猫のブーが12日にきたきりで食事しにきていません。
外気温マイナス4~6度の酷寒を二晩経ているので、もしかしてと思っていた今朝未明、
私が眠っているさなかに、どたどたと部屋を動き回る音がして、トンがうろついているのかと思ってみれば、
気配が去った後、シャンに続いてトンが私の寝ているコタツから次々と出てきて、シャンが私に鳴いて起こすのです。
もしかして、ブーが来ているのかと急いでベッドから出てみれば、置き餌に何の変化もなく、ブー以外の他所猫が侵入したとしても、
必ず何かを食べて行っているはず。ところが、何の変化もありません。
外暮らしばかリさせてしまっていたブーは、どうしても居就こうとせず、食事だけ律義に済ませると去っていく日々でした。
昨年の8月頃だったか、左目を潰して食事しに現れたブーでした。
それが化膿したりすることもなく、右目だけの生活をしていたようでしたが、何があったかは知れませんが、なんとなく
今朝未明に霊体としてやってきて、存在感を示してくれたような気がしました。
まだわかりません。三日たっても現れなければ、仏壇での唱名となります。もうだめかと思って、三日後にひょこっと現れることが
これまで何度かありました。それはブーに限ったことではありません。
そんな今朝は、室温プラス1度でした。寒さが弱まりました。
明晰夢のエピソード
さて、先日は明晰夢として亡き父の夢を見たこととマンデラ効果体験を組み合わせましたが、私の母が今度は自分も父を夢に見たいのに
毎日拝んどっても出てきてくれんと嘆いていたのでした。
私が神戸に戻ってしばらくして後、母が、「お父ちゃんがやっと夢に出てきてくれたで」と嬉しそうに言います。
父は母に「今晩の七時半からテレビに出るから見といてくれ」と言ったそうです。
さっそく私は、朝刊を持ってきてテレビ番組欄を見ると、メジャー局ではそれらしい番組はなかったですが、ローカル局のサンテレビで夜の七時半から「丹後の伊根はパラダイス」という別荘地分譲会社主催の番組が載っていました。
これだれこれだと、母に説明すると、「それなら今晩見とくわ」とのこと。私もポータブルデッキ型の録画機に録画予約して仕事に出たのです。(この録画機・シャープのマイビデオは、小西六カメラとセットで、武良さんに同行して初めてUFO撮影して成功した機材です)
さて、仕事から帰って母に問いますと、母は「じっくり見とったけど、出てこんかったよ」と言います。
まあたぶん、幽霊だから無理だろうとは思いつつも、録画機を再生しますと、やはり発見できませんでした。
霊能者ならば見えたりもするのでしょうが、そんな資質もなく、しょうがないなあ、またお父ちゃん、夢に出てきてや、で終わったわけでした。
父は、たぶんいちばん懐かしい故郷の地に戻っていったのでしょう。菩提寺の振相寺といい、そこは父がまだ子供の頃に、野山を駆けたり海に潜ったりして、友達や兄弟や両親や村の人と過ごした土地でした。
その後、墓は神戸市のほうに移転しましたが、父には生まれ故郷が忘れられなかったのではなかったでしょうか。
墓の移転の頃の明晰夢(1981年)
私は名古屋で仕事していたため、それを理由に神戸の家のことはほとんど母と妹に任せていました。
母は、父をねんごろに弔うために、先祖の墓を神戸に移転することを計画。
私にはそのようなことを内緒にしていたのではなかったかと思うのですが、私は墓の移転する直前の未明の夢に、青黒い空間に、芋とその 根のつながりのようなシルエットが、横たわっていた状態から縦に起き上がり、それが何体か連なって立ち昇るという気持ちの良くない夢を見ました。
むろん、芋と根のつながりというのは、あちらでは土葬のゆえに頭蓋骨と脊柱がこのように見えたという次第だったかと思われ、魂抜きが抜かりなく行われたこ とを示すものであったと分かりました。
