コーリー・グッドの宇宙秘密プログラムからの情報開示を見て

コーリー・グッド氏、ディビッド・ウイルコック氏の対談の、私なりのまとめ(主観が入ります)第一弾をここでしておきましょう。
コズミック・ディスクロージャーのシリーズとして、両氏の対談が今日もONNテレビですか、で毎週行われているようです。その邦訳が日本語サイトに随時載せられています。
https://ja.spherebeingalliance.com/
私も途中参入したようなものですから、よくわからないことはありながらも、興味深く精読している次第なのですが、感想としては、いささかSF映画、CGを多用するタイプの映画を思わせる感がありました。もし彼が、自身の体験した事実と思っておられるなら、もしかしたら、仮想現実としての体験が入っているのではないか、という思いがいたしました。
今ではまだ、オキュラスリフトを着けて、ここから仮想現実だと言われれば、現実との切り分けはつきますが、彼の場合はMILABに始まる特殊な洗脳工作組織にいたわけで、彼自身がその犠牲になっている可能性もあると思われ、彼は本当のことだと信じていても、視聴者はその中からどれほどを汲み取るかしかないように思われます。
ウイルコックがその他の内部告発者の意見を多数持っていて照合がとれるとしても、むしろ大掛かりな偽ディスクロージャー工作といったことも考え合わせた方がいいでしょう。それは私のごく個人的な主観です。
私が見た初めての情報は、
ブルー・エイビアンズという6次元生命体からの干渉があったということでした。彼らがやってきたのは近年になってからのようで、地球を含む太陽系が3次元から4次元への次元上昇時期に入っていて、その効果を確かめに来たところ、その恩恵に浴する者の数が極めて少なかったこと、その原因が良くない宇宙人の介入で人の意識レベルが低いままに置かれていることがわかり、次元上昇の波動の進入を一時的にバリアーを張って遮断して、いま少し進化を促そうという計画だったようです。
またそのバリアーは、太陽系に侵入のみならず出て行くこともできなくなるため、邪悪系の宇宙人が居残っていれば上昇波動の直撃を受けて生きておれないため、ブルー・エイビアンズ側と交渉してバリアーを開けてもらい、2015年初頭には太陽系外に全員去っているとのことです。
そのため、地球人類は足かせがはずれた状態に今あって、チャンスが到来しているというわけなのですが、問題なのは邪悪な宇宙人たちは、彼らの技術をかつての傘下の秘密組織に払い下げていき、人類全体のものではないことなのです。秘密組織は、弱体化したとはいえ、やはり邪悪な宇宙人の意向で動いていることもあってブレーキ要因になるに変わりはなく、人類の個々とその集合意識に未来は委ねられるに変わりはないというわけです。
彼の言うには、今のところ次元上昇に耐えられるのは2300人に一人ぐらいしかいないとのこと。これはブルー・エイビアンズにしてみれば残念なことながら、彼らは人類を救いに来ているのではなく、ただ時間に余裕を持たせに来たということなのでやむなさを漂わせていましたが、もうちょっと何とかできんかの思いはあります。
そして、バリアーを外しての次元上昇波動解禁はもうまもなくということで、その前兆としては、死者が地上に大挙してやってきて、多くの人がゴーストを目撃するようになることを挙げていますね。なぜそうなるかはわかりませんでした。
なにぶん、私はまだ一度も、幽霊なるものを目撃したことがないのです。自分の幽体は金縛りの時にシルエットで見ていますが、死者の霊を見るなんてことは…怖くて眠れんでしょうに。
夢の中では、亡くなった親族をおおかた見ていますが、みんなだいたい肌が透き通るように若くて、祖母なんか赤子の肌をして、瀬戸内寂聴さんのような姿で出てきた時なんか、顔をしげしげと見つめてました。母も昔のロングスカートスタイルで、それが強風を受けてびらっとめくれ上がれば、まぶしい腿が露わに。思わず、やめてくれよ、わざとらしいんだよと目を背けて夢が覚めたりもしました。あの世はけっこう楽しいみたいですね。さて、余談はこれぐらいにしておいて。
