本日は宵戎

じゃじゃじゃじゃ~ん!!
本日は宵戎でございました。
実は、そうとも分からずにいた今朝のこと。
またまた未明の夢に故き母が出てまいりまして、
買い物に出かけて、何か担いで帰ってくるなり、
キッチンで流し台いっぱいの大きさの鯛を、
調理し始めたのであります。
そこで目が覚めて、いったい今日は何かお祝いでも
あったのかいなとカレンダーを見ても、先勝しか書いてません。
やがて、ああそうや、えべっさんやないかいなと思い出し、
母の演出に驚いたようなことでした。
そこで仏壇に向かってお話しするわけですが、
「あのお、母さんは毘沙門さんとは縁がありましたが、
今回はえべっさんのつもりでございますか?」と。
すると、こんなお答えが返ってきたような。
「宝船の中は戎祭りでなあ。お前にもおすそ分けや」
ふと、そんふうに聞こえた気がしたわけでありました。
この夢は今朝ほんとうに見たものです。

オカルト的日猷同源話

>日本のルーツは古代イスラエル?
>失われたアークは四国の剣山に隠されている?
>Part1
https://jp.youtube.com/watch?v=mhADVY-XVVk&feature=related
>Part2
https://jp.youtube.com/watch?v=Qlt5qzV6FLI&feature=related
モルダー龍馬さんの情報に触発されてしまいました。(^^;;
私もユダヤの民の追跡を試みたことがあります。(机上での想像旅行をしたといったほうがいいですが)
「古代日本謎の中東思想渡来考」
拙著における発見は、イスラエルの十支族が伝来していたことをほのめかすと思われます。
しかし、それは見込みある可能性を提供するうちのほんのひとつにすぎません。
私の最も重要な発見は「鬼」のルーツに関する発見であります。それは、広域的な国体レベルでカバラ祭祀が執り行われていたという大胆な仮説によってのみ、鬼の素性が分かるというものであり、おそらくそれ以外に真相に迫ることは困難かと思われます。鬼の訓は若狭の遠敷が語源であり、遠敷は広域的神事につけられた名称であったとするのが拙仮説です。
また、古代天皇家の祭祀とカバラ祭祀の同根を推理し、ユダヤの本流が日本に伝来していたことを推理するものであります。本流が来ていたとするなら、そのシンボルとしての契約の櫃も持ち越されていた可能性もあるわけで、後世になってからのキリスト渡来説と同一線上の、日本帰化古代ユダヤ人の憧憬を物語るものと思われます。
比較的に情報においてオープンだったのがユダヤの民でした。教義をきちんと伝えられていたからです。しかし、そこにもまだより奥義があり、神秘主義としてシャーマンの間だけの秘儀となっていた部分もありました。そこで依然として表側と裏側の伝承がありえたことを申しておかなくてはなりません。
古今、世界各地に散らばるユダヤの痕跡を探す努力はユダヤ教の篤信家によって続けられ、日本も明治時代のころすでに調査の対象となっていたようです。
現在、イスラエル政府の表立った動きとして調査がなされているようですが、これとても大衆向け(表側)のテーマであり、権能を持つ神官層の目指すレベルではありません。神官層ならより察知力を発揮して、数十年前から日本を標的とした感触を掴み、さらにその先に何が発見されるか見据えていたことでしょう。
そんなとき、私は超常的手法ではありますが、ユダヤの神秘思想の痕跡を発見しました。大衆はそれを見てもオカルトとみなしさほど意に介しません。それでいいのです。知るべき者が知るべきだからです。
拙著は発刊部数少数ながら、知るべき立場の人々の手に行き渡っているとみられます。たとえば、修験道宗家の閲覧に供されていることを発刊間もなしに知らされています。あるいは彩明日迦氏の著にも啓発を与えています。
天の配材によって必要な者に行き渡るものこそ神書。第一次返本のすべてが神への捧げものとして手元にあります。一冊一冊が日本の行くえをゆるがしかねないため、神に預けることにしたのです。一冊とて大衆に与える予定はありません。来るべきオイルストップの日に、暖や食をとるときの薪代わりにして、CO2に変えて神に届ける所存です。
ただし、この上の七行は心に秘めていた自負であり、この場限りのオフレコ話。
その復刻版をいまHPにおいて掲載しているしだい。よろしければご覧じください。
なお、この記事の内容および参考HPの内容は仮説であるだけのもので、信憑性を保証するものではありません。読者の責任においてのみご覧ください。

