出雲大社遷宮の日の明けに見た夢の解釈

さて、このときの夢はとても印象的でした。
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夢に出てきたみずらの人物は、決して大きな男ではない、どちらかというと小男で、髭がはねた八の字をしていたのです。しかも、ここまで⇒https://baobabtree.img.jugem.jp/20080926_535372.gif正装に凝ってはいない、簡素な服装でした。が、出雲大社の大国主命の銅像の姿に似ていなくもないです。そもそも私が、古代人の姿を夢で見ることそれ自体、今までなかったこと。平安朝の宮廷女官のような女性を見たのも、たぶん初めてではなかったでしょうか。
私はどうしてこのような夢を見たのか。理由は、私が大国主命の縁者であるからに他ならないでしょう。あるいは、その縁者になぜか訳あって、視座を持ってしまったのです。異界の探偵ですから、そのようなことも、わがハイラーキーの指示でやってしまいます。金正日の側近の視座にも二度なりました。わがハイラーキーが大国主命の縁者なのは、十分な可能性があります。梵天だから。あるいは梵天Jrとでもいいますか、その姿は夢で見たこともありますが、なかなかいい男です。
新神話では、全世界の盟主が梵天で、この世界を最初に創ったのがギリシャ神話にいうクロノス、すなわち、日本神話に言う大国主命としています。彼が創ったはずの世界が、いまどんなふうになってしまったか、思い遣ってみれば、彼の悔しさのほどがわかるはずです。梵天はさらに世界全体の盟主ですから、当然のこととして、この世界の初期状態を創り上げた彼を応援し、それを簒奪して無責任にも悪虐と破壊の限りを尽くそうとしているヤカラに対しては、厳罰を以て臨もうとすることでしょう。
新神話では、最期の結末までを描き切ります。それは神代と地上世界の両歴史を誘導するためのものです。それがいちおうのレールになります。様々な不確定因子によって何度も脱線するかも知れないけれど、そのたびに修復され、列車は再び軌道に乗るのです。聖書や黙示録が歴史誘導に強固な力を持っているなら、新神話はそのパワーを利用して、相手を投げ飛ばすところの合気道的な働きをします。だから、少しも無理なく、歴史は新神話のレールに乗っかることになるのです。
さて、私の視座になった大国主命の縁者とは誰なのか。推測しますに、アメノホヒノ命ではないかと思います。
いちおう、天津神のひとりとされ、オシホミミノ命の弟に位置づけられていますが、伝承では国津神側に寝返った裏切り者になっています。天津神ゆえ、大国主命の館では独立した部屋があてがわれ、快適な環境というのも頷けます。そして、国津神たちとは仲がよくとも、コミニュケーションはそれほどない。ただ、大国主命の執政を補佐することが、逗留の目的になっている様子です。そして性格的には、とてもおおらかで、いつも安心立命の中にいる。夢を見た限りの印象では、こんなところでしょうか。
そして大国主命の妻になるのが奥津嶋姫で、記紀では異伝があるものの、ホツマツタエによればそうなっています。夢の中に出てきた平安調の衣装を着たお歯黒の女性がそうではないかと思います。奥津嶋姫さまについては、私が今まで経験してきた不思議現象の中に、それらしい兆候が多々あるのです。
奥津嶋姫の化身と目される身内さんが、思いついたようにして行かれた金剛峰寺で、六角オーブを撮影したことを皮切りに、出雲方面にこれまた思いついたように巡行されたとき、出雲系の御神紋であるところのものでもある六角オーブをいっぱい撮影してこられたことがありました。そして亡くなる前日に、ご本人の六角オーブの御神紋を、初めて横たわらせた状態で撮影し、ネット上に展示されてから逝かれたこと。このときの六角オーブには六角の中に花模様があり、御神紋鑑定して奥津嶋姫さまと特定できたのでした。
あちら(神代)ではご夫妻神でも、こちら(地上界)においては、そのときの関係を解消して、私との恋のアバンチュールにも応じられる。それがこの世というゲーム世界の面白さというものかも知れません。このろくでもない、魅力ある世界。それが地球なのかも知れませんね。
ではなぜ私のような徳薄垢重の者に、このような高貴なお方が懸想なされたのでしょうか。それはきっと、私が何かこの世界の打開の鍵を握っていると思われたからかも知れません。つまり白羽の矢を立てられたように思うのです。
びんびんたる推理力、洞察力は、はるか古代から神代までを照らし出し、あますことなく語りつくすと自画自賛。異界の探偵ですから、必要なところに視座を構えたりもします。そして見てきたようにして推理する。あれもこれも自画自賛かもしれませんが。
最初に懸想されたのは、奥津嶋姫さまでしたが、奪い取るようにして先に一線を越えられたのは、一寸嶋姫さまでした。このころのありさまは、まるで白蛇伝の許仙に対する青蛇と白蛇のようでもあり、新神話にも恋路のありさまが詳細に書いてあります。私にいろいろな神々の諸力が付加されていった頃ですから、どんな奇跡もありえたのです。新神話に関係性をしたためれば、それだけで神々との関係を作り出すことができ、また連綿たるシンクロ事象にも、これでいいのかと思うほど遭遇し、あらゆる事象が、新神話の中で繋がっていくという経験ができました。それは魔法使いにとっての連環の強固な輪となり、歴史誘導に大きな力になったと推察しています。
奥津嶋姫さまや一寸嶋姫さまがどうして私などに白羽の矢を立てられたかの直因は、きっと御母君の冤罪を晴らすためではなかったかと思います。また、いっぽうアメノホヒさまも母君が冤罪に遭っているのです。そして当然ながら、子息子女である彼らもまた評判を悪くされてしまっているとすれば。だから、相互に利害が一致したということではないでしょうか。直因はそうだとしても、新神話は稀有壮大にも、万民万有情の解放と黄金楽土の実現を果たすという大目的のもとに作られています。
では、その冤罪とはどんなものだったか。
https://ufocolumn.blog2.fc2.com/blog-entry-533.html

ここに書いているように、神界で政変劇(国常立神、天照天皇の暗殺幽閉事件)のあった直後に、アメノホヒは、国常立神、天照天皇側の腹心たちとともに、神世から脱出下野しています。次代を継ぐはずの嫡男であったから、そのまま居残っていたら、曽祖父や父と同じ運命となったはずですから、当然のことでしょう。
