前の記事の続き・・・この山奥に来る少し前に見た夢

私はよく、予知夢やら、あかの他人の視座に入って体験する夢を、なにげなく、まったくノーコン的に見てしまうのです。むろん、自分自身の視座であったりもするのですが、そのときはちょっと超人的な体裁をしていたりします。
むろん、夢の中でのことですから、本当かどうかは、「信じるか信じないかは、あなた次第です」の話なのですが、私はあとで、ああ、あのときの夢は、こういうことだったのか、と回顧できる場合がほとんどなのです。
だから、私は自分のことですから(バカボンの語ったもうひとりの自分の経験かも知れないし)、信じてますし、信じてあげなきゃいけないでしょう。だって、「自分とふたりで生きていくのだ」に気づいたからです。
きっと、このバカボンの言葉に辿り着かせたのも、もうひとりの自分だとすれば、今までのシンクロの不思議経験は、顕在意識ではない私の自分さんが導いてきたことかも知れないわけでしょう。
いったいこのもうひとりの自分って、誰だろう、いっぱいヒントが与えられてきたわけですけど、それによってどんどんわかってくるような、わかっていいのかどうかもわからないような。
さて、昨日もUFOや宇宙人の研究をライフワークにしている関東のある人(旧友なんです)と話するうちに、彼が私の夢体験に興味を持ってしまわれて、私のいろんな夢体験について話をしたのです。
彼の質問・・・宇宙旅行したような夢を見たか
それらしいのは、たったひとつだけど、火星だという認識しながらの夢に、古代ギリシャ風の衣装(白い布とオリーブらしい冠をした)導師のような人物が、私の視座の人物に、右のほうを見よ、と指示されて、「ああーっ、ポ、ポースの丘だ」と叫んだという夢。私は導師のほうを見ているから、そっちに何があるかわからない。しかし、導師の向うに、赤茶けた砂塵舞うなかに、ピラミッドが二つ重なり合って見えている。そして目が覚めた。
もうちょっと夢見が長かったら、その方向も見たのだろうけど、視座の人が言った、ボースの丘がどんな光景なのかは不明なのです。
いつも思うんですが、夢は「後で考えさせるように見せられている」感じがあるのです。
もうひとりの自分のなせる業なんでしょうか。
私が想像するに、きっとその方向には、火星の人面岩があるんじゃないか、というのが推測なんです。そしてそれは、ボースなのだから、ギリシャ神話のポセイドンという神で、それにちなむ記念の丘ではないか。
ポセイドンは海の神様です。しかもアトランティスの神だとも言い伝えられている。
夢に見たその当時は、火星は太古から砂漠で海などないと言われていました。ところが今では、かつて火星には広大な海があったという説が有力になっているでしょ。
私の夢は、一歩先をゆく内容を先んじて見ているようなのです。ここに書いていましたね。
こんな話しして興味を持たれました
質問者の彼は、その話に驚嘆していました。
それ以外にも、最近、かつて見た幽体離脱後の夢に見た、現在の私の予知夢の視座になる人物がとうとう現れた話もしました。それはオバサンだった。私はオバサンの視座に入った夢をむかし見たことになると。ここに書いてます。
とうとう現れました・・・予知夢に見た視座になる人物か?
