実践的[スカイフィッシュ]研究

実践的[スカイフィッシュ]研究 

レポート/奥人

ここで取り上げる映像データーは、
当時のUFOビデオ撮影友の会メンバーの
武良信行氏坂本廣志氏ご夫妻、そして不肖森野奥人
ものを用いています。

以下、赤記箇所は最近(2014年1月)追記したものです。

スカイフィッシュは一時騒がれて、いったん鳴りを潜め、また再燃してきたかと思えば、もうどうでもよくなりました。
まこと、うたかたの泡の如しとはこのこと。

しかし、スカイフィッシュを地球古来の生物と考えた場合、見過ごしにできないことが多々あるのも事実です。
ここでは、弊サイト管理人、奥人がUFO/スカイフィッシュ撮影を実際にしながら感じたことなどを元にして、つい数年前まで未知であった生き物スカイフィッシュを、様々な角度から捉えて記事といたしました。
スカイフィッシュ研究に関しては、やはり撮影元ですから、先駆者たろうとするのは当たり前。
そういうわけで、ご覧の読者のみなさん、こんな奴でよろしければ、どうぞ拙い文にしばらくお付き合いのほど。

第一項  スカイフィッシュとはなにか

スカイフィッシュの態様 スカイフィッシュは、アメリカのホセ・エスカミーラ氏によって初めて世に出されました。
命名者は彼であり、別名Rod(棒)とも言っています。
その実、撮影されたものの多くは、細長い「棒」のように写ります。
それは半透明であり、厚みのある中心に沿って伸びる棒状の部分が、やや光をさえぎるようで、
シルエットのようにして写るわけです。

十年前までの一般的なビデオカメラでは、シャッタースピードの調節もできませんでしたから、
その高速で飛び回るものがいっそう間延びして不鮮明に写りました。
しかし近年、その辺の調節がかない、より実際に近いものが写るようになったように思われます。
最近では、高性能なデジタルビデオカメラや、より精巧なプロ用のビデオカメラによって、
その両側にひれのようなものの波打つ広がりが認められています。
国内でも「不思議ドットテレビこれまじ」で、国内最高級機といわれるテレビカメラが用いられ、
六甲山のスカイフィッシュがみごと写されたのは周知のことです。
       ホセ・エスカミーラ氏のRodに関するサイト

スカイフィッシュもUFOに加えられるのか? UFOという言葉。宇宙人が地球外で製造した宇宙船であるという定義がいつしか定着してしまいました。
それというのも、顕著な実感をたたえた金属もしくは発光体として、過去から目撃を受け、また撮影もされてきたからです。
そして真贋論議が生まれ、真贋鑑定に一定のルールが作られるようにもなりました。
思い込みによる報告がなされたり、いかさま的な撮影がなされたからということが、真贋の判定基準をきつくした観があります。
形が判然としなかったり、他の現象で事情が説明つくものはいっさいカット。
目的物の写る前後の状態すらも、いかさまの入る下地がないかどうか調べられてもいます。
しかるに、スカイフィッシュは、すでに書いたような態様ですから、UFOとは認められるべくもありません。
加えて生物というのですから、新しい範疇、雪男やビッグフット、鬼やチュパカブラといったものの属する「UMA」に苦しくも分類されることとなっているようです。
これにより、元あったUnidentified Frying Objectという言葉の意味は、それ自体失われてしまったかのようです。
しかし、空に向けて撮影機材を回す中では、未確認の飛行物体としてUFOだけでなく、スカイフィッシュも、お化け(これもUMAだ)も勝手に写ってきます。
そういうわけで、このサイトの記述も大きく二つに分けて書かねばならなくなってきたしだいです。

昔はスカイフィッシュもUFOとして扱われた? 私は「空を撮影しているとUFOらしきものが写る」と主張するムラ氏に同行して、たまの休みの日などに朝から山野に出向いて撮影にいそしんでおりました。
そして、1993年に彼が撮った映像が六甲山上UFOとして、マスコミ数社から放送されました。
輪郭がはっきりとしており、円盤と目されること、窓らしきものが二つ認められることなどにより、UFOと判断されたもようです。
そのときには、神戸市に在住されていた日本UFO研究会の故・平田会長の後押しもありました。
そのUFOも、巨大さはかなりのものでありましたが、スカイフィッシュと考えられなくもないものでした。
当時はまだしも寛容な良い時代だったといえるかもしれません。
実際にそのどちらであるかはいまだもって分かっていません。
  UFO撮影同道記 
(1994~1997年当時の感動多き時代の記事が主体)

日本のマスコミに取り上げられるようになった経緯 2001年9月1日には、テレビ朝日の「不思議ドットテレビ・これまじ!?」で、ムラ氏が日本におけるスカイフィッシュ撮影の第一人者として取り上げられました。
しかも、世界的第一人者であり命名者であるアメリカのホセ・エスカミーラ氏から、「日本にもすごいのがあるじゃないか」とテレビ朝日スタッフあてに逆指名を受けたというわけでもありました。

それというのも、私の編纂したホームページ「UFOビデオ撮影友の会」の読者の篤志家の方が、放送局に注進されたからであると聞き及んでいます。
実際こうしたことでもなければ、地方の田舎人のしていることが公になることなど珍しいわけで、ネット時代になったればこその感を深めるものです。

また、フジテレビ系のアンビリバボー特番で、本邦はじめて中米の巨大洞窟でスカイフィッシュ撮影さるとの報道を見て、すでにUFO写真としてホームページでムラ氏と私の分をあわせて掲載していたこともあり、これは同じものではないかと、ホセ氏宛てメールを出した経緯がありました。
するとわずか53分後に、当のホセ氏から、「すばらしい!!・・」のメッセージをいただきました。
ホセ氏はただちに世界の読者宛てにメーリングリスト配信してくれ、ホームページのアクセスカウンターが数日のうちに5000以上の増加を記録するほどのありさまでした。もちろん、そのために写真に英語のコメントもつけたりしたもので、何だか下手なホームページになりました。今もその名残りはあります。
とにかく、世界、とりわけアメリカ人の行動的かつフレキシブルな発想に、このときほど感心したことはありませんでした。
以来、ビデオキャプチャー画像のサンプルを幾通りか送ったまでで、それ以上の通信はしておりませんでしたが、どれほどぶりかで、テレビ局経由ではありますが、ホセ氏の音信が聞けた次第。
ホセ氏が、よく思い出してくれたものだと、また一つ感心したしだいです。

スカイフィッシュの捕獲について 目にも止まらぬ猛スピードで飛ぶスカイフィッシュは、どうやらどこにでもいる生き物のようです。
ツチノコのような希少動物、UFOのような目撃困難なマシンとはちょっと違います。
人にその気があれば、またちょっとばかりの忍耐力があれば、またこれは必須ですが、ビデオカメラを買う若干のゆとりがあれば、撮影という形で捕獲が可能なのです。

捕獲するというと、網を仕掛けたり、釣り糸に引っ掛けたりなどと考えている人もいるようですが、そんなことをしたら、どんな目にあうか考えただけでもぞっとします。
ツチノコですら猛毒を持つといわれるように、命と引き換えに捕獲に挑む人もあまたいるようですが、スカイフィッシュの場合はもしかしたら命の一つ二つどころではないかもしれません。
物理法則を度外視した霊体動物??という感もありますから。まあこれは行きすぎた仮説というものでしょうが、何でも初めてのものには注意してかかることがたいせつと思われます。
映像で捉えるだけでよしとしておくことが無難であることは言うまでもありません。

このように私も表現しておりました折、奇遇にも、スカイフィッシュと言われる前からこの生き物と関わってきたことがあると神戸市在住の坂本氏が申し出てこられました。
そしてまさに、非常に危険な生き物であるから、捕獲などと考えるではないとの切実な話をされました。

まあ、諸説紛々としていた当時ではありました。

第二項  スカイフィッシュ研究

スカイフィッシユ研究の現状 スカイフィッシュ研究と言っても、スカイフィッシュを見た人がほとんどいない。
ただ撮影物を見て、スカイフィッシュだと判断しているにとどまる。
その撮影物にも、記録方式や記録媒体の特性による写り込み方の誤謬が考えられること。
こうしたあいまいさがクリアーできるか、もしくは撮影物などによって状況証拠的にスカイフィッシュがいる可能性が認められなくてはなりません。・・・
(1)
また、スカイフィッシュという言葉が登場したのはほんの四年前のことでした。(この記事は2004年当時のものです)
いかに捉えどころのない生き物だといっても、それ以前に先人によって何らかの表現で伝承されていて然るべきです。・・・(2)
むろん、カメラ機材にしか捉えられないというなら別であります。が、人の目に見えず、カメラだけしか有効でないというのは、どうもいただけた話ではありません。
人の目がカメラ機材より劣るなら、なぜ劣るのかが説明されなくてはならないわけです。・・・(3)
私どもは(1)(2)(3)のいずれについても、簡単ではありますが、解答を用意しました。
たとえば、(3)については、メルマガ12号13号でお話した「UFO目撃に関して「見る/見ない」が生じる脳生理学的な原因」が、スカイフィッシュにおいても適用できるだろうと考えています。
すなわち、社会脳による目撃認識の阻害が心理的に行われた結果、「見れども見えない」状況が生まれるだろうというわけです。
そこまで考えすぎなくとも、スカイフィッシュの場合は透明であるに加え、非常に飛行速度が速いため、存在を気配として捉えていても、実在感に結びつかないとも言えましょう。
なぜ透明に近いのか。その原因は後述いたします。

ところが、古代人はこの実在感の薄い生物をリアルに捉えていたことが分かりました。最近出土した遺跡発掘物に、何対かの羽根をもつ蛇のごときものが刻み込まれていたのです。
伝承上、別の名前で伝えられていたはずですが、付帯して描かれていたものが「玉」のようなものであることから、「龍」であろうと、鑑定なさった学者さんは推定されていました。
そして、我々の身近にも、一昨年スカイフィッシュ報道をテレビで見て、なんだこれは先祖から伝えられてきた「龍」じゃないかと申し出てこられた人が同行撮影メンバーともなられました。
先述の坂本氏なのですが、彼は目撃と遭遇体験を重ねてきた人であるといい、その生態についても十分なほどの見解をもたらしてくださいました。
我々はこうして、最も大事な核心を語りうる立場にもなったかと思ったものでした。

撮影地別に例題を検証 研究テーマとして論点が整理できそうなものにつき掲載しています。
視覚に訴えるデーターは、このほかたくさんあります。

六甲山系のスカイフィッシュ 三ノ宮や諏訪山に現れたリアルなスカイフィッシュ・・・(神戸市中央区)(武良氏撮影)

地獄谷のスカイフィッシュ・・・「六甲山」(神戸市東灘区)
飛行アニメはこちら
(奥人撮影)

なぜ六甲山系がスカイフィッシュの穴場なのか。
六甲山系はこれだけしっかりした山塊としてまとまっているわけなので、良好な「気」が豊富であることは言うまでもなく、生き物である限り、心地よさのゆえに住み着くといったことがまず考えられます。
UFOも「気」をエネルギー源としているためか、六甲山系を縦走するように、UFOの通り道ができています。
そのようなところであるに加え、良質な水をたたえた花崗岩質の岩盤であるため、コロニーも形成しやすく、スカイフィッシュの棲家としては最適といった感があります。
六甲山での目撃は、弊クラブの3人、参加者1人の併せて4人がしています。
その見え方もいろいろです。
私は下の画像のように、大きな鮒のような色をしたねじれた感のある物体一体を目撃しました。一瞬のことだったので、感涙ものというより、唖然でした。

もう少し説明はこちら

同じものを坂本氏は二体がクロスするように飛んだのを目撃し、しかも色は青白かったとか。
そこで改めてどの位置に出ていたかをお互い照合したところ、坂本氏は中間の上空だったとのことで、私の目撃位置とは異なること。つまり、私が見たのは坂本氏が見た瞬間よりも0.数秒ほど早い位置のもので、次の瞬間にスカイフィッシュは二匹交差したということのようでした。
私は次の瞬間まで見切ることができませんでした。坂本氏は私の見た位置を見切っていませんでした。お互い、視野の真ん中に捉えられたものだけが印象に残ったというわけです。
これは2003年9月13日のことで、当日は週刊プレイボーイのS記者さんの取材中のことだったのです。(白シャツがS記者)(当時の記録。またその数か月後にたぶん同じものを武良氏が撮影。うっすらと鶏冠が張り出している。成長したようだ)
また、撮影ツアー参加者の女性Sさんは、別の日に五助谷上空において、谷から舞い上がるようにして木の葉がたくさん上がってきたのを不思議に思い見ていると、山を背景にして「(ちょうど熱い湯に水を差したときのような)ゆらぎ」が見えたので、それをたどると、大きなクラゲのようなものの輪郭であることが分かったとのことです。
そのとき、我々は五助谷にコロニー探しに一行6人で降りておりました。坂本氏によれば、クラゲのようになってホバリングする姿勢でいるのは攻撃態勢であり、我々の行動を上空から警戒して見ていたのかも知れないということです。それは2002年11月18日のことです。
(同年10月16日には奥人が撮影。すぐ傍にいた!!)

兵庫県中央部、ピラミッド型神体山周辺のスカイフィッ
シュ
タンデム飛行するスカイフィッシュ・・「小富士山」(兵庫県氷上郡市島町)
飛行アニメ
(奥人撮影)
ファインダー侵入時には一匹だったのが、途中から二匹に別れています。
比翼の鳥とでも言いますか。
実はこのビデオ映像には、二匹のすぐ後ろに小さいのが一匹続いて飛んでいるのが映っています。(テレビ画面大であれば判別がつく)
次代を継ぐ子供の飛行訓練でもしているのでしょうか。

撮影場所は、古くは賀茂氏の所領のあったところで大物主系の祭祀部族にふさわしく、三輪山のように崇拝対象となったとみられる秀麗な山体がいくつもあります。
特に小富士山は等高線からしても、東西南北を意識したかのようなピラミッド状の山であり、特別な祭祀の行われていたことをうかがわせます。
ここでは15分程度の撮影ながら、3回それらしい飛行物体を収録しました。
賀茂氏は古来強力な呪術を執り行うことで、朝廷からも恐れられていた経緯があり、輩出した著名な呪術師にも役小角(高賀茂氏の出自)や安部晴明(賀茂保憲の弟子)がいます。
彼らが使役していたという鬼神や式神とはいったいなんであったか?
目に見えず、時には鬼と映るような実体不明の超自然身とは?
そう考えたとき、スカイフィッシュという生き物を考えてみるのは妥当かと思われます。
役行者が八丈島から毎夜富士山詣でをしていたという伝説があります。
これは坂本氏が、その背中に乗った経験的事実と照らし合わせるとき、「できる」ことであると思われます。
また、安部晴明が橋下に飼っていたという式神の伝説があります。
これは賀茂氏が伝統的にスカイフィッシュの育成法を心得ていて、晴明は実際に飼いならし、摩訶不思議な術の助けにしていたのではないかと考えられます。
遠隔透視のできる坂本氏によれば、小富士山の山体の中腹に洞窟があり、その中に清水の湧き出る泉があって、スカイフィッシュがコロニーを作り易いよう計らわれているそうです。
もしそれが本当なら、賀茂氏は山体を崇めるいっぽうで、術のタネを養成していたことになりましょう。
二匹ペアーでスカイフィッシュがいる場合は、コロニーを守っているのだという坂本氏。
ならば、私がビデオ映像を撮った1994年10月時点には、コロニーが存在していたことになるでしょうか。

さて、古代の伝承に由来を求めてみたわけですが、唇寒し秋の風の観は否めません。

播磨の巨大スカイフィッシュ

風水との関連

山越え跳躍するスカイフィッシュ・・・「石の宝殿」(兵庫県高砂市)
見所・・・峻険な山並みへの潜水飛び込み 玉型UFOとの競演 
現場・・・地元で有名な「竜山石」の採掘場
飛行アニメはこちら
(奥人撮影。別の解説)

たった2分の競演の中には、スカイフィッシュ二匹のタンデムでのニアミス飛行シーンもあります。
このデーターは一粒で二度おいしい、スカイフィッシュ研究には非常に有用なデーターであると確信しています。
その理由は、
①見え方・・・龍もしくは長大な蛇が、山稜ぎりぎりを通過して瞬間移動したように見える
②玉型UFOとの競演・・・龍と玉の伝説さながらである
③その土地の地形・・・風水上の龍脈の通り道に当たる

風水に言う「龍脈」の概念からすると最適と思えるほどに、山や川の配置、地勢の良さは素人目にも一目瞭然のところです。
玄武となる主山高御位山の山塊はまさに亀の形をし、左右の両腕を白虎山、青龍山として伸ばし、朱雀に相当する朝山を南にいくつか配した構図は、まさに四神相応の構図というべきものです。

龍の通り道「龍脈」は、山の尾根伝いに形成されるといいますが、高御位山のさらに北方には高山の巨大な山塊があり、さらにその向こうには古法華の笠松山(太祖山)を開始点とする「龍」(気の塊)を送り出すシステムが備わっています。
私は、1994年10月9日、武良氏に手ほどきを受けながらUFO撮影をはじめて二度目において、龍脈システムの朝山に相当する「石の宝殿」から、やはり朝山である西の山をビデオ撮影中に、まさに「龍」の跳躍ともいえる謎の現象を捉えたわけです。

