前に縁の下でノラ猫が産み落とした縁猫”たまろ”(オス)が二日と七時間の命を閉じました。生まれた縁の下に彼の簡素な墓があります。
その顛末を聞いたかつての職場の同僚が、もうすぐうちの猫がお産するので、オスを一匹あげるというので、よろしくということにしていたら、なんと、二匹のもらい手に予定していた人が断ったため、余分に頼むということになりました。
それでも、オスで二匹までだとしていたのに、11月6日に三匹連れてまいりました。しかもオスかメスか分からないなどととぼけたことを・・・。(生後一日で分かるものなのに)
結果、三匹ともメスだったというしだい。はかられたといいますか・・・。しかし、ここの門をくぐった限り、縁猫に違いなく、しかもなんとまあかわいらしいこと。よし、まあいいとも、と承諾したようなことでした。
ただ、条件はたまろのときよりは安心できて、たっぷりと母猫の乳をもらった生後1ヶ月ほどの子猫となっておりました。(そこまで保留しておいてもらった) すでに目は見え、乳歯も生えています。子猫ミルクと離乳食の併用といった段階。
しかし、彼女らにしてみれば、悪いあきんどにかどわかされて、この小屋にやってきたといった観あり。三匹がこたつの隅にくっつきあっていたのでございます。
それを母猫以上の思いやりをと心がけていましたところ、なんとか母猫と見間違われるほどになりましたでしょうか。いや、ときどき彼女らを、ちょっとした不注意で驚かせて、また警戒させてしまうということを何度か繰り返しているような・・・。まだまだ、替え玉にもなれない私でございます。
ブー(黒のブラックからブー) 当初体重 440g それが今 500g
フー(白のホワイトからフー) 当初体重 425g 480g
ウー(白のメスからウー) 当初体重 405g 450g
排尿とうんちもこなしています。
ただ問題は食事です。離乳食として水煮サバ缶をつかったもので、これ以外への妥協がなくなっています。子猫ミルクとサバ缶。そこに固形の猫エサの出る幕はまだこないというわけです。これからもずっと?・・・ああ。
不思議なのは子猫たちの生態です。
勝手に、フーを真ん中としていますが、これが三匹のお姉さん役を、誰に言われるともなく、務めているのです。落ち着いていて、どこか淋しさと憂いをもった、不可思議猫です。左目の下にほくろのようなものがあり、人間にもこんな女性がいるような感じがします。
ブーはただ楽天的でおちゃめで、その姿もぬいぐるみのようで、まさに彼女らの中でも、競争の闘争からは除かれている感があります。
ウーは、別に末っ子だったといったことではなくも、末っ子的でおてんば、身軽なせいでしょうか。私の顔に一番先に到達。私の初キスを受けて以後、私の顔を見ると、まるで催眠術にかかったように、眠りこけてしまいます。
さてそのような、五つ子のうちの三姉妹ですが、これに名をつけてくれたのが、マメさんなのです。
ふと思いついたように、童話の三匹の子豚の名を書かれたのでしょうが、その・ふとした思いつきが、意外と異界からのメッセージだったりすることを、しばしば経験させられているのが、この私です。
ブーフーウー。それは、もうお気づきかもしれませんが、暴風雨(ボーフーウ)との絶妙の語呂なのです。異界交信はこのような暗号でやってくることは、皆さんならご存知ですね。
この森野は、いつかきっとさんの異界交信で、「台風」とのこと。台風はスサノヲの形容ともなっています。そして、”たまろ”が死後、豪雨となり、人工的に画策された南房総地震を止める働きをしたと、私は心得ております。
森野は台風、子のたまろが豪雨、次の子のブーフーウーが暴風雨というわけで、これだけ揃えば、日本列島を震撼させるラインダンスも踊れましょう。ただし、地震封じ。
スサノヲの物実によってできたのが三姫、タギリ姫、タギツ姫、サヨリ姫という水の神といった具合に、これまた神話にも則っている展開となっていて、しかるべくして三匹のメス猫となっているわけですね。
カテゴリー: 不思議の奥山なのだ
たまろ(子猫)亡き後、いろいろ不思議現象がまたぞろ(映像集)
子猫が存命中はいっさい壁鳴りがしなかったのに、また再開してしまい、いよいよ原因究明しようとしましたが、また五里霧中となったもようです。
というのも、まあ次のビデオを見てください。
いわばメルヘンかポエムの世界です。森の小人の妖精が、夏の暑い盛りに、チェロかビオラでも弾いてたんでしょうか。
また、当地のミツバチはとてもなれなれしいといいますか、花には目もくれず、私に急接近してくるのです。
目当てはなんなのか・・・。きっと私のかもす芳香が彼らの感覚を狂わせてしまったのでしょう。そうとしか思えないようなミツバチの行動が始まるのです。
どうです。ミツバチ、見えましたか?
