この記事は二つ前の記事 事前に知識した事柄に、後程シンクロしてきて謎解きが完成していく不思議の続きです。
およそ誰でも心当たりはあると思いますが、ある問題を解くためのキー(鍵)は、事前に与えられているという体験をしていませんか。
むろん問題を解くために、調べものをするということが、いちばんオーソドックスな形ではあると思いますが。
殊に私の場合は、異界の謎解きに関することというのは、事前に予備知識していた場合がほとんどなのです。
⑤ 空海和尚との不思議な縁は もしかして回転三角UFOにあるかも
2004年6月には、武良氏はじめ我々UFOビデオ撮影友の会メンバーは日テレ系の昼の番組・みのもんたの思いっきりテレビ「この日何の日UFOの日」の取材ロケに向けて、何度も六甲山に上がり、UFO撮影をしておりました。それに合わせるかのように、UFOもよく飛び回り、特に黒いシルエットのような三角UFOがみんなのビデオカメラにけっこう映りこんでおりました。「UFOの日」は6月24日でしたが、取材ロケは6月19日で、正午を挟んで3時間ほど、六甲の鉢巻展望台で食事を摂りながら、取材陣の見ている前で撮影しておりました。
その日もまた、三角UFOは出てきまして、それを私は大きく捉えたのですが、別角度から撮影していた坂本美紀恵さんのビデオカメラがそれと同じものを捉えていて、同一UFOの別アングル撮影が初めて叶ったわけでした。
美紀恵さんの撮影物のほうが広角で何コマも写っていたのでわかりよかったのですが、ところが、どうしてもその実体が掴めないのです。三角のままで推移するはずが、途中から狐狸が化けたかのような形態変化をするのです。
うーん。これは普通のUFOではない。生き物のような。しかし、前例のない生き物。バケモノというか。そのようなUFOがここのとこ出てきていたのです。
武良さんは区別なしにUFOとしてしまいますが、私はどうしても正体を明らかにしたがる。普通のUFOという類のものではないと思うからです。
そんなときに、武良さんが2003年10月に不思議なUFOを撮ってきていたことに気付きます。それは瞬間移動しているのですが、矢印のようなUFOが空から下りている3コマの写真です。
なんだこれは。魔法使いが箒に乗って下りてきたような。あるいは拡大すれば、腹の出た布袋さんが箒に乗っかっているような。
そしてまた、奇妙なことに、鉢巻展望台から摩耶山方面を映すときにだいたい得体の知れないUFOは出てくるわけです。
ははーん。もしかしたら、これは矢印を使って我々に指示を出していたのではないか。この場所に秘密があるんだぞ、といわんばかりです。
私は異界の戸を開く(おくのとおしあき・奥の戸押し開き)探偵ですから、ピーンときました。それで、武良さんには内緒で、私一人で摩耶山に出かけることにしたのでした。彼と行くと必ず撮影に時間が取られて、私のしたいことができないのでねえ。
摩耶山の展望公園の駐車場に車を起き、矢印の下りたあたりらしいところに、ビデオカメラを回しながら片手で持ち、散策に入ったのです。
すると、やがて磐座が見えてきました。石柱に「石丸猿田彦大神」と書かれてありました。そうです、これぞ天狗岩なのです。小さな祠がありました。と、見ると、祠のすぐ右下に、小さなプラスチック看板が落ちており、そこに「三角寺」と書かれてあったのです。
三角寺?? なんでだ。ここは刀利天上寺の境内地だったところで、天上寺跡地というならわかります。近年になって天上寺が火災で焼失したため、お寺は移転して別のところにあって、ここは摩耶山国定公園になっているというわけですね。
しかも天狗岩は、摩耶山山頂にもなっていて、摩耶山ではいちばん高いはずのところ。
そして、三角(寺)とはまるで昨今撮れているUFOのようではないですか。