そのことが古事記では、天照大神の勅命で国津神のいる葦原の中津国に、帰順の説得する任務を持って派遣されたが、敵方に帰順してしまったと書かれているのです。たぶん邪神側の神人がこう伝えるように、地上に指示してきた筋書きどおりに、古代シャーマンは記憶したのでしょう。こうして地上では、神話レベルで、アメノホヒは、天若日子とともに裏切り者に仕立てられてしまっているのです。
ちょうどエジプト神話の、オシリスとイシスの子のホルスを彷彿とさせます。ホルスは「通常は隼の頭を持ち太陽と月の両目を持つ男性として表現される」と表現されるように、猛禽鳥がそのシンボルですが、アメノホヒには、彼の子に、アメノヒナドリ(日本書紀 天日照とも書かれ正統の日嗣の皇子らしさをかもしている)あるいはタケヒラトリ(古事記 その名からは猛禽らしさが窺え、子の建比良鳥命は出雲国造らの祖神となったとされる)がいて、まずは天空の鳥がアメノホヒ系のシンボルであったことが窺い知れるわけで、ホルスとの共通性が十分にあるのです。つまり、この神の神話伝承と、エジプト起源のカバラの伝承とが、セットになって入ってきているのです。(アメノヒナドリか。こっちの世界でも、マメドリの育成に情熱していたときがありましたなあ。マメさん、どうしてるかな)
アメノホヒらは出雲の大国主命のもとに居場所を定めて、再興の時を待っていたのかも知れないと思ったりします。出雲神社の祭祀を受け継いだ千家家が伝える系譜書『出雲国造伝統略』に拠るというのも、頷ける話ではないでしょうか。
ホツマツタエの伝承によると、アメノホヒは天照天皇の逆賊である持子の子で、奥津島姫ら三姉妹は早子の子となっています。持子はここで説明しましたように、北局の妃にあって、すべての妃に先立って最初に子を設けています。つまり、アメノホヒは正統な長男の後継者であるにもかかわらず、政変後にその座をセオリツヒメの長男オシホミミに奪われているのです。そして、古事記では次男にされてしまっています。
アメノホヒのホヒの意味は、初日(子)であり、天照天皇の最初の嫡男であることを示します。いっぽう、オシホミミの意味は、圧してホ(初)に収まった身となります。つまり制圧者側の長男なのです。
ホツマツタエはその部分をまず、日本神話創作当時に知られていた中華の中宮制度を採り入れ、セオリツヒメを中宮に据えたことで、北局に対して優先できると原理付けしました。これが改竄第一号であり、たぶん全篇通して「あや」と段落振りしなくてはならなくなった原因にもなっているように思います。「あや」は「過ち、誤り、怪しい」と語源を一にする禁忌用語なのです。それを知りながらあえて用いたということは何を意味するか。
それからは、改竄と隠蔽と虚構の組み立てに労し、しかしながらどうしてもヒントだけは留めておかなくては、よほどの罪になると思ったか、それとも徹底するほどの労力もかけられなかったかして、記紀では、女神アマテラスとして、矛盾含みながらもデビューさせてしまったことのようです。それは男神キリストがいないため、女神ミグダルのマリアに兼務させた構図だとわかっています。それはキリスト再臨を待つ体制と言えるかも知れません。が、再臨がないままでは、暗黒時代にもなる道理でしょう。
さて、この隠蔽のために大変なことが行われました。持子早子は冤罪を受けて、悲惨な最期を遂げました。当然ありえた風評は、持子早子の追い落としを仕掛けるための作り話であり、それが神代世界に流行したに違いないのです。
こんなことが許されていいはずがないでしょう。勝てば官軍。でっちあげ、隠蔽、虚構の流布。それを止めようとする者への迫害。それが清廉潔白であるべき、神代で起きてしまっていること。この事実が大事なのです。
そのせいで、神代のアンモラル性がすべて地上界に投影してしまったのです。今はその、貯めに貯めまくったアンモラル行為とその結果が、地上世界の黄泉津腐敗ぶりにそのまま反映してしまっており、あとはどうなるかが占われているといった按配なのです。
どうなるかについて、二つの仮説があります。一つ目の仮説は、ダムとして溜まった汚泥が、ダムの許容を超えていつ決壊するか。もうひとつは、ダムに貯め切ってそのまま熟成させれば、立派な肥やしになるのではないかという説です。
後者になれば、これは立派な成功実験として評価されるでしょう。しかしそのためには、貯留量がコントロールされなくてはなりません。それができているかどうかが、鍵でしょう。それを見る指標は地上世界にもあります。世界の随所にステイタスが上がっています。
たとえば、福島原発事故が適正にコントロールされているかどうか。これを見る限り、無責任放置の感が否めません。お蔭で海はいずれ超汚染されて生き物の棲めないエリアになることでしょう。それでは肥やしにはなりません。そのいい加減さ、無責任さが、汚泥の貯留に関係しているのです。その結果は、ダムの決壊であり、現象としてみなさんの観測には、みなさんが実体験している世界線の突然の破断断絶となって現れることでしょう。
この世界が神界も含めいったん破断してしまうとすれば。以後の成り行きはどうなるか? それはわかりません。個々別々に異なるのかどうかもわかりません。邪悪に徹した者は、神であれ人であれ、この場合はただひとつしかなく、唯物論者の死のままとなることは確実です。それ以外の者のことは、わからないということです。
ホツマツタエは、綾事(誤り、過ち、妖かし)を記載したものですが、神代の故事をいかにしてでっちあげようとしたかの経緯をも如実に晒しており、逆に非常に大事な古文書とも言えるのです。
そこからわかりますことは、まずひとつに、中東のキリスト伝承、占星術概念などの伝播があり、日本神話構築の際に採用がみられるということ。二つ目として、キリストの故事によって、忌まわしい古代神代の政変劇を、正当な出来事として置き換えを図ろうとしたらしいことです。
このために、ずいぶんと断腸の思いで犠牲になった神々もおられたことと推察されます。それをどうやってなだめ祭ってきたのか。おそらく神職の方々は、そのことに古代から苦心してこざるを得なかっただろうと推測されますが、いかがでしょう。
