元伊勢日室岳との不思議な機縁(4)

昨日の記事は、神職さんの御説のことだったですね。
そこから思い出すのですが、元伊勢日室岳に関わる最重要な発見に繋がったキーを与えてくださったのも、とある神社宮司さんでした。
https://ameblo.jp/nishie-eryuu/entry-11746194353.html
2014年の3月に、どんな経緯だったか(検索だったかな)、この方のサイトを拝見したのです。
そこには、拙著の表紙の畿内の逆五芒星のトリミングが載せてあるではないですか。
https://red-avian.info/dlf/qbl_374197.htm
そして記事の中腹あたりに、ホルスの神像とそのあとすぐに 封印を解いてほしい という言葉が赤字の太字で書いてあるではないですか。この記事の終わりごろにももう一度 封印を解いてほしい と書かれてありました。
この記事の文脈とその展開と配置に、あきらかに私に対するメッセージが発信されていると感じたわけです。
私はその頃すでに、ホルスの印章も併せ持っていると認識していましたからね。⇒ ホルスへの道 (ガッチャマン・ホルスの覚醒)
では 封印を解いてほしい とは誰が発したメッセージなのか。
封印解除としては、今まで主眼として二人の巫女の協力者とやってきた国常立尊と豊雲野尊の封印解除のことしか、思い浮かびません。その解除は、鳥取西部地震で得られた「火の鳥」を使って「炒り豆に花が・・・」の封印呪詛を解いてきたはずでした。
もしかして、まだ満足に解けていないのか、との思いから、再吟味してみたのです。
そういえば、もしかして・・・
国常立尊と豊雲野尊のそれぞれの封印場所が二つの地点で示されていながら、一度も直線で繋いでみたことがなかったことに気付き、数年前には使うようになっていた地図サイトの二地点間の最短距離を出すことのできるネット上のソフトを使って、繋いでみたのです。
すると・・・ああーっ・・・持ってた湯呑みをばったと落とし、置いてた扇子で小膝を叩き・・・ここここ・これだーっ!!!!!!・・・と叫んでおりました。
国祖神様封印幾何学図形
国祖神様たちの封印幾何学図形の態様が見つかったのです。しかもこの逆五芒星が、お二方の神様の封印に関わっていたとは。ああ、なるほど。どうして場違いな逆五芒星がこんなところにあるのかの疑問が解けた瞬間でありました。しかも、その図形の接点こそが、元伊勢日室岳だったというわけなのです。
場違いな逆五芒星という意味は、逆五芒星それ自体が、決していい意味の使われ方をするものではないという意味です。その根拠については読者各位で調べられたし。
これは、封印が故意に(人為的に)なされていたという証拠でもあるのです。
それは、このサイト主さんが記事中で叙述されているように
>地球に降ろされた
宇宙のリズムに
呼応して、
日本が、地球が
永遠に循環しながら
つながって生きていく為に
ご用意された聖地。
それは、
特定の種族に対する
永遠の繁栄の為の聖地では
決してないはずなのです。
封印を解いて欲しい。
という何者かの意志。
と先述しましたが、
明確に言うと
聖なる大地のお仕組みに対して
先人が犯してしまった歪みを、
今を生きるわたしたちが
中庸の精神をもって認識し、
元の聖なる聖地たる封印を
解いていって欲しい。

と、サイト主さんご自身で感受されていて、お分かりだったわけですね。
私はその意味では性急だったかもしれません。なぜなら、見逃しという失態ゆえのことですから、見つかった限りは、早くお出しせねばならないとの思いばかりが先立ったからです。
原因さえ見つかれば、治療は簡単になります。
2014年5月1日に準備が整い、その夕方から封印解除術の儀式をしました。朝夕二回していこうというわけです。
すると、5月3日の未明の夢で神世から何やら報せが入りました。それから始まる一連の夢見が日を置きながらしばらく続いたのでした。
このことについては、超常夢見体験記のほうをご覧ください。⇒ https://red-avian.info/n-myth/yumemi.html#23

