私の一生は謎解きのためにあったように思います。その対象は、この世(宇宙)の仕組み、埋設された歴史、神話、神と人の関係など、およそ真理探究の一環として成るもののすべてです。その方面に疑問がちょっとでもあれば、納得しない自分がいて、謎の追及に向かいます。
推理小説や経済展望ものなど、フィクションものの謎解きには関心がありません。スピ系というのでも、他者が多く集まるような場には関心がありません。定理や公理を疑う心が私にはあります。むしろ、ええっと驚かされるような話に興味します。
謎解きが何の役に立ったかについては、ごく個人的な見解としてしか表すことができませんが、未解明の事柄を謎解くことにより、それに付帯する封印を解くことにあったと解釈しています。それは時の要請とでも申しましょうか、ひとつのタームが終了を迎える前には、あらゆることの清算がなされるとのことならば、私はやるべき時を見つけるようにしてやってきたと思います。それが自分のカルマの清算であろうがなかろうがこだわりなく、必要な時に必要なことをする救命士のような思いを持っております。
私は特に50歳以降、探し求めるものが、向こうから自動的にやってくるようになりました。それまで、特に若い頃は、自分から探しに、図書館や書店やらに出向きました。しかしそこから得られるものはほとんどなかったことに思い至ります。
むろん、若い頃にも求めるものが自動的にやってくることはあり、有効に機能いたしました。
今は(もうだいぶ前から)自分から焦って取りに行くことをやめ(おおかたはネット検索で得られますから)、目の前に飛び込んでくるのを待つ、もしくは頭にひらめくときにのみ動くという、その繰り返しをしています。
情報不足になって、判断が偏ったり、間違った結果に行き着かないか。それはあると思います。しかし、この短い人生の、しかも覚醒しているときの短さからすれば、膨大な図書を読んでいる閑はありません。自分の持てる力量を頼みにして、目の前に現れたことを懸案にして、自分の一部にしていくことしかできないのが自分と割り切ります。自分のためのものなので、人には不完全なのは無論です。だから、アウトプットするすべてにおいて、「仮説」という但し書きが付きます。ゆめ、定理や公理などと思わないでください。
さて私が最初の子供の頃に自動的にやってきた情報は、母の出生の秘密と言いましょうか、祖母や母自身から時折聞いた内輪話です。
母は何でも、男として生まれていれば、位人身を極めると預言されていたそうです。まだ母が赤子の頃、二人の別々の行者によってそのように預言され、女として生まれたことを知って、どちらもが残念がって去ったそうです。
私は子供心にも疑問に思いました。母が女として生まれる運命の選択はどこでどうやって行われたのか。間違った選択をしてここにいるのではないのか。私は母が男であったなら、生まれていないはず。その方が良かったのではないのか。私は小学校時代にはいじめられてばかりだったので、余計にそう思っていたかもしれません。
その頃から、この現実とは別の世界がある、あるいはあったのだという思いを持っておりました。つまり並行世界の存在への思いはその当時からあったことになりましょう。
その後、私は花形産業と呼ばれていたコンピューターを目指しました。日立が1年、その後、二者択一の分岐点があり、すでに書いたように、社長になるタイムラインとしての小企業に就職する側があった一方、こちらのタイムラインでは富○通となりました。
そんな名古屋に転属のときに知り合ったスピ系の友人が持ってきた宇宙人情報に目が停まりました。
ある宗教家(五井昌久氏)が宇宙人のメッセージを受けたものに、この世界は極小単位で、磁気コアメモリが磁化されるときの要領に似た形で励起されている具合に書かれてあったのです。
私は不安神経症が子供の頃からあり、休日には森林公園などに行って、心を落ち着かせることを心掛けました。生きていくには、自分の不安を解消できる真理を見つけ出すことが、何をさておき大事でした。そんなときに目の前に現れたヒントがこの宇宙人情報でした。
私はメーカー勤めしながら、コンピューターの基礎的な動作原理を知ります。これにより、科学者たちが求めている法則性の裏にあるこの世の動作原理がシミュレートモデル化できるのではないかと思い立ちました。そして、メーカーを辞める前までに、ひとつの仮説を論文にしてある科学団体(偽科学かオカ科学か?のサイ科学)で発表しました。その仮説の恩恵を受けたのは、むろん私自身で、それによって不安がおおかた解消できたのでした。当然、母の伝承を容れた多世界解釈は自明の理のものになります。
当時は精神安定のためにヨガもやりました。しかし、根本的な知恵の悟りのようなものがなければ、やはり不安は残ったに違いなく、それを手に入れたのでした。(現在、電子本⇒超宇宙の仕組みモデル概念 拙宇宙論での解釈は、個々人が固有の宇宙を営む創造主として独尊の立場を持っているとしているため、私固有の概念でしかないのは無論であり、皆さんの持っておられる概念とは異なること、および創造される宇宙も異なっていることを了解願います。誰一人として観測が同一ということはあり得ないのです)