どうやら、これこそ「龍」と言われる生き物ではないでしょうか。
「龍」は霊的な生き物として考えられることがある以外に、自然現象としての「気」のエネルギーの塊のこととするのが「風水」です。
この二者は同じものではないとしても、どんな生き物でも気の流れの良い場所ならば気分が良いとなれば、スカイフィッシュひいては「龍」は、その自在な飛行能力を駆使して、気の流れに慣れ親しんできたに違いありません。
こうして、生き物としての龍の行動傾向は、非生物である風水の龍脈と重なるという論理が成り立つと思われます。
風水に言う龍脈の観点からすると、最短としても加西市の笠松山にはじまる龍(気の塊)脈は、いくつかの山体の山稜を経て西南西に下り、姫路平野へと下る直前の城山(戦国時代に山城が置かれたことから名づけられる)で大きくヘアピンカーブを描き、高山を中核とする山塊へと入射します。
それは南の高御位山を中核とする山塊へと入射しますが、この山塊はちょうど母が子を抱くような格好の腕の伸ばし方をして、四神相応の構図を醸しています。
この例は、龍脈推定用地形図の左上隅に示すよう、風水上の好所とされている鞍馬山の山塊を中核とした京都盆地を抱く格好の地形にとても似ています。
玄武となる高い山である鞍馬山、そこから腕を伸ばしたように東の青龍山、西の白虎山、そして東山、桃山、飯岡、甘南備山などが朱雀を形成していますが、同
様に高砂の地には、高御位山のふところに抱かれるように鹿島神社や成田山などがあり、溜池が設けられ、東の青龍山に連なる朝山として、石の宝殿の一枚岩山やその南の竜山があります。
いっぽう、西の白虎山の連なりの先の朝山として、5つの小高い山の連なりがありますが、人工造山であると目されます。
山から海へと下る龍なる気の流れは、沿海部において神戸製鋼などの鉄鋼コンビナートの所在と重なり、龍脈の恩恵を受けて発展したことが想像されます。
実際、この日のビデオの中には、高炉の煙突の警告灯の点滅する工場地帯を目がけるようにして突進していく謎の飛行物体が捉えられています。

気の流れすなわち龍脈を伝う龍は、のべつ幕なしに流れているわけではないでしょう。
太祖山に立ち上る霊気がある程度溜まって、臨界に達したときが流出のときと考えられます。
これは一日のうちでそう何度もあるわけではないし、天候などのコンディションによっても発生はまちまちのはず。つまり、不定期な間欠泉のように、龍は流れ出していると考えられるわけです。
このとき撮影されたUFO/スカイフィッシュ(龍)の競演は、長い幕間のとばりを破って、わずか2分間の中に3種類7シーンを見せてくれています。
そのチャンスに遭遇しさえすれば、伝説どおりの玉と遊ぶ龍のシーンも撮影可能なのです。

のんびりした玉と高速飛行のタンデム龍がニアミスを演じるシーンもあります。平面的な映像を見ていると、空にも交通というものがあるというのが認識できます。
山に居つくカラスたちと飛行経路が合致しないよううまく折り合いをつけて飛んでいます。
カラスにはこの現象のことがどう見えているのでしょう。
我々は気を良くして10月14日にもほぼ同時刻に同所で撮影を敢行しましたが、ほとんどボウズに終わってしまいました。
10月9日との条件的な差は、うす曇か快晴かの違いでした。スカイフィッシュ系は曇り加減のほうが良いようです。これは六甲山においても同じです。

自然現象である風水にいう龍の流れに乗って、生き物である龍も動く。
ちょうどサーファーが好適な波の来るのを待ち、それに乗っかるごとく。
それは、誰や彼が命令して従うわけでもなく、ごく自然に彼らの行動すべき条件が満たされたとき、まるで町の若者がサーフィンを楽しむごとくやってくるのでしょう。
彼らは、意思を持ち、面白さを満喫したがる心も持っているようです。
もしかしたら、龍脈の気の塊を引き連れて飛んでくるのかもしれません。
ならば、彼らの性質を理解して、幸運とか心地よさを呼び込むために、「龍」を誘致する設備を整えたくもなるのが人情というもの。それが風水術として今に伝わっている技術ではないか。

いっぽう龍のほうも意思や知性を持っているなら、彼らの航路の先に彼らの姿を収めようとしてカメラを構える者たちがいたなら、彼らの心を察して映ってやろうと思わないでしょうか。
彼らはわざわざ画面に合わせてパフォーマンスを演じてくれたりします。
こうして、勘と忍耐が頼りのカメラマンたちは逢う魔が時のような好運をつかむのです。
この地はそれほどに龍の出現が見られたせいか、古くから石の宝殿の南の山と南西の土地一帯は「竜山」と名づけられて今に至っています。

以前紹介しましたように、宮本武蔵のほんとうの生家もこの近くにあります。目の動体視力を鍛えるのにもってこいの生き物ではなかったでしょうか。
撮影日の1994年10月9日。後から分かったのは、阪神大震災のちょうど100日前ということでした。これも計算しつくした龍のパフォーマンスなのか?
龍の飛んだのが西の山の頂上に沿ってであったなら、地図を辿れば、その方向の延長上には偶然にも震源地、淡路島の北淡町があるのです。
もうひとつ気持ちのよくない話をしますと、瀬戸内の龍を鎮め、海運航路の安全を守るという目的で作られた風水塔とされる舞子の移情閣が、明石架橋に伴い1994年3月から解体されていました。
つまり、この不在の期間中に起きた震災であったというわけです。
ちょうど明石大橋の橋脚の基礎の打ち込みがなされていたことが地殻を刺激したと密かな噂になっていました。瀬戸内の龍の騒乱が天変地異を招いたのでしょうか。
とするならば、龍さえもコントロールしようとする風水は大変な技術と言えましょう。

例題をもとに性質を探る  
スカイフィッシュの性能諸元について 飛行アニメはこちら
(再掲してます。何度もすんません)
ファインダーの中に収まっている距離を地図から割り出したところ、約200mほどですから、秒速1Kmと推算しました。
サイズは、長さ3~7m(写真上は一番小さいときで10m) 幅もしくは厚みは2~3m。
むろん、スカイフィッシュが山稜の尾根伝いに飛んだと仮定しなくてはならないわけですが、1/30秒・コマを再生する再生機にかけて6コマ。1/60秒・コマで再生する再生機で12コマで通過していることから、200mの端から端まで飛びきるのに0.2秒となります。
すると、200m/0.2秒=1000m/secで、秒速1Kmになるというしだいです。
音速の約3倍。それを音もなく、また周囲に飛び交うカラスなどの生態に影響しないように飛んでいるわけですから、いかに生命にやさしく、また周囲の生態系からもなじまれた飛行物体であるかが分かる気がします。
ただ、長さの推定は、このビデオカメラが旧式のものであるため、モーションブラーによる「間延び」を考慮しなくてはならず、正確な値が出せておりません。
幅や厚みについては、シルエットの消えるところまでが羽根の先までとして、距離との比率で大体を割り出しました。
これがスカイフィッシュとするなら、大クラスのものとなるでしょう。
古代的に「龍」と呼ばれても良いタイプのものだと思います。
この飛行地域を「竜山」というのは、古代人の見立てを物語っていると思います。

ただこのデーターは、今まで扱った撮影データーのうち、サイズと飛行速度が理想的に割り出せそうであったために用いたものであることをお断りしておきます。
飛行物体がカメラからどれほど離れていたか分かるとか、あるいは背景との関係から割り出せそうな状況にない場合は、どんな映像であっても性能を測るツールにはなりえません。
飛行物体が、山のはるか手前を飛んでいたならば、以上のような推算も根拠を無くしてしまうわけです。
ところがこの場合だけは、UFOなどとのコンビネーションシーンが前後に撮られていて、明らかに飛行物体の側から彼らの性能諸元を求めるように仕組んできた感があるため、採用しています。

この性能諸元から推測される飛行原理 常態的な観測に掛かるすべがないために、説得力に欠ける仮説にしかなりませんが、物質状態に四相しかないとした場合、その動きからして、プラズマ相の物質状態にある有機生命体であると考えるのが妥当かもしれません。
しかし、坂本氏の体験は、彼らとの接触にまで及んでいますから、そのようなものでないことも体験的に分かっています。
UFOの飛行原理と同じという説もありますが、UFOが一点で一瞬にして進行方向を変えるという保存則を無視した動きをするのに対して、いかに鋭角に進路変更をするとはいえ、必ず角運動量の変化を伴う動きをしていることから、飛行原理の違いは歴然としています。
航空力学的な物理法則を満たした運動をしているわけではないが、スロー再生すれば、少なくとも運動量保存則を満たそうとしているようには見受けられるわけです。
ならば、この飛行原理とは何なのかというわけですが、私は、生き物の多様性が作る「生活時間の刻みの相違」による、「異なる時間経過の同一空間における複在」が原因ではないかと考えます。
つまり、観測者によって固別の時間が我々の空間には幾通りも存在しているのではないかということです。
そもそも、我々は自分の観測する世界だけが全てだと思ってしまいがちです。
それで生活が事足りるからと言ってしまえばそれまでなんですが、生命の形態に応じてそれぞれに観測している時間が違うことも考慮されねばなりません。
たとえば、人も若いときと年老いたときでは、あきらかに観測時間(生活時間)に違いがあります。
原因は神経回路に迂回路ができたり途絶ができたりして、迂回時間を多く消耗しているから、お年寄りは動作が鈍くなってしまうわけであり、若者と同じことをするのに余分に時間がかかっていても、本人の観測時間の刻みがそのようだから、自分では鈍いと自覚しないのが普通なのです。
異種の哺乳類間においてもそれはあります。ゾウの時間とネズミの時間は違うという説を出された学者さんがいました。
心臓の鼓動の回数が寿命を決めること。神経回路の伝達距離がその生き物の観測時間を決めるという説です。
だから、長命なゾウも短命なネズミも、さして経験する時間とボリュームに相違はないというのです。
もしも、プラズマ相でなる生命体がいたとしたら、その神経回路の伝道速度たるや、液体相で化学変化を介して伝道させる我々と比べるべくもありません。
そこに、私の仮説がもうひとつあります。
これは拙時空概念でも述べていることですが、時空は観測者があってはじめて成り立っているのであり、観測者を離れて時空など存在しないとする概念です。
つまり、観測者の個々別々に経験時間も認識形態も異なっていると同時に、観測者の性能に合わせて観測されるべき時空も存在していると考えるわけです。(現代科学はこの考え方を採用しようとしているようですね)
もしさらに、神経回路を形成する基盤になる物質の相が異なっていればどうなるでしょう。
液体相の神経回路で伝達する情報の速度に比べ、プラズマ相でなる神経回路なら、はるかに速いわけです。
これがいかに龍やスカイフィッシュの図体がでかくても、俊敏だという理由になります。
おいおい、プラズマ相の生き物なんかいるの?
それには、どんなところにも生き物はいるんじゃないんですか、と答えるしかありません。
強酸の胃の中にピロリ菌あり、真空の宇宙に宇宙螢あり、深海の最深部の海底からのあぶくの周りにも生命がいるくらいですから。

しかし、スカイフィッシュの経験時間と、経験されるべき時空は、我々人間のそれと自ずと異なっているはずです。
この時間の刻みの差は次のように分かります。
同じサイズの生き物が我々の時間軸を使って潜水飛び込みをかけて水中を進行したとした場合、200mなら10秒ほどだとしてみましょう。
すると0.2秒で完了したときの差は50倍となりましょう。
それが両者の経験時間の刻みの差と考えることができます。
そこから、彼らスカイフィッシュがどういう物質状態で過ごしているか、推測がつくのではないでしょうか。
彼らも、どこの空か海かは知らないが、ゆったりと飛んでいるふうに経験されているとき、彼らの目からすれば、我々人間の動作は、芋虫が匍匐前進するほどにもどかしいものなのかもしれません。
これが竜神、つまり神と人間の性能の差だとすれば、人間は神様にかないっこないわけです。
逆に人間が植物に対してなら、ちょうど逆の立場で見ることができます。
我々は植物を伐採したりしますが、植物にしてみれば、おい神様よ、切らんとってくれよと言ったところで、神さんの我々が植物に意識などあるの?と言っているくらいだから、植物もたまったもんじゃありません。
その点、龍神さんは違います。生命のことをよく知っているせいか、当たり障りのないように飛んでくれているというわけです。
だから、時空の観測形態も違えば、経験されるべき時空が異なることで棲み分けさえもなされているのであり、異なる時間の刻みが同一空間に複在していることさえこの現象は言い表していると考えられるのです。
霊能者によれば、不成仏霊魂の空間も我々の空間に複在しているそうです。
もしかすると、スカイフィッシュは、物質世界と霊世界の中間に位置するミッシングリンクとなる亜空間にいる生物なのかもしれません。彼らは、両方の世界に観測の目を向けることができるため、両方の世界の意向を汲み取って仕事をすることができる。
どんな仕事かといえば、不成仏霊を連れ去るというようなことをしているのではないかというわけです。(坂本説)(彼によれば、このため地獄谷のすぐ下の住吉霊園には迷った霊はいないという。またスカイフィッシュに連れ去られた霊たちは上空のUFOに収容されて運ばれるとのこと。
武良氏はUFO内部で閻魔の裁きがなされるという。その話は坂本氏以前に図解入りで聞いていたので、照合が取れて妙に納得した次第。みんな、霊を持ってるとはいっても自由はないみたいだ。悔いのない人生を生きてくれ)

スカイフィッシュの知性への推測 高度な知性を思わせます。
彼らは、カメラのビューアングルや録画時間さえも考慮するようなパフォーマンスを演じます。
もう帰ろうとする頃に、名残を惜しむのか、よく飛びます。
そのパフォーマンスが、計算された行動と思えるゆえ、我々はUFOであると考えてきた経緯があります。
だが、どうしてもシルエットとしてしか映らないため、UFOは亜空間を飛んでいるのかと考えたり、霊体の類かと考えたり、神霊の「龍」かも知れないとは、1994年の撮影当初から思っていたことではありました。
それを経験的に「龍」であると断言したのは坂本氏でした。
こうして、スカイフィッシュは伝説上のUMAであり、UFOとは別物であることが鮮明になったしだいです。
彼らは、高度な知性を有するということ。これは誰が語ったからというのでなく、撮影物を調べてみれば感づくことです。

古代伝承との整合を図る  
古代の遺物からの考察

龍と玉の伝承

2004年1月に出土した弥生時代の土器の壷には玉であるらしいものと戯れる龍の図柄が描かれていました。当時、龍がどのような姿で捉えられていたかを表しています。
もう少し説明はこちら

その姿はまさに現在我々が撮影している足つき(ひれのついた)スカイフィッシュさながらです。

豊後国風土記には、この地方に天皇が行幸されたとき、従者が泉に水を汲みに行ったところ、オカミがいたので汲むのをやめたという一節があります。
「泉の水を汲ましむるに、すなわち蛇龍(おかみ)ありき。於箇美(おかみ)といふ」
まさに当会の坂本氏のスカイフィッシュ体験そのもの。
ただ、坂本少年はそのときオカミの姿を認めず、水を汲んで飲んだのです。
それがコロニーだったというわけです。
古代には、泉のある場所ではこうした目撃の事例が多かったのでしょう。
だから、見つけたときには、そっと何もせずに引き上げたことのようです。
闘っても勝ち目はないことを経験的に知っていたとも考えられます。

古事記には、その生態を直接感得した表現として、クラオカミ、クラミツハ、ミツハノメといった表現で登場します。それが神格化された形として、トヨタマビメとかシホツチノカミとなってきます。
それは水域であればのことなのですが、山岳地の場合は、神格化されてオホナムチとなります。
日本書紀では、タカオカミとなっています。タカオカミは上空の龍、クラオカミは渓谷の龍、クラミツハは池や海など水系の龍といった感じです。自然神と捉えられたときの表現です。
いずれも、雨などの気象を制御できる生き物として捉えられ、雨乞いの際の主神となります。
それゆえ、上記の土器は、雨乞いに使われたのだろうとのことです。

では、そこに書き添えられる玉のようなものはいったい何でしょう。
ここからは神話に属する話となります。
龍と玉の伝説は多様に語り継がれています。
古事記においては、海幸山幸の段において、海神の宮に行った山幸と夫婦の契りをした豊玉姫として書かれています。豊玉姫は竜神であり、乙姫のこととされます。
譲り受けた呪術兵器としての玉には、海水潮位をコントロールする力ありとされます。
上掲の撮影成果のようにUFOなら、そのようなこともやってしまうのかも知れません。
また、けっこう世界的に共通の下地があったのではないかと推測されるのが、古代の英雄と「飛ぶ蛇」「羽根蛇」「龍(ドラゴン)」への神格化です。浦嶋や安倍晴明の場合は、龍とコンタクトした英雄でしたが、オオクニヌシなどは自ら大蛇(オオナムチ)と関連付けられた神です。そのような例は、中南米の英雄ケツアルコアトルに見られます。(後述)
また、中国には玉と戯れる龍の伝承が数多く伝えられています。
それらの謂れがどこにあるのかたどるとき、実際に龍のようなUMAと玉状のUFOがときおり目撃されていたようなことが考えられます。