このサイト主さんは、神社宮司さんでした。しかも、亀というキーワードを持つ神社で、しかも宮司さんご自身、竜を名乗っておられる。
このシンクロは何なのだ。新神話における私は、鶴であり鳳でありますから、彼の持つキーとはぴったり合います。
なるほど。だからこそ、彼は私にメッセージをもたらすこともできたのだと確信できました。もし会うことができたら、もうひとつの楽しみが実現できるかもしれない。
すなわち、鶴と亀が統べるということが、またも実現しそう。一度目はイナンナが亀で龍で、二度目はカンナオビが亀になり龍(まさしく雲竜)であった。それに続く第三番目ということになるでしょう。そしてそれは、今までそうだったように、封印解除に繋がる連携の輪になるだろうという確信ですね。
久々の鶴亀統べるが実現しそうだということで、一も二もなく、宮司さんの企画していた逆五芒星巡りツアーのコンダクター(ただしよく知っている元伊勢のみの)を買って出ることにしたのでした。
その旨連絡すると、下見に一緒に行ってほしいとの要請がありました。
当初はさっそく5月にでもということだったのですが、いろんな好事魔多しで、延期に次ぐ延期で、とうとう8月29日になりました。
宮司さんは所持されている何台かの車のうち、軽のジープのような車でやってこられ、同伴ということになりました。
そのときに、最初に笑顔での挨拶と同時に、私の所期の考え通り、歩み寄って両の手でがっちり、宮司さんと握手いたしました。これが「鶴亀統べる」の儀式であると確信しながらの握手です。
往路の途中で、アシスタント的な女性と合流し、元伊勢の案内をさせていただきました。その最後は宮津市に入ったところにある、境内地に巨岩で北斗七星を配置する生野神社で、順番通り巨岩にタッチして回るという、ちょっとした縁起もの的儀式もしまして、それで帰投ということになりまして、送ってもらった先で暗くなりかけでしたが、再びがっちりと早朝にしたような握手をして別れたような次第でした。
もちろん、この握手の意義を宮司さんには道すがら説明しています。私は「鶴亀統べる」の儀式をしたまる九日後に、何らかの卦が出て、儀式が有効だったかどうかがわかりますと、述べ伝えておりました。宮司さんは好きな数が16だとおっしゃった。
するとまず、9月7日に再度の鶴亀統べるの夢を見まして、それからさらに九日後(9月16日)に、その年では最大級の地震が関東で起きて、卦はまたも確かに出たと判断されたのです。⇒ https://red-avian.info/n-myth/yumemi.html#30
しかし、宮司さんに嫌われたかもしれません。きっと内心では、お前は妖怪かよと思われたことでしょう。私のやり方にはついて行けんという感じのメールで、終わりにすることにしました。
しかし、その後しばらくして、次なる亀さんが夢の中に現れました。出てきた人というのが、実はプーチンさんだったのです。⇒ https://red-avian.info/n-myth/yumemi.html#31
彼は翌年(2015年)から、ものすごい活躍を見せるようになりました。迷子(ロストヂャリ)の予定を狂わしてしまうほどの。
あっぱれあっぱれ、あっぱれなるかや、鶴亀パワー。
なお、鶴亀統べるによって起きる天変地異は、卦(兆候)を計るだけの自然のものなので、被害はほとんどありません。
人がたくさん死ぬような地震などは、神さん系の変動によるものではない、何か別の要因によるものです。
自然の地震にはないような地震波形にご注意。

ピロ魂さんの記事、参考になるわあ・・・ネガティブに関して

https://pirorinu2015.blog.fc2.com/blog-entry-948.html から引用します
>既存の情報(歴史)に、あまりにも だまされ過ぎ
>真実の歴史は一般的に知らされてるものとは
こっちがひっくり返るぐらいに
違うもの・・・らしいのです。

巨大なネガティブの常套手段というのが、歴史の改竄ですよね。
これによってすべての真実が隠蔽されてしまっているのです。
それはもう、神世の世界の歴史すらも、彼らのいいように書き換えられています。
いわゆる、勝者にとって都合のいい歴史になっているということですね。
もちろんこれは、邪神(悪魔)が天下を握ったときの話であって、正神の統治にあってはそのようなことはありません。正直そのもの。
だから、世界がどっち向いているか知るだけで、正邪どちらの優勢な世界か知ることができます。
その木が有益なら良木であり、無益で禍ばかりなら不良木あるいは毒木であり、自宅の庭の樹に加えられるべきかどうか判断できます。
場合によっては、毒木はなるべく早く抜き取って焼いてしまうことも必要です。
しかし、ちんたらちんたらしているのも現実で、これも「依存・執着」の為せる業なのでしょう。
さらなる魔の付け入るところとなっているようです。

