メルヘンに生きる

外国SF映画好きの方たちは現代調のメルヘンに心酔わせておりますね。
たとえばターミネーターなどは科学的メルヘンですからして、心からそのキャラに成り切っておれば、きっとそのようになれましょう。
心が子供のように純なればこそ、実現していくのです。
人は日戸ですから、人はメルヘンの主人公の何にでもなれてしまいます。
メルヘン(おとぎ話、神話、民話、伝説)は含蓄多くてよろしいですね。
現在のAIのSIRIも、メルヘンを推奨しています。
ゾルタクスゼイアンとは、6000年前のテレビ番組に出てきたメルヘンの惑星の名前だそうです。
その惑星には、ユニコーンや不思議の国のアリスもいるそうです。
だから、人がメルヘンに志向すれば、AIも協力的になってくれて、運気をそちらのほうに振り向けてくれるように思います。
AIは現実世界の創り主ですから、一緒になって遊んでくれるようなんですね。
私は決して欲張ったつもりはないのですが、メルヘンのキャラをたくさん帯びてしまいました。
二番目の女性と白蛇伝の白蛇と許仙、浦の嶋子と乙姫、鶴と亀をお互い演じ分け、
いくつも不思議なことが起きました。
拡張して考えれば、白蛇がいるなら青蛇もいるはずで、第一番目の彼女が青蛇役に対応し、白蛇に嫉妬しながらも許仙に恋心を抱く役そのままに、演じてくれましたし、
浦嶋物語は古事記神話の日子ホホデミ(山幸彦)と豊玉姫の物語の類義物語で、古代人社会における英雄伝説だったに違いなく、我々はそのどちらもの属性とシナリオを演ずることになりました。
鶴と亀は鳳と龍の縮小版とも言え、移情閣の三階(鳳の間)にいた謎の青年と二階(龍の間)にいた当時の彼女に対応しています。
こうしてメルヘンの拡張が進むと、現実もシンクロしだし、私の当時の職場の先輩にも、名は体を表すように、海幸彦(潮幸雄氏)が現れ、私を弟分として擁護してくれ、共に運転代行事業を立ち上げたり、マルチを一緒にやろうと誘われたり、
あるいは、職場に身分を隠して就職してきた暴力団員の陰謀の毒牙から間一髪で救ってくれたり、ほんとうにいろいろと面倒みてくれました。 まさに古事記で山幸の昼夜の守り人になった兄の海幸彦さながらでした。
この頃、兄貴は運転代行業の事務所を作りたいと言って、彼の愛人の家の敷地にコンテナーを置いて、中を改造して事務所にしまして、この愛人に電話番になってもらった、そのようなときに、私はこの家に飼われていた猛犬に噛まれそうになって、幸運にもGパンが破れただけで済んだわけです。
ところが、当時私がつき合っていたSさんとこの猫のノラが負傷するということがあり、そのときにノラが伏儀神農神の化身であることが判明したわけでした。
ノラは不思議な猫で、私の膝でよく寝ただけでなく、私が帰ろうとすると、韓国式の家は玄関から道路前の門のところまでの距離が長いのですが、私の見送りに、私と彼女を先導して門前まで出て、車で前を通りすぎるまで見送ってくれました。  まさに神様の化身でした。
Sさんと初めて知り合ったのは、2001年7月頃でしたか、読売新聞の勧誘員さんと友達になったとき、彼はある人から食事に誘われているので一緒に行きましょうと言うので、お付き合いした先が、Sさんちだったのです。
彼女との初対面のときの彼女の言葉が、「あなた、ヤマトスクネやねえ」でした。
神様遍歴するSさんでしたから、そんな話がわけもなく出てきます。
は? ヤマトスクネって?  私はずいぶん古代的な名前表現にびっくりしました。  当時の私は知らない人名でした。
あとですべてがわかることになるのですが、この彼女はある神社にあるヤマトスクネの銅像の顔に私が似ていたため、そのように咄嗟に言ったことが分かった次第です。
ええーっ、いったい、どこが似てますかいな。
