明晰夢の話(4)

猫たちみんな個性的であるため、個々別々の対応が必要で、こんなときクローンやロボットでなくて、面倒ですけど、生きている実感があって、よかったと思う次第です。
私の前立腺肥大の薬・ユリーフが最初は劇的な効き方をしたのですが、一か月も経た今では効果が減衰してしまっています。
これも自己免疫がこの薬品に対応して確立してきたからかと思います。解毒が速やかになっていると言いますか。
石油化学から生まれた薬は、やはり異物として認識するのでしょう。
その点、胃酸過多の薬・ネキシウムは連用していますが、一定した効き目のままで、身体にやさしいのかと思います。

本日の朝の気温は10度近くありまして、私だけはいつもの寝床で起床しましたが、猫たちはどこにいたやら、わかりませんでした。
猫たちは臨機応変に対応しているようです。

明晰夢の話(4)

彼女の夢に空海が現れ弥勒誕生を告げる (2008.9.24に詣で、その夜の夢でお告げを受ける)

これは私が見た夢ではないですが、私が全面的に解読を行いました。
それが容易にできたのも、事前に予備知識が与えられていたからです。
名古屋在住のUさんが、私の著書の中身が盗作されているから抗議してはどうかとコメント下さったため、その相手方の著書を買って読むことが必要となりました。
そこに弥勒下生の概要が書いてあったのです。彩明日迦著「弥勒降臨」というタイトルでした。見れば出典を明示していて、盗作に当たるほどではなかったです。

高野山金剛峰寺に詣でた際、彼女によって弥勒らしい六角オーブが撮影されている(弥勒=身六?)

見れば、六角オーブの中には、大黒様の被るような頭巾をつけた顎鬚の濃い顔が出ているように見えます。
出口王仁三郎は弥勒を達磨大師のように描いたといいますが、まさにそのような顔に見えないでしょうか。

六角オーブは金剛峰寺持仏間の加納元信筆の群鶴図の一枚の襖絵の鶴の上にかぶさるようにあり、鶴亀統べるの瑞兆が示されておりました。
彩明日迦氏の著の中にも、鶴と亀がすべることで、何が出てくるのかの謎掛けが施されており、後ろの正面はどうやら弥勒菩薩だったことになりそうな感があります。
ただし、籠の中の鳥とは何ぞやについては、すでにいくつもの兆候のあった「火の鳥」であるかと思われます。それは氏が著書で言われていた「鳳」のことでもあります。

また、空海和尚の持っていた光物とは、これによると、「金るの袈裟」ということになりましょう。
まもなくお生まれになるとは、いつのことなのか。それは特定の人物なのかどうか。
彼女はこの日、悠仁親王の高野槇のところで写真を撮っています。もしかすると、というわけですが、このとき親王はすでに満一歳になられてますから、これから誕生ということにはならないでしょう。
いや、それでも神霊の下生は別のタイミングで、ということもありますからね。まあ、その辺はよくわかりません。

奥山の庵にやってきた三猫を白虎と狛犬のつがいと見た夢 (2009年11月)

今朝未明の不思議夢・・・別和尚は人面獣身だった

さて、今朝未明に見た夢は、どう言っていいのか・・・。
その夢を見る前に、たびたびのことながら、布団の中に何かいる気配と、猫がのどの辺りに来た感があり、そのときのどの辺りにあのフーの心臓の鼓動らしい振動がした。たまにぴくぴくする痙攣とも言えなくないが、ものの気配の後だから、霊体でサインを出しながらやってきた感がある。そして眠りへと落ちた先の夢が次のようだった。

長い夢の最後のほうなのだろう、お寺の傍の民家に居て、和尚さんとのいろんなストーリーがあったのだと思うが忘却。私はそのお寺の檀家の世話役のような感じではなかったか。お寺には恰幅のいい住職と、背が低い野武士のようないかつい顔の副住職がいて、住職の後を副住職がついて行くのに、袈裟衣を床に引きずって歩いているのである。
私はお寺に行き、下の空いた塀の外から覘いていたのは柿の木だろう、この木を切れば全体のバランスがいいのにと和尚に案を持ちかけようと思って立ち寄ったところ、塀の下の空いたところから、副住職の頭頂が禿げた頭が見えた。

土地いじりでもしているのかなという感があり、表から入って話をしようと回って、玄関から禿頭の副住職を見たところ、なななななんと・・・頭は副住職でも、身体は猫というか、白に黒毛が入り混じった動物・・・が、お椀に入った餌をガツガツ食べているところだったのだ。

しかも、顔を見ると、年寄り顔なるも、第三の目が額にあり、唖然として見ていると、彼の手前に二頭の、彼よりも先代らしい同様の”三つ目”をしたボーリングピンのような動物が、しかもそれぞれ茶青系と赤系のチェック柄の衣装(ドテラ)を着て、私の前に、やや赤ら顔をして微笑んだ目をして並んで座っているのである。
その後ろで依然として副住職は猫スタイルで、餌を食べているというシーン。
私は思わず、手を合わせて拝んだというところで、夢から覚めた。

どうも白虎らしい

しかし、ときおり不思議な夢を見てしまう。
前夜の夢に出てきた副住職にそっくりな画像を見つけた。というより、白虎のほうから検索で出てきた画像が、高松塚古墳の西壁の白虎の絵で、とても似ていたのだ。

頭頂禿げで、周りに毛を残す感じで古墳の絵も描かれている。こんないかつい年寄り顔が夢の中に出てきたのだ。
体毛が白2対1ぐらいで、黒毛が刷毛で描いたような感じで見え、痩せて胴長に見えたのも、古墳の絵そっくりだ。ただ、第三の目はあっても、絵のように神聖な雰囲気ではなかった。

しかし、ここまで表情が似ていると、そう思わざるを得ない。
まだ新神話は機能しているのだろうか(新神話は四神獣揃い踏みの工程も書いていた)、各方位の神獣をタイムシェアー的に巡る旅をしているのは、今までと変わりはないみたいだ。
もうまもなく、宇宙人が地球の虚構文明をいったん鎮静化する。新神話にも書いている行程だが、そうなればもう新神話が成ったも同じだから、新神話グループも解散の成り行きかと思っていたのだが、最後に追いつくようにして白虎が現れた。それも子猫として。シャーマン能力を備えた子猫たちである。神獣の化身と考えてもいいかも知れない。

元の飼い主にリコール要求したものの、白虎だとなれば、どうしていいか。つまり、お客人だ。
しかし、まるで中国の客家のように食選びがすごい。キャットフーヅなど匂いをかいでバイバイ。もうサバには飽きつつあり、牛や卵、鳥を経て豚へと食牙が移 行している。それに飽きたら・・・もう、後がない。
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要するに、幼猫の三匹が我が家にやってきてまもなしに、三匹のいわれを夢見てしまったわけです。
当時、三匹ともメス猫と誤解していたのですが、あとでオス二匹、メス一匹だったと判明し、夢のオスメスの区別と一致したようなことでした。(私の見立てよ り、夢のほうが正解だったという次第)
けっか、ブーとウーが狛犬(シーサー)のつがい夫婦、フーが白虎とわかったしだいです。
白虎はシーサー夫婦の間にできた子供だと解釈されました。
新神話では当時、四神獣の揃い踏みのステージを求めていましたので、募集に応じて猫としてやってきてくれたようです。(人の候補者がいましたが、遠方すぎて求まらなかったのです)

フーは神界で下界の飼い猫生活を勉強してきたとみえ、あとの二匹にトイレなどの行儀作法一般を教えるとともに、私と猫たちとの調整役(ネゴシエーター)を務めました。
しかし、フーは後に発情期にいたり、ウーを孕ませてしまってからは、予定していなかったことだったのでしょう。子猫との関わりがうまくできず、敵対的に見てしまうため、父親代わりをブーがしていました。

かくして新神話が要求した四神獣のしだいは、2009年時点で
青龍、玄武 ⇒ (1番目の)彼女が兼務 (かつて玄武は2番目の彼女がしていました)
白虎     ⇒ 白猫のフー
朱雀     ⇒ 私
ということで、揃い踏みが果たせたことになります。

白虎のフーが行方不明になる一日前の未明に見た夢 (2010年10月)

フーが失踪したのは2010年10月5日でしたか。
その前の一ヶ月ほど、毎晩私のベッドの壁側の回廊棚に置いてあるアタッシュケースの上に寝るのが常で、二時間おきほどに私の枕元にやってきて、えさをねだるのです。そこで私は、枕元にドライフードの袋を三種類ほど用意していて、彼が頭をすりつけてこれがほしいと合図する袋の中身を掌にとって、彼に食べさせていたのでした。まさに、あのときの夢の白虎和尚の顔を突っ込んで食べていたどんぶり鉢は、私の掌だったようです。

私の昼間はウーの生んだ子猫たちへの配慮で手一杯でしたから、フーは外出がちで、暗くなってから還ってきて、食事して寝るといったふうでした。私が彼の傍に長く居るのはこのときだけだったかも知れません。

私にとっては、フーの時間差急襲とブーの五月雨式急襲で、夜中といえども熟睡できたことはありません。しかし、フーの不思議なほどの精一杯の甘えを、子ならばこそと容認していたのでした。

そして、失踪してしまう数日前には、外出したきり、半日以上帰らずとなっていました。
ところが、失踪前の二晩は、回廊棚からなぜか私のベッドの布団の上に、もう大きくなった身体を添い寝のようにさせていました。そんな最初の晩に見た夢が、実に不吉な夢でした。

マンガチックないでたちでしたが、私の前にフーと思しき白猫が、顔面の左半分が砕かれて溶けたようになって現れ、そのときまだしも問題ない右側も、何かに目の辺りをやられて、困惑している姿として私に写りました。
どうもそれは最近様子がおかしいフーではないか。

そして二晩目には、私のベッドで最初からずっと添い寝していて、私がまだ暗い中で朝起きたときにも、すっかりリラックスして熟睡しているのです。その顔を見れば、まるで生まれたての赤子のようであり、天使のようでした。その光景は、今でも忘れられません。

そして、みんなにご飯させて、フーもいくらか食べた後、家のドアなど外猫の侵入を防ぐために、みな閉めていたために、キッチン側の外回廊に出て、いくぶんか低くなっている舳先から、今まででも何度かやっているように飛び降りて、外へ出て行ったのです。(私はそれを見届けています)
そして、再び還ることはありませんでした。

私はフーにしっかりとした白虎の仕事を与えてやれていなかったのではないかと悔やみました。
ちょうどその頃は、鬼門側の山門横に狛犬用のボックスを用意していて、そこには帰順してきた他所猫の石松が居座っていたからでしょうか、フーはときたま裏鬼門側のプランターの中ですごしたりしていたのです。

大きく成長したとはいえ、石松とやり合って勝てるわけもなく、さりとて私が石松を追い払うわけでもない様子に、絶望したのかも知れません。私は、ポジションを闘い取ってみなさいなどと言っていましたから。が、小さいときから彼らよそ猫には追いまくられていたのですから、そんな容易な話ではなかったのでしょう。

しかし彼は、後に、一定の規則にしたがって、出て行ったことがわかりました。
それは、新神話が要求するシナリオの遂行です。
フーが失踪するすでに五ヶ月前に、青龍玄武のカンナオビが別天に去り、順序としてフーが別天に赴いたのだと解釈できたのです。フーの享年は満1歳。やっと成猫になったところでした。
次は私の番です。「いついつ(五月五月)出やる」の法則とした場合、2011年3月予定となります。
その前に、不思議体験のほとんどをここに書きとめておこうと思っています。(これは2010年12月の記載です)

