またまたちょっと早めに

またまた武良さん。今度は
2月11日24時50分~25時20分
関西テレビの「未確認思考物隊」(司会 浅越ゴエ)で出演の予定です。
ビデオ出し物は、精神ニュータウンの逆三角UFO と 六甲山ホテル上空の回転UFO。
ところで、未確認思考物隊って?? なんでしょう。得たいの知れない軍隊ですね。
しかも、24時以後に時間ってあったの??
これすらも未確認時間帯と言った雰囲気。
それでも番組表には出ているみたいなのでフシギ。
まあ聖書にも、あの世界には夜も昼もないと書いてますから、
きっとオーブ・アザーズの時間帯ではないかと思ったりもします。
深夜零時前になったら、バケタン(お化け探知機)を仕掛けときましょう。

ちょっと早めに

お知らせです。
日々精力的にUFO撮影に取り組み、幾多の撮影実績を揚げている武良信行氏が、
2月8日深夜23:45分からの日本テレビの「未来創造堂」(司会 木梨憲武 他)に
出演される予定です。
武良氏のUFOビデオ撮影友の会HP
https://www006.upp.so-net.ne.jp/muraramu/WELCOME.HTM
ブログ内の武良氏の関連記事(これ以外にもたくさんあり)
https://ufocolumn.blog2.fc2.com/blog-entry-68.html
https://ufocolumn.blog2.fc2.com/blog-entry-51.html
https://ufocolumn.blog2.fc2.com/blog-entry-43.html

くまの星の王子様その2・・・陸海空に満てよ

ぼくのうちにやってくるのは「たまちゃん」だけではないよ。
青龍さんもやってくる。おもに夜に、みんな寝静まっている間にだけどね。
そう。やはりベランダの窓からやってきて、ぼくの寝床にもぐりこんでくるんだ。
ときどき律儀にも玄関のほうからやってきたりするけどね。
そう。彼女は夢見してやってくるんだ。
だいぶ前になるけど、青龍さん、ここのコメント欄に書き込んだことがあったよね。
だけどそのとき、前後のことをよく見ずにやってきたため、話題の流れに乗れずにとうとう削ってしまった。
その数日後、青龍さんは、夢見の時間にぼくんちに飛んでやってきたんだけど、ベランダの外から覗いた明るいぼくの部屋に、たくさんの人がいて、ぼくを取り囲んでにぎやかに議論していた。その中には、神話に出てくるゲンくんもいた。
青龍さんはベランダの窓から入ろうとしたが、なぜか通ることができなかった。そのうち、中の人が気づいて彼女を指差した。みんな彼女のほうを見やる。しかし、議論が白熱していたせいか、みんな怪訝そうな目をして睨んでいた。そんなふうに彼女には見えたんだな。中でもゲンくんは彼女に対して批判的だったから、何か悪口を言ったように見えた。
狭い部屋にたくさんの男女がいて、いつものような雰囲気ではないし、ぼくもみんなにおされて、青龍さんを招き入れずにいた。
かわいそうに、青龍さんはベランダから離れた空中で、あまりの孤独のために溶けてなくなってしまいそうになった。
そのときだった。彼女の御本体である弁天様が神々しく現れたのは。
彼女はその何日か前に、はじめて弁天様のお姿を院展で見たんだけど、まさにそのお姿そのままに、光を放って彼女のすぐ傍に立たれた。それを見て、彼女は気力を取り戻した。
弁天様はそのとき、こうおっしゃった。「あなたに、空と海のどちらか、気に入ったほうをあげましょう」と。
青龍さんは、空がぼくの管轄と分かっていたけど、大好きな水のなみなみと湛えられた「海をください」と言ったんだ。
ぼくは少し残念だったけど、でもそれでいいんだ。
青龍さんが海、「たまちゃん」が陸、ぼくが空で、ひとつの星を経営する体制が整うことになるだろ。弁天様は、ぼくにも配慮してくれたと思った。つまり新しいストーリーを営ませようとのことなんだ。空でつがってしまうと、至福以外のストーリーはできないだろ。
きっと新しい惑星は、すばらしい豊穣から開始されることだろう。
だって、いっぱい愛し合うんだから。
子供らの面倒をしっかり見なくてはならないな。