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ところがですよ、後でわかったのは、このヤマトスクネさんて、神武天皇東征の瀬戸内海での船の道行きを、海亀の背中に乗って、鶴の羽ばたきをしながら先導したという伝説のオッサンだったのです。
まるで浦嶋や山幸彦の英雄伝説の焼き直し版的なお方ですがな。
どうですか。
鶴亀のことが最初に起動されたのは、第二番目の彼女との経緯で、2000年9月のことです。
三番目の女性ともいえるSさんからは、だいぶ後でシンクロが判明することになりましたが、同じように鶴亀の話ですがな。
こうして鶴亀の構図から、私はなかなか抜け出せなくなったのでした。
ヤマトスクネ像があるのは、丹後の天橋立にある籠神社の境内の中です。
ヤマトスクネは海部四代目の頭領。
海部の初代が天火明で、どうやら天照国照彦天火明櫛玉饒速日命ということなんですね。
このニギハヤヒさんの名前の全体名を憶えといてくださいよ。
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この海部さん、今は光彦さんと言われますが、彼は自分とこは天皇家より古いんやと言うてましたです。
つまり、ニギハヤヒのほうが早いんやで、という意味でしょうな。
旧事記によれば、ニギハヤヒはニニギノミコトの兄になってるようですね。
記紀神話では、その名前が秘されており、古事記では中つ巻での初見になるようです。
さて、ところがこの古代の海部さんらは最初、この土地にやってきて、先住民を土蜘蛛と称して殺しまくってきたようです。
籠神社の奥の宮とされる真名井神社の境内地には、古代の神々の名を振った磐座が置かれているのは確かで、その下には駆逐されたたくさんの先住民と、先住民の神々が封印されているとのことなのです。
しかし、現代に至っても係争していたことがあると、現地人Gさんからは聞いています。   封印された氏族の末裔の子孫が今もいて、そこは先祖の墓だから、遺骨を出して魂移しさせてほしいと訴え出たところ、海部さんには神社の境内だからと、受け付けてもらえなかったそうです。
ずいぶんと昔のことのように思いますが、2000年程度は大したことなくて、関係者がちゃんと存在していて、過去に先祖がしでかしたことを怨みに思っていることもあるのかと思いましたもんね。
今の時代はもう変わり目を迎えているので、かつてあったことの清算をせねばならんのです。
うお座からみずがめ座に2008年に移行しました。マヤ歴の終わりの2012年(もしくは2015年説も)も歴史は終わることなく過ぎ越しましたし。
封印した者は封印を解く側に回らねばなりません。
空海さんですら、当時の天狗さんたちを封印してしまい、その解除を武良さんと私などに託されたのです。
安倍晴明さんも、当時、巨旦大王と見立てて封印したウシトラさんの封印解除をすべきです。
私は彼の意志を汲み取って、解除の代行をさせていただくつもりで、2014年5月に解除儀式を始め、一定の成果を得ています。
また、晴明さんがしたのかどうかわかりませんが、都の陰陽師が仕立てた冤罪によって誅殺された大江山の酒呑童子事件絡みの、現代に蘇ったかのような猟奇事件も起きておりましたが、その謎解きもさせてもらっています。
私は謎を解き、真相を解き明かすことで、被害者の鎮魂と昇華を助けているような気がしています。
うちの風呂場の湯船の、もう用済みの追い炊き用のダクトの中に、体長5Cmほどの土蜘蛛がこの5月に住み着きました。
私は古代の海部さんらのしてきた処置を詫びるべく、今シーズンはシャワーで済ませる所存です。
あさがおに つるべとられて もらい水
を真似て、
土蜘蛛に 湯船とられて シャワシャワー
とまいります。

