思えば遠くに来たものだ

朝方に、ピーマン鉢の現状写真をアップしましたが、実はそのすぐ下の床に、5粒のネズミのものらしい糞が一列に並んで落ちておりました。
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クローズアップ
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以前から天井裏が夜中になると賑やかになりまして、ネズミさんが勤務先から帰ってこられた様子が伺えておりました。そのネズミさんは、当初、天井の薄い板をかじり、ただでさえも穴があきそうなのに、これでは大変と、何度もどやしつけて、ガリガリやらないようにしつけたのであります。
その甲斐あって、ネズミは自分だけで住み着いていないことに思い至ったと見え、なるべく音を立てないように走り回るようになりました。
しかし、よくよく考えてみれば、父も母もネズミ年で、私の寝室のベッドの横には父母とハツカネズミの額がかかっているわけで、もしかするとこの家に化身して住み着いているのではないかという、想像力豊かな思いに囚われて、ふと沈思黙考したりもするのです。
そんなとき、ピーマン鉢の前に、このような人工的な配列の糞が置かれていたりすると、ほら、つい先達てのこの夢の記事のこととあいまって、母がピーマン苗の面倒を見にきたのではないかという思いにふけってしまうのであります。
糞が置かれていたのは、この前の日もそうで、このときは10粒ほどが同じピーマン鉢の前に、かためて置かれていました。それを、これは何じゃと、箒で掃き飛ばしていたようなことでした。が、今日はそんなわけには参りません。ここの場所のピーマンはいちばん花をつけて、実のなりがいいのです。
たまたま偶然、箱の中から出てきた島田陽七さんの本と、粘りつくテープでもすっぱり切れる母の所有していた優れもののハサミを糞の隣に置いて、記念撮影となりました。
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先週の土曜日は日中、元の住所のほうに行っていて、真っ暗になってから帰ってきたりですが、そのとき私の寝室の扉をあけて電気をつけてみれば、横の壁に大きなゲジがじっととまっているではありませんか。またも女子のような雄叫びを上げたことは言うまでもありません。
ムカデがあれ以来一度も現れていないにもかかわらず、こんな面積のでかい奴が侵入していたことに、絶望感ににた恐怖を感じ、急いでスプレーを探し出して戻れば、元のままでじっとしていました。
シュー。
痛さのあまり逃げ出し、また踵を返して戻ってきたときにもう一撃。
奴は、狂おしく身もだえして絶命いたしました。
かつてのムカデといい、このたびのゲジといい、あるいはネズミといい、もっと前のゴキブリといい、もしかすると私の前に現れる害虫、害獣というものはおしなべて私の親しい縁者ではなかろうか。
それを汚い者、害する者と決め付けるようにして、無残にも殺してしまう。それは力になってくれた縁者に対して、恩を仇で返すことに他ならぬのではないか。それとも、こうやって引導を渡せているのだろうか。
胸中複雑な思いに駆られるのであります。
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本日、旅行帰りの身内さんと電話で話ししました。その中で、正邪ともにバランスよく存在することで、自然界はうまく成り立っているのではないかといった話を身内さんはされました。弱肉強食の世界は、一見すると不公平や邪悪さが存在しているようですが、絶妙のバランスが保たれて生態系を存続させていると。
しかし、現在の自然界は、邪悪さの度合いが異なっていて、元のバランスを保つことのできないほどに破壊傾向が強く出ているということも実感されたとのことです。それは自然界に潜む邪悪とは別の邪悪によるものなのかどうか。私には、その辺があいまいになっているように感じたので、ひとつの解釈をしたく思います。
私は、自然界の弱肉強食の法則すらも邪悪ではなかろうかと思うのです。
その意味では、邪悪が皆無になっても、自然界は存続し進化し発展するだろうと。
トラブルや闘争や刺激や死、それに伴う痛みがなければ、進化はないとするのも、生命を侮った見方のように思います。
自然界すらも、理想から遠く離れてしまっていたのではないか。
そこに人間が現れ、追い討ちをかけるように自然破壊の要素を持ち込み、さらに遠くに引き離してしまったのではなかろうか。
私は、条件付けされた情報によって、ムカデやらゲジやらネズミやらゴキブリやらを、見つけただけで毛嫌いし、殺傷しようとします。が、もしも彼らと思いの中で和解しあって、いずれの世かで互いに握手までできるようになるなら。と思うことしきりです。しかし、見てしまうと、条件反射的に殺さねばと衝動的行動を起こしてしまう。架空の痒みを催しながら、こんな奴らに部屋の中に居座られたらたまらんと思ってしまうのです。
それだけ、世界には恐怖が支配的に推移したということなのかと思います。人間不信、自然界への不信、神への不信。その反動である過度の祭り上げや隷属。こうした思いの偏向は凝り固まって、どこかおかしいと思えるほどの行動に人を駆り立てているように思います。
手塚治虫の漫画に、ジャングル大帝というのがありました。百獣の王ライオンの主人公レオが、やがてジャングル内の弱肉強食の紛争にまで解決の道をつけ、獰猛な猛獣から、弱小な生き物までが互いに仲良く暮らしていける世の中にするというものでした。彼の名前の治虫には、せめて虫の世界だけでも丸く治めたいという意味がこめられていたのではないかと思います。彼の理想からすると、弱肉強食に潜在する邪悪すらも必要ないということではなかったか。
私にも禽獣の心あり。禽獣の幸せを希求する者でありたく思います。