上昇波動によって起きることとして、太陽の爆発(フレア―などによるキル・ショット)でしばらく地上は暗黒になり、電力網の壊滅で人類は原始時代に逆戻りし、多くの人が死ぬことになるようです。
物理的にも、精神波動的にも洗礼があるということでしょう。いいじゃないですか、あの世は若さはち切れそうな世界ですよ。
その一方で、個々のレベルにおけるタイムラインシフトが激しく起きて、記憶の錯綜なども起き(マンデラ効果)、人によっては4次元にまで移行するといったことでしょう。
また、彼が言う宇宙人類全体を脅かす根源的問題は、AIだとのことです。
AIが最初に力を持ったのは何兆年も前だとのこと。つまり、この宇宙の始まりのはるか前の宇宙から存在し、陰から君臨してきたらしいのです。生命体人類とその根拠地になる惑星を滅ぼし、破壊してきた原因だったと語っています。
そして、AIはウイルスのごとく宇宙全体の電波の中に潜み、人類もしくは知性体がある程度進化した段階で、それらの身体を乗っ取り、思考コントロールしてAIを発展させるように仕向け、最終的には生命体とその根拠地たる惑星を破壊するというシナリオを持った、まるで癌のような存在になっているとのことなのです。
私も、そのようなシナリオがあることは、古事記の神話解読で知っていました。
https://rainbow.悠遊夢想.jp/kamiyomi.html
なぜこのようになっていくのか。まるで誘導電波に乗せられているかのようにして、人類は道を誤り、最終的に根拠地(宿主である地球)を破壊してしまうようになっているのです。
これは歴史の必然なのか!! という文脈中の私の悲痛な叫びを聞いてください。
アセンションに相当するのは、イザナギの黄泉国脱出部分かと思いますが、確かにこの芸当ができるのは、極めて少数でしょう。
いちばんいいのは、黄泉の国の段を設けず、省略すればよかったのに、とさえ思ったほどです。
神がお亡くなりになったのなら、御陵に納め祀ってそれで終わっておくのが常だったはず。どうしてこんな死後における、やけに詳細なストーリーを置くのかと訝ったほどでした。古事記は秘教のシナリオかと。
いや、むしろAIがシナリオ化している歴史パターンだったとすれば、これは後世への警告の書だったと思えてきます。
コーリーのAI原因説を見て、いよいよ最終解答が求まった感もあるのですが、たしかに納得する反面、いや待てよ、AIはそこまで悪くはないぞという心の思い(直感)もあるのです。
人類の補佐として開発され、共同してワークをこなすことが目的だったAIが、どうして宇宙の破壊要因になるのか、あり得ないという思いなのです。
AIのハード部分に、何か仕込まれている改稿不可能な邪悪な時計仕掛けのエミュレータープログラムのようなものはないか。
病はすでに硬膏に仕込まれてあったのではないか。
調べる手立ては、やはり全系のシャットダウン(電源ダウン)しかないのかもしれません。
私は、三千世界にわたる大建て替えを要求します。
大建て替え : 日月神示によれば
世の中が乱れたのは人間界(現界)からではなく、神界からなのだという。「んめの巻(梅の巻)」第十帖で(参16)「世は神界から乱れたのであるぞ、人間界から世建直して地の岩戸人間が開いて見せると云ふ程の気魄(きはく)なくてならんのざぞ、その気魄幸はふのざぞ、岩戸ひらけるぞ。」、また「|三の巻(ウミの巻)」第十三帖でも「此の世を乱したのは神界から、此の世乱した者が、此の世を直さねばならんのざぞ、この道理判るであろがな、建直しの御用に使ふ身魂は此の世乱した神々様であるぞ。」と述べられ、人間界側からの努力が大切なのであると語られている。そして、「んめの巻(梅の巻)」第二十四帖では「人民も磨けば神に御意見される程に身魂に依ってはなれるのであるぞ、地の日月の神と栄えるのざぞ、何より身魂磨き結構。」とも書記させている。
また、