※ 2011年3月に私が死ぬというタイムライン(第三時空)もあったのですが、プレイバックしてタイムラインシフトして、時空は引き続いています。(第四時空)
第三時空でのいついつ出やるの結果、天上には四神獣が揃い踏みし、ミカエルによるサタン掃討劇があり、天上は先んじて浄化されました。

出雲大社で起きた夢を見た・・・それも神世の出雲大社? (2013年5月11日)

出雲大社の60年ぶりの式年遷宮の執り行われたのが2013年5月10日。その翌日未明に(3時頃から4時頃にかけて)不思議な夢を見ました。

私は妹からもらったダウンシュラフ(寝袋)にここのところ寝ていたのですが、これがとても軽くて暖かく快適なのです。午前3時頃に毎度のようにやってくる猫のウーに起こされ、眠いながらもトイレ起きすることになり、また眠りについてからの夢だったのですが・・・

快適な薄布をとると、そこは燭台の灯火がともる板張りの部屋で、10畳ほどの広さがあったでしょうか。私はそこで一人で寝ていたのです。所々開いた緞帳の間仕切りの向こうの通路に、歩いて通過していく人の姿がありました。一人だけでしたが、なんと髻(みずら)を結い、弥生人のいでたちをした男の人なのです。(今まで夢で、みずらを結った人を見たことなどなかった)

そして、横に連なる部屋のほうを見ると、緞帳で仕切ってあるため広範囲は見ることができないのですが、隙間から、なんとこちらは平安調の衣装を着た長髪の女性が向こうのほうを向いた状態で座り、私の起床に気がついたか、こちらに顔だけを向け、にこっと微笑みますと、お歯黒だったもので、ゾクっとする私でしたが、亡きカンナオビの顔にそっくり。彼女の部屋のほうには、いくらか人がいるみたいです。

私は夢の中の自分が何者なのかはわかりません。それから外に出て見やれば、そこは昼間で、なんとものすごく太くて古い角柱で造られた神社なのだとわかりました。無骨な年輪と黒ずみが、いかにも築造の古さを物語るようでした。それも、けっこう大きな一枚岩とも思える岩盤の上に建てられていて、でこぼこした岩から直接、柱が出ているふうでした。

岩山の下は境内地でフラットで広く、けっこう多くの人たちが、境内と岩山、そして神社にいました。そこにはみずらを結った人はおらず、みんな普通の髪型で黒いスーツ姿をしていました。神主服ではない。

私は、岩山を下りたり上がったりして、何か用事をしていたようなのですが、何をしていたのかわかりません。
神社の夢を見たことは何度かあるのですが、社殿の中で寝ていたというのは初めてのこと。また、夢で見たことのある朱塗の神社のようでもありません。出雲大社の式年遷宮が執り行われたこと。それが理由でしょうか。

私は出雲大社にお参りしたことがないので、現況もわかりません。しかし、あのみずらを結った人とは、大国主命(大己貴命)でしょう。すると平安調の女性は、もしかして奥津嶋姫だったのか。(記紀には別伝が書かれるが、ホツマツタエにはこの二神は夫婦であるとされる) 奥津嶋姫は私と最も縁のある神様で弁財天であり、新神話においていちばん協力してくれていて、化身が最愛の彼女・カンナオビなのです。

緞帳の向うには、何人もの国津神の方々がおられたようだった。
私だけ、緞帳によるものとはいえ、一室が与えられて寝所にしていたというのは、大事な賓客待遇と言えなくもない。
では、私はいったい誰なんだろう。何らかの神?  いや、雛形ということでじゅうぶん満足しているのだが。
ええー、では言っとこう。それは大国主どんのもとに出向しとる アメノホヒ じゃ、なかろうか。(仮定)

さらに2009年にはブログコメンテーターの中にマメさんという方がいて、ある事情で飢餓に瀕していて、それを助けた行き掛りで、その方の中に複在する羽虫型宇宙人の男の子の魂が地球環境の現実になじめず閉じこもっていたのを誘い出し、私・朱雀の霊的な息子として、マメ鳥とかマメビコナという名にして、共に夢見して飛行訓練をしていたのだが、マメビコナは、自らのした2009年の3月度の異界交信の中に、鳥との縁について回答のあったことを思い出して掲示板に報告してきた。
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【鳥】のシンクロもありました
3月の分Q:私の運命の道の友は?漢字一文字で。
⇒a 鳥
>613ーQ:私は地球人出身ですか 宇宙銀河星出身ですか
⇒a ひな出荷
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すごいシンクロになった。アメノホヒの神話上の息子は、幼名が天の雛鳥(アメノヒナドリ)で、後の建比良鳥(タケヒラトリ)となる者とされるのだ。この方面からもいっそうアメノホヒの線は濃厚になった。

さらにである。マメ鳥と共に夢見して飛行訓練をした夢見の丘が実在したのである。
異界交信の相手チームとマメさんの大好きなアインシュタイン博士が、共に観覧していた丘が、夢の光景と寸分違わぬ形で、なんとナスカに姿を顕したのだ。(夢見の丘は芝生の丘だったのだが)
しかも、2014年になって初めて発見された地上絵だという。この丘で私は助走をつけて飛んだのである。我が息子マメ鳥とともに。

異界交信チームは、我々の飛行シーンを「芸術的」と評してくれていたから、我々親子のために、タンデム飛行している光景を描き遺しておいてくれたに違いないのである。

すでに亡き彼女が別のタイムラインで生きている夢 (2013年10月3日)

当時のブログ記事から転載します。

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つい先ほどのこと。午前4時台の夢で、すでになき彼女(2010.5.15没)が別のタイムラインを生きている夢を見ました。
いくらかシーンがあったのですが、最後のシーンしか覚えてなくて残念なのですが。

テレビ番組なんでしょう。彼女が黒っぽいワンピースで壇上の貴賓席に現われたとき、司会者の紹介があり、
「歌手であり、女優である○○○さんでーす」と言うと壇上に彼女が上がってきました。

すると下の観客席から花束の贈呈があり、彼女がそれをもらい受けると同時に、檀上に向かって両サイドから放水されるという(きっとバラエティー番組だろう)びっくりさせられるようなシーンがそこにありました。

水になじんだ人だったから。でも、気をつけてほしいな。

そのときの彼女は、右目が良くないのか小さな眼帯を右にだけしていて(きっと番組で水をかけられることがわかっていたのか)、水を浴びながら花束を抱え、笑顔でお辞儀をしていました。

彼女は女優になりたかったのです。私と知り合うタイムラインでは、それはほんのささやかな実現にしかすぎなかったけど(劇団塾に入って主役を演じたことはあった)、きっと彼女も、人生をプレイバックして、未実現時空を体験しているに違いないと思いました。

私もプレイバック型の人生経験をしているのですが、そういう人はけっこうたくさんいるのかも知れません。

結局、スケジュールを統括しているお方がハイラーキーだから、みんな上手に図っているのだろうとしか言いようがありません。彼女のハイラーキーは、奥津嶋姫であり、弁天さんなのですから。

人生している最中に、性格がおとなしいものから豪胆なものに変化していくことってありますね。私は子供のときは清潔観念症で神経質で引っ込み思案でおとなしかったのですが、今はその正反対の性格になりました。その原因は、すでに別のタイムライン(森野のものだけですが)をいっぱい経験してきて、その記憶はまったくないのですが、精髄は魂に叡智として蓄積しているからだろうと思います。

別のタイムラインでは社長もやっただろうし、人生とはこういうものと悟った今は、もう何も実利的なことはやろうとは思いません。ただ、私に定められた時空をこなすだけと思っています。

ふと、おかしく思えるのは、彼女をイメージで女優にいざなったことがあって、彼女はそれを本番さながらに演じたことです。新神話のイメージ世界に遊んでもらったことばかりだったけど。それらが、次の本命のタイムラインで生かされているとすれば(芸に深みが出ていると思えば)、よかったなあと思うのです。
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Okundコメント
コーリーの「20 to back」の話にもあるように、別のタイムラインで別の経験をして、元に戻ってくるという時空体験システムの存在は、私は「プレイバック・リスタート」という表現で、コーリーの話を知る以前から説明しておりました。
コーリーの場合と違うのは、彼のは20年の別時空での経験の記憶が遺っていること、そして彼が戻ってきたのは出発した時から5分後だったことです。
プレイバック・リスタートの場合は、そのタイムラインのエンドまで行って、そこから分岐していった直近のタイムラインに乗り換えるべく、分岐点の少し前に戻って再開することです。分岐点の後になっては、脱線しますから。
元の脳の記憶が使えるのは、分岐点のところまでのため、既実現時空における記憶がまったくなくなります。ちょうどPCのシステム復元と同じこと。ただ、分岐点の少し前に戻るため、その短時間の経験がダブって、デジャビュー現象として捉えられることになります。

デジャビューが起きる人は、意外とこのプレイバック・リスタートの法則を使っている可能性があり、けっこうな割合でそのような人がいるように見受けられます。彼女もきっとそうですよね。
そのメリットは、何度にもわたる別の人の人生を転生していくより、同一人物の未実現時空を総なめすることで、さほど経験量を生まない幼少期の繰り返しを省くことができ、一人の人生にエントリーしてからイグジットした後の、魂の進歩の度合いが一目瞭然になることがあります。そして、もしその人物の人生が何らかの重要な成就を達成すべく用意されているものならば、たった一回、通り一辺倒で通過して失敗に終わってエンドさせてしまうより、総なめするぐらいにして、その成功の時の成就を体験したいはずですよね。そのために、あえてハイラーキーの判断で、最初の設定としてのプレイバックが可能の仕様にしてあるのです。

 

明晰夢の話(3)

今朝は朝の気温が4度と高かったのですが、昼間の気温が上がりません。曇っているからですが、作業が捗りません。
猫たちの食事の嗜好がまた変わってきており、買い出しに行くべきかどうか迷っています。

ブーの劣勢はどうしようもなくなっているようで、少しの期間でも食べなければ、トンの威圧に負けてしまうようです。もう老猫ゆえに、保護してやりたいのですが、家の中にじっとしていないために、みんなとなじむことが難しいのです。ブーのプライドもあり、またA家のほうでの縁もあり、毎日のように出向いています。むこうで子供をたくさん作ったようで、Aさんの奥さん(亡くなられてます)が、ぼやいておられました。たしかに黒猫がたくさんいましたが、最近は外に出ている様子を見ることができなくなりました。

シャンには、薬を餌に混ぜてやる方法をみつけて、割合簡単になりました。それまでは胴の部分にサプリ軟膏に沿えてくっつけてやったのを、舐め取らせるということをしていました。シャンはそのたびに嫌だというそぶりを見せてました。やはりプライドを傷つけられたと思うようです。

明晰夢の話(3)

母の盛大なお見送りでの彼岸入り (2007年9月22日)

私の母は2007年9月6日に亡くなりました。享年82歳です。
母は、近隣とのおつきあいもさほどなく、我が家は裕福でもなかったので、家族葬にいたしました。
といっても、地元の葬儀会場を借りて行ったわけでしたが、親族でどうしてもと出席したのは、母の兄弟だけで、あとは自治会の隣保長夫婦、妹の職場の人の方が大勢を占めて、あわせて20名ばかりになりました。