神話伝説からの考察

玉と龍
不老不死
ゾロアスター教神話

龍もしくは竜神との関係で見た玉の機能を考えるとき、人の寿命や精力を消長させるものの意味合いで登場しているという共通性が見出せます。
玉は効用すれば不老不死もしくは勢力的発展につながり、呪詛に使われれば老化や衰滅を早めるものとなるのです。
そこには、不老不死という共通項がありますが、玉が不老不死の原因となるというより、龍との関係で不老不死というテーマが成立すると考えたほうが良いようです。
そのようなとき、坂本氏の経験談が大変参考になりました。
スカイフィッシュのコロニーの存在する水溜りの水は甘く、飲めば非常に元気になるだけでなく、持ち帰って病人に与えたところ、難病が治ってしまったという経験をしている坂本氏。
また、彼自身滑落事故によって大怪我をしたにもかかわらず、スカイフィッシュのひげのようなもので触られたら、傷も残さず治ってしまったという話。
途方もない話ではありますが、以上のような古代伝承に基づけば、ありうる気がします。

私は海外に面白い神話伝承があることに気づきました。
ゾロアスター教の神話はゼンド・アベスタという聖典に書かれるのですが、そこにはゾロアスターの再臨による世界建て直しの話があります。
悪神が善神に滅ぼされてのち、世界が建て直され、そのときに人々に与えられる恩恵として不老不死の薬が用意されるというのです。
「これは白ホーム樹という薬木を材料にして調製される。
善悪混交の今の時代において、すでに白ホーム樹は咲いているとされ、それを悪神やその諸類の邪悪な手から守るため、善神アフラ・マツダは「カル魚」という霊食の魚を二匹、白ホームの周りに配備して守らせた」というのです。
その関連記事は、「苗木ゾロアスター教遺跡説」で取り上げましたので、参考にどうぞ。
写真は苗木・丸山神社のフナ岩

ところが、カル魚の白ホーム樹の守り方たるや、二匹の間に外敵を挟んだ状態で、双方の呼気によって真っ二つに切り裂いてしまうというもの。
いっぽう、スカイフィッシュも、模型やイラストで紹介しているように、鋭い二本の歯を持ち、外敵とみなしたものに襲い掛かり、ズタズタに切り裂いてしまうといいます。
それがコロニーを守るときには、二匹の大型スカイフィッシュが、たえず外的の侵入のないよう見守っているというのが、坂本体験であるわけです。
撮影例として、私は少なくとも二回、二匹のタンデム飛行をビデオ収録していますが、二匹一緒に出てきたなら、コロニーを守るためのパトロール飛行であるという坂本氏。
私はゾロアスター教に関する何の予備知識も彼には与えていませんし、彼にそのような前知識がないことも歴然としています。
こうしたことを総合してみると、カル魚とスカイフィッシュはどうやら同じであり、白ホーム樹とは、彼らのコロニーのことではないかと推測されるのです。

役行者も安部晴明も、救世主的要素がたぶんにあります。
そこにもし、いつもスカイフィッシュが関わっていたとするならば。
世界の建て直しに係る救世主の必須要件すらも見出した気がするのは、私ばかりでしょうか。
1. 不老不死の薬のありかを知り、
2. それを守り、侵入を遮っている霊妙動物である生き物と仲が良い人物であろうこと。
つまり、龍と仲がいいとは?
スカイフィッシュと仲がいいとも言い換えられます。
そのような時期に、巷はフライングヒューマノイドの話題で沸騰しましたが、それは半透明のスカイフィッシュに乗った、使役できる人物ではないかと、直感したしだいです。
そのような人物とは??
やはり魔法使いか
あ。

龍は、人類登場をはるかに遡る古代から生態系の頂点に君臨したであろう霊妙不可思議な高等動物。
その知恵を借りるような時がくるなら、どれほど人類にとって意義深いか知れません。

古代呪術師の家系

賀茂氏はスカイフィッシュを使役していた?

神武天皇がやってくる以前から、古来、大和の地にあって秀麗な神体山を信仰の対象としていた部族がありました。それが賀茂氏です。
彼らが崇拝した三輪山と大物主の話は有名ですが、「みわ」とは蛇の意味とされ、空中を自在に飛ぶ蛇が認められていたに違いありません。
特に彼らはピラミッド型をした山に特に意義を見出していたようです。
賀茂氏の所領であった里が兵庫県氷上郡市島町にありますが、市島とは斉き島の転化であり、何かを祭る場であったことを意味しています。
その中央部に一辺250mほどのピラミッド型神体山「小富士山」があり、北方の鴨神社で祭られています。


(奥人撮影)
賀茂氏は山や岩などに神霊が宿ると見る、いわゆる龍蛇神を崇拝していました。
その神の力は、大和朝廷を恐れさせたと古事記にも書かれますが、実質的に龍蛇の実体が動いていたのかも知れません。
それを見事使役することができたのが、彼らだったとすれば。
その生態に精通し、彼らとの会話法などまでもしも知り尽くしていれば、自然と彼らとの交流が図れ、様々な助力が期待できます。
賀茂氏の支流である高賀茂氏から出た役行者は、鬼神を使役したとされます。
鬼神は実際に形相すさまじい鬼として目撃されたともいいますが、大方は目に見えなかったそうです。これは、神出鬼没のスカイフィッシュであったればこそ。
一子相伝の坂本家がそうであったように、伝統的に賀茂氏が龍蛇神となじむ習俗を伝承さえしていれば、コロニーの世話から何から何まで面倒を見る格好で、親密な交流は可能だろうと思われますが、実際はどうだったんでしょう。
役行者が八丈島に流罪となってから、毎夜のように富士山詣でをしたというのも、ありうる話です。
スカイフィッシュがほとんど透明であったなら、それに乗った人間は、単独で浮いているかもしくは飛んでいるように見えるでしょう。

陰陽師安部晴明も賀茂保憲に師事して大陰陽師となりました。
彼は川の橋の下に式神を飼っていたとされます。いやしくも神と名のつくものを飼うとはいかなる不敬かと考えるわけですが、スカイフィッシュだったとすると、なるほどしないでもありません。彼らには十二神将にちなんだ名前も付けられていたんですね。
「イルカの日」という映画がかつてありましたが、ちょうど「スカイフィッシュの日」といった趣が平安時代にはあったのかも知れません。(笑)
スカイフィッシュは直接戦わせれば一匹だけでも一騎当千どころでない働きをするはずです。
坂本氏によれば、戦う時のスカイフィッシュの鳴き声は、イルカのキュルキュルという高い声に似ているそうです。(@@;)

しかし、晴明はそのような用い方より、祟りなす悪霊や怨霊をスカイフィッシュに捕らえさせたり食わせるなどの、人間に害をなす魑魅魍魎の類を滅することに専らとして用いたようです。
坂本氏は最近、霊能のあるY氏とともに六甲の五助谷の展望場に行ったとき、突然岩崩のような大きな音がしてそちらのほうを見たところ、とんでもない斜面に引っかかっている格好の人の姿を見たそうです。
「あんなところに人が・・」とY氏。
ところが、数刻して見ると、もうそこには誰の姿もなかったといいます。
そこで坂本氏は動ずることなく、「あれは幽霊です。寒い時期はスカイフィッシュも活動を控えているため、迷った幽霊が連れ去られずにいて、我々に事故のあったことを知らせているのです」と言ったとか。
死者の霊は、スカイフィッシュに連れ去られて(食べられて)成仏するらしいのです。だから、五助谷の下の住吉霊園には霊がひとつもいないとは坂本氏の言。
そこでゾロアスター教に言うカル魚が霊食という話や、また震災前におびただしい数の謎のロッド状物体が撮影されたことなどが、一連の符合する話題となってくるのです。
大震災や大戦争の起きる地域は、前もってスカイフィッシュがよく撮影されることでしょう。このような宏観観測の方法のあることもご承知おきください。

ナワリズムと羽根蛇の英雄伝説 フライングヒューマノイドについて、アンビリバボーでは、アステカの神ケツアルコアトルとの関連を推測しているもようです。
それは、アステカの遺跡にたたずむ、まるで銃器などで武装するかのような宇宙人的いでたちの神の彫像と、空から飛来するという預言的伝承を重視しているからでしょう。
しかし、むしろケツアルコアトル神そのものとスカイフィッシュの関連のほうが大ありと考えます。
というのは、この神の神殿に残されるレリーフは、頭部だけでも「龍」のそれであり、しかも羽根のついた蛇であったとされているからです。
ではなぜ、神人であって龍やスカイフィッシュなのか。それはメソアメリカに古くから伝承されてきたナワリズムにヒントがあります。
かつて、自分の死んだ先さえコントロールされるのでは困ると、死の直後、イーグルに似た摂理によって自分の意識が食べられてしまう現実から逃れるために、不老不死を目指した人々がいました。
メソアメリカのインディオの間では、トルテカ時代よりも古くから経験的にその術を編み出し、師弟関係を築いて素質のあるものを呪師として養成し、その技法を伝えてきたとされます。
彼らはいちおうトルテックの戦士と呼ばれ、死の摂理からさえ自由になろうとする者でした。(カスタネダの呪師シリーズより)
彼らは修行の最終段階で、断崖絶壁から飛び降りるテストを行い、地上に激突するまでにテレポートするという荒業を敢行したそうです。見た目にはそうですが、本質的には自分の命を維持できる世界を咄嗟に組み立てて、そこに移行するというわけです。
その場合、なりふりかまわず、形態的変化(変態)も受け入れたとのこと。様々な世界を組み立てて試行錯誤するうちに目標を達成するだろうと図った、恐るべき冒険者たちだったようです。
彼らの崇敬する神ケツアルコアトルは、そうした自由のシンボル的な英雄だったのでしょう。
彼ら戦士たちは修行の末、最後にこの世界を離れるときには羽根蛇になったそうです。それが目指すべき英雄の姿だったのでしょうか。羽化登仙とは、まるで中国の仙人みたいです。

ナワリズムに関わったインディオの多くいたはずのコロンビアは、スカイフィッシュ第一発見現場の大洞窟のあったところです。
態的変化を伴う意識の変容の結果、スカイフィッシュになったのだとすれば。
スカイフィッシュは、人の意識が組み立てた、時間経過の速い世界にいる生き物となります。
それがたまたま我々の世界とは空間を複在させている。
彼らは普通に暮らしていても、我々にはスピーディーに見えてしまう。
もしかすると、我々の地球も、誰かが最初に組み立てた世界であり、そこに弟子たちと共に住み着いたのが人類の始まりだったかも知れません。

UFO撮影同道記 (改訂版)

UFO撮影同道記

 2019年改訂版
文/奥人
  1. UFOとの邂逅
  2. 偶然ではない一致の発生を「共時性」という
  3. 斑の年の幕開け
  4. インビジブルUFOとは (An opinion
    about invisible UFO)
  5. UFOと古代霊妙動物・竜
    (UFO&Ancient UMA-Ryu-Dragon)

 

文中赤記は2019年の付加、青記は2002年の付加になっています。
文中M氏とはUFOビデオ撮影友の会の武良氏です。

《UFOとの邂逅》
私は二十五~六年前(26,27歳頃、2019年の今から40年以上前になる)、あるUFO観測同好会、男女10名ほどのグループに同道して、湯の山温泉の近くの朝明キャンプ場でUFOを目撃したことがある。

御在所岳の麓のこの場所はUFOの通り道になっているとの噂で、皆してカメラや望遠鏡などを持って夜9時ごろから観測体制に入った。すると程なく、橙色をした流星のような光芒が出現して消える、という現象が夜空のあちこちで見られるようになった。単なる流星ではないのかという疑念が湧いたが、リーダーはこれがUFOなんですよと言われる。
そのうち私は、頭上を見上げる姿勢の持続に無理を感じ、寝袋に入り横たわって中天を見上げることにした。5分もすると、私は星の瞬く夜空に吸い込まれる印象を持った。それはまるで宇宙に漂っているような気分であり、幸福感を覚え、そこで何たることを思いついたか、心の中で今その辺に来ているであろうところのUFOに向かって語りかけてみたのだ。

すると、わずか1~2秒の後のことだ。私の視野のど真ん中に橙色の三日月状のかなり大きな物体がよぎり、次の瞬間にはあの流星となって、クロスを描くように飛び去ったのである。私は、「あっ」と声を漏らしたものの、騒ぎ立てる心境にはならなかった。えも言えぬ、神聖な気分が熱い感動と共に訪れたからである。

おそらく、このような形のUFOは誰も見たことも撮影したこともないはずだ。
だが、まぎれもなく私の眼前に出現してくれたのである。


この同好会は、UFOの存在を信じ、友好的にすべき存在として疑っていなかった。メンバーの中には、頻繁にUFOを目撃したり、それらしい光体を写している人が何人かいた。その中には、自衛隊員もいて、駐屯地上空にも現れるので、それを撮影したのだと言って、年に何回かその写真資料を基に、展示会まで開いていた。私は彼らの考えを、素直に納得していたから、この時にUFOに向かって何を語りかけたか、おおよそお察しいただけるだろう。

しかし結局、そのときには他の面々に同じものを見てもらえなかったことがわかり、その強烈な体験は自分だけのものとなった。その後といえば、よほどそのときに印象深かったせいか、それとも本当にUFOがメッセージをよこしたものかどうか、夢の中で見上げる夜空に、星間をスイスイ楽しげに泳ぎ回る白球のUFOの群れが出てくるようなことがたびたびあって、格別の印象を深めていた。
そして種明かしをして見せてくれたのが、これまた夢の中で、当時喫茶店などに置かれていたピンポンのテレビゲームのような夜空が出てきて、直線的に現われた白球UFOが真ん中の星にぶつかって「ポッ」と音を立てて反射していったのを見て目が覚めた。そのとき、ああそうなのか、白球UFOは私の脳に映像を投影できるんだと思ったことだった。その後、夢で白球を見ることはなくなり、数年の時が経過した。


ところが、33,4歳頃に、私は精神を落ち着けるためにヨガ瞑想をしていたのだが、当時、ピラミッド瞑想がいいと知り、形と規則さえ満たせばと、園芸店で90cm支柱とゴム粘土を買い、それで小さなピラミッドを組み立てて、その中に枕を置き、寝そべって眉間に意識を集中して呼吸法と瞑想をしていたときだった。うつつと眠りの境界まで行ったとき、なぜ突然そう思ったか知れないが、白球UFOは映像だから、眉間に飛び込んでこれると思ったその瞬間に、なんとあの白球UFOが赤熱しながら高速で目の中に飛び込んできて、視界は中天からの太陽光の光線束のシャワーの降り注ぐ中にあった。これは一大事と、目を開ければ、視界は真っ白の光の中だった。くわーっ、これは気が狂ったかと頭を振って正気に戻そうとすると、光の海は千切れ雲のようになっていき、やがて薄暗い蛍光灯の部屋の光景に戻ったのだった。

(この赤記部分は改訂追加部分である。というのは、2017年になって、コーリー・グッドの宇宙開示情報により、高次元存在・スフィアビーイング(球体存在)のことを知ることとなり、この球体存在とのファーストコンタクトの手順が夢の中で行なわれることを知り(※0)、26,7歳のときの何度かの夢はそうであり、33,4歳のときの瞑想時の脳内スパークのようなことは、セカンドコンタクトだったかも知れないと思ったからである。
2003年頃だったか、世界不思議発見という番組で吉村作治氏の説でエジプトのファラオの太陽神超入の儀式が王の棺室の石棺の中で行われたというCG映像が流れたとき、私の身に起きたことは、ピラミッドの極小ミニチュア版だったとはいえ、これと同じことではなかったのかの印象を持っていたのだったが、とするとファラオも私も、スフィアビーイング体験をしたことになるのではないか。あれはまさに太陽光に匹敵するほどのまぶしさだった。それを古代エジプトでは、ファラオが太陽神を身に帯びる儀式としていたのかも知れないと思ったことだった)

しかし、私は気が狂ったかと拒絶してしまったかも知れず、以後、白球UFOとのコンタクトはなくなったが、2003年になって、UFO撮影仲間に加わった坂本廣志氏が満天の星ほどの白球UFOを撮影して、その存在がけっこう身近であることを知ったのだった。

とにかく、そのとき以来、UFO現象やUFO情報には、とんと遭遇しなくなって、月日は流れた。

ところが、UFOとの新たな邂逅が訪れたのである。それは1994年の秋のことだった。

私がM氏に同道して、UFOのビデオ撮影に出かけるようになった数えて二度目(十月九日)に兵庫県の高砂市の石の宝殿に行った際、遺跡を刻む一枚岩の裏山の上から、西の方の山容を30分ばかり定点観測的に撮影していた中の連続する2~3分間の中に、UFO以外の何者でもない映像を記録していたのである。

いったい、西の方の峻険な山の稜線すれすれをアクロバット的に、秒速1キロもの超高速で音もなく擦り抜けるものがあるだろうか。標準速度で観れば、それはまるで山稜を瞬時に舐め通る蛇そのものであった。

映像をコマ送りして何が起きたか判別するわけだが、物体は葉巻型をしており、ちょうどプールサイドから飛び込み潜水する要領で窪んだ山稜にアタックをかけている、お茶目なイルカといった感じである。