大祓祝詞の意図する咎・禍事を(その場で解消するのでなく)下流の黄泉に流し去ることと、伊勢の遁走タイプの遷宮は、同じ思想的発想でしかないのではないですか。同じ思想とは、邪悪な出来事をすべて包み隠しておこう、後で何とかなるという考えのことです。そんなものは、悠久の時の流れから見れば、一時しのぎにしかならないというのに。
もうどうでしょうね、すべてを包み隠すことなく晒して、すべてを清算する過程に就かれてはいかがかと思うのですが。そうすれば、国津神すべてが惜しみなく全力で応援して、地上は黄金楽土と変貌することでしょう。
いや、私・奥人は、ルシファーやアメノホヒ系神に視座を置くことができて、とても光栄です。これもみな、異界の探偵ゆえに許可されている役柄なんでしょう。だって、すべてにわたって公平でなくてはいかんですから、官書の語り口のみに妥協していてはならないのです。つまり、公儀隠密渡り鳥という役柄なわけで、そこでまた、かの名曲をお贈りしましょう。ああ、光栄やなあ(しみじみ)。
https://www.youtube.com/watch?v=Ts4Nel1xQZo&feature=player_detailpage
さて、この地上世界におけるすべての綾(妖かし、過ち)は、神代における邪神によるクーデターに端を発しているということ。異界の探偵はそのように理解しております。
この意味において、綾事から解き放たれるべき地上世界の刷新と復興は、神代の刷新復興とワンセットでなくてはならないと観ずるしだいです。そのむね、この公儀隠密は元津世界に戻り上奏いたします。

新神話の主眼

新神話は有情の魂を解放することに主眼がある
神話は世界の始まりから記載される体裁をとる。
新神話もそのように構成しなくてはならず、小説のような技巧を排除して読み物としての魅力を落としながらも、メルヘン調に仕上げている。
読み手はたくさんでなくていい。神界にうまく伝われば、神々の読み手が集合し、それを神楽として舞ってくれるのである。神楽とは神界での神々の上演されている舞台を模したものなのだ。
この場合、巫女資質の人が読むことが最も効果的となるのも、神々に伝えやすいからだ。
今回は巫女さんたちをもっぱらの読者とし、巫女でもある奥津嶋姫弁才天の化身が読んでくれたため、好意する神々の間で広まり、旧神話を凌駕するほどにまで発展したのであり、この巫女さんたちや化身さんは新神話工作員としても果敢に活躍し、同時に宣伝もこなしてくれるという獅子奮迅の働きをしてくれたことになる。
化身さんは、本体(ハイラーキー)が弁天様であることがわかっている。しかし、新神話中ではさまざまな神々を併せ演じていて、中でも海神の娘、乙姫(豊玉姫)の性格は強く出ていて、顕現は龍であるとともに亀である。
大過去において封神されたときに、国津神の中でもきつい(呪詛が解けにくい)部類の”かごめ”の中に魂が封じられていて、彼女のオーブ(魂の形)はもとより六角形だ。
スサノヲ、大国主系の神々はみなそうで、出雲系神社のご神紋が縦長の六角なのは、彼らの魂の形だからである。
これは天神に逆らえないように、結界に封ずる処置が施されていたのだ。
その効果は、三次元的行動が比較的自由なるも、精神的に閉ざされた環境に置かれることとして現れる。それが彼女の現世に反映して、人から見れば羨望されるほどであっても、精神的には孤立感、空虚感の中に置かれることが常だった。それは池や湖の中に孤立して佇む弁天様の精神環境と同様である。
私は1997年頃、思いもよらず、弁天様に恋してしまった。あろうことか、求婚までしてしまった。
このことが機縁になったとしか思いようがない。それまでに天に対してしていた、人並みのこともできないこんな面白くない人生、50年で終わらせてくれ、そして金輪際再びこんな世界に生まれさせないでくれ、という一方的契約を、弁天様の化身が満50になる直前日に関わることによって、契約自体が無効になってしまったことになる。
天はいとも簡単に、契約を笑い飛ばしてしまったのだ。
当の弁天様からすれば、彼女の願いを叶えるべき人間を見つけたことになるのかも知れない。ちょうど、かぐや姫が四人の求婚者に難題を与えてみごとクリアーすれば結婚を叶えるといった話に似て、私は弁天様の不遇ばかりか、国津神たち、さらにはこの局限宇宙に閉じ込められた全有情の不合理な状態の解決を図る使命を与えられたように思われる。
私が50歳以降にもらった命は、唯一このためだけに捧げられなくてはならない。
うまくいけば、私は果報者になる。が、うまくいかなければ・・・またぞろ、こんなくだらない世界にやってこねばならぬのだろうか。いいや、そのときは魂を消し去ってもらうことを改めて私は希望する。かつてしたように何度でも一方的契約を取り付けるだけだ。
魂からの解放が新神話の主眼
新神話のことをしばしば話題に出すが、その効果によって世界が平和裏に回復していくことを想像されている向きには失望となろう。
新神話の目的は、全有情をこの宇宙から解放することにある。この宇宙は高々ゲーム空間に過ぎない。ゲームに凝っている人々は多くいるが、もともとゲームの世界なのにさらにまたゲームに興じようという、夢のまた夢に遊んでいるに等しい。
いや、突き詰めれば、私以外はみなダミーなのだから、私だけ解放されて全有情の解放が併せて行える。私がゲーム空間に関わらなければ、もとよりこの世界および有情はないに等しいのだから、という原理的帰結となる。それが通用するのが、この怪しげなる世界の実像なのだ。
別の視点からすれば、有情はこのゲーム空間に関わるために、魂という殻をかぶってこの世のどこかに視座を移しにやってくる。
魂があるから、この世界の観測ができる。ゲーム空間に遊ぶ参加資格を得ているのだ。逆に言えば、魂を返上すればゲーム空間とは縁が切れる。だから、誰でも嫌になれば、本心から一方的にでいいから解約すればいい。重ねて言うが、本心からでなくてはならない。ここの胴元にはそれを拒否する権限はない。
ところが不思議なことに、特に人間は永遠の命を希ってやまない。何十回目かに、うまくすれば、思い通りの人生が営めるとでも思っているようだ。だから、魂が永遠不滅と聞いて喜ぶ。魂がすべての苦悩の源泉であることを理解できていないのも、本能的に生き続けることを願うように作られているからであり、死に際しては激しい苦痛という関門を通過しなくてはならないことがあり、死という事象以降の話が隠されているから不安と恐怖を催すからであり、また生存を自然で最善の選択であるかのように説諭する先達がたくさん居るからである。