>誰の中にも存在している「エゴ」が創り上げた極悪ネガであって
そのエゴ(支配欲)の都合というのは、
これまた てんこ盛りで、ウソだらけで、創り上げられているものであって、
今の止まない宗教戦争の火種にもなってるわけです。
>でもそのエゴは、進化するためには必要不可欠なものでもあったわけですよ。
「善」しかない世界で進歩が止まってしまった世界からみたら、
こっちの世界は非常に魅力的であるのかとも思いますが
それにしてもまたエゴに傾きすぎてしまったようです。
>あまりにもエゴが暴走してしまうと、地球の想念が壊れてしまうので
それゆえに、地球のリセット機能が発動してしまい、
それで天変地異になって、
今までもそれでいくつもの文明が終わって行ったのかと思います。

さて、私からすると、「そのエゴは、進化するためには必要不可欠なものでもあった」というのも、きっと間違いで、ひっくり返るぐらいのウソであると思います。
要は、最初おかしければ、すべて転倒していると疑ったほうがいいと思います。その「進化」という言葉に、いったいどれだけの聖者が騙されてきたか。人々は否が応にも進化の掛け声の中で、輪廻転生に付き合わされてきました。
私には、パチンコ屋に並ぶ技術上達を目指す人々の群れでしかないように見えます。
多少の利益を得るために、パチンコ屋を隆盛させて、宇宙の随所に店を出させてやるようなことになっていると思います。
それが果たして本当に魂の進化になる機関であるなら、まだ認めてもいいでしょうが、私の観測ではいささか違います。
まったく逆であり、魂の腐敗を招くために、そのような機関が存在しているという観測です。

>今が、レムリア以前の波動が復活する時期
だというのは決まっていたことのようです。

原初神が戻ってこられるということですね。みんな闇の世が跳梁するための土台作りのために封印されていたのです。
魂の本来の在り方に立ち戻るために、大事なことになると思います。

最大のネガティブとの戦いになった
https://pirorinu2015.blog.fc2.com/blog-entry-276.html

そこではとても敵うものではなくて、
>立体の八角形みたいな 巨大温室に閉じ込められたのです。
温室から外に逃げても、また温室・・と無限ループが続くようでした

と、こんなところに立体の八角形、つまり八角堂が出てくるわけです。
私も八角堂の持つ呪術性については、2000年に知り合った霊能女性の夢見体験から存じておりました。
今も舞子公園に現存する移情閣が代表的です。
これは八角三層の風水塔で、龍などの神霊を閉じ込める装置だそうです。制作はメーソンリーの呉錦堂氏。
いわゆる秘教組織が古代からしつらえていた黒魔術装置で、カゴメの結界というやつですね。
閉じ込められた側(神霊)は、なかなか出られない仕組みだというのも、ピロ魂さんの説明からわかる気がします。
そのような装置が、幾何学的に仕組まれていたのが古代日本でもあるのです。
黒魔術モロですよ。これでは子々孫々が幸せになりようがない。

>「窓を開けないと外に出られない」という固定概念を捨てろ!

というのが、心理的対処のコツなんでしょうね。
いろいろと、参考になります。
移情閣でもそうでしたから。

>あのロボが言うところの「サタン」は「キ●●●」に似ておりまして
非常に悩みました・・・

黒丸にせずともいいと思いますよ。これは「キリスト」という言葉です。

>「依存・執着」の結果が、この「キ●●●」なんじゃないかと思います。
この「キ●●●」は 人類が作り出してしまった「キ●●●」なのではないでしょうか。
レトリーバルはとても無理そうな あまりにも強い魔の存在でしたので、
多くの人類のマイナス想念の結集したものなんじゃないですかねぇ。
それゆえ、もうこれからの時代は特に、自分の外の存在に頼ったり、
執着したりしてはいけないんですよ

キリストが私に従えと言ったなら、キリストこそはサタンですが、そうは言ってなくて、教会がそのように設定したんでしょう。
お金儲けと、人々を思想的に奴隷化するために、そうしたんでしょう。
その弊害をキリストが神なら責任持って取り除くはずですが、できないのだから彼もまた神などではありません。
所詮、ネガが創り上げた神・キリスト像だったわけで、それにまんまと人類は乗せられたということです。