不明というなら、さらに後日撮った次のビデオもどうぞ。原因がよくわかります。
なに?まだわからない? うーん。だめだなあ。
仕方ない、これなら。さらに後日のビデオ。ここまできたら、不思議を通り越して怪奇映像となりますが。
ご当地ミツバチの不思議はそれぐらいにしておいて、次も似てますが、今度の主役はアント君です。
家の中に迷い込んだ大アリのアント君。とうとう力尽きて瀕死だったのですが、砂糖水の補給で息を吹き返しました。その迫力シーンをどうぞ。
これは10/11のこと。
10/14には、ご当地のタヌキ君が来訪です。
そうしていると、やがて次の子猫がやってくることとなるのです。(11月にね)
生き物の不思議(第n+3)
[猫、河童、ネズミ]
子猫が亡くなってからも、猫のえさはお水とともに、中くらいのディッシュ皿に入れて、猫がお産した近くに、毎朝並べている。
すると昼のうちに、えさのほうは皿の底がわずかに見えるくらいまで食べられていることが常になった。
子猫亡き後の当初来ていたのはあの母猫のようだったが、そのうち三度ばかり目撃したのは、茶色と黒の二色をした大型の猫だった。ベランダの階段の上から見ると、さささっと逃げてしまう。
三度目に下に降りると、敷地の入り口の階段の上で座って、私のほうを見ていた。その目つきはどこかで見たことのある、座った目をしていた。そう。伏儀神農神の掛け軸の絵。伏儀神農神は猫耳で、私がこの猫に見た二色よりは色あせて描かれているが、まあ似ている。ただ、この猫のほうは、頭は禿げていない。この神の若い頃を髣髴とはさせた。とにかく、その目と目が合った対面以来、その猫が来ているかどうかは、目撃していないので分からない。
その間、何が来て食べているのか分からないわけだ。そして、翌朝になると、深夜のうちにやはり何物かが来て食べているのだろう、初めのころは、少し残ったままで置かれ、中には赤い小さい蟻が群がっていた。
いわゆる、これが猫別けというゆえんの食べ方だったのだろう。
ところが最近は、朝になると完全に皿の中がきれいになっているのだ。細かいくずまで舐め取って、乾いた状態になった様は、まるで洗って置かれてあるように思えるほどだ。蟻一匹入っていない。これは果たして猫が食べたのか? 猫別けしないエコで食事マナーのある、例外的なお行儀猫でもいるのだろうか。それが今では毎日のことになっている。
いや、私はそこで想う。ちょうどこの庵は宇宙人交流基地としようと思っていたわけで、これは縁の下の異界に住み着いた河童型宇宙人が食べたに違いないと。
というのも、家の下のどこかから、しばしば、ボコッという音がするからだ。つまり、どろっとした沼から立ち昇るあぶくの音。これはあの「ふにゃふにゃ」がしなくなってからも、必ずしている。しかし、家の下は乾燥していて、沼などはない。が、目に見えないだけ。異界が重なるように存在していて、彼らはここをアザーズとして過ごしているようなのだ。
沼と池の違いは何? それは河童がいるかいないかでしょ。なんてのがあった。 なるほど、ということは、これは河童だと。
こういう想像過程によると読者に分かれば、なんと言う発想の単純さかと思われるかもしれないが、これが魔法の世界の入り口のようになっているわけなので、ご了承願いたい。
私はすでに、河童という種類の宇宙人と、この家の上下で棲み分けているのである。
私は、彼らに食事を運んでいる。猫や河童、その他に対して。ほぼ一定量しか与えていないが、それでもよしとして、ここの生態系の秩序は維持されている。
ベランダの外とは、下に何センチかの隙間を空けている(防虫網はフリーに垂らしているが)扉だけなのに、中にむき出しの芋などがネズミにかじられていたこともない。ネズミは土地にいくつもの小動物が掘ったような穴があって、そこにいるだろうし、家の天井にも住み着いていたりするのに、食物が荒らされたことは一度もないのだ。