ところが、真相は霧中の中に隠蔽されているにすぎない。また、真相をあえて隠そうとするのが、ゲームサーバー側だ。ゲームサーバーは、何とかこの世界から有情を抜け出せないように仕組んでいる。さまざまな真新しいソフトを提示して、射幸心をあおる。その麻薬が切れ始めたら、今度は負債を負わせて支払いが済むまで引き伸ばそうとする。
新神話では、そのような捕り篭められ、洗脳された有情たちが、このゲーム世界存続のためのいわば「人間の盾」として使われていると規定している。
また新神話では、魂の良さを吹聴する者たちの多くが邪神に操られているとしている。聖者たちがそれをいいもののように説いているわけだが、彼らほど嘘をまことしやかに話す者はいない。この宇宙は今目下、邪神の支配下にあるから、日和見の聖者たちは邪神の利益のために話しているのである。加えて、ピラミッドの上位は居心地がいい。下位でどんなに苦悩していようが半ば放置していることが邪神の意向に沿うことゆえ、あえて何も講じようとはしない。
そこはカーストの仕組みでできている。新参者は底辺から一歩一歩上に上がっていくことを要求される。日和見殿たちは、上から見下ろして、ただ教訓を垂れていればいいのだ。それで本領安堵されるのだから、現今の資本主義社会の搾取構造となんら変わるものではない。地にもある如くが天にも、また途中にも然りの相似像となっている。
また、カルマの制度を作ったのは邪神であり、ゲームを面白くするために功過の点数制度を作ったのだ。負債があれば、それを清算するまでゲームから抜け出せないというルールが、有情をゲーム世界に閉じ込めることに使われる。ちょうど、賭け事にのめりこんだ顧客が、なんだかんだいちゃもんつけられて、賭場から出られなくされているに等しい。
もとよりそのようなルール作りは違法(梵の全系の法則に違反)なのだから、どんなに負債があろうが、「もう終わる」の一言で事足りるのだが、まじめな有情たちはルールを何とか守ろうとする。犯罪者心理のようなものが有情には植えつけられているのだ。それが原罪意識というものだ。
こうして、ほんとうにゲーム好きな者と、嫌々ながらも負債の清算のために居残っている者で、この世界はひしめき合っているというのが真相である。
今回の新神話は、このようなさまざまな立場の者(有情)を強制的にも梵の全系に復帰せしめて、自らの故郷を確認させることに主眼がある。そのためにはこの宇宙が元の創造者によって接収されなくてはならない。このために、邪神の駆除の工程が必要となり、さらに害毒の除去までがなされることとなる。
邪神による病態の再発を招かないためには廃絶がなされるべきである。だが、教育上の観点から博物化されて随時体験の要求に応ずることもありうるわけだ。
ゲーム空間の廃止あるいは監督強化に伴って、有情の中に利害のもつれが生ずるに違いない。この流れを食い止めようと、かつては悪霊が戦いを挑んできたこともあったし、今でもすでに妨害の手はいくつも私の身辺に伸びてきている。人間の身に生まれては、現実問題に時間を割かれねばならないが、邪神はその隙を突いてくる。
それによって死が私の任務遂行を妨害するとき、邪神による陰謀死として認識され、最大の怒りを以て最終処理の課程に入ることができる。私はこの一身に代えて、容赦なくこのゲーム世界のクリーニング焼却を行う。それが新神話シナリオの最終仕上げ工程となる。過度に働けば、ゲーム世界どころか、ハードまで焼ききってしまうだろう。すると梵の見た夢も終了することになる。
現在、新神話は有効に機能している
新神話の働きで、新時代がすでにやってきている。神界がまず正神の執政下に置かれ、やや遅れて下界に新時代の波が押し寄せる。ただし、黄金楽土となるのは、当初はこの宇宙においてではない。
いまは、上下の差別や権威に拘泥しない純粋な心の神霊や精霊たちから順次、魂の殻を解消して、梵の全系に復帰しつつある。そこが元々あった黄金郷である。
しかしこれは、邪神どもにとっては、痛い誤算だ。ゲームを支える要員が数を減らすことで、人質も少なくなる勘定だからだ。
自然界の神々や精霊が下界からしだいにいなくなることにより、自然界の守りが薄くなり、ひとりでに天変地異が多発し、生態系は滅びに瀕するようになり、いっそう有情の撤退は加速する。ホピのいうコヤニスカッチの事態が鮮明になり、大規模な天変地異で、地球上は荒廃することになろう。
その前に、人類は互いに絶滅させあうことだろう。なぜなら、人類すなわち人間は、邪神の計画によって送り込まれた生態系破壊因子だからである。これによって邪神の思惑どおりとなるわけだが、ところが、それは邪神ら自らの滅びを意味していることでもある。それににうすうす感づいて、今頃パッチ作業をしているようなことだ。しかし、たいした延命策とはならない。
しかし邪神たちが焼却処分になるときには、苦しみを与えた分の苦しみを受けて悶絶することになるだけであって、彼らの魂は消去され、梵の全系は意識原理を回収することだろう。それは強制されてする解脱である。私も自らの願いとしてそうなることを望む。
昨年には化身さんが魂を解消して、ゲーム空間を去られた。梵の全系へと復帰されたのだ。それを希われての解脱という。そこから次にどのような行動をされるかは、梵天様と相計ってのことになろう。私のもとには、女郎蜘蛛として視察に来られたことはすでに述べたことである。
私も適当な時期に行かねばならない。まず肉体を去り、神界で邪神焼却作戦を遂行する。それが終わって後、わが身を焼却する。そして魂を解消し、金輪際、ゲーム世界とまみえることはない。

もう始まっている大解放

魂というのは、この世(マトリックス)と意識原理をつなぎとめるための仕組みです。
テスター的に来ている場合は”試し火”というのがほんとうです。
クライアント的な場合はたましいでいいでしよう。
魂の殻の撮影機器に写った姿をオーブと言います。
最近、このオーブが解体されつつある様子の写真が出てきています。
ついこないだには、静さんとおっしゃるかたから、ご自身の撮られた自然界のオーブ写真の紹介がありました。
そこに見たのは、白く輝く精霊の光と、なんとホピ族の精霊ココペリが青いオーブにシルエットとして写った姿でした。