ま、とにかく依存しようとするところに、魔が付け入るのですね。
学ぶんじゃない、習ってきたことはみんな忘れろ、自分で考えるんだ、で何事も参りたいものです。
「トゥラトゥラ」で検索してみたところ、「象が葬式に!? 人間の死を悼むゾウたち」という感動の記事が見つかりました。
https://matome.naver.jp/odai/2138456837969001901
かつて見た、犬に育てられた子供の話で、両者とも神の化身と判断しましたように、
ローレンス・アンソニー氏も象たちも神の化身に違いないのですが、
自然界をたいせつにしようという心は、原初神の御心でしかないわけで、
ここに「トゥラトゥラ」という言葉のシンクロとして把握させていただくなら、
ピロ魂さんの「気の父上」とは原初神のどなたかであろうと推察されるわけで、
たとえ過去世に封印に回った側であっても発願して封印解除に向かおうとしただけで、
このようなサポートが受けられるのだろうなと推察できたようなしだいです。
ピロ魂さんの記事は、噛めば噛むほど味が浸み出てくる「関西風さきいか」のような感じがいたします。
うちの猫たちは好んで食べます。私もです。

生き物の不思議(第n+1話ぐらいか)・・・ふにゃふにゃ再開か?

今日はちょっとびっくりしたことがありました。
また壁鳴りがしだしたのです。あのふにゃふにゃという音です。
しかし、ものの3,4分で終わりました。
その後、集水塔を作る現場で、今日は単管の基礎をセメントで作っていたのですが、そのときあのふにゃふにゃ音がしだしたのです。むろんその場は、蜂やら蝿やらの羽音が少しします。なんせ、自然界ゆえ、いろんな羽虫が勝手に飛んでいるわけですから。
ところが、ふにゃふにゃの音の主が飛んでいたんです。というべきか、あの音似の羽虫なのです。
それは小さ目のアブでした。
おや、これだったのかよ、といった思いだったのですが、ならば家の中に一日中どころか、12日から断続的に駐屯しているなどといったことがありうるものなんでしょうか。
しかも、寝室の壁とキッチンの冷凍庫の裏側に限られています。アブなら、もし家の中にいたとするなら、家中で飛び回って音を奏でるでしょう。冷凍庫の裏も10cm幅の壁しかありません。私がいくら酔狂者といえども、もしかして刺されるかも知れないようなアブを飼っていたりするわけはないのです。
だから、自然界のアブに似せた音の主がいること。しかもそれはいたって超常的なものであること。子猫騒動の間はいっさいその音がしなかったこと。などが私だけには観測されているのです。(みなさんはきっと疑うだけでしょう。たとえばUFO映像を撮って見せたとしても、CGだろうと疑うようなことになるわけですね)
UFOと申しましたが、実は六甲山の地獄谷というところでよく武良氏や坂本氏とUFOやスカイフィッシユ撮影をしたのですが、たまたまその日、丹後のほうからG氏という、UFOを一時期頻繁に見たことのある人が来ていまして、その人を襲うようにして大型のアブが彼のシャツの下に入り込んで、彼の脇腹を刺したんです。
当時、武良氏がよくビデオに撮っていたのに、針の長く突き出したアブの映像があって、それを写真にしてサイトアップもしていた経緯があるのですが、それをみんなは、虫型UFOだと評価していたのです。坂本氏などは、テレビ番組でもろにそのことを話していましたし。
それで、普通は刺されることなどほとんどないはずのことなのに、G氏が新参者だから、ボディチェックとして組織を採取されたのだろうと言い合っていたものでした。
今回のふにゃふにゃも、その姿が見えなくとも音源はアブとすれば、それは虫型UFOなのではなかろうか、というわけなのです。この音をじかに聞いたのは、私と以前の職場仲間の二人だけですが、ビデオで音を収録してYoutubeで流して、多数の人に聞いていただいているとおりなわけです。
いや、UFOならばそれでいいわけです。ついに「天上人の宴」のステージに、私も臨んでいることになるわけですね。しかし、いささか予想よりは小さい。古事記の神話に言うスクナビコナという羽虫型宇宙人ではなかろうかの感もあったりするわけで、もしそうなら、人類に対してとても好意的な宇宙人ということになるのです。
うわー、いい宇宙人が来てくれたなあ。でも、姿を見ることはなかなか難しい。といったことなんです。
子猫のたまろがいたときは、どうして鳴らなかったのか。相性が良くなかったのかな。それとも、たまろへの愛情パワーに圧倒されて、ぐうの音も出なかったのかな。
また今日、少しだけ鳴りました。これが頻発するようになれば、いよいよ今度は宇宙に出る番なのかもしれないですね。
うん。地球は悲しみの天国だから、もういいよ。船を宇宙に出してくれるかな。