それにも驚嘆されてましたね。
それ以外にも、金正日の側近の視座に入って、金さんを見ている夢の話とか。
そうだ、韮澤さんの自宅で書生さんらしき人の視座に入ったリアルな夢も。
これを今度話してあげれば喜ぶだろうな。
さて、前置きが長くなりました。
私が今日の記事で話したかったのは、この山奥に移転してくる前の三木市で見た夢なんです。
どこか見知らぬ家の中が出てきて、間取りが3DKで、部屋が連なっていて、廊下がその三部屋に沿ってあるのです。
いちばん左の部屋に、なんと、祖母がコタツに入って、コタツ台に置かれたテレビを見ている。
すぐ右の部屋(真ん中の部屋)には、なんと、父が同じようにコタツに入っていて、コタツ台上のテレビを見ている。
そこに私の後ろから、母の声がした。(何を言っていたか忘れちゃいました)
そのような夢だったのです。
ところが、今の山奥の家は、まさにそのような配置の3DKで、むろん祖母と父と母がいるわけはない(みんな亡くなっていますから)。
ところが、最近、黒猫ブーが、寒くなってきたからか、真ん中の部屋の上に作った回廊棚の猫ベッドで夜中、密かに帰ってきて寝ているのです。
そして、ブーはお盛んでして、父に似ている。A家のほうで子供を作っていて、Aさんからも、そのように言われている。
極め付け的証拠は、ななな、なんと、A家の黒猫の子猫の中に、白猫チンの尻尾(?型に固まった尻尾)をした子猫がいるのです。
ああーっ、同じ親の遺伝形質が、みごとに現れているではありませんか。
ブーフーウーは黒1白2だったけど、同一母の兄弟なんです。
Aさんに、私が亡きあとは、備蓄してある猫の餌をみんな差し上げる約束を、こないだしてきました。なんとAさんは、恵まれない猫たち(20匹もいる)のために、毎月の食費が3万円かかっているそうです。
もとはと言えば、この猫たち、「桃源郷」という屋号の別荘で飼われていた猫で、その飼い主が亡くなったため、相続親族が放り出してしまったのです。
なにか、楽園追放になったユダヤ人の祖先のようではありませんか。桃源郷とは、中国版のエデンの園なんです。
それからこの民族(猫)は苦労したか、狡猾になり、長老格は妖術すらもマスターして、私がブーフーウーの子猫時代に、悪戦苦闘したことは、もう懐かしい思い出になっています。
どうやら、当時、私の家に帰化してきたかった、石松とミケは、祖父と祖母の化身のような気がするのです。石松はミケと夫婦で、夢にまで見せて帰順の意を伝えてきて、彼らはほんとうに必死だったようです。
ミケに、夢に出てきた部屋に入らせたのは、たった一回でしたが、トンの筆下ろしをさせたり、懸命やったなあと、いま振り返ります。
ブーは大人になってから、ミケら一族と仲が良くなり、むこうで暮らすことが大半になり、食事だけしにこちらに戻ってくるようになり、私は、寝床もこちらにしなさいと諭すようになってから、ブーに思いが通じたか、真ん中の部屋で寝るようになりました。
そう、その部屋は、父がコタツに入っていた夢の部屋です。
ブーを最近、私は「おとうちゃん」と呼んだりしています。
ブーは猫としての本分をちゃんと勤勉に果たしています。それは、生前の父ちゃんとそっくり。
まるで、父ちゃんが、ブーの視座に入ったかのような、最近の事情です。
では、祖母は。結局、ミケを居つかせることはありませんでした。そのミケももう目が見えなくなったと聞いていて、きっともう死んでいるように思います。(その後を聞いていない)
しかし、いちばん左の、祖母がコタツに入っていたあたりの場所に、不思議なことに、大きなジョロウグモが営巣していて、それこそじっとして暮らしています。
はじめジョロウグモは、神棚の前に営巣しようとして、私が神棚の戸を開けるのに邪魔そうにしているのを察知して、当たり障りのない向う側に巣を張ったのです。それはもう、なにかわかっているふうでした。信仰心篤い祖母のこと。
祖母はきっとジョロウグモの視座から、私の寝起きしているのを見ているのだろうと思います。
だってねえ、私は祖母を待たせてしまっているようなのです。
これは、祖母をテーマにした物語です。祖母の話をもとにしています。
https://rainbow.xn--kss37ofhp58n.jp/story/tatueba.htm