近況報告

まずはハルンの池だよりです。
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毎朝、5時くらいから斥候がやってきて、池の溜まり具合を観察しています。
そして味見をしてから、仲間のもとに。
昨日などは、もうもろに暖かいのを引っ掛けてやりましても、温水シャワーとでも思ってるんでしょうか、その場で打たれていたりしています。かなりお馴染みさんになったようです。
次は物見台のピーマンの様子です。
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ハチがこないので、自分で受粉作業した甲斐があってか、実をつけ始めています。
こちらはトマトの様子です。
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マルハナバチあたりが来ないと受粉できないというのですが、右側のはすでに実をつけていました。
左側のを自分で受粉させようと、道具を探したものの見つからず、とうとう電動ジクソーで花を大振動させました。うまくいくかどうかは不明です。
物見台の下は倉庫として作りました。入り口の通路のアバウトな出来具合はいかがでしょう。橋として中空にかかっております。
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ミヤネヤも気にしていた超常現象

10日、ミヤネヤのミヤネセイジさんの心を悩ましたのは、石川県の空から降ったオタマジャクシや魚のことだったようです。
彼が読テレ側見解として示したのが、UFOによる収集説ともうひとつ、生き物の向上心的努力によるもの?といったことでした。そこまで言うか?というのが、正直、最近のマスコミへの思いだったのですが、明日ぐらいに東スポが見解を出すのではといった話や、日テレ側見解を、明日11日に丸岡アナに要請しているといった気の入れようには、何か時代が変わりつつあるのかも知れないといった印象を受けました。
話に東スポが出てくるとは、以前からここはUFOだけでなく、空飛ぶシャチや空飛ぶ蛇などの生き物の異動について写真入りで取り上げていたからで、その頃からミヤネ氏の心を捉えていたようなんですね。(すでにここのブログでも、坂本さんや武良さん提供の写真を先んじて取り上げています)
私はUFO説ではないもうひとつのミヤネ氏の観測について興味しています。
生き物が彼らの意志で飛ぶようになったと。
何かの衝動に衝き動かされるようにして、そのようになったと。
オタマジャクシも魚も、同系列の遺伝子並びをしているとか、そういったことではなくとも、複数の個体にその心が伝播して引き起こされたと。
その誘発原因は、たぶんこれではないか。
     「衝突する宇宙」
異次元同士は認識の疎通がなかったものが、相互作用するまでに接近し、衝突しているのではないか。
それぞれの宇宙を形作るプログラムが錯綜して交差してきていると。
すると観測者は、どちらの宇宙をも同時観測するようになり、場合によってはその内容物が宇宙間で遷移してしまうようにもなる。
生き物は、直感的にそれを察知して、生存域の拡大本能から、遷移のアクションを起こしているのかも。
ミツバチの群崩壊もこのようにして起きていると。
ただし、遷移が生存域の拡大になっているかどうかは、時空構造の問題に帰結するだろうと思います。つまり、選択肢がしだいに乏しくなって追い詰められているのかも。
つまり、もしかすると、そこまで近接しだしたのは、時空が先に行くほど閉じられていて、最終的にはビッグバンの反対であるビッグクランチ、一点収束あるいは多点収束(崩壊)が起ころうとしているのではなかろうか。
その少し手前の局面では、かつて分離したあらゆる次元時空が一堂に会し、観測者の目には、すべてのありさまが見渡せるようになると予想される。
すなわち、異界も海も空も陸も、みんな渾然となって具体化しだすということ。
生者も死者もない、海も空も区別のない世界が広がると。
まるでアセンション後の世界のようではありませんか。
ただし、その時間はそう長くなくて、閉じられていくプログラムの終焉と共に、観測という行為ができなくなる、観測できる時空自体が終結するだろうということです。
少なくとも、現在の先にある時空プログラムは、そうたくさんあるわけではないということ。
観測対象となる新しいプログラムが提供されなければ、次のステップはないかもしれないということです。
期待すべきは、マトリックス主催者のサービス。しかし、あなたはさらにそれを受けようと思いますか?
それとも、もうやめにしますか?
早いうちに心にきめとかないと、いざのときに迷いますよ。