現実には土葬された実体を掘り起こして持って行ったりはしません。墓所の移転に伴う、形而上的な観念世界における儀式上の魂抜きなので す。それを実体的夢として見てしまうとはいかなること。夢とはいえあまり気持ち良くないものでした。
母が生前戒名を受けたとき (1981年)
父が亡くなったときの戒名を、神戸に先祖の御霊を移転した際に、新しい菩提寺にもう一度付け替えてもらったのですが、そのとき、母も生前戒名を作ってもらったのでした。
ちょうどその頃のこと、私は名古屋にいて、未明の夢に、浄円月を右肩に載せた白衣両翼の天使が、きれいな群青色の空に満天の星とバックコーラスを背景に出 てきて、その肩の満月で私をピカピカ、ピカピカと照らしたのです。
天使の顔を見れば、まぎれもなく母の顔でした。
私はその頃から、インスピレーションが頻々と沸くようになったことを覚えています。
母の生前戒名は「智円妙定大姉」です。それを知ったのは、私が神戸に戻ってからのことでした。
ちゃんと戒名どおりの現れ方をしていることになりませんでしょうか。名は体を現すとは、私の実名においてもそうでしたが、母もそうです。
実名は「禊」という のですが、まさに親、夫、子の三代に身を尽くした、カルマを消すような人生でした。
さらに戒名にいたって、月の天使として現れたこと。まだ母は当時ぴんぴんして生きていましたが、私に前もって正体を見せてくれたに違い ないと思っています。と同時に、戒名さえも(霊)体を顕すのではないかと思ったことでした。
そういえば、よく歌の「月よりの使者」を 小さな 声で口ずさんでいた母でした。きっと本人が月よりの使者だったのでしょう。(母は倍賞千恵子にも似ています)
白球UFOがすいすい出てくる夢 (1976年)
時代は少し遡りますが、
白球UFOがすいすい出てくる夢は、実際にUFO観測会に参加して、初めて実際に目撃した赤いブーメラン型UFOの”続編”として見て います。
UFOを初めて目撃したときの、きっかけとなったと思われる行為は、中天の夜空に向かっての「私を友達にしてくれますか」の問いでし た。その相手は大きな赤橙色 の三日月形UFO(ブーメラン型UFO)で、視野のど真ん中に現れました。
その数日後の就寝時から、夢に白球型UFOが登場するようになりました。たいがい夢に出てくるときは、満天の星の夜空を、複数機でみず すましのようにすいすい飛び抜けるシーンでした。それはまさに、私を友達として誘うかのようでした。
後に最近になって、コーリー・グッドの話から、スフィアビーイングとのファーストコンタクトだったことがわかりました。
そのファーストコンタクトの数年後(1982年頃)にピラミッド瞑想中に少し赤味をおびた白球UFOが眉間から飛び込んできて光のシャワーを浴びるという、いわゆるセカンドコンタクトらしきことをしたような次第でした。
それから2003年でしたか、坂本さんと知り合い、彼には未だ以てその話はしていないわけですが、彼は私とはエジプト時代のよしみで、私はファラオで彼は最高神官をしていたのだと話しました。
彼が言うには、スフィンクスの足元の秘密の部屋に当時の最先端科学技術のUFOや死体蘇生装置などの設計図を書いて保管したのは、他ならぬ私だとのこと。その記憶はすべて魂が知っているが、肉体にまでは下りてきていない、それを下ろすには、ある果物を食べたらよい(記憶が戻る)と、その果物のイラストを描いてくれたものでした。ネットで調べても、近似したものはあっても、それらしいものはなかったです。
またその頃、「世界ふしぎ発見」で、吉村作治氏が想像したファラオの太陽神迎え入れの儀式のCG映像が放送されたのを見たとき、ああ、これだ、ピラミッド瞑想中に経験したことは、これに違いないと思ったようなことでした。
巨大ピラミッドではなく、ミニチュアピラミッドでも同様の体験ができること。面白い発見でした。
質問者に対するコーリー・グッドの解答によると・・・
Q47 スフィア・ビーイング・アライアンスは地球上の人達と夢を通じてコンタクトを始めるのですか?