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ただ、おや?と気づいた点がありました。
オーブの右側が割れてまさに分裂寸前の様子に見えるでしょう。
これはココペリのオーブが元々こうだというわけでも、カメラの不具合でもありません。
魂の殻が解体しつつあるのです。
それはこのマトリックス世界から、有情(の意識)が離脱しつつあることを意味します。
新神話では、ここはひとつのテーマパークにすぎない局限宇宙という位置づけです。
それはRPGゲーム空間に等しいものです。そこに異次元から根拠するのが魂であり、その写し取られた姿がオーブなのです。
いま、このゲーム空間からの離脱が開始されているということになります。
むろん、新神話では有情の魂の解放ということで、最大主眼を置いている部分です。
もう身の回りのあちこちで、人間やペットなどの魂が解放されているかも知れません。よく観察すればわかると思いますから、感じてみてください。
それはこないだの「新時代は始まっている」という報せと同期するものです。
そして、どうやら魂の解体は、神霊や精霊から始まっているようです。
彼らは、このパーク創設以来、全体の舞台機能を陰から支えてきた側の有情たちです。
国津神とも言います。国津神たちは、人間同様、この世界に幽閉されていたのです。そして維持する役柄を与えられていたのです。
彼らは心が純粋ゆえ、早い時期にここを去っていくことでしょう。
私はオーブが解消していくケースをもうひとつ見ています。
それは、身内さんのなくなる前日に撮られた、ご本人の生霊オーブの様子でした。(写っているのはご本人の頭部とその上に浮かぶ六角オーブ)
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これをご本人が見て、「オーブが分裂しつつあるようだ」とまで表現されているのです。
そして一言。これを超常系の人たちが見たら、どう解釈するのだろうと、我々への宿題さえ出されていたのです。
そして翌日の事故死。
ここでなぜこの人のオーブが六角なのか不思議に思われるかも知れません。人間のオーブはみな円形です。が、この方は、神霊(出雲系国津神)の化身だったからです。
ご神紋からすると「亀甲に花角」で、六角オーブの中に花が見られるでしょう。奥津嶋姫(弁財天)なのです。
すでに去年のうちに夫神である大国主神のいる出雲地方の神社めぐりをして、たくさんの六角オーブを撮影されていました。そして豊玉姫の雛形としても活躍されていて、海中での撮影においても、無数ともいえるほどの六角オーブの連写となっていたのです。それは人間として自分の子供を持てなかった彼女の、神霊レベルでの子供たち(みんな出雲系海神系国津神の形質)だったのです。唯一心残りだっただろう子生みという望みも果たされたのでした。
この人は、ふと思いつくようにして行かれたところが、すべて的確になる人でした。元々神だから無駄がないのでしょう。2008年には、思いつくようにして行かれた高野山直後の夢で、空海和尚から「弥勒誕生」の報せを受けています。たしか、そのとき初めて六角形をしたオーブを撮影されたのです。それがまた「かごめ歌」の解釈へとつながっていくものすごさとなったのでした。彼女の六角オーブ撮影はそれが皮切りになっています。
https://ufocolumn.blog2.fc2.com/blog-entry-552.html
そして今年五月に海難事故で逝去。豊玉姫が海原に還っていくというシーンで締めくくられています。逝去前日のご本人のオーブを証拠として遺されたのを最後に、六角オーブ写真もまた締めくくられたことになります。
異界の探偵を自負する私は、オーブが分裂もしくは解消していこうとするこの謎を、彼女のくれた宿題として、たえず心の隅に置いてきました。
これまで気づいていた異状さは、いつも彼女のカメラで写る六角オーブは、どんなに数多く写っていても、またどんな写真にしても縦向きだったのです。が、この例だけが横向きになっている。これは死に行くことを意味するのかもしれないとは思っていました。そして、右隅からの内容の噴出とも思える光景。これが謎だったのです。通常のオーブなら、生き死にの際に多少の変化をするとしても、オーブが破れてしまうようなことはないでしょう。死霊のオーブとなるだけのはず。
ところが、二例目になる写真を静さんから見せていただいて、ああ、これはそういうことなのか(魂が解消している)と納得づくで思ったしだいです。
どうも、かごめ歌は、誰か強力な神が復活するという意味よりも、有情の各自が”かごめ”の結界を脱して去っていくという意味だったようです。
誰もが、いついつ出やるの待望状態にあるということなのです。
それはホピの言っていることを裏付けるものにもなるでしょう。
ホピは、世界が存続できない世界線を辿る場合、大地を守護する精霊たちがその守護をやめて撤退してしまうというと言っていました。
私はその末端の現場を、これらの写真に見る思いがしています。
精霊たちにとっては、意識の故郷に復帰することゆえ、良いことです。
彼らはこのテーマパークメンテナンス要員として、半ば幽閉されていたのですから。
さて、神霊や精霊に守護されなくなった側はどうなるか。
ホピによれば、天候は乱れ、生態系は失われていき、天変地異が起き、回転力をなくした地球ゴマのように世のことごとくが両極端に振れだし、やがてひっくりかえってしまうという話です。
その過程で、おそらく人々もこのゲーム空間が心底いやになり、有情の一員として魂の解体と意識の故郷(新神話にいう梵の全系)への復帰を果たしていかれるに違いないと思います。
そして、この宇宙が再建されるか、廃絶となるかは正神たちが決定することとして、新神話ではいちおう博物化されて教育用として用いられるとはしておりますが、どうなりますやら。

メルヘンはマンガやアニメの如し

メルヘン世界は漫画チックにできている
(幼少期に漫画やアニメに傾倒するのにはわけがある(それをまた利用する邪悪がいる)神々にとってこの世体験は過酷極まりない)
ある話によると、この今の世は第三密度であるときに、アセンション後は第四密度以上になるとか。
が、まるで密度が高くなり、内容的に充実するような表現の仕方は誤りだと思います。
