たまやー、かぎやー


「たまやー。かぎやーっ。
たまやーゆうのは、たまちゃんのことやで。
上手な花火師を褒めるときの掛け声や。
よう、こんなみごとな花火、作ったもんやで。
同じもんは二度とないしなあ。
それに、いつも花火をやるあの方角だけと違ごて
周り全部が花火会場やがな」
「えっ? かぎや?
それはやなあ、えーと。ブログによう来る人らのことや。
においをかぎにきとるから、かぎやーゆうねん。
コメントなんか、花火みたいに儚いけど、
印象に残りよるから、よう似とる」
雨はざざっと降ったが、すぐに晴れて、
ちょうどええぐらいに水やりもできて、
やがて花火大会が始まったんや。
ほんま適度な夕涼み。
ビデオ用意してちょっとだけ
撮った夕涼みをおすそ分け。

成相山成相寺成合観音縁起

どこのHPを探しても載っていない丹後の天橋立にある成相山成相寺成合観音の謂れ。
パンフレットにしかその伝えを残していないというのは、いかにも残念というしかない。
この中には、地球上に人類が初めて登場したときのことが書かれている。
手元にそれがないので、憶えているままに書くのであるが、
その昔、地球上には人間がまだおらず、龍神たちが支配していた。
ところが、天上の神々がこの地に人間を下ろしたいと言ってきた。
龍神たちは、そんなことをされたら秩序が乱れるのではないかと、抵抗を示して暴れまわった。
そこで神々は、当時インドで名を馳せた文殊菩薩に、龍神たちの教化と懐柔を依頼した。
文殊菩薩は、これを快く引き受け、丹後に龍神たちを集めて、説法をして改悛させ、人間に思いやりを持つことを諭した。
いたく感じ入った龍神たち。そのお礼にと、みんなして土を運び、天まで続く回廊を築いたのが天橋立。
長である弁財天と共に人類擁護の誓願を立て、弁財天を中核にして龍神たちが合体して、一体の観音菩薩となった。
これを成相観音という。
これが天橋立の二つの極に、それぞれ成相寺成相観音と智恩寺文殊菩薩が鎮座する構図となった由緒である。
だが、文殊菩薩は、今の有様を見てどう思っているだろうか。
果たして、してきたことは良かったのかどうか、
むしろ教化すべきは人類のほうではなかったかと、
悔いておられるような気がするのである。

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UFOはテレポートするか??

モルダー龍馬さんは、かつて地元の少年たちが、田園部でたまたまみつけて捕獲までした、円盤型UFOとの交流記を刻銘に綴ったような記事を出されていた。
https://www.youneeds.com/xfiles/ufo/kela_ufo_catcher.htm
面白いことに、少年が家に持ち帰り、厳重に保存法を講じてタンスにいれておいたものが、忽然と姿を消し、また目撃現場に落ちていたので拾い、保管してまた逃げられるということを何度も繰り返していたというのである。
UFOはテレポートするというわけであろうか。
私ももう20年以上前に、名古屋の友人たちと吉野の桜を見に行ったとき、駐車場に止めてさあ出ようとしたとき、運転する車の右肘置きに停まっていた500円玉大の昆虫を発見した。
だが、こんな虫いるの??といった異様な虫。虫と思ったのも、六本の脚と頭の触覚が見えていたからだ。
よく見ると、円の中央部が透き通っていて、なにやら電気が灯っている感じである。
「おい、これ何やと思う?」
ちょうどその前に、UFOの話題で車内は花盛りだったから、友人も
「もしかしたら、偵察円盤かもしれんぞ」
と言い出した。
窓を少しは開けて走っていたから、虫が紛れ込んだとも考えられた。
「まあ、全部窓を閉めとこう。戻ってきてもおるやろ」と、桜を10分程度見て回り、戻ってきたわけだった。
ところが、どこを探してもいない。
四人みんなで手分けして探したが、座席の下にもぐってしまったか、不明となった。
以来、駐車時には窓を締め切り、乗車時にも自分の監視の元に置いたつもりだったが、死骸も何も発見できなかった。
下手な絵で、細部の記憶も薄れてるけど、どなたかこんな虫、知りませんか? 特徴は「円」、そして四対照的な甲羅の図柄、そしてぺっちゃんこ。
mushigata.jpg

