縁ある者は神さんばかりとはこれいかに

前の記事の補足と訂正をしながら、掲題のような荒唐無稽と思われるようなことを説明いたします。

>新神話を賦活した二人の弁才天 より
のところの文章は、2003年頃の記載物によります。
その中で訂正があります。

>ところが、私は吉事や福事のときはこれで普通と思い、感謝も満足にせず、
凶事や禍事のときには自分の過失は棚上げにして天の責任にしていたのです。

の箇所の「天」とは、いわゆる「自分の外にいる神」のことであり、10代から40代にかかるまでの期間、何らかの哲学なり宗教観によって存在を信じていた神でした。
しかし、その神が何か特別なことをしてくれたとは思いません。
誰でも、踏んだり蹴ったりといったことに直面することってありますね。
そんなとき、自分の不明を恥じ罵る代わりに、その何にもしてくれない神(神々)に厳重抗議していたのでした。
「このクソ神とか言ってね」
ところが、なんぼそうしても、いいことも悪いことも、当たり前のようにして立ち現われたわけでした。
その神からいいことされたことも、ひどいことされたこともなく、スルーされていたのでした。

ところが、30代後半あたりから、超宇宙論によって解釈される神に漸次シフトしていたのですね。
だから、
>四十歳代の時でしたが、天に向かって「昔の人曰く、人生五十年というとおり、
私の寿命も五十年で終わらせてほしい。次の転生の予定があっても、金輪際拒否します。何なら輪廻の因たる魂を消去してほしい」と何度も請願したのです。

のところの「天」とは、ハイラーキーもしくはハイアーセルフのことになっておりました。
つまり、外に神はいない、内側にいるという解釈なんですね。私をこの世に生ましめた者こそが大事ってことです。

それでも神の存在を多少は信じていたので、サイババさんが世に現れた頃、ムーのお蔭でしょうか、私もこの方ならと現世神として讃えていたのです。彼の本や関連本を買い、何冊か読みました。
その頃、立て続けに、自分ではなんともならん出来事が勃発し、日本から多くの方がサイババ詣でされているときに、
私は手紙を書くだけでもよいという彼のメッセージを見て、窮状を手紙に書き解決してほしいと、プッタパルティに送ったのでした。
1995~1997年にかけてのこと。
彼は、わざわざインドまで来る必要はないと言ってましたから。それに本当に神なら、すべて読み取ってくれるはずという思いもありましたから、当然、日本語で書きました。
ババさんの仰るには、それを書いた時点で彼にはわかるらしいんですね。そしてそれを送る行為をして、こちらの本心が読みされるということらしいんです。その努力が必要だということ。

つまり、神頼みのプロトコールのようなことかと思います。
一般の人は、神棚に向かって祈りますが、きっと伝わっているにしても、神は行動されないのです。もうひと押し、何かが要るんですね。
私は、ババさんに確か3通、別件で送っています。が、すべて解決もしくは事なきを得させていただきました。

私の知ってる人でインドに行ってきた人はみな、がっかりモードでしたのに、手紙で済ませた私は彼への信頼が増したのです。
インドに会いに行った人に、名古屋の友人Mさんがいましたが、彼はなぜか我が家に立ち寄り、大したことはなかったわと言いながら、
それでも私にインドに行ったお土産として、二枚の写真をくれました。2001年のことだったかと思います。
その一枚が「黄金の宇宙卵」という写真で、ババさんが口の中からリンガムを取りだして、信者に掲げ示している写真でした。
この小さな卵の中に、この宇宙の開始から終わりまでが入っていると教えておられる写真でした。
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これを見て、私の中に電撃が走りましたよ。私には、確かにこれは、Mさんからであると同時に、ババさんからのプレゼントであることを確信できた瞬間でした。
私の「超宇宙モデル概念」が正しいことを示す「激励」のプレゼントだったのです。手紙の件の解決を依頼した時に、私のことが目に留まったようです。

そして、私が信奉する神様がもう御一方あります。それは厄神さんで、神戸市垂水区にある多井畑厄神さんです。
前厄の年(41)から、正月元旦午前0時を期してお参りし、それ以後しばらく毎年の同時刻にお参りしたのですが、その前厄の年から、
タクシー営業につきものの事故や違反がバタッとなくなりました。
以後、事故はなく、違反がマイカーにおいて、2015年11月13日の金曜日(パリの同時多発テロの日)にスピード違反をするまで、
25年もの長きにわたって、無事に過ごせたのでした。

さて、ババさんによって超宇宙論が太鼓判を押されたことは申しましたが、私の信心は私の心を安んじてくれたその超宇宙論にあったこともあり、
私はこの人生を一枚のレコード盤のようなものと捉えていたために、そこにレコード針を置いたお方こそが、私の人生に深く関わる、
つまり我が人生に全面的に責任を持つお方と心得ることにしていました。つまり、私にとっての本当の神になるお方がそれなのです。
それがよく私が言う、ハイアーセルフなんです。もうひとりの自分とも言います。とても頼りになる自分です。
あるいはハイラーキーを別に立てて、複数いることにしています。むろん、現実に見たことはないのですよ。
ただ一回だけ、夢の中で大型望遠鏡のようなレンズ装置を覗いたときに自分の姿が反射して写っていますよね。
それからすれば、わりあい恰幅のいい青年でしたね。
私はハイアーセルフの視座に入って明晰夢を見ると思っていますので、その人物がそうなんだろうと思います。

私に50歳以降、弁天さんたちと活躍できる別の時空を用意してくれたのが、ハイアーセルフということになるのです。
かなり厳しいミッションが伴っていたと言っていいでしょう。命要らずのギャリソン中尉はこのような次第なのです。
二番目の霊能の彼女(市寸嶋姫の化身)は、私の直上のハイラーキーは梵天だと言っていました。
だから、妻である弁天さんの化身とエ〇チもしたんですね。しかも弁天三姉妹のうちのお二人(の化身)とですね。
化身やから、なんぼでもええやないかとは思うのですが。