その日、摩耶山に行く前に、天上寺伝承にいう天狗岩のことは調べてあります。その昔、この地には天狗がいて悪さをしていた。そこでふもとから僧侶が上がってきて、天狗たちを三角護摩壇法で封印してしまったというのです。おそらく、封印して磐座の下に敷いてしまい、そこを天狗岩と名付けたのだろうと推測できます。
昔は呪術を仏教僧侶が駆使していたわけですね。今の我々では考えられないことです。朝廷の命によって天狗を退治すべく上がってきたのですね。古代におけるそのようなケースを、私はいっぱい知っていましたから、ああここでもかという暗い気持ちになりましたわなあ。
いったいこのふもとから上がってきた僧侶とは誰だったんだ。天上寺には伝承としてその昔、空海が摩耶夫人像を奉納するために上がってきたといいます。まさか空海がそんな恐ろしいことをするだろうか。庶民に敬慕されている聖者なのに。
ところが、看板に書かれていた手がかりの「三角寺」を、家に帰ってネット検索してみれば、四国八十八か所の第六十五番札所で、なんとそこで空海は、真言密教最強の呪詛法・三角護摩壇法を修していたというのです。
ああ、これならば空海だろうな。それとも彼の弟子か。いいや、やはりここに上がってきた記録がある人物・空海だろう。
さらに、天狗岩を撮影していたビデオを確認しますと、なんとそこには、まるで羽衣のような白いレースのようなものが、瞬間的に右方向から飛んできて、さあっと石碑の上に停まったではありませんか。写っているコマ数にして3コマ。
ああーっ、これは猿田彦大天狗に違いない。目には見えなかったが、感動的な対面が果たせているのです。そして、導かれるようにして、祠の横の看板に注目することになった。私がすることと言えば、私ができることと言えば、謎解きと理解を及ぼすこと、それ以外にありません。
これは、大天狗様直々に、何か依頼されたに違いない気がしましたよ。とにかく、当時どんなことがあったか、天上寺の伝承からも推測するに、呪術合戦のようなことがここで展開されたのでしょう。そして、天狗側は敗北し、魂魄に三角の貞操帯のようなものを付けられ、自由が奪われた状態で今日まで来ていたということなのです。
ちなみに三角寺の御詠歌は、とてもおそろしいもので
おそろしや 三つの角にも 入るならば 心をまろく 慈悲を念ぜよ
すでに歌の中に「三角に入るなら」(三角の中に閉じ込められたなら)となっているではありませんか。
それが、まるでぶんぶく茶釜のように千変万化して飛ぶ姿や、三角そのものになって飛ぶ姿としてビデオカメラに捉えられていたのです。
三角の黒い姿は、カラスにも見えるためカラス天狗と名付けられたのでしょう。それを1200年もの間、見守り続けた大天狗様は、さぞお辛かったでありましょう。
摩耶山を踏査したのは2004年の8月5日のことでした。その後、推理をまとめて、天狗さんたちの封印がなされていたことを記事にしてネット公開しました。だんだんわかってきたのですが、封印解除は、その実態を調べて、公にすることで叶うことが経験的にわかってきました。
2005年5月になって、不思議な事件が報告されるようになりました。全国46都道府県中45都道府県において、自動車道のガードレールに謎の三角形の金属物体が刺さっているという事件です。誰がした。非行少年の仕業かとか、あるいは自動車が接触してドアなどの鉄板がはがれて付いたとか、もっともそうな推理が巷ではなされていました。しかし、一過性のブームで終わり、原因がしっかり特定できたのかどうか、そのほうが不明瞭です。
解答を申しましょう。それは封印されていた天狗さんたちが、それぞれ封印が解けて、付けられていた貞操帯を外して、延々と伸びる目立つ白いガードレールに突き刺して去ったのです。鉄は鉄のもとに添えて置いておく。すばらしいマナーではないですか。
そして同時に、後で私にも封印が解けたことがわかるようにしておいてくれたものと解しています。ここまで名推理できるのは、おくんどをおいてほかに右に出る者はありません。