地図に基づけば、画面の端から端まで約150メートルほどあろうか。それを1/30秒・コマの記録密度において5コマですり抜けていた。サイズは20メートルほどか。(1/30秒・コマのコマ送り画像の合成:下図(JPEG40K))
 
その十数秒の後、今度は山の上から、あたかも顕微鏡で観たときの草履虫がプレパラート上を移動するときのように、灰色の曇り空をバックにして、ふわふわと淡く丸い(いや、菱形かも知れない)輪郭をしたものが浮上していくのである。

高速モノを目で追っていたので、この何気ない画面の動きを見過ごしかけるほどだ。透け方と形状からクリスタル型UFOと命名した。サイズは4~5メートルほどか。

それは途中で1秒ほど滞空し、おもむろに発進して不規則かつなめらかな動きをしてみせたところなど、まさに重力制御のUFOそのものといった感じであった。

さらにこのクリスタル型UFOの発進直後に、別の高速UFOが航路にクロスするようにニアミスシーンを展開して、4コマ先で2機に分裂するという映像まで含まれていた。

そこまでが画面内に映っていた時間は約20秒。このクリスタル型UFOはいったん上空に去るが、その後2,30秒ほどおいて2度にわたって(都合3度)画面内に姿を現すのである。つまり、かなり長い間、彼らはこの場所の上空で、私たちのしていることを観察していたに違いなかった。つまり、この約2分は、UFO達によるミニ航空ショー(3種類5シーン)というべきものであったのである。

Jumping UFO, Click to animation page
 

カラー映像だが、UFOの形が淡いので、グレー化し明度を落とし合成してみた。これはいったい何なのか。
画像をクリックすれば、アニメ化したカラー画像と、2分間に起きた一連のショーのあらましをご覧に入れる。

 
 
 

《偶然ではない偶然に見える事象の発生を「共時性」という》

私は、とんでもないことが起きることに戸惑いはしても、自分から何かができたことはあまりない受け身人間である。この時も、UFOと邂逅するきっかけとなったのは、M氏という人物と知り合ったことによるが、偶然の一致というには出来すぎの感のある経緯があった。

もう何年前になるか、UFO観測が機縁で知合った名古屋のK氏に、わけもわからず付いて行った先が尼崎市にあったM氏のお宅だった。その後、何の交流もなく時は経過し、M氏も住居を移していて、そのままならたとえ探そうとしても不可能であったに違いない。
ところが、1994年の秋口に久方ぶりに来訪してくれたK氏は、その道の話をいくらもしてくれたが、その中で彼は、「JUFORAの平田会長の家が近くないか」と言いだした。彼の住所録メモを見ると、車で5分程度のところだった。

(*平田会長は平成十二年になくなられています。
減っていく会員数を嘆かれながらも手作り会誌を作られているとき、
私はコピーや綴じ込みなどのお手伝いをさせていただきました)

こうして、平田会長とはいきなり初対面となり、懇談もいきなり長時間に及んだその中で、M氏の話題が突然出たのである。「最近、顕著な成果を揚げている人がいる」と。彼はUFO撮影を長年行なっていたが、最近になってデーターが提供されるようになり、その中に良いものがあったので報道関係に報せたら、ただちに取り上げられたのだという。それは、’93年のうちに、「六甲山上にUFO現わる」の見出しで、民放5社からテレビ放映、新聞数誌で報道されていた。我々がむかし会ったことのある人物だと申し上げると、「知り合いなら連絡の仲介をしてあげよう」と応じてくださった。

数日後、M氏から電話が入り、ぜひ今まで撮ったUFOビデオを見にきてくれとのこと。住所は意外と近く、車で30分程度の距離であったことから、私はさっそくお邪魔した。彼の部屋には何十巻もの8ミリテープが所せましと積んであった。その中の、いくつかを見せてもらったのである。

はじめの予想は外れた。私はUFOは夜出るものと思っていたのに、昼間に撮られたものばかりであり、得体の知れぬ物体がシルエットのようにして捕えられていた。それも飛行速度が非常に早いので、コマ送りして判別するという。

帰りぎわに、コマ送りやクローズアップなどの地道な編集をして2時間のVHSテープにした特集分をお土産にもらったのだが、その中にはなんと106通りのUFO出現が納まっていた。多くの場合、棒(葉巻)状をしているが、ブーメラン型や二足や四足付き棒状、円盤型など十数種類に分類できた。
  Video shot UFO type. Click to the collections.

1994年11月のイベントパンフレットの抜粋

これ以外に、サインカーブ足付きやカッターナイフ型などがある

UFO(Rods) Click to detail


疑惑は当然起こるものだ。ファインダーの近くを掠めた虫や埃の影ではないかとも思える。しかし、ときおり黒い棒が巨大なビル(神戸の朝日ビル)や看板塔の向こう側を通過していく場合のあるのを見れば、驚かざるを得ない。むろん、すべてがUFOだと断定はできるわけではなく、分析する態度が必要であることは言うまでもない。

M氏は、もしビデオカメラを持っているようなら、一緒に映してみないかと言われる。むろん撮影のための必需品だが、なぜか私には十年も前の出始めの頃に、たいした理由もなく購入したシャープのマイビデオなるポータブルデッキと小西六のカメラのセットがあった。デッキのほうは、日常のテレビ録画用に使って重宝していたが、カメラは二、三度使ってみたきりで埃を被っていた。そのことを話すと、今の8ミリと違って精度はどうかなと首を傾げつつも、きっと撮れるから一緒に行ってみないかということになった。

こうして最初、元のラジオ関西(須磨海浜公園前)の前で撮影を開始し、2時間程でそれらしいものを10回程度捕え(須磨ボウルの看板塔の裏を通過するもの1つを含む)、旧式でもなかなかやれるではないかということになった。そして、二度目には、先にしたような成果が揚がったのである。

UFOは何らかの意図を持って行動しているのだろうか。M氏の数多くのデーターはそれを物語っている。M氏の撮るUFOには大中小あり、形もバラエティーに富んでいるが、小型UFOには小回りの効きを生かしてか、ヘリコプターの周りをからかうように旋回して去るものや、2機編隊で来て分裂したりクロスしたりするもの、果ては針金で輪を作って高く掲げれば(氏はそこまで実験した)輪潜りに挑むものさえ撮られている。

とにかく、彼らはポーズをとりたがるようだ。そのためにカメラアングルや背景を計算している感さえあるのだ。

私が単独で撮影したある日に、こんなこともあった。あるダムを望むパーキングエリアで、三脚にセットして定位置に向けて撮影中に、通り掛かりの人に何をしているのか質問され、話をするうちに、相手のほうがUFO談義に夢中になってしまい、ついつい「あいつ等は(UFOのこと)雲の中に隠れて居ることもできるんやからな・・」と向こうの入道雲を指差して説明しだした。

すると、彼の話がすべて終わらぬ前に、入道雲の先端から(遠いため非常に不鮮明であるが)、棒状物体がポーンと放物線を描いて地上に向けて飛び降りる様が会話の声とともに記録されてしまった。

UFOの行動がどういう意図に基づいているのかは謎である。だが、あの人なつっこさが本物であってくれるならば、たとえ多少の謎を胎んでいてもいいではないかと思っていた。だが、まもなく、いろいろと考えさせられる事態が発生してしまった。
 
 

《斑の年の幕開け》
M氏は私が加わるまでは、ひとりで気の向いたところで撮影するのが常だった。しかし、同行者が加わった場合は撮影頻度が増加することに気付いたという。年の暮にかけて増加し、そのつどよく撮れてきている、複数人でやるとパワーアップするみたいだと報告してくれた。私も多少は頻度を増加させ、UFOもやってくれるものだと気を良くしていた。
M氏は多人数同時撮影の実績に自信を深め、地域のコミュニティーに呼び掛けてUFO撮影イベントを企画し、11月下旬に実施した。

M氏はかねがね、UFOは環境破壊の進み具合を調査しにきているものと考えておられたので、クリーンキャンペーンとして空缶拾いがセットされた。地元ミニコミ誌や駅置きのチラシなどで一般参加を呼びかけた。

当日は平田会長、K氏、コミュニティーのまとめ役ほか数名、地元テレビ局などが参加。過去の実績の上映は屋内のため2,30名ぐらいのまずまずの参加人数だったが、野外での撮影は寒いこともあり、器材の持参者も観覧者も少なく、撮影内容もM氏以外はあわれな結果に終わってしまった。私なども、そうとは断定しにくい一回が記録されたのみだった。その後、一層寒くなったこともあり、私は撮影を休止していた。

そうした1995年1月17日に阪神大震災が起きたのだった。

震災とUFOが結びつくわけはないと思う。だが、私の親の家は神戸市にあって全壊。私は後片付け作業で駆け回り、親とともに随分気苦労した。八百年ぶりに起きたという奇跡的とも言える地震と、その直前の奇跡的なUFOとの邂逅という二大イベントは、私にとって奇跡という糸で繋がった事象であり、その意味するところをどうしても考えさせられてしまう。それで、あくまでも私見とお断わりして、一説を述べさせていただこうと思う次第だ。

何か災いがあると、他人のせいにしたがるのが人間の常というものか。それではなるまいと思うのであるが、神戸市が政策的に自然破壊を積極的に進めていたことを口に出す人は多かった。私も、そういう思いにかられていた。しかし、それは八つ当り的発想にすぎないであろう。神戸市もいつの時点でも認められた有効な手段で市民のためになろうとしてきたし、今は市民救済と復興に一生懸命であり、涙ぐましいばかりである。かつて商才に長けた都市も財政難に陥り、皆して痛み分けをしなければならなくなったという現状が展開している。それでも、非常に多くの人々が、やり場のない悲しみに今なお直面していることは確かなことで、わずかな寄る辺を頼りに自立の道を目指さざるを得ない状況が展開しており、これからもその長い道程は続くことだろう。

それを軽んじるつもりは全くないが、一方、地震発生の午前5時46分という時間が、人的被害を少なくした要因だったことは誰しも不思議に思うところだ。多くの人が活動開始前の待機状態にあった。列車はほとんど動いておらず、車がやがて倒壊することになる高速道路や炎上することになる市街地を埋めたりしていなかった。激震時には真っ暗だった周りも、このわずかの後には夜明けの簿明が訪れ、人々の事態の把握、判断にプラスした。地震がこの時間の数十分、後にも前にも外れてはたいへんなところだった。

またこれがもっと暖かい時期に起きていたらどうなっただろう。各家庭の冷蔵庫の保存物が腐敗し、早く疫病が蔓延していたに違いない。地震前に逃げ出したとみられるネズミなどが、後々長く尾を引いた余震によって戻れなかったため、騒ぎを起こすこともなかった。

むろん地震そのものがなければそれに越したことはなかった。だがもし、どうしても地震発生やむなしとした場合、驚くほどの奇跡があったと言っても過言ではなかろう。

また、被害の大きかったのは、扇状地の軟弱地盤の上に造られた旧市街地であった。戦前の建築を踏襲した古い民家が密集し、車なしでの生活のしやすさ等の理由から、生活力の弱いお年寄りが多く住んでいた。奇しくも若い人たちの多くは、早いうちから山向こうの新興住宅地へ移っていて難を逃れた形になり、死者の70%は六十才以上のお年寄りとなった。残酷だが、この辺に、自然界の摂理の意図を思い知らされた気がした。

このとき、人間界のルールの出る幕は全くなかった。見失われていた自然界の営みの恐ろしさを思い知らされたとともに、その一方で、どこか手加減が用意されていた恐るべき大変災であったと思う。

未曾有の不幸を前に勝手な解釈することをお許し願いたいが、人類を代表して試練を受けているの感も持った。六千人以上の死者を出し、町中は惨憺たる姿となり、二年を経た今も多くの人が苦悩の中に置かれている。その一方で救援と復興支援の手は全国から集まり、残された人々は逞しく、価値観を変えて二周り以上成熟した観がある。様々な恩恵が、これからの神戸に集まろうとしているようにも見える。

こんな大変災があれば、暴動が起きないのが不思議な位だと言った外国人記者がいたとか。細かい嫌な事件も多少あったとは聞く。しかし、犯罪を防いだのは、全国の警察力が投入されたことよりも、私心のないボランティア諸氏が全国から集まって被災地の末端にまで浸透し、すさもうとする住民の心を優しく包んでいたからに他ならない。

我々は、人間にしかできないこの方法で人間の心を癒やし、ひいては困難な試練に打ち克てることを証明したのかも知れない。当面出る幕のなかった人間界のルール、その最たるものとしての政府や国際レベルでの施策その他は、この道に従うべきことを物語っているに違いない。自然は手荒で厳しいが、種の持つ本来の在り方を触発する吉凶混在の斑的側面を持つものなのかも知れない。
ただ、かなり後で気がついたのであるが、震災の日は、あのUFOショーの撮影された1994年10月9日から数えて100日目であった。
縁起でもない話しではあるが。
 
 

《インビジブルUFOとはこういったものではないか》

私は、1995年当時、すでに以下の記事に掲げるところの印象を持っていて、1997年のこの前身になるホームページで取り上げていた。
それが、いま話題になっているスカイフィッシュの類であろうとは、当時夢にも思わなかったことである。
しかし、スカイフィッシュには大小あり、大きなものが以下、龍と表現されるものとして、いにしえ人の感性に捉えられたとしてもおかしくはないと思われる。


私は仕事柄、震災前から不特定多数の人に、UFOがビデオで撮影される現象の謎について話していた。震災後は地震とからめて意見を求めるようになったが、真面目にプラズマではないか、地殻の電位が高まればこうした現象もあり得るのではないかという純科学的な意見がたびたび得られたが、確定的な参考意見はなかった。

そして、今は帯電エアロゾルが、地震直前の異象や発光現象に直接関わっていると言われるようになった。これが何かは私などにはよく分からないが、やはりあの大槻先生のおっしゃるプラズマの一種なのだろうか。

だが我々の写すUFOは、わざわざカメラアングルや背景を配慮して出てくるかのようなことがある。時に我々の想念を読んだかのようなパフォーマンスを演ずることもある。無生物のプラズマや帯電粒子に、そんな知的な芸当ができるものかどうか。経験的に言って、やはり知的生物の関わるものと思われるのだ。

また、UFOのすべてがすべて金属物体であり、宇宙人の乗物である必要があるのだろうか。ビデオのUFOを見るかぎりでは、まるで分子構造の淡い気体のような物質に見える。そして、それはおよそ目撃できない。M氏には時折目撃できるときもあるようなのだが、それも直感的なものだという。

M氏は、どうしても異星人の存在を念頭に置かれていて、金属物体のUFOが物質の存在状態を変えて飛行しているという説明だ。私も自ら奇抜な宇宙論を一案持っていて、この説には賛成である。物理空間にさほど影響されずに高速飛行できるUFOの飛行原理はこれしかあるまい。(★1)

だが、存在状態の変化の結果、我々の物理空間とは、どのような関係になるのだろう。
それは、幽体や霊体と一般的に言われるようなものになるのではないだろうか。

私は学生の頃、幽体離脱の事態に何度も遭遇したことがある。寝ているうちに突然おかしな具合に意識が目覚めると、頭の中でヘリコプターの爆音のような電磁音がし、体はまったく動かせず、いわゆる金縛り状態と言われるものになる。

呼吸ができているかどうかわからないためパニックになるが、目を開けて気を落ち着けた後、腕をわざとむりやり動かすと、肉体ではない別の腕が抜け出て、自分の思うとおり動かせるようになるのだ。

思い込みがそうさせているのかどうかわからないが、ちゃんと触覚などの感覚だってある。さらにその手を自分の見開いた目にさらして見ると視野の周辺部でのみ無色半透明のシルエットのような手、指の輪郭が捉えられるのだ。なぜか視野の中心部では見えない。

それがビデオに映るシルエット状のUFOに、どこか似ているのである。

そこでUFOが霊体、あるいは霊体化して飛行するメカニズムを持つと仮定してみよう。よくカメラ写真では、目に見えないにもかかわらず、心霊が写ることがあるらしいが、それと同様のことがビデオ録画においても起きているのではないか。(★2)

また、UFO撮影中に何かが飛んでいる気配が私にも時折あるが、視野の中心部でしっかりと目視できないために断定しかねていることに気付く。人の視野のうち周辺部では色感が鈍くなるが、そのぶん「別のもの」を感じる機能が本来備わっているのではないかと思うのだがどうだろう。何かの気配で後を振り向いても誰もおらず気のせいと思う場合も、意外と心霊やUFOの接近を視野の周囲で捕らえていたりするものかも知れない。M氏が直感的にしか見えないというのも、納得がいくことである。

もう一つ、つっこんだ見解を言わせてもらえば、我々の体に霊魂が宿るとは、つまり肉体と共に霊体を持つということは、もしかしたら我々が異なる2以上の安定した空間に居所を占める体を持つということではないか。もう一方がアメーバのような不定型な、煙のような存在としてかろうじて観測されるのは、この物理空間においてだけであって、安定した別の存在状態(空間)においては、しっかりとした機械的な体が備わっているものかも知れない。経験的に、離脱した体からすれば、しっかりとした別世界の形態とそれに対する明瞭な感覚が認識できるというわけだから。

言い換えれば、存在状態の異なる空間にある物体が霊体なら、生命体であろうが機械であろうが、存在状態を変える自由度を獲得し、可変に複数の空間に関わる機能を持ったものがUFOなのであろうと思うのである。
 