微細を穿つような物質組成をしているこの世こそ高密度なのであり、意識の自由度や造形能力が高くなる霊や幽の世界のほうが低密度なのです。定義が厳密化し複雑化するほど、物事の自由度は損なわれますが、いまこの世の支配者はその方向に歴史を進めているところで、その過程で人間の魂を圧し潰そうとしています。
人間でも生き物でも、必ず眠りを必要とします。それは、魂に意識の自由度を回復させる閑を与えねばならないからです。でなければ、身体はあっという間に朽ちてしまい、魂の抜け殻同然になります。
よく夢に出てくる世界は、霊や幽の世界に近いわけですが、荒唐無稽と思えるほどにマンガチックです。そこに出てくるキャラクターは、良くて劇画、ひどければ象徴とストーリーだけの三文アニメのようです。それが神話世界(メルヘン)というものでもあり、内容の破天荒さの度合いには何の軽重もないのです。
メルヘンの世界から下ってきた間際の幼児期は、どちらかといえば、原色の絵やマンガのほうに興味するのが当然です。このことを逆手に取って悪質なイメージを植えつけようとする(洗脳する)ヤカラがゴマンといます。およそそれらは闇の支配系の仕業です。
また、神々の世界から何か目的を持ってやってきた神の化身も多々います。が、ちょうどRPGゲームのようなものですから、目的を見つけるまで、いろんな試練をクリアーしてこねばならず、とみに嘘偽りの蔓延する世界となっていますから、過酷極まりないものとなっています。
身内さんも神の化神で、幾重もの守護神の加護によって、最後の役割まで順当に果たされたのでした。それは奇跡的なほどの出来でした。すでに責任は、それを受け継いだ者にあります。安らかに。
身内さんは六角オーブを出雲系御神紋と聞いて出雲地方の神社巡りに行かれた
(ホツマは沖津嶋姫(奥津嶋姫)の夫神を大巳貴命としている)
空海かならずしも善ならず。
世の人たちは空海を純然たる善と思いたがる傾向にありますが、それは歴史の表側しか観ない所作でしかありません。信仰の対象にするときには、どうしようもないです。信者は彼の法力に託して自身の安寧を授かろうとされているのですから、それはそれでいいでしょう。
彼は当時の朝廷の命を受けて、神戸の麻耶山はじめ山岳地に展開していた山人の霊能者いわゆる「天狗」を密教の強力な呪法によって結界に封じ込めてしまったのです。権力におもねる者が利権を取得する代償として朝敵を倒すことは、どこでも行われていた事ながら、一方的に善者として崇められていることは、非常に不公平なことであると申しておきたい。
当時の空海は、カバラ秘術に通暁したメーソンリーであった可能性が大。同根である朝廷が重用せざるを得ない立場の者であった事は確かです。私が彼を許せる時とは、呪封した多くの者の魂を彼自ら解き放つ行為をし終えた時です。それまでは許せるものではない。
身内さんが高野山に行くことを言い出されたとき、私はやめたほうがいいと言ったのです。というのも、神社仏閣を巡るタイプの人ではなかったし、特に龍神系の化身にとっては、人間の霊能者は禁忌の存在ですらあるからです。人間は邪悪性を備えた存在だということ。必ず何らかの陰謀が仕組まれていると観たほうがいいのです。空海ならなおのことです。
身内さんが白蛇伝にいう青蛇の雛形であるときに、空海は法海に相当します。かつて白蛇の雛形であるイナンナが武良さんを法海と見ていたように、私(許仙)には空海がそう見えました。妖怪を見つけて呪封するのが法海の使命。だから、どうしても行くなら警戒していなさいと。
イナンナはその点、怪しいところには間近まで行っても立ち寄りませんでした。(それは天橋立にある籠神社:龍を閉じ込める結界を意味する籠の字が使われ、しかも瓢の宮とさえ書かれます)
https://ufocolumn.blog2.fc2.com/blog-entry-552.html
やはり、お蔭をもらって帰ってきてしまわれました。彼女も私も合わせ鏡のように全身倦怠に襲われ、この件を解き明かしてしまうまでは回復しなかったのです。空海は目的を果たしたのです。弥勒が降臨したことを、このサイトで触れ回るように仕組んだのです。このサイトは誰がどう見ても、人気も集客力もあるはずないのに、どうしてここなのか。それは、この一件を、新神話に書かせたかったからに他なりません。
身内さんの功績は多大ですから、おのずと新神話にも天仙邪神側の息が吹き込まれることになる。その意図はどこに。それは・・・(笑)。私の新神話創りのペースが落ちたのは、そのせいかも知れません。書き続けたくなくなってしまったのです。
弥勒降臨。みなさんはいいことのようにお思いでしょうか。弥勒は建て替えの神ですから、破壊が先にやってきます。ソフトランディングの緩慢さが許されるかどうか。仏陀もこの弥勒には道を譲ってしまわれたのです。
オバマが所説どおり弥勒として機能しそうです。菅も額に疣をつけて弥勒顔をすでに醸しています。世界を破壊してしまう力を発揮するかも。
ではその先にどんな世界がやってくるのか。私はまったく期待しません。むしろ彼らの人口削減計画によって駆逐される側にこそ幸ありと思います。アセンションは字義どおり昇天によって達成されるでしょう。無理して残ろうとする必要はない。無理なく残れるならそれでいい。
身内さんはその後たくさんの六角オーブを撮り続けました。デジカメに自然に写り込みました。その現れ方はやはりマンガチックでありながら、ちゃんとストーリーに乗っかっているのです。
彼女は、何かの神との霊的交わりを果たしたことによる、自らの生んだ子たちだと思っておりました。なぜなら、彼女にとって自分しか関われないUFOだったからです。母体が龍とすれば、子も龍神系になるのはやむをえないことでしょう。たくさんの排卵が一度にあり、それが受精して魂を持つので、無数の命です。この場合は、豊玉姫と山幸彦との交わりです。その子のひとりに弥勒がたまたまいたということです。それはウガヤフキアヘズでもあります。
六角オーブの形は出雲系の神社の御神紋の形でもあります。大国主命(大巳貴命)やスサノヲ神の祭社がすべて六角の亀甲紋です。
武良さんもこの頃、いちどビデオカメラで六角UFOを撮っていて、同じ頃に蛇の空中大量乱舞の映像も撮っていたことから、国津神が勢いづいているとまで表現していたのでした。
