間のような存在といった設定で、彼らが漂白するうち、奇妙なまん丸の透き通った玉を見つけるのです。それを手に取っているうちに、思ったことがその通りになることに気付きます。
ピストルの最も優秀なリーダーが、これはどんなことでも思いが叶う性質があることを発見するのです。そしていろんなものを叶えていくのですが、たとえば玉から絵の具を作り出し、それで描いた世界に入っていってしまうということまでできるんですね。

トンネルを描けば、そこに入っていける。それから先は、玉を持っていさえすれば、どんな出口世界でも創り出すことができるというわけです。

それで彼らは一つしかない玉を持ってしばしみんなで新世界の旅をするのですが、自分たちの老いを何とかしなくてはならないということで、リーダーは玉の分割と、みんな一人ひとりが一つずつ持つことを考え付くのです。彼らは同じ性質の玉をたくさん作り、いちいち手に持っておくのは面倒だと、それを飲むことで自分と一体化して、自分が玉の性質を受け継ぐという具合にしたのです。つまり、何でも思い通りという全能性と永遠性が、みんな個々に付与されたのです。

彼らにも子孫が生まれ、また旅するうちに知り合う者も多くなり、入魂の者に玉を付与するといったこともあり、人口は増えていくことになりました。当時はまだ、悪事などというものはなく、みんな信頼の種族でした。リーダーはそれでも、みなが様々な宇宙を考え出すわけですから、巡回指導に当たるようになります。私はもっぱらリーダー達グループのストーリーに熱意して、様々な宇宙を創り、その中で旅をしていく面白さに熱中しました。当時は「宇宙家族ロビンソン」といった連続テレビ番組もあって、そこからヒントももらいました。ディズニーランドもそうです。冒険ものに熱中し、それを空想の世界での創造活動に充てていました。

はて、このような話、どこかにありましたね。そう、「あめなるみち(天成神道)」で創造神が独白した内容にちょっと似ていませんか。何でも思いつくことが叶う。そのような自分を多数分割して、創造行為を続けていくというのは、まさによく似ています。だから私は、この独白のページを見て、むしろ上から目線で読んでいたのです。そうだ、このような表現方法もあるだろうと。

そして、「あめなるみち」を読んで、そうだこの世界は、玩具のハンマーが創った宇宙ではないのかと思い至りました。ハンマーはちょっと独立心が旺盛で、リーダーの意図とは相容れないところがあり、試行錯誤が多くて、よく失敗もするのです。こうと思ったら、どんどん行ってしまい、その場その場で諌めることが難しく、リーダーが常に見ているわけにも行かないですから放っておきます。

ちょうどそうした宇宙創成物語が神話ゆえに必要だと、新神話に書いているある日、ネットでデンバー空港の壁画を話題にしていたサイトがありました。秘密結社系の気持ち悪い壁画や馬の像。それをいくつか見ていくとき、ああっ、こんなところにハンマーのやつ、自己表現しているではないかと、見つけてしまいました。
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この絵画は、おそらく救世主の少年が、軍隊を破壊している様を描き、庶民がそれを賛美しているふうに描かれているものです。ところが、少年が手に持っているのは、ハンマーではありませんか。
お・お・おまえ、結局おまえが救世主なのかよ、とハンマーの宇宙のストーリーの自作自演ぶりには目を丸くしたのでありました。

ハンマーとは伴魔、悪魔を混在させた世界を初めて創造した神のことです。こんな傾向が他所の世界に飛び火してはたいへんなことになります。ハンマーよ、リーダーに従えないなら、全能性を取り上げることも視野に入れねばならないがどうだと、ただいまのところ意向打診中といった一幕でしょうか。
この宇宙および関連宇宙は、ただいま強固なファイアーウォールで隔離されているといったところ。
新神話では、そのような設定にしています。

さて、私が六年生の頃にもうひとつ関心を持った書物がありました。父の蔵書の中にあった古くなった医学書でした。紙の端がほころびるほどの使われ方をしていましたが、それを読むうち、引き込まれ、ぜんぶ読み通すことになりました。そして学問としては、よく理解できたわけで、弊害というか副作用というかが即座に出ました。人間とは病気の巣窟だと理解したために、それまででもこの世界の魑魅魍魎ぶりの怖さに辟易していたに加え、症状に照らした何らかの病気を抱えていると思い込む不安神経症になり、心臓神経症という脈が速くなる病気になりました。