どうか、読んでみてください。
祖母を幽界の里で待たせてしまっているようなのです。
今年の5月20日未明にこんな夢を見ています。
https://rainbow.xn--kss37ofhp58n.jp/souko1/e-dream.html#20
はやく行ってあげねば。
私が創る物語は、新神話も含め、形而上的実現力がそうとうなようですから、あー困った困った。
では、クモになったと思しき祖母を。

かつてジョロウグモは、カンナオビ(身内さん)の視座になったりして、
https://www.youtube.com/watch?v=qw9RS8DuxB0
どんな生き物もすごい活躍をしているのがこの世界であると、私は実感しています。

オバサン昨日は炊き込みごはんと肉ジャガを・・・

やれやれ。こんどは掲題の食事を、まあまあ、別人に持たせて、届けてくれました。
晩御飯用なわけですが、腹いっぱいになっちゃったよ。
うちには消化せなあかん古い食料が残ってて、ちょっとずつ食べてるんで、
食べるに困ることはないのです。
逆にこういうことになると、また人づきあいでしんどいな、とならないかと懸念。
しかしどうも、オバサンに私の母ちゃんがかかってる感じもあって、いちいちのお小言が
うれしくもあるのです。
まさか、みんなを待たせてしまってるのかなあ。
もひとつ不思議なシンクロ的な夢を、ここに来る直前ぐらいに見てまして・・・。
それはまた今度書きます。

驚き桃の木の連続・・・オバサンの玉子焼き

一昨日に、大きな犬連れのオバサン(私より四つ年下)が、むかし見た予知夢と同じ質問をしてこられた話をブログに書きましたが、
もっときれいにしなさいとお小言を頂戴したことも書きましたよね。
その方がまた今日も犬連れてやってきて、なんと玉子焼きを作ってきてくれたのです。
ひとつのパッケージに大きく二つに分けて入れてあり、昼と晩に分けて食べなさいと指図するくらい、慣れてしまわれているのですが、
それをお昼に食べてびっくり、
むかし、私の母が作ってくれた玉子焼きの味そのものなんです。
この甘さ加減。作り立ての温かみ。どんぴしゃの味。母の味。
むかしのことが走馬灯のように思い出されて、とめどなく涙が・・・。
小学生のころから高校生のころまで、この味を食べていたことを思い出して、母ちゃん!!と、思わず叫んでしまいました。
そういえば、昨日は昨日で、ふたり母の話を書きましたね。
もしかしたら、今は亡き現実の母が、向うから応援の贈り物をしてくれたような気がしました。
いや、きっとそうです。
私の視座になった人物(オバサン)に、今度は母がかかって、玉子焼きを作ってくれたみたいな気がします。
母ちゃん、ありがとう。オバサン、ありがとう。
今度は、神世の母上と叔母上に、私が玉子焼きを作って食べさせてあげたいです。
きっと、このすごい味を知らないだろうから。

むかし見た夢(3)・・・幽体離脱後の予知夢

あれは幽体離脱をよくやっていた頃に、幽体離脱して自分の意志でどこかへ行こうとして見たときの夢です。
時期が特定できていて(といっても日付は不明)、1991,2年頃のことです。
どうして幽体離脱が頻発したかは、たぶん当時はマンション住まいで、その立地に理由があったかも知れません。
というのも、そこは神戸大学の工学部かの学舎跡で、私が子供の頃には、レンガや石ころなどの瓦礫地帯だったのです。
つまり、戦後の焼け野原で、大学学舎も被害に遭ったのでしょう。焼夷弾でそうとう人数が亡くなっていそうな所です。
そこが早いうちに造成されて、また何度か建て替えされて、阪神大震災の数年前にはマンションになっていたのです。
私らは、そこを購入し、私だけが単身で住んでおりました。
そのときに、幽体離脱なるものが頻繁に起きること。
仕事が不規則勤務だったこともあり、なおのこと、睡眠障害のようなこともあったのかと思います。
症状としては(病気じゃないんだけどね)、まず意識が朦朧としている時に、頭の中に鳴っている電磁音(シーンと表記されるやつ)が、いきなり振動数を減らして、バリバリバリバリというヘリコプターの爆音のような感じになって、俗に言う金縛り状態になるのです。
