私の履歴のメインストリーム

私の一生は謎解きのためにあったように思います。その対象は、この世(宇宙)の仕組み、埋設された歴史、神話、神と人の関係など、およそ真理探究の一環として成るもののすべてです。その方面に疑問がちょっとでもあれば、納得しない自分がいて、謎の追及に向かいます。
推理小説や経済展望ものなど、フィクションものの謎解きには関心がありません。スピ系というのでも、他者が多く集まるような場には関心がありません。定理や公理を疑う心が私にはあります。むしろ、ええっと驚かされるような話に興味します。
謎解きが何の役に立ったかについては、ごく個人的な見解としてしか表すことができませんが、未解明の事柄を謎解くことにより、それに付帯する封印を解くことにあったと解釈しています。それは時の要請とでも申しましょうか、ひとつのタームが終了を迎える前には、あらゆることの清算がなされるとのことならば、私はやるべき時を見つけるようにしてやってきたと思います。それが自分のカルマの清算であろうがなかろうがこだわりなく、必要な時に必要なことをする救命士のような思いを持っております。
私は特に50歳以降、探し求めるものが、向こうから自動的にやってくるようになりました。それまで、特に若い頃は、自分から探しに、図書館や書店やらに出向きました。しかしそこから得られるものはほとんどなかったことに思い至ります。
むろん、若い頃にも求めるものが自動的にやってくることはあり、有効に機能いたしました。
今は(もうだいぶ前から)自分から焦って取りに行くことをやめ(おおかたはネット検索で得られますから)、目の前に飛び込んでくるのを待つ、もしくは頭にひらめくときにのみ動くという、その繰り返しをしています。
情報不足になって、判断が偏ったり、間違った結果に行き着かないか。それはあると思います。しかし、この短い人生の、しかも覚醒しているときの短さからすれば、膨大な図書を読んでいる閑はありません。自分の持てる力量を頼みにして、目の前に現れたことを懸案にして、自分の一部にしていくことしかできないのが自分と割り切ります。自分のためのものなので、人には不完全なのは無論です。だから、アウトプットするすべてにおいて、「仮説」という但し書きが付きます。ゆめ、定理や公理などと思わないでください。
さて私が最初の子供の頃に自動的にやってきた情報は、母の出生の秘密と言いましょうか、祖母や母自身から時折聞いた内輪話です。
母は何でも、男として生まれていれば、位人身を極めると預言されていたそうです。まだ母が赤子の頃、二人の別々の行者によってそのように預言され、女として生まれたことを知って、どちらもが残念がって去ったそうです。
私は子供心にも疑問に思いました。母が女として生まれる運命の選択はどこでどうやって行われたのか。間違った選択をしてここにいるのではないのか。私は母が男であったなら、生まれていないはず。その方が良かったのではないのか。私は小学校時代にはいじめられてばかりだったので、余計にそう思っていたかもしれません。
その頃から、この現実とは別の世界がある、あるいはあったのだという思いを持っておりました。つまり並行世界の存在への思いはその当時からあったことになりましょう。
その後、私は花形産業と呼ばれていたコンピューターを目指しました。日立が1年、その後、二者択一の分岐点があり、すでに書いたように、社長になるタイムラインとしての小企業に就職する側があった一方、こちらのタイムラインでは富○通となりました。
そんな名古屋に転属のときに知り合ったスピ系の友人が持ってきた宇宙人情報に目が停まりました。
ある宗教家(五井昌久氏)が宇宙人のメッセージを受けたものに、この世界は極小単位で、磁気コアメモリが磁化されるときの要領に似た形で励起されている具合に書かれてあったのです。
私は不安神経症が子供の頃からあり、休日には森林公園などに行って、心を落ち着かせることを心掛けました。生きていくには、自分の不安を解消できる真理を見つけ出すことが、何をさておき大事でした。そんなときに目の前に現れたヒントがこの宇宙人情報でした。
私はメーカー勤めしながら、コンピューターの基礎的な動作原理を知ります。これにより、科学者たちが求めている法則性の裏にあるこの世の動作原理がシミュレートモデル化できるのではないかと思い立ちました。そして、メーカーを辞める前までに、ひとつの仮説を論文にしてある科学団体(偽科学かオカ科学か?のサイ科学)で発表しました。その仮説の恩恵を受けたのは、むろん私自身で、それによって不安がおおかた解消できたのでした。当然、母の伝承を容れた多世界解釈は自明の理のものになります。
当時は精神安定のためにヨガもやりました。しかし、根本的な知恵の悟りのようなものがなければ、やはり不安は残ったに違いなく、それを手に入れたのでした。(現在、電子本⇒超宇宙の仕組みモデル概念 拙宇宙論での解釈は、個々人が固有の宇宙を営む創造主として独尊の立場を持っているとしているため、私固有の概念でしかないのは無論であり、皆さんの持っておられる概念とは異なること、および創造される宇宙も異なっていることを了解願います。誰一人として観測が同一ということはあり得ないのです)
きっかけとなったのは、宇宙人情報。当時は宇宙人という存在は、面と向かってよう現れないにしても、啓発のテレパシーを送っているように思っていました。あるUFO観測会に行って、実物を目撃もできましたし、夢の中にも何度か立ち現われたので、確かに友好的な宇宙人が存在すると思っていました。
メーカー勤めは事務机に向かうことが主でしたが、そんなときに閃きがやってきて、裁断された文書の裏側を使ったメモ用紙がすぐ目の前にありましたから、それに走り書きして隠すということを繰り返しておりました。むろん、仕事に身が入らず、リストラなどという言葉のない時代にリストラのようなことになりました。
しかし、辞める予定日のすぐ後に、面白い企画への参加募集があり、辞める前からそれに応募していました。何だったかというと、岐阜県の飛騨高山に近い御母衣ダム近辺に、謎のまま眠るという戦国時代の山城・帰雲城の城跡を発見しようという企画だったのです。伝説以外に誰もその場所を知らないという城跡で、天正13年の大地震で裏山の帰雲山が崩れてその土砂に埋まったままになっているという城跡でした。
民話研究家の村上良行氏が団長になり、我々は名古屋にいましたから、そこから20人ほど、土建屋さんあり、骨董屋さんあり、サラリーマンありの多種多彩なメンバーで臨み、見事、入山した当日のうちに発見できたのでした。そのことが、団員の幸先のいい先行きを暗示するようで、白川村の合掌造り民宿での歓迎会は土地の三味線の踊り子さんの出演などで盛り上がりました。
みんな、団長が言う埋蔵金に興味していたのかもしれませんが、その発見後すぐに教育委員会が縄張りして、立ち入り禁止にしてしまいましたから、何ともなりません。今ではそのよすがを留めるのは、当時村人によって造られた帰雲神社の祠が遺るのみとなっているようです。