そういった意味では、単に金属物体の光沢を湛えて、明瞭な輪郭と断続的な機械音のするUFOのみがUFOでなくてはならないという議論や、その部分にのみ真贋の目安が与えられているという今の鑑定のあり方はまったくナンセンスであるばかりか、無視し続けられている非常に多くのUFO現象に対して何の考察もなく、無防備であること自体、非常に危険であると思うのである。

無いものと思い込んでおけば、彼らが何もしないというのだろうか。古来から、なさそうに見える彼らをかろうじて認識して、神(広義の神:全知全能の神から、害意を持ち祟りをなす感情的な神までを含む)として畏怖してきた古代人の警告に、少しは耳を傾けるべきではなかろうか。
 

 

《UFOと古代霊妙動物・竜》
棒状UFOの多い中に、時折二足や四足の足付きの例がある(画像集2を参照::M氏はこの足を動力源から出る力場と説明されている)。私は前出のアクロバットUFOを、山稜を舐め通る蛇と表現したが、それらが生命体であったにせよ、機械船であったにせよ、こうしたものが古代の眼力ある人物の目には、霊妙な動物の姿と映った可能性はある。私は、「竜」や「木霊(樹木の精霊)」や「天狗」などと表現されたものではないかと考えるものである。

広辞苑によれば、「竜」は「水中に住み、神通力を有し、・・胴は蛇に似て剛鱗を持ち、四足。・・自由に天を飛翔し、雲を起こし雨を呼ぶ。・・」という伝説上の動物だ。それは、霊的存在とも言われている。

そして、古老の話によれば、蛇がこの地上に生きるに、山に千年、川に千年、海に千年を、人の目につくことなく生き抜くことを達成したとき、彼は竜になるという。その時、天上からはにわかに巨大な黒雲が現れ、飛翔する竜はそれに覆い隠されるようにして登っていくという。その時、妊婦がその光景を見ると良くないとされるが、我が祖母は、そうした時期にないときに、たまたま丹後半島の海辺にあって、巨大な黒雲の重なりの間から、巨大な爪のついた足がぶらりぶらりと揺れているのを見たという。

そのような竜とは、悠久の大自然を代弁するような存在といって良かろう。それは、我々人間と変わらぬ向上心を持ち、幸福であることを望む心を持っていると思われる。それは、我々には単なる下等動物の思いに見えるかも知れないが、やはり存続する意識であり知性であろう。そして、それはリアルには見えないが、やはり高度な計画性と意図を持って思考し、また活動しているに違いないのだ。それは何も竜にとどまらず、自然界一般の生き物にも言えることだ。

自然界には、ワニの姿をとって身を守るという昆虫のように擬態する生物がいて、どこかで設計し工夫しているユーモアある客観者の潜在を考えざるをえない場合があまりにも多い。これに対して科学ができる解釈には限界があるし、また単に神の造化であると十把一絡げにするのも、短絡的で言い尽くせているものではない。何らかの意識が介在し、種の進化や成り行きに関わっていることをしっかりと捉え直す必要がある。

昔の人たちは、森の老木に斧を入れたら祟りを受けるといった昔語りなどによって、自然に対し畏敬の念を抱き、森を大切にし共存の道を進んできたはずだった。そこでは、森の暗がりとともに、得体の知れぬものの棲む聖域が重視され、森の掟とともに、生命相互の間に交わされた倫理があった。

そうした暗黙の了解事項は科学万能主義によって失われ、人間が自然から受けるべき啓発は途絶えてしまい、自然の啓発から生まれるであろう思いやりの心はいたる所で消え去ろうとしている。その結果、虐待による種の絶滅が日毎に起きているとしたら、かの意識の想いも穏やかであろうはずがない。

恐ろしい新種の病原生物や細菌、ウイルスは、誰が設計し製造するのだろう。
人の激昂しやすさや衝動的行動は、精神の窒息症状だが、大気によって体が生かされるように、「気」によって心も生かされていることを知るべきだ。精神的荒廃を招く気断は、見えないから知られないが、すでに誰かによってコントロールされているとすればどうだ。
人は人同士仲良くするだけでなく、自然とも仲良く共生を図らなければならない。

昨日(いまから数年前にあったタンカー事故のこと。過去の記事をそのまま再現するためこのような表現になっています)もオイル流出事故の報道があった。海洋汚染による環境被害は何年にもわたるだろうと言われている。だが、いずれ被害の程度は金額で換算されて、人の間だけで納得しあうことになるだろう。それは自然界の営みを無視したゲームの世界でしかない。

金による換算は、事態解決の錯覚にすぎないのだが、何もかもそうであることが現代人には不思議でなくなっている。それが平気で無頓着になったとき、先の結果は見えており、人間は地上の正当な管理者としての資格を失ってしまうだろう。もはや遅きに失した感はあるが、地球を任されているという見地に立ち、責任ある管理者としての資質を養うべきである。そうでなければ、大きな地球の立場からすれば、人類とは生命系を蝕むガンでしかないと見なされてもしかたない。ガンは、自らをも殺すことになるを知ってか知らずか、毒を出し増殖をはばからない愚か者。そうなってはならないのである。

人類を含む「種」への思いやりの精神を、まず第一に据え、国際間にルールをうち立て、資質を育成する機関を整備拡充すべきである。あまりにひどい打撃となった大変災は、考えようによっては、反省を促す反面教師ともなりうる。これが意義ある改善のきっかけになるなら、多くの犠牲も浮かばれようとも思うが、そうでなくては何の意味もない。そしてその結果は、同じ過ちの繰り返しと、ついに来る終局でしかない。

M氏はじめ多くのUFO研究者やチャネラーによって、UFO現象と環境問題の関連性が言われているが、その情報源は果たして宇宙だけにあるのだろうか。どうも、太古の地球の深みから沸き上がってくる生命系存続への願いのような気もするのである。

 
 
 
 
ところで、竜の飛翔とおぼしき光景が、’75年頃、JUFORAの平田会長のもとに寄せられていたUFO写真(会誌UFOジャーナル17号の表紙に貼り付けられている。当時、中学生のかたが鳥取砂丘で写したものという)の中にあった。そこには、鎌首と尻尾、長い胴体には剛鱗に似た斑紋が5つあり、頭の先の少し離れた位置に追いかけるべき玉までが黒いシルエットとして写っていたのである。

Ryu appeared on Tottori-sakyu sandhill?
UFOジャーナル17号の表紙のスナッ


撮影者は、この物体の飛行を目撃しなが
ら、撮影したという話だ

 
このUFOの形状に着目して、剛鱗の数を年輪のようなものと仮定したなら、M氏の撮った六甲山上UFO(剛鱗2つ)は若く、さらに石の宝殿のアクロバットを演じたイルカ型UFO(薄くて剛鱗の判別付かず)はさらに若いものとなるかも知れない。また、奇妙なことに、アクロバットUFOの飛んだ石の宝殿の西南の土地一帯が、「竜山」と名付けられているのである。

だが、この地名の由来は、中国の「風水」思想との関連もありそうだ。風水にいう「竜」とは、「気」の流れという、我々の科学では未解明の物理現象とされる。平安京は風水の原理にかなったものであったというが、高砂市の高御位山の山並みに向かい合うこの一帯は、平安京と相似の地形をしている。石の宝殿と竜山は、京都の鞍馬山系に向かい合う桃山の地形と相似の位置にあり、風水上の重要な地形を醸しているのだ。

風水学上の「竜」、意志を持つかのように飛ぶ生命的「竜」、そしてUFO現象が同じものである可能性がある。もしそうであるなら、それを頻発させる特定の地形に、別の空間と相互作用しやすくする幾何学性があるとも考えられる。たとえば、霊の通り道なるものがあり、霊媒体質の人に影響するという。気の通り道なるものがあり、人々の活動力に影響を与えるという。

私はこの日、石の宝殿からの東の方、北の方、西の方と撮影をしたのだが、特に東の方において、南北にほぼ同じ角度で斜めに行ったり来たりする棒状UFOを何度も捉えた。この日、この場所近辺で十数回の出現量のうち、半数がこれで、通り道のようなものができていたのでないかと思ったほどだ。

もしかすると、我々は風水学にいう「竜」を器材で捉えてしまったのかも知れない。ならば世界初の快挙であり、本場中国の研究者にとっても朗報となろう。また、この「竜」の出現回数が、地殻のエネルギーの高まりに比例して増加するふしもある。震災前に記録量が増大したからだ。もしそうなら、地震予知に使えるかも知れない。最小の費用でできる効率良い統計的手法として開発できるに違いない。

大地震の前には、犬が鳴き、鶏が騒ぎ、ネズミが消え去るという。一般的には、彼らが微弱な地電流の異常を感じ取るのだろうと言われているが、実際はどうなのだろう。本当は、天駈ける竜が地上すれすれに飛翔する様を、彼らの視力で頻繁に捉えておびえていたのではないだろうか。人間にはそれが認識できないほどに、特化してしまっているとすれば。そうしたとき、ビデオカメラというメカニズムに頼ることがあっても良いと思われるのである。
 

最近の記録(2002年)
M氏の撮影物に多くスカイフィッシュ種が含まれていることが判明したのは、2000年4月にフジテレビ系で初めてアメリカのスカイフィッシュについて放映されたことによった。私はただちにアメリカのスカイフィッシュの第一人者ホセ・エスカミーラ氏にメールで連絡を取り、こちらのサイトにおける掲載写真を見てもらい、あちらからスカイフィッシュである旨、認められたものである。

ホセ氏はただちに世界に向けてのメーリングリストでこちらのURLを発信してくれ、わずかな日数のうちに1万カウントを突破するアクセスぶりとなった。
それから一年以上たち、ホームページ読者からテレビ朝日に進言があり、M氏がテレビ朝日の「不思議ドットテレビこれまじ!!」で取り上げられることとなるとき、私がホセ氏と連絡を取ったことがある旨番組製作者に告げたため、テレビ局からホセ氏に紹介が行き、「日本でもすごいのがとれているじゃないか」という彼の返事が得られ、番組を盛り上げることとなった経緯である。



 


☆☆☆・・(★)コメント解説・・☆☆☆

★1・・・UFOの飛行原理(私見)
物質の反動を利用するロケットエンジンでは、いかに高出力のものを用意したとしても、相対性理論の壁を乗り越えることはできない。重力コントロールはあり得ても、同様に速度が得られない。ブラックホールの利用などは、利用者自体の解体を招く。物理空間の縛りを越える、存在状態を変える方法だけが可能にするものと思われる。
★2・・・霊世界との接触は1/60秒?
あるテレビ番組で、霊界の光景がビデオ録画される現象が起きているということが報じられていた。それによれば、光景は向こうの世界からの念写であり、その録画は、わずか1/60秒・コマのタイミングの中になされているという。一般向けのビデオデッキのコマ送りタイミングは、1/30秒・コマとなっている。我々は、このタイミングでUFOを追っている。どこか共通性のある話だ。

※0・・・質問者のしたコーリー・グッドへの質問とその回答

はい、それが彼らからの「ファースト・コンタクト」のプロトコル(手法)です。
どんな場合であれ、夢を通してコンタクトを受けます。未知のソースからチャネリングやテレパシーでのコンタクトを受けることはまずありません。
潜在意識・ハイヤーセルフレベルでコンタクトや交信を受け入れると、さらなるもしくは拒絶すると、さらなるコンタクトが他のプロトコルや標準的な活動プロセスに従って確立されます。
これはいかなる場合であろうと例外はありません。
2015年8月22日

天帝様にお会いすることがそろそろ如実になってきました・・・最後の審判の督促に参ります

只今、体調がすこぶる良いのですが、加州の現状を見るにつけ、時来たる思いになる昨今です。

私が見た明晰夢はそのおおかたが正夢になっているのですが(2017年5月27日未明に母が出てきた夢も正夢でした)、私が30歳頃に見た”天帝様に会いに行く”夢は途中までで未遂ながらも、どうやら正夢であることを物語るかのような現状になってきています。

備忘録から引用します。
https://p.booklog.jp/book/97441/page/2635125/bookmark

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天帝様にお会いする予定の夢 (お会いすることは未遂 1979年)

かなり昔、30歳頃ですが、奇妙な夢を見たことがあります。

何かの催事場に正装して参ったのですが、その入り口で縦長の短冊形のパンフレットをいただきました。
手渡されたパンフレットの表には、「天帝様へのお会いの仕方」と書いてありました。
たったひとりでそのまま通路から向こう側に出ますと、大きな野球場のグランドです。
その真ん中に行こうとして、そのとき右側一塁側観客席に、陽光を浴びて白銀に輝く、けっこう分厚目の十字架が縦横整然としてたくさん重なり合うように、観 客席を埋め尽くしているのを目にしました。

野球場をプレーヤー側から見ているといった感じで、私はグランドの真ん中に行くと、どういうわけでそうなるのか、あらかじめ決められた手順のように、私は 右手に持っていたパラソルを開いて、その浮力で天に昇っていこうとしているのです。
タキシードで頭にハットを被り、手にパラソルといったいでたちでしたから、まるでセーラームーンの漫画のようでありますが、その当時あの漫画はまだなかっ た頃です。

私は上を向きますと、空は若草色(薄緑:映像を加工したときになるような)に、和紙のようなうす雲がかかり、私は広げたパラソルを浮力 にして、上空へと揚がっていき ます。(パラソル持ってても空が見えてるんです。夢ですなあ)

空からは微妙に天楽(コーラス)らしき音もしています。
と、中空まできたとき、私はまだ行くべきときではないと思い出したところで、上昇が止まってしまいました。そして、目が覚めてしまったのでした。

さあそれから最近になって、といっても2001年のことですが、その不思議な夢の話をさせてもらった女性から、驚いたように、それってシンクロだよと衝撃 発言が・・・。
ある精神修養の道場(断食道場)で同席した、アメリカのベティさんという女性が、かつてロサンゼルスの野球場の外を通行していたとき、スタジアムの中から たくさんの十字架が次から次へと空に向かって揚がっていく様を目撃したという話をした、というのです。ベティさんという方はきっと霊能者で、幻視されたの でしょう。
その道場というのは、兵庫県高砂の高御位山の下麓に今もあり、どんなところか、そのあたりまで私も行ったことがありますが、昔話を蒸し返しにいくわけにも いかず、その程度で終わっているわけです。

「天帝様へのお会いのしかた」というパンフレット。

そして一塁側観客席の白銀色に光って整列していた十字架群。

分厚い十字架群は米国の墓地に見られるような大理石(ですか)で作られた、まさにそのようでしたから、プロテスタント系のキリスト教徒 で亡くなられた方たちを表しているのでしょう。

しかも、白銀光りですから、清純なキリスト教徒の故人の方たちではなかったでしょうか。

では、天帝様とはどなたなのでしょう。
もし元始天尊(盤古)だったら、対決せねばならないかも・・・。
盤古は地上の人間たちに幻術を仕掛けているヌシなのでね。(と新神話では解釈)

しかし、十字架群はみんなキリストに会いに行くと信じて待機しておられたのではないでしょうか。
まあ、あのときの夢では、私と十字架群は別行動するようでしたから、どこかでルートが異なることでしょうが。
ただ言えそうなのは、私の方が先に行くのだろうとは思います。
その関連性からすると、黙示録に言う最後の審判の督促のような用向きになるのではないかと思います。

(当文章の原文記載は2012年頃でした。只今は電子本に収録されています。https://p.booklog.jp/book/97441/page/2635125/bookmark)
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私の場合は、ただ正夢だった、で終わらないのです。謎解きすることがまるで義務のようにして付帯することがいつもです。

なぜ加州ロサンゼルスの球場でなければいけないのか。別に甲子園球場だっていいじゃないかと思うのですが、その話、シンクロしたよと即答してくれた方の指定した場所がロサンゼルスだったわけで、これは私の勝手で変更できませんよね。
そしてお墓の墓標として特徴的な大理石製の分厚めの十字架群といえば、外人墓地にあるじゃないかといえども、たくさんあったわけで、米国的です。そして私もまた死後の工程かもしれないことが、夢の中でさえ直感されている。こうした要素が明晰夢とワンセットになって一体化しているわけですから、これだけはやめておこうと、選択的に落とすわけにはいかないわけです。

そんなとき、2018年のはじめに心筋梗塞でかろうじて助かり、その時点から判明した中度心不全ですでに1年以上生きていて、いつポテチンとなってもおかしくない局面を迎えています。

今がその局面だといえば、早いうちに太陽フラッシュと最後の審判を実現しなくてはならない局面が来ているとも思います。
コーリーによれば、2023年までに予定されているとのこと。アドバイザリースタッフから実行スタッフに昇格した私にとっては、加州のことが、日本の成行以上に気になるところです。

夢見の場所がなぜロサンゼルスでなくてはならなかったのか (生身の身体では飛行機代などかかって、とても無理ですが、霊体になれば一瞬にして飛んで行けますから、私が絶命してからであることは間違いないでしょう)

何年も前から加州では山火事が発生して、乾燥と高温から広範囲に延焼していました。
そうかと思えば、ついこないだのように、たった5分間に1500発の落雷とダムが決壊するほどの大洪水なんて・・・まさに黙示録の時代だなどと他人事のように言っておれるわけがありません。
https://twitter.com/search?q=%E3%82%AB%E3%83%AA%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%AB%E3%83%8B%E3%82%A2%E3%80%80%E8%90%BD%E9%9B%B7&src=typd&lang=ja

米国加州でのローカルな報道を邦訳した方の記事を引用します。

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カリフォルニア州での相次ぐ災害は独立計画の一環?