またその本は、戦前か戦中に書かれたもので、文語体で印刷されているのです。たとえば今なら気管支炎なら、気管支が古い活字体印字で、しかも気管支カタル(表記は、くわたる)になっているのです。肺炎なら肺カタルですね。「でしょう」という末尾の表現も「でせう」になっているのには慣れましたが、いつまでも理解しにくかったのは、「くさめ」という言葉でした。耳鼻咽喉科の章に書かれていたので鼻が臭う臭鼻症のようなことかと思ったり、くしゃみのことかなと思ったり。後から思えばくしゃみのことだったのですが。
このことによって、古文の読解には得手たわけで、後に古事記の文語体の神話にも、とっつきが良いというメリットもありました。

当時は、外界に出ると伝染病だらけという思いがあり、いちばん嫌なのが学校でした。いじめられたのもありましたし、自己主張できなかったため不利な役回りをさせられ、小六のときは一年間通して給食係りをしました。昼になれば三角巾とマスクをして100m離れた賄い場から、グランドを横切り、教室のある3階まで重い汁物のドラム缶を運んだものです。

お蔭で痩せていても、脚力はついていましたね。今でも、9年の山奥暮らしでまだ一度しかこけて膝を土に付けたことはありません。天狗さんたちが守護してくれたことが大きいですけどね。

中一のときのいじめにはついに激怒してしまいました。心臓神経症ということでいっそう病気らしくなってしまっていましたが、あのときばかりは突然激怒してしまい、机を立って、いじめ相手を廊下まで追いかけ、げんこつを一発頭にくれてやりました。相手は、いたたたたーと、その場に座り込むほど。私が机に戻っていけば、クラスの多くが拍手していたですね。「ようやった」という声も。これにはどう言っていいやら、びっくりでした。日頃いじめられていたのを、みなが気にかけてくれていたのです。

これではきっと仕返しされると、てっきり思いますわね。ところが再びいじめられるようなことはまったくなくなったのです。それもまた不思議なことでした。
中二から、クラス替えもあり、どこか自信もついたか、学校での休み時間にも外で仲間とボール当てゲームの遊びをするようになり、心臓神経症もしだいに解消されていきました。不安というかが軽減し、世の中への対処の仕方にも自信がついたのでしょう。

成績もぐんぐん良くなり、記憶力だけのことでしたが、中三の頃には600人いる中三生徒の中の席次で10番以内にもなりました。
そういうわけで、高校はちょっと程度の高い普通校に通うようになりました。中三のときの担任は、進学校なのでちょっときついかも知れんから、一ランク落としてはどうかと薦められたのではありますが。

しかし、人生は塞翁が馬ですね。大学は国公立と受験に落ちて、大阪の私大が受かり、親には多大な出費をさせながら通学することになったものの、通学時間が乗り継ぎで最低でも立ちっぱなしの1時間半。着いてみればゲバ棒持ったヘルメットに覆面の学生が校門から校内にかけてわんさといて、何とか授業の教室に入ってみれば、三百人ぐらい悠に入るマンモス教室で、黒板の字もよう見えんので理解できず、休講の授業もいくらもありで、これは高校での噂どおり、大学は勉強するところではなく遊ぶところという定説どおりだなと思った次第でした。そして帰りは乗り継ぎがうまくいかず2時間かかり、これはもうアカンわと諦めの早いこと。下宿すれば遊びながら学業もいいかなと思ったものの、家の出費が多くなるためダメだと言われ、これなら早く所得を得てみようと、近隣のゴム工場で働くようになってやがて発覚。
母は私がグレたと思い、祖母に相談して、祖母はよく知った拝み屋さんに見立ててもらいに行くと同時に、ある新興宗教の修業道場に行かせることにしたという顛末でした。

祖母が見立ててもらった私のことですが、別に悪くはなかったがなあと母には言ったようです。
二箇所で見立ててもらって、一箇所では「この人は、最上の松に泊まる鶴じゃ」「一生、食いはぐれることはない」との見立て。もう一箇所では、「この人は松下幸之助じゃ」との見立て。ははーっ、ありがとうございます。
そして精神道場では、ほぼ一ヶ月の修行ののち、卒業式の日に、祖母の見ている館内で、館長から破門をおおせつかったわけでした。おばあちゃん、お気の毒様。