くまの星の王子様・その1・・・にんにくのおなら

にんにくのおなら
ときおりうちにやってくる「たまちゃん」。もうみなさんはごぞんじかな。
そのいきさつはここに書いてあるよ。↓
https://ufocolumn.blog2.fc2.com/blog-entry-277.html
そう。「たまちゃん」は地球の女神のことなんだ。
とにかくぼくがちょっと「たまちゃん」が来そうだなと思ったら、もうベランダの窓を通り抜けてやって来ているんだ。これって、予知というよりテレパシーだろうな。
短い足をちょこまか動かして動作は俊敏だ。といっても、彼女、すそまで垂れた修道服着ているから、足運びまでは分からないんだが。
そして椅子に座るぼくのひざの上に飛び乗ってくる。ぼくはそれをしっかと抱き取って、ごあいさつの口づけをする。
その元気さは最初に会ったときとはまったく比べられない。あのときは絶望しきった瀕死のありさまだった。
だがいまはどうだ。口づけと同時にすかさず右足でぼくの股間をふんづけたりする。あの日もそうだった。だが、だめだよ、今はなにもする気ない。
そんな日ばかりになると彼女、愛がさめたかと思わないかと、そんなときはなんども口づけする。
そして、こうやってノートパソコンの蓋を開けて画面をのぞいてもらう。
おや?ししとう君がなにか深刻なこと書いてきてるぞ。「たまちゃん」ものぞいている。分かるのか?日本語が。なんせいちども言葉を話したことがない。
ぼくの話は理解して、うなずいたりの身振りで返してくれるのがいつもだ。ぼくの理解を読み取ってるんだよな、きっと。
おやおや、ししとう君はこんなふうだったのか。かわいそうに。板ばさみになっているんだろうな。いっしょにやってきた人たちも明日はどうなるとも知れない。
人の作ったシステムというのは、節約とか効率化とかリストラとかいってがんじがらめに作っておいて、それでいて間抜けもいいとこなんだよな。後先考えずにゴミは出すは、CO2はふりまくは。アリンコのあつまりだから仕方ないなどと言っていたのはまだお追従。アリンコに失礼というもの。
そしてししとう君のとこにも、がんじがらめのシステムのつけが回ってきたようにぼくには思えた。
だが、神話で助けることはできるかも知れない。「たまちゃん」よお、彼のためにひとつ大きめの地震があってもいいと思わないか、なんて話すと、「たまちゃん」きょとんとしてぼくを見ている。あっそうか、君が元気だから大地は鎮まってるんだったね。
だが、「たまちゃん」。君もてきとうにハメはずしていいんだぞ。あんまり一生懸命になっても・・・あ、そうか。君は何事も全力投球だったな。ごめんごめん。凛とした彼女のまなざしに謝った。
そのとき「たまちゃん」いきなり画面の右側の画像を指差した。ブログの中腹くらいにあるクリック募金のCMだ。何種類も募金先があって、読者のワンクリックで1円か2円が自動的に寄付されて、全部やれば一日20円くらい寄付したことになるだろう。スポンサーも同時に募金することがあるから、けっこう集まることになる。
ぼくは「たまちゃん」が動画が気に入ったのかと思った。そこで閲覧しにいった。すると「たまちゃん」は次々とクリック先を導くように指定していく。なんとその先に、中国のシンレイ山脈森林回復プロジェクトのムービーがあった。
うんうんと、ぼくはビデオを見た。それ以上はししとう君のことを思うと書けなくなる。人は誰だって、これこそ良しと思ったことに地道を上げるものだ。社会がそれを望むから、それに応えて、人はその実現のために集まりその時々の人の要求を実現していくものだ。
ん? 「たまちゃん」もしそうならししとう君にこの仕事をしてよってか。えーっ? 確かにそれは「たまちゃん」が何十億年手がけてきたことには違いないけど。
そうねえ。何にでも時期というものがあって、社会の嘱望する志向が変われば、こんどはそっちのほうに移動しなくてはならなくなることもある。しかし、今は何もかもががんじがらめで、そんなことは絵に描いた餅だ。
人は思考の柔軟性がフルに発揮されてようやく幸せを感じるものだ。しかしハードルがたくさんありすぎる。社会システムが規制規制のがんじがらめで融通の利かないことといったらない。
それに社会がさほど要求していないから、やったとしてもお金が儲からない。農村部ですたれかけた農業を彼らの土木技術で支えて、この国の食糧事情を良くするといっても、やはり国産作物には需要が少ないから、お金が儲からない。こっちのほうにこそ公共事業のルート作りをすればいいのに。予算は軍備と外国に垂れ流すばかりときている。変な政治家が多いから。
贅沢と便利に慣れてしまった生活を、昔の慎ましさに戻すというのも、人はなかなかできはしない。少ない給料と農産品という現物でいただけたらいいと思うんだが。車がほしい大型テレビがほしい蓄えがほしいと、人は高望みする性質があるから、やはり無理だろう。
やっぱり「たまちゃん」よお、一発どお?
と、そのとき朝方食べたにんにく一根のせいか、ぷーっと一発猛烈に臭いのを放屁してしまった。「たまちゃん」は臭いといった様子もなく、むしろ匂いに酔っているようだった。
やっぱり頼めないな。

元伊勢内外宮の暗示する神界の疑惑

現伊勢には怪しげな神が祭られている。
今回はその暗部に光を当ててみる作業をしよう。
現伊勢より半世紀旧く遷座されていたという伊勢神宮に京都府加佐郡にある元伊勢がある。
https://www.geocities.jp/k_saito_site/motoise.html#hagoromod1
もちろん現伊勢を立ててのゆえか、元伊勢神宮とは言わず元伊勢神社であるようだ。
さてこの地の元伊勢内宮であろうと考えられるのが、ホツマツタエに伝え聞く、国常立神と天照大神の御陵のある場所だ。それは二つの神体山として、それぞれ外宮と内宮によって祭られている。
いっぽう宮津の執政地はそれより北の海浜部で、現在の天橋立の文殊堂の付近と聞くが、この両神がみまかって後にこそ、霊威盛んと御陵のほうが祭祀霊場として遺されてきたとみられる。
そこはかつて発見した図形(下図)の正近似五角形の一角を担っている。
yatakarasu.jpg