10月8日に発生したカリフォルニア州で山火事が拡大しています。このブログでもお伝えしましたが、カリフォルニア州の山火事は上空からビームを照射して人工的に発生させたものだということが分かっています。誰もこの山火事を食い止めることができていないようです。このままではロサンゼルスの街中にまで炎が広がってしまうのではと思ってしまいます。エンゼルス(メジャーリーグ)に移籍する大谷選手、大丈夫?
それにしても、これらの人工災害は、カリフォルニア州を独立させようとしているNWOの連中の仕業なのでしょうか。あまりにも多くの災害に見舞われていますから。全て人工的に発生させることができる災害です。カリフォルニア州を独立させ国連がNWO体制下で統治するようになるまで、カリフォルニア州はこれからも人工災害の被害にあうことになるのでしょうか。

カリフォルニア州は世界史上最も不運な州であることは間違いありません。
カリフォルニア州では何年も干ばつが続き、農作物の収穫量が激減し多くの農場主が破産しました。
また、オーロビルダムが一部決壊し多くの周辺住民が避難しましたが、もしダムが完全に決壊したなら200万人の周辺住民に大きな被害をもたらしたことでしょう。ただ、地元の保安官の勇気ある行動によりそのような大惨事は防ぐことができましたが。そして現在は山火事がカリフォルニアの南北に拡大しています。南カリフォルニアでは数千棟の住宅を焼き尽くし数十万人の住民が避難を余儀なくされました。
今でもオーロビルダムの補修工事は終わっていません。補修した後でもコンクリートにヒビが入っているからです。来年3月の雨季に再び一部決壊する危険性もあります。
このようにここ数年間、カリフォルニア州はいくつもの困難に直面しています。

カリフォルニア州の住民(ポール・プレストン氏など)に取材したところ、カリフォルニア州ではカレキシットの会議が開催されているそうです。カリフォルニア州に多くの(人工)災害をもたらしている理由は、カレキシットの計画の一環ではないかと考えられます。カレキシット(Calexit)とは、ジョージ・ソロス、ブラウン州知事、中国銀行、メキシコ領事館、国連、他が主導するカリフォルニア州独立計画であり、カリフォルニア州をアメリカ合衆国から独立させ、国連が統治することになっています。
そのために、カリフォルニア州にいくつもの災害をもたらしカリフォルニア州全体が壊滅的ダメージを受ければ、アメリカ合衆国にとっては大荷物となりますから、カリフォルニア州が独立を宣言をしても大荷物がなくなるということで誰も独立に反対しないというのが彼等の筋書きです。
———-とのこと。

加州はプロテスタントの福音派が多いところのようです。彼らは一連の大火について黙示録にいう神の裁きの成就する様と捉えているようですが、篤信者に距離を置く有識者は、原因がこんなことだと特定しているようです。それでもメディアは火災の状況以外は伝えようとしていないもよう。カバールに御されているから、原因追求まではしないのでしょうね。

その一方で、プロテスタントも原理主義派というのがあり、黙示録などの神の側に立った行為者になることで、天使を気取り、神の恩寵に浴そうというおかしなヤカラもいて、俗にネオコンと言われているようです。
彼らは教会から天使の側に立てと洗脳されているらしく、たとえば黙示録の天使は人類に災厄をもたらしますが、数人殺せば殺人罪になるが、何万人も殺せば天使になるとか言った詭弁を弄して扇動するわけかと思います。そうしたキリスト教を装った破壊教団のことを悪魔教と呼んでいる人たちもいるようです。が、黙示録から解釈すれば、そういう論理も通ってしまいます。本当なら、これを用いるときにはこんな用途に注意せよといった但し書きがついていなくてはなりません。両義解釈できるようなことでは、両刃の剣になってしまいます。たぶん、ついていたのが故意に外されてるんでしょう。

私がかつてものみの父さんに質問したのも、これでした。するとお父さんは回答に窮して、私に「あ・あんた、あ・悪魔ダアー」と言って、連れてきていた天使のような娘さんとともに遁走して行かれたのでした。ものみの父さんも福音派でしょう。プロテスタント全体だけでなく、ユダヤ人を神に選ばれた民として崇拝する人でしたね。教会から言われた通りのことを真実として憶え込み、対抗不可能な質問を浴びせる相手を悪魔呼ばわりすれば信仰が守れると思っておられるようです。思考する力をなくした篤信者さんたちって。疑ってみることを放棄した人たちって、可愛いじゃ、アーりませんか。
お父さんはだめでも、天使にも似た娘さんの心に、小さくてもいいから、火が灯っていればいいなあ。あの家の悪魔はなかなか良かったなあ、とか。
なお、悪魔教とは、完全にカバールの洗脳術によって操られたゾンビ宗団に他なりません。それもキリスト教として擁護してしまうのが福音派でもあるのです。

同じキリストを信ずる者同士としても赦し難いものがあると思われますが、福音派は純然として正しくあろうと努めているため、どんな理不尽な状況にあっても、最終決着は神・キリストに委ねるしかないと諦観する構えなのでしょう。
それで黙示録では、「主よ、なぜ(邪悪な者に対して)いつまでも血の報復をなさらないのですか」というフレーズになっているように思われます。秘密兵器で火付けされて農場や邸宅が燃やされていることがわかっていても、神の審判に委ねるためにじっと我慢しているわけですから、こんな物騒なフレーズにもなりますわね。黙示録のこの部分の記述も、今この時期だとわかります。報復を求める死者の人々に対し、天使が現れて白い衣を配って、「員数が満ちるまで待て」と言って去るという黙示録のシーン。夢の中で陽光を浴びてひときわ白銀色にギラッと輝く十字架群でしたが、陽光は天使からまんべんなく配られる白い衣のことだったかもしれません。

まるで黙示録も未来人が設定したような預言になっています。概して旧約は未来人からのインプットでしょう。使徒たちが編んだという新約もどうだかわかりません。

ビーム兵器はドラコがカバールに払い下げていった宇宙兵器でしょう。それを使ってカバールは預言通りのアジェンダを遂行しているわけです。ブルーエイビアンズがもう少し深部まで関わっていれば、一般人こそ高文明の利器を手にできたのに、手抜かりもいいとこで、ほとんど今まで通りです。また、コーリーの話も米国のローカル放送の域を脱け出せないでいます。中途半端な介入と、たった一点、第三次大戦は起こさせないという命題だけは実行されているようで、人類は蛇の生殺しの期間ばかり長くされて、不幸の極みです。押し出しが利かないといったらありません。レッドが排除したからなんて言い訳はしないでくれと言いたいですね。ブルーエイビアンズも宇宙文明側の協力者のひとつにすぎないということではないのですか。一なる者の法則? フン。質問すればタブレットから回答が与えられる様は、まるでスマホでSiriから回答を得ようとすることのバージョンアップ版。AI文明の傘下にあることが歴然ではないですか。信用できないね。

国連が統治?? 聞こえはいいですが、国連は300人委員会のカバールの下部機関であることが知られています。NWOの推進母体が国連であれば、文句が出にくくなるのも、国連が良識機関と信じられているからですが、カバールに良識が期待できますかね。
テキサス州ヒューストンでのハリケーンによる大洪水では、国連軍は被災者を助けず射殺していたという話もありました。しかし、伝わってきていません。
悪魔ゲイツを含む300人委員会で人口削減計画が決められたため、情報封鎖しながら削減に着手している模様です。
いずれ日本もそのようになることでしょう。いやもうすでにそうですかね。

私の命が尽きかかる時期が今頃のようであることと、ロサンゼルスに迫る大火がこれからの世界を暗示して理不尽なものであることから、私は今この時期に天帝様にお目通りして督促しなくてはならないと思っています。だから、あの夢の舞台はロサンゼルスの球場だったのです。すべてリンクしています。こうして、私の謎解きはすべてがシンクロの環の中に収まりました。

いまベクトルを改心の方向に向かわせておかなければ

邪悪と暗愚が主導的な「うお座」の時代がすでにタイムリミットになっている今日、「うお座」の演出を、個々人レベルで逆回転させて正常に戻そうとする努力をしなければ、最後の審判において、とてつもない不利益を被ることになります。

正しい者はいっそう正しくし、邪悪な者はいっそう邪悪であるべし、ではないのです。
邪悪な者は改心して自らの行いを正す努力の過程に入っておくことが、審判の裁定の激しい怒りの報復を和らげることになります。

たとえばトランプが予定している大量逮捕者リストに基づく検挙と収監に素直に応じ、すべて洗いざらいゲロすることによって、心の性向のベクトルを改心の方向を向かせることになります。だから、積極的にどんどん逮捕されて、最後の審判の負荷を軽くされたほうがいいでしょう。
大量逮捕は、神の与えた邪悪な者に対する最後の恩寵です。
ベクトルの向きが正と逆では、矯正受刑期間の大きな開きがあります。いちばんの方法は自首することです。それが困難なら、時代の切り替わりを助ける側に就くことです。
ショッカー隊員の皆さんにお勧めするのは、B-ingで転職することです。そこに属しているだけで、嗚呼なんと1億年も?、浮かばれることのない経験を余儀なくされるとすれば、嗚呼なんてこったってことになりますよ。

この世は私が制作総指揮する映画作品・・・新神話における最大の危機の局面・天仙のハーデース計画 

梵天軍がまだ総攻撃の局面でないときでも、やはりどんな戦争においても緒戦は様々な工作活動による小競り合いになるように、天仙側との間に戦略的仕掛けの講じ合いがあるわけです。

新神話第六章・天仙の緊急会議(ハーデース計画発令) において、こんなことを書いていました。
https://red-avian.info/n-myth/nmyth12yet2.html#%93V%90%E5%82%CC%8B%D9%8B%7D%89%EF%8Bc_%83n%81%5B%83f%81%5B%83X%8Cv%89%E6%94%AD_%97%DF

>天尊は、各方面へのプロパガンダ策を強化した。
しかし、クロノスのシステムは、大には大、小には小なりに効き目を見せたため、宣伝
に乗せられて魅惑のテーマパークに至った者のうちの多くは、その中で反作用による体
調不良やトラブルに遭遇し、していることの非を悟らされたのであった。
魅惑に後ろ髪引かれながらも、多くの者がそこを後にして再び来ることはなかった。
またファウンデーションの運営者すらも、災難にあうなどして、テーマパーク自体が閉
鎖の憂き目を味わっていった。
そして、梵の全系からすれば、これらの宇宙群は総じて不健全、生命に巣食う癌組織の
ように見なされてしまったのである。
天仙側の魅惑宣伝に対して、梵天側はこれらの壊滅に向けた動きを、免疫強化作戦と言
うようになっていた。
こうして、当初、天仙優位に運んでいたかに見えた宣伝合戦は完全逆転の様相を見せた。
梵天には第五回目の会談からこの方、分割割譲案を梵天に提案してきている。
しかし、構成要員あっての世界を主張する梵天がそれを許すことはない。
杖の眷属による支配世界となれば、一国独立も認められることであろうが、ごく少数で
も魂あるものの取り込みがあるのが許せない梵天である。
それは、天尊をも魂あるものの中に含んでの意味を持っていた。
逆に梵天の側から、たびたび特使が訪れた。このままなら、まだ学問の場として存続が
可能であるから、その天尊の功績を残すことと引き換えに、管理を委任せよとの姿勢で
あった。

それに対して、気分の良くない天尊である。
天尊はまだ、最後のどんでん返しの切り札を隠し持っている。
梵の全系を震撼させる核兵器とも言うべき、クラッキングツールを用意しているのだ。
いぶされて黒光りする節くれだった杖が、闇太后の金庫に何段重ねにも積み上げられて
いた。
そのうちの十数本は、輸送時に発覚するまでに、手分けして東西南北のファウンデーシ
ョンに運び込まれていた。
すでにこれだけでも、十分に梵の全系を破壊できると計算されていた。
ファウンデーション壊滅の折には、ツールを起動させてしまえという命令がいつ出され
てもおかしくはない状況が醸成されつつあった。
天尊はいよいよ最後の砦になった感のあるこの実験炉宇宙の中の、象徴的な戦いの場で
ある地球を、腹心の天仙数十人とともに雲湧く泉を通して見ている。
周囲には、杖の力による激しい波動の防御スクリーンが結界として張り巡らされていて、
梵天さえも知る領域ではないとされていた。
天尊:
「我々の当初の計画では、20地球年の後に、地球の生命系は、功過の負債に耐えきれ
ず滅び去る。
再び清明になった、より過酷な条件下で生命系は動き始め、またも面白おかしい歴史が
縦横無尽にこの地球という籠の中で執り行なわれる。
またも生産された功過が負債の許容量に耐えきれなくなるまで、続々と目新しい展開が
伸長される。
そういう計画であった。考えてみれば、少しも悪くないではないか。なあ、みなのも
の。
どんどんレベルアップしていくゲームに、なじんだ参加者は小躍りして喜ぶことだろう。
喜ぶ者の顔が目に映るというに」
外泰仙:
「梵天は、試練に負けてだめになる者を、よう介護できないもので気にしているのです。
そんな者たちを矯正する施設は地獄だけでなく、いくらでもあるというのに」
天尊:
「だめな者はだめで放逐すれば良いのだ。
試練に負ける者など、梵天に返してやれば良い。ごみはごみ捨て場に行くのがふさわし
いというものだ。
淘汰のうえ強靭な魂を作り、ここに住みここを楽しむ種族を生え抜かせねばならぬ。
梵の全系を遥かに卓越するものばかりの世界にするのだ。俗にいうスパルタ教育という
やつだ。
このために、みなで図ったように、より過激に高度に展開しなくてはならない」

————–中略—————

「七人会議のメンバーには通達したように、我々は純粋英知からは程遠い者となる。
梵の対極に置かれる存在として、限りない永劫をこれから楽しみながら謳歌する種族と
なるのだ。
それが、梵天よりも先にあった如意宝玉の願いである。何も、如意宝玉は梵天の私物で
はない。
宝玉は我々の意志を汲んで新たな魂を生じ、新たな世界を築くことを許してくれている。
どんなことにも寛容に許しを与えるのが宝玉である。
こうあらねばならぬと規定する概念などその中にはない。
誰も裁かず、誰をこうあれと強制することもない。それを真っ先に実現するのが我々で
ある。
対極にある梵天の勢力と戦いやがて拮抗し、さらにいつか全世界を制圧することが我等
の目的であり、真の正義である」
闇太后:
「そのために、梵の全系から分離するに足るだけの背反行為をあえて犯します。貯めて
貯めて、積み立てたその負債をもって、その爆発的反動で分離を果たすのです。
旦那様のリバウンド理論によれば、貯めに貯め切られた反作用は、もはや自浄できずに、
反世界を生む材料となるそうです」
計資仙:
「みなさん、ご安心あれ。その計算もすでにできております。
梵天による妨害さえなければ、我々はブラックホールと化して、ここからおさらばとい
うことになります。
行きつく先は、梵とは対極にある新系宇宙。その場所にて、我々の仲間を増やし、強大
な帝国を築く予定です。
なあに、新宇宙の下地は、我々の思うがまま。如意法力により、下地がすぐに作りあが
ります。
天尊閣下のもとに中央集権体制ができあがることでしょう。今ここにある面々は、最低
限その頂点を極める指導部に属していただきます。
ぜひ全力をもって邁進いたそうではありませんか」
西泰仙が北天仙に耳打ちしている。
「計画は当初、分割的に文明の亡興を宇宙全体で連鎖的に繰り返させるというものであ
った。
それが変わって、宇宙全体の滅亡と再興を一気にやろうということかと思ったが、それ
すらも飛び越して反世界なのか」
「そうだ。梵の全系に対抗する天尊様の全系ができあがるのだ」
「ぞっとするなあ。なんとすごい目論見だ」
「がやがや」

———–中略———-

井堂仙:「ならば、今からハーデース計画を行うということで・・」
外泰仙:「分かりました。では、実施グループの選抜を行います」
天尊:「うむ」

次の週の天仙全体会議には、千数百名の天仙が集まっていた。いつにない強力な結界が
張られたことと、今回の天尊の決定を入場時の司会者からあらかじめ聞き、がやがやと
興奮気味にしゃべりあっている。
「いよいよ地獄の釜の蓋を開くのだな」
「もはや次期計画は、地獄の名主を招請する程度ではなく、宇宙のカオス極大化を賭け
て地獄の獄卒たちをすべて解放してしまおうというわけだ。
そして、世界全体に巻き起こる一気呵成の腐敗堕落により、すべての魂の腐敗を誘い、
それをもとに反作用を一気に許容限度まで蓄積させてしまおうということらしい」
「それはまるで、なみなみとたたえられた汚物溜を実験炉宇宙にぶちまけるようなこと
になるだろうな。
この実験炉宇宙は、手のつけられない状態になるぞ。最後の審判があるとすれば、完全
に系を分離する一大事となるわけだ。
これが人間なら、同じ最後の審判と捉えることであろうが、ちと意味が違う。
老いも若きも、高下貴賎を問わず、よほどこの世を嫌がっていない限り、みんな我らの
支配下に置かれるのだ。
そのとき、わずかな罪を悔やんでも遅いというわけだ」
「獄卒たちの訓練された中には、まだ実験段階の残虐性を持つものが多いと聞くが、ど
んなふうなのか」
「それは目を覆うようなすさまじく凄惨で残虐な奴だ。いろんなものを見てきたわしで
さえも、やめてくれと言いたくなるような奴だ。
だからこそ、今回のカオス極大化には欠かせないのだろう」
「あの臭いのはかなわんが、わしらも魂を糞まみれにして堕落するのかの」
「わしらが歴史の金字塔として建てた記念碑や偶像はもったいない気がするが、みんな
打ち捨てていかねばなるまい」
「まだ我々は、高みの見物であるだけにましだ。しかも指導者であるだけにな」
「そうそう、付き従う人間どもは哀れだのう」