さて、その時に知り合ったのが骨董屋さんと団長の村上良行さんでした。村上さんの家には二度ばかり訪問しましたか。そのときに、この本読んでみいな、面白いで、と手渡されたのが、文庫本の手垢で黒くなったW.バトラーの「魔法入門」でした。畑違いに思ったのですが、特に理由を聞くこともなく、確かにその日のうちに読みはじめて内容の面白さに引き込まれたのでした。
村上さんは独自の埋蔵金伝説論を新聞記事に投稿することで収入を得ておられました。しかし、その業界での付き合いは飲み屋が多く、肝臓障害でしばらくして亡くなられたとのことを、後々骨董屋さんから聞きました。
その本の知識が後に、西日本一帯のカバラに基づく見えざる地上絵を発見するきっかけになりました。「魔法入門」を読むことなしに、あの図形群は見つかっていません。それを基にして肉付けした論文を、ミステリー論文を募集していたムーに送り、優秀作品賞をいただきました。ムー掲載は巻末特集として1990年8月にされています。しかし、トップ賞でなかったため、元の原稿の1/3ほどしか出ておらず、増補したものを1995年に自費出版しました。6割5分が売れたとのこと。販売数は少ないですが、必要な人の手には渡ったみたいです。なお、出版社に依頼中の第三校目の直前で阪神大震災が起きています。出版社は壊滅。しかし、移転して業務再開し出版に漕ぎつけてくれました。(現在は電子本として復刻 ⇒ 古代日本にカバラが来ていた)
1998年でした、名古屋にいた当時のスピ系友達の中に、ひとり生真面目な男子がいて、無口にもかかわらずツアーなどにも参加してくれたのですが、その彼が突然、私の本が盗作されているから厳重抗議した方がいいと手紙をくれたのです。こんな大人しい彼が、ええっと思って、その本を購入したのでした。そして、これぐらいなら許せる、たいがいみんなしていることの範囲だと判断しました。というのも、出展根拠をちゃんと明示していたからです。ただ、文章表現を真似てる部分が散見できましたけどね、いいじゃないですか、きっと名文だったのでしょう。
ところが、その作者が書いている内容、特に拙本からの引用のある部分に、後々に重大なメッセージを受け取るために必要な予備知識が籠められていたのです。
その作品名は「弥勒降臨」、作者は彩明日迦氏。そこには弥勒降臨に関わる人物として、魔訶迦葉や空海について、かなり詳しく載っておりました。
そして、2008年になって、ちょうどリーマンショックが起きた前後でした、私のいちばん最初の(私が50歳になる直前日に討ち入りした)彼女が、突然何を思ったか、ツアーバスで高野山詣でするというのです。私は、あそこは怖いぞ、何かお蔭をもらって帰るかもしれないぞと脅しておいたのですが、まさにそれが本当になってしまいました。
高野山に上がったのは2008年9月24日で、その日のうちにあちこち撮影して回ったそうです。そんな中に、金剛峯寺持仏間で撮られた写真に、顕著な六角オーブが、加納元信画の群鶴図の一枚の襖絵の鶴の上にかぶさるように写り込んでいました。そして、帰路バスの中で彼女は激しい憔悴感に襲われ、爆睡したそうです。そして帰ってからもそれは残っていて、食事をとった後また爆睡したそうです。
そして翌朝、私に連絡をしてきました。夢の中にお坊さんが出てきて、「間もなくお生まれになるぞ」と告げられたというのです。そしてメールには、鑑定を頼むと、六角オーブの写真が添付されておりました。お坊さんとは、あの地においては、空海しかいません。とすれば、お生まれになるのは弥勒菩薩しかいないでしょう。
お坊さんはどんな顔をしていたか問いますと、若貴兄弟の若の花に似ている、何かこんもりしたものを抱えていたというのです。ああ、やはり。空海の肖像画の最古のものとされるものをネットで調べて、彼女に見せますと、似ているとのこと。こんもりしたものとは、釈迦が弥勒の肩にかけてやってくれと、魔訶迦葉(空海)に託した養母の編んだ金るの袈裟だったのでしょう。空海が魔訶迦葉に成り代わり入滅から蘇り、弥勒菩薩の肩に袈裟を懸けて差し上げる役を果たされようとされているみたいです。
そこで「弥勒降臨」の予備知識が即応的に役に立ったのでした。このように、事前に導かれるように予備知識して、解答が導き出せるというパターンが私の自流になっていることがわかってもらえたら。
なぜ私が空海と縁があったのか。それは2003~4年の頃、六甲山系摩耶山で頻繁に撮れたUFOが主として三角形をした天狗系UFOだったもので、私はその謎を解明しに登ってその謂れを知り、空海が封印したとみられる天狗たちを救出する縁に与りました。空海は封印天狗たちの解放を発願され、当世謎解き随一!?の私に封印解除のための謎解きを依頼されたように思います。その後、天狗さんたちは2005年に全員解放され、封印時の三角形の金型を全国各地に置いて去りました。こんなわけで、私は天狗さんの守護が得られましたし、空海とも持ちつ持たれつのご縁ができたのでした。それが謎解き連携のパートナーである、彼女への弥勒下生の予告になったのだと思います。
まあ、そういうわけで、当時は弥勒降臨の段階まできていると、私はそのように認識し、ついに来るべき時が来たかと、翌年2009年に山籠もりに入りました。弥勒は吉凶の斑の相で現れるとされています。ちょうどパンダのような黒と白の模様入りのいでたちということです。
山籠もりがいいとかではないです。ただ、現状を変えておかねばという思いを持っただけです。このことが彼女には奇異に映ったかもしれません。彼女とは意識を交流させていましたから、彼女の眼前から私が消えたように思えたみたいです。彼女は一度行った場所の磁場は憶えておれて、そこに意識を飛ばせるのです。しかし、私を探し出すことが困難になったようでした。(のちに蜘蛛の視座になり確認に来ました。その後は、母猫に入り、私の傍にいてくれようとしました)
彼女はその後、同じデジカメ(水陸両用)で六角オーブの写った写真を、陸上でも(スキューバやっていたので)海底でも撮り続け、また思いつくようにして出雲地方を旅行して六角オーブ入りの写真を撮り続けました。彼女には、それら無数の六角オーブが、胎内から出た子供と映っていたようです。(出雲地方の神社はご神紋からして六角なのは、出雲系国津神の神霊の形が六角だからなのです。)
翌年2010年に彼女は、まるで旧神話に導かれるようにして、海原に帰っていきました。豊玉姫が海原に帰る段に当たります。
新神話においては、キトラ古墳の四神獣の特別展示の初日に相当していました。死の前日に、ちゅらうみ水族館で撮られた彼女本人の六角オーブ(が横向きに横たわった)写真を、私への最後の謎解き依頼の言葉にして、亡くなったのでした。縦の六角オーブが横たわるとは、神霊が神去ることを意味します。
こうして、本体が乙姫であり、豊玉姫であり、奥津嶋姫であり、雲龍であり青蛇であり、青龍と玄武を兼務した彼女は、神世に戻ったのでした。