夢の実現

造作中の物見台ですが、6/7の晴れた空の下、養生シートを張りました。(お蔭様で顔は真っ黒けです)
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そこにシルバーグレーのUVシートをかけ、ベランダの下の作業場で植えていたトマト、ピーマン、ししとうを持って上がりました。
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すると、20年以上前に見た夢の人物の、四角い建物の屋上で植え込み作業していた環境に近似してきました。建物の色はちょうどグレーで、四角い建物の角や稜が丸みを持っていたことまで近似しています。あのベレー帽を被った私似の人物とは、私だったということになりましょうか。ベレー帽を買ってこなくてはなりません。
さらにそればかりか、今年の初頭に見た母の出てきた夢の環境も、ほぼ次の写真のようだったと記憶しております。(なんと、当時の記事では「網戸の網一枚を隔てた程度の」などと、この家がまだ見つかっていない頃なのに、網の張ってあることまで言い当てていたんですなあ。写真には防虫網越しの景色が写っておるのです)
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夢の中の母は、外が暗い中、ちょうどトマトのあるあたりに、ジョウロか何かで水遣りをしていたんです。背景には花束が5,6束浮かんでいるといった光景でした。(このときはメイさんが花束をもらった人の話をコメントされてましたね) 花束の浮かんでいた空間は、昼間はこのように森林なのですが。
なおこの家は、一昨年前のこのときに見た夢のミニチュア版と言ってもいい間取りでして、今この家ではそれぞれの部屋に、夢に出てきた人物の位牌を祭っております。
こうして、読者には不気味に映るかも知れませんが、私なりに夢の実現を順次果たしているところです。
ナヌ? それは夢は夢でも、希望のことではなく、ほんものの夢かいな? 唖然!!というのが正直な感想かと思われます。
まあいいではありませんか。新神話が空想上の夢。夢見した夢も寝床の中の夢。こうしたことを実現したいというのは、希望という夢ではありませんか。すべてはシナリオとして決まっていたというわけなんでしょう。

雨ばかりで捗らず

まるでもう梅雨に入ったような気候です。
晴れ間が出てから作業をしようとしていても、晴れ間が出ないのが昨今のようで、曇空で最高と思って作業に取り掛かるしかないようです。
6/4時点で、物見台の骨組みはほぼ完成しました。3mX5.4m 約10畳
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ベランダからの眺め
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あとは下の床張りの仕上げをし、天井(つまり屋上)の床張りをし、壁周りをどうするかを含め、その場その場の思いつくままに、これからの対応となります。
ああ、今朝も大雨です。屋上床張りをまだしていないので、屋上シートには大きな水溜りがいくつもできていて、作業前に水を被るかも知れません。
記事追加
6/5時点の出来
小雨の中、天井(屋上)の床張りをしました。高所恐怖症なので、足が震えました。
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床が抜けないように下から補強して、雨曝しにならぬようシートを掛けました。床で平らになった上に掛けたので、水溜りはそんなにありません。
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竣工時にはここで、あらえっさっさーをやらかすつもりです。