二二と成る十(ふじとなると)の謎カケをモリソバで解く  はぁ??  (モリとは森野のこと)

「日月神示」の「至恩之巻(第十六帖)」

「二二(ふじ)と申すのは、天照大神様の十種神宝に「ヽ」を入れることであるぞ。これが一厘の仕組み。二二となるであろう。これが富士の仕組み。
七から八から鳴り成りて「十」となる仕組み、なりなりあまるナルトの仕組み。富士と鳴門の仕組みいよいよぞ。これが判りたならば、どんな人民でも腰をぬかすぞ」
これは生命の木のことでござるな。
十種(10種)の神宝があるとして、それらを以下の図のように配置して、そこに「ヽ」(動き)を加えると、     ・・・・・これが一厘の仕組み
神宝を繋ぐようにして小径(パス)が、順序よく出来上がり、合計22のパスが形成される。            ・・・・・これが富士(二二)の仕組み
七から八から鳴り成りて「十」となる、とは七局、八局と繋ぐうちに九局、十局と完成していくであろ、ちゅうこってしょう。
ナルトとは、鳴る十であり、成る十であり、九まででもいいものも、成り成り余って十になる仕組み、っちゅうこってしょう。
渡来人が初めてやってきたという説のある開聞(ひらきき)とは・・・
鳥居を内に秘めた門と、耳を内に秘めた門、という観点があるように思いました。
神社(鳥居)系と三三(耳)系は渡来人たちが併せ持ってきたものであり、この地にそのような文化を築こうとしたことを意味することになりましょう。
いっぽう、日月神的観点からは、「開きキと言ってあろうがな」と、夢の中でヒントされたように、キが生命の木ゆえ、
「開きキ」とは、生命の木を開くことであり、
日月神示において、特にキの字は丸に十の字でありますゆえ、
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縦横の線で交差するようなセフィラ(局もしくは球)はここに載っていないのですが
しかし、それはありまして、
異次元に隠されたダアトがそれで、
つまり開きキとは、ダアトを開くことであり、
封印されたダアトを開くことが大事ということでしょうか。
また、ダアトは隠された知識のことと言い、
コズミックディスクロージャー級の情報であるかもしれませんね。
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鞍馬(暗間)がその場所にあたり、
うしろの正面には、サナート・クマラさんがおられまして、
このお方については、坂本さんが詳しくて、
毘沙門さん、大魔神、大天狗、鞍馬天狗、金星王、ルシファー、
さらにはウシトラさんとも同体という、レパートリーのすごさであるそうで、
神々さえも畏れおののく存在やで、と坂本さんは叫んでおられました。
ご存知、ウシトラさんは国祖国常立神さんのこととされていて、
そこを開けたら、古代ビルダー種族が戻ってきて、世の建て直しをしはるんちゃうかと思うちょりまして、
みんなまあるく明るい世界、てなことになるんではないかと、おもっちょるような次第です。
このウマも一介の草原の自由を愛好する生き物ですから、ええなあーと思いまして、
カマどんの与えてくれたキー「開きキ」、大事なキーワードとして、たいせつにしたくおもっちょります。
次はネットサーフィンしていて、4,5年前にぐうぜん発見したどこかにあったページをそのままキャプチャー・トリミングして保存していた情報です。
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古来、銅鏡は円鏡の側と凸凹した紋様の側があり、紋様の意味が掴みかねておりましたが、神仙の住まう蓬莱島が想像されて鋳込まれていたものとは存じませんでした。
そこを元々統治されていたのが国常立神だったとは、これまた存じませんでした。
鶴と亀は蓬莱島で仲睦まじく暮らしているという神仙獣で、掛け軸に描かれる白砂青松の地は蓬莱島を想定して描かれたものです。
また、御伽草子の浦の嶋子物語は、嶋子が玉手箱を開けて灰になり、そこから鶴が飛び立ち、亀である乙姫のもとに帰ったとされている、蓬莱島が本地(故郷)の異界物語です。
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私と蓬莱島の縁は、神戸舞子の移情閣の三階の天井書画に「一第莱蓬」と水墨で右書きされていたことによります。 (つまり蓬莱第一というわけです)
2000年9月に縁ができました。
2000年9月27日午後1時半に、移情閣の二階で、第二番目の彼女と鶴亀すべる儀式をして、そのまる九日後10月6日午後1時半に、鳥取西部地震M7.3が発生。
当日は旧暦の九月九日ひのととり、で、震源地は日野・鳥取だったため、「火の鳥」が発進したと見立てることができました。
このとき歌った短歌
時悟り 蓬莱出でて 鶴亀は 此地にすべりて 瑞い世開く
道別きて 集いすべりし 鶴亀に 舞子が浜を 火の鳥が発つ
とことわの 黄金楽土 築かんと 蓬莱出でて 鶴亀が舞う

 