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2008年 一風変わった年頭挨拶

新年、あけましておめでとうございます。
いろいろと囁かれていた2008年を迎えました。
元旦二日とよく晴れて、いつもと変わらぬ景色が広がっております。
しかし、時間の経過がとみに早く感じられるのは、老いのせいばかりでありましょうか。
なにやら、ターゲットの時間に向けて急ぎ足の感無きにしも非ずであります。
さて今日は妹と食事をしに出かけまして、私が母の夢をよく見るという話がひょんな方向に向かい、その背景に出てくる背景が震災で今はなき神戸の家なんだという話から、宇宙人の訪問を受けたときの話となりました。
私は30才になる以前に名古屋において、夢で神戸の家の二階のベランダ上空に現れた二機のシンバル型黄金円盤のシーンに続いて、ベランダを入ったところにある私の部屋で二人の外人紳士とコタツを中において歓談しているシーンを見たわけであります。
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おかしな夢を見たにしてはあまりに鮮明。当時からすれば神戸にいたのは7~20才くらいまでなので、失われた過去の記憶を夢に見たのかと思うことしきりでした。
そんなとき、妹は小六の頃にたまたま私と部屋をチェンジした直後、尋常ではない経験をしているのです。すなわち夜中に、ふと人の気配で目を開けてみると、山高帽の英国紳士のような人物がベッドの足元に二人立っており、あまりの恐怖に布団をかぶって息を潜めているうちに朝まで眠ってしまったというのです。そういえば、翌朝妹の「兄ちゃんの部屋には幽霊が出る」との訴えで、部屋を元に戻したことがあったと記憶しております。
さて、話を現在に戻し、今日の昼食のときにナイフペーパーにこの訪問者がどんな風体だったか書いてもらったのがこれなのです。
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そこで再現シーンはこんなふうになるかと。
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いかがでしょう。理知派の妹は彼らがどこからやってきたか、入ってきたかの推測は今の今までついていませんでした。私は今日になって、ベランダ上空のの二機のUFOから降りてきて、ベランダの窓から入ったんだと因果を説いて聞かせたようなことだったのです。でなければ、妹は未だに未知(幽霊なのか幻覚なのか)を抱えたままになっていたはず。
さて、英国風紳士の一人は小柄で丸顔だったとのこと。私はふと「ラヒリ・マハサヤに似ていないか」と問うたところ、昔読んだヨガナンダの本の写真を思い出したようで、似ている気がすると答えたのであります。
むろんこの聖者はとうの昔にこの世の人ではありません。が、もしかするとシャンバラで生きていたりするかもしれません。ババジなども生死を超えた聖者。ではこのときのUFOは地底から?
そもそも宇宙人に地球人のような姿をしたのがいるということ自体が不可思議。宇宙人の種から地球人が生まれたというならOK。私の夢に出てきた人物は、どちらも面長。右側の人物が、ニラサワさんの持っていた写真の人物に似ていましたなあ。まあ、いろいろ想像の輪は広がるわけですが、それはここまでとして。
とにかく私は、幾度もおかしなUFO人の訪問を受け、そのたびに記憶を消されたもののようです。坂本氏によれば、何度も宇宙人に記憶を消されていると、後遺症として物忘れが激しくなるとのこと。
なるほど、私の古今あった傾向として、とにかく物忘れがとてもいい。SEの仕事にも差し障りましたし、最近は言葉を忘れてしまうことが往々。こういうことを書きたいと思っても、言葉がみつからないから、そこで頓挫ということがしきりです。メモとしてPCにたくさん残ってるのですが、続かないからおいてきぼり。
ああ、私は対宇宙人ではたえず受け身にすごしてきて、まるでレイプに遭っていたようなものかも知れません。おそらく時計仕掛けで何かが起動するシナリオになっているようにも思うのです。どなたか、私を逆行催眠で調べてくれるなら、いっぱいわかるかもよ。しかし、それが自殺手続きを起動させでもしたらと思うと、やっぱりやめときましょう。くわばらくわばら。
しかし私はついに新神話という戦術を見つけました。因果は巡る。彼らを今度はコキ使ってやる番になったと思っているようなしだいです。
ジュセリーノ氏によれば、宇宙人との接触は80年も先になると。そんなたるいことさせません。今年中にでも、いや数年先にも、UFO大量来襲による地球の軍事能力無力化と開星のステップを踏ませようと思います。
およよ。
まあ、私はこの程度の貢献をしたいなあと夢を餅に描くだけにすぎないかも知れません。というのももう後戻りできない老馬身。この場に集うみなさんもけっこうのお年ゆえ、心は燃えていても、なかなか思うに任せぬのではないでしょうか。
しかし、ジュセリーノは40年後の未来に、新時代の希望の火を置くことを忘れていませんでした。我々は、たとえ肥やしになっても、志と夢を次代に託すことができます。悲観的になったり自棄的になってはいけません。
天の計らいなど天に楯突いてきた者に
分かるはずもないが、風が囁きかける。先を見ろ。
あれは長いトンネルを越えた果ての希望の光。
待ち望んで想いに託した夢の世界であろう。
老いたるを嘆くなかれ。
願い憧れてこの場に立ったなら
子らにその光を指し、進み行くことを
無言の威厳を以て示せ。
おじいさん行かないの?
振り返らずに、まっしぐらに行け!
それが我々の発する最後の言葉となるように。
以下、谷村新司作詞「階(きざはし)」より
行かなけりゃ行かなけりゃ
悔やむ気がする
あなたにはあなたには
夢を信じていてほしい
ぼくはいま橋になる
夢を渡らせるための
橋になる