ちょうどその頃、私はネット上に、ほぼ完成しかけた形のホツマツタエの口語訳を見つけました。そして、そこに書かれていることから比較神話して、ホツマは真伝に基づくも、まだしも綾が施されていることを発見し、神世の歴史の真相に接近することができました。
2013年5月11日未明の夢に、神世らしい場所の出雲大社がでてきて、そこで彼女に会いました。平安時代の単衣スタイルでお歯黒を着けていました。その前には、弥生時代服でみずらを結った男性にも会いました。この二人はご夫婦です。(ホツマでなくてはわかりません)
そして、もしかしたら、私は出雲大社に居候している、かの神かもしれないことは、息子が本名で現れてしまったので、そうかもしれないと思っております。まあそれはまだ、首尾よくいけばの話であり、ここはまだ、命要らずのギャリソンゴリラとしておきます。
50歳になる直前日にこの私めの命、彼女の本体である神によって買い取られました。それからは、めくるめくワンダーランドになりました。ミッションは・・・ははは、それがしめの胸の内に納まっております。
まるで映画のようなストーリーが地方の片田舎にもあったという話、お目に留まりましたら幸甚です。m(__)m

事前に知識した事柄に、後程シンクロしてきて謎解きが完成していく不思議 (2)

この記事は二つ前の記事 事前に知識した事柄に、後程シンクロしてきて謎解きが完成していく不思議の続きです。
およそ誰でも心当たりはあると思いますが、ある問題を解くためのキー(鍵)は、事前に与えられているという体験をしていませんか。
むろん問題を解くために、調べものをするということが、いちばんオーソドックスな形ではあると思いますが。
殊に私の場合は、異界の謎解きに関することというのは、事前に予備知識していた場合がほとんどなのです。
⑤ 空海和尚との不思議な縁は もしかして回転三角UFOにあるかも
2004年6月には、武良氏はじめ我々UFOビデオ撮影友の会メンバーは日テレ系の昼の番組・みのもんたの思いっきりテレビ「この日何の日UFOの日」の取材ロケに向けて、何度も六甲山に上がり、UFO撮影をしておりました。それに合わせるかのように、UFOもよく飛び回り、特に黒いシルエットのような三角UFOがみんなのビデオカメラにけっこう映りこんでおりました。「UFOの日」は6月24日でしたが、取材ロケは6月19日で、正午を挟んで3時間ほど、六甲の鉢巻展望台で食事を摂りながら、取材陣の見ている前で撮影しておりました。
その日もまた、三角UFOは出てきまして、それを私は大きく捉えたのですが、別角度から撮影していた坂本美紀恵さんのビデオカメラがそれと同じものを捉えていて、同一UFOの別アングル撮影が初めて叶ったわけでした。
美紀恵さんの撮影物のほうが広角で何コマも写っていたのでわかりよかったのですが、ところが、どうしてもその実体が掴めないのです。三角のままで推移するはずが、途中から狐狸が化けたかのような形態変化をするのです。
うーん。これは普通のUFOではない。生き物のような。しかし、前例のない生き物。バケモノというか。そのようなUFOがここのとこ出てきていたのです。
武良さんは区別なしにUFOとしてしまいますが、私はどうしても正体を明らかにしたがる。普通のUFOという類のものではないと思うからです。
そんなときに、武良さんが2003年10月に不思議なUFOを撮ってきていたことに気付きます。それは瞬間移動しているのですが、矢印のようなUFOが空から下りている3コマの写真です。
なんだこれは。魔法使いが箒に乗って下りてきたような。あるいは拡大すれば、腹の出た布袋さんが箒に乗っかっているような。
そしてまた、奇妙なことに、鉢巻展望台から摩耶山方面を映すときにだいたい得体の知れないUFOは出てくるわけです。
ははーん。もしかしたら、これは矢印を使って我々に指示を出していたのではないか。この場所に秘密があるんだぞ、といわんばかりです。
私は異界の戸を開く(おくのとおしあき・奥の戸押し開き)探偵ですから、ピーンときました。それで、武良さんには内緒で、私一人で摩耶山に出かけることにしたのでした。彼と行くと必ず撮影に時間が取られて、私のしたいことができないのでねえ。
摩耶山の展望公園の駐車場に車を起き、矢印の下りたあたりらしいところに、ビデオカメラを回しながら片手で持ち、散策に入ったのです。
すると、やがて磐座が見えてきました。石柱に「石丸猿田彦大神」と書かれてありました。そうです、これぞ天狗岩なのです。小さな祠がありました。と、見ると、祠のすぐ右下に、小さなプラスチック看板が落ちており、そこに「三角寺」と書かれてあったのです。
三角寺?? なんでだ。ここは刀利天上寺の境内地だったところで、天上寺跡地というならわかります。近年になって天上寺が火災で焼失したため、お寺は移転して別のところにあって、ここは摩耶山国定公園になっているというわけですね。
しかも天狗岩は、摩耶山山頂にもなっていて、摩耶山ではいちばん高いはずのところ。
そして、三角(寺)とはまるで昨今撮れているUFOのようではないですか。
その日、摩耶山に行く前に、天上寺伝承にいう天狗岩のことは調べてあります。その昔、この地には天狗がいて悪さをしていた。そこでふもとから僧侶が上がってきて、天狗たちを三角護摩壇法で封印してしまったというのです。おそらく、封印して磐座の下に敷いてしまい、そこを天狗岩と名付けたのだろうと推測できます。
昔は呪術を仏教僧侶が駆使していたわけですね。今の我々では考えられないことです。朝廷の命によって天狗を退治すべく上がってきたのですね。古代におけるそのようなケースを、私はいっぱい知っていましたから、ああここでもかという暗い気持ちになりましたわなあ。
いったいこのふもとから上がってきた僧侶とは誰だったんだ。天上寺には伝承としてその昔、空海が摩耶夫人像を奉納するために上がってきたといいます。まさか空海がそんな恐ろしいことをするだろうか。庶民に敬慕されている聖者なのに。
ところが、看板に書かれていた手がかりの「三角寺」を、家に帰ってネット検索してみれば、四国八十八か所の第六十五番札所で、なんとそこで空海は、真言密教最強の呪詛法・三角護摩壇法を修していたというのです。
ああ、これならば空海だろうな。それとも彼の弟子か。いいや、やはりここに上がってきた記録がある人物・空海だろう。
さらに、天狗岩を撮影していたビデオを確認しますと、なんとそこには、まるで羽衣のような白いレースのようなものが、瞬間的に右方向から飛んできて、さあっと石碑の上に停まったではありませんか。写っているコマ数にして3コマ。
ああーっ、これは猿田彦大天狗に違いない。目には見えなかったが、感動的な対面が果たせているのです。そして、導かれるようにして、祠の横の看板に注目することになった。私がすることと言えば、私ができることと言えば、謎解きと理解を及ぼすこと、それ以外にありません。
これは、大天狗様直々に、何か依頼されたに違いない気がしましたよ。とにかく、当時どんなことがあったか、天上寺の伝承からも推測するに、呪術合戦のようなことがここで展開されたのでしょう。そして、天狗側は敗北し、魂魄に三角の貞操帯のようなものを付けられ、自由が奪われた状態で今日まで来ていたということなのです。