私は喪主として、おかしなスピーチをしたように思います。
母はもし男として生まれていれば、位人身を極めると、行者さんに二度にわたって予言され、祖母の夢にも、毘沙門さんの二十日に生まれるとお告げがあったほどの高徳の魂の人であるにもかかわらず、一生涯を献身とみそぎの暮らしに費やしたことを、会場マイクで話したのです。母の実名も、名は体を顕して「禊」という名でした。

むろん、会場の誰がそんな話、わかってくれたかは知れません。叔父でさえもノーコメントでしたから。
しかし、私の心の中の母は最高に偉大な人物だったのです。

しかし、その母に対してしてあげたお見送りの質素なこと。位人身を極めるべきような人が、こんなみすぼらしい結末だったとは。私がいい仕事をしていて友人でも多くいたら、もう少し盛大にしてあげられたのに。それにしても、間に合うものではありません。とにかく、あまりにふさわしからざるお見送りだったのです。

私は、それが申し訳なくて・・・。せめて普通の葬儀にして、親戚じゅうに来てもらうべきではなかったかと悔やんだ末、九月二十一日の晩に、私自身すでに創作神話作りをしていましたから、そこに出てくる神々や龍神さんたちに祈ったのです。(すでに私の胸の中には彼女の神霊・雲龍がいて聞き届けていたのです)
母をなんとか盛大に、そして確実に彼岸に達せられるようできませんかと。

すると翌朝二十二日の未明の夢に、大きなホテルを借り切ってしまうほど、たくさんのダーク服に身を包んだ人々がいて、「朝になりましたから、皆さま屋上に上がってください」というアナウンスで、みんなしてエレベーターで屋上に上がってみれば、そこはなんと山の上で、眼下に広がる雲海の上に大きなご来光が出ていて、こちら側からご来光の下までエスカレーター風のムービングロードが、黄金色を呈して渡されている光景があったのです。
私はお見送りの人々の最後尾に居るものの全体を高い位置から見ていて、人々が何層にも重なるさまを見ていました。

そしてなんと、ムービングロードのいちばんこちら側に立っているのは、いつものご隠居帽をかぶった母と、付き添いの人四人で、母の左に一人、右に三人が縦向きにいて、そのうちの左にいた人は、今回の葬儀にたずさわってくださった蓬莱道龍和尚(実名)だったのです。母の葬儀に際して、葬儀社の紹介ではじめて知り合った和尚さんでした。

この和尚さんは葬儀のときに、すでに生前戒名を受けていた母の「智円妙定大姉」という名前の解釈を、前以て調べて講じてくださった方でした。

やがて盛大なお見送りの中、母は付き添いの四人とともに、ご来光の下まで渡りきり、そこから右回りにこちらを振り返ると、シルエットでしたが左手を振ってくれたのでした。こちらからもそのとき、参列者みんなが手を振ったり拍手しておりました。私もみなさんに合わせて何かしらやっておりました。
お見送りが終わって、みんなでエレベーターで下りて、ダークスーツの人たちみなが三々五々、最寄の交通機関で帰るシーンまで夢で見たのでした。私もバス停でバスを待つといったふうに。

バスを下りてホテルに向かい、終わってホテルから出てバス停で幾人かの参列者の人とともにバスを待つところで夢が覚めるという、滅多にあるものではない、とても長い夢でした。

二十二日はすでに秋のお彼岸に入っています。つまり、なくなった年のお彼岸に見た、ご来光に至る母の夢だったのです。

私は夢から醒めて、昨晩の祈りに諸天善神が総出で応えてくださったと確信し、ただちに神々のみなさんに感謝をささげました。
それは同時に、神話がまさしく活在していることを如実に知ったときでした。
その夢の出来事は、その日のうちにブログ報告しました。すると読者コメンテーターの方たちからたくさんの激励が寄越されました。ありがとうございます。
蓬莱和尚さんにも話しますと、ことのほか喜んでおられました。

さて、この話には後日譚があるのです。そのお見送りの場所が、ほんとうに実在したのです。

それはちょうど半年後、翌年2008年3月、春のお彼岸の頃になります。
この当時、ブログへのコメントを盛んにお寄せくださっていたPさんという男性(先に激励を寄せてくださっていた方でもあります)が、春のお彼岸間近に、さるところで撮られたご来光写真が、あまりにも珍しいものだったということで、写真を投稿くださって、それを見た私が、あの夢の光景にほぼ完璧に等しいことに驚いたのでした。横長の写真と縦長の写真の二枚です。

違うのはムービングロードが消えてしまいかけている部分だけというすごいものでした。
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Pさんのご説明では、実はこの方は滋賀県の野洲町にお住まいで、琵琶湖バレーでスキーをされることが多く、残雪スキーのために出向かれたといいます。

山小屋で一泊されて、翌朝早朝のたぐいまれなご来光と雲海が出ている光景に感動されて写真を撮られたとのことでした。

左右のせり出した山々のシルエットは、夢で見たときにはお見送りの人々の頭と背中の重なりだったはずなのです。
ムービングロードらしきものが一部残っていることにつき、Pさんに問えば、雲海の切れ目から見える琵琶湖湖面への太陽の照り返しだとのこと。なんという、粋なはからいでしょう。

そして、なんと・・・撮影場所は蓬莱山頂で、真東に向いたムービングロードを支えているであろう沖島の山頂は蓬莱嶽、道行の引率を蓬莱道龍和尚(道行きの龍というお名前)がされるという、ウルトラC級の超シンクロとなっていたのです。
縦長の写真を和尚さんにもお渡しし、二度目のびっくりをしていただきました。
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3つの「蓬莱」の言葉が揃うという、三位一体的超シンクロ。
それは、制作中の新神話ともシンクロしたのです。
と言うのは、ちなみに私が2001年から書き始めた新神話は、蓬莱島(蓬莱山)を重要拠点にして、正しい神々が根拠し活躍する物語になっているからです。

なぜ蓬莱島なのか・・・それは私が50歳以降になってから始まったインディー体験の”とば口”を開いたのが、神戸の舞子公園にある移情閣での出来事であり、当館の三階が拝観禁止の暗闇にあり、真っ暗闇の階段からわずかに垣間見られた三階の天井書画に書かれた文字が右書きで「蓬莱第一」だったことによります。
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新神話ではこの蓬莱島とは、この宇宙が閉塞された場と仮定したときに、より外宇宙に出て行くための大使館もしくは西ベルリンのような働きをしている場所という設定です。
天則に則った神々や人々の住むムー大陸が沈没して、浮き締まった島嶼部分が蓬莱島、海中部分が竜宮となり、亜空間に常在することになった、正しい神々の根拠地という設定にしています。

つまり、ほんとうに解脱するならここ蓬莱島しかないという二つとない場所。
母は新神話における最高の自由門を通って解脱したと思います。
(が、その後に、母を引き戻すようなことをしてしまいました。しかし、少なくとも七福神のおわす蓬莱島には、いてくれていると思います)

この粋なはからいは、カンナオビの本体の奥津嶋姫様による

さらにたいせつなことがわかりました。
今はなきカンナオビさん(2010年5月15日にご逝去)が、沖島(奥津島)に祭られる奥津嶋姫(弁財天)の化身だったと判明したのです。
亡くなる前日の彼女を写した写真に、彼女の最後の生霊オーブが撮られています。それは亀甲に花模様のご神紋を顕しておりました。通常は縦向きの六角なのですが、亡くなることを示されてか、横になられていました。
null
彼女が六角オーブを撮影したのは、高野山金剛峰寺で持仏間を写した時に、加納元信作の群鶴図の一枚の襖絵上に出ていたことが始まりです。
このとき彼女は、空海から弥勒誕生のお告げを受けています。2008年9月24日~25日のこと。

以後、陸上でも水中でも、彼女の水陸両用カメラには六角オーブ(亀甲紋オーブ)が大量に写り込みました。
彼女は元々海が好きで、スキューバダイビングをやっていましたから。
彼女はそれらオーブを、自分の子供と思っていました。海中で撮られた彼女の股間に一番大き目の六角オーブがくっついていましたからね。それら子供たちの父は? はは、ふしょうそれがしめということになりましょうか。
あの日、ふたりしてちょっと燃えましたもので。(意識同士の交流であるため、可能なこともあります)
今生で人として子が作れなかった彼女には大きな喜びになったようです。

新神話では、山幸彦と豊玉姫という設定でした。御伽草子では浦の嶋子と乙姫というわけです。たくさんの玉の子(亀甲紋ゆえ国津神でしょう)が授かりました。
そして、2010年に彼女は沖縄の海で亡くなりました。

古事記にも二人の想いのすれ違いから、ウガヤフキアヘズ一人残して子供をみんな率いて海坂を閉じて海原に帰ってしまう豊玉姫が描かれています。

亡くなる前日のちゅらうみ水族館内でのご本人の写真には、頭上に彼女の六角オーブが写っていました。
撮影当日のうちにホテルから日記ブログにアップロードして、謎解きグループの人はどう解釈するでしょうね、とコメントしてありました。
null
六角の内部に花柄が出ていて、奥津嶋姫のものとわかります。
つまり、六角オーブ写真は、弥勒に始まり彼女自身のもので締め括られたことになります。

ウガヤフキアヘズは、当時のコメンテーターの中に大阪在住の女性が名乗りを上げられたので、玉依姫の神格を差し上げて、後を託しています。彼女は石切さんの信者で、ニギハヤヒの信者です。彼女ならきっと適役でしょう。というのも、ここでウガヤフキアヘズ=弥勒=ニギハヤヒ=神武天皇に象徴される次の時代の統率者への橋渡し役というみごとなシンクロになっているからです。

高野山詣での後、彼女は思いついたようにして2009年に出雲地方を旅して、ご当地の神社で六角オーブをたくさん撮っています。
多倍神社にて
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そのあたりの神社は、そもそも、ご神紋からして六角です。
そして、最近になって、その意味がわかりました。奥津嶋姫様は、出雲大社の大国主命の奥様なのです。(それはホツマツタエでなくては解読できません。当時ようやくネットに載り始めたホツマの口語訳版を見て知った次第)
それが後の、出雲大社の夢見へと繋がってまいります。(後述・すべてがシンクロしているのです)

祖母と母が共に出てきた夢 (2007年11月3日)

十一月に入って見た夢でした。文化の日の未明の夢で、なぜか記念日的なときによく見てしまうようです。

そこでは朝になってガラス窓から日差しが入っており、カーテンも何もない部屋に寝ていて、布団の中から出たところだった。ふと見れば、ベランダを隣家の男が歩いているではないか。
プライバシーを除き見された気がして、怒鳴ってやらねばならないと見れば、ベランダはそうとう広くて、四軒ほどの家の共有のようになっているではないか。(私の家は一戸建てだぞ)
左のほうを見れば、住民が花や木の鉢植えを、屋内からベランダに運び出しているところだった。

私も何事かと見に行き、屋内に入ってみれば、なんと祖母がいた(平成六年に逝去している)。
どこかの店の中で、店員から品物の説明を受けているようだった。
懐かしさに近づくと、目と鼻の先で祖母は私に何か話しかけてくれたのだが、それよりも祖母の顔が皺ひとつない透き通る肌色をしていて、つんつるてんの坊主頭だったもので、じっと観察してしまい、話のほうを聞き漏らしてしまった。
しかも、墨染めの黒い僧衣姿だった。