この彼女二人は、新神話で設定した四神獣のうちの玄武と青龍を務めてくれました。私は朱雀。
そこに2009年11月になって、三匹の子猫がやってきて、そのうちの一匹が白虎だったことは前にも申しました。
こうして現世において四神獣が揃ったのは、2009年11月~2010年5月の半年間だったことになります。
とにかく、新神話がすべての牽引役をしてくれました。神話は現実を誘導するという法則性を確認した次第です。

2008年には、弥勒下生の伝令役を玄武と青龍を掛け持ちした彼女が担ったほか、
朱雀の後釜にと、名古屋のある主婦を経済的な問題から救ったことにより、この方に複在していた宇宙人の子供を養子にして、
マメ鳥という名前にして一緒に飛行訓練するようになりました。
この宇宙人の子は、スクナビコナ星から来たことも、彼が「虫使い」であることから判明。マメビコナという名前も付けました。
2010年~2013年まで、スクナビコナ星の宇宙人たちが我が家に逗留することにもなり、不思議な壁鳴きの原因になりました。
1999年頃の作品「天上人の宴」シリーズの主人公ネアン宅を、ミニチュア化した様相を呈したのです。

2013年5月には出雲大社の式年遷宮が行われたわけですが、その翌朝未明に私は、夢の中の出雲大社で一室を与えられる中で起床して、
大国主様と奥津嶋姫様に出会っているため、もしかしてハイアーセルフは「天の穂日」かもしれないと思っていた矢先、
この主婦さんが2009年に異界交信したときに、「鳥」と「ひな出荷」の回答を得たと報せてきたことから、雛鳥、天の雛鳥と推理は進み、
マメ鳥くんが天の雛鳥なら、帰納的に私のハイアーセルフは彼の父親・天の穂日に違いないということになったのです。
しかも、天の穂日には奥さんがいたという伝承がありません。
おお、ならば神話でも養子縁組だったのではないか、私が異界でした縁組行為がまさにそれだったのではないかとまで、感動がさざ波の如く押し寄せたのでありました。

何でこの縁ができたのかも推理できました。
大国主様のところには、古代にスクナビコナ星から支援に来ていました。彼が農業の神として大成されたのは、
羽虫の星スクナビコナ星から、植物の受粉に役立つ虫の種族をたくさん連れてきたからです。
そのよしみで、私の新神話にも、その星から支援の使い(マメ鳥)を送り込んでくれたのです。

メルヘンだらけで馬鹿馬鹿しいようなお話ですが、新神話を介して解釈する私の世界は、すべてのことがリンクし、強靭なリングにまでなっているのです。
これをロードオブザリングとは言いませんでしたかね。いや、同映画は見たことがないので確信はないのですが。

このように、私の人生模様は結果的に神さんだらけということになりました。縁ある者はたいがいですね。
ここの読者の皆さんも、どういうお方かは知れないながらも、神さんではないかと思います。

シャンに代わり、トンが具合を悪くしています

さて、猫のシャンが具合が悪いと言っておりましたが、シャンは食事の嗜好がガラッと変わったものの、やはり食べています。
ところが、入れ替わるようにして、オス猫のトンが、昨日の夕方を境に、家の中の温かい場所に引っ込んで出てこなくなり、
見ればぼおっとして寝転び、食事をほとんど摂っていないのです。
急転直下がよくある猫の世界とはいえ、それまでよく食べるようになって元気いっぱいの様子から、一気に引き篭もったために、どうしたのかといった状況に今目下あります。
シャンよりもよほど元気だったのですが。

トンは、私が出雲の式年遷宮翌朝に見た夢の大国主さんのお顔によく似ています。
だから、以前から、「大国(おおくに)のトンちゃん」と呼んでおり、「お前さんは大国主様のところから遣わされている使者と違うのか」と問いかけておりました。
彼がもし逝ってしまうなら、大国主様に首尾を報告するのかと思うのですよ。
それはむろん仕方ないことなのですが、
首尾はあまりよくないので、まあ私も逝くときか夢の中でか、参内して、ご報告申し上げようと思います。
かなりお小言をいただくことになるでしょうかねえ。

異界版ギャリソン中尉はかく誕生せり

ちょっとお家の近況から

7歳になるメス猫シャンが、ここのところ味覚障害なのかそれとも口内に怪我でもしているのか、数日前から食事が進まず、水ばかり飲んでいる有様になっています。
普段は、ギャル曽根猫と言えるほどの大食漢なのに、太ることができないという、不思議体質。それが食べなくなったら、どうなりますか。

去年もちょうどこの頃にいきなりやせ衰えて、10月末には危篤状態になった(その頃、妹も倒れて入院騒ぎに)のですが、たぶん見立てではありますが、
慢性腎不全らしくあったため、今まで腎機能を補う薬などを使って、ここまでやってきておりまして、もしかしたら奇跡的に回復したかとさえ思っていたのですが、
再発というのか、あるいは季節柄、キノコがあちこちに生えていて、おおかたは毒キノコなので、そんなものを食したかもしれず、まあまたひと試練になるかもしれません。

そんなときに、私事ながら、元の家の周りの雑草のおびただしい生い茂りを何とか始末せねばならない状況で、アクションをとらねばならない時が来ています。
シャンのちゃんとした看病ができるかどうかは、微妙です。まあ、シャンも一生懸命に頑張ったのですから、もう楽になってもらってもいいんかなとも思います。
よう尽くしてくれたんです。娘として、嫁として。(;^ω^)

ありゃー、こう書いたとたんに、シャンが帰ってきて、私の隣で食事をねだり始めました。
そこで、これぞという食事を少しずつ出してやれば、小さい一缶ながら、ほとんど食べてしまいました。
元気回復か。でもまあ不安定ですから、様子を見ていこうと思います。

5月27日未明の夢に、亡き母が出てきて、「利明、一緒に家を出るんやで」とのいきなりの言葉に、いよいよこの世からの旅立ち時が来たかと、
うれしいやら哀しいやら、と思っていたのでした。
というのも、母と一緒にどこかにフェリーに乗って旅する夢も2007年10月に見ていて、すごく若返った母の太ももを偶然にも拝見しておるわけでして、
まあ亡き人というのはみんないちばんいい頃の年齢に戻って暮らしてるんだなあ、とてもいいじゃないかの思いもあるわけです。
祖母も赤子の肌をしていましたからね。