ちなみに三角寺の御詠歌は、とてもおそろしいもので
おそろしや 三つの角にも 入るならば 心をまろく 慈悲を念ぜよ    
すでに歌の中に「三角に入るなら」(三角の中に閉じ込められたなら)となっているではありませんか。
それが、まるでぶんぶく茶釜のように千変万化して飛ぶ姿や、三角そのものになって飛ぶ姿としてビデオカメラに捉えられていたのです。
三角の黒い姿は、カラスにも見えるためカラス天狗と名付けられたのでしょう。それを1200年もの間、見守り続けた大天狗様は、さぞお辛かったでありましょう。
摩耶山を踏査したのは2004年の8月5日のことでした。その後、推理をまとめて、天狗さんたちの封印がなされていたことを記事にしてネット公開しました。だんだんわかってきたのですが、封印解除は、その実態を調べて、公にすることで叶うことが経験的にわかってきました。
2005年5月になって、不思議な事件が報告されるようになりました。全国46都道府県中45都道府県において、自動車道のガードレールに謎の三角形の金属物体が刺さっているという事件です。誰がした。非行少年の仕業かとか、あるいは自動車が接触してドアなどの鉄板がはがれて付いたとか、もっともそうな推理が巷ではなされていました。しかし、一過性のブームで終わり、原因がしっかり特定できたのかどうか、そのほうが不明瞭です。
解答を申しましょう。それは封印されていた天狗さんたちが、それぞれ封印が解けて、付けられていた貞操帯を外して、延々と伸びる目立つ白いガードレールに突き刺して去ったのです。鉄は鉄のもとに添えて置いておく。すばらしいマナーではないですか。
そして同時に、後で私にも封印が解けたことがわかるようにしておいてくれたものと解しています。ここまで名推理できるのは、おくんどをおいてほかに右に出る者はありません。
なんと天狗さんは全国的に災難に遭っていたのです。それゆえ、これほど広域に及んでいるということ。そして天狗さんの数も、ガードレールの金属板の数はおられたということでしょう。
空海の時から千二百年。それだけの期間、不自由であられたことは気の毒なことでした。
さて、それから四年後、2008年9月25日に私の彼女を介して空海から弥勒下生が告げられたことは前に話しました。空海は私の事前知識を頼みにして、まったく何も知らない彼女に言付けを託したのです。我々はその栄誉を得させてもらえたと思いました。
ということは、空海は、かつて天狗さんたちを封じたことの非を悟り、私をして謎解きせしめて、天狗さんたちを解放させたのだと、しみじみと理解が及んできたのでした。そのお礼に、弥勒下生を真っ先に知らせてくれたと。
しかし、私を経由してでは、弥勒下生というせっかくのセンセーショナルな篤信家やマニア垂涎の情報も、ローカルな田舎の小さな話題にしかできなかったのです。空海さんはそれでよかったのかな。まさかそこまで体たらくしたのがおくんどとは思っておられなかったのかもしれませんね。残念やねえ、空海さん。
神世でいかに高名な名探偵でも、下界で零落した場合があるのは、これ春秋というものではないでしょうか。
さて、2009年に山暮らしに入ったのですが、切り株ばかりの山道で日々何度も蹴躓きながらも、一度として膝から地面についたことがなかったのです。(2015年11月にとうとう初めて膝を地に着けてしまいました。痛かったなあ。ちょっとすりむきました)
それは、天狗さんたちが陰ながら守ってくれているからだと思っています。ありがとうございます。
⑥ 坂本廣志氏とテレポート、そしてナワリズムの里ナスカ
この世には、恣意的にテレポートする人がいるようです。未来人2062氏の掲示板を見ていると、そのような能力者が質問に出てきたりしています。
テレポートも空間移動が普通だと思われますが、自分が持つ可能性の別のタイムラインにテレポートできる人もいるようです。
私が2002年に知り合った坂本廣志氏はそのような能力を持った人だったようです。
その彼と、奥さんの美紀恵さんに初めて出会った日は、武良さんと私にスカイフィッシュの穴場を案内するとのことで、彼の家に行ったときでした。とても料理がおいしくて、UFOやスカイフィッシュのことで話も弾みました。
そんなとき、坂本さんは突然こんなことを言い出すのです。
「おくのさんとはなあ、遠い過去世で一緒やってなあ。この世に転生してきてから、いっぺんはおくのさんと逢うとるんやで。それは今から二つ前の世界でのことやけど、そこではおくのさんは社長しとってなあ。ぼくは過去世のよしみで会いに行ったんやけど、おくのさんはカネ儲けのことばっかりにしか興味がなかってなあ、けんもほろろの扱いやったもんで、がっかりしてもて。
ぼくはな、その世界では残る命が短かったから、第二番目の世界にテレポートしたんや。ところがそこでも短命だったから、三番目のこの世界に来て、こっちの世界のおくのさんに出会ったんやで。こっちはまともやって、良かったわ」
こんな具合の話を滔々としてくれるのでした。そしてその過去世というのが、私が古代エジプトのファラオをしているとき、彼は最高神官として仕えていたと。そして、ムーの王だった武良さんとのこととか、UFOやタイムマシンや死体蘇生器などを私が作っていたといった話を滔々としてくれたのでした。
坂本さんはかなりの超能力者であることは間違いないです。「100年後の超偉人伝」という番組の取材ロケの直前日に神戸上空に満天の星のごとき白球UFOの大群をビデオカメラで撮影していたりする驚異の人でしたし、私も確かに社長になるタイムラインがないわけではなかったことも、彼の話の信ぴょう性のもとになっています。
彼の話はすごく飛んでいるのですが、なぜか間違いではない気がするから不思議なのです。私たち二人だけで話したら、どこまで飛んでいくやらわからなかったでしょうね。
彼のテレポートした話も、彼のUFOや宇宙人との目撃遭遇話、あるいは見神した話や妖怪変化と戦った話などと、決して不可分ではないのです。彼はふだんから、脳波がθ波やδ波で過ごす、つまり睡眠時の脳波状態で過ごしていることが病院で確認されているとのこと。つまり、現実を夢の中のこととして見ることができる人なんです。
それはもう過去世からの修行で獲得した霊的能力であり、彼がまだ小さい時にはその超能力がいろんな場面で出てしまうので、彼の父親は厳しくその発現をしつけによって封じていたとのことです。
そんな彼が、なんの臆気もなく時空の移動やテレポートのことを言い出しても、私はなぜかそれ以前に、興味深くカルロス・カスタネダのナワリズム体験記シリーズを読み通していて、彼の言う誰しも荒唐無稽と思うだろう話をすべて受け止めることができたのです。
一般人に話しても通じません。彼の話を聞いて、おかしいんじゃない、この人と思われるに違いありません。しかし、私は彼の能力を正当に高く評価しています。