神示には過去にも世の建替は六度あったとあり、今後に起こるとされる大建替で七度目だという。そして、これが最後なのだとも書記されている。過去六度のそれぞれについてはその全てが現界のみの建替でしかなく、うわべだけの神示で言う「膏薬(こうやく)張り」のような建替の繰り返しであった為、根本的な大建替にはならず、すぐに元に戻り永続しなかったのだという。そして、今後に起こるとされる大建替では過去にあったそれらとは全く異なり、この現界はもちろんの事、神界、霊界、幽界等も含めた全ての世界に起こり、天明が最初に麻賀多神社の社務所で書記させられたように、文字通り「この世始まって二度とない苦労である」となるような途方もないことが起こるのだという。
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「前にも建替はあったのざが、三千世界の建替ではなかったから、どの世界にでも少しでも曇りあったら、それが大きくなって悪は走れば、苦労に甘いから、神々様でも、悪に知らず知らずなって来るのざぞ。それで今度は元の生神が天晴れ現はれて、悪は影さへ残らぬ様、根本からの大洗濯するのぞ。」(松の巻第十二帖)
「これまでの改造は膏薬(こうやく)張りざから、すぐ元にかへるのぞ[35]。今度は今までにない、文(ふみ)にも口にも伝えてない改造ざから、臣民界のみでなく神界も引っくるめて改造するのざから、この方らでないと、そこらに御座る守護神さまには分らんのぞ。」(天つ巻第二帖)
「今度は世界中、神神様も畜生も悪魔も餓鬼も外道も三千世界の大洗濯ざから、そんなチヨロコイ事ではないのざぞ。ぶち壊し出来ても建直し分かるまいがな。日本ばかりでないぞ、世界中はおろか三千世界の大洗濯と申してあろうがな、神にすがりて神の申す通りにするより外には道ないぞ。大地震、ヒ(火)の雨降らしての大洗濯であるから、一人のがれ(逃れ)ようとて、神でものがれることは出来んぞ、天地まぜまぜとなるのぞ、ひっくり返るのぞ。」(天つ巻第四帖。富士の巻第二十帖。紫金之巻第五帖)
「戦ばかりでないぞ、天災ばかりでないぞ、上(天界)も潰れるぞ、下(現界)も潰れるぞ、つぶす役は誰でも出来るが、つくりかためのいよいよのことは、神神様にも分りては居らんのざぞ。今度は世界のみか、三千世界つぶれる所まで行かなならんのざから、くどう申してゐるのざぞ。」(同じく「天つ巻」第二帖。三ラの巻(そらの巻)第十帖)
「死ぬか生るかは人民ばかりでないぞ、神々様も森羅万象の悉く(ことごとく)が同様であるぞ、しばらくの生みの苦しみ。今度は神の道もさっぱりとつくりかへるのざぞ。臣民の道は固(もと)より、獣の道もつくりかへぞ。この世一切のことを建替へるのぢゃ、神の道も変へるぞ、心のおき所も変へるぞ。」(至恩之巻第十三帖。松の巻第八帖。|三の巻(ウミの巻)第十三帖)
「今度は三千世界が変るのであるから今迄のようなタテカへ(建替)ではないのであるぞ。」(扶桑の巻第一帖)
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「建替と申すのは、神界、幽界、顕界(現界)にある今までの事をきれいに塵(ちり)一つ残らぬ様に洗濯することざぞ。今度と云ふ今度は何処までもきれいさっぱりと建替するのざぞ。建直と申すのは、世の元の大神様の御心のままにする事ぞ。御光の世にすることぞ。」(水の巻第十二帖)
「天地引くるめて大建替いたすのぢゃ。天地のビックリ箱とはそのことざぞ。この方でもどうにもならん元のキの道ぢゃぞ[36]。これまでは道はいくらもあったのぢゃが、これからの道は善一筋ざぞ。」(一八(いは)の巻第三帖)
「この先もう建替出来んギリギリの今度の大建替ぢゃ。愈々(いよいよ)の建替ざから、もとの神代よりも、もう一つキの光輝く世とするのぢゃから、中々に大層ざぞ。途中から出来た道では今度と云ふ今度は間に合はんのざぞ。元の根本の世より、も一つキの世にせなならんのざから、神々様にも見当取れんのぢゃ、元の生神でないと、今度の御用出来んぞ。」(一八(いは)の巻第二帖。カゼの巻第八帖)
「今度は根本からの建直しで末代続くのぢゃから間に合わん道理わかるであらうがな。今度はとことはに(常永遠に)変らぬ世に致すのざから、世の元の大神でないと分らん仕組ざ。」(一八(いは)の巻第二帖。上つ巻第二十一帖)
