あれは幽体離脱をよくやっていた頃に、幽体離脱して自分の意志でどこかへ行こうとして見たときの夢です。
時期が特定できていて(といっても日付は不明)、1991,2年頃のことです。
どうして幽体離脱が頻発したかは、たぶん当時はマンション住まいで、その立地に理由があったかも知れません。
というのも、そこは神戸大学の工学部かの学舎跡で、私が子供の頃には、レンガや石ころなどの瓦礫地帯だったのです。
つまり、戦後の焼け野原で、大学学舎も被害に遭ったのでしょう。焼夷弾でそうとう人数が亡くなっていそうな所です。
そこが早いうちに造成されて、また何度か建て替えされて、阪神大震災の数年前にはマンションになっていたのです。
私らは、そこを購入し、私だけが単身で住んでおりました。
そのときに、幽体離脱なるものが頻繁に起きること。
仕事が不規則勤務だったこともあり、なおのこと、睡眠障害のようなこともあったのかと思います。
症状としては(病気じゃないんだけどね)、まず意識が朦朧としている時に、頭の中に鳴っている電磁音(シーンと表記されるやつ)が、いきなり振動数を減らして、バリバリバリバリというヘリコプターの爆音のような感じになって、俗に言う金縛り状態になるのです。
何度も起きていると、寝てる最中にも、あっこれは来るな、と思った瞬間に始まるのです。そして、慣れてくれば、しだいに爆音の程度もまろやかになるのが常で、しばらくぶりだと、程度がひどくなったような。つまり、慣れるということは、何においても必要かなと思うわけです。変な話ですが。
しかし、私には、そうした恐怖体験も、なぜか後で、いい啓発になったなあと思うことばかりなのです。
しかも、一度として、(よく他人が遭遇するという)幽霊などに遭遇したことがない。だから、自分だけでしている自発行動なのだからという思いなもので、さほど恐怖がないのです。あの変な爆音と金縛り以外は。それも慣れれば、ああまたか、というだけのこと。
そして、金縛りになった後で、慣れてくれば、縛りを破ってみようという気にもなって、実際何度も試しました。
まず抜けるのが簡単なのは、腕です。右腕を抜いてみる。力をかければ抜けるのです。そして、抜けたはずの腕と手を、天井に向かって見開いている目の前に持ってくるのです。
すると見えないのに気づきます。つまり幽体だからなんでしょう。
しかし、よく見ると、視野の真ん中付近では見えないけど、視野の周辺部で(真ん中を中心としたぐるりですね)、うっすらと手指の輪郭が出ているのが見えるのです。そんな特技のできるのは私だけかも知れませんがね。
何度やっても同じです。腕を目の前に持ってくれば、そのまんまの輪郭です。脳の中で勝手な想像で、幻視しているかどうかはわかりません。
そして、何度目かの離脱の時には、手がどこまで伸びるか、電燈の傘の裏を触るとか(寝ていてですよ)、壁を突き抜けて隣室の床を触ってくるとか。いろいろ試すと、全部オーケーでしたね。(これも脳が作る想像の幻影といえばそれまでなんですが)
その延長で行けば、身体を全部脱け出させさえすれば、どこでも行けそうじゃないですか。実際、そうしてみたのです。
腕の抜けが習熟すれば、全身もすぐにコツが掴めて、最初はまるでゴム糊を身体から引きはがすような感触を醸して脱け出したものも、何度もやっているうちに、するりとぬけるようになるのです。むろん、私だけかも知れませんよ。
そんな幽体離脱後のある夢に、私の現在を予見したような夢を見ているのです。
幽体離脱後の夢というのは、いっしゅ明晰夢というものであり、しかも意識を持ちながら見ているわけなので、夢のコントロールが、出だしのあたりまでは、効くのです。
それからいつしかコントロール不能の通常の夢になっていくのですが、それでも明晰夢は続いていて、記憶にしっかりと残っているものなのです。
明晰夢はやはり、原色に近い鮮やかさです。
そして、いっぱい象徴化されていても、予知夢だったと後で気が付くような「観方」をしているものなんですね。
この夢も、象徴化されてはいたものの、予知夢だったと今になってわかる夢だったのです。
その夢には、見たことのない場所があって、普通の光景のようなんですが、緑がこの世に比べて鮮やかで、そんなときに、建物の陰から、いっぷう中国風の仙人のような風貌の人が前に立ちはだかりました。
私は、相手が術者と感じて、なぜか彼に対して、手印で対抗してしまったのです。
そこから、建物をすり抜けて(幽体だから簡単ですわね)、どこか見知らぬ土地に行くわけです。
最初は馬とロバにまたがった二人連れに、まるで西部劇の背景のようなところで出会い、そしてさらに先を行きますと、森の中にきれいなせせらぎがあって、それに沿って花が(チューリップのような)が咲いていて、流れを覗けば、空の色(藍色よりも濃い)を反映して、太陽がせせらぎの波に揺れておりました。
真っ白な太陽が出ているのに、空は濃紺。まるでヒマラヤの山上から空を眺めればこんな色かと思うような、高高度地からの空なんですね。
そして、さらに行きますと、小高い四角いビルのような小さめの建物がいくつかあって、そのすべてが、灰色の苔がむしているのか、建物の外側にそれが丸みを帯びながら垂れ下がっているのです。
と、見ていますと、向こう側から上がってくる人がいました。手に、植えものの鉢を持ちながら。そこで、ああ、これは屋上緑化なのだなと思いながら見ていまして、そしてこちら側から声をかけたのです。
「いつごろからここにおられるんですか」と。
するとその人物は、「ずいぶん前からここにいます」と応えてくれたのです。
その人物は、こげ茶と黄色系のチェック柄セーターを着て、メガネをかけ、ベレー帽を被った、私によく似た顔をしていました。
そして、目的のものが見終えたのでしょうか、そこで目が覚めたのです。
私はいま、山奥の別荘に転居していますが、ここにきて造作する楽しみを見つけ、次々と倉庫兼プランター鉢物置き場を作っていて、この映像のような状況にあります。
それはまるで、夢に出てきた建物のようではありませんか。苔むして周囲に垂れ下がった状態の灰色のものとは、UVシートだったのでしょうか。確かに屋上緑化のお触りのようなことをしています。
そして、せせらぎのあった光景の場所も、昨年の他所の車にうちの猫が乗っかって騒ぎになったときに、猫の移転先にと購入した廃屋つき土地に、せせらぎがあり、しかも廃屋に上る階段がそのせせらぎをまたいでいるのです。
もう少し、土地の雑草などを刈り取り、ちょっと手を加えれば、せせらぎ沿いの花も夢ではないでしょう。
しかし、それが達成できるかどうかは、ちょっとわかりません。
もう心臓は限界ですし、それに空の色が高高度的ですから、きっと異次元の世界かと思います。
そして、夢を前に辿るなら、仙人のような人物と、出会うことになるでしょう。
その方は、新神話では、趙先生と書いています。新神話第九章(左欄に電子本あります)に出てきます。ネアンをセコンドする人物です。
その方に遭うのは、私の死後の魂が、ということになるでしょう。そして、最低限できれば、夢の中の世界に遊びたく思います。先生のもとでもっと修行をしたいし。
もっと欲張るなら、カンナオビやウーちゃんやフーちゃんやチンちゃんたちと一緒に居たいね。むろん後追いしてくるブー、トン、シャンともね。
みんなで新しい世界を創るんだ。子供の頃におままごとして遊んだ世界みたいにね。