きっかけとなったのは、宇宙人情報。当時は宇宙人という存在は、面と向かってよう現れないにしても、啓発のテレパシーを送っているように思っていました。あるUFO観測会に行って、実物を目撃もできましたし、夢の中にも何度か立ち現われたので、確かに友好的な宇宙人が存在すると思っていました。
メーカー勤めは事務机に向かうことが主でしたが、そんなときに閃きがやってきて、裁断された文書の裏側を使ったメモ用紙がすぐ目の前にありましたから、それに走り書きして隠すということを繰り返しておりました。むろん、仕事に身が入らず、リストラなどという言葉のない時代にリストラのようなことになりました。
しかし、辞める予定日のすぐ後に、面白い企画への参加募集があり、辞める前からそれに応募していました。何だったかというと、岐阜県の飛騨高山に近い御母衣ダム近辺に、謎のまま眠るという戦国時代の山城・帰雲城の城跡を発見しようという企画だったのです。伝説以外に誰もその場所を知らないという城跡で、天正13年の大地震で裏山の帰雲山が崩れてその土砂に埋まったままになっているという城跡でした。
民話研究家の村上良行氏が団長になり、我々は名古屋にいましたから、そこから20人ほど、土建屋さんあり、骨董屋さんあり、サラリーマンありの多種多彩なメンバーで臨み、見事、入山した当日のうちに発見できたのでした。そのことが、団員の幸先のいい先行きを暗示するようで、白川村の合掌造り民宿での歓迎会は土地の三味線の踊り子さんの出演などで盛り上がりました。
みんな、団長が言う埋蔵金に興味していたのかもしれませんが、その発見後すぐに教育委員会が縄張りして、立ち入り禁止にしてしまいましたから、何ともなりません。今ではそのよすがを留めるのは、当時村人によって造られた帰雲神社の祠が遺るのみとなっているようです。
さて、その時に知り合ったのが骨董屋さんと団長の村上良行さんでした。村上さんの家には二度ばかり訪問しましたか。そのときに、この本読んでみいな、面白いで、と手渡されたのが、文庫本の手垢で黒くなったW.バトラーの「魔法入門」でした。畑違いに思ったのですが、特に理由を聞くこともなく、確かにその日のうちに読みはじめて内容の面白さに引き込まれたのでした。
村上さんは独自の埋蔵金伝説論を新聞記事に投稿することで収入を得ておられました。しかし、その業界での付き合いは飲み屋が多く、肝臓障害でしばらくして亡くなられたとのことを、後々骨董屋さんから聞きました。
その本の知識が後に、西日本一帯のカバラに基づく見えざる地上絵を発見するきっかけになりました。「魔法入門」を読むことなしに、あの図形群は見つかっていません。それを基にして肉付けした論文を、ミステリー論文を募集していたムーに送り、優秀作品賞をいただきました。ムー掲載は巻末特集として1990年8月にされています。しかし、トップ賞でなかったため、元の原稿の1/3ほどしか出ておらず、増補したものを1995年に自費出版しました。6割5分が売れたとのこと。販売数は少ないですが、必要な人の手には渡ったみたいです。なお、出版社に依頼中の第三校目の直前で阪神大震災が起きています。出版社は壊滅。しかし、移転して業務再開し出版に漕ぎつけてくれました。(現在は電子本として復刻 ⇒ 古代日本にカバラが来ていた)
1998年でした、名古屋にいた当時のスピ系友達の中に、ひとり生真面目な男子がいて、無口にもかかわらずツアーなどにも参加してくれたのですが、その彼が突然、私の本が盗作されているから厳重抗議した方がいいと手紙をくれたのです。こんな大人しい彼が、ええっと思って、その本を購入したのでした。そして、これぐらいなら許せる、たいがいみんなしていることの範囲だと判断しました。というのも、出展根拠をちゃんと明示していたからです。ただ、文章表現を真似てる部分が散見できましたけどね、いいじゃないですか、きっと名文だったのでしょう。
ところが、その作者が書いている内容、特に拙本からの引用のある部分に、後々に重大なメッセージを受け取るために必要な予備知識が籠められていたのです。
その作品名は「弥勒降臨」、作者は彩明日迦氏。そこには弥勒降臨に関わる人物として、魔訶迦葉や空海について、かなり詳しく載っておりました。
そして、2008年になって、ちょうどリーマンショックが起きた前後でした、私のいちばん最初の(私が50歳になる直前日に討ち入りした)彼女が、突然何を思ったか、ツアーバスで高野山詣でするというのです。私は、あそこは怖いぞ、何かお蔭をもらって帰るかもしれないぞと脅しておいたのですが、まさにそれが本当になってしまいました。
高野山に上がったのは2008年9月24日で、その日のうちにあちこち撮影して回ったそうです。そんな中に、金剛峯寺持仏間で撮られた写真に、顕著な六角オーブが、加納元信画の群鶴図の一枚の襖絵の鶴の上にかぶさるように写り込んでいました。そして、帰路バスの中で彼女は激しい憔悴感に襲われ、爆睡したそうです。そして帰ってからもそれは残っていて、食事をとった後また爆睡したそうです。