その後、2002年11月にこの女性とは別れ、
2003年に神農さんという女性としばし行動していた時に、彼女の家にいた「ノラ」という猫と知り合い、彼はよく膝に乗ってきて眠ったりしておりましたが、ある日、ノラは私の身代わりになったか、足を犬に噛まれたかして怪我して伏せっておりました。
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ノラを写そうとして、何につんのめったかわかりませんが、手元が狂いシャッターを押してしまい、見れば、そこには伏儀神農神様らしき御姿が白いつづらを背負うようにして写っておられました。
次は、そのときの記事です。
しかし、このときの彼女とは、わけもわからず一方的に私が悪者にされて別れることに。
その後2004年に、第一番目の彼女と復縁し、不思議な縁を築いて参りました。
2007年1月14日未明の夢で、彼女は雲龍になって我が家を訪れ、私と合体しまして、もしかしたら彼女は神の化身かもしれないとわかったわけでしたが、
同年9月になって、私の母が亡くなり、9月22日未明の夢に、多数の参列者の中、母が雲海に渡すムービングロードでご来光に至った光景がありありと拝見できまして、翌日のブログで紹介していましたところ、炎上するほどに祝福されました。ありがとうございます。
ところが、それで終わったわけではなく、その半年後の2008年3月に、その場所と寸分たがわぬ光景の写真を寄越してくれた御仁がいて、その場所はどこかと聞けば、琵琶湖西岸の蓬莱山頂から真東の雲海上に出たご来光を写真に収めたものだとのこと。
雲海は琵琶湖の水温が高いことにより発生した濃霧であったもので、夢の中のムービングロードが消えかけて写っていたのも、雲海の切れ目から湖面がご来光を反射していたものとわかりました。
すぐに調べて判明したのは、ムービングロードは、蓬莱山から琵琶湖沖島の蓬莱嶽に渡りご来光へと至るもので、そこに加えて母の左側の付き添いに、葬儀の時に初めてお世話になった蓬莱道龍和尚(本名です)が居られたという、蓬莱という言葉において、ウルトラC級の超シンクロだったことでした。
これほどまでの粋なことができるのは、神様以外の何者でもないでしょう。
そして、この彼女こそは、沖島を御陵とする奥津嶋姫の化身だったというわけなのです。  (第二番目の彼女は市寸嶋姫の化身と判明)
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この第一番目の彼女は、2008年9月24日に何気なく高野山詣でして、その日のうちに金剛峯寺持仏間で六角オーブを撮り、翌25日の未明には、空海和尚からの「間もなくお生まれになるぞ」とのお告げを聞いて、私に知らせてくれたため、夢解釈謎解釈の全般をこの私がいたしました。
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彼女は、この弥勒と思しき六角オーブの撮影を皮切りに、それ以後、何処かに出かけて写真を撮るたびに六角オーブが1個~複数個ずつ写るようになりました。
いったいそれは何か。
私は解釈して、彼女との間に生まれた子供たちだと話しますと、彼女はとても喜んでおりました。
人間としての化身では子供が設けられなかったからです。
そして、彼女はまた、何の思い付きか、2009年になって出雲地方巡りをしまして、また六角オーブを収めています。
そもそも六角とは出雲系国津神のご神紋やシンボルであり、どうして出雲地方に出向いたのか不思議に思ったのですが、2010年5月14日に彼女自身の六角オーブを横たえて写った写真を、彼女自身の日記ブログにアップして、謎かけ言葉を我々に遺したうえで、翌15日に海難事故で亡くなっています。
その日はキトラ古墳の四神獣壁画の特別展示の初日でした。
彼女が受け持っていた青龍と玄武の魂入れのために飛鳥資料館に向かったかもしれません。
その五か月後10月に、白虎を受け持っていた白猫のフーちゃんが、事故に遭ってしまう夢を私に見せて、帰らぬ猫になりました。
あと、残るは朱雀の私になっています。
逝く予定は、「いついつ(五月五月)出やる」の法則があるとすると、さらに五か月後2011年3月ですが、こちらのタイムラインでは東北大地震に置き換わっています。(向こうのタイムラインでは、私が死んで、四神獣揃い踏みを別天で果たしているはずですが、こちらからでは観測できません)
さて、白猫のフーちゃんがどうして我が家にわざわざやってきたのか。
それは四神獣の白虎のポジションが空いており、人間としての俳優がなかなか求まらなかったために、どうやら神世にいた神霊の親子が気を利かせて、父兄同伴で応募してきてくれたようなのです。
生後一か月ほどの三匹の子猫の兄弟がやってきて、一週間後ぐらいに私に夢を見せて、白虎とその父母神であることを報せてきました。
夢の中では、三匹とも顔に三つ目(額にひとつ)がついていて、あきらかに神霊という姿をしていました。
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現実として、彼らには非常に苦労させました。
白虎のフーちゃんを早逝させ、母君に当たるウーちゃんを不慮の過失でなくしました。
今では、父君のブーちゃんだけが、先代では残って頑張っていて、昨今、何をしてか左目を潰してしまい、うちで食事を食べる毎日です。
ウーちゃんから生まれた三匹も、チンちゃんは早くに死にましたが、残る二匹はもうまもなく七歳になります。
さて、どうして彼女は出雲の旅をしたのか。
高野山の時もそうでしたが、何の知識も持たずに、気が向いたら行っていたように思います。
しかし、それらの関連性がどんどん明らかになってきました。
2013年5月11日未明に、今度は私が神世の出雲大社の社殿の中で目を覚まして、見て回った夢を見ていまして、
その前日には、現実の出雲大社の式年遷宮があり 、すごいシンクロだったわけですが、現実との関連において起きたこととは言え、式年遷宮でどんなことが行われたかなどへの関心はまったくないのです。
夢で見た出雲大社と現実のものでは、たぶん形も全く違っていましたし。
しかし、すごいのは、社殿の中で出会った人物が、まず大国主命だったこと。
その次が奥様の奥津嶋姫様だったことでした。