何度も起きていると、寝てる最中にも、あっこれは来るな、と思った瞬間に始まるのです。そして、慣れてくれば、しだいに爆音の程度もまろやかになるのが常で、しばらくぶりだと、程度がひどくなったような。つまり、慣れるということは、何においても必要かなと思うわけです。変な話ですが。
しかし、私には、そうした恐怖体験も、なぜか後で、いい啓発になったなあと思うことばかりなのです。
しかも、一度として、(よく他人が遭遇するという)幽霊などに遭遇したことがない。だから、自分だけでしている自発行動なのだからという思いなもので、さほど恐怖がないのです。あの変な爆音と金縛り以外は。それも慣れれば、ああまたか、というだけのこと。
そして、金縛りになった後で、慣れてくれば、縛りを破ってみようという気にもなって、実際何度も試しました。
まず抜けるのが簡単なのは、腕です。右腕を抜いてみる。力をかければ抜けるのです。そして、抜けたはずの腕と手を、天井に向かって見開いている目の前に持ってくるのです。
すると見えないのに気づきます。つまり幽体だからなんでしょう。
しかし、よく見ると、視野の真ん中付近では見えないけど、視野の周辺部で(真ん中を中心としたぐるりですね)、うっすらと手指の輪郭が出ているのが見えるのです。そんな特技のできるのは私だけかも知れませんがね。
何度やっても同じです。腕を目の前に持ってくれば、そのまんまの輪郭です。脳の中で勝手な想像で、幻視しているかどうかはわかりません。
そして、何度目かの離脱の時には、手がどこまで伸びるか、電燈の傘の裏を触るとか(寝ていてですよ)、壁を突き抜けて隣室の床を触ってくるとか。いろいろ試すと、全部オーケーでしたね。(これも脳が作る想像の幻影といえばそれまでなんですが)
その延長で行けば、身体を全部脱け出させさえすれば、どこでも行けそうじゃないですか。実際、そうしてみたのです。
腕の抜けが習熟すれば、全身もすぐにコツが掴めて、最初はまるでゴム糊を身体から引きはがすような感触を醸して脱け出したものも、何度もやっているうちに、するりとぬけるようになるのです。むろん、私だけかも知れませんよ。
そんな幽体離脱後のある夢に、私の現在を予見したような夢を見ているのです。
幽体離脱後の夢というのは、いっしゅ明晰夢というものであり、しかも意識を持ちながら見ているわけなので、夢のコントロールが、出だしのあたりまでは、効くのです。
それからいつしかコントロール不能の通常の夢になっていくのですが、それでも明晰夢は続いていて、記憶にしっかりと残っているものなのです。
明晰夢はやはり、原色に近い鮮やかさです。
そして、いっぱい象徴化されていても、予知夢だったと後で気が付くような「観方」をしているものなんですね。
この夢も、象徴化されてはいたものの、予知夢だったと今になってわかる夢だったのです。
その夢には、見たことのない場所があって、普通の光景のようなんですが、緑がこの世に比べて鮮やかで、そんなときに、建物の陰から、いっぷう中国風の仙人のような風貌の人が前に立ちはだかりました。
私は、相手が術者と感じて、なぜか彼に対して、手印で対抗してしまったのです。
そこから、建物をすり抜けて(幽体だから簡単ですわね)、どこか見知らぬ土地に行くわけです。
最初は馬とロバにまたがった二人連れに、まるで西部劇の背景のようなところで出会い、そしてさらに先を行きますと、森の中にきれいなせせらぎがあって、それに沿って花が(チューリップのような)が咲いていて、流れを覗けば、空の色(藍色よりも濃い)を反映して、太陽がせせらぎの波に揺れておりました。
真っ白な太陽が出ているのに、空は濃紺。まるでヒマラヤの山上から空を眺めればこんな色かと思うような、高高度地からの空なんですね。
そして、さらに行きますと、小高い四角いビルのような小さめの建物がいくつかあって、そのすべてが、灰色の苔がむしているのか、建物の外側にそれが丸みを帯びながら垂れ下がっているのです。
と、見ていますと、向こう側から上がってくる人がいました。手に、植えものの鉢を持ちながら。そこで、ああ、これは屋上緑化なのだなと思いながら見ていまして、そしてこちら側から声をかけたのです。
「いつごろからここにおられるんですか」と。