その直後、母が普段着姿で、人に話しかけるときによくする、口に手を当てるしぐさをしながら店員のところにやってきたシーンで目が覚めた。
(色彩豊かな明るい夢だったが、目が覚めてみれば外は真っ暗だった)

母の夢は母の死後もう何度も見ているが、祖母を夢で見たのはまったくはじめてである。

目と鼻の先で顔を見合わせながら話をしたというのも鮮烈な印象だった。あれは死後の世界なのか?
だとしたら、現実とさほど変わらない。ただ、祖母の八十歳当時の貫禄ある風貌そのままに、肌年齢を10歳ほどに保っておれる世界みたいに思えた。それはそうか。魂は永遠。好きな年恰好をしてすごせるというが、祖母なら気に入りそうな姿だ。
しかも祖母は尼僧になっているようだった。信心深い人だったから。
童話「たつえおばあさん」は、祖母から聞いた話をアレンジしたもので、祖母をモデルにしている。
物語の中で、おばあさんには、お寺で説法して、死者の煩悩の衣服を剥ぎ取る奪衣婆の役柄を設定したが、もしかすると祖母はそのとおりの仕事をしているのかも知れない。

母の四十九日は終わったが、なぜかいっそう近くにいるような気がして・・・というのも、眠りに就けば何パーセントかの確率で、母に会うことができるわけであり、この世とあの世の区別や場面の違いはあったにせよ、隔絶された印象がまったくないからである。
かくして、私は朝晩欠かさず、お供えの食膳作りをして、般若心経を唱えている。見えないが、すぐ傍で生きているように思うからである。
アセンション後の世界は、死者と交流ができる世界だと聞いたことがある。もしかして、私はアセンションの予行演習をしているのかも知れないね。
あるいは私が死ねば、同時にあのカーテンのない部屋で目を覚ますのかも知れない。
もうこちらの世界で目を覚ますことはなく、むこうでの日々の暮らしを、何事もなかったように重ねていくのではあるまいか。文化の日の未明に、異文化の夢を見たという話であった。

この夢の要点は、死んだ人は若返る、しかも幼児ほどの肌にまでなっているのではないかと思われること。
また、生前の願望を反映した暮らしをしていると思われること。
おそらく祖母は仏教導師として説法する願いを生前に持っていたので、尼僧のスタイルで暮らしているふうでした。
あるいは、私の作る童話すらも、新神話として機能していて、そのシナリオに則って祖母も霊界で生きているのでしょうか。
あるいは、私が身勝手な願望を夢のビジョンに反映させただけなのでしょうか。

母がえべっさんの日に流し台いっぱいの大きい鯛を買ってきた夢 (2008年1月9日)

これもお祭りの日に見た母の夢として、びっくりするようなシンクロがあったわけでした。

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じゃじゃじゃじゃ~ん!!本日は宵戎でございました。
実は、そうとも分からずにいた今朝のこと。またまた未明の夢に故き母が出てまいりまして、買い物に出かけて、何か担いで帰ってくるなり、キッチンで流し台いっぱいの大きさの鯛を、調理し始めたのであります。
そこで目が覚めて、いったい今日は何かお祝いでもあったのかいなとカレンダーを見ても、先勝しか書いてません。
やがて、ああそうや、えべっさんやないかいなと思い出し、母の演出に驚いたようなことでした。そこで仏壇に向かってお話しするわけですが、「あのお、母さんは毘沙門さんとは縁がありましたが、今回はえべっさんのつもりでございますか?」と。
すると、こんなお答えが返ってきたような。
「宝船の中は戎祭りでなあ。お前にもおすそ分けや」
ふと、そんふうに聞こえた気がしたわけでありました。この夢は今朝ほんとうに見たものです。

この夢の要点は、宵戎の日に、大きな鯛を持つ姿で描かれるえべっさんが、何らかの関与をされているようであったこと。
私はその日が何の日といったことはまったく思いも持っていなかったのです。その日は関西だけのお祭り行事日でありました。今日は何の日かと暦を見れば、そのような次第だったというわけです。

また、母はもともと毘沙門天の縁者のようでしたから、恵比寿さんや大黒さん、弁天さんとは宝船で同席されているよしみで、大鯛を受け取って帰ったようなふうでした。

母と私でフェリーを乗り継いでどこかに旅行する夢 (2008年2月24日)

2008年の2月24日未明の夢でしたが、これも死後、人は若返って生活しているのではないかと思われるような夢でした。

けっこう長い前置きのある夢で、憶えているのは、母と旅行に行こうと二段階でフェリーを乗り継ぐ予定で、どこか分からない目的地に向かおうとしているところだったこと。
遠距離なのでたぶん二段構えなのです。夢の場面は一段目の近距離フェリー乗り場でした。

通勤時らしく、サラリーマンやOL風の客がたくさん階段を駆け下りてきており、母と私は座席を確保すべく、一番後尾にあったえんじ色の革張りの二人用の椅子を倒して、母にまず座らせ、私がその隣に座ったのでした。
と、その途端にです。母のスカートが前開き(今の流行にそんなものはない)だったせいで、風を受けてぱらっと開いてしまい、そこから見えた素足が二十歳そこそこのまぶしいものだった(まぶしく輝いた)ため、「うわー、冗談よしてくれよ」と顔をそむけたすぐあとで目が覚めてしまったのでした。(たわけた夢ではあります)

このフェリーに現実に乗ったことはないのですが、かなりリアルだったことから、実在しているのではないかと思うのです。
その手がかりは、まったくといっていいほどなのですが、最近になって、蓬莱山の真東にある琵琶湖中の蓬莱嶽のある沖島行きのフェリーではないかと思ってみるわけです。
就航している船の写真などをネットで、これかなあなどと見ております。実際に行ってみなくてはわかりませんが、ちょっと遠いし、腰が重くて・・・。とにかく、どこにも行けておりません。九州にもまだ行ったことがないのです。(北海道には行きましたが)

般若心経が原因?

その後、私のブログ報告での亡き母の夢見の頻発を思い測られたあのPさんが、何でも、伊勢白山道のリーマンさんの情報として、般若心経の読誦で、最後の「ぎゃーてい・・・」のマントラ部分に、作者の鳩摩羅什の呪詛が籠められているとのことを知らせてくださいました。

鳩摩羅什は生い立ちからずっと人々からは蔑まれ虐められていたために、このようなすごいお経を世に出すこととの引き換えに、死者を現世に引き留めるような呪いを篭めているというのです。

そこで私は、般若心経の読誦を取りやめ、普通の感謝と供養の言葉だけにしたのでした。すると、その日から母が夢に出てくることはほとんどなくなりました。
寂しくはありますが、母にとってそのほうがよほどいいに決まっています。

Pさんには、重ね重ねお世話になっております。ありがとうございます。

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Okundコメント

今回は、死後の世界について、私が夢見で経験したことから推理してみる格好になりました。
明晰夢、すなわち夢見の身体・幽体で見てくる世界というのは、やはり幽界ということになって、次元が低いということになるのでしょうか。しかし、生前の面影を反映している世界だということは言えそうです。

またその世界では、若返った表現ができるようで、皴が多かった祖母も、痩せた静脈瘤だらけの脚をした母も、みんないちばんいいときの姿になっているようでした。私の願望が反映した?? それはまったくありません。夢に見たことも、彼らが若返った姿だったことも、まったくの想定外のことだったのです。

前回も申しましたが、地球が汚染されて3次元密度的に使い物にならなくても、幽体の次元であれば、可変自在の環境と見ていいため、十分にアセンションに値するのではないかと思います。
日月神様も「半霊半物質の身体」と言われていますし、幽体次元のことではないかと思うのです。霊体・霊界だともっと希薄でしょうから、世界の様相もまったく異なることでしょうが、半分地球らしさを醸しながら、可塑自在性があるというのは、とても心地いいように思うのですがねえ。

アセンションって、やはりいったい何なのと疑問を感じます。
このまま世界がAI文明化の方向に進むなら、それはAIの支配下で仮想の生を営むことゆえに、ディセンションではないですか。また次のマトリックスに嵌りこむようなものですから、脱け出すどころか、いっそう深度が深くなる方向に向いているようでなりません。スピ系で流行の話も、出所はどこなのか吟味されてはいかがでしょうか。

そうなれば、コーリーの話も、催眠下の出来事、創り出された話ということかもしれません。
コーリーの話には、人の死後どうなるかの話がほとんどありません。キリスト社会が受け容れないからという理由は加味しても、ディスクロージャーするというなら、どんなことでも説明してほしいですね。(まだ記事を見ていないだけかもしれませんが)

私は自分自身の体験(夢見も含めて)をベースに、推理していく異界探偵です。他所から入った情報ならば、自分の感性に触れたものだけが検討の対象です。最初から、私に必要な謎解きに関係する情報だけを与えてくれとハイアーセルフに言ってありますから、目の前にひとりでにやってきます。ネット情報や情報のホームランバッターとしてやってきます。
それ以外にどれほど膨大な資料情報があったとしても、私から探しに行くことありません(昔は図書館や書店などに行って調べたものですが、労力と時間の無駄でした)し、自分の手に負える話ではないです。寿命が長いわけでもなし、IQ32~80程度の者に何が憶えておれますか。20分前にしたことや、昨日の昼食が何だったかさえ忘れているというのに。そこそこのことをやれたことでよろしいんじゃないですか。
それだって、催眠下の出来事かもしれないのに。仮想現実下にあること自体、催眠状態(封印状態にある)のことなんですよ。

明晰夢の話(2)

ブーが戻りました。二日間ほど来ていなかったためか、メタボ腹がとれてスマートになっていました。
もしかすると、体調の調節を自分でしているからでしょうか。
しかし、トンとの体格差がいっそうで、最近よく食べるようになったトンのデカい身体の割には俊敏な走り込みの勢いによって追われている側がブーになっているようです。
ブーは夜のうちに密かに帰っていて隠れるようにしていたのでしたが、シャンの夜間の食事サービス時に、ひょこっと現れ食事を要求してくれました。
トンがやがて外から戻ってきて、まるで番犬のようにブーの帰着を察知。しかし、もう勝ちが見えているのか、ゆとりが観られました。ブーにいつも圧倒されていた貧食の頃のトンとは違っています。
ブーは8歳、もう老猫の部類で、引退勧告していましたから、そろそろ家の中に居を占めてほしいところです。トンは7歳。今がいちばん充実しているようです。

私は慢性腎不全のシャンの早い老いを看取りつつ、トイレや食事などの面倒を見ている介護施設職員のようでもあります。野戦から帰ったブーに随時の食事を与える救護施設のようでもあります。
去年の夏の頃、ブーは左目を潰して帰り、今は右目だけの生活ですが命に別状なかったです。片目だけでは遠近感はどうなのか、狩りなどに支障するだろうにということで、食事の支給は欠かせない名と思っています。

トンは自分の持ち分が昔から家の周囲の見回りと決めているようで、家と家周り全般の警備職員です。小食でよくまあここまで大きくなりました。ぱっと見したら、牧場の牛。家で食事をさほどせず、外で道草ばかり食べていました。彼の顔は、大国主さんに似ています。大国のトンちゃんとか大乃国(よく太ったアンコ型のガチンコ力士で横綱になりました)と呼んできました。