A47 はい、それが彼らからの「ファースト・コンタクト」のプロトコル(手法)です。
どんな場合であれ、夢を通してコンタクトを受けます。未知のソースからチャネリングやテレパシーでのコンタクトを受けることはまずありません。
潜在意識・ハイヤーセルフレベルでコンタクトや交信を受 け入れると、さらなるもしくは拒絶すると、さらなるコンタクトが他のプロトコルや標準的な活動プロセスに従って確立されます。
これはいかなる場合であろうと例外はありません。
英国紳士風宇宙人??の訪問の夢 (1977年)
私が名古屋にいた27歳頃のこと、シンバル状UFO2機に乗ってやってきた二人の英国紳士風宇宙人が、神戸の実家(ここには小学校~社会に出る前の頃まで住んでいました)に訪問してきて、歓談している夢を見ました。
これは私が中学三年のときに宇宙人の訪問を実際に受けていたものを、記憶の消去が毎回なされて、後日、フラッシュバック的に夢で思い出したものであると解釈できています。
それが単なる夢でなく、確実にあったことであることは、当時私の妹が、私が受験勉強で部屋をチェンジした際、山高帽の英国紳士のお化けが出たという恐怖体験を語っているからです。
妹が霊視するようなことは皆無ですから、まさに宇宙人の実体を見たに違いなく、また本人もほんものの英国風紳士だったと主張しています。
なんとその当時の神戸の家は、二戸一長屋のうさぎ小屋で、やってきたとするなら2階のベランダからだったでしょう。そのときの夢は、母が一階からお茶を運 んできたので、家族ぐるみで付き合っていたのかなあといった印象です。
天帝様にお会いする予定の夢 (お会いすることは未遂 1979年)
夢の中で、何かの催事場に正装して参ったのですが、その入り口で縦長の短冊形のパンフレットをいただきました。
手渡されたパンフレットの表には、「天帝様へのお会いの仕方」と書いてありました。
たったひとりでそのまま通路から向こう側に出ますと、大きな野球場のグランドです。
その真ん中に行こうとして、そのとき右側一塁側観客席に、陽光を浴びて白銀に輝く、けっこう分厚目の十字架が縦横整然としてたくさん重なり合うように、観客席を埋め尽くしているのを目にしました。
野球場をプレーヤー側から見ているといった感じで、私はグランドの真ん中に行くと、どういうわけでそうなるのか、あらかじめ決められた手順のように、私は右手に持っていたパラソルを開いて、その浮力で天に昇っていこうとしているのです。
タキシードで頭にハットを被り、手にパラソルといったいでたちでしたから、まるでセーラームーンの漫画のようでありますが、その当時あの漫画はまだなかっ た頃でしょう。
私は上を向きますと、空は若草色(薄緑:映像を加工したときになるような)に、和紙のようなうす雲がかかり、私は広げたパラソルを浮力 にして、上空へと揚がっていきます。(パラソル持ってても空が見えてるんです。夢ですなあ)
中空まできたとき、私はまだ行くべきときではないと思い出したところで、上昇が止まってしまいました。そして、目が覚めてしまったのでした。
さあそれから最近になって、といっても2001年のことですが、その不思議な夢の話をさせてもらった女性から、驚いたように、それってシンクロだよと衝撃発言が・・・。
ある精神修養の道場(断食道場)で同席した、アメリカのベティさんという女性が、かつてロサンゼルスの野球場の外を通行していたとき、スタジアムの中から たくさんの十字架が次から次へと空に向かって揚がっていく様を目撃したというのです。ベティさんという方はきっと幻視されたのでしょう。
「天帝様へのお会いのしかた」というパンフレット。
そして一塁側観客席の白銀色に光って整列していた十字架群。
分厚い十字架群は米国の墓地に見られるような大理石(ですか)で作られた、まさにそのようでしたから、プロテスタント系のキリスト教徒で亡くなられた方たちを表しているのでしょう。
しかも、白銀光りですから、清純なキリスト教徒の故人の方たちではなかったでしょうか。
十字架群はみんなキリストに会いに行くと信じて待機しておられたのでしょう。
まあ、私はキリスト教徒ではありませんが、あの夢の順序からすると、私の方が彼らより先に天帝様に会いに行くのだろうとは思います。
私が先導する格好になるのかな。
たぶん黙示録に言う最後の審判の督促のような用向きになるのではないかと思います。
しかし、この世を去って待機しているのは彼らのほうが先。夢の中ではすでに十字架の墓標になられているのですから。
ではそれはいったいいつ頃になりそう?