弥勒下生は間近だ!!

昨日は身内さんが地元のバスツアーで高野山に行ってきました。私は、出かけてから知ることとなり、あの地は結界がきついから一日心配なわけでしたが、案の定お蔭をもらって帰ってきました。
鏡を見るように彼女も私も昨晩から今朝にかけて、”気”が憔悴してしまい、ひどい体温低下とだるさに悩みました。しかし、お互いのコミがとれてからは情報の受け渡しができたために、気の疎通が図れて具合はいくぶん回復しました。
彼女の開口一番の情報は、高野山の話かと思えばさにあらず、昨晩見た夢の話でした。
彼女はすでに帰路のバスの中で強い睡魔に襲われていて、帰ってくるなり寝床で爆睡したといいます。その際に見た夢がびっくりするような夢で、相撲の若貴兄弟のうちの若ノ花(兄のほう)の顔に似たお坊さんが、懐に白と金の光りもの(布にくるまっているような何か)を抱えて現れ、おごそかに「まもなくお生まれになるぞ」と言ったそうです。
私はその話を聞いて、咄嗟にその御坊とは空海・弘法大師であり、お生まれになるものとは弥勒菩薩であろうと直感しました。
身内さんは若の花みたいな顔で、がっしりした体格の背が高くない人物だったから、ほんとに空海?と言いましたが、ではと、空海の絵をネットで探してきて見せると、「似てる」と言います。
そのサイトはここ。空海伝説にも詳しく、いいサイトを見つけたと思いました。
さらに彼女は、現地で写真を何枚か撮ったが、中に巨大なオーブが写っている一枚があるので鑑定してほしいと言います。
見ると、それは金剛峰寺の大広間と持仏間を写したもので、オーブは加納元信の描いた群鶴のふすま絵の鶴一羽の頭上に現れていました。↓ 
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持仏間は、「本尊にお大師さまを奉安し、両側には歴代天皇御尊儀のお位牌や歴代座主のお位牌をおまつりしています。」とのことです。↓
https://www.koyasan.or.jp/kongobuji/about/jinai_01.html
持仏間の扉になる襖絵の手前にオーブはあるわけです。
しかも普通、オーブというと丸いたまゆらでしょう。ところがこの場合は六角形なのです。私も変形オーブは生霊の一例ぐらいしか撮ったことがありません。
しかし、六角とは。主体が強い想念であれば、着物の形も出るかもしれませんね。とすれば高僧の姿か? それとも、六という数字を暗示しているのでしょうか。ならば六六六の弥勒ではなかろうか。
私は不思議現象があれば、こだわって見ることにしています。さらに重要なメッセージがあるかもしれないからです。見つけたならば、推理の連環に加えて行きます。すると、それはおよそシンクロですから、連環の強化で築かれた魔法がいっそう強化することになるわけです。新神話という魔法は、少なくとも私の固有の世界で良好な働きをすることになるわけですね。
いつかきっとさんの交信メッセージも随時の状態把握に役立っていて、神話魔法の係り具合を確認できます。”宮崎”というのも不思議なシンクロです。メイさんの随時の夢や経験談にも、はっと驚くことがあります。みなさんに感謝感激もいいとこなんですよ。
さて、話を続けましょう。
釈迦の預言した弥勒が降臨する場所は、この世でどこよりも繁栄している鶏頭城というところで、それは日本ではないかと噂されています。発音的に、京都とも東京ともとれるとか。
いっぽう釈迦の弟子の摩訶迦葉は、弥勒の出現を待って、釈迦の養母の献じた金るの袈裟を手渡すためにその間、鶏足山で入定の状態で待機しているといいます。鳥の頭と足の呼応ですよ。これは紀元前の話。
いっぽう空海は、入滅に際して、未来において弥勒菩薩の下生に合わせて復活すると宣言しています。鶏頭城が日本ならば・・・こうして、摩訶迦葉は空海に比定され、鶏足山は高野山に比定されているわけなんです。