そして翌朝、私に連絡をしてきました。夢の中にお坊さんが出てきて、「間もなくお生まれになるぞ」と告げられたというのです。そしてメールには、鑑定を頼むと、六角オーブの写真が添付されておりました。お坊さんとは、あの地においては、空海しかいません。とすれば、お生まれになるのは弥勒菩薩しかいないでしょう。
お坊さんはどんな顔をしていたか問いますと、若貴兄弟の若の花に似ている、何かこんもりしたものを抱えていたというのです。ああ、やはり。空海の肖像画の最古のものとされるものをネットで調べて、彼女に見せますと、似ているとのこと。こんもりしたものとは、釈迦が弥勒の肩にかけてやってくれと、魔訶迦葉(空海)に託した養母の編んだ金るの袈裟だったのでしょう。空海が魔訶迦葉に成り代わり入滅から蘇り、弥勒菩薩の肩に袈裟を懸けて差し上げる役を果たされようとされているみたいです。
そこで「弥勒降臨」の予備知識が即応的に役に立ったのでした。このように、事前に導かれるように予備知識して、解答が導き出せるというパターンが私の自流になっていることがわかってもらえたら。
なぜ私が空海と縁があったのか。それは2003~4年の頃、六甲山系摩耶山で頻繁に撮れたUFOが主として三角形をした天狗系UFOだったもので、私はその謎を解明しに登ってその謂れを知り、空海が封印したとみられる天狗たちを救出する縁に与りました。空海は封印天狗たちの解放を発願され、当世謎解き随一!?の私に封印解除のための謎解きを依頼されたように思います。その後、天狗さんたちは2005年に全員解放され、封印時の三角形の金型を全国各地に置いて去りました。こんなわけで、私は天狗さんの守護が得られましたし、空海とも持ちつ持たれつのご縁ができたのでした。それが謎解き連携のパートナーである、彼女への弥勒下生の予告になったのだと思います。
まあ、そういうわけで、当時は弥勒降臨の段階まできていると、私はそのように認識し、ついに来るべき時が来たかと、翌年2009年に山籠もりに入りました。弥勒は吉凶の斑の相で現れるとされています。ちょうどパンダのような黒と白の模様入りのいでたちということです。
山籠もりがいいとかではないです。ただ、現状を変えておかねばという思いを持っただけです。このことが彼女には奇異に映ったかもしれません。彼女とは意識を交流させていましたから、彼女の眼前から私が消えたように思えたみたいです。彼女は一度行った場所の磁場は憶えておれて、そこに意識を飛ばせるのです。しかし、私を探し出すことが困難になったようでした。(のちに蜘蛛の視座になり確認に来ました。その後は、母猫に入り、私の傍にいてくれようとしました)
彼女はその後、同じデジカメ(水陸両用)で六角オーブの写った写真を、陸上でも(スキューバやっていたので)海底でも撮り続け、また思いつくようにして出雲地方を旅行して六角オーブ入りの写真を撮り続けました。彼女には、それら無数の六角オーブが、胎内から出た子供と映っていたようです。(出雲地方の神社はご神紋からして六角なのは、出雲系国津神の神霊の形が六角だからなのです。)
翌年2010年に彼女は、まるで旧神話に導かれるようにして、海原に帰っていきました。豊玉姫が海原に帰る段に当たります。
新神話においては、キトラ古墳の四神獣の特別展示の初日に相当していました。死の前日に、ちゅらうみ水族館で撮られた彼女本人の六角オーブ(が横向きに横たわった)写真を、私への最後の謎解き依頼の言葉にして、亡くなったのでした。縦の六角オーブが横たわるとは、神霊が神去ることを意味します。
こうして、本体が乙姫であり、豊玉姫であり、奥津嶋姫であり、雲龍であり青蛇であり、青龍と玄武を兼務した彼女は、神世に戻ったのでした。
ちょうどその頃、私はネット上に、ほぼ完成しかけた形のホツマツタエの口語訳を見つけました。そして、そこに書かれていることから比較神話して、ホツマは真伝に基づくも、まだしも綾が施されていることを発見し、神世の歴史の真相に接近することができました。
2013年5月11日未明の夢に、神世らしい場所の出雲大社がでてきて、そこで彼女に会いました。平安時代の単衣スタイルでお歯黒を着けていました。その前には、弥生時代服でみずらを結った男性にも会いました。この二人はご夫婦です。(ホツマでなくてはわかりません)
そして、もしかしたら、私は出雲大社に居候している、かの神かもしれないことは、息子が本名で現れてしまったので、そうかもしれないと思っております。まあそれはまだ、首尾よくいけばの話であり、ここはまだ、命要らずのギャリソンゴリラとしておきます。
50歳になる直前日にこの私めの命、彼女の本体である神によって買い取られました。それからは、めくるめくワンダーランドになりました。ミッションは・・・ははは、それがしめの胸の内に納まっております。
まるで映画のようなストーリーが地方の片田舎にもあったという話、お目に留まりましたら幸甚です。m(__)m