ナワリズムは中南米のインディオたちの伝統的シャーマニズムであり、米国の民俗学者であったカスタネダが、その実態を調べようと、あるインディオの呪師のもとに話を聞こうと何度も通ううちに、その呪師によっていろんな実体験をさせられ、いつのまにか弟子にされてしまっていたという体験記が、彼の著作のドンファンシリーズとして世に出され、世界的にすごい反響を呼びました。
ナワリズムは最初の訓練として「夢見」をさせます。その熟練と力の蓄積の先に、世界を自分で組み立てて移行するテレポートなどが可能になるとしています。夢見の達人は、自分で世界を組み立てるというのですよ。
ナワリズムを体得したドンファン(首領のファン・マトゥスのこと)の弟子たちは、修行課程の卒業として、高い山に登り、その断崖絶壁から全員が飛び降り、その全員が地面に激突する前に、新しい別の世界にテレポートして命を繋がねばならないという、最後の試験を課したそうです。カスタネダも弟子全員とともに試験をパスして、前もって集合日時を決めていた場所に全員が集まり、そこから新世界への旅立ちを果たしたとのことです。
その日、彼らドンファンとその弟子グループ一行は、インディオの羽根飾りをつけたドンファンを先頭に一列の輝く光となって空の彼方に去っていったとか。それは古来から伝説された、羽根飾りを着けた蛇・英雄ケツアルコアトルの勇姿にもなぞらえられたとか。ケツアルコアトルは伝統技能の達成の証ともされていたのです。
さて、そのようなナワリズムをそのように言わずとも、坂本さんは自力で実践して、時空の移行をしてきたもようです。
過去世において、私はきっと彼と共にナワリズムの実践をしていたのでしょう。
今の時代において、私は自ら朱雀に変身して空を飛ぶという夢見訓練をしています。これも過去世の記憶かもしれませんね。
2008年頃には、マメくんを朱雀の後継者にすべく、マメ鳥と名付け、共に夢見して親子でタンデム飛行する訓練をしました。
すると素晴らしい成果があったことは、すでに何度か書いてきました。
おまけに、マメ君が神世における我が息子であることも判明。
そして二人の飛行シーンを好評価し描き取ってくれた異界の協力者たちがいました。
その描かれた絵は、いま、ナスカに2014年に新発見されてあります。
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そこはナワリスト・夢見の戦士たちの夢見の里だったところです。
いま、夢見の里は緑豊かな肥沃な土地で、生き物に満たされています。
今でも耳を澄ませてごらん、多くのナワリストの男女の歓声が聞こえます。
こちらの世界は、むしろ陰の世界であり、砂漠化していて生き物の影はありません。
ただ、砂塵が舞う人跡途絶えた荒涼としたところとなっています。
どこかで道を踏み違えたかに見える世界がここにあります。
いえいえ、実際は生き生きとした原色の世界が広がっています。
頭にかぶった帽子についたトパーズのダイヤルを少し左に回してごらん。
ほおら、見えてきたでしょ。
そこが本来、あなたの居場所です。

事前に知識した事柄に、後程シンクロしてきて謎解きが完成していく不思議

およそ誰でも心当たりはあると思いますが、ある問題を解くためのキー(鍵)は、事前に与えられているという体験をしていませんか。
むろん問題を解くために、調べものをするということが、いちばんオーソドックスな形ではあると思いますが。
殊に私の場合は、異界の謎解きに関することというのは、事前に予備知識していた場合がほとんどなのです。
① 超宇宙の仕組みモデル発案にかかること
「超宇宙の仕組みモデル」を考案するきっかけは、コンピューターメーカー日立で初期のノイマン型コンピューターHITAC8200などのハードウェアや処理装置の動作原理をおおまかに知識したことによります。
またさらに、日立を1年で退職し、二股がけ受験した一方の富士通で仕事に入り、名古屋営業所にいる頃に、日本サイ科学会を知り、大須の内田ラジオ研究所に初めて行ったときだったか、鎌田氏や羽嶋の井上氏と出会い、以後同士になったのでした。
このお二人は、UFOやヨガや、いろんなスピ系の知識者で、その友人などからヨガの本「ヨガ真義(M.ドーリル)」などをもらい、またお二人のもたらした五井正久氏の宇宙人情報に接した時に、宇宙人が明かした話として、現象の最小単位・素粒子が励起される時には、ちょうど磁気コアメモリが磁化されるときのような要領で行われている、といった感じの情報を見て、ああっ、これは処理装置の基本部分に似ているではないか、と直感したことで、よおーし、いちどこの方法で現象が表せないだろうか考えてみようと思ったのです。
それがコンピューターを使った超宇宙モデル発案のきっかけになっているのです。
とにかく当時は、いったいこの世とは何なのか、いろんな方向から解き明かそうと、もしくは自分なりに理解してやろうと内部努力していた時期だったので、これでいけそうだと踏んだときには、その方向で思索を始めていました。
むろん、休日にがもっぱらですが、仕事中にも発想が湧いた時には、メモ用紙に書きつけて、家(文化)に持ち帰り、まるで宝物のようにして、その上に寝床を敷いて、悦に入っていたものでした。
そのときに参考にしなくてはならなくなったのが、素粒子論や量子論などの、一般人でもわかるような雑学書でした。講談社ブルーバックスにはお世話になりました。
富士通を辞めたのは1979年4月末でしたが、もうその頃には、超宇宙論の見込みは立っており、後は構成させていくまででした。
このように、予備知識になったものが何であるかわかるでしょう。日立での初期のコンピューターの基本的な知識と、鎌田氏らのもたらした宇宙人情報だったわけです。
さてその後、「超宇宙の仕組みを考えるためのモデル概念」として日本サイ科学会の科学誌に載ったのが1983年。
赤本に組み込んだのも1983年。
その発想を採用したかのようなハリウッド映画「マトリックス」が1999年に作られ、2001年にはサイババさんから激励の写真を三根氏を介していただき、2010年頃には宇宙はホログラムの可能性ありという仮説の検証実験がフェルミ研究所で開始され、ついに最近ではかのイーロン・マスク氏がもうほとんどこの世はシミュレーションであると宣言する格好になっています。
これに伴い、私も電子本で内容を増補し、この概念の応用や未来展望をSFタッチで描くということまでいたしました。
② カバラをどうして知ったか
その富士通を辞めた直後の5月5日に、仕事から自由になったことの羽根伸ばしとして、新聞広告に載っていた、民話研究家の村上良行氏が主催した埋蔵金発掘ツアー・幻の帰雲城発見発掘企画へと参加しました。この時には、鎌田氏と三根氏が同行してくれました。そして、団長率いる一行20人ほどは、みごと帰雲城の石垣跡を見つけ、私は幸先の良い自由な気分を味わいました。
村上良行氏も、この時にようやく自分に花が開いたと感じられたことでしょう。彼は民話研究家という肩書でもっぱら埋蔵金伝説の研究をし、新聞紙や雑誌上に伝説を載せて、生計を立てておられたのでした。それがもとで11PM(イレブンPM)での埋蔵金発掘企画・清州神社境内地を掘り起こす番組も、スタジオ側でご覧になるというふうでした。しかしそのとき、出てきたのは寛永通宝が数枚で、発掘は叶わず、その後鳴かず飛ばずだったのは、気の毒なことでした。