そして、もうひとつ不思議なのは、子猫のたまろの墓が家の下の物置の土地に、簡単に材木のきれで作って置いてあるのだが、それはほとんど埋まってはいない。ちょこ置きなのだ。そこに二週間ほどの間、ミルクを皿に入れて供えていた。それが誰かによって飲まれて空っぽだったことは一度だけあったが、その他の日は、そのままになっていた。しかも、墓が倒れていたことなど、まだ一度もない。
こうやって、人間の形をした妖怪と、彼ら生き物たち相互の間には、何言わずとも分かる暗黙の秩序と、立場の尊重が維持されているのである。
[ミツバチ、アブ、蛾、セミ、アリ]
かつて愛嬌をふりまいてくれたニホンミツバチがいったんまったくいなくなり、このブログで特攻隊出撃さ命じたゆえかと猛省したわけであった。その後、一匹のミツバチが屋上に現れ、私がそこに出て何かしようとすると、どこからかやってきて、私目指して突進してくるのである。初めは、ミツバチの再登場に、私もうれしくて、おおどうだったと、歓迎しようとしたのだが、ミツバチは旋回して、私の服に停まろうとするのだ。
私は、まさか刺そうとしてるのではあるまいなと、逃げて入った。そしてまた出ると、今度も突進してくる。それも前よりいらだっているようで、ぶんぶんやってくる。ここでまた逃げ帰る。そんなことを何度も、その一日はした。
その後やつてきたミツバチは、また以前のように、愛らしいしぐさで、またとんちんかんな場所に止まっては、えさ探しのようなことをしている。屋上に置いたプランターの土の上に止まってミネラル補給でもしているのだろうか。
私には、彼らが姿を再び見せて、喜ばせてくれているように思えた。そのように出てきたのは三日ほど続いた。
アブは羽音のするほどのものは大型以外にはいなかったが、小型アブでも、あの「ふにゃふにゃ」音そっくりの羽音をさせるアブが出てきた。しかし、家の中に、壁の中にも冷凍庫の裏にも飼っていたりはしない。
そこで、これがもし河童と並んで出てきた宇宙人の種族なら、それは古事記に書かれるスクナビコナのことではないかと思ったのだ。スクナビコナは、日虫の皮をまとい、背丈は蛾ほどに小さい。日の光を好む昼好性の羽虫のことである。ミツバチ、アブ、セミ、蛾などはそれだ。
セミにも、私になつくようにやってくるものもいる。蛾もそうである。
古事記の同じ段に、タニグクという河童の種族が出てくる。そしてそこには、足は歩かないが天下のことはことごとく知っているクエビコという老境の賢者も出てくる。私は古事記の解釈本を出そうとするとき、山田クエビコというペンネームにしようと思っていた。ところが、その名前をすでに使った古事記研究家がいて、私は先を越されたと、じだんだふんだことがあるのだ。それはもう三十年も前のことだ。クエビコとは今に言う山田のソホドという者なりと古事記には書かれる。これは山田の案山子のこと。まさに私そのものだ。今の境涯を言い当てて十二分である。
なんとのどかで鄙びた宇宙人との交流時代があったことか。古事記はその辺のことも語っていた。
と、どうだ。私の家の周りは、すでに宇宙人集落のようではないか。いずれやってくる、新時代の宇宙交流の土台作りをいま開始しているところである。
[ムカデ、ゲジ、蚊、ノミ、ダニ]
昼好性の虫ばかりいるわけではない。
この庵に越してきて、最初に面会したのはムカデだった。それはヤバイと思うから、殺虫剤の犠牲になったが、たえずおとなしかった。対面すると、ムカデは止まってじっとしてるのだ。だから、見つけしだい殺すのは簡単だった。しかし、それもかわいそうなものだ。家の隙間という隙間をテープで塞いで、無益な殺生をやめたのだった。そんなとき、大きなゲジが侵入していたりした。いったいどこから?