するとその人物は、「ずいぶん前からここにいます」と応えてくれたのです。
その人物は、こげ茶と黄色系のチェック柄セーターを着て、メガネをかけ、ベレー帽を被った、私によく似た顔をしていました。
そして、目的のものが見終えたのでしょうか、そこで目が覚めたのです。
私はいま、山奥の別荘に転居していますが、ここにきて造作する楽しみを見つけ、次々と倉庫兼プランター鉢物置き場を作っていて、この映像のような状況にあります。
それはまるで、夢に出てきた建物のようではありませんか。苔むして周囲に垂れ下がった状態の灰色のものとは、UVシートだったのでしょうか。確かに屋上緑化のお触りのようなことをしています。
そして、せせらぎのあった光景の場所も、昨年の他所の車にうちの猫が乗っかって騒ぎになったときに、猫の移転先にと購入した廃屋つき土地に、せせらぎがあり、しかも廃屋に上る階段がそのせせらぎをまたいでいるのです。
もう少し、土地の雑草などを刈り取り、ちょっと手を加えれば、せせらぎ沿いの花も夢ではないでしょう。
しかし、それが達成できるかどうかは、ちょっとわかりません。
もう心臓は限界ですし、それに空の色が高高度的ですから、きっと異次元の世界かと思います。
そして、夢を前に辿るなら、仙人のような人物と、出会うことになるでしょう。
その方は、新神話では、趙先生と書いています。新神話第九章(左欄に電子本あります)に出てきます。ネアンをセコンドする人物です。
その方に遭うのは、私の死後の魂が、ということになるでしょう。そして、最低限できれば、夢の中の世界に遊びたく思います。先生のもとでもっと修行をしたいし。
もっと欲張るなら、カンナオビやウーちゃんやフーちゃんやチンちゃんたちと一緒に居たいね。むろん後追いしてくるブー、トン、シャンともね。
みんなで新しい世界を創るんだ。子供の頃におままごとして遊んだ世界みたいにね。

むかし見た夢(2)・・・いつかきっとくる日の予知夢か

咳き込むことが多いんだけど、さほど苦しくないのです。
肺の全量使って、めいっぱい吐き出して、はた目にはいかにも苦しそうに見えるけど、
本人はさほど気になっているわけではないのです。私だけかも知れませんが。
しかし、消耗はしているようです。
もうそんなに長くはないことが自分でもわかりますし、それにそろそろ逝ってあげなくてはならないなと思うようにもなっているのです。
というのは、むかし見た夢に、根拠がありましてね。
あれは私がまだ30代の頃でした。私はほんとうにたまに、よく憶えておれる夢をみることがあり、この夢はそのような印象の強い夢だったので、今の今まで詳細を憶えています。
そのような夢に共通するのは、色が鮮やかなことと、何でーという手の夢ですね。
これはかつてあったブログや掲示板でも、一度ずつは書いたことがありますし、新神話にも、超常体験談にも記しているため、また書くのは面倒でもあるのですが、これは今の時期を予見していたかのような夢であるため、改めて検証しながら書くことにします。
その夢とは・・・
何かの催事場に正装して参ったのですが、その入り口でパンフレットをいただくのです。
そこで係員の女性から手渡されたパンフレットの表には、「天帝様へのお会いのしかた」と書いてありました。
たったひとりでそのまま通路から向こう側に出ますと、大きなグランドでした。
といっても、野球場か円形競技場といった感じで、私はグランドの真ん中に行くと、どういうわけでそうしたのか、私は手に持っていたパラソルを開いて、その浮力で天に 昇っていこうとしているのです。
タキシードで頭にハットを被り、手にパラソルですから、まるでマンガのセーラームーンのタキシード仮面のようでありますが、その当時あのマンガがあったもの かどうかは不明です。
と、その前に、右側ですから一塁側観客席ですか、に、けっこう太目の白銀に輝く十字架がたくさん重なり合うように、観客席を埋め尽くしていたのです。
それを横目にしながら、私は上を向きますと、空は若草色(薄青緑:: 映像の露出を加工したときになるような)に、和紙のようなうす雲がかかり、私は上空へゆっくりと揚がっていき ます。
空からは微妙なコーラスらしき音もしています。