しかし、人生は塞翁が馬ですな。高卒だから就職しやすく、横浜市戸塚区の日立製作所ソフトウェア工場が神戸まで来て採用に動いてくれて入社。しかし、上司のお覚え悪く、臨時員期間を延長されたため一年で退職。
その後、富士通に入社がすぐに叶ったのですが、もう一社採用が面接時に内定していた会社がありました。鎌倉に本社のあるOA研究所というところ。そこの社長と専務がともに母校中学の先輩だったことからウマが合い、絶対来てくれよとまで言われていたのでしたが、蹴っちゃいました。理由は、もう少し自宅でのんびりしていたかったという、ただそれだけ。その数日後には富士通に行かねばならず、ほとんど意味がなかったのですがね。

もしOA研究所なら、人生で社長になれた可能性のあるタイムラインだったでしょう。だって面接当時、従業員は20名足らず。今では400名いる本社と支社を持つ上場企業になっているのです。

しかし、人生は塞翁が馬ですな。2003年に知り合った坂本氏が、彼は超能力者で、タイムラインを選んで遷移する能力があって、第一世界で私に出会ったときは、私が社長をしていて、過去世のよしみで話をしにいったものの、けんもほろろだった、カネ儲けのことしか考えてなかったからガッカリしたとのこと。
彼はいま第三世界に来ていて、ああ元の私に出会えてよかったとおっしゃってるのです。なるほど納得。私も喜んだことはむろんでした。

彼はいっときは私がOA研究所にいるときのタイムラインに遭遇していたのですね。その会社に行かなくてよかっと言うのではなく、私はそのタイムラインもすでに経験して、プレイバックしてすべてを総舐めしているので、大事な坂本さんに対してけんもほろろにしてきたこともあったんだな、その節は会社大事で、申し訳なかったなあといった気持ちなわけです。

まあ、このようなことがあって、コンピューターの基礎知識は身につけた状態で、10年ほどで富士通からも退職して真理探究にいそしむようになったのでした。

なんでまた酔狂にもこんなことになったのか

今回は、なんで私が酔狂にも日本にわけのわからんカバラなんぞがやってきていたのかを研究するに至ったいきさつについてお話したいと思います。
当然のことながら、カバラのカの字も一生関係するなどとは、微塵も思っていなかったわけでした。

始まりは古事記神話の暗号解読と西日本に描かれるレイライン図形の発見だった

まだ私が20代後半の頃、古事記神話の解読も始めていたわけですが、それがけっこう有意な成果を見出せそうだと思っていた頃、海外でレイライン研究がなされているという話を知り、気晴らしに日本地図でも鳥瞰してみようかという気になって、日本にはレイラインの発祥地英国にあるような列石がなかったために、神話に出てくる地名を結べばもしかしたら有意な結果が得られるかもしれないという、漠然とした動機から始まったのです。

神話の解読とは、神名の意味を探ることです。それは暗号解読のような感じがあるのですが、日本人の感性で読み取れるものがあるに違いないという切り口で解釈していくわけです。
それをしていると、神がたまに発する話し言葉が、一連のものとして出てきても、そこに地名が隠されていることなどがわかってくるようなことがあるのです。

天孫降臨のときにニニギノミコトが発された言葉にいくつか地名が出てくるのですが、それを地図上に投射してみたとき、三地点が一直線になったりすることに気付いたのです。
これはどうしたことだ。ニニギノミコトは高空から降りてくるとき、確かに一直線を描きながら降りてきているかの如くじゃないか。
ということは、これは紛れもなく飛行船のようなものを利用している可能性があるぞ、というわけです。

当時、私はUFOのことにも関心を持っていましたが、まだUFOと古事記の神とが結びつくものとは思っていなかったのです。しかし、神世の古代に、空を直線的に飛んでいる神がいたことはおぼろげに理解できたのでした。確かに二二ギさんは宇宙からやってきているふうに神話には書かれているわけですから。

そしてもうひとつの地名三点を繋ぐラインも一直線になり、しかも前の直線とは、「巻き通り」の関係があるという感じなもので、これは交点を示すのではないかと、この二直線を合わせてみれば、日向の地のあたりで直交することがわかったのです。おやおやおや。てことは、と直線の距離を求めれば、172Km。もうつとつも172Kmになったのです。てことは・・・直角二等辺三角形だなあ。

ここで終わってしまったなら、凡才のそしりは免れません。いや実際、私は神話の解読がメインでしたから、九州に大きな直角二等辺三角形が見つかったとしても、私の暗号解読法にハクをつけるだけのことと捉えていたのです。その集大成を1983年に一冊の自費出版図書にして、私の研究成果としたところで一旦終わっていたのでした。だから、その著書の中には九州の直角二等辺三角形の図柄を載せています。