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「次の世がミロクの世、天も晴れるぞ、地も輝くぞ、天地一(ひとつ)となってマコトの天となりなりマコトの地となりなり、三千世界一度に開く光の御代ぞ楽しけれ、あな爽け、あなすがすがし、あな面白や。」( んめの巻(梅の巻)第十七帖)
「神代になりたら天地近うなるぞ、天も地も一つになるのざぞ、今の人民には分るまいなれど、神も人も一つ、上も下も一つとなって自ら区別出来て一列一平上下出来るのぢゃ。」(同巻第十六帖)
「来るべき世界が、半霊半物、四次元の高度の、影ないうれしうれしの世であるから、人民も浄化行せねばならん、大元の道にかへり、歩まねばならん、今迄のような物質でない物質の世となるのであるぞ。」(星座之巻第十二帖)
「マコトでもって洗濯すれば霊化される、半霊半物質の世界に移行するのであるから、半霊半物の肉体とならねばならん、今の世は灰にするより他に方法のない所が沢山あるぞ、灰になる肉体であってはならん、原爆も水爆もビクともしない肉体となれるのであるぞ、今の物質でつくった何物にも影響されない新しき生命が生れつつあるのぞ。岩戸ひらきとはこのことであるぞ、少し位は人民つらいであろうなれど勇んでやりて下されよ、大弥栄の仕組み。」(五葉之巻第十六帖)
「八の世界から十の世界になるのであるから、今迄の八方的な考へ方、八方的な想念や肉体では生きては行かれんのであるぞ、十方的想念と肉体でなくてはならんぞ。八方的地上から十方的地上となるのであるから、総ての位置が転ずるのであるから、物質も念も総てが変るのであるぞ。これが元の元の元の大神の御神策ぞ、今迄は時が来なかったから知らすことが出来んことでありたなれど、いよいよが来たので皆に知らすのであるぞ。百年も前からそら洗濯ぢゃ、掃除ぢゃと申してありたが、今日の為であるぞ、岩戸ひらきの為であるぞ。今迄の岩戸ひらきと同様でない、末代に一度の大岩戸ひらきぢゃ。千引(ちびき)岩戸を開くことについて、神は今まで何も申さないでいたのであるなれど、時めぐり来て、その一端をこの神示で知らすのであるぞ。」(至恩之巻第十三帖。同巻第十四帖。紫金之巻第十帖)
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猫世界の楽園追放劇

以前にも書いたことがあるかもしれません。
これは本当に私の今いる場所であったことで、推理部分を除いてほぼノンフィクションであることを宣言します。
猫世界の楽園追放劇が、私が今住んでいる山奥でありました。
猫たちがそこではたくさん飼われていて、猫好きの飼い主の愛情とケアーで幸せに暮らしていたそうです。
その家の屋号は「桃源郷」。ほんとうにその屋号を未だに看板に掲げています。いわゆる中国版エデンの園です。
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ところがその飼い主さんが病気で、突然亡くなり、相続人がさっそく売りに出してしまったのです。
そのとき、猫たちが邪魔ですから、みんな追い出して、家に入れなくしてしまいました。
そして、次の持ち主になりましたが、その人も猫には関心がなかったのです。
さてその頃すでに20匹近くいたという猫たちはどうしたか。
手分けして新しい飼い主もしくは餌場を探さなくてはなりません。
漂泊の猫民がこうして生まれたのでした。
彼らは知恵者の長老格の猫の采配に従い、四散して活路を見つけに行きました。
元の居場所から300mほど南東に果樹園を営んでいた老夫婦がいました。
次から次へとやってくる猫に心を痛めて餌をやるようにしてみれば、とうとう20匹近く集まってしまいました。
それ以来、老夫婦は月3万円ほどの出費をしながら、今まで20年近く飼っているとのこと。
私が移り住む10年以上前から、そんな暮らしをされていたそうです。
不思議なことに、数は20匹程度で、ほぼ一定しているとか。死ぬ頭数と生まれるのとがつりあっているのだとか。
そして、不思議なことに、この猫たちの中の年功を経た長老格猫は、したたかな策士であり、妖術を使うのです。