なんと天狗さんは全国的に災難に遭っていたのです。それゆえ、これほど広域に及んでいるということ。そして天狗さんの数も、ガードレールの金属板の数はおられたということでしょう。
空海の時から千二百年。それだけの期間、不自由であられたことは気の毒なことでした。
さて、それから四年後、2008年9月25日に私の彼女を介して空海から弥勒下生が告げられたことは前に話しました。空海は私の事前知識を頼みにして、まったく何も知らない彼女に言付けを託したのです。我々はその栄誉を得させてもらえたと思いました。
ということは、空海は、かつて天狗さんたちを封じたことの非を悟り、私をして謎解きせしめて、天狗さんたちを解放させたのだと、しみじみと理解が及んできたのでした。そのお礼に、弥勒下生を真っ先に知らせてくれたと。
しかし、私を経由してでは、弥勒下生というせっかくのセンセーショナルな篤信家やマニア垂涎の情報も、ローカルな田舎の小さな話題にしかできなかったのです。空海さんはそれでよかったのかな。まさかそこまで体たらくしたのがおくんどとは思っておられなかったのかもしれませんね。残念やねえ、空海さん。
神世でいかに高名な名探偵でも、下界で零落した場合があるのは、これ春秋というものではないでしょうか。
さて、2009年に山暮らしに入ったのですが、切り株ばかりの山道で日々何度も蹴躓きながらも、一度として膝から地面についたことがなかったのです。(2015年11月にとうとう初めて膝を地に着けてしまいました。痛かったなあ。ちょっとすりむきました)
それは、天狗さんたちが陰ながら守ってくれているからだと思っています。ありがとうございます。
⑥ 坂本廣志氏とテレポート、そしてナワリズムの里ナスカ
この世には、恣意的にテレポートする人がいるようです。未来人2062氏の掲示板を見ていると、そのような能力者が質問に出てきたりしています。
テレポートも空間移動が普通だと思われますが、自分が持つ可能性の別のタイムラインにテレポートできる人もいるようです。
私が2002年に知り合った坂本廣志氏はそのような能力を持った人だったようです。
その彼と、奥さんの美紀恵さんに初めて出会った日は、武良さんと私にスカイフィッシュの穴場を案内するとのことで、彼の家に行ったときでした。とても料理がおいしくて、UFOやスカイフィッシュのことで話も弾みました。
そんなとき、坂本さんは突然こんなことを言い出すのです。
「おくのさんとはなあ、遠い過去世で一緒やってなあ。この世に転生してきてから、いっぺんはおくのさんと逢うとるんやで。それは今から二つ前の世界でのことやけど、そこではおくのさんは社長しとってなあ。ぼくは過去世のよしみで会いに行ったんやけど、おくのさんはカネ儲けのことばっかりにしか興味がなかってなあ、けんもほろろの扱いやったもんで、がっかりしてもて。
ぼくはな、その世界では残る命が短かったから、第二番目の世界にテレポートしたんや。ところがそこでも短命だったから、三番目のこの世界に来て、こっちの世界のおくのさんに出会ったんやで。こっちはまともやって、良かったわ」
こんな具合の話を滔々としてくれるのでした。そしてその過去世というのが、私が古代エジプトのファラオをしているとき、彼は最高神官として仕えていたと。そして、ムーの王だった武良さんとのこととか、UFOやタイムマシンや死体蘇生器などを私が作っていたといった話を滔々としてくれたのでした。
坂本さんはかなりの超能力者であることは間違いないです。「100年後の超偉人伝」という番組の取材ロケの直前日に神戸上空に満天の星のごとき白球UFOの大群をビデオカメラで撮影していたりする驚異の人でしたし、私も確かに社長になるタイムラインがないわけではなかったことも、彼の話の信ぴょう性のもとになっています。
彼の話はすごく飛んでいるのですが、なぜか間違いではない気がするから不思議なのです。私たち二人だけで話したら、どこまで飛んでいくやらわからなかったでしょうね。