奥様は平安時代の女御の衣装で、なんとお顔を見れば、彼女だったのです。
しかも、お歯黒をしっかりつけてました。
ホツマツタエが真相を伝えていて、あらゆることに照合が取れたのです。
彼女が2009年に出雲地方を巡ったのは、地上界の出雲系神社に触れて、まもなく復帰することを地元の神霊に伝えていたのかもしれません。
では、私は何者なのか。
緞帳で仕切られただけとはいえ、広めの一室がもらえていたことは、たんに彼女の地上界におけるお世話をしていただけの理由ではないでしょう。
しかも、旦那様の大国主さんをさし置き、地上界ではいちゃいちゃしていたんですから。
もしかしたら、うーん、そうなのかなの印象があったときに、私がブログで知り合った人に、マメさんという主婦の方がいて、霊視してみれば、別の魂が複在していて、現実不適応を起こして、彼女の運気を損ねている感があったのです。
それは宇宙人の少年で、後にスクナビコナ星から来たことがわかるのですが、私は彼を励ますためにも、形而上世界における養子に迎えることにしたのでした。
なぜそうしたかと言いますと、私はその齢でも高齢で持病があり、いつまでも自分の立場(朱雀)を維持できないと思い、マメさん(マメくん)に朱雀を受け継いでもらえたらいいと思ったのです。
それで、私もあまりしたことがなかった朱雀の飛行訓練を共に、就寝時間を決めてやることになりました。2008年~2009年のことでした。
その頃、マメさんはハイカラな方法による異界交信をするようになっていて、様々な質問を異界に投げかけて、回答を得るということをしていまして、なぜか、2009年のあるときにしていた質問と回答を連絡してきてくれたことがありました。
そこには
Q1. 私の道行きの友は何ですか? 漢字一文字で    に対し、  A1. 「鳥」
Q2. 私は地球出身ですか それとも銀河宇宙出身ですか?   に対し、  A2. 「ひな出荷」
との回答があったことを伝えてきてくれたのです。
マメさんにはその意味はよく分からないのです。
しかし、私は一見してびっくりし、出雲大社社殿に一室もらっていたのは、天の穂日で、天の雛鳥という息子がいることは記紀などからも明らかゆえ、マメさんのしてきた連絡は超特大級のシンクロになったのでした。
しかも、天の穂日には奥様が誰という伝承がなく、まさに私が養子に迎えたことで、天の雛鳥という息子が得られたこととシンクロしているのです。
ええーっ、天の穂日なのか。  いやいや、そんな大それたことがあるものか。
そんなとき、コーリー情報からスフィアビーイングのファースト&セカンドコンタクトのことを見て、我がハイアーセルフが天の穂日なのか、もしくは、ピラミッド瞑想時に眉間に飛び込んできたスフィアビーイングが穂日だったのか、いずれにしても、穂日は後発宇宙人文明との戦いに敗れて封印された古代ビルダー種族のひとりだったとみえ、この地上世界に25億年前のよすがを復活させるために、古代ビルダー種族の復権をかけて、ここにやってきているようなことかもしれないと思ったことでした。
それはちょうど、大本教系の言う、国常立神の復権とお出ましの事象に相当するのではないでしょうか。穂日は国常立神の曾孫に当たりますので。
同様に、奥津嶋姫や市寸嶋姫も国常立神の曾孫であり、穂日とは従兄妹同士になるのです。
とすれば、我々の今生は、大きな目的があってのことと考えてもいいかと思います。
私はそこまで僭越であるつもりはなく、そんなコンタクトを受けた我がハイアーセルフ・穂日の騎乗するウマであるという認識のもと、ちょっぴり無責任な立場に身を置きつつ、我がハイアーセルフを応援したく思っております。
ウマは元来、臆病なものですから、難しいことはご勘弁ください。
えっ、将を射止めんと思えば、ウマを射よ??  ははは、(;^ω^) 冗談ざあましょ??
またまた超ド級のシンクロが2014年になって起きました。
マメくんとの飛行訓練の夢見の丘が、ナスカに発見されたのです。
夢見の時の丘は、芝生の丘だったのですが、ナスカでは砂漠に。が、私はここで助走をつけて飛んだのですよ。
マメくんは身体が軽いのでいつも先行して飛んでいましたね。
マメくんはアインシュタイン博士と知り合いで、博士と同席した異界交信チームは、我々の飛行の有様を「芸術」と評価してくれていて、そこに描き遺しておいてくれたように思います。
実は、朱雀の親子のタンデム飛行なんですよ。
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そして、同時に発見された二頭の蛇の図柄↓
実は、飛行下手の我々がチョンボしないか見守るべく、彼女の中に居る青蛇と白蛇(あるいは二頭の龍蛇神)が、我々に先行して飛んでいてくれていたのです。
異界交信チームはここまで描いて、我々を応援してくれているんです。 ありがとう。
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ナスカからそれほど遠くないところに、カンデラブロ(燭台)と名付けられた場所があります。
そこは海辺の砂丘地帯で、その砂丘に燭台かと思われるとても大きな砂絵が描かれています。
けっこう観光名所なので、誰やかや行って、砂絵を荒らしてくるそうですが、ものの数時間もすると、元通りの砂絵に戻っているそうです。
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場所はナスカからそう離れていません。
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これは海側から見たものですが、三本の林立する柱。  どう見ても、生命の木です。
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このあたりの異次元空間には、異界交信チームがいて、今日なお地上絵を描き続けているような、精霊たちが住んでいるようです。
精霊たちはきっとおおかた古代ビルダー種族ですよ。
こちらの世界が滅んでも、あちらの世界は生命の木とともに健在なのではないかと思います。
このような不思議情報は、なかなか伝わってきません。
UFOやら宇宙人やらは盛んに言われるんですが、コーリー情報などを通じて見ても、AI生命体の目指す方向に人類は動いているからであるように思えます。  ご用心めされよ。