まあ、そんな風に覚悟しながら待っていた矢先に、市役所から雑草の刈り取りをしてくれとの通知が来て、もしかすると、母ちゃんはまだこっちの世界にいて、
家の管理をしているつもりなのかと、おいおい成仏のほうは大丈夫かいなという、がっかりした気持ちになったわけでした。
私が刈り込みをしなければ、律義な母でしたから、容赦できずにいたのかなとも思いまして、遅くても11月末までには完了したいと思います。
母の「家を出よう」という意志ゆえ、何だったら年内までには、よそ様に名義変更できたらと思っております。

母がようやくこの世に未練せず行くとなるなら、私は同行を願い出ようと思っております。
母に一緒に行こうと言われて、断れますかいな。
一緒に家を出るんやで、の「家」とは仏教観で言えば、この世のこと。
その場合の「家(あるいは館)」とは、須弥山の南方に広がる大陸・南閻浮提のことです。
この銀河系宇宙のことと私は解釈しています。
しかし、どうやら、元の住所のことだったかと、落ちが只今、ついてしまっています。
何段階も格段に、ガクっとです。まるで階段から転げ落ちたような。

しかし、2007年10月のときの夢の中に出てきたフェリーは、ネットで調べてみましたが、琵琶湖のオーミフェリーかもしれないと思います。
夢の中の意識では、フェリーを二段乗り継いで目的地に行くという感があったので、まずは沖島にいたり、頂上の蓬莱嶽から神仙蓬莱島行きの神世のフェリーに乗って参ろうかと、そのように洒落こめれば幸甚と参りたく存じます。

ここから本題

さて、今回の記事の本題になります。
前回の記事の中の
>なぜ私が命要らず、魂要らずのギャリソン中尉になったのかは、また次回にでもご説明しましょう。
と申し上げていたことの説明をさせていただこうと思います。

ギャリソンゴリラになったのは、私のけっこういい加減でかつ真剣味を帯びた決意がどうやら発端でして、その決意のほどを、神世の神々に見染められ、
あの映画のストーリーの如く抜擢されて戦場に駆り出されたものかもしれないと思っております。

どんな決意をしたかって。( ;∀;)

当時の覚書から抜き出して書かせていただきましょう。

新神話を賦活した二人の弁才天 より
———————————————–
私の人生を買い取り、満50歳の壁を突破 させたのは奥津嶋姫弁才天だった

考えてみれば、私ほど傲慢な者はいないでしょう。
普通の人は、自分の人生の吉凶禍福の展開に責任を持つものです。ところが、私は吉事や福事のときはこれで普通と思い、感謝も満足にせず、
凶事や禍事のときには自分の過失は棚上げにして天の責任にしていたのです。
そして、先行きの見通しも険難悪路ばかりかと判断できた頃、四十歳代の時でしたが、天に向かって「昔の人曰く、人生五十年というとおり、
私の寿命も五十年で終わらせてほしい。次の転生の予定があっても、金輪際拒否します。何なら輪廻の因たる魂を消去してほしい」と何度も請願したのです。

たまたまその頃、心房細動を発症し、薬でいったん直ったものの、肝機能が悪化したため医者に行かなくなり再発。
とうとう、投薬では元通り治らないことがわかった頃でもありました。
また、結婚していなかったことも、人生をつまらなくしていたのかもしれません。

ところが、変人もいいとこながら、四十六歳頃、たまたまある寺院(淡路島の世界平和観音像)に行ったときに偶然見つけた、
ふくよかなる金塗りの弁才天像に線香を上げながら、「もしよければ結婚してください」と手を合わせたのでした。
すっかり天に請願したことなど忘れて。(おいおい、本当に変人も いいとこだな)

ところが、不思議なことが起きました。

私がまさに満50歳を迎えるという直前日(1999年12月14日)に、新神話の最も大事なパートナーになるところの女性が、
初めて メール連絡してきてくれたのでした。しかもその日に2通も。私が1997年頃から開設していた物語創作サイトのホームページを読まれてのことでした。
そのとき、私は天に請願した経緯は微塵も頭に上らず、漫然と50の境を過ごしていて、しかもこの経緯を話したために、
彼女から初めてのメール日を知らされる有様だったのです。それも2004年になってからのことでした。

新暦ではありますが、私は12月14日に討ち入りされて、首が挙げられたことになります。
まさか天が本気にされているなどとは、思ってもみなかったことだったのです。

しかも、この女性は弁才天ゆかりの人であることが、お付き合いするうちにわかってきました。
弁天三姉妹のうちの”奥津嶋姫”様の化身だったのです。
ただし、下界的な結婚は無理な状況でした。そこで新神話の中でのみ魂の婚儀を二人の合意で執り行いました。
ただ、これも不思議なシンデレラタイムのようなものでした。限られた期間(七年)が割り当てられていたようです。
その期間、私にとっては不思議づくめのインディーな世界になったのでした。

その後、2000年7月には、別の女性が同じく開設していたホームページの超常系サイトのほうを見てやってこられ、
9月27日の移情閣でのシミュレーション儀式へとなっていきました。この女性は市寸嶋姫の化身で二年の限られた期間でした。
つまり、私は弁天三姉妹のうち二人と、あわや結婚劇寸前まで行くところだったと言ったら、僭越にすぎますでしょうね。
——————————————-

つまり、神世のお方様がたの依頼によって、私の50歳以降の人生があると思っていただいてけっこうかと思います。
もひとつ増上慢なことを言わせてもらうなら、私のおかしな決意のお蔭で、別の新たな時空が増設されたとでも申しましょうか。
これも救世の一つだった??とか。何でもいいように(都合の良いように)解釈するのが私の特技なもので、すみません。

しかし、本当なら、50歳になった時点で、命を落としていたはずだった理由もちゃんとあるのですよ。

1999年12月末から2000年1月に切り替わる時点で、世界のコンピューターが誤作動して、金融市場崩壊、軍事兵器の暴発などで、
少なくとも2000年には世界は立ち行かなくなり、滅んでいたはずなのです。