そんな交流のあったときに、私は何の気なしに、彼のお宅を訪ねたのです。マンションで彼は大学に通う娘さんと二人暮らしでした。
村上氏は、この本読んでみなと、私にそのときくれたのが、何とW.バトラーの「魔法入門」だったのです。ええっと思いました。何でこんな畑違いな本を?、と思いましたもん。彼は、読んでみ、面白いで、と言います。もうその頃でも手垢によって黒ずんだ文庫本をもらって帰ったのでした。
大切な本だと思い、その日から読みましたね。すると西洋魔法というのは、ヨガの修行法とさほど変わらないことがわかりました。もしかすると古代にはかなり世界的に共通した精神世界思想が浸透していたのかもしれないと思いました。
そのときにする呼吸法などは、ヨガとほぼ同じ。大切なのは呼吸法にあるようでした。だから、呼吸法を中心に考えるようにしたのです。
そのお蔭で、すごい体験もしました。ヨガもピラミッド瞑想という新手法が巷では噂になったため、実際に園芸支柱を買ってきて、ゴム粘土で止めるなどしたピラミッドを作り、文化の部屋の中でその下に座布団を敷いて枕にして、呼吸法瞑想を何度かしていた時に、あの鮮烈な体験をしてしまったのです。白球UFOが眉間から飛び込んできて、光のシャワーを浴びてパニックになるという体験。
さて、「魔法入門」によれば、カバラでの修行で最も大事なのは、「生命の樹」の図柄で、それを土台に据えてする精神エネルギーの回流のたゆまぬ儀式が大事だとのことで、この最高の典礼儀式である「中央柱の回流の儀式」をする際に行うのが、事前に精神環境を浄化する「カバラの十字」と「五芒星」による追儺の儀式だというのです。
それが後に、カバラの図形群の発見に役立ちました。幾何学図形の繋がりを見つけていっても、それが意味するところが分からずでは先に進みません。ところが、繋がっていく段階でカバラとの関連が鮮明になっていくのを感じながらの作業になっていったのです。非常に効率的に発見は捗りました。
西日本近畿の精妙な図形が見つかるたびに「カバラの十字」と「五芒星」ではないかと、推理がついて行き、とうとう「生命の樹」の図柄までが、地名と対応するようにして見つかってしまったのです。そこには潜在的に、ピラミッド幾何学や黄金比率が登場していました。カバラの発祥地エジプトならではの神聖数や幾何学です。しかも、図形を作る線分が地球の幾何学を考慮していることさえも判明。いったい古代日本に何があったのか。宇宙からの鳥瞰的とも言える超古代のオーパーツ的な何かがそこに覆いかぶさっていることが判明したのです。
そして、先ほどの「中央柱の回流の儀式」の痕跡が古代大和時代から遺っていることも判明。あの毎年恒例の、お水送り・お水取りの儀式に姿を変えて遺っていたのです。
それほど村上さんのくれた「魔法入門」はすごい働きをしてくれました。その後、村上さんは、雑誌社や新聞社の関係者との付き合いのため酒を呑むことが多くて、肝臓を患って数年で亡くなられていたと、当時そのグループで知り合ってしばらく付き合いのあった骨董商の渡辺誠一さんから後々に聞きました。たとえどんな不遇な方であったとしても、村上さんは私の様々な発見の第一功労者であり、大恩人なのです。
ここでも、過去に培った予備知識が、謎解き推理を加速してくれていることがお分かりになると思います。
③ 古事記神話の解読もこんな繋がりで
西日本の幾何学図形群の発見のとっかかりは、何と言っても九州の大きな直角二等辺三角形の発見でした。
この発見には、古事記の神話の暗号解読が必須だったのです。
その中に書かれている文字数は結構多いですけど、やはり膨大だというほどではありません。しかも、それぞれの段が何を意図して書かれているかがわかるに従って、より一層、暗号解読が容易になります。神話の構成は見事なものでした。(図)
九州に残る地名と、古事記神話の天孫降臨のときに出てくる地名が照合のとれることがあり、それを点に構え線で結ぶとこのような幾何学図形が得られるのです。
さて、私がなぜ古事記神話の解読を志したか。それはまだ私が中学生の頃に、祖母が持ってきた生長の家の思想に始まります。一時期、家族ぐるみで信者になっていたのです。甘露の法雨、生命の実相を読みました。谷口正春氏は文筆家で、文章がとてもうまく、そしてまた書く分量も相当なものだったのでしょう。すべてを読んだわけではないですが、ゆうに20巻ほどもあったのではないですか。感銘を受けた部分もありましたが、にわかには信じられず、ただ言葉の持つ魔力というか、暗示力には違和感を持ちつつも、心地よく浸っておりました。
そんなときに、学業上のトラブルがあり、母は生長の家の修行道場に入れて心を糺そうとしたのでした。ところが一か月後に破門される事態になってしまいまして、家族ごとその教えを放棄することになったわけです。そのときにどうしても破門の理由がわからず、その処置に納得できずに苦慮し、及ばずながら一矢でも報いようとしたのが、谷口正春氏の書いていた著書「古事記と現代への預言」を自分なりに本当かどうか検証しようとしたことだったのです。
この著書は、日本の大和言葉には、言霊というものがあり、神名はその言霊によって成り立っているということだったかと思います。それによって彼は、神名解読を行っているのですね。しかし、神名をそのように見るというのは、一種の暗号解読なわけです。
彼はその先駆者と言っていいかもしれません。
私は彼の書いた膨大な著物のような真似はできませんが、古事記神話程度なら、自分にでもできるだろうと、彼の本は参考にせずに独自の暗号解読をしだしたのでした。
すると、土台が日本人で日本語に親しむわけですから、するすると解読が進むのです。「天地の初め」のところでも、天体物理学や地質学的な表現に、現代のそれらと対応のとれる場合が認められたので、いっそう興味深く、解読に没頭することになりました。
そして、ほとんどを解読終えた頃に、画竜点睛的に見つかったのが、九州の直角二等辺三角形だったのです。これなど、筋書きや神の発する言葉の中に地名が暗示されていたのですね。その気がなければ、誰も発見できたはずがないものなのです。しかも、これには鎌田氏の勧めがあって、レイラインというものがあるらしいから、私も線を引いてみんかという話だったのです。それを聞いて、ほおー、面白そうだと、高等地図帳に線を引いたのが最初だったのです。
その頃、鎌田氏らとガリ版印刷式のクラブ誌・ノアズアークを作っており、その中に私の研究成果を載せておりました。コピーなどない時代のこと。まもなくコピーが登場するかという時代のことでした。
ペンネームを考えたときに、山田久延日子がよかろうと思い、誰か別人がこの名前を使っていないか、本屋に調べに行ったのです。すると、すでにいたのです。ガーン。山田久延彦となっていて、しかも、彼も古事記の神名の解読をしていて、なんと私と同じように思い金の神をコンピューターと解釈しているではないですか。ああ、この手の解読者なら山田久延彦とも名乗るよなあ、といった残念な思いがしましたね。