と、中空まできたとき、私はまだ行くべきときではないと思い出して、上昇を止めたのでした。
そのとたんに、目が覚めてしまいました。
夢の内容としては、たったこれだけのことだったのですが、その風変りな光景ゆえ印象を強く憶えていたので、深く知り合った人にだけは話すこともあったのです。
風変りな光景。それは野球場にしろ競技場にしろ、私はスタンド側から一度も入ったことがないのに、それらしい入り方をしたことと、キリスト教徒でもないのに、鮮烈な銀白色に輝く十字架群を目にしたことです。
朝日に照り輝いていたかのような。しかし、あれは墓場で見るような分厚い白い十字架のようでしたね。それが観客席の一席ごとに整然と列をなして置かれていたような感じでした。
さあそれから後日になって、といっても十年ちょっと前ということですが、その夢の話をさせてもらったのですが、即座に折り返すように衝撃発言が・・・。
その方は、ある精神修養の道場で同席したことがある、アメリカ人のベティさんという女性が、かつてロサンゼルスのスタジアムの外を車で 通行していたとき、スタジアムの中からたくさんの十字架が空に向かって揚がっていく様を目撃(たぶん幻視でしょう)したという話をしてくれたというのです。
ええっ、それならあの夢で見た球戯場というのは、ロサンゼルスのスタジアムだったのか?
いきなりのシンクロ話ですから、私も短絡的にそう結び付けて考えたわけでした。
後にも先にも、そんな話、遭遇したりしませんでしたし。
それに、夢の世界ですから、象徴的に何か必要なことを啓示されたとすれば、何も近場にある野球場である必要はありません。
そして、憶えておけるほどの夢ならば、それ自体に意味があるわけでしょう。
今回は、夢見から20年近く後の、後日照合話のために、布石されていたとも言えるかと思います。
その精神道場というのは、断食道場と言い、兵庫県高砂の高御位山の下麓にあるとのこと。
どんなところか、そのあたりまで私も行ったことがありますが、昔話をしにいくわけにもいか ず、その程度で終わっているわけです。
ところが、その地は大昔にウシトラノコンシンを奉祭した九鬼氏の本拠地だったというのは、後に知ることになったようなことでした。
ただし、私は大本教の信者でもなく、ただ 通りすがりの部外者であります。
「天帝様へのお会いのしかた」というパンフレット。そして場内一塁側観客席の白光した十字架群。
天帝様とは誰なんでしょう。
十字架群たち(きっと霊でしょう)はみんなあのパンフレットにある天帝様をキリストと信じて行かれるのでしょう。
まあ、あのときの夢では、私と十字架群は別行動するようでしたから、どこかでルートが異なることでしょう。だって、私はキリストとキリスト教を信じているわけではないので。
ただ言えるのは、私の方が先に行くのだろうとは思います。
つまり十字架群を私が先導するのか、それとも単に時間的に先になるのかの違いですがね。
もし私が先導して、みながついてくるなら、私は十字軍ならぬ、十字架群を率いることになりますか。下手な洒落ですかね。
それに、ものみの父さんなどから黙示録の話を聞くとき、キリスト教徒は、神様、いったいいつまで待たされるおつもりですか、とやりきれない気持ちで待っておられるそうですね。
私もいい加減うんざりしてますよ。なんでこんなに来るっちまったんだろうとか。
きっと今の心境は、彼らと同じかもしれません。
だったら、一緒に行きましょうかということなのかもしれませんね。
ただ、ロス地震が起きても、私の方がすでに先に逝ってることになるでしょう。
夢の順序からすれば、私が先ですから。ここはトップとらせてもらいますよ。
だって今まで、一番になったことがないんだもん。
ま、それも、いずれもう間もなくのような気がしますが、みんな私がストッパーに回っていたのだとすれば、彼らに対して申し訳ないということもありますし。
だって、私と同様(ん?ほんま?)彼らは真面目な正しい人たちですからね。
そろそろ堰を切って差し上げねば。
咳が出るのはそのせいかな。
なんて、また洒落で誤魔化したりして。
ああ、それにロス地震なんて書きましたけど、地震、雷(戦争)、火事、おやじ(噴火)とありますから、一概に地震というのもナニですが。