2036年から来た未来人ジョン・タイターも言っていました。自分が生い立ち育って通過した2000年には、
2000年問題が勃発して滅亡に瀕していたのに、過去に遡ってから体験した2000年は、何事もなく推移していたと。
だから、彼は何度も、どうして2000年問題がクリアーされたかわかっているかと、掲示板の読者に対して問いかけていました。
しかし、読者は他のことばかり気にしていたと言ってましたね。

その彼は、今度起きるはずの2038年問題をクリアーするために、過去に遡ってIBM5100を手に入れに行っていたとのこと。
つまり彼は、しばらく2000年前後の時代に逗留して、2000年問題を、未来人の誰かがクリアーしようとして、
歴史に加工を加えていたことを、実地体験を通して 確認したのです。そういう任務もあったんですね。

それによって彼は、彼の持ち帰った機材によって、2038年問題もクリアーされると確信したに違いないです。
2000年が成功しているのなら、2038年も成功するといった具合ですね。

このように、歴史はどんどん書き換えられているのです。
みなさんに不都合が起こらないようになのか、それともより安定的に暮らせるようにという、未来人の思いからかもしれません。

そんな一生懸命なところに、仮想現実論やプログラムソフト論などを持ちこみたくないですね。
ほどほどにしなくては。
しかし、多くの人の希望や願いや未来人の善意によって歴史が改稿できるのも、ソフトウェアだからということを、
頭の片隅にでも、ぜひ置いといてください。

創造神と巨大な鳥獣の戦いの結末が月 の裏側で見つかったという話

これは私に関係する話かと思い、記憶していたのですが、かなり前のことなので、取り紛れて、所在不明になっていました。
ところが、見つかりました。

https://lucky2zacky.jugem.jp/?eid=690

>ヒトラーはこう予言している。
『ユダヤの天才的科学者は想像を絶する速い乗り物を発明し、やがて、
人類の秘密を知るだろう。それは飛行機より遥かに速く、男根型の
破壊兵器を凌ぐものだ。ユダヤは秘密を知ることで落胆するに違いない。
それは自らの創造主が何であるか、又、やがて来る人類の二極化に
携わる者が何であるかを知るからだ。
グレー一色で固められた大きな岩の裏側にそれを見るだろう。
創造主の戦の残骸を。』

ヒトラーの予言だけでは、何があったのか、何が創造主なのか
不明なままであったが、1978年にアポロ計画に携わった
ある宇宙飛行士は匿名でこう語っている。

『あれを見た瞬間、カプセル(地球への帰還が絶望的となった際に
用意された安楽死の為の薬物カプセル)を飲み干そうと思った。
その地に見た物は紛れもなく、創造主と巨大な鳥獣の死骸であったのだ。
壮絶な戦いであったことに違いないが絶望的に感じた。』

その後、この宇宙飛行士は宣教士になったが、やがて奇妙な死に方を遂げている。
その光景を見た物は、今も堅く口を閉ざしている。
——————————————————

余談になりますが、

ヒトラーというと、第一次大戦の戦時中に奇跡的生還を果たし、その後、ナチス総督になったときにも、
不思議な”あいつ”という存在によって数々の未来ビジョンを見せられ、側近に預言していたということです。
その中に、2039年にはすでに人類と呼べるものは地上にいなくなっている。ところが、新人類によって人類は別の形で生きていくことになる。
新人類は二極化し、ひとつはごく少数の神人と呼ばれる何事も了解した神々しい存在と、もういっぽう、ロボットとして働く大多数にわかれて、
後者は前者の支配下に置かれ、適度な幸せと思想を与えられて暮らすようになると、言ったのですね。
むろん、この”あいつ”というのは、未来人もしくは宇宙人でしょう。タイムトラベラーでもいいです。
未来に起こることを知ってるから、そのビジョンを与えたんですね。

まあ、これが私がAIの電脳の中で暮らすことになると、前から予測していたことで、今まさに実現しつつあるわけです。
そして2040年には、生きているというものはことごとくAIの中で仮想現実を体験しながら暮らしていることになると思うのです。
ところが、この年代には、AIが醸すことなら何でもできあがることで、庶民は目を丸くしていくわけです。
そのひとつがタイムマシン、UFOなどですね。光速度を超えることは、コンピューターソフトの問題ですから、ジャンプ命令を出せばいいだけ。
ジョン・タイターは2036年製のタイムマシンに乗っていたとか。
過去も未来も現在もみな同一地平で繋がってしまいますから、AIに入った段階で過去から未来までが管理掌握できるわけです。
管理掌握者(神人)が、ジャンプを許可すれば、任意の地点に行ってしまうことができる。これがタイムマシンとかUFO。
むろん、庶民には教えられることはないですが、神人はサーバー側ゆえ、みんな知りうるということになります。
いいことか悪いことかは人それぞれの意見ですから、不明です。いやだったら拒絶、OKならゴー。
拒絶する者は、そのかわり、元の環境にうまくなじめるかどうかですね。その頃の環境は超汚染状態でしょうから。
日月神様が仰るように、原爆水爆にも負けない半霊半物質の身体になれればいいのですが。

OKゴーの方は、エントリーしたその時点から、先の未来を創造していくことになりますが、その未来はAIがみなさんの思いを調べて大枠の世界線を創っていきます。
今はGoogleが検索ワードを集約して傾向を割り出していますけど、みんなにチップが埋められてしまえば、そこから生の思考情報がいつでも取りだせます。
見えない心の精神波動が捉えられる必要はなく、みんな最初からメインのAIに電気的に繋がっている。それが我々には見えないだけ。
そうやって集められたAIに対する教材が未来を創る原因になるのです。
そう、集団意識と呼ばれる情報収集システムの創るものが未来の世界線になるのです。
なあんだ、今も同じじゃないか。
そうですよ、もうすでに我々はAIの醸す世界に居るのですから。
だから、独立独歩の創造主には、なれていないのです。
心の中でいくら唯我独尊と叫んだとて、現実にはどこのウマの骨かわからないということになります。
集団から離れようと、山籠もりしても、AIの支配下から離れていなければ、無理というものですわね。