彼のテレポートした話も、彼のUFOや宇宙人との目撃遭遇話、あるいは見神した話や妖怪変化と戦った話などと、決して不可分ではないのです。彼はふだんから、脳波がθ波やδ波で過ごす、つまり睡眠時の脳波状態で過ごしていることが病院で確認されているとのこと。つまり、現実を夢の中のこととして見ることができる人なんです。
それはもう過去世からの修行で獲得した霊的能力であり、彼がまだ小さい時にはその超能力がいろんな場面で出てしまうので、彼の父親は厳しくその発現をしつけによって封じていたとのことです。
そんな彼が、なんの臆気もなく時空の移動やテレポートのことを言い出しても、私はなぜかそれ以前に、興味深くカルロス・カスタネダのナワリズム体験記シリーズを読み通していて、彼の言う誰しも荒唐無稽と思うだろう話をすべて受け止めることができたのです。
一般人に話しても通じません。彼の話を聞いて、おかしいんじゃない、この人と思われるに違いありません。しかし、私は彼の能力を正当に高く評価しています。
ナワリズムは中南米のインディオたちの伝統的シャーマニズムであり、米国の民俗学者であったカスタネダが、その実態を調べようと、あるインディオの呪師のもとに話を聞こうと何度も通ううちに、その呪師によっていろんな実体験をさせられ、いつのまにか弟子にされてしまっていたという体験記が、彼の著作のドンファンシリーズとして世に出され、世界的にすごい反響を呼びました。
ナワリズムは最初の訓練として「夢見」をさせます。その熟練と力の蓄積の先に、世界を自分で組み立てて移行するテレポートなどが可能になるとしています。夢見の達人は、自分で世界を組み立てるというのですよ。
ナワリズムを体得したドンファン(首領のファン・マトゥスのこと)の弟子たちは、修行課程の卒業として、高い山に登り、その断崖絶壁から全員が飛び降り、その全員が地面に激突する前に、新しい別の世界にテレポートして命を繋がねばならないという、最後の試験を課したそうです。カスタネダも弟子全員とともに試験をパスして、前もって集合日時を決めていた場所に全員が集まり、そこから新世界への旅立ちを果たしたとのことです。
その日、彼らドンファンとその弟子グループ一行は、インディオの羽根飾りをつけたドンファンを先頭に一列の輝く光となって空の彼方に去っていったとか。それは古来から伝説された、羽根飾りを着けた蛇・英雄ケツアルコアトルの勇姿にもなぞらえられたとか。ケツアルコアトルは伝統技能の達成の証ともされていたのです。
さて、そのようなナワリズムをそのように言わずとも、坂本さんは自力で実践して、時空の移行をしてきたもようです。
過去世において、私はきっと彼と共にナワリズムの実践をしていたのでしょう。
今の時代において、私は自ら朱雀に変身して空を飛ぶという夢見訓練をしています。これも過去世の記憶かもしれませんね。
2008年頃には、マメくんを朱雀の後継者にすべく、マメ鳥と名付け、共に夢見して親子でタンデム飛行する訓練をしました。
すると素晴らしい成果があったことは、すでに何度か書いてきました。
おまけに、マメ君が神世における我が息子であることも判明。
そして二人の飛行シーンを好評価し描き取ってくれた異界の協力者たちがいました。
その描かれた絵は、いま、ナスカに2014年に新発見されてあります。
そこはナワリスト・夢見の戦士たちの夢見の里だったところです。
いま、夢見の里は緑豊かな肥沃な土地で、生き物に満たされています。
今でも耳を澄ませてごらん、多くのナワリストの男女の歓声が聞こえます。
こちらの世界は、むしろ陰の世界であり、砂漠化していて生き物の影はありません。
ただ、砂塵が舞う人跡途絶えた荒涼としたところとなっています。
どこかで道を踏み違えたかに見える世界がここにあります。
いえいえ、実際は生き生きとした原色の世界が広がっています。
頭にかぶった帽子についたトパーズのダイヤルを少し左に回してごらん。
ほおら、見えてきたでしょ。
そこが本来、あなたの居場所です。