他人の視座に入って夢見するか(1)

幽体離脱後の夢見で自分の未来(今日)を見た (1990年)

もう昔のこと、40歳過ぎの頃(1990年頃)、仕事の性質と、住居していた場所柄によるのかも知れませんが、俗に言う”金縛り”から “幽体離脱”に至り、さらに”夢見(夢と意識している夢)”へと入っていくことが、しばしば起きました。

そのようなことが頻繁でしたので、興味して幽体とやらの性質を調べたりもしたものでした。
壁の通り抜け、伸縮自在かどうか、感覚はあるか、など。そして、幽体離脱させて夢のコントロールへと入っていくのです。

金縛りが起きるときは必ず、脳の中の周波数変化が感じられ、いつもは潜在している”シーン”という音が、周波数を落として、猛烈な爆音に変わって存在感を 一気に高 めてくるのです。
ヘリコプターの近くにいるような音で、大概その音に人は異常を感じて恐怖するもののようです。しかし、何度も金縛りをしているうちに、 爆音もさほど大きくなくなりまた柔らかくなり、慣れのようなものができてきます。

金縛りのままでは、まったく動けない。しかし、意図して力をそれなりに入れて抜こうとすると、まず腕が割合簡単に抜けます。最初のころは、そんなことを繰 り返して、幽体の性質を調べる実験を始めるわけです。目を開けての金縛りですから、幽体の掌を目のところに持ってきてかざして見ますと、視野の周辺部での み、うっすらとした輪郭が確認できるのです。視野の真ん中では見えません。もし皆さんも幽体離脱がおできになるなら、確かめてみてください。

次の実験としては、幽体の全身を抜くのですが、このときばかりは目を瞑って行いました。というのも、抜けたときの自分の目で、何が見えるか怖かったからで す。(やはり怖さはあります) それに、目を瞑っておれば、そこから幽体それ自体の目による観測、つまり夢見が開始されるのだから、安全に思えるわけで す。

全身から幽体を抜くときには、意志が力になります。最初のころは、まるでゴム糊をバリバリとはがすようにして、抜けたものでした。しかし、それも繰り返し ている う ち、粘りつきが少なくなります。これも慣れなのでしょう。

いつものように全身から幽体を出して、いろいろと夢の世界を散策するに、その色彩の度合いは、鮮やかで生き生きしているのが常です。光と三原色が生きてい るといいますか。それから比べると、現実のほうがどんよりしています。だから、本来、どっちの世界が本物かというなら、あっち(夢見の世界)のほうがよほ ど本物ではないかと思うほどです。ただし見る内容は荒唐無稽になりがちです。

さて、そのような中で、夢というものは自分のコントロールが効かないことで知られています。しかし、夢見の場合は、自分の立ち位置がわかっているため、 どこへいってみようかというアクションが起こせるのです。

その日の夢も、そうでした。展開は荒唐無稽にも、妙な登場人物があったりするものですが、それでも自分が保てているだけに、意図した光景も出てくるように なります。
私はどう意図したか知れませんが、人跡の少ないところに行きました。途中で馬かロバに乗った見知らぬ二人連れに出会い、周囲がまるで西部劇シーンのよう に、夕日が当たり赤茶色の山肌を照らしていました。

さらに進むと、自然そのままのせせらぎがあり、そのほとりには、チューリップのような花が咲いていました。しかし、空は濃紺色で、太陽が出ている にもかかわらず、ふつうに見る薄い青色などではないのです。

ちょうど、高度1万メートルほどの上空の成層圏から空を眺めたような感じでしょうか。

太陽がせせらぎに照り返してふわふわ揺れていても、水面全体が濃紺を反射していて、まるで夜中に月の照り返しを見ているようで した。

さらに進むと、四角い建物がいくつか建っていて、それが古いせいか、周囲に苔のような灰色のものを垂れ下がらせていて、どの建物もそんな感じでした。苔ら しきも のの色は淡いグレー。ビルのようでもあるが、どれもビルというには小さい建物です。そこに人が向う側から花の植物の鉢を持って上がってきました。

見るとその人物は、ベレー帽にメガネ、茶と黄のチェック柄のセーターを着て、いま植物をそこに植えようとしているようでした。屋上緑化のようなことかと思 えました。

私はそこでその人に問いました。「いつごろからここにいるのですか?」と。
するとその人は、「もうかなり前になります」と答えてくれました。

そこで儚くも夢から醒めたのですが、夢から醒めるときというものは、いちばん大事なポイントを醒める直前に置いていることが多いものですね。
実は、その人物は、私と顔と姿がよく似ていたのです。

それから、25年が経って今があるのですが、数年前から山暮らしのために移り住んだこの地で、物置倉庫をいくつか作り、その屋根を葺くのに、ホームセン ターで売っている厚手のUVシート(シルバー)を使っているのです。
別のいいやり方はいっぱいあるとは思うのですが、安価に済むため素人判断で偶然そ うしてしまったのでした。

いかに素材が強くて防水性に富むとされていても、劣化はします。が、少なくとも2年の耐久性はあることから、今後もこのやり方にしようと思っています。倉 庫の フレームは単管組みにして、屋根の下地をコンパネにして屋根用の防水シートを敷いていて、その上にUVシートという具合で、屋根の上にいちおうは上れるよ うになっているのです。

そして、今目下、屋上で野菜や花をプランター栽培しているところです。
下の露地で栽培したなら、鹿や猪が来て、たいがいは食い荒らされてしまうのですが、屋上だと彼らはよう上がってきませんから、囲いなどする必要もないので す。この界隈の民家は、栽培したくとも、動物の食害があって、よほど強固な囲いをしなければやれません。
こうして、この倉庫はマルチ用途を好む私の合理精神を如実に表すものとなっているのです。他人の目からは奇異に映っていると思います が。

ある時、UVシートがあの苔に相当するのではないかと、その奇妙な符合に気づき、夢の人物は未来の自分(今の自分)だったのかも知れないと思うようになり ました。夢に合わせるべく、ベレー帽も購入しました。該当色のチェック柄のシャツやセーターはすでに持っていましたし。

こうして今は、奇特な「いつごろからここにいますか」というキーフレーズで問うてくる訪問客の来訪を待っているところなのです。

追記

そうしているうちに、とうとうそれらしい人物が現れました。
しかし、それは 還暦ほどになる韓国人のお姉さんでした。ということは、私はこの女性の視座を借りて夢を見ていたことになるのかなあ。2014年11月に達成したことにな りますか。

なお、一度目は、ベレー帽を被っていませんでした。ところが、滅多に被らないベレー帽姿を偶然目撃されてしまったのも、この女性によってだったのです。ふつう山暮らしでベレー帽 などしません・・・いつもは無帽か野球帽なもので。

二度に分けて実現するとは。しかも、性転換? いやいや、私の意識は任意の誰かの視座に入って、その人の視点で物事を見てくるようなのです。

さてさらに、2013年になって飼い猫のトラブルから山奥に廃屋付土地を安価に購入したのですが、そこに夢で見たような”せせらぎ”が 流れているのです。廃屋に入る階段がそのせせらぎをまたぐようになっており、もしこの廃屋がなかったら、夢の光景に近いことでしょう。廃屋は当初から未登 記状態なので、ないに等しいといえば、そうなるかも。
しかし、空の色が濃紺で太陽が出ているということはないですね。さらに未来において、大気がなくなれば、そう見えるかも。

他人の視座に入って夢見するか(2)

金正日の側近の視座に入ったかのような夢(2006年12月18日)

「夢に胡蝶となる」とは中国の荘子の夢体験。
ところが、今日の未明に、私はおかしな夢を見た。
なんと自分は、金正日と同室にいる側近の一人だった。
私の右に置かれた長椅子の、一人をおいて向こうに、金正日が憮然とした表情で、座っているのである。
部屋は狭く、殺風景なコンクリートらしき壁で、金正日と私含めて6人くらいいただろうか。
金正日は共産系の例の服。我々はスーツ姿。
そのとき、ひとりが座を立って、部屋を出ていった途端、こちら側に固まっていた四人がいきなり相好を崩し、砕けた笑い顔になって談笑に入ってしまった。
私の前にいた一人が、「だいたいこんなもんやからねえ」と言うや、 私は
「いやー、あそこ(日本)もこんなもんですよ」と、茶目っ気たっぷりに手を振る。するとみんな笑う。
自分で日本を意識して言っていることが理解できた。
(これが正夢なら、彼らは日本を特別にライバル視し、日本の悪口を言うことで連携を保っているのかも)
ところが、金正日だけは、椅子の上で立て膝に姿勢を変えたものの、依然として憮然とした表情だった。

(1.5mほど隣で見てるんだ。質感を伴ってリアルなことと言ったらない)
それからそれに関連した場面がいくつか。

そうして眠いままに朝起きてテレビをつけれみれば、午前七時過ぎ。
なんと、六カ国協議再開のニュースが流れているではないか。
ウワァー。
しょっちゅうあるシンクロのひとつのため、さほど感動はないが、啓示夢であることは間違いないように思えたのだった。
テレビに出てきた北朝鮮の外務員のにやけた顔。あれ?この顔は、夢の中にも出てきたぞ(@@;

最近、夢に胡蝶、いや、別人になるリアルな夢を見ているので、これも本物ではないかと思ったしだいである。
そして、六カ国協議はたいてい、不真面目な結果に終わるのではないかと思ったことか。

彼女の視座に入ったかのような夢(2009年頃のこと)

私は、若い女になった夢を見た。
オープンテラスにいくつか置かれた椅子のひとつに座っていた。
隣の椅子にいたのは確かに高田純二だった。
その彼が椅子を立って、とことこ私の後ろにやってきて、私の肩に手をかけて、笑い顔でこう言うではないか。
「今日も抱かせてもらっていいかい」
ゲッ。
すると私の口を突いて出た言葉は、
「(いいわよ) だって、あなたの妻じゃないの」ときた。
キターーーーー!!!