賽の河原

賽の河原は、誰しもが死の直後に渡って行かねばならない三途の川にある河原のことで、
Wikipediaによると---
賽の河原は親に先立って死亡した子供がその親不孝の報いで苦を受ける場とされる。そのような子供たちが賽の河原で、親の供養のために積み石による塔を築くと、鬼が塔を破壊し、再度や再々度塔を築いてもその繰り返しになる。このことから「賽の河原」の語は、「報われない努力」「徒労」の意でも使用される。しかしその子供たちは、最終的には地蔵菩薩により救済されるとされる。
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とのことである。
さて、六道輪廻はこの世にありとする説によれば、死後の手続きもいっさいがっさい、この世の経験の中で満たされると考えることができよう。
そうしたときに、賽の河原の意味するところとは・・。
私流に仮説させてもらうなら、人の個々、あるいは人類が、これは正しいと思いながら一生懸命積み上げていった諸々のことが、河原の積み石に置き換えられて、それがある程度築かれる度に、鬼のような不条理な節理の侵襲に見舞われて、元の木阿弥から出直さねばならないことを語っているように思われる。
つまり、三途の川、賽の河原という説話も神話の手続きとなっていて、人の個々の一生から人類の一生、さらにはそれらの死後世界まで幅広く懸かる定型的パターンとなっているわけであろう。
その是非はここでは問うまいが、いかにも人間の置かれた立場はかくなるものなるかと、諦観を以て眺めねばならないような陰鬱な気分にもなるわけである。
個々にも、全体にも、突然の事態の発生により、築いてきた正しいと思われてきた価値が転覆したりする。そこにカタストロフィ理論を当てはめるというのもいいかも知れない。
これは賽の河原の一側面だからだ。しかし、賽の河原は違った側面も持っている。それは、徒労を繰り返す子供を救いにくる地蔵菩薩の存在だ。
だが、この場合は、親不孝したことの罪の報いではない。良かれと思ってしたことのことごとくが、果たしてそうだったのかという、むしろ大人に通用する話となる。
人類の突き進んだ高度物質文明社会の無限成長路線の幻覚。図らずも、宇宙船地球号の限界の中の幻影でしかなかったことに、今ようやく気付きつつあるわけだが、もうすぐそこまで鬼は足音を忍ばせて来ているようなことか。そんなときは・・・
おーい。地蔵さんやーい。
なに? 浮世へ散歩に出かけた?
仕方ない。帰宅されるまでとりあえず、彼と十王配下の鬼の脱衣婆の武勇伝を伝えておくとしよう。衆生は恐ろしさのあまり、目を剥くかも知れんが。
https://rainbow.xn--kss37ofhp58n.jp/story/tatsueba.htm

特捜!世界のUFO

本日午後7時からTV朝日で放映されたドキュメンタリー番組「特捜!世界のUFO」は、未だかつてない印象を受けた。
それぞれのUFO/宇宙人映像に対して、追求できる手法の限りを尽くして費用と手間をかけて検証している点。これは今まで日本にはなかったことではないだろうか。(海外はその点では進んでいるようだが)
UFO映像を撮影した人も、またその努力も、またその祭に伝えられなかった感動も、これなら十分に伝わって、本当に報われたという気持ちになるに違いない。
武良さん。ほんとうに報われて良かったね。
こういうデーター提供のされ方なら文句なしです。
これが原点と思って、この方針で進んでいただきたく思います。
それにしても、リアルと思われた円盤型UFO映像の多くにCGの可能性が出されたのには驚いた。しかも、模倣製作映像まで作ってしまわれたとすれば、シロとは言い難くなってくる。何でも模倣してしまうCGクリエート技術の進歩には目を見張るものがある。
あとは撮影されたという過去の時代に、そこまでのCG能力があったかどうかなどにも検証が及んでいいかも知れないが、これからの撮影者は、いっそう磨きのかかったものの提供を目指さねばならないと思ったことか。
M総合研究所さんの報せでこの番組のことを知ったわけですが、
さっそく画像入りで、大々的に載せてくださってます。
ここですよ↓
https://blog.m-ken-net.com/blog.php?y=2007&m=8&d=19