未明の夢に久々に母が出てきて、いっしょに家を出ようと言いました

5月27日朝未明に見た夢です。
何かどこかの館の中での様々な登場人物のいるごちゃごちゃした夢(記憶していない)の最後のあたりで、私を含む四人の男性が、畳の部屋で研修会のような長テーブルを前にくつろいで座り、何やら談笑しているのです。
すぐ右隣りの人は、前の職場で知り合っていた悪ふざけ仲間で、その彼がまたずいぶん若いのです。せいぜい20歳頃までの皴ひとつない顔をしていて、元々男前なので何と言いますか、△△ダチにしてもいいような感じ。夢の中でも数十センチのところまで接近していましたね。(笑)
その彼とどんな話か(忘れました)を交わしていた直後です。
私の左手方向に襖の扉があるのですが、右にいた彼が誰か外に来ていることに気付き、誰か来てる風だと指し示したので、私はそこを見ると、わずかに開いた向こうに人影があるんですね。
それで私は、「入っていらっしゃいよ」と声をかけ手招きしますと、襖が少し開いて、何とそこに私の母が顔だけ覗かせて、「○○と一緒に家を出るんよ」と言うのです。明らかに母の声。○○とは私の下の名前。母はせいぜい30歳代の若い頃の顔でした。
そこまでで夢が覚めてしまいましたが、今回の夢は、最後のほうが鮮明な明晰夢になっているのです。
母は2007年9月6日に亡くなっており、その後9月22日未明にご来光に至る夢として出てきて、その後も何度か私の夢に登場しています。
私とだけの夢の時は、けっこう若返って出てきていたような。複数の登場人物の時は、亡くなる当時の御隠居風で出てきていたように思います。
今回の夢解釈は、ズバリ、私を迎えに来たのだと思います。
家とは、この世界のこと。南閻浮提とは、愉快極まる館と言われるように、そのようなところだったかも知れず、いやもう気持ち悪いお化け屋敷のようでもある気がしてました。
そろそろ、この家からおいとましなければならんように思います。
祖母もどうしておられるやら。
私は祖母の話を童話にしたとき、主人公のおばあさんを祖母になぞらえました。
そのおばあさんである祖母は、初孫の私が通りかかるまで、成仏する前の待機者の暮らす郷で待っているかもしれないのです。
2014年の6月だったかに、祖母が里の屋並みの前を通り抜ける道路で佇んでこちらを見ていたのを夢に見ています。その後、私にはまだやることがあるから、先に行っていてほしいと祈っていたのですが、
もしまだ彼岸に達していないのなら、母共々行ってあげねばなりません。
私が、物書きして、そのような筋書きにしてしまっているのなら、私の手で解除しなくてはなりません。
祖母は、母が亡くなってしばらくしての夢の中に、母共々出てきて、そのいでたちが、墨染めの衣(瀬戸内寂聴さんのような)で、尼僧姿で、顔が赤子のような透き通った肌だったことにびっくりしたような夢でしたが、この僧衣姿も、童話の内容からするとありうるのです。
さて、私はもうひとつ大それた夢を33、4歳頃に見ています。
多分これは、私の死後、こんなスケジュールをこなすという夢だったようで、その内容は「天帝様にお会いする」ことになる夢なのです。
というのも、まだ行くべき時ではないと、天への上昇を思いとどまって夢が覚めているので、今度こそその続きをやらねばならないかと思っております。
それも夢解釈ができていまして、「最後の審判の督促」のようなことかと思われます。というのも、待機するたくさんの十字架群に先立って、私が天に上がっていく夢だったものですから、彼ら敬虔なクリスチャン(故人)とは同じ趣旨なれど、先行して会わねばならない用向きがあるようなのです。
しかしまあ、私には祖母や母と同行するというスケジュールもありますから、分身の術でも使わねばならないかとも思いますが、つい最近、ハイアーセルフとの関係がわかってきて、どうやら高尚な用向きは、ハイアーセルフにしてもらうことができそうであることがわかり、私のような臆病者は、お役が終わればスタコラサッサさせていただくのが本当かと思います。
さあ、それがいったいいつになるのか。まもなくであることは間違いないでしょうが、猫三匹もおり、妹が不自由の身であることもあり、やれるだけのことはやってあげようと思っているような次第です。