この原因は、誰かがゲジに化身したというのが真相だったようだ。つまり、テレポート。
次に蚊であるが、これも自然の蚊と、化身の蚊があって、後者のほうは、殺しても殺しても、密閉しているはずの部屋から湧き出し、一晩で十匹を数えたりもした。これもテレポート。
さて、だれの化身あろう。スクナビコナ星人なのである。この宇宙人がどの虫の皮を被ってくるかは、いろいろなのだ。偵察や採取のときは俊敏なアブになったり、見学のときは、昼間ではハチやセミ、夜間は蛾や蚊として現れる。たとえこの庵付近に住んだとしても、やはり異界が本拠である。そこから無難な自然と調和した衣を着てやってくるわけだ。
困ったのは、蚊、ノミ、ダニである。ヤブ蚊は獰猛なことに、皮膚に止まれば、体が多少動いていても、針を刺して血を吸った。ノミは足回りを、何箇所も刺しまくった。
こうして、いかに秩序ありといえども、自然界の中に混ぜられた毒気によって、楽園には程遠い環境になってしまうというわけだ。毒気を混ぜた者。それは邪神に他ならない。
彼らは配下に命じて、種族の遺伝子に敵対的本能や肉捕食など手間と苦難を生じる種を植え付けた。いまやそれを食物連鎖とかで、生態系の輪の中になくてはならないものとして了解されているが、それは地球という生命育む土壌の寛容さがずいぶんと努力した結果である。それも、邪神の意図で次々と破壊されている。獰猛な外来種が、局限された生態系の調和を破って投入されている。かつては公害だったが、今は電磁波の垂れ流しであらゆる生態系が狂わされようとしている。このようなことは、またも人類のみが生態系から異端視される原因となる。
クロノスが原人や原生命を生み出した頃は、どこにも悪意や害意はなかった。生命の黄金時代を長く謳歌していた。そのふるさとの光景が、いまどの生き物の記憶からも消し去られようとしている。
それはすべて地球を、邪神とその手下どもの見世物小屋にしたいがゆえの策謀の結果である。彼らは今まで高みの見物をして高笑いしていたのだ。
そのような邪神どもと配下は、このたび粛清されていく。ただ残された害毒だけは種の中に残存するため、新時代への移行期にそのような毒気の除去も必要になってくることだろう。それらの毒気の除去作業はまず神界に発し、イヅノメやカムナオビ、オオナオビ、ツツノヲといった神々がプロジェクト率いて取りかかる。下界にも現象化したプロジェクト体制が発足するだろう。ゼロクリアーしてからではなく、ソフトランディングさせるなら、その流れが出てくることになる。
ゾロアスター教の神話には、過去の時代、邪神どもの撒き散らした害毒の除去のために、ティシュタル星(シリウス)に洪水を起こさせた。しかしその結果、海水の塩分が強