そこで彼女は、突然思い立ったようにして、出雲の神社巡りをします。中でも多倍神社での六角オーブは、六角が右側だけ半円になりかけた形で、彼女は直感的に六角から何かが飛び出そうとしているようだと言っておりました。私は六角オーブの中に「剣」の古文字があることを観て、旁の左が亀、旁の右が鶴の象形文字と観てとったのです。つまり、鶴と亀が渾然一体になり(渾って)、いついつ出やるの「籠の中の鳥」がまさに飛び出んとしているわけです。
亀甲紋は出雲系国津神のシンボルみたいですが、もしかしたら、自称天神と名乗る贋天津神族(インベーダー邪神ども)に敗北させられたときに、六角の堅固な結界籠の中に封じられたのかも知れません。それが間もなく破られるというのが、かごめの童歌であるような感もあります。
空海が麻耶天狗を封じた呪術が三角護摩壇法。これは三角の結界の中に閉じ込めてしまうものです。2004年頃には、麻耶天狗が三角からいろいろ変化(へんげ)して麻耶山周辺を飛び回る姿が、私たちのビデオカメラで捉えられていますが、まもなしに解放される喜びを感じとることのできる映像でした。
そしてさらに最近になって、彼女が出雲に行った確実な理由が分かったようなことです。
それは、彼女が奥津嶋姫(沖津嶋姫)の化身であるときに、ホツマツタエの言い伝えによると、大巳貴命が旦那さんになるからです。まずご主人に会いに出雲詣でをし、さらにその後に、霊験として、自らの魂の形(亀甲に花)を横たえて(死を顕わし)横向きの六角オーブとして写真上に顕わし、その翌日、豊玉姫の性質を顕わして、南洋沖縄の海から海原の竜宮に帰ってしまわれたということになります。新神話で受け持たれたすべての神の雛形として、役割を果たし終えられたというわけです。
しかも、タイミングとして、これからちょうど世界が崩壊の憂き目に遭うという、断崖から転落する直前に、列車から降りられたのです。まさに強力な守護神なくてはやれないことでした。こういうタイプのアセンションもあるということでしょう。お幸せに。

新神話最大功労者急逝

思考がまとまらず、あれやこれやと思い巡らすうち、今頃になっての報告となります。
新神話に登場のカンナオビこと身内さんが、この5月15日に水難事故で急逝されました。
それが判明したのは、18日になってからで、ご主人のブログ報告によります。
このこと、ご主人様はいたく落胆されております。私においても人生最大のショックになります。
まだ私のほうは形而上思考力があり、その方向からの合理化的解釈で乗り越えられますが、普通のかたには耐え難い事実に違いありません。無事消化されますよう心から祈るばかりです。
このこと、どう解釈していいのか、ずっと思い悩みました。
いちばんいいのは、千の風になって活在され、地上の有様を見守っておられるということでしょう。それで正解だと思います。
しかしそれだけでは納得いかないのが私で、それゆえ誰にもお話しできないような異界の探偵ぶった話をするようなしだいです。
手がかりのそのひとつ。
おりしも新神話側では、5/15~6/13はキトラ古墳の四神獣復元展示を飛鳥資料館の特別展示室で行うとのことで(この情報は身内さんが寄こされたのです)、この期間における別天への移行の可能性ありの観点から、私は事故や病気に注意していたわけでした。まだ三匹の子猫を育て切っていないものですから、かつてのブログ記事でも頑として抵抗するとしておりましたようなしだい。しかし、急がずともよい大工仕事をして、ちょっとした傷口から侵入したばい菌との戦いに抗生剤点滴と飲み薬を続けること10日に及ぶ格闘の末、何とか克服しました。
そんな矢先に、まさか身内さんが急逝されようとは。人生上、最大のショックでした。キトラの特別展示のまさに初日に亡くなられた(別天に移行された)のでありました。四神獣の特別展示の日どりの予告教唆は、自らの移行の予告でもあったようです。
私にできることは、彼女が今どのような境涯にいるかを推測すること。ですが、それも何通りも思い付かれて、どれが真実とも不実とも判断できないのです。というのも、就寝前に意図しても彼女の夢をまったく見ないからで、与えられる何らかの情報なしでは掴めないからです。母のときとはかなり異なります。
ただひとつだけ、以前からの約束事があったので実行しました。それぞれどちらかが先に死んだときは、死後意識して直ちに相手のところに行き、最寄のコップの中の水に宿る。死を知った側は、コップの水を飲み干すことで、傍に臨在してもらうことができるという約束の手続きを、早速実行してみたのです。すると不思議なことに、彼女がすぐ傍に居て話すような感じでの会話のやり取りとなったのです。が、それもその日一日だけでした。
しかし、会話は赦しと思いやりの言葉に満ちて、心和やかなものでしたから、きっと彼女は私を恨んでなどいないと確信できました。私もいろいろ謝罪したことですし。しかし、一日だけということは、きっと私の心に根ざす世への恨みや悲観的観測に対して、彼女は耐えられないものがあったのでしょう。とにかく私は悲観論にばかり執心していましたから、それまでにも彼女が離れていく理由を蓄積していたようなことでした。
いっぽう彼女は、世の創作作品や美術や映画や劇場鑑賞、南洋の海の美しさを求めての行動に余念がありませんでした。この世の提示する美しいものを見聞きし、醜聞を聞かずして世を去られたことになります。というのは、前記事でも書きましたように、これからの世界は雪崩を打って崩落現象を見せるだろうからです。私との心の質の開きは雲泥ほどのものであったでしょう。神は被造物を愛でられるのみ。人間は被造物に苦しめられるのみ。
そう。彼女は白龍の本身を持つ神なのです。
そこで私はいくつかの合理的な解釈をしました。
彼女は良い方向を向いたパラレルワールドに分岐し去ったのであり、私は元のまま取り残されたのであろう、と。つまり彼女は、破断鉄橋に向かう列車を、最寄の駅で降りたというわけです。それなら、彼女の人生はまだ継続中で、水難事故の経験などしておらず、今頃は元気な旅の報告を自分のブログに入れているのかも知れません。そして今後、世界大戦へと歩を進めそうなこちら側とは打って変わって、何事もない平和な時間が継続的に刻まれている。ふるやの森に予告がありましたようにUFOディスクロージャーがなされ、善良な宇宙文明の介入を経て、邪悪が一掃され、新時代にソフトランディングしていく世界線を辿っている。(とにかく彼女は一人乗りUFOを操縦している夢を見たことが何度かあるので、その時空に転移しているとみられます) 彼女の幸せを祈ると共にそう願いたい。でなければ、あまりにも悲しい話になりますから。