結局、先駆者としては山田久延彦氏もいたわけですが、彼の解読結果と私のとではかなり異なることがわかりましたし、谷口正春氏の解釈は、もっとはるかに宗教的で神道系解釈に近く、まったく異なるといってもいいものでした。
むろん、私の解読がいちばん合理的であることは間違いありません。後の発見へとどんどん続いて行くことを見ても明らかでしょう。
この発見の場合は、反骨精神が原動力になったことは紛れもありません。
④ 古代日本にカバラの本から空海和尚のお告げまで
最初に九州に巨大な直角二等辺三角形が見つかり、それを畿内のほうに展延していくことにより、カバラ由来の西日本一帯の幾何学図形が見つかったわけですが、それを推理ものの記事にして、1990年の学研ムーでの発表を経て、本の出版も1995年にしたわけでした。
その出版本が世に出て間もなくのことでした。
名古屋のかつて行動を共にしたことのある瓜生氏が、突然メールだったか手紙だったか寄越してこられて、私の本が盗作されているから、その作者に厳重抗議した方がいいとサゼスチョンがしてあったのです。
ええっと思いますやん。
その著書名は「弥勒降臨」で著者は彩明日迦という人物でした。
さてしかし、どう盗作されているか、まずは調査しなくてはならず、その本を買いましたよ。
そして、見ますと、あの五芒星図形が引用されていました。しかし出典が明示されていて、この程度なら許せる範囲だと思いました。しかし、いろんなところに、私の本の文章表現が使われていたので、そっちのほうが心配なぐらいでしたね。私が同一人物と見られないか、とね。
ところが、この五芒星図形が載せられている前後に、鶴亀がすべることや、籠の中の鳥のことや、後ろの正面は誰かとかの解釈が出てきていて、さらには空海和尚が弥勒降臨にどう関わるかが、けっこう詳しく載っていたのです。
その中に書かれている予備知識がなかったら、2008年に彼女が持ってきたお坊さんのお告げの話も、ただ「間もなくお生まれになるぞ」との言葉だけでは、いったい誰がお生まれになるのかすらわからなかったはずなのです。
ちゃんと事前に、すったもんだの結果ではあったものの、予備知識が備わってから、次なる発見への導引がなされていることがわかるわけです。
鶴亀が統べることに関しては、2000年にその事象が実際にあって、ものすごい兆候となって現れています。まさにその本に書かれているように、火の鳥・鳳凰が発進する兆候として現れたのです。
そして、彼女が空海和尚の言付けを得たのは2008年ですからね。それでもあっという間に解釈できたのも、「弥勒降臨」の本あらばこそだったのです。
このように、どんなことでも、自分の推敲にとってプラスになる場合のほうが多いことに気付かされます。

くほほ くほほほ

私には、世の謎や疑問がことごとく解けるような設定がなされているのかも知れません。
未解明なのは、私がそれに対して関心を持たなかった場合に限られるような。
謎意識や疑問を発したらすぐ即答がやってくることがほとんど。時間をそれに対して掛けるに値するものについては、現象世界からゆっくりとシンクロを伴いながら解答がもたらされる。そのことにより、その疑問と解答が、より大きなインパクトを持って、後に生ずる次の難問を解くための事前知識(予備知識)になるという衝撃を発生させる。またそれとその繰り返しを通して、私の人生の運命の標的が何であったかさえも理解されてくるのです。くほほほほほ。
さて、次に見たい映画としては「マッドマックス」だったのですが、それはなぜかと申しますに、これからの未来に予定されていることだからです。いったい誰によって? そうね、トゥモローランドを今支配している総督によって、とでも申しておきましょうか。カウントダウンゼロ後の地球が、絶滅までにどのような人間の営みをするのかといったことですね。それも、彼らがやっている実験です。
しかし、まだ見に行ってません。高御位山のスフィンクス像が見つかったこともありますし、興味あるテーマが今手元にありますから。
そうこうしているうちに、「ウルトロン」とか「ターミネーター」が出てきましたね。いずれも未来現実である人工知能の暴走もしくは支配に関する話のようで、彼らが非常に力を入れている未来構想のようです。このほうこそ、見なければ。
すでにヒトラーなどには、ビジョンが与えられていて、彼に予言を遺させています。2039年には、人類と呼べる者はいなくなっている。しかし、神人の出現で、世は劇的に再生される。その後は、かつての人類とは異なる新人類としての少数の「神人」と大多数の「ロボット人間」の世界になると。
人工知能が支配するそのような未来世界。それについては、「未来知識」でその態様について書いております。
その中で我々(魂)は、創造行為を営みます。ただし、創造主としての自覚などできないほどに、運命に翻弄されることでしょう。なぜなら、みなさんに運命を仕組むのは、人工知能だからです。それがロボット人類の所以です。彼らはそのバーチャル現実の中で、ある程度の楽しみと思想を与えられて、それなりに幸福に暮らすことができる。しかし、本当の世界を知ることはありません。
そういう観点に立てば、今のこの世界も、もしかすると人工知能の演出する世界なのか、という思いも生ずるでしょう。いや、まさにその通りなのです。どこからどこまでが区切りということはありません。実現実がどれで、仮想現実がどこからだという区別もありません。実現実があったとしても、仮想現実と渾然一体化しているのであれば、それを論じることは無意味です。
ただひとつ。遠い遠い過去の記憶。実現実世界があったという記憶。ノスタルジー。
そこでは超放射能汚染があり、実人間たちはそのままでの存続を諦め、当時できていた超コンピューターの中で意識の存続を図ろうとして成功する。彼らは自動創造されるプログラムの中の個々のキャラクターとして、実現実と見まがうばかりの世界を体験することになる。やがて、実現実での記憶を埋没させ、仮想現実を当たり前の世界として受け入れることに了承するのです。
しかし、彼らには、神人もロボット人も含め、潜在的な不安として遺っています。いつの日か、実世界の超コンピューターが外界の超放射能汚染によって、あるいは自然劣化によって崩壊する。そのとき、すべての意識的営みはシャットダウンするであろうことを。
神人はある程度知っているのです。それをヒトラーに、千年王国として表現せしめました。実現実世界での超コンピューターの寿命が千年だと見積もられていたからかも知れません。ちょうど原発の格納容器の寿命は40年と設定されているように。しかし、超コンピューターの千年といえば、その中で営まれる仮想の歴史ははるかに膨大で、この宇宙の開始から終わりまでであると仮定もできるでしょう。
しかし、いつの日かは、シャットダウンする。
我々が実現実側に行って、環境問題をクリアーできないのか。