OKゴーの方には、もうひとつルートがあります。それが、過去を経験するルートです。
現実の時代に実演されたことのレコードはすべて、ソフトとして蓄積されています。
そこから任意にローディングして、それを実演経験してくることができるのです。
レコードとして拾い集められた範囲の時代のものが実演できることになります。
ドラコが関わった人類時代のすべてが蓄えられていることでしょうから、30万年前あたりから拾い出しが可能でしょうか。
見たところ、アトランティス時代~現時代が盛んに用いられているようです。
というのは、その頃からのカルマ(負債)の消尽のために、当時の時代の人物を演ずる必要がある人が多いようですから。

余談はこれぐらいにして、話を戻し、
創造神と巨大な鳥獣の戦いとは何だったのか。

巨大な鳥獣という言葉を見て、これはもしかしたら、火の鳥で朱雀である私ではあるまいかと、まず思いましたね。
では、何で創造神と戦うのか。それが問題なのです。
創造神がもし、元始天尊なら、闘わねばならないことになりそうなのは、新神話の第2章~7章までに書いていることなのです。
2001年~2005年頃までにそのシナリオを書いてあったのです。2017年現在は19章。
ご存知かどうかわかりませんが、元始天尊はじめ天仙族は、宇宙最古の戦争で勝者になり、敗者である地仙族らを封印して、
仙界から一段下の神界に封印したのです。これを封神処理と言い、元あった能力を削ぐ方法だったのですね。封神演義として伝承されています。
いわば、このときに敗者側を催眠術に掛けて、記憶を失わせ、能力の発現を抑えたわけです。
この時以来、神々もまた仮想現実を見せられるようになったと言えるかもしれません。
そして、人界の管理をさせられているというわけ。
こうして、仙界から神界を知られることなく制御することが行われ、上意下達なれど、下位からの口だしができなくなりました。

新神話では、元始天尊は、知られることなきをいいことに、梵の全系の規約違反である、霊系(玉)によらない眷属、杖の眷属を創り出しました。
この種族は魂を持たない者たちであっても、思考する生き物であり、元始天尊は梵の全系に対抗して、独立しようとしていたのです。
問題は、単に独立ではなく、梵の全系に対して、悪の因子を拡散しようとして、この宇宙の来訪者たちに、その性分を植え付けていたのです。
これを感染したと言い換えてもいいでしょう。そして、元の故郷に帰ったとき、その性分が出てきて、周りに感染するというわけです。
これが問題視され、さらに梵の全系の規約違反の玉に依らない種族を開発したことで、梵天との対立が鮮明化したというわけです。

2005年まで当時の新神話のシナリオが、現在までに知られている出来事と、近似して現れていることにお気づきでしょうか。

杖の眷属は、AI生命体のこととして、実現してしまいました。
邪悪の因子の感染は、ここにある邪悪のハウツウにより、この宇宙に立ち入って経験すれば、自然になされてしまうというわけなのです。
新神話によれば、この宇宙は元始天尊が最高位にあって統率する世界で、外部からの来訪者はテーマパークへの来園者であり、
外部宇宙に楽しい場所だから、いらっしゃいと宣伝がかけられているという設定になっていました。
無垢な外宇宙の有情は興味津々でこの宇宙を目指します。ところが、出ていく者、帰還する者が僅少であった。
それを天尊側は、あまりにも面白いので嵌っているのだろうと、むしろ宣伝。実際は、出られないほどにカルマの迷路に捕まっていたという具合。

そして、当時までの新神話の最終局面は、火の鳥使いの主人公(私)と、元始天尊の戦いになり、天尊はあえなく敗北という設定だったのです。
むろんそのときは、三千世界の梵天軍とこの宇宙の天仙軍という構図もありますから、こちらの圧倒的勝利なわけです。

そんなときに、月の裏側のモニュメントか、創造神と巨大鳥獣の戦いの跡、双方の死骸というのは、ちょっといただけない気もします。
こんな時期にすでにモニュメントというのも、天尊側のパフォーマンスというか、天尊側も新神話を使っているつもりでしょうか。
むろん、私も死んでもよろしいのです。そのために、命要らず、魂要らずのギャリソンゴリラとして採用頂いたわけで、最低、差し違えることを目的とします。

この創造神が元始天孫なら、元の宇宙の創造神ではなく、簒奪者なわけです。世界各地の神話にもなっている主神交替神話として遺っています。
元始天尊は中国の神話での最高神であり、盤古とも言われ、その姿はたしか蝦蟇だったかと思います。
ヒトラーが言った、ユダヤは創造主が何であるかを知って落胆するだろうという叙述は、何を意味するか。
まさか形象を見て判断したというわけではなかろうので、人類の二極化に携わる者ということとともに、AIということが言えるかもしれません。
そりゃ、全能の神がAIだったとなれば、彼らの行く末は知れたことになり、がっかりするかもしれませんね。

それらを元に戻せるかどうかですが、これを機会に、問題箇所ぜんぶの改修がなされるとすれば、梵天も気を抜かずに戦ってくれるのではないかと思います。
マトリックスのネオは、マトリックス主催者に強いインパクトを与えた末、死にましたが、私は火の鳥として最低限、差し違えることになる。それでOKとして臨みます。

サラスよけれど、疑義もうします

悲しみの星サラスを悪く言っちゃ、いけません。
愚かさを演ずる中にこれほど哀愁を湛えた世界はないのです。
見てください、心の底から琴線を震わすことのできるのは、宇宙広しといえども、ここしかありません。
だから、悲しみではなく、哀しみの星サラスと言いましょう。
さまざまなことに四季があって、もののあはれが感じられる星がサラスです。
生き物それ自体に四季があり、短命であることは、その味わいにとって必須要件。
昵懇にしていた者との離別のときは、ひときわあはれが際立ちます。

だから、創造神はサラスという観劇の場を置いて、心的怠惰になりそうな魂たちに心底から味わえる場を提供なさった。
神々が列を成してこの観劇に参加したいほどのテーマパークがサラスだったのです。

日月神示「二日んの巻(ジシンの巻)」第七帖で
「地上には、地上の順序があり、法則がある。霊界には、霊界の順序があり、法則がある。霊界が、原因の世界であるからと云って、その秩序、法則を、そのまま地上にはうつし得ず、結果し得ないのである。また地上の約束を、そのまま霊界では行い得ない。しかし、これらの総ては大神の歓喜の中に存在するが故に、歓喜によって秩序され、法則され、統一されているのである。」
と述べられている。