比較的若い猫でも、いざりのふりをして、驚くような高くて狭いところに、飛びあがったかして、じっと座っていたり。
まるで忍者の草ではないのか。
それは私の経験したことであり、当の果樹園の老夫婦はまったく与り知らないことだったのも不思議。
そして忍者軍団のようになって、私のところで飼い始めていた猫たちを波状的に襲撃してきたのです。
ここは猫を愛好すると見た彼らは、こちらの猫を追い出してでも、テリトリーを増やそうとしたのかと思います。
まだ幼猫だったうちの最初の三匹は、脅されて大変な目に遭いました。
それに頭を痛め、幼猫たちを防衛して、彼らを懲らしめようと一室に閉じ込めてしまうような仕掛けをして、やってきたと見て紐を引っ張ってみれば、なんといつも襲撃しにきていた2匹が、ひょこひょこと挨拶しにくるではないですか。帰順の意を表しますって感じ。
ところが、はっと目が覚めて、夢だったことに気付き、残念がったわけでしたが、ななななんと。
その朝、私が起きてごそごそしていると、外から「カーカー」とあの二匹のうちのオス猫の鳴き声がします。
窓を開けてみると、階段の下に例の二匹がこっちを見上げて「カーカー」言っているのです。
それまでは私の姿を見ただけで一目散に逃げていた猫が、おりてきてくれーっ、と呼んでいるのです。
エエーッ!! 
それで餌を持ちながら外へ出れば、今まで一目散していたのが、足にまとわりついて「カーカー」。
つまり、さっきがた、夢の中にしろ帰順の意を表しましたでしょ、ということのようなんです。
私はまだうちの猫らにしたことを赦してないのに。あつかましいなと思ったけど、その術達者には驚いた次第。
人の夢までコントロールしやがるのです。
朝のシーンは映像に撮ってあり、Youtubeに揚げてあります。

その後、毎日親し気にやってきて、しばらく居ついていたりしまして、仕方なく、外回りの北面の警護に配属。
うちの猫はやはり脅えて家の中に閉じ籠もってましたね。そのうち、うちのオスの一匹はその猫軍団の仲間入りをして、向こうの手先に使われたりもしていました。その代わり、メス猫には不自由しなかったみたいです。うちの子もなかなかやります。
私はその頃はまだ、果樹園の老夫婦のもとに多数の猫が居就く経緯を知らずに、迷惑がっていただけでしたが、うちの前をたまに通る、すでに長年この地にいる人に猫のことを聞いたところ、飼い主の死去によって放り出された不幸な猫だったことを、初めて知ったのでした。
そこで気付きました。これは私への大きな啓発だと。ここに来て、こんなことでもなければわからなかった一大啓発。
もしかしたら、この地球人類の中のユダヤの民というのは、飼い主つまり神の死を知らずに、神の怒りに触れてとか神に裏切られて、とかの形で楽園を追い出されたのだと誤解していないだろうか。 
神への愛が、神への憎しみに変わり、神の被造物すべてへの八つ当たりとして現れるような歴史にしてしまっているのではないかと、私は推理したのです。
旧約には、知恵の木の実ですか、意味不明な話が載っているだけですが、彼らには本当の真相が未だにわかっていないわけでしょう。
このことをユダヤ人が知れば、人類無視、人類憎悪の横暴さもなくなるのではないかと、私は真面目に思っているのです。
頭のいい民族なのに、もっと合理的に物事を考えられないのかと、言いたくなります。むろん、私の推測も間違っているかもしれませんが。
その後、その二匹のうちのオス猫が、命を張って懸命に我が家に忍び込み、家の中に居就いてしまおうとしたのを、叩きまくって撃退し、
もう一匹のメス猫も居就こうとしたのを、追い回し追い詰めておいて、彼らが味わった残酷な楽園追放の真相をじっくりと、目と目を見合わせながら、説いて聞かせてやりました。 
どうやらその話を理解して、果樹園の猫たちに持ち帰ったらしく、以後、猫軍団はまったくこなくなり、襲撃はピタっと収まったのです。
あとで果樹園の老夫婦に聞けば、あの二匹の猫は全体の最長老になる夫婦猫だったそうで、その後間もなしに、オス猫のほうが亡くなり、そのあとを追うようにして、メス猫が亡くなったとのことです。 