まぎれもなく、私が女の声を出したのであった。
それも、自分の意志がどうであるかによらず、定められた手続きのように発されたのであり、
自分の異様な発言に気がついて、エエーッと思った時点で目が覚めたのであった。

これにはその後譚があって、彼女のご主人はふだんから高田純二のようなおどけ方をすると聞かされた。
てことは、おいおい、あの時のオレは君の視座にいて、ご主人から口説かれてたのか。
ウワーッ、それって浮気にならないか?  いや、オレのほうが不倫だったか。ああ、混乱。

とすると、あのカフェテラスは沖縄のビーチサイドのオープンカフェテラスかなんかだったのかなあ。
いったい私は、どんな能力を身に着けようとしているのであろうか。
これも妖怪力のひとつなのか。

夢で雲龍が胸に飛び込む (2007年1月14日)

私は50歳以降、拾う神に拾われたようにして、精神世界的な流れに身を置くこととなりまし た。

その進 行役としての神話物語の創作をしているときに、夢においても カナメとなるシーンをいくつも見ています。
その神話(新神話)を補強するのは、現実のシンクロだけでなく、夢見もあるのです。

以下の人名は新神話上での名前です。

このときのことは、新神話の主役、カンナオビを家に招いたことが発端になっています。
私の印章をそのとき彼女に刻みましたから、彼女は私の家の自室に自らの磁場を刻んだのでしょう。
以後、彼女が意識を飛ばしてきて密会するときの場のひとつになったのです。

ただ、そのとき私の部屋のドアにはサイババのポスターが貼ってあり、それが進入できない結界になっていたようで、それを外してからは容易にやってこれるよ うになったもようです。(サイババのポスターも、2cmほどのセロテープで四か所止めをしただけなのに、8年以上、一度もはがれることなく、貼り付いてい ました。私が貼りつけて私が外したことになります)

そんなある日(2007年1月14日)の未明の夢に、カンナオビが正体を見せに我が家にやってきたのでした。

彼女は白龍のまま、私の胸のど真ん中に飛び込 んできて、私と合体したのです。私は朱雀(鳳)ですから、鳳龍合体という瑞兆吉祥だったことになりましょうか。

夢の詳細

弱小かつ病態なるものでも、夢見の世界においては広大活発な経験をするものである。
それは知られざる世界における栄光であり、いかなる立場にあるかを垣間見せてくれているような気がする。(僭越やなあ。でも明日をも知れん病人やで許してなー)

本日、2007年1月14日未明、午前四時台の夢である。
私は小さな四角形をした我が家の二階のまん中に居て、北と南の開放された窓だけでなく、屋根や天井すらも透明化していて、うろこ雲漂う昼間の明るい空を眺 望できる状態にあった。
北の空を見ていると、どこからか降りてきた雲が数珠つなぎになり、長くたなびき消えることなく、やがて我が家の上空を反時計回りに旋回し始めた。

見れば、龍のようであった。雲によってできた龍。雲竜とでも言うのか。
一周目のときはまだそうとは気付かなかったが、二周目となって、これは龍だと気付いた。
我が家の北側に回ったとき、それは横顔がありありと馬のような面構えをしており、夕日を浴びて心なし赤みがかり、後ろが長く流れて、ところどころうろこ雲 のように切れつつも、尻尾らしく従っているのを見た。
雲が龍の形を形成して飛んでいるのだ。 方向を変え、南側に回ろうとしたとき、私には龍の顔が正対して見えた。

眼光もありなかなかの面構えだ。だが、どこか優しい感じがする。 屋根の上すれすれに南に回ろうとして、尻尾が屋根に触れた瞬間に、じゅぼっと水がかかったような音がした。

どんどん接近してきている。もしかして、私を探しているのか?
龍はまた南から北上を開始。再び北面から南を窺おうとして正対する格好となったとき、もう龍は目標を捉えたらしく、北面の窓めがけて飛んできていた。

そして、閉められた窓をひげでぴょこっと触れると、窓はさっと開いて、そこからもろに部屋に入ってきて、私の胸の真ん中めがけて飛び込 んだのだ。

うわーっ!! 私の中に入っちゃったよ。合体したようだ。

この光景は近所の人も見ていて、家の中に入ってきたマンガのようなおばさんや少年らが、私のほうをすごいといった表情で見つめていた。
そこで私は拳法のように腕をぐるっと回して、英雄ウルトラマンのようなポーズをとった。どんなものだと。
そのとたん、夢から醒めたのだった。何だ。夢だったのか。 久しぶりに見たすごい夢。

腕の痛みや不整脈でさほど眠れたものではなかったときに、ようやく見た正月らしい夢だった。
もしや奇跡が起きているかもしれないと、腕の痛みや心臓の不調が治っているかどうか調べてみた。
だが、そうは問屋が卸さなかった。

雲でできた龍。色からすれば白龍というのか。 ネバーエンディングストーリーに出てくるような龍。 千と千尋の神隠しのハクみたいな龍。

彼女に夢のあらましを話し、「雲龍としてやってきたのは君か?」と問い合わせると、「それは私よ」と返事があった。

彼女は、それ以前から私の部屋に意識を飛ばして何度も行ったのだが、何か壁のようなものがあってどうしても入れなかったという。私はそ の原因が、当時、ドアの内側に貼っていたサイババのポスターかと思い、彼女の指摘があった日に、セロテープで止めていた四隅を外し、取り去っていたの である。

サイババにはとてもお世話になっていて、申し訳なかったのだが、どうも原因がこれらしいと感じたので、取ってしまった。
すると間もなくしたこの日に、夢の中に本体を顕わしてやってきてくれたのだった。

夢で彼女を羽根天使と見た (2007年1月16日)

これも不思議な夢で、私はどこかの室内に篭っていたのです。ところが、大きな羽根の白衣の天使が部屋に来て、それが彼女(カンナオビ) なんですね。

彼女が 天井を指差すと、その一角が破損していて、青空が見えているんです。そこから彼女は出ようとするので、付いて出ました。
はじめ彼女にくっついて揚力を借りていたのですが、彼女が「鳥には空がほしいでしょ」と言ったので、私はああそうだ、私は鳥だったから自力で飛べるんだと 悟って、ともに並んで飛んでいるといった夢だったのです。
そのとき、なんとなく彼女は白龍だしなあ、飛べるのが当たり前のように思っていましたね。

創作神話でもカンナオビの白龍が先導役を務めて、私が火の鳥になってあとをついて飛んでいくというストーリーになっていまして、その先である大事な仕事を する運びになっているのです。

夢の詳細

白龍に胸に飛び込まれた二日後の16日の未明の夢だ。 その一つ目は危機一髪といったものだった。
公園らしきところに居た普通の男のように見えた者が実は変質者で、私を眼光鋭くじっと見据えて近づいてくると、
いきなり押し倒して馬乗りになり、急所のタマを握り潰そうとしたのだ。
私はやにわに夢から覚め、このままやられているのでは駄目と、対策して再び夢に入って、これを退治した。

その方法は猛禽類的なえげつないものなので書けないが、夢見の戦士は、夢の中で窮地を迎えたなら、夢の中でそれを解決してこなければならないとされてい る。これは悪夢を見た人にはぜひお薦めしたい。
変質者を退治して夢から脱すると、何かあそこに鈍痛がする。触ると、タマ袋が小さく引っ込んでしまっていた。

現実の巷では、毎日のように陰惨な変質的猟奇事件が発生していたが、夢の世界においても変質者が出没するとは。ああゲンが悪いため、夢の見直しを次に行っ た。 導入のイメージングは必要なようだ。

一昨日に胸に飛び込んだ雲龍を懐に呼び出し、愛撫しながら眠りに入った。すると、夢の中になんと彼女が現れたのだった。
それからは私にとって最も輝かしく、すばらしい夢となった。 彼女は白のワンピースを着ていて、空を指差している。
わずかな隙間から見える白雲が散見できる青空があった。 天井の板屋根の一部が破損して空が見えているのだ。

彼女が指さなければ、建物の破損部分に気がつかず、空など見られたかどうか。
さらに彼女の上を見上げる横顔が神々しく輝いたかと思うと、 私は共に明るく自在な空に浮かんでいた。
私は彼女の表情にうっとりしながら抱きついていた。 彼女主導で、共に飛んでいた。 そのとき、彼女が言った。
「鳥には空がほしいでしょ」と。
そうだ、鳥だったんだと気がついて私も羽ばたき、 上空に向かってどんどん上がった。
あとは二人の身に起こるべき一連の手続きなのだろうか、 よく聞き取れなかったが、楽しげな二人の声が青空に飛び交っていた。
夢から醒めた。そう、私はそれまで籠の中の鳥だった。 ようやく雲龍である彼女によって籠の外に出られたと思った。

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Okundコメント
明晰夢を見ることを夢見すると言います。
中米のナワリズムでは夢見を重視していて、最終到達としてテレポートまでするといい、たぶんではありますが、コーリーの言う地下のマヤ離脱文明は、このような熟達者の至った世界ではないかと思われます。
俗に言う幽体離脱のあとに夢見が続いていくことから、夢見の身体とはこの幽体であろうと思われ、ヘミシンクしている方たちはアストラルボディと言っておられるようです。
幽体があれはそのまた背後に霊体があり、といった具合に有機生命体人間は多次元構造をしているようです。
とすれば、何で今頃、アセンションなどといったことが必要なのか、疑問を持つわけで、そもそものスピ系情報それ自体に何らかの問題がないか、整合性を看てみたらどうかと思うのですが。
地球が生存環境でなくなっても、幽体で生きていくのは可能ではないのか。
変な努力目標ばかリ作りだされている感があって、人間であることがこんなにしんどいものになっていることがわかっていない気がします。

明晰夢の話(1)

猫のブーが12日にきたきりで食事しにきていません。
外気温マイナス4~6度の酷寒を二晩経ているので、もしかしてと思っていた今朝未明、
私が眠っているさなかに、どたどたと部屋を動き回る音がして、トンがうろついているのかと思ってみれば、
気配が去った後、シャンに続いてトンが私の寝ているコタツから次々と出てきて、シャンが私に鳴いて起こすのです。
もしかして、ブーが来ているのかと急いでベッドから出てみれば、置き餌に何の変化もなく、ブー以外の他所猫が侵入したとしても、
必ず何かを食べて行っているはず。ところが、何の変化もありません。

外暮らしばかリさせてしまっていたブーは、どうしても居就こうとせず、食事だけ律義に済ませると去っていく日々でした。
昨年の8月頃だったか、左目を潰して食事しに現れたブーでした。
それが化膿したりすることもなく、右目だけの生活をしていたようでしたが、何があったかは知れませんが、なんとなく
今朝未明に霊体としてやってきて、存在感を示してくれたような気がしました。

まだわかりません。三日たっても現れなければ、仏壇での唱名となります。もうだめかと思って、三日後にひょこっと現れることが
これまで何度かありました。それはブーに限ったことではありません。
そんな今朝は、室温プラス1度でした。寒さが弱まりました。

明晰夢のエピソード

さて、先日は明晰夢として亡き父の夢を見たこととマンデラ効果体験を組み合わせましたが、私の母が今度は自分も父を夢に見たいのに
毎日拝んどっても出てきてくれんと嘆いていたのでした。
私が神戸に戻ってしばらくして後、母が、「お父ちゃんがやっと夢に出てきてくれたで」と嬉しそうに言います。

父は母に「今晩の七時半からテレビに出るから見といてくれ」と言ったそうです。
さっそく私は、朝刊を持ってきてテレビ番組欄を見ると、メジャー局ではそれらしい番組はなかったですが、ローカル局のサンテレビで夜の七時半から「丹後の伊根はパラダイス」という別荘地分譲会社主催の番組が載っていました。
これだれこれだと、母に説明すると、「それなら今晩見とくわ」とのこと。私もポータブルデッキ型の録画機に録画予約して仕事に出たのです。(この録画機・シャープのマイビデオは、小西六カメラとセットで、武良さんに同行して初めてUFO撮影して成功した機材です)
さて、仕事から帰って母に問いますと、母は「じっくり見とったけど、出てこんかったよ」と言います。
まあたぶん、幽霊だから無理だろうとは思いつつも、録画機を再生しますと、やはり発見できませんでした。
霊能者ならば見えたりもするのでしょうが、そんな資質もなく、しょうがないなあ、またお父ちゃん、夢に出てきてや、で終わったわけでした。

父は、たぶんいちばん懐かしい故郷の地に戻っていったのでしょう。菩提寺の振相寺といい、そこは父がまだ子供の頃に、野山を駆けたり海に潜ったりして、友達や兄弟や両親や村の人と過ごした土地でした。
その後、墓は神戸市のほうに移転しましたが、父には生まれ故郷が忘れられなかったのではなかったでしょうか。