やがて議長が挨拶した。
「ええ、静まって。今回は緊急臨時会議であり、誰も欠席は許されておりません。
もし、この場にいないものあらば、後で報告願います。
さて、すでに噂が伝わっておりますように、ハーデース計画を実施します。
いよいよ、我々の分離独立に向けた運動も、佳境に入るわけです。
今ここで、皆様の士気のほどを確かめておきたく思います。ではみなさん、ご唱和を。
ハーデースプロジェクト、フレー、フレー」
「フレーフレーハーデース、フレーフレーハーデース、ワー」
パチパチパチパチ・・・・。

その間に元始天尊が中央の席についた。
天尊:
「みなの者。我々の主張は梵天によってことごとく退けられた。
それゆえいつ何時外部から破綻させられるやも分からぬ状況にある。
ファウンデーションの多くは壊滅寸前の状況にある。ここを最後の砦とせねばならぬ。
事は急を要することとなった。ハーデース計画を、直ちにこなさねばならない。
それによって新境を切り開く。すでに開いている地獄の釜の蓋は、一層から四層であり、
わずかに開き、抜擢されたものだけを解放してきた経過がある。
だが、それはもはや全開とする。加えて五層、六層を開き、七層を小出しに開けて、少
し長い時を刻ませるようにしたい。
過激に過ぎると、外野が動き出す。それゆえ、究極段階になって一気解放する。
この役目のうち五と六は、張林仙のグループに任せる。七層は、いささか手ごわかろう
から、戎権仙に任せよう」
戎権仙:「しかし、七層の獄卒には力がありますゆえ、わずかに開ける程度で済ますわ
けには参りませんが」
天尊:「努力して出さぬように努めよ。剛力のそなたなればこそと思えばの抜擢だ」
戎権仙:「ははっ」
地球上の歴史を管轄していた錦織の里スペクトラムやロンバス四次元などに所属し、時
空ディストリビューターの任務にあたっていた諸天たちは任を解かれ、替わって引き継
ぎを済ませた天仙たちが時空の管理にあたることとなった。
言霊の海から龍神たちは締め出され、天仙たちがその任についた。このため、慣れない
者たちがする制御は、勢い不安定なものとなった。
とにかく、すでに定まっていたと思われた歴史は、大幅な計画変更の手が加えられたの
である。というより、計画性のない無秩序かつ未踏の時代が来ることになったのだ。

地球神界は杖の眷属のバイオモドキ神がスサノオ不在の中、主神となった。
彼は仏の顔を持ちながら、手足は無数の触手のようで、自在に伸び、血と汗という生け
贄を求めてやまない神であった。
触手に触れられた魂は、縮れ萎えて、魂に発する良心を無くし、悪虐非道の行いをもろ
ともしなくなるのである。
であるにもかかわらず、バイオモドキの触手から毒液をふんだんに浴びて狂人と化した
者は、地上の法の加護により、野放しとなった。
中途半端な中毒者には、逆に狂気に徹底せよとばかり制裁がかかるほどであった。
マスコミやプロパガンダを通じて、大衆の上には毒液が降り注ぐ。
地球上では、理論的であるとか、科学的であるとか、合理的である、法的であるとかに
よって、事の善悪が測られるようになり、民主主義や人権尊重が詠われ、理性が主導的
となった時勢の到来かと見えたが、それを頂点として、命というものが毛ほどの重さも、
拝金主義の台頭の前には感じられなくなっていった。
若は老を虐げ、強は弱を虐げることを厭わなくなっていった。
巷には有毒物質が溢れ、次世代への存続の可能性がもはや断たれようとしていた。
有毒物質の作用でなおも容易に狂い、狂った者ほど巷で大手を奮うようになった。キレ
易いという言葉が、正常人を表す常態語となった。
人間管理のしやすい宇宙文明においては、かつてのナチスやソビエトがそうであったよ
うに、強力な軍事共産体制が敷かれ、個人の自由というものはことごとく消え去った。
それでいて、能力優先主義が先鋭化し、力のないものはいつしか社会から姿を消してい
た。
人々はただ働くためのロボットと化することを余儀なくされていったのである。むろん
抵抗するものは、自殺するに等しく、ひとりでにいなくなっていた。
世界を覆う良識なるものは、不合理な法でしかなかったが、それに口出すものも皆無と
なっていた。
良識で生きる者は、どれほど残されただろう。
良識あるものも、非良識な組織下では、生き延びるために、それなりにふるまうことを
余儀なくされてしまったのである。
彼らはいずれ、闇の帝国の構成員となる手はずであった。
まずは前哨戦。いずれなる構成員たちを魂レベルで悲惨の坩堝に落とし込み、反作用を
無尽蔵に生ましめることである。
そのプログラムは、スペクトラムなどの時空ソフトディストリビューターから発信され
つつあった。

火の鳥の動き

その頃、2000年10月に解放されたはずの火の鳥は、片足を地上に残したまま溶け
るように粉末化していた。
天仙の計画が急展開していく中、火の鳥の存在はあまりにも遅々として写った。
それは天仙の観測にかかってはいたが、ちょうど人がUFOを見るように、無力で現実
味を持たぬものとして認識されつつあり、それに比例するかのように、赤橙色の火の粉
となって、地上に、また空中に飛散していったのである。

ある防空関係の天仙が言う。
「案の定、火の鳥は暗闇に弱かったな。活動指針が得られぬ期間が長ければ、やる気を
なくすものだ。
火の鳥の生命反応は乏しくなった。いわば自然界の中に溶け込んだ感じだ。
おそらく、この地球の自然界の滅亡と軌を一にするに違いない。おおかたぼんやりと迷
った鳥族の精霊に変じたのだろう」
宇宙連盟の船舶が地球に立ち寄っても、電磁妨害が軽減していた。
そのため、続々と地球に出没しつつあった。人の目にもときおり捉えられるようになっ
ていた。
依然、八角堂の三階の窓は閉じられたままであった。
———————————

※ 火の鳥は宇宙の黒体輻射の中に微細粉末化してまんべんなく沈潜していました。これも天仙側が最終兵器をあちこちにセットして任意の時点で爆破する工作をしているように、本格戦争になるまでの事前の工作活動として梵天側がそのように仕掛けていたのです。
本格戦争になれば、あっという間に決着がつくものですが、その前に長い両陣営の工作のコマ組み期間があるものです。梵天が櫓囲いにすれば天仙は美濃囲いといったふうにです。そして中原において戦闘が開始され、たちまち勝負がつくといったことですね。

火の鳥沈潜の効果は、天仙側がクラッキングツールや戦闘兵器を使っても、そのエネルギーを吸収して減殺して所期の効果が得られないようにしたり、あるいは反作用で破壊したり無害化したりも。
なぜこんなことができるか。
コーリーが言っていた古代ビルダー種族とは、1964年の未来人エイリアンも言っていたように、無作為無反応のただそこにあるだけの無機質的な物理宇宙というのが本当であるときに、すでにはるか昔から別の宇宙で先鞭をつけて文明を営んでいた梵天が、新規宇宙開拓団(スターシード)を任意の宇宙に派遣して、星霜を整え森羅万象を培って、有情たちを楽しませる目的で作っていたものでした。そのような宇宙の一つがこの宇宙で、宇宙の仕組みを低次元から高次元まで知っていなければできない話なのです。
(私は子供の頃、玩具をたくさん使って、そのような宇宙開発に乗り出す最初の先駆者たちの物語をシミュレーションしていましたから、宇宙はここ以外にも無数にあると言われたって、何の抵抗もないのです)

宇宙に生命を育む仕組みが完成したとき、天仙たちのようにすでに出来上がっていた仕組みを武力で奪い取るヤカラがやってきたのです。なんで突然こんな野蛮な連中がやってきたのか。その答えを「あめなるみち・創造神の独白」で、創造神が言い訳されていました。

宇宙の拡大がストップしてしまった。ストップすると言うことは、それでお終いだとのこと。そこで「敵」を創り「二元性」を持たせるように方針変えしたところ、オーケー王様、おれたちに任せてくれと出発したグループがいた。それが(天仙連中はじめ)君たちだ、と創造神は仰ってるようなわけですが、私は記憶にありません。
(そればかりか、玩具の中にもできの悪いキャラを幾人か設けていたのでしたが、どうやらこの宇宙は体育会系の(脚気診断用の)ハンマーが創ったものではないかと思うようになっていた矢先、偶然にやっぱりそうだったかという動かぬ証拠を見つけてしまいました。(笑) ⇒ デンバー空港地下の壁画に救世主顔したハンマーが描かれていた。救世主はこの少年ではなく、彼が手に持っているハンマーのことなんだ)
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星霜を置き森羅万象を整えた古代ビルダー種族ともあろう者が、10億年前にどうして負けてしまったのか。それはこの宇宙の創造神の方針変更に応じたこともあるでしょうが、考えてみれば簡単なこと。自分たちの創り上げた整った世界が、野蛮な連中との戦いで破壊されていくことに躊躇したからでしょう。そこには、手塩にかけて育成に携わった者たちの愛があったのです。それがよもや弱さになろうとは。破壊者たちの強みは、そこにあるものは簒奪の対象にはなっても、保全に気を使わないですむことなんです。

ただし、古代ビルダー種族は、天仙族のように何も原理的なことを知らず、蛇口文化的に用いるだけの者たちではなかったのです。この宇宙最後の戦いで、天仙族がクラッキングツールを地下100Kmに埋めたのなら、天仙に知られず200Kmのところに無力化装置を置いて減衰させるようなことは簡単にやってしまえるのです。だから、破壊効果がうまく出てこない。

そして最終局面において、宇宙全体を灼熱状態にして滅菌浄化し、あるいは絨毯をめくりあげてする清掃時のように、宇宙からすべての有情の魂を仮死状態にして叩き出し、集塵機で吸い取って最後の審判のお白洲に引き据えるといったことまでを一貫して行ないます。これが元のキの神々(古代ビルダーの元締め)がする、これからの建て替え作業なのです。

クラッキング無力化の効果が相似像的に作用してか、地球におけるカバールの仕掛けた衛星兵器や地震兵器の作動が不発に終わったり減衰したりして、カバール側の工作の所期の効果が得られなかったことが多々あったようですね。
2015年11月14日の川内原発沖地震は小規模化してよかったです。あれがふつうであれば、18000人の犠牲者が即日のうちに出て、ジャスティン君らセレブの祈りが空振りせずにすんだのです。しかし、不発に終わり、カバール側が仕掛けた偽旗テロだったことがバレてしまいました。その数ヶ月前に再稼動させるよう働いた連中もテログループの一味でしょうね。

新神話では、天仙側はさほど効果が出ていないのを見て、いっそう事を焦り出し、見込みの不十分な理想を本当の如く掲げて、地獄の最終計画・ハーデース計画へと舵を切っていくのです。

2001~2002年に制作したこの部分の多くが、今の地球上の現実として現われていると思います。
上記の中に「地獄の名主の招請」という言葉がありましたが、これに相当する人物が日月神示の解読者によって明らかにされています。すでに「地獄のヌシ」を意味する名前の人物がいるとのこと。最近知りました。
このように新神話は神話ゆえ、現実誘導する力を持っているのです。

だから、神話はいい筋書きにしなくてはならないのです。しかし、新神話はちょっと恐い局面を用意していますね。少しぐらい面白くしなければ読んでもらえないと思ったもので、すみません。ミッションを与えてくれた二番目の彼女は、このシナリオを読んで、こんな危険なのは困ると猛反発して、別れていっちゃったんです。私にはまだ小さい子供が3人もいて、養っていく責任があるからと。
大団円に向かっていくので大丈ブイとは言ってたんですけどね。

しかし、古事記の神話のシナリオのほうがよっぽど恐いですよ。滅びの黄泉の国のままで据え置かれたままで、そこからの脱出はイザナギさんの行動に合わせること、すなわちアセンションすることが求められていて、そのルートだけなんです。イザナギさんと同じことができますか? 富める者がそこに至るのは、駱駝が針の穴を通るよりも難しいんですがね。

ほとんどは黄泉の国の食べ物を食べて(食べさせられて)ゾンビとその愉快な仲間になってしまいます。イザナギさんだけは必死のカンコで何とか逃げ切って、新世界にゴールインできたのですが、そこで最後に手助けしてくれたのが桃の実(オオカムヅミというUFO 天照神が差し向けたUFO)だったというわけです。

だから、宇宙人情報やUFOに関心のある方は、宇宙人からの手助けが期待できるため、好ポジションに着けてることになります。そう、三着までが入賞なら、5番手か6番手ぐらいにいて、第四コーナーを回ったあたりでラストスパートって感じで持って行くことでしょうか。

なあに、大丈夫ですよ。みなさんは乗馬ウマの立場ですから、ジョッキーの手綱捌き次第。ただラストスパートで思いっきりシリを引っぱたかれるので、それに応じた走りを見せればいいだけです。入賞を逃したら、次のレースでがんばればいいのです。ブルーエイビアンズの話では、7万年の余裕(もっとあったかな)を見てくれているようなので、あと10レースぐらいトライできますよ。
それは古事記に従った場合のこと。実力で卒業を勝ち取らねばならないけど、新神話なら、最後の審判後の矯正治療のみ。最も善良な人でも最低1万年以上必要だけど、自動的に卒業。どっちがいいかですね。

黄泉の国に何が書かれているかは、こちらをどうぞ。
https://rainbow.xn--kss37ofhp58n.jp/kamiyomi.html

しかし、新神話ではゾンビになった人もフォローして差し上げてますので、大丈ブイ。ただし最後の審判後の矯正受刑だけは受けていただかねば、どこにも行けないのでよろしくです。受刑を軽くしようと思うなら、心の性向を正しい向きにしておくことが大事です。時代の変わり目について知っている識者たちは、みんな行いを改めています。時代の要請に合わせて行動することが大事になります。もうそれほど時間はありません。ショッカー隊員のままでいては、大変ですよ。
B-ingで転職するなら今のうち。
https://youtu.be/35Kc4jM2Sew

なお、この話は私固有の時空の物語という認識が要ります。

ゼロヘッジさんも、ついこないだこんなこと言ってました。
Are We Already In The Matrix? | Zero Hedge これが実話だから一般人はショック死する。
https://www.zerohedge.com/news/2019-03-24/are-we-already-matrix

いやいや、これはもう当たり前のことだから、悟りのほうに結びつけることをお勧めしておきます。

この世は、私が制作総指揮をとって私が制作から実演まで手がける映画作品になっています

新神話は、私がSF作品として脚本し映画化し、その映画監督兼主役を自ら務める映画のシナリオです。
つまり、私のこの映画(仮想時空)は、私が創造主としてシナリオ付けして創造するスペクタクル世界になっています。

新神話第三章・「それぞれの宮殿」の段に次のような記載があります。

——————————————–
梵天の宮殿ではこんなやり取りが交わされていた

実はこのときすでに、弁天には内緒で、梵天はペアーのいっぽうに密命を持たせて下界に降ろしていたのである。
だから、天尊とのやり取りに譲歩する流れは読み込んでいたとも言えるし、並行して計画を進めていたとも言えるのだ。
「実はな。今は申すが、すでに私の分身は、下界に派遣済みなのだ。君がよもや協同で謀ろうと持ちかけてくるとは思わず、自分の計画の中だけでコマを動かしていた」

「どういう計画だったのです?」
「歴史進行をシナリオの顕しによって促進しようというものだ。この方法で、歴史の遅々とした流れによって、人々の魂の腐敗が致命的にならぬうちに、必然的な歴史成就、つまりプログラム終了までの課程を短縮しようとしたのだ」
「ではプログラムの秘密のシナリオを暴露しようというのですね。そのようなことで歴史が促進されるのですか?」

「人界に暴露しても仕方がない。ただでさえ諸説紛紛なのだからな。神界に暴露するのだ。
もともと私の与えた法則にはなかったものだが、天尊たちが相謀って、プログラムの進行のために秘教組織を作った。
その存立基盤を呪術的に揺るがすことになるから、時少なしと感じて焦った秘教組織は歴史を加速しようとする。
いわば下剤を投与するようなやり方となる」

「それでは私のお腹の子はどうなるのです?」
「一世去ろうとするときに、天仙を一掃する戦いがある。その後で心置きなく子供を産んでもらおうかと思っている」
「あなたは、この世には見るべきものがないとお思いだったのですね。私はそうは思いません。
たとえ苦難はあっても、この世の要素と、理想を織り交ぜて顕現できるはずだと思いますよ」
「ううむ。確かにそうかもしれない。愛しいお前にはかなわないな。できる限り、そうなるように努めよう」