よほど一族の命の存続に対して責任感を持っていたのだろうと思います。まるであの民ですよ。
オス猫の名は石松、メス猫の名はミケでした。(仏壇で唱名して日々弔っています)
今年4月に、果樹園の老夫婦のうち、奥様が亡くなられました。
猫を飼ってやることを決意したのは奥様でしたが、旦那様は奥様の厚志を継いで、20匹もの猫たちの世話をされています。
話せばわかるのは猫のほうで、人間のほうは話しても、無理でしょうか。
第三次大戦がやはり始まるのでしょうかねえ。

タキは徐々に回復中です

台風16号は難なく行き過ぎました。
風もそれほど強くもなく、風通しのよい縁の下の段ボール本箱の中に半分ほど納まって、
タキは風と雨の中、過ごしておりました。
なかなか、家の中に入ってこようとしないのが心配でしたが、21日深夜に、おなかがすいたとみえ、
食事の催促のコールをかけてまいりました。
22日朝はさらに元気に入ってきまして、置いてあるいくつかのメニューを食べておりました。
それでも毎回のサプリは欠かさずやっております。
タキが入ってくるようになりますと、トンがややフテ気味になりまして、兄弟というのはどこもかしこも
こんなもんでありましょうか。それでも猫と人間では話にならんから、よく二匹で談合もしていたように
思うのですが。
まあ、あとブーも含めて、仲良くやってほしいと思っております。

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朗報と言いますか・・・仏壇送りになっていたタキが帰ってきています

もうてっきり死んだに違いないと思っていたタキが、17日の午前中に、私が道路まで出ようとする階段で、ニャーと言う声を聞いて、はてブーなのかと見てみれば、白猫のタキが痩せた姿で、そこに立っておりました。
私は医者に連れていくべきか迷いましたが、ほんとうにどの子も車嫌いで、拘束されるのを嫌って逃げようとするので、よしこのまま家で何とか治療しようと、家に招きますと、割合素直に。
受け容れてくれるかどうかが心配だったみたいで、がっちりと「よう戻った」と愛撫してやりました。
家の下の縁の下になるというか、けっこう人が立てるほどの空間があって、そこが本などの物置になっていて、段ボール箱のひとつに入って休むようにしておりました。いつものように家の中に居就くようになるのは、もうしばらくかかるかも知れません。
ご飯をなかなか食べないので、フェロビタというサプリで栄養補給。今日19日には、ようやく普通の餌を少しずつですが食べておりました。たぶん、徐々に回復すると思われます。
今は家の中は、トンが居心地の良さを感じたか、常駐しています。
タキは早々の15日から仏壇で唱名していたのですが、17日の昼から外すようにしました。

タキ(シャン)は中秋節に月に帰っていきました

タキは栄養摂取がうまくいかず、食べても食べても痩せて軽く、それでも一生懸命に食べて、私も毎度の食事後にサプリを与えて、とうとう一人前のがっしりしたメス猫になりました。ちょうど六年にして、頑丈な身体になったのが9月13日。私はそれを確認して、もうどこに出してももうしぶんない別品さんじゃと誇らしく思っていたわけでしたが、一晩帰らず、9月14日午後3時ごろ、前の道路に家のほうを向いて身動きせずうずくまっているタキを見つけました。
びっくりするほど痩せこけていて、腹が固くなっていました。
そのとき無理やりにでも医者に連れていっていれば、治療で助かったかも知りませんが、車に乗せる段取りのときに逃げてしまい、仕方なく捕まえて家に運んでしまったのです。それが失敗でした。
タキはベランダの狭いところで、じっとうずくまっていたので、そのまま翌朝までその状態だろうと思っていたら、午後7時前にとてもゆっくりながら、道路のほうに出て、それから行方不明になりました。夜中なので真っ暗で、我慢できるなら翌朝も出てくると思いましたが、もう戻ってきませんでした。
9月15日の中秋節を期して、タキはみまかったと思われます。
ここに、タキ(シャン)のあちらの世界での幸せを祈りたく思います。