墓の移転の頃の明晰夢(1981年)

私は名古屋で仕事していたため、それを理由に神戸の家のことはほとんど母と妹に任せていました。

母は、父をねんごろに弔うために、先祖の墓を神戸に移転することを計画。
私にはそのようなことを内緒にしていたのではなかったかと思うのですが、私は墓の移転する直前の未明の夢に、青黒い空間に、芋とその 根のつながりのようなシルエットが、横たわっていた状態から縦に起き上がり、それが何体か連なって立ち昇るという気持ちの良くない夢を見ました。
むろん、芋と根のつながりというのは、あちらでは土葬のゆえに頭蓋骨と脊柱がこのように見えたという次第だったかと思われ、魂抜きが抜かりなく行われたこ とを示すものであったと分かりました。

現実には土葬された実体を掘り起こして持って行ったりはしません。墓所の移転に伴う、形而上的な観念世界における儀式上の魂抜きなので す。それを実体的夢として見てしまうとはいかなること。夢とはいえあまり気持ち良くないものでした。

母が生前戒名を受けたとき (1981年)

父が亡くなったときの戒名を、神戸に先祖の御霊を移転した際に、新しい菩提寺にもう一度付け替えてもらったのですが、そのとき、母も生前戒名を作ってもらったのでした。
ちょうどその頃のこと、私は名古屋にいて、未明の夢に、浄円月を右肩に載せた白衣両翼の天使が、きれいな群青色の空に満天の星とバックコーラスを背景に出 てきて、その肩の満月で私をピカピカ、ピカピカと照らしたのです。

天使の顔を見れば、まぎれもなく母の顔でした。
私はその頃から、インスピレーションが頻々と沸くようになったことを覚えています。
母の生前戒名は「智円妙定大姉」です。それを知ったのは、私が神戸に戻ってからのことでした。
ちゃんと戒名どおりの現れ方をしていることになりませんでしょうか。名は体を現すとは、私の実名においてもそうでしたが、母もそうです。
実名は「禊」という のですが、まさに親、夫、子の三代に身を尽くした、カルマを消すような人生でした。

さらに戒名にいたって、月の天使として現れたこと。まだ母は当時ぴんぴんして生きていましたが、私に前もって正体を見せてくれたに違い ないと思っています。と同時に、戒名さえも(霊)体を顕すのではないかと思ったことでした。
そういえば、よく歌の「月よりの使者」を 小さな 声で口ずさんでいた母でした。きっと本人が月よりの使者だったのでしょう。(母は倍賞千恵子にも似ています)

白球UFOがすいすい出てくる夢 (1976年)

時代は少し遡りますが、
白球UFOがすいすい出てくる夢は、実際にUFO観測会に参加して、初めて実際に目撃した赤いブーメラン型UFOの”続編”として見て います。
UFOを初めて目撃したときの、きっかけとなったと思われる行為は、中天の夜空に向かっての「私を友達にしてくれますか」の問いでし た。その相手は大きな赤橙色 の三日月形UFO(ブーメラン型UFO)で、視野のど真ん中に現れました。
その数日後の就寝時から、夢に白球型UFOが登場するようになりました。たいがい夢に出てくるときは、満天の星の夜空を、複数機でみず すましのようにすいすい飛び抜けるシーンでした。それはまさに、私を友達として誘うかのようでした。

後に最近になって、コーリー・グッドの話から、スフィアビーイングとのファーストコンタクトだったことがわかりました。
そのファーストコンタクトの数年後(1982年頃)にピラミッド瞑想中に少し赤味をおびた白球UFOが眉間から飛び込んできて光のシャワーを浴びるという、いわゆるセカンドコンタクトらしきことをしたような次第でした。
それから2003年でしたか、坂本さんと知り合い、彼には未だ以てその話はしていないわけですが、彼は私とはエジプト時代のよしみで、私はファラオで彼は最高神官をしていたのだと話しました。
彼が言うには、スフィンクスの足元の秘密の部屋に当時の最先端科学技術のUFOや死体蘇生装置などの設計図を書いて保管したのは、他ならぬ私だとのこと。その記憶はすべて魂が知っているが、肉体にまでは下りてきていない、それを下ろすには、ある果物を食べたらよい(記憶が戻る)と、その果物のイラストを描いてくれたものでした。ネットで調べても、近似したものはあっても、それらしいものはなかったです。
またその頃、「世界ふしぎ発見」で、吉村作治氏が想像したファラオの太陽神迎え入れの儀式のCG映像が放送されたのを見たとき、ああ、これだ、ピラミッド瞑想中に経験したことは、これに違いないと思ったようなことでした。
巨大ピラミッドではなく、ミニチュアピラミッドでも同様の体験ができること。面白い発見でした。

質問者に対するコーリー・グッドの解答によると・・・
Q47 スフィア・ビーイング・アライアンスは地球上の人達と夢を通じてコンタクトを始めるのですか?
A47 はい、それが彼らからの「ファースト・コンタクト」のプロトコル(手法)です。
どんな場合であれ、夢を通してコンタクトを受けます。未知のソースからチャネリングやテレパシーでのコンタクトを受けることはまずありません。
潜在意識・ハイヤーセルフレベルでコンタクトや交信を受 け入れると、さらなるもしくは拒絶すると、さらなるコンタクトが他のプロトコルや標準的な活動プロセスに従って確立されます。
これはいかなる場合であろうと例外はありません。

英国紳士風宇宙人??の訪問の夢 (1977年)

私が名古屋にいた27歳頃のこと、シンバル状UFO2機に乗ってやってきた二人の英国紳士風宇宙人が、神戸の実家(ここには小学校~社会に出る前の頃まで住んでいました)に訪問してきて、歓談している夢を見ました。
これは私が中学三年のときに宇宙人の訪問を実際に受けていたものを、記憶の消去が毎回なされて、後日、フラッシュバック的に夢で思い出したものであると解釈できています。
それが単なる夢でなく、確実にあったことであることは、当時私の妹が、私が受験勉強で部屋をチェンジした際、山高帽の英国紳士のお化けが出たという恐怖体験を語っているからです。
妹が霊視するようなことは皆無ですから、まさに宇宙人の実体を見たに違いなく、また本人もほんものの英国風紳士だったと主張しています。

なんとその当時の神戸の家は、二戸一長屋のうさぎ小屋で、やってきたとするなら2階のベランダからだったでしょう。そのときの夢は、母が一階からお茶を運 んできたので、家族ぐるみで付き合っていたのかなあといった印象です。

天帝様にお会いする予定の夢 (お会いすることは未遂 1979年)

夢の中で、何かの催事場に正装して参ったのですが、その入り口で縦長の短冊形のパンフレットをいただきました。
手渡されたパンフレットの表には、「天帝様へのお会いの仕方」と書いてありました。
たったひとりでそのまま通路から向こう側に出ますと、大きな野球場のグランドです。
その真ん中に行こうとして、そのとき右側一塁側観客席に、陽光を浴びて白銀に輝く、けっこう分厚目の十字架が縦横整然としてたくさん重なり合うように、観客席を埋め尽くしているのを目にしました。

野球場をプレーヤー側から見ているといった感じで、私はグランドの真ん中に行くと、どういうわけでそうなるのか、あらかじめ決められた手順のように、私は右手に持っていたパラソルを開いて、その浮力で天に昇っていこうとしているのです。
タキシードで頭にハットを被り、手にパラソルといったいでたちでしたから、まるでセーラームーンの漫画のようでありますが、その当時あの漫画はまだなかっ た頃でしょう。

私は上を向きますと、空は若草色(薄緑:映像を加工したときになるような)に、和紙のようなうす雲がかかり、私は広げたパラソルを浮力 にして、上空へと揚がっていきます。(パラソル持ってても空が見えてるんです。夢ですなあ)
中空まできたとき、私はまだ行くべきときではないと思い出したところで、上昇が止まってしまいました。そして、目が覚めてしまったのでした。

さあそれから最近になって、といっても2001年のことですが、その不思議な夢の話をさせてもらった女性から、驚いたように、それってシンクロだよと衝撃発言が・・・。
ある精神修養の道場(断食道場)で同席した、アメリカのベティさんという女性が、かつてロサンゼルスの野球場の外を通行していたとき、スタジアムの中から たくさんの十字架が次から次へと空に向かって揚がっていく様を目撃したというのです。ベティさんという方はきっと幻視されたのでしょう。

「天帝様へのお会いのしかた」というパンフレット。
そして一塁側観客席の白銀色に光って整列していた十字架群。

分厚い十字架群は米国の墓地に見られるような大理石(ですか)で作られた、まさにそのようでしたから、プロテスタント系のキリスト教徒で亡くなられた方たちを表しているのでしょう。
しかも、白銀光りですから、清純なキリスト教徒の故人の方たちではなかったでしょうか。

十字架群はみんなキリストに会いに行くと信じて待機しておられたのでしょう。
まあ、私はキリスト教徒ではありませんが、あの夢の順序からすると、私の方が彼らより先に天帝様に会いに行くのだろうとは思います。
私が先導する格好になるのかな。
たぶん黙示録に言う最後の審判の督促のような用向きになるのではないかと思います。

しかし、この世を去って待機しているのは彼らのほうが先。夢の中ではすでに十字架の墓標になられているのですから。
ではそれはいったいいつ頃になりそう?
もしかすると、加州に山火事の広がってる今頃がそうかもしれません。
キーワードとして出てきた「ロサンゼルス」に火の手は迫り、すでに市街地の一部が焼けたそうで、この一連の大火による死者は数十人、行方不明数百人にのぼるとか。
球場で待機していた十字架の数は二百ほどだったでしょうか。
今時の可能性はありますね。

また、北朝鮮が距離を大幅に伸ばしたミサイルで核を撃ち込むとすれば加州ロサンゼルスになるという予想も出ています。これなら何百万人が一瞬で亡くなります。
それこそ、黙示録にも言う、「主よ、いつまで血の報復を控えておられるのですか」という清教徒たちの言い分にもなるのだと思います。
すると天使が現れ、各人に白い衣を手渡しながら、「いましばらく員数が満ちるまで待て」と制止するわけですね。
そこに加わるかのような私も、その員数の一人なのかもしれません。

コーリーの話では太陽フラッシュが起きるのは2018年~2024年(1年延ばされて)と高次元存在からの情報を受けとっているとか。
その結果、地上からは邪悪が滅して、とても住み易い世界になるだろうとのこと。そこにバシャールが2022年までと短縮しちゃいました。

リモートビューアーのエド・デイムス氏によれば、北朝鮮が核兵器を使用した後に太陽のキルショットが起きるとのこと。これをビューアーたちの間では、キルショット・シーケンスと言っているとか。
地上の生き物は絶滅するとのことで、エスタブリッシュの人たちは地下に避難を始めているとのこと。
しかし、太陽フラッシュのパワーの度合いはコーリーにも誰にもわからないとのことで、避難それ自体が賭け事のようなものになるかもしれません。