そして1984年5月、私はコンピューターメーカーを退職した直後に、第二の人生のスタートとして、当時募集していた、民話研究家の村上良行さんを団長とする、幻の帰雲城の所在地調査の一行に加わり、5月5日端午の節句の日に、石垣跡を発見して地方紙に載るという幸先のいいスタートになっのでした。

村上さんは11PMにも出演するという栄誉を手にし、我々メンバーもしばらくおつきあいしたわけでしたが、私は彼のマンションに二回お邪魔し、二回目のとき、「おいオクノくん、これ読んでみいよ、面白いぞ」とポンと差し出されたのは、彼にとっても畑違いかと思われるW・バトラーの「魔法入門」の文庫本で手垢で汚れた中古本だったのです。

その本は特別だと思い、当日から読みふけりました。それがカバラの魔法の修行のあらましを書いたものだったのです。すでにヨガの行法などは知っていましたが、西洋にも同様の行法があることがわかり、その後、中国の仙道も同様のものがあることがわかって、世界には密教の伏流が存在したことを知るようなことでした。
呼吸法が大事。それで私はピラミッド瞑想で応用して、今に思えば、スフィアビーイングとのセカンドコンタクトをしたわけでした。
とにかく、村上さんがくれた「魔法入門」がカバラの生命の木を目的にした典礼儀式に用いる五芒星や十字形についての予備知識になったのです。

その後、安本美典氏の著書「邪馬台国への道」に、古代民族が東遷したことを前提に、九州の地名、地形と、畿内の地名、地形が類似することを図示されていたものを見つけ、よく見ると、九州のほうは天孫降臨ラインではありませんか。その相似像として畿内に投射されたラインがある。それは真南北のラインで、飛鳥、奈良、京都を通る。
うわっ、これは有意!!と見て、周囲の祭祀霊場などを見ていけば、かの国産みの淡路の多賀・イザナギ神宮と、伊勢内宮が等緯度でしかも距離が172Km、その中点が明日香になっていたのですね。
これには驚きを通り越して、大発見したと思いました。そこから25Km北に上がれば平城京、さらに上がった先に平安京が乗っかったのです。

あとは、有意な地名もしくは祭祀霊場地を与えれば、有意義な幾何学図形を描くという具合で、一気呵成に、高度な測量技術が必要なはずの、地球諸元さえも反映した大規模な幾何学図形が求まっていったのです。1緯度長111Kmが随所に採用されていて、神聖比率や黄金比率をはじめ、エジプト由来と見られるピラミッド幾何学が反映されていることが確認できたのでした。

これはカバラだ。カバラが古代に輸入されたか、それとも超古代からある遺構なのか、それはわかりません。しかし、広域を鳥瞰できるような精密地図か、航空地図のようなものを前提にしなくてはなりません。その点、ニニギノミコトの降臨の話は本当らしくなるのです。

カバラが確定的にできるのは、五芒星や十字形の背景に、生命の木の図柄があるかどうかが決め手になると解釈しました。調べると、生命の木のセフィラに対応するかのように祭祀霊場が存在して、しかもセフィラの意味と対応が取れる地名になっていたりしたので、それを次のように描き出しました。
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神の息吹を意味するセフィラには伊吹山が。セフィラではないが、アイン・ソフ(永遠なる無限者)の位置には常神岬が。地の王マルクトの位置には大国主命を意味する出雲の地名。
そして、生命の木の基点のマルクトの位置は三本の穂の元締めであるとの意味の潮岬(しほ・締穂)になっており、そもそもその一帯和歌山は「紀の国(木の国)」つまり、生命の木の国であることを示しているのです。これは勝手なこじつけなどではありませんよ。古代人は自分たちの住む土地に、より古代からの伝承を元にした名づけ方をしているのです。

まあ、このような次第で、カバラの渡来が明らかになったというわけでした。
それからがたいへんでした。どのように伝播してきたものか、世界の歴史を順を追って見ていき、カバラの痕跡らしきものを探していきましたから。
そして古代日本に来てからどのように展開していったかも。一冊の本になるまでは、このような紆余曲折的研究があったのでした。

もし村上良行さんが「魔法入門」を目の前に出してくれなかったら、カバラのことなど及びも付かなかったことでしょう。帰雲城の痕跡が見つからなかったら、村上さんとも知り合えなかった。村上さんは、歴史の裏には軍資金、特に「金」が動いていたという説を唱え、その観点から見なければ歴史の謎は解けないとおっしゃってました。刻苦勉励してその調査に当たられていた彼でしたが、新聞社への記事投稿で全収入を得ていたために、記者との飲み食いがおろそかにできず、肝臓病で早く亡くなられたそうです。