召還の兆し

今日未明にリアルな夢を見た。これはさる25日未明に見た母の夢に次いでのものである。
異世界の夢ではあろうが、ガラス張りのビルに落雷して、破壊が起きていた。ふつうではありえないことだ。これではいかんと家に入ると、畳敷きの広い目の部屋がいくつかあり(私の家は総板張り)、その中にいて外は依然雨が降り(今朝は雨だったからかも)雷が鳴っていて(現実は雷は鳴っていない)電源の入っていないテレビが雷のたびに誤作動して映るという不気味なもの。外を高電圧高電流が支配している感があって実に気味が悪い。もしや天変地異頻発の終末の様子かと思わせるものがあった。
ところが、もっとたいへんなのは、家の中にいたのが、すでにとうの昔の亡き父、祖母、そして母であったこと。それぞれが別の部屋にいて、不気味なテレビを見ているふうなのだ。
私はこれが来るべき時代かの思いを多少もちつつ、さかんに「遺言しときなさい」という言葉を聞いていた。遺言。お金と葬儀のことについてはもう書いてある。頭についたのは、このブログのことだった。誰かに引き継がねばと思案していた。
そのとき私は今晩、地域住民の輪番で年末警戒のパトロールに回らねばならないことを思い出し、「集合場所まで車で行くのかな」と質問すると、母が「それは歩いていかなあかんで」と答えたのだ。6Kmの道を。まさか。(実際は車でもいい)
荒唐無稽な内容だが、私も召還が間近だなあという思いを抱きつつ目覚めたわけだった。
私にはもう少しやっておきたいことがあった。
小スペースで自給自足に準じた暮らしができないかという方法の試行と模索である。
都会暮らしの人には自ら食の生産ができない。そう思い込んでいたりしないだろうか。
これでは今後、食材が尽きたり流通が滞ったりした場合、たいへんなことになる。
何らかの方法で、ベランダなどの小スペースで少人数用の野菜が作れたら。
M総研さんは、菜園で野菜作りをされているそうだ。
露地植えは、地続きだから虫害にあいやすいかも知れないな。
広いと目も行き届きにくくなるだろう。
鉢植ではどうだろう。水耕栽培というのは難しいのか。
それらができたら、小スペース栽培も面白くなるだろう。
ただいま試行中。