火星への旅行者の視座に入ったらしい夢

これはいつごろ見た夢か、忘れてしまったのですが、たぶん30歳代の頃の夢だったか。
旅行者は案内の導師に導かれて、火星の遺跡地帯に行ったようです。

私が見た夢の光景は、砂塵舞う中に古代ギリシャ風の衣装を着て、右手の方向を示している導師の姿と、導師越しに遠くピラミッドが二基、 重なるようにして存在している様でした。
ところが、導師の示す方向を、私の視座の人物は見ているらしく、「ああっ、ポースの丘だ」と叫んだのです。

視座の人物はどうやら、火星のこの場所の記憶があるらしかった。
私は結局その方向を見ることはできずに目が覚めてしまいました。
しかし、なんとなく彼が見たのは、人面岩の遺構のような気がしました。

キーワードの「ポース」は、ギリシャ神話のポセイドンを想起させます。ポセイドンは海の神であり、アトランティスの統治神だったとされます。
とすれば、人面岩はポセイドンの顔なのか。
ところがその夢見の当時には、私は火星に海などがあるとは知らなかったのです。今になれば、過去の時代に海があったことが知られるようになっていますが。
ピラミッドや人面岩の場所は、かつて海のあった場所の近隣ではなかったか。
もしかすると、アトランティスは火星にあったのかもしれません。

その後(2013年頃)判明したこととして、シュメールの粘土板・アヌンナキのエンキの記録が邦訳されてネットに上がっているのを見つけました。⇒ 失われたエンキの記憶:序説
それによれば、火星の人面岩はスフィンクスの建造のまだはるか前の、ニビルが金をたくさん探していた時代に、アラルという神が反逆を働いて、逃げ延びた先が火星で、彼は未踏のその地で亡くなったのですが、亡くなる前に火星に有用な鉱物資源があることをニビルに知らせた功績で、この場所に彼の顔を模したモニュメントが作り置かれたとのことです。
やはり人面だったこと。しかし、アヌンナキの人物だったことになります。
もしかすると、映画「オデッセイ」は、アヌンナキのアラルの功績を讃えるための作品ではなかったかの感想を持ちます。

いっぽうスフィンクスは、やはりアヌンナキのエンキの息子のニンギシュジッダの顔を模したものだとのことです。やはり功績が認められてのことで、マルドゥクとの間で誰の顔を彫るかで紛糾したらしいです。

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Okundコメント
私は明晰夢を見るのに、たいがいは早朝の未明に見るということ以外には法則性はないようです。
しかし、その夢の内容が後で正夢になっていることに気付くことが多いです。
しかも、何らかのシンクロが伴うため、より印象深く残ります。
まるで必要な時に、ハイアーセルフによって現場に連れて行かれ、その光景を見てくるといった感じがします。
それは現実の場においてもそうで、これから必要になるから、予備知識として知っておけといった具合に、情報源を与えられたりします。
また、すでに仮説した内容を証明するような情報を後で与えられて、シンクロとして印象付けられています。
それらの情報源は、こちらから探しに行くといったことがほとんどありません。向こうから勝手にやってくると言った感じです。
私は、たぶんハイアーセルフがあっせんしてくれる情報をもらい、こちらの3次元脳で論理分析している感じであり、いわば理解を深めるための分業体制があるかのようです。
だから私は、IQは低いのですが(32~80)、成果としてIQ120程度のことはできていると思います。

マンデラ効果は私も経験したかも

今朝は室温がマイナス2度。外はマイナス4度にはなっていたでしょう。前の晩に予報を見て、即座に水栓の元栓を閉め、水抜きをしました。
ところが、もうすでにカランが回らないほどに凍りついていまして、熱湯を作り、それをかけて回すほどでした。
さてまた猫の餌が切れてしまっており、買い物しなくては。道路は凍結まちがいなし。午後にでも出ますか。

マンデラ効果は私も経験か

マンデラ効果とは、Wikiで見てもらえば、どういうことか出ていると思いますが、
コーリーも認めていて、彼の話の随所に出てくるのですが、すでに決まっているはずの過去の事件が後で異なった事件になっていたり、あるいは確定的な未来が、いつしか変化していたりする、いわゆるタイムラインの慣性方向からの逸脱ということがひとりでに起きていることがけっこうあるという話です。

2008年頃にしていた異界交信によれば、それは「フーコーの振り子」と回答が出ていました。つまり、少しずつタイムラインがずれるのが法則だということを異界の存在は伝えてきていたようです。

私が顕著に経験した、たぶんマンデラ効果に、こんなことがありました。

私は明晰夢を見たときは、たいがい正夢だということは幾度か書いてきたことです。
明晰夢とはリアルな色彩の新鮮で、目覚めてからも憶えておれるほどの夢なのですが、今現在ではヘミシンクという技術で、一晩に何度も明晰夢を見て、そのたびに枕元に置いているメモ帳にかきつけているヘミシンカーさんが多々おられるようです。
私は幾多の夢を見ていることはわかっているのですが、何の夢かはっきり憶えているいわゆる明晰夢は、ほんのたまにしか見ないのですが、それがおおかた現実とリンクした正夢と言っていいものになっているのです。

あれは明晰夢体験の最初と言っていいでしょうか。私の父が昭和55年4月4日午前4時に亡くなりまして、そのときは既得の報せで病院にいて、父の最期を看取ったのですが、その二日後未明の夢に亡き父が出てきまして、赤銅色をした太い丸柱の横に置いてある黒電話から、こちらのほうに電話している父の様子が見えているのです。浴衣姿で左腕を斜めにだらーんと垂らし、右手で受話器を握っている姿でした。
(入院しているときのそのままの姿で出てきていたようです。左腕は点滴を受けていたからか)
電話をかけてきた父に応答して、私はなんでこんなこと訊くのかも変なのですが、「ああ、お父ちゃん。いまどこに居るの?」と言ったのです。
すると父は、「ああ、いま、しんしょうじにおる」と答えて、そこで私は夢から覚めたのでした。

その当時は私は遠方で勤務していて、その日は忌引き休暇で実家にいたため、さっそく起きてから母に、「お父ちゃんが夢に出てきてなあ、こんなこと言うとったで」と夢の状況報告をしたのでした。
キーワードの「しんしょうじ」というのはなんだか知ってるか? 母も知らんと言います。
その後日、父の菩提を弔うために墓入れすべく、父の生まれ故郷の実家の菩提寺に行くことになり、さて着いてみれば、お寺の玄関に「振相寺」と表札が出ており、その場で「ああ、しんしょうじとは、ここのことや」と叫んだのでありました。そして和尚さんとの話の最初に、夢の内容について話し、「振相時はしんしょうじとも読めますよね。父はそっちのほうで呼んでいたんじゃないでしょうか」などと話し、反応を覗いますと、和尚さんは、「よくあることですよ」と、事も無げに仰ったので、いささか感動も半減したわけでしたが、まあどうして僧職の方は、ああもおちついておられるのかなあ。リップサービスぐらいなさらんのでしょうかね。
夢に出てきた赤銅色の太丸柱もありました。が、そこには電話機はありませんでした。しかし、この場所から掛けてきていたことは間違いないようでした。

母が亡くなったときに葬儀に携わってくださった和尚さんのときも、たいへんな明晰夢を見て、和尚が夢の中に重職で出てこられていたことを告げても、嬉しそうにはしておられましたがさほど仰天されているふうでもなかったので、やっぱり不思議経験の量が和尚さんたちのほうが半端じゃないんでしょうね。

さて、当時の記録は、インターネット環境ができてからすぐに、「亡き父、夢枕に立つ」という短編にしてホームページ掲載しました。1994年頃でしたか。「振相寺、しんしょうじ」として。

ところが、最近になってネット地図で場所を調べようとしたところ、「振相寺」で出てくるところがないのです。ちょうどそれらしい場所には「振宗寺」というのがある。ええーっ?? おかしいな。
それでその言葉で検索して、改名の謂れがないかどうか調べたところ、創建当時から「振宗寺」のままということでした。
そもそも、これでは「しんしゅうじ」と呼んでも、「しんしょうじ」にはならないです。父が言った言葉さえも、間違っていることになり、菩提寺を訪ねた当時の私の見たものも間違いということになってしまうわけです。
しばらくこのわけは何なのか考えましたよ。
そして、わけのわからんことは、これにしてしまうにしかずということもあり、マンデラ効果・説を唱えることにした次第。

ここでもし謎解きを放棄して、どうでもいいやとか、黄のせいだろうとしてしまえば、もう気づきの機会は失われるかもしれない。気付けなければ、何の解明もできません。多くの人はそんな機会を、どうでもいい、気のせいと繰り返してきたために、たとえIQ150の人でもIQ32の老人の思考に及ばないようなことになるのです。

前の記事では2000年のときに時空の架け替え、あるいは増設があったとしましたが、それ以前を旧時空、それ以後を新時空とすれば、この両者にはけっこう差異が見られるのかもしれないといったことになります。
だって、この蓼食う虫もすきずきの蓼である私が、いきなりモテ始めたのが2000年前後からなんですからね。
まあむろん、その蓼を食う虫は神様の化身だったんですけどね。
そしてまた、神さんばかりがいらっしゃる不思議な時空になってしまいました。まさか、これってアセンション?? いや、とんでもなくこの世は危機的に思うのですがね。

ウヒャーッ、この今の時刻10時30分において、室温0度です。ストーブの油も切れかかって、ボコボコ言ってました。
手はかじかみ脳梗塞さながら。
欧米並みに気温が下がったらえらいことです。米国は国土のおおかたがマイナス30度以下で、最低気温がマイナス126度のところがあるって。絶対零度に手が届きそう。
逆に豪州ではプラス40度以上の猛暑。ま、地球平均で釣り合ってればいっか。(´;ω;`)

おいおい、なぜ極端な気温差なのかの謎解きはしないのか?って。
できてますよ。
地球環境をダメにしたことで守護神さんたちが撤退してしまっていること。それが客観的な解釈です。
そして、2000年で滅亡したはずの地球における、私のための時空増設だったわけですから、私がそろそろ味わい尽くして去ることになれば、元の空虚な宇宙空間が戻ってきます。ちょうど、ありもしないところにオアシスを示現した狸の妖術に乗っかってるようなものなので、狸が去ると同時にオアシスが消えるようなものですね。

私の経験したマンデラ効果がどんな影響を世界に及ぼすか。それはマイナーなものと思います。

父の実家の菩提寺の名称が異なっていたというのは、私固有のマイナーなタイムラインの過去が変化していることになります。
そのわけは、私の意識が新時空に移行したために、新時空にすでにあったタイムラインの過去がこうだったということになるでしょう。
私が時空をいじったのではありません。何本か並行して存在するタイムラインの間でシフトしただけです。
むろん、私がタイムラインシフトしたせいで、以前のNさんといまのNさんでは幾分か異なるかもしれませんが、それはタイムラインごとに別々のプログラムが用意されているからという推測が成り立つかと思います。

坂本さんは彼自身のタイムラインを複数持っていて、まず第一時空で生きていたとき、社長をしている私に出会ったと言っています。
過去世のよしみで会いに行ってみたら、金儲けのことばかり考えていてけんもほろろだったとのこと。
そこでは短命に終わることがわかったので、第二時空にシフトしたんですが、そこでも短命とわかった。
それで第三次空にやってきたとき、ここの私に出会って、ああこれぞホンモノだと思ったそうです。
実際、私が社長になる可能性のある選択肢もあったのですが、二者択一の時、そちらを選択しなかったことが、こちらに居る理由になるでしょう。

これでだいたいの概念はわかるでしょうか。