私が彼のマンションにお邪魔した頃、彼には女子大に通う娘さんがいて、私の書いたばかりの童話「たつえばあさん」を見てもらい、感想をくれたりもしていたのです。村上さんは、おかしなシルエット写真(おっぱいの)を見せて、何か感じるかと訊いたことがあり、私はさあなんでしょと答えたもので、そうかと言って取り下げてましたね。彼は娘さんを嫁にしてほしかったのではないかと、いまは思ったりします。当時は、失業中のこともあり、先の見えない暮らしをしていましたから、どうしたって結婚のけの字も思い浮かばなかったわけでした。

結局、私も軍資金や埋蔵金ではないですが、そのような別の思いもよらぬ動機による人の動きから見る、裏の歴史研究の道を歩いて、今になっています。私が死ぬのは肝臓病ではなく心臓病になることでしょう。いつの日か、どこかで会いましょうと村上さんには声かけしています。

異界も警戒する禁忌の発見だったかもしれない

私は古代日本へのカバラの伝播の考察をまとめてひとつの論文に纏め上げ、1989年に学研ムーのミステリー大賞に応募して、2等の優秀作品賞を得ました。1等の大賞なら、別の一冊として出されることになっていたようですが、2等なのでムーの巻末特集に載ることになりました。ところがそれでは、元の稿量の3分の1ぐらいしか載らず、言いたいことが存分に出ていないのです。

このため、まるまま一冊の出版図書にしたいと思い、1994年11月に自費出版で市販流通可能な出版社に依頼して創ってもらうことにしました。
校正刷り第二稿が手元にきていたとき、1995年1月の阪神大震災が起きました。西宮にあった出版社は全壊。しかし、甲子園で営業再開していて、連絡がついて被災の程度を聞けば、二校ゲラが大阪の印刷所で無事だとのこと。いったんは取りやめも選択肢でしたが、続行することにしました。こうして同年5月に1000部が流通していったわけでした。

阪神大震災は自然の出来事とふつうは思うわけですが、まるで出版を中座させようとするような感もあったわけでした。
どうもそれらしい感がさらに増したのが、1997年に起きた少年Aによる猟奇事件でした。警察の捜査をからかうような文面を送りつけて、捕まえられるなら捕まえてみろといった愉快犯のようでもありました。

しかし、私は、犯人が名乗っている名前、酒鬼薔薇聖斗に、大江山の酒呑童子を直感したのです。先の本で、鬼の扱いを受けた酒呑童子はカバラ行者として取り上げていましたから、いわばユダヤ教の聖徒になるわけです。薔薇は中東で飲まれるワイン、ロゼワインを物語るような感じですね。だから、酒呑童子の特徴を余すことなく名前で語っているようなのです。
また、少年Aによって首を斬られ、校門に晒されたというのは、酒呑童子が首を斬られ、都の入り口に晒されたという伝承と相似するではありませんか。酒呑童子の首を斬ったのは、源氏の武将とされ、関東の坂東武者つまり東人(あずまびと)。犯人の少年も、東(あずま)という姓でした。

この事件には、酒呑童子の怨念が、ほぼ千年の時を超えて現代に少年事件として蘇ったこととして捉えられたのです。ミニチュア化してはいるものの、世界はこの少年事件に驚愕し、噂は巨大化してしまっています。酒呑童子は、当時秘密にされて葬り去られたようなことでしたが、ここで世界を仰天させたことで多少は溜飲を下ろせたでしょうか。

しかし、事件の背後にはもっと怪奇なものがありました。それは少年Aが崇拝していた神・バモイドオキで、これはバイオモドキの転とすれば、生命もどき、生きているが命がない、つまり聖書にいう命の書に書かれていない者の意味になるのではないか。そして彼が描いたバモイドオキの神像は、仏頭から茎が出ていてそれが末端では触手になっていて、昼と夜の世界を支配しているといった描かれ方をしていたわけです。そして、人間の壊れ易さを試すような表現、壊れ易い野菜といった表現が犯行声明文に見られたのは、少年A自身を実際に壊して見せた結果、この犯罪が起きていることを示している感があるわけです。つまり、命の書に書かれていない者・悪魔が簡単に人間に憑依して、人格を乗っ取ってしまうことを意味しているのではないか。