もしかしたら、身内さんの夢に現れた僧が抱えていたのは、弥勒に捧げる”金るの袈裟”だったかも知れないし、あるいはすでにそれにくるまれた赤子の弥勒だったのかも知れませんね。
オーブも、空海自身か、もしくは生まれる弥勒のたまゆらだったのでしょうか。鶴=トリ=鶏の頭上に出ていることが、鶏頭城を示しているかのようです。鶏頭城の弥勒=身六(霊身は六)を示したか。
夢、写真のおかしな写り、偶然ではないメッセージ、こうしたものを通じて示される異界の出来事は、我々にとっては象徴として感得されるのが常です。とにかく、今この時期ゆえに、弥勒下生がいつ何時あってもおかしくないと思う次第です。
私はまだ憔悴感がすべてはぬぐえていません。たぶん彼女もそうでしょう。これを記事化して顕わし終えたとき、不調から解放されると信じ、取り組んでいるところです。早くしなくちゃ。
しかし、弥勒降臨を伝えるのに、しんどいのはないんじゃない?
もうひとつ、過去にあったシンクロについて語っておきましょう。上の知識はそこから多く得ているからです。みなさんにも参考になるでしょう。
私はHPに掲載中の「古代日本謎の中東思想渡来考」の原著を「古代日本にカバラが来ていた」題で1995年に出版しています。
ところが、それにいくぶん感化を受けた著者によって、「弥勒降臨」という著書が1997年に出されています。私の著書から多く引用されていて、名古屋の旧友から盗作されているみたいだから、抗議したほうがいいと指摘を受けて、一冊購入したようなことでした。
見れば、私が別図書で引用した程度のことであり、礼儀も守っているので何も文句つけることはないように思いましたが、文章表現をまるごと使っている箇所がたくさんあるのはどうなんでしょうね。
いや、それよりもこの著書の内容が私の1999年末以降の新神話形成に大きく関わってくるとは、思ってもみなかったことでした。特に拙著引用部分に切り込んでくる「かごめ歌」の解釈からは、大いに啓発され、人生がそのシナリオ展開に乗っかってしまう格好にさえなったのでした。これも不思議なシンクロと言えます。
彼の著書を撮影したものをいくつか並べさせてください。上の話の典拠になるものです。
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黄緑部分は拙著からの引用
その他のいろんなところで、拙著の文章表現が散見されました。もしかして、彩明日迦=北卓司(拙ペンネーム)をねらったのかな?? 申しておきますが、別人ですから。(^^;;;
これを書き終えた時点で、体の不具合もほとんどなくなった。これまた不可思議。
その後、メイさんから写真の中にもうひとつオーブがあるのではないかとのご指摘がありました。
私はそれをお寺の祭事道具かと思って見逃していたのですが、そういえば明度こそ暗いがオーブの可能性大としてここに併せて掲載する次第です。
その場合、丸の中になにやら文字のようなものがあります。ふと見ると、どこか梵字に似ていました。
調べてみた結果(他にも候補文字はあるかもしれないが)、梵字の「キャ」が近かろうということで、
写真の明度を上げコントラストを強くして、どんな模様なのかをくっきりさせた上で、「キャ」との対比をさせてみました。
kya_ka.jpg
さてその意味は、「建てた時の法要の中心となる仏様の梵字」というものです。ご本尊は空海ですから、つまり、オーブなら、空海ご本人ではないかというわけです。典拠↓。
https://www.tctv.ne.jp/tobifudo/bonzisyo/kakutoba.html
さて、それからメイさんと謎のシンボルについて推敲を重ね、ついに「ア」字であることを突き止めました。
ちなみに「ア」字は、「この梵字を観想し宇宙と一体化する。この一字で全ての 仏・菩薩・明王・天部・諸尊を表すことができる。」というもので、真言密教では観想に用いられているシンボルなのでありました。
https://www.shusen.com