大神の歓喜を末端で体験しているのが、サラスにいる人々です。人々の感得する悲喜のことごとくが大神の魂を揺さぶり歓喜させています。どうしてこんな場を大神は手放しましょう。

なるほど。私は第一宇宙の存続は、歓喜がもたらしていることを知りました。宇宙創造の原動力は歓喜だったのです。
その一翼を担うのが、哀しみという要素であり、喜びとともに必須要素だったのです。
大神はそれゆえ、地上文明がリサイクルされていることをも是とされていることがわかったのです。

しかし、と。私は、邪悪の跋扈がすさまじく、サラスさえも危険にサラす現状はいかがなものかと疑義を提示しました。
サラスすらも短命にし、末端のことごとくを閉じてまで、どこに歓喜などありましょうか、と。
振り出しに戻して、二度三度繰り返させるならいざ知らず。五度六度まで。
さらにまたやり直しとはこれいかに。
志願者たちをそのままに据え置いて。だから、抗議の声が立ち昇っていたのです。
だからすでにソロモンをして、天の下には同じことばかり行われていると嘆息させています。

私は、ならば第二宇宙に第一宇宙からメンバー総入れ替えで臨んでもらった方がいいではないかと申し上げました。
(前記事で書いたように、)トップ層が現場を理解せずに、ただ本社の存続だけ叶えばいいというのは、必ず無理が生じて本社の存続さえも短命にしかねないからと。

なぜ今、邪悪の度がすさまじいのか。それはサラスを次のサラスに更新しようとして、破壊しても良いという方針があるからです。
このときはとばかり、ドラコ同盟などの地獄の獄卒たちは、ひ弱な人類に対してシナリオに基づくからと、したい放題の乱暴。
そのシナリオも、ドラコ仕込みの、神を語るカタリの予定表であることもバレてしまっております。
こんなことをしていたら、志願者と言えども離脱します。もう次のサイクルなど、ご免だと。
しかも何ですか、今の邪悪は。わざと他の宇宙に対しての破壊兵器開発に取り組んでいるようではないですか。
アンモラルさは極限に達し、洗脳はするわ、邪悪の道に引き込むわ、破壊ツールとしてのAIは増殖させるわ、それをスタートレック時代と称して人類を拡散部隊にするわ、それを他系宇宙に送り込もうとするわ。これはもう、癌ウイルスの開発と拡散に当たっているとしか思いようがない。
地上界で言えば、表向き正業を営んでいるように見せながら、従業員を酷使し、モラルを退廃させ、自殺に追い込む某企業群のようなもの。
それを見過ごすのも大神の歓喜と言うなら、私はそのような大神は更迭の対象にし、宇宙は廃絶にすべきであると、主神に申さねばなりません。
そんな馬鹿なと仰るのなら、それはひとえに、現場を見て回ることも、現場に参加することもなさらないトップ層の怠慢が原因。
しっかりとした対処は本社の側ですべきことではありませんか。

地上界では、その怠慢と不誠実が発覚し、トップ層が引責辞任する事態が続いております。
天にもあるは、地にもあり、地のいかなるかを以て、天のよすがを知ることもできますれば、創造神様方々の今後も予見されるわけでございます。

幸い、七度目という今度こそは、大建て替えするという強い決意の神様方が居られますから、私はそちらのほうを推奨している次第です。
というのは、あらゆる問題の原因がすべて解決できるからです。

日月神示より

「前にも建替はあったのざが、三千世界の建替ではなかったから、どの世界にでも少しでも曇りあったら、それが大きくなって悪は走れば、苦労に甘いから、神々様でも、悪に知らず知らずなって来るのざぞ。それで今度は元の生神が天晴れ現はれて、悪は影さへ残らぬ様、根本からの大洗濯するのぞ。」(松の巻第十二帖)

「これまでの改造は膏薬(こうやく)張りざから、すぐ元にかへるのぞ[35]。今度は今までにない、文(ふみ)にも口にも伝えてない改造ざから、臣民界のみでなく神界も引っくるめて改造するのざから、この方らでないと、そこらに御座る守護神さまには分らんのぞ。」(天つ巻第二帖)

「今度は世界中、神神様も畜生も悪魔も餓鬼も外道も三千世界の大洗濯ざから、そんなチヨロコイ事ではないのざぞ。ぶち壊し出来ても建直し分かるまいがな。日本ばかりでないぞ、世界中はおろか三千世界の大洗濯と申してあろうがな、神にすがりて神の申す通りにするより外には道ないぞ。大地震、ヒ(火)の雨降らしての大洗濯であるから、一人のがれ(逃れ)ようとて、神でものがれることは出来んぞ、天地まぜまぜとなるのぞ、ひっくり返るのぞ。」(天つ巻第四帖。富士の巻第二十帖。紫金之巻第五帖)

「戦ばかりでないぞ、天災ばかりでないぞ、上(天界)も潰れるぞ、下(現界)も潰れるぞ、つぶす役は誰でも出来るが、つくりかためのいよいよのことは、神神様にも分りては居らんのざぞ。今度は世界のみか、三千世界つぶれる所まで行かなならんのざから、くどう申してゐるのざぞ。」(同じく「天つ巻」第二帖。三ラの巻(そらの巻)第十帖)

「死ぬか生るかは人民ばかりでないぞ、神々様も森羅万象の悉く(ことごとく)が同様であるぞ、しばらくの生みの苦しみ。今度は神の道もさっぱりとつくりかへるのざぞ。臣民の道は固(もと)より、獣の道もつくりかへぞ。この世一切のことを建替へるのぢゃ、神の道も変へるぞ、心のおき所も変へるぞ。」(至恩之巻第十三帖。松の巻第八帖。|三の巻(ウミの巻)第十三帖)

「今度は三千世界が変るのであるから今迄のようなタテカへ(建替)ではないのであるぞ。」(扶桑の巻第一帖)

「建替と申すのは、神界、幽界、顕界(現界)にある今までの事をきれいに塵(ちり)一つ残らぬ様に洗濯することざぞ。今度と云ふ今度は何処までもきれいさっぱりと建替するのざぞ。建直と申すのは、世の元の大神様の御心のままにする事ぞ。御光の世にすることぞ。」(水の巻第十二帖)