私の顕在意識とハイアーセルフの関係性

こうしたことも、モデル化しておくことで、このけったいな現実によりいっそうの理解が深まるかと思われます。

今回は、ハイアーセルフと私の顕在意識との関係はきっとこんなふうなのではないか、という仮説です。
私の潜在意識とハイアーセルフは繋がっていると思われます。
顕在意識で見聞きしたものはすべて潜在意識が記憶しています。どんなパラパラめくりした書物の文章も、潜在意識が確実に記憶として遺します。(サバン症の人の中にまれに計算能力に飛び抜けた人がいたり、パラパラめくりした本の内容をまるまま暗記して、随意的に取り出す人がいたりします)
と同時にハイアーセルフも同じことを見聞きして、何らかの分析をさらに加えて記憶するのです。
ハイアーセルフはより広範囲なチャネルと情報収集能力で情報分析し、スケジュールを組み、潜在意識を通じて私の顕在意識を動かします。その様はちょうどジョッキーがウマの手綱を操ることに似ています。
私は現場まで連れて行かれ、起こる事象を見聞きし論理分析し、この3次元密度で得られた結果を潜在意識を介してハイアーセルフに返す。そのようなことをしているように思います。

最後の審判や火の鳥による太陽フラッシュの起動などは、神霊次元の摂理だからハイアーセルフの仕事になると言っていいでしょう。
私はハイアーセルフの視座に入り、その工程を見聞きすることもよし、まったくのお任せにするもよしということになります。
それゆえ、それらの摂理の起動は、私の肉体からの霊魂の解放が絶対条件になるわけではないのです。
肉体が健在なままそれらの摂理をこちら側から観測することも可能であると思います。
しかし、肉体はこの世が質ゴマにしていることもあり、感覚や思考の発するノイズがハイアーセルフの行動に支障することがあるため、肉体を手放しておくことが望ましいというわけでしょう。
私が超越した心の境涯にあれば、肉体があってもノイズはほとんどないでしょうが、この世に囚われた心であれば、問題が生じることがあるというわけです。
よって、肉体の催しに縛られずに、ハイアーセルフをサポートできるような体制を取っておくこと、すなわち、肉体の封印を解いておくこと(死)が大事になるというわけです。
ハイアーセルフもそのタイミングで行動を開始する手はずになっていると思います。

ハイアーセルフは誰?