真西に出雲大社を望み、ほぼ2緯度長の距離となり、実際にこの地に住居を構えるのに、内外宮の両神体山の頂上を繋ぐ線と出雲との等緯度線の交点にあるから決めたという人まで存在しているくらいだ。
ところで、ここにある内宮と外宮にはどう見ても雲泥の差がつけられているというしかない。社殿を見ればそれは明らかである。外宮の本殿の屋根は朽ちてはがれかけ、あるべき祭器がそろっていない。人の手が入っていないことが歴然としていて、それはもう廃屋に近い様相がある。畏れ多くも、天照大神の祖父にあたる国祖を祭る社を、いつ崩壊してもおかしくない状態にしておくことがあっていいのかどうか。
外宮の境内地は建屋も含めて民間の一個人のものであるらしい。その人に会おうと思えば、宮司その人がそうらしい。が、彼は神職ではない。生業としてトラック運転手をしているとか聞いた。
とにかくその人物は神社庁から不興を買っているようである。何をしでかしたのかは分からないが、神社庁から神官の免許が下りていない。地元民も地元の不祥事と見てか詳しく語りたがらない。
外観を私流の神話幾何学として見るとき、古い過去の時代の国祖が、孫神と仲違いをしたか何かで、封じられてしまっていると解釈できるのだが如何なものか。
外宮の背後には舟岡山なる神体山があって、そちらが御陵だから表面(おもてづら)はどうでもいいではないかという意見もあろうが、我々はその表面で生きている生き物だから、そうはいかない。深層でどうなっていようといまいと、我々はこの次元で苦悩しているわけだから。
さて、内宮職の人々は神社庁からやってきた、いわば公務員だ。元伊勢外宮は民間人だ。公は民を虐げてもいいという思いがここからも感じられないか。国祖がもしここにおわしたなら、お世話になる民のほうにこそ目をかけたであろう。しかし、国祖はどこにいかれたか。この神社にはおられず、もしかして半世紀後に定着した現伊勢におわすのだろうとも思われるが、ならば孫神と執政した懐かしい故郷をあれすさぶままにしておくはずもなかろう。
そこで、いったい何か異変がなかったかどうか。当時に戻って、神々の世界に思いを馳せてみるのも、誰しも古刹に訪問の折はなされることだろう。まさか地元の妙なタブーに触れて、すごすごとそんなものか、触らぬ神に祟りなしと帰る方も少なかろう。
特に私の場合は、現実から神界を見る。天にある如くが地にもあり、地にある如くが天にもあるという論拠を掲げてだ。
カバラによれば、この世すなわちマルクトはサタンの支配するところ、それ以上から天使の支配になるとしているようだ。だが、ほんとうにそうなのだろうか。あまりにも天国天国と吹聴するあまり、過大に期待しすぎていないか。私は少なくとも、我々が認識し想像できる範囲(宇宙大)は、まるごと相似形であると考えている。
では、いったい何が神界にあったのか。それを示したのが大本神話だ。新神話のストーリーの大前提がここにある。つまり、正しく祭られるべき神が政変に遭い、偽者に取って代わられているのである。
なぜ世界が欺瞞だらけなのか。それは天も然りだからだ。お上の意向を汲んでこの世がある。この世は特別な修行の場として特別に存在しているのだといった、一様性に欠ける意見はも、はなはだおかしい。
すべてが腐敗しているから、この世も腐敗するということ。死後そのような腐敗した場所に帰るから、また誘惑を見せ付けられたり、蹴落とされてやってくる。こう考えればすべてつじつまが合わないだろうか。
霊能者はそんなことは言っていないとなら、その人たちは、体のいいお上の宣伝マンでしかないと言い換えられる。普通人が見えないことを知っているかのように大々的に言えるというのも、お上の許認可有らばこそ。官製報道しているというわけだ。私は、そのお上の問題と疑惑をここであげつろっているわけである。この辺はいかようにも言えるところかも知れないが。
まあとにかく、伊勢には疑惑がある。そこに祭ってあるのはいったい誰なのか。そこに毎度お参りするのは現閣僚方々だ。まさかアメまでが同じ名の神ではないだろうな。それは天の神ではなく、かつて鬼畜と言っていたものたちかも知れないぞ。
先日、お膝元でお土産の期限偽装事件が明るみに出た。これも新神話の観点からすると、お膝元まで偽装が暴かれたということになる。もう少しで核心に迫れるかといったところで、邪神側が盛り返し、新神話の正神軍はいったん退却となったようだ。こうしてまた庶民への圧政が始まった。
いっぽう、良い時代の執政地の食品(知恵の文殊の知恵の餅)には偽装は一切ない。なんとか早くホンモノの時代になってほしいものだと、今日も世の馬鹿さ加減を見て確心する。