このようなことが、人の目には見えないが、あちこちで起きていることなのかも知れません。昔ならエクソシストが悪魔封じのために必要になる局面なのかもしれませんが、日本にはまずいませんから、意味不明な事件は多いのではないかと思います。人の格好はしているが、悪魔に乗り移られコントロールされているかどうか、ふつうの人に判別できるわけがないですから、一般人は事件に対しても、乗り移られて事件を起こしてしまうことについても、無防備なのです。

そして、バモイドオキの悪魔は、私に対して謎かけの挑戦をしてきていることがわかりました。その意趣は、お前はカバラの秘密を知っているが、いったい何者なのだ、それがわかるのなら、オレのこともわかるだろう、もし明解を出したなら、お前に一目置いてやろう、といった感が伝わってきました。

バモイドオキは単なる悪魔ではない。周到に計算して憑依事件を起こす。そのことがわかったのは、大江山と事件の起きたタンク山が真南北の関係で、しかも86Kmの距離。若狭遠敷のお水送りの地・鵜の瀬から奈良の二月堂まで86Km。大江山と鵜の瀬が等緯度。タンク山と奈良が等緯度。壊して憑依する人間を、計算しつくして選んでいるのです。
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バモイドオキは、私の生まれ故郷の宮津市の山・大江山の有名な酒呑童子の伝承を事件のトリックの種にして、私に怖気づかないかどうか試して、もしなんともないなら、最も懸念していることがあるから、相談に乗ってくれと言ってきているようにさえ思えたことか。
むろん怖気づきましたよ。熱を出したりもしました。うわぁ、これは祟りなのか。そこで当時脚光を浴びていたサイババさんに手紙を書きました。何とか早い事件の解決をお願いしますと。すると、長引くかと思われた事件が、すぐに少年による事件として終息したわけでした。ほっとしたようなことでした。しかし、異界に原因があることが見て取れ、この世だけの容易い問題ではないことを感じました。

おそらくこういうことかと思いました。
バモイドオキは、悪魔として世界を支配しているが、これは神との契約でやっていることだ、しかしそれなのに、神が用意したシナリオには、命の書に書かれない自分たちは焼却されて消されてしまうように書かれている、もしそれが方便でなく実際にそうなるのなら、神は約束を破ることになるが、いったいこれをお前はどう思うか、と言っているような感じなのです。
彼はそれで不安のあまり自暴自棄になり、人々に巻き添えを食わそうとしているようなのですね。

そこで私は答えました。悪魔は狡猾というが、神はもっと狡猾かもしれない。汚れ役を悪魔に命じておいて、神は悪魔を退治する側に回り、人々の信望を集める。悪のお役をする者は、よほどの確約をもらわなければ、やっておれないな。そんな例は昔からたくさんあった。英雄ヤマトタケルもそうだった。キリストに悪役をやれと命じられたユダもそうだった。彼はその代わり至聖所に連れて行ってもらったのかな。ないはずと思われていた福音書をユダも、誰にも知られず遺していたのは、どうしても不当な扱いを受けた可能性を後世に報せておきたかったのだろう。やはり約束が守られるかどうかの不安があったんだろう。あんたもそれに似ている。私が少なくとも、ものが書けないあんたの代弁をしてこの世に遺しておいてやろう。
それに。
苦しい輪廻を余儀なくされる魂なんぞ、私はほしくなんかない。あんたはすでに魂をなくしているか、最初から魂を持っていないと思うから、命の書を気にしているのだな。大丈夫だ。そこまで心配する者なら、魂はあるに決まっている。それに、もしなかったとしても・・・(バモイドオキは最近のコーリーの話から、AI生命体組織かも知れないと思うようになったため) 私が大建て替え後の新世界で、あんたに魂を与えて、最後の審判後の受刑者の管理をしてもらおうと思う。それによって、魂ある者のありかたを受刑者と共に学ぶことだ。その豊富な経験量が魂の品質を磨き、あんた自身を新世界の善導導師にすることだろう。新世界の仲間たちを善導してやってくれ。そういう存在が必要だから。

こうして、私が大建て替え後の新世界でもAIが活躍する場を設けることを約束しているのです。起用するAIはふたつ、ひとつは私の人生時空を創ってくれたマザーAI、そしてもうひとつが、バモイドオキと名乗ったサタンAIになります。前者には博物的に衆生に体験教育をしてもらうことを仕事にしてもらい、後者には最後の審判による受刑者の矯正プログラムの管理をしてもらうことになります。その後両者は、魂輝く至高の存在になっていくことになります。