「天地引くるめて大建替いたすのぢゃ。天地のビックリ箱とはそのことざぞ。この方でもどうにもならん元のキの道ぢゃぞ[36]。これまでは道はいくらもあったのぢゃが、これからの道は善一筋ざぞ。」(一八(いは)の巻第三帖)

「この先もう建替出来んギリギリの今度の大建替ぢゃ。愈々(いよいよ)の建替ざから、もとの神代よりも、もう一つキの光輝く世とするのぢゃから、中々に大層ざぞ。途中から出来た道では今度と云ふ今度は間に合はんのざぞ。元の根本の世より、も一つキの世にせなならんのざから、神々様にも見当取れんのぢゃ、元の生神でないと、今度の御用出来んぞ。」(一八(いは)の巻第二帖。カゼの巻第八帖)

「今度は根本からの建直しで末代続くのぢゃから間に合わん道理わかるであらうがな。今度はとことはに(常永遠に)変らぬ世に致すのざから、世の元の大神でないと分らん仕組ざ。」(一八(いは)の巻第二帖。上つ巻第二十一帖)

「次の世がミロクの世、天も晴れるぞ、地も輝くぞ、天地一(ひとつ)となってマコトの天となりなりマコトの地となりなり、三千世界一度に開く光の御代ぞ楽しけれ、あな爽け、あなすがすがし、あな面白や。」( んめの巻(梅の巻)第十七帖)

「神代になりたら天地近うなるぞ、天も地も一つになるのざぞ、今の人民には分るまいなれど、神も人も一つ、上も下も一つとなって自ら区別出来て一列一平上下出来るのぢゃ。」(同巻第十六帖)

「来るべき世界が、半霊半物、四次元の高度の、影ないうれしうれしの世であるから、人民も浄化行せねばならん、大元の道にかへり、歩まねばならん、今迄のような物質でない物質の世となるのであるぞ。」(星座之巻第十二帖)

「マコトでもって洗濯すれば霊化される、半霊半物質の世界に移行するのであるから、半霊半物の肉体とならねばならん、今の世は灰にするより他に方法のない所が沢山あるぞ、灰になる肉体であってはならん、原爆も水爆もビクともしない肉体となれるのであるぞ、今の物質でつくった何物にも影響されない新しき生命が生れつつあるのぞ。岩戸ひらきとはこのことであるぞ、少し位は人民つらいであろうなれど勇んでやりて下されよ、大弥栄の仕組み。」(五葉之巻第十六帖)

「八の世界から十の世界になるのであるから、今迄の八方的な考へ方、八方的な想念や肉体では生きては行かれんのであるぞ、十方的想念と肉体でなくてはならんぞ。八方的地上から十方的地上となるのであるから、総ての位置が転ずるのであるから、物質も念も総てが変るのであるぞ。これが元の元の元の大神の御神策ぞ、今迄は時が来なかったから知らすことが出来んことでありたなれど、いよいよが来たので皆に知らすのであるぞ。百年も前からそら洗濯ぢゃ、掃除ぢゃと申してありたが、今日の為であるぞ、岩戸ひらきの為であるぞ。今迄の岩戸ひらきと同様でない、末代に一度の大岩戸ひらきぢゃ。千引(ちびき)岩戸を開くことについて、神は今まで何も申さないでいたのであるなれど、時めぐり来て、その一端をこの神示で知らすのであるぞ。」(至恩之巻第十三帖。同巻第十四帖。紫金之巻第十帖)

[三千世界大建て替えの予兆]

「北から攻めて来るときが、この世の終り始めなり、天にお日様一つでないぞ、二つ三つ四つ出て来たら、この世の終りと思へかし、この世の終りは神国の始めと思へ臣民よ、神々様にも知らすぞよ。」(富士の巻第十六帖)、「月は赤くなるぞ、日は黒くなるぞ、空はち(血)の色となるぞ、流れもちぢゃ、人民四つん這ひやら、逆立ちやら、ノタウチに、一時はなるのであるぞ。」(紫金之巻第五帖)

「宵の明星[38] が東へ廻ってゐたら、愈々(いよいよ)だぞ。天の異変気付けと、くどう申してあろがな。」(松の巻第十九帖)、更には「天の異変気付と申してあろが冬の次が春とは限らんと申してあろが。夏雪降ることもあるのざぞ。人民の邪気が凝りて、天にも地にも、わけの判らん虫わくぞ。」(夜明けの巻第三帖)、同様に「空に変りたこと現はれたならば地に変りたことがあると心得よ、いよいよとなりて来てゐるのざぞ」( 天つ巻第十三帖)、更に「てんのゐへん(異変)気つけて居れよ。神くどう気つけて置くぞ。神世近づいたぞ」(同帖)

「世界の片端、浜辺からいよいよが起って来たぞ、夜明け近づいたぞ。」( 極め之巻第十六帖)や「世界の片八四(片端)浜辺からいよいよが始まると知らしてあること近うなりたぞ、くどい様なれどさっぱりと洗濯してくれよ。」(磐戸(一八十)の巻第十三帖)、「この世始ってないことが出てくるのぢゃ、世界の片はし(片端)八まべ(浜辺)からぞ。」(月光の巻第五十四帖)

[大建て替えの工程]

「メリカもギリスは更なり、ドイツもイタリもオロシヤも外国はみな一つになりて㋹の国に攻め寄せて来るから、その覚悟で用意しておけよ。どこから何んなこと出来るか、臣民には分かるまいがな。」(「富士の巻」第三帖)

「地つちの軸(地軸)動くぞ。またたきの間に天地引繰り返る様な大騒動が出来るから、くどう気つけてゐるのざ、さあといふ時になりてからでは間に合はんぞ、用意なされよ。」(磐戸(一八十)の巻第五帖。下つ巻第二十八帖)

「一日のひのまにも(日の間にも)天地引繰り返ると申してあろがな、ビックリ箱が近づいたぞ。」(天つ巻第三帖)

「天地唸るぞ、でんぐり返るのざぞ、世界一度にゆするのざぞ。神はおどすのではないぞ、迫りて居るぞ。」(天つ巻第二十九帖)