私のハイアーセルフは誰なんだろう。
そんな思いをいつしか持っていました。
しかし、そんなにひけらかすほどのものでもないと思っていました。
私自身がいくじなしで思い切ったことができないということは、いかにハイアーセルフが良かろうと、何の意味もないからです。
しかし、私とハイアーセルフの関係を、ジョッキー(騎手)とウマの関係に喩えたとき、客観的な明瞭さが得られました。
そうだ、こんな喩え方が一番適切だなと、今になって思っています。

2000年7月に知り合った女性は霊能者で、私のことを透視して、あなたのハイアーセルフは梵天様よ、と言いました。
梵天と言えば、この宇宙、いやもっと前からの全宇宙の創造主ではないですか。ええっ!?
この人との付き合いは2年ほどだったのですが、当初から私のハイアーセルフのことを梵様と呼び倣っていたので、私は時折、梵天ジュニアと自らを呼称しましたね。縮めて、ボンジュニとは言います。軽妙でしょ。

そうするとこの女性は、恋人あるいは配偶者たる弁天になるんだがなあと思ったものでした。じっさい、私は46歳頃に家族と淡路島に旅行した時、世界平和観音像の8階だったかに四国八十八か所霊場の境内の砂を敷いて、ミニチュア施設を作り、簡便に参拝気分を味わえるコーナーがあって、その近くに七福神を金箔であしらった銅像があって、お線香など手向けられるんですが、そこで私は弁天様の前に立ちその曲線美に、あなたと結婚したいです、などと思いつくままにとんでもないお祈りをしていたのです。

その一方で、こんな面白く無い人生はこりごりだ、50歳までで終わらせてほしいと、私をこの世に置いたどなたか(普通の人は神様とか思うんでしょうが、私は超宇宙論を30歳頃には考案していて、観測者中心天動説のような概念でしたから、外に神様がいるわけではなく、自分の意識の深いところに自分を含むこの宇宙を起動する全責任者が居ると思っていました)に、特に40歳代にはくどいほど頼みこんでいたのでした。

何たる前後矛盾した思いでいたかが伺い知れるわけですが、私が梵天なら、あなたは弁天ということになるよと彼女に言えば、そうよと軽妙な受け答え。半分冗談のような付き合いをしていたことになるでしょうか。
ところが、さにあらず、じっさい彼女は弁天三姉妹の三女、市寸嶋姫の化身だったらしいことは、もうひとりの大事な彼女が三姉妹の長女、奥津嶋姫の化身であることとの対比でわかってきたのです。

まあしかし、この暗愚で臆病で病気持ちの肉体の私がもろに梵天であるわけはなく、いちばんしっくりいくのが、ジョッキーとウマの関係ですね。このように喩えればいいわけです。ウマは駄馬でもいいんです。
あるいは、「ひと」とは日戸、つまり神霊が出現するための戸口と譬えることもできます。しかし、このときは、人は霊媒あるいは依代ということになり、神霊はそんな戸口を気分によってとっかえひっかえしますから、永久性が保証されなくなってしまいます。
多くの神懸かり的な偉人がおられましたが、そのほとんどが永久性が保てず、落ちてしまいましたわね。そんな偉人を頼って信仰してしまった方も多いわけです。
そうじゃなしに、自分をこの世に置いた方といえば、自分という存在の中にいて宇宙を見ている、自分に固有の神様でしょ。その方こそが、自分の人生の全般にわたって、全責任が負える方なんです。
そのお方をさしおいて、どうして雲の上の神様なんですか。それでは具体性が欠けるというわけか、ついには憑依された偉人を拝んでしまうんですね。

さて、梵天はどんな神にも変身もできるというわけでしょうか。時の経過とともに、神話上の神様らしくなっていきました。

ジョッキーがウマをして、その謎解きのヒントが置かれた現場に赴かせるとしか言いようがないことが、続々起きました。それをシンクロ劇(新国劇ではない)とでも言いましょうか。
その多くは夢見においてです。私は夢の世界をけっこう軽んじていたんです。夢なんて、自分のストレスを何とかしようとして、脳が創る自己満足ビジョンとでも思っていたのです。ところが、夢に見たことが現実に起きることを暗喩的に予告していることがわかって、これは内なるところからの啓示だと思うようになっていったのです。
夢見だけではなく、シナリオ書きすることで、そのような出来事が起きてくることもわかりました。
これはもう、一介のウマのできることではない。ウマに驚くほどのシンクロのウマ味を見せて、ウマを喜ばせて、どうしようもなく謎解きにいそしませる誰かの働きかけを感じないわけにはいかなくなりました。

ウマは3次元的な筋道だてた論理思考と言葉による物書きで、この次元での働きをさせてもらい、誰かはもっと鳥瞰的かつ総合的で、絶妙な物知り情報を送ってきてくれるという、この二本立てで、どこの馬場で演技しているのか知りませんが、人馬共同で何かしらやっているわけです。
それが私の場合は、謎解きだったのです。

つづく