もしかすると、加州に山火事の広がってる今頃がそうかもしれません。
キーワードとして出てきた「ロサンゼルス」に火の手は迫り、すでに市街地の一部が焼けたそうで、この一連の大火による死者は数十人、行方不明数百人にのぼるとか。
球場で待機していた十字架の数は二百ほどだったでしょうか。
今時の可能性はありますね。
また、北朝鮮が距離を大幅に伸ばしたミサイルで核を撃ち込むとすれば加州ロサンゼルスになるという予想も出ています。これなら何百万人が一瞬で亡くなります。
それこそ、黙示録にも言う、「主よ、いつまで血の報復を控えておられるのですか」という清教徒たちの言い分にもなるのだと思います。
すると天使が現れ、各人に白い衣を手渡しながら、「いましばらく員数が満ちるまで待て」と制止するわけですね。
そこに加わるかのような私も、その員数の一人なのかもしれません。
コーリーの話では太陽フラッシュが起きるのは2018年~2024年(1年延ばされて)と高次元存在からの情報を受けとっているとか。
その結果、地上からは邪悪が滅して、とても住み易い世界になるだろうとのこと。そこにバシャールが2022年までと短縮しちゃいました。
リモートビューアーのエド・デイムス氏によれば、北朝鮮が核兵器を使用した後に太陽のキルショットが起きるとのこと。これをビューアーたちの間では、キルショット・シーケンスと言っているとか。
地上の生き物は絶滅するとのことで、エスタブリッシュの人たちは地下に避難を始めているとのこと。
しかし、太陽フラッシュのパワーの度合いはコーリーにも誰にもわからないとのことで、避難それ自体が賭け事のようなものになるかもしれません。
火星への旅行者の視座に入ったらしい夢
これはいつごろ見た夢か、忘れてしまったのですが、たぶん30歳代の頃の夢だったか。
旅行者は案内の導師に導かれて、火星の遺跡地帯に行ったようです。
私が見た夢の光景は、砂塵舞う中に古代ギリシャ風の衣装を着て、右手の方向を示している導師の姿と、導師越しに遠くピラミッドが二基、 重なるようにして存在している様でした。
ところが、導師の示す方向を、私の視座の人物は見ているらしく、「ああっ、ポースの丘だ」と叫んだのです。
視座の人物はどうやら、火星のこの場所の記憶があるらしかった。
私は結局その方向を見ることはできずに目が覚めてしまいました。
しかし、なんとなく彼が見たのは、人面岩の遺構のような気がしました。
キーワードの「ポース」は、ギリシャ神話のポセイドンを想起させます。ポセイドンは海の神であり、アトランティスの統治神だったとされます。
とすれば、人面岩はポセイドンの顔なのか。
ところがその夢見の当時には、私は火星に海などがあるとは知らなかったのです。今になれば、過去の時代に海があったことが知られるようになっていますが。
ピラミッドや人面岩の場所は、かつて海のあった場所の近隣ではなかったか。
もしかすると、アトランティスは火星にあったのかもしれません。
その後(2013年頃)判明したこととして、シュメールの粘土板・アヌンナキのエンキの記録が邦訳されてネットに上がっているのを見つけました。⇒ 失われたエンキの記憶:序説
それによれば、火星の人面岩はスフィンクスの建造のまだはるか前の、ニビルが金をたくさん探していた時代に、アラルという神が反逆を働いて、逃げ延びた先が火星で、彼は未踏のその地で亡くなったのですが、亡くなる前に火星に有用な鉱物資源があることをニビルに知らせた功績で、この場所に彼の顔を模したモニュメントが作り置かれたとのことです。
やはり人面だったこと。しかし、アヌンナキの人物だったことになります。
もしかすると、映画「オデッセイ」は、アヌンナキのアラルの功績を讃えるための作品ではなかったかの感想を持ちます。
いっぽうスフィンクスは、やはりアヌンナキのエンキの息子のニンギシュジッダの顔を模したものだとのことです。やはり功績が認められてのことで、マルドゥクとの間で誰の顔を彫るかで紛糾したらしいです。
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Okundコメント
私は明晰夢を見るのに、たいがいは早朝の未明に見るということ以外には法則性はないようです。
しかし、その夢の内容が後で正夢になっていることに気付くことが多いです。
しかも、何らかのシンクロが伴うため、より印象深く残ります。
まるで必要な時に、ハイアーセルフによって現場に連れて行かれ、その光景を見てくるといった感じがします。
それは現実の場においてもそうで、これから必要になるから、予備知識として知っておけといった具合に、情報源を与えられたりします。
また、すでに仮説した内容を証明するような情報を後で与えられて、シンクロとして印象付けられています。
それらの情報源は、こちらから探しに行くといったことがほとんどありません。向こうから勝手にやってくると言った感じです。
私は、たぶんハイアーセルフがあっせんしてくれる情報をもらい、こちらの3次元脳で論理分析している感じであり、いわば理解を深めるための分業体制があるかのようです。
だから私は、IQは低いのですが(32~80)、成果としてIQ120程度のことはできていると思います。