あるいはこうも。
これから私の観測していく世界は、資本主義経済崩壊、戦争へとの足取りのような気が。そんな観測を続けるに相応しくない純粋な彼女でしたから、純粋な美意識を保ったままでこの世の観測を終えたとも解せます。そこには、彼女のハイラーキーの計らいがあったことでしょう。あるいは、トルテック戦士として、自ら世界を組み立てて、そこに去ったかも。トルテックの戦士は、他の動物に変異することもあるそうなので、もしかすると「亀」になって海原を棲家としたかも知れません。神話的には竜宮というわけです。
そしてまた、メルヘンの立場からも予測がつきます。
新神話の側からすると、白龍の役割を果たすために(火の鳥朱雀を先導して邪神討滅に向かう)、朱雀の任に躊躇する私を置いて、模範を示すべく旅立ったと解せます。もしそうなら、私は遅ればせにせよ、行かねばならないでしょう。それは6/13までにあるのかどうか。それとも、待機して、私が逆境下で死んでいく数年先までも待ってくれているのでしょうか。
旧神話(古事記)の側からすると、豊玉姫は山幸彦との間に子供ができて後、海神の性質(八尋鰐)を現して、海原に帰ってしまうという筋が可能性としてあります。写真に写る六角オーブは、女神の子供たちなので、みな国津神を示す亀甲紋型をしているのです。
おりしも、5/14に現地の水族館で撮られた巨大サメの歯形模型と同時に写った彼女のすぐ頭上に、六角オーブが縦長でなく横長に横たわったようにして写っておりました。オーブが分裂しそうに見えたらしく、超常趣味の私がどう思うことだろうといったコメント配慮までなされていました。
ここで私から回答を申しますに、このオーブは身内さんご本人のものであり、豊玉姫はワニザメ(龍)が本身でありますから、そのような場の雰囲気が彼女に、その気に(本身に還ろうと)させてしまったかも知れません。六角オーブが縦長のときは生きていることを表し、横長のときは、死に赴く前にこうなる(横たわる)とも解せます。分裂しそうというのは、同様にこの世からの離脱を示唆するものと捉えられます。彼女は本身に戻って、海原の竜宮に帰還したのでしょう。
また、六角オーブの中は、ちょうど亀甲紋のご神紋の中でも花模様のようであり、これによりどこの神様か特定できました。それは琵琶湖東岸にある大嶋奥津嶋神社のご神紋であり(奥津島姫を祭る。岩座が琵琶湖中の沖の島)、琵琶湖に鎮座する弁天三姉妹の長女の女神様の分霊が身内さんとして化身してきていたと解釈できました。まさに弁天様の分霊で、新神話の設定通りです。
そして、沖の島の頂が蓬莱嶽であり、母のご来光へのムービングロードの通い路を支えて下さっていたのも、奥津島姫のご威徳であったことがわかりました。幾重にも深謝にたえない神様なのでありました。
私が当初、こんなつまらん人生なら50歳までで逝かせてくれ、弁天様とともにおりたい、でなければ二度と生まれたくないから魂を消してくれなどと傲慢にも言ったことの結果として、実際に弁天様が分身を満50になる直前の日に派遣(メール連絡)してくださったと解せました。こんな果報者はいないくらいなのに、最後まで付いて行けず、未だに躊躇逡巡している愚か者が私であります。
今は、白虎の座を満たすべく、子猫たちが逗留してくれています。いつ何時、事故や病気で急逝するかわからないのが猫というもの。ここにも別天を目指そうと思えば簡単にやってのけてしまう存在がいます。
私は大いに恥じて、新神話に命を吹き込んでくれた神々の陰日なたに及ぶご恩に報いるためにも、新神話の創作と補完に努めて参りたく思います。そして、わが魂の消去などの差配は、梵天様に全任いたします。
※ 真実のうちの最高の真実
新時代以降は、過去の時代の歴史がことごとく博物化されていて、その時空連続体はプログラムとして小さなホログラムメモリに格納されています。それはもっぱら教育の用途で見学可能になっています。
新時代からエントリーする魂は、希望する任意の人物にそのスタートからなりきる格好で転生してきます。
教育のためのものですから、ガイド(ハイラーキー(指導霊))がついています。それ以上の経験が必要ないとなれば、途中で退出することも、ガイドの判断でなされたりします。
身内さんは、新時代からエントリーされていました。私もそうです。が、私は未だに教育用ビジュアル装置に座ったままです。そのビジョン(夢)の中で、先ほど身内さんの退席を知ったところです。私もぼちぼち退席しなくてはならないかな、といったところ。でも、もうちょっと。
参考になるSF話はここにあります。⇒https://rainbow.xn--kss37ofhp58n.jp/story/tenjobito5.htm あらゆる生き物に魂が宿りうるわけです。三匹の猫の魂も新時代からエントリーです。あなたはどうですか?
2010.5.30 記事追加
人間の身では何十億の衆生の中に埋没してしまい、未来史をリードするなどということは到底できるものではありません。新神話にそれができるように見えるのは、神話の神々の力を雛形としての一身に帯びることができてのことです。
しかし、人間の身を辞して、元の神としてその気になって動いたなら、大きな力が発揮できるはずです。
身内さんは、弁天様の分霊で元の身は白龍です。世界が雪崩を打って崩壊に瀕しようとしているとき、それを食い止める働きを開始されたかも知れません。
ベンジャミンさんのブログの最新記事になる二記事ほどは、邪悪な世界勢力に対抗して、東洋の黒龍会が白龍会と名を改めて、世界の崩壊に待ったをかける動きに出始めたことを伝えています。
私は、その背後に身内さんの絶大なパワーを感じるようなしだいです。
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米連銀のバーナンキ議長が「米連銀には資金がない」と白龍会のメンバーに告白 5/27記事
しかし、白龍王の神社の発見が白龍会への改名に繋がったというのはびっくり。また、この神社が入り口をすべて閉ざしているというのは、封印の解かれるのが畏れられてのゆえであり、移情閣の閉ざされた扉と同じような呪封が施されていたと解釈されます。