今年という山を越えるにあたって

まもなく2007年が過ぎ、2008年を迎えようとしている。
古代人は時間を道に喩えたので、ひとつの山を越えるという表現ができるかもしれない。
それも路傍に立つ道標としてのジュセリーノ氏に言わせるなら、最後の改善の見込まれた道のりが、満足いくものでなかった先の峠越えといった感じになる。
2008年から2040年頃まで、人類は激動と艱難の歴史を歩むことになるらしい。
しかし、彼はその先に希望の火を置いてくれた。
むろん彼が置いたわけではなく、神が、予定していた人類の絶滅のシナリオを変更してくれたと考える。
以前の彼の予言が絶望的であったものから、今は希望が見えている。彼は昔、希望についても予言していたと言うかも知れないが、少なくとも私は、つい今しがた良好な並行世界へと移動したからだと考えるわけである。私がこの世界の観測主体だと信じるわけなので。
むろん私は、希望の時代に生きて至ることはあるまい。しかし、私の時空を共有してくれる人々がもしいるなら、彼らや彼らの子孫が希望の時代に橋渡されて、新しい人類の時代を築いてくれるだろう。
私は今のようなおかしな世相に生まれることはまっぴら御免だが、新時代に至った子孫たちの間に生まれることは光栄なことだ。我々が良い時代の招来に希望を託すのは、我々のためにもなっている。だから、子孫たちがハードルを越えていくための礎、土台になることに喜びを以てあたりたい。
黄泉世界を経験したイザナギノミコトが、徹底的な「禊」を行わねばならなかったように、我々も衣服(持てる財産)をかなぐり捨て、川の水流を潜って身を清め、命のバトンを確実に渡しながら、艱難辛苦して苦境の時期を抜けねばならないわけだろう。
日本人に生まれたことは、その点とても意味があると思う。
古来から伝えられた古事記には、そのシナリオが語られている。日本人に与えられた、日本人のためのシナリオかも知れない。
私はどちらかというと”超古代”趣味から、日本の隠された地上絵を見つけ出した。おかげで日本民族のルーツを中東にまで辿ることとなった。そのアウトプットとして「古代日本中東思想渡来考」(原著名・古代日本にカバラが来ていた)を出した。時折噂になる日ユ同源の話題にも、超常的発想から賛成しているしだいだ。
かの中東の地からシルクロードを経て、向こうの文化とともに民族が流入し、東の最果ての地に理想国家さえも創ろうとしたこと。その上に、役割を持たせた神がいたことは重要だろう。
偶然見つけたいささか古い宇野正美さんの講演ビデオだが、年頭にみなさんも初詣することになる神社に、ユダヤの伝統を感じ取っていただけたらと思う。
https://video.google.com/videoplay?docid=3191043469565067131
しかし私は、この神を邪なゆえに憎んでいる。おどろおどろしい生贄要求の神で、年々娘を生贄に出せというヤマタノオロチと酷似している。こんな者を頂いたなら、明日は何を差し出せと言われるか分かったものではなかろうに。
だが、この神が、唯一見込んだ民を日本に送り込み、その子孫にやらせようとしていることが、決して人類の滅亡ではないということも分かる。支援した相手が、馬鹿がつくほどの平和愛好の民だからだ。ただ現在、強者追随のパシリでしかないことが、見込みのなさを醸しているが、奈落の谷に架けられた細い吊橋を渡るようなときに、真価が発揮されてこよう。
そういった観測予想も、未来予言や異界通信に頼るしかないのは言うまでもなく、それゆえ世間をなるべく高所から眺めているようなわけである。
が、私は受動的でいるつもりはない。
私は今見ている世界が、私の責任ある固有の世界であるゆえに、私の理念の中に描かれる神々に物申し、是正を求める。過ちを過ちと認めてもらい、それが是正できないなら追放する。私の時空からは消えてもらわねばならない。(みなさんの時空ではいかようにでもされたらよい)唯一神に正邪の両義性があるというなら、邪なる病患部の側を斬り落とすことになる。神話の魔法を使い、病変部を邪神組織として浮き上がらせて切除焼却するわけだ。日本人の真価発揮に役立つ方法としても用いたい。