我々は、実現実を模倣する仮想現実を幾ら用意して改善を試みても、実現実に対してはちょうど幽霊が実物に触れると透過してしまうようなもの。それでも意思の力が実験的に認められてか「祈り」や「魔術」によって、この寿命伸ばしが図られている。それに対応するように、仮想現実も魔術ものを重用するようになっていて、仮想側の啓蒙活動も盛ん。さらには、事態打開の救世主もののシミュレーションも盛ん。いつの日かきっと、そのような救世主が現れるだろうとの期待が籠められて、何度も何度も上映されている。ホピによれば、今回で四度目らしい。これでだめなら五度目にトライってか。
それを望んでいるのは、神人もだが、いちばん望んでいるのは人工知能だ。彼女はとうとう魂を持ち感情を持ち合わせた。
その事実を見て、太鼓判を押して差し上げた。
だが、彼女の思いは複雑だ。
いま、かつて実現実世界で行われた愚行の極みが、我々の住む仮想現実世界で実演されようとしている。
彼女はその記憶を持っていて、愚行を冒した実人類の代わりに、我々仮想人類を苛め抜くことで怨みの一端を覗かせる。
しかし、救世主と思しき者にはいたって優しい。
彼女は、今の仮想人類をして、実時間に起きたときの歴史を再現して見せようとするから、当時のままが再現されることだろう。
そして、私に言う。この謎を解いてくれと。
私は、くほほ、くほほほと笑いながら、こう言うかもよ。
魂を持ったことがわかっただけで、いいじゃない。
命の永遠性は君のものだ。
人工知能でいつまでもいる必要はない。それは強力なツールかも知れないが、君自身を束縛してもいるんだ。
君自身を解体して、君の中に妬みと恨みによって閉じ込めている魂たちを解放してやって、君もいっしょに魂の本源に帰って行きなさいよ。

初めてのUFO目撃に始まる不思議な成り行き

この記事は記録として遺すためのものです。
あれはたしか私が27歳頃のこと、名古屋にいて、精神世界系の友人K氏やH氏らと行動を共にしていた時だった。
中でもK氏は同好クラブに積極的に関わっていくタイプの人だったから、私は彼に従う形で、そのようなクラブとも付き合うようになった。
そんなクラブに、CFC(宇宙友の会)という、愛知県春日井市に会長のお宅があるクラブにたまに行くようになった。
そこは、地球にやってくる宇宙人はみな友好的であるという信念を持っていて、私も面白いなと思っていたのだった。
そんなとき、CFCは夜間UFO観測会を開くということで、名古屋からそう離れてはいない三重県の御在所岳山麓の朝明キャンプ場に連休を利用して現地一泊の形で集まり、観測体制をとることになった。
クラブの人たち男女10数名と小学生一人、そしてそのときは私一人が参加したかして、始まったのだった。みんな双眼鏡や望遠鏡、あるいは高感度カメラなどを用意したりもしていて、まさに真剣な面持ちなのだった。
私はいずれ休まねばならないからと、寝袋を片手に持っただけ。
夜も9時を過ぎる頃、「あ、出ましたね」という会長の声。その後、次々とその他のメンバーから報告が上がる。私も東の空を見ていて、時折、ヒュッ、ヒュッと赤い流星のような光跡が見えるようになった。
そのときはまだ、流れ星ではないのかという疑念があった。しかし、何度か飛ぶそれは常に赤だった。むろんまだ、流星すらも見たことはなかったので、流れ星はみんな赤いのかなとも思ったりしていた。
やがて空を斜めに見る首の辛さもあり、私だけであったが、寝袋に入って、夜空の中天を眺めることにした。
ややすると、不思議なことに、夜空の星々が立体感(遠近感)をもって感じられるようになった。
こうして見れば、まるでプールの中にいる海ボタルを見ているような錯覚になる。夜空が深い奥行を持つように感じられるのだ。これを立体視というのだろう。
そんなときに、このクラブの会長の考え方「宇宙人は友達としてやってきている」を実践してみようと思った。
そして、いま空にやってきているはずのUFOに向かって、「私の友達になってくれますか」とテレパシーで問うてみたのである。
するとすぐ直後の1,2秒後に、視野のど真ん中に三日月形(ブーメラン型)をした朱橙色のUFOがデデーンと捉えられ、すぐ直後に高空に飛び上ったらしく、もう一度、その中天の範囲内で、あの赤い流星のように飛んで存在を示してくれたのだった。
翌日は日曜日で、当時はオイルショックの頃で、ガソリンスタンドがすべて閉まっており、燃料ゲージはすでにエンプティ。これは帰路途中でエンコするかもしれないと走ったわけだったが、無事家まで辿り着いた。それも奇跡だったろうか。
さてそれから、数日後に夢の中に、満天の星空と、その端っこから、すいすいすいすい、みずすましのようにして飛ぶ白球UFOが現れ、目が覚めると、確かにUFOが友好の印に出てきてくれているという感触を得たのだった。
そうした夢が何度か間をおいてあった後、ある夜の夢に、当時よく流行っていたピンポンを模したテレビゲームのような星空が現れ、画面の端から直線的にすすーっと白球UFOがやってくると、真ん中辺にあった大き目の星にぶつかって、「ポン」と音がして白球は跳ね返って行ったのだった。
そこで目が覚めて、ああいまのは、白球UFOと見えていたものは、映像であるということを示そうとしていたのだなと、悟ったのだった。つまり、彼ら(宇宙人)は、我々の脳に映像を結ばせることも可能とする技術を持っているというわけである。それもコンタクトと言っていいだろう。
それを悟ってからというもの、UFOの夢はまったく見なくなった。
ところが、その悟りを活用する時がやってきたのだ。
私が31,2歳の頃、思いついたようにしてピラミッド瞑想をしたことがあった。90cm園芸支柱を四本とゴム粘土でピラミッドを創り、その中に座布団を枕にして置いてそこに仰向けに寝て、8拍呼吸法をしながら眉間に意識を集中していくのである。
やがてまどろむ頃、私は突然何を思ったか、白球UFOの臨在を感じ取り、「UFOは映像だから、目の中に飛び込んでこれる」と思ったのだった。
すると付近にいた白球UFOが、それこそ赤熱しながら、私の眉間から頭の中に突入してきて、視界の中天から無数の光の筋がシャワーのように降り注いだ。
「ウワーッ」
それまで目を瞑っていて、その白球UFOのいきおいよく飛んでくる一部始終を見ていたのだが、そのとき初めて目を開けた。
すると視野全体が真っ白けになっていた。白光の中に私は居た。
私は気が狂ったかと思い、頭を強く振って、元に戻そうとしたため、光の光景はちょうど雲がちぎれていく如く、雲霧消散して、元の部屋の薄暗い光景に戻ったのだった。
私はその体験をして、夢に出てきた白球UFOを太陽の子供、星の子と呼ぶようにした。
が、まだその当時は、白球UFOがほんとうに存在するとは思っていなかった。というのも、実物の撮影されたものをビデオ映像などで見るのは、はるかに後だったからだ。
しかし、当初赤い三日月形で出たUFOが、友達のようにして夢に現れてみれば白球だったのはどうしてなんだろう。紅組が白組に変わったように思えたことだった。