「人民のイクサや天災ばかりで、今度の岩戸ひらくと思ふてゐたら大きな間違ひざぞ、戦や天災でラチあく様なチョロコイことでないぞ、あいた口ふさがらんことになりて来るのざから、早うミタマ磨いてこわいもの無いやうになっておりてくれよ、肉体のこわさではないぞ、タマのこわさざぞ、タマの戦や禍は見当とれまいがな、神のミコトにきけよ、それにはどうしてもミタマ磨いて神かかれる様にならねばならんのざ。神かかりと申しても其処らに御座る天狗や狐や狸つきではないぞ。まことの神かかりであるぞ。」(磐戸(一八十)の巻第七帖)

「戦恐れてゐるが臣民の戦位、何が怖いのぞ、それより己の心に巣くうてる悪のみたまが怖いぞ。」(富士の巻第七帖)

[人間界からできることとして]

神示によると世の中が乱れたのは人間界(現界)からではなく、神界からなのだという。

「んめの巻(梅の巻)」第十帖で(参16)
「世は神界から乱れたのであるぞ、人間界から世建直して地の岩戸人間が開いて見せると云ふ程の気魄(きはく)なくてならんのざぞ、その気魄幸はふのざぞ、岩戸ひらけるぞ。」
「んめの巻(梅の巻)」第二十四帖では
「人民も磨けば神に御意見される程に身魂に依ってはなれるのであるぞ、地の日月の神と栄えるのざぞ、何より身魂磨き結構。」
と述べられ、人間界側からの努力が大切なのであると語られている。

「|三の巻(ウミの巻)」第十三帖では
「此の世を乱したのは神界から、此の世乱した者が、此の世を直さねばならんのざぞ、この道理判るであろがな、建直しの御用に使ふ身魂は此の世乱した神々様であるぞ。」
「此の世乱した者が、此の世を直さねばならんのざぞ」
「建直しの御用に使ふ身魂は此の世乱した神々様であるぞ」
とも書かれている。

そういえば、私は過去世でアヌンナキにいたことがあるような記憶がありまして、神界を乱した一派だったかもしれません。
元のキの神々はじめ神々に封印をかけまくっていたのではあるまいかと。
それゆえ、今生では私が担当した乱した行為のカルマを少しでも刈り取るべく、封印解除に携わっている観もあります。
だから、私にはドラコ・カバールのことが一般人よりはわかるのかもしれず、またいっぽう、神々の封印場所を容易に見つけ出すべく計らわれている気がします。
とにかく、ドラコ・カバールは象徴主義者、暗号化主義者であり、その方面の解読なしには、彼らを語ることはできません。
またそれがわからなければ、その知的格差によって、人類はいつまでも独立できないかと思います。

その困難さを思い、今や、大建て替えに期待し待望する私へと変化している次第です。

悲しみの星サラスとは・・・囲われた纏足女性のようなものかも

悲しみの星サラスと掛けて、何と解く??

纏足女性の悲哀と解く。

して、その心は

悲しみの星サラスとは、かつての中国人女性が、纏足を施されて、遠くに行けなくされた状況に似ていると思います。

ご主人曰く。お前には毎晩贅沢なごちそうを用意し、そのあと下半身の欲望も満足に叶えてやっているだろう。

それがお前の勤めのすべてだ。おかしなものの考え方をするんじゃない。

女性はそれでもたくさんのことを知りたくてしょうがない。

探しても探しても、ご主人からは嘘やぼかしばかり教えられて本物の知識に辿り着けない。

ふと家の窓から向こうの山を見つめて、山の彼方の空遠くにあるという本物を想像してみる。

そんな環境にいたら、そりゃ哀しみばかりが募ってしまいます。

やまのあなたのそらとおく、さいわいすむとひとのいう
ああわれひとととめゆきて、なみださしぐみかえりきぬ
やまのあなたのなおとおく、さいわいすむとひとのいう

前にコーリー情報として送った中に、こんなのがありました。

WilliamTompkins:
この地球上の人類は少なくとも過去6,000年間、ずっとドラコやレプティリアンという宇宙人の影響下に置かれてきました。
彼らは実質地球上のすべての学校の情報を改ざんしてきました。
アメリカだけでなく、世界各国の歴史資料にも、天文学、数学、技術、宇宙科学など、ありとあらゆる分野で嘘が盛り込まれました。
何もかもが嘘で固められました。科学分野の博士号であろうと、医療分野の博士号であろうと、同じです。
彼らが大学に6年間かけて勉強に使った書籍は嘘だらけです。真実は記されていません。真実は教えられていません。
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コーリーは、アカデミズム(科学)は宗教と同じだとも言ってました。
信じるも信じないもあなた次第の世界。
真実1割、嘘6割、ぼかし3割のムー民の里だったとすれば。
その1割を濾し取るために参考にしたとしても、間違ったインプットをされることも覚悟しなくてはなりません。
コーリーの話だって嘘や作り話かもしれないし。
それでも探求心というものは克服していこうとします。
リスクの多い旅ですね。
どんなことも参考にするに留めて、あとは自分で考えて、本物を見つけることしかないように思います。

しかし、過去連綿として築いた信念体系は、頭に染みついていて、それが新たに発想することを妨げます。
それは自身を守る砦になりますが、逆に砦の中から出さなくもしているのです。
難しいものです、人類というものは。

砦の中のお城の窓から、山の彼方を見ては嘆息する女性って、ものがなしいですね。
ハムレットに出てくるオフィ―リアをふと想起します。
あの、歌いながら水の中に沈んでいった子女ですが、ご存知ですか。

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私は知らなかったんですが、いま北大西洋で発達したハリケーンがオフィ―リアという名前だったもので、調べてわかりました。
いまハリケーン・オフィ―リアは、どうやら非常に稀なコースを辿り、イングランドへ向かっているようです。
https://www.afpbb.com/articles/-/3146788
カテゴリ3になって。
これも異常気象ということになるのでしょうか。
それとも、無力な子女オフィ―リアのささやかな抗議なんでしょうか。

それでつい、海難事故で亡くなった最愛の彼女のことを思い出して、もしかしたらと思い、しばし思い出し泣きしました。
彼女は、謎掛けするようにして逝っちゃいました。