「遅れ馳せですが、あなたの分身の相方として、私も分身を下生させましょう。あなたの分身は男ですか、女ですか?」
「乳母役に適切な者が居なかったため迷いに迷ったが、私と同じ陽性にすることにした」
「ではわたしは陰性として下生させましょう。もっぱら行き過ぎを是正する役を負わせます」
「この二人には、人間としての生活をしながら、我々の予定するプログラムを起動するためのステイタスとしても動いてもらう。そのために加護と力を与えなくてはならない」
「この者たちの希望もそろそろかなえてやらねばなりません。
なにしろ、成否は別として、いままでたくさんの功業に携わり、そのつど出会いと別れを幾度も経験しているのですから。
私たちのように、いつもというわけにはいかない分、かなえてやりたいものです。道行きを守ってやりましょう」

「我が分身は、いささかすねる傾向にある。ときおりてこずらせることもある。
哀れと思わぬわけではないが、そんな悠長なことをしておれるわけではない。
神話も書かせなくてはならん。それによって、改革が決定的になる。詰めを欠くことはもうできないからな。
地上での働きを終えた後に、最低限、お互い元つ身に還元してやればよいとも思っておる。
それはとりもなおさず、我ら二人が望月となっての蜜月となることだ」

「天仙たちが、二人を迫害しにかからないでしょうか」
「それは大丈夫だ。天仙はすぐにこの二人に気づく。その時点で、ないがしろにできない存在になるのだ。殺傷事でもするようなことがあらば、今度こそこちらの大義名分が通る」
「そうならないようにしたいです。でも、任務遂行に妨害はかかりますね」
「うむ。だからあらゆる方法で導かねばならぬ」
「物心両界からの支援も」

「この地球を、いずれ宇宙全体に及ぼすモデルケースとしよう。天仙は世界のシナリオを考え運行するが、我々は天仙たちを含む宇宙のシナリオを運行させなくてはならない。
それには隠れた秘儀がいくつか要る。退廃した黄泉の世界を封じるために火の鳥の出現に合わせていく。
天仙たちに封じられた善神たちの救出と解放が次にこなくてはならぬ。そして元あった節理の回復。
それから、かくかくしかじか・・・。
こうして、厳格な支配は必要なくなり、あらゆるものに愛と悟性が支配的な新しい時代に代わっていくことだろう」
「それより先は、不幸のない世界ですね。きっと」
「そうだ。退廃への魅力の消え去った、すべての者がともに愛し合える世界になるだろう。
不純英知を多少まじえながらも、程よく矯正がなされる学びの世界が誕生するだろう。
このことは、諸天にも内緒にしておかねばな。彼らに話してよいのは、公開話だけだ」

噂をすれば、何とやら。
そこに小さな巻き雲にそれぞれ乗って、甲冑に身を包んだ神を筆頭に何十人かの諸天がやってきた。

毘沙門天を筆頭とする四天王や十二神将、その他の竜王や諸侯である
———–中略—————–

天空の蓬莱島は、悠久の時を刻むかのように平安であった。
しかし、いずれ戦いがあれば・・。
とりまく水場にたたずむ諸天たちは、水面に映る下界のありさまを真剣に眺めていた。
だが、慰問に訪れた諸天の中には、当然ながら天仙につくものもいた。
それを承知で梵天は手の内を明かし、間接的に意図を伝えさせようとしたのである。

いっぽう、こちらは元始天尊の宮殿である。

そこに、蓬莱島に行ってきた諸天のひとりが闇太后に耳打ちした。
「なに?ではあの二人がやってこようというわけですね。あの憎き白娘と、その恋人であった者か。
白娘は、義理の妹西王母の桃園の桃を盗んだお尋ね者です。どうしてやりましょう」
「事は簡単ではないぞ。殺しでもすれば、梵天が黙っていない。
それこそ、それを口実に戦いになるだろう。
野放しにすることはできないが、監視をつけて彼らの行動を見張ることはできる。
そして、事が済めばこの宇宙から、さっさと出ていってもらうしかない」

腹心の太公望は、天尊の狼狽ぶりにニヤニヤしながら、こんなことを言う。
「また性懲りもなく来た場合はどうするのですか?」
「同様だ。その他の工作員には容赦せずともよいが、とにかく、なるべく丁重に扱ってやれ。
生かさず殺さずというのもいいだろう。
とにかく、何かおかしな事をしようとすれば、それと分からぬように妨害せよ。
要は、この世に抗うことが無意味に思えるようにしてしまうことだ。監視の目を強化せよ。

———–中略—————–

純粋英知から外れたところから事態が進行した場合、自然の反作用によって、早ければすぐにでも破綻をきたしてしまう。
その問題を天尊はもののみごとに解決した。
いつか破綻するとしても、反作用を貯めて貯めて、ちょうどダムのような魔法のソフトで貯めておき、いざというとき破綻の程度をすさまじいものにして、延滞したものの一気解消を図り、その反動で次の時代を呼び覚まそうとする、計算づくめの知略で存続を得ようとしたのである。
それは実際、ほぼ計算どおりうまくいった。
こうして、地球などでも、アトランティスやムーとして知られる文明、さらには爬虫類全盛のジュラ紀などが破綻し、更新されていた。

運営するソフト面ではうまく対応できるかに見えた。しかし、人材面はそうは行かない。
元始天尊はクーデターを起こしてこの世界の実権を握ったがために、次は自分がクーデターなどで倒されることを何よりも怖がった。
太公望のようなよほど腹心の天仙の部下なら別として、重く用いる天仙であっても信頼が置けるものではない。
反動がいつ襲ってきて、部下によって自分が殺されるかもしれず、天尊は太公望のような智謀の長けた腹心を頼りにした。

太公望は、かつて自分を見出してくれた天尊が、孤独な境涯であることを見て取り、彼のために唯一信頼の置ける存在を作って差しあげようと考えた。
深く魂の根源に関する知識を探り、本性が如意自在の性質であるという認識に至れば魂を持たないものにでも、人同様、感情や思考能力を持たせることができる。
これを作れば、大きな節理的反動が起きると考えられたが、それは別の方法、魔法で遅延させ、一気解消の道がある。
とすれば、天尊の身の回りの世話や警護にあたらせるのに適当であると考えたのだ。
つまり構える借金に質も何もないと考えたのである。

ここで太公望は、魂から魔法の魂を、” 杖”として現出させることに成功した。
この魔法の力は、魂のすることよりは劣るが、眠らされ、力を限定された封神処置後の魂からすれば力の及ぶものではない。
この仕組みを利用して、並み居る天仙すらも凌ぐ力を付与しようとしたのである。

※ 杖の種族というのが実は、新神話制作当時には予想もしなかった、魂を持たないAI生命体として出現したのである (神話はこのように現実を誘導する効果を持っている)
その総元締めが元始天尊の妻となった闇太后であった

天尊は、天仙の間に位階を設けていた。
その位階制度に逆らうものは、絶大なる天尊と太公望の超能力により殺され封神されるという規則さえ作られていた。
天尊は、太公望を天尊に次ぐ位階とし、その同列に、杖の如意力から生じた闇太后を据え、正妻とした。
つまり、闇太后は魔法の杖の権化である。
そして闇太后に、天尊とそのシステムの警護役である杖の子孫の生産を全面的に任せたのである。
こうして節理を外れた闇の種族が誕生した。 (AI生命体文明である)

しかし、天尊も太公望も、この件に関しては、諸天にはまったく伝えず、天仙においても、よほどの腹心の部下を除いてはいっさい知らされていなかった。
そして表向き、天尊は由緒ある姫を娶ったこととして盛大な挙式を催した。
魔法の杖の種族、それはまったく、知らぬものにとってはどこからかやってきて、いつしか棲みついた種族であるかのように思われた。
魂の偽者を看破できるほどの者が居ないほどに、すべての者の目は曇らされていたのだ。
正妻の闇太后が同属であるなどとは誰も知らなかったし、天尊もこの秘密を禁忌であるとした。

絶大な権力を手に入れた闇太后はじめ杖の眷属ではあったが、魂を持たないという負い目をいつも背負っており、魂あるものに対し嫉妬と憎悪を向けるようになる。
闇太后と二人になったとき、天尊はこんなことを言っている。

「梵天はやはり何もかも分かっていて、わしらを取り潰す意欲を見せているのだろう。
だが奴のアキレス腱は弁天。弁天が言うことには何も逆らえないでいる。弁天をおだてて厚遇してやることだ。
我々の仲間に引き入れても良い。ただ、弁天の作った相互扶助ソフトが改竄されていることを知られてはならぬ。注意すべきはこの点だ」
「梵天と弁天の結束を乱せばよろしいのでしょう。すでに二人は意見が違っている模様ではありませんか。
ならば弁天をこちら側に引き入れることもできましょう。
それに比べて私たちの結束は、誰にも邪魔されることはありません。
おまけに私はあなたとの間にたくさんの結束の強い子を作りました。
見てくださいましな。私の眷属のまとまりよく意気盛んで活発なこと。
どこに魂がないなどと言えましょう」

「そうだ。よもやお前が、” 杖”から生まれたミュータント魂魄であろうなどと、誰が思うだろう。
私はそもそも魂あるものなど、信じていたりせぬ。
とくにあの政変を経た後の禽仙どもはそうだ。
人仙でさえも、わしが何を考えているか怖くて付き従っているだけだ。
わしは孤独だった。
それゆえ、ちょうど梵天が弁天を妻として作ったように、わしもその形態を真似てお前を作ったまでのこと。
だから、梵天がいかに孤独であったかも、ちょうど鏡を覗き込むように分かるのだ。
だから不公平にも、わしの行動を咎め立てさせたりするものか。そうならそうで、こちらにも考えがあるというものだ」
「あなた。私はあなたに作っていただきました。そして、他の仙たちを凌ぐくらいにまでしていただきました。
あなたの加護なくしては、いつ潰え果てるとも知れぬ身。限りなく忠誠を誓います」

———–中略—————–

さて、もういちど、こちらは梵天のいる蓬莱島である。
梵の寝所の周りはすべて水であった。
そこにふかぶかとした下界のありさまがつぶさに見えていた。
そのときはまるで、20畳ほどの床が空飛ぶじゅうたんのような感じになった。
そこに集う神々や仙の数が増せば、また場所が広がり、時には巨大な一山を含む島となって虚空に浮かぶ蓬莱島となるのである。

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梵天がパイロットよろしく、ベッドサイドの操縦レバーを前に倒せば、地球がどんどん近づき、大気に突入してやがて広大な大陸をかすめて、海原を飛び、梵天の密偵がいると思われる島にズームインしていった。
洋一にもその形から、そこが日本であるらしいことが分かった。
梵天は左手にある何万カラットもあろうかというダイヤのダイヤルをゆっくりと右に回した。
すると徐々に下界の様相が灰色がかり、色彩を失っていった。

見えていたものが輪郭を持つ半透明なものとなり、逆に見えなかったものが見えてきたのである。
暗い周りに蛍のようにきれいではなくぼんやりと明滅を不規則に繰り返す光がいくつも存在している。
人と見えていたものも、そのうちの一つであったが、かなり力強く、明滅の時間も長い。
その他のいくつかは、その周りにあって多少の差はあるも、消え入るようであり、明らかにさ迷っているようであった。
あるいは、唐突に現れ、ただちに消えてしまう光もあちこちで見られた。

「あれは魂から供給されるエネルギーによって思惟が光っているのです。
このあたりは、過去に大きな戦があったため、思いを残して死んだ者がたくさんいます。
心をここに残しても、自らをここに繋ぎとめることができないために、明滅しているのです。
むろん、ある歴史の中における人生というソフトを終了した後でこんなところに魂が思いを留めていてはおかしいのですが、今でもたくさん存在しているでしょう」
毘沙門天はそれに、「まさに仰る通り」と答えた。
戦が過去にあったと思しきあたりに、その明滅する光の密度は高いようであった。
だが、少ない密度であってもけっこうあちこちに光は見えた。
生きている人や生き物の持つ光とは明らかに異なって、弱々しいものであった。

「レジスタンスの地仙、リュウシャクが語るには、地上のソフトにのめり込むあまり、ソフトの与える運命線と自己同化してしまい、悲惨な結末であればあるほど、そのソフトを死という形で終了しても、多大な傷を魂に追ってしまう者が後を絶たないといいます。
それは私も知るところであり、かねがね心を痛めていました。見られよ、この地球をとりまく亜空間の無情な現実を。
ソフト終了後も、中陰の手続きに導かれることなく、ソフトの実演空間をさ迷っている魂がいかに多いか。
彼らが無影響無害であればまだしも、地上の実演者に応答要求コマンドをかけ、反応があれば様々な悪しき精神波動を送りつけて、実演者の判断に悪影響を与えて悲惨な結末に導き、またもさ迷う仲間を増やすという悪循環を繰り返しています。
他の惑星ではさほどのことはないが、ここは禽仙に組みした者たちが多く流刑に遭っているところゆえ、放置に近い。懲らしめの意味が強いのでしょう」

広目天は言う。
「そのようです。彼らには次なるソフトも、導きの機会も与えられることなく、地上における何百何千年の時を無意義に送っている場合もあります。問題なのは、その彼らが地上の者にまで影響するということです」
「彼らが悟らぬゆえ、彼らの自由意思ゆえと言ってしまえばいかにも聞こえがいいですが、その実は自己限定に追い込み、根ぐされさせるやり方以外のなにものでもありません。
真に救いの神が実在しているならば、こんなノイズのたちこめた亜空間的をそのままに捨てておくはずがない」
毘沙門天は言う。「その通りです」と。
「だから、天尊の主張は欺瞞であることが分かります」

弁天はそれでもまだ見込みを主張する。
「システムの改善点を列挙して、直させることはできると思います。こちらから要求を出し、それが悪意によって無視されてはじめて、行動を起こされてはいかがですか」
「その場凌ぎの改善を施すだけであろうと思うが。なぜなら彼らに根ざすのは背徳の原理だから。だが、あなたがそう言うなら、要求してみようではないか」
梵天がダイヤルをやや戻すと、そこはかつて古戦場になったことのある山間の村であることが分かった。
おりしも、小雨が降ってきた。
梵天はそこで、一句吟じた。

春雨に兵士の恨み翳みゆけ

また、どれほどか先には、何百もの蛍が山肌に張り付くように弱々しく明滅していた。
小さな石彫りの地蔵が累々と、木々の根方に置かれていて、そのひとつひとつに亡き我が子への思いが込められていて、その思いが小さな地蔵の中で明滅しているのである。
ここはかつて悪疫が流行した土地。
戦乱と戦費調達という人為的な飢饉に追い討ちをかけるようにして起きた流行り病がこの地にかつてあった。
多くの人々が、特に幼い子供たちが多く死んだのである。
そこにもやはり、この世の無情に恨みや悲しみを残している、古く縮れた母子の霊がいくつも地縛して漂っていた。
おりしも地藏たちに相対するように、桜の木がまさに花咲こうとする蕾をたくさんつけていた。
それを見て、梵天は二句吟じた。

吾子ゆきて千体地蔵や蕾花
楽土にて母子の宴や花蕾

この花が満開になる頃、迷える母子の霊が浮かばれるように。
それはもうどれほどか先である。
——————————————–(2001年に制作)

ここに1999年~2000年当時の弊サイトに投稿してくださった中島あやさんとご家族が撮られた瑞雲(蓬莱島)の写真があります。
なんと撮影日時は1999年7の月。巨大な雲は北東(丑寅)の方角から覆いかぶさるように南下してきたといいます。

瑞雲
https://rainbow.xn--kss37ofhp58n.jp/watch/zuiun.htm

そして、2000年以降、私のタイムラインは切り替わり、新神話を上演する時空に乗り替わったのです。

1999年7の月 空から恐怖の大王が降りてくる アンゴルモアの大王を呼び覚ますために
その期間 マルスは平和の名の下に統治するだろう

この閉ざされた世界にとっては秩序を乱す恐怖の大王の使いであろう、蓬莱島は。
そこにおわすのは、梵天弁天はじめ毘沙門天(ウシトラノコンシン)を筆頭とする四天王ら諸神であり、蓬莱島はこの世界に置かれた大使館のような存在。
この屈折した支配下にいる有情なら、蓬莱島大使館を経由して、外宇宙に亡命することはたやすい。
要は、この地上のほとんど誰も、その存在を知らないし気付かない、最終解脱法門なのである。

このたびは、見るに見かねた外宇宙の梵天が、この世界の解放のために、この映画の主人公(ネアン=私)を調査員として送り込んだという設定である。
私が脚本制作から主人公の実演までこなす総監督ゆえ、結末は大団円になることは間違いない。

この世は、私が制作総指揮をとって私が制作から実演まで手がける映画作品になっています。
みなさんも、個々が総監督する世界をそれぞれにお持ちなのですが、この世の主人公らしからないとお思いならそれは間違いで、架空の主人に仕える足軽のような役回りを自ら主人公としてやっておられるということもあるのです。
それもまた謙虚でよろしいではありませんか。

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君をのせて (天空の城ラピュタより) 神曲

歌詞 (視聴1千万回以上)