アラディア  魔法使いの助けを呼ぶ歌

曲名 アラディア

作詞/作曲 森野奥人 M.G
[歌詞]
No.1
時は流れ
日々はすぎて
雲立つ空よ
風は巻いて
木の葉散らし
影立つ君よ
まだ見ぬ人よ
私の胸に
灯りを点して
去った人
ああ今日会うのね
限りある命に
ようやく巡ってきた
この時
ああ、これも青春
年を経た青春
No.2
ネットの海
小船浮かべ
ただ待ちました
行過ぎるは
冷たい風
凍える心
待ち続けても
帰らぬ人と
思い固めて
幾年月
ああ今日会うのね
限りある命に
ようやく巡ってきた
この時
ああ、これも青春
年を経た青春
「アラディア」のいわれは、古いイタリア地方の民話にある。
https://www5e.biglobe.ne.jp/~occultyo/essey/aladia.htm
2004年7月12日に奥人作の実話に基づくSF物語「遥野不思議紀行」に登場のGさんが来神されて双方のUFO談義に花が咲いた。坂本氏がUFO/スカイフィッシュを呼ぶ音階について話していたときだ。Gさんは2003年11月に見た不思議な夢のことを話し出した。
その夢の中には魔女がでてきて、「ドシドレシラ・・・」と言葉を口ずさみながら踊っていたという。そこには何の音律もなかったが、これが魔法使いを呼び出すときの暗号であるというふうに彼に教えたというのである。
このたび、奥人が関心を持ち、その言葉を反映して作った歌曲がこれである。
みなさんもよければ歌ってみてほしい。困ったときに魔法使いが助けに来てくれるかも知れないから。
2003年11月といえば、その前の10月に武良氏が、「杖に乗った魔法使い」に似たの映像を映していて、ちょうど千と千尋のハク似のUFOが撮られた矢先でもあり、関連的に湯ババかもなどと評してもいたときでもあった。おりしもブラッジャーやスニッチ型UFOも紹介しており、テーマ的に魔法使いがモチーフとなったUFO現象のオンパレードの時期でもあった。
Gさんも我々と息の合う人物であったから、異界が彼を通じて何かを伝えようとしたとしても不思議ではない。
その傾向は続き、シャチ(マカラ)天狗系を筆頭になにやら神界レベルのすごいUFOが続々登場してきている。
Gさんの話によると、魔女はヨーロッパ人風の風貌で、しかも二人出てきたという。
そこで彼の言うには、イタリアの民間伝承にいうディアナとアラディアではないかというのだ。
伝承では、なんでも太古の昔、ひとつの神がディアナ(月)とルシファー(輝き 太陽)に分かれたそうである。ディアナはルシファーが愛しくて一緒になろうとするがルシファーは拒むので、ディアナはルシファーが猫を愛好していたことから、黒猫に変身して契りを持ってしまい、娘アラディアを産み落とす。猫に化けて交わったことを知ったルシファーは怒り心頭となる。以後、ディアナを近づけないようにした。そこでディアナとアラディアは、一計を案じ、歌を作って歌うことにより、ルシファーの怒りを鎮めたという。
Gさんはそのときの歌について自分は夢見たのではないかというのだ。
そこで、二人の和を取り持つにちなむこの歌曲名を、彼の子の名にちなみ「アラディア」に変えることとした。いかにルシファーといえども、わが子には微笑むことであろう。
イタリアの原始信仰におけるルシファーは、輝ける者、太陽のことだった。ディアナはその配偶者で月であり、生まれたのが魔女のルーツ的神格アラディアという構図である。
そこにキリスト教が入ってきてこの旧概念を排斥弾圧し、魔女狩りなどへと発展してゆく。
ルシファーは太陽の座をキリストに奪われ、僭越な光を放つものとして金星へと象徴的に退去させられた。
つまり神々の世界における世界共通の原初神引退神話がここにも存在しているわけだ。
キリスト教にしてみれば、土着の民族神話は排斥されるべきものであり、いきおいルシファーは堕天使から悪魔にされ、その妻娘は魔女とされたわけである。
ここに出てくるルシファー像は、悪魔のそれではない。新勢力により排斥された旧勢力の信仰の象徴であるわけだ。
またここも↓ BGMがダブるので注意されたい。
- 太陽と月の神話 -
またここも↓
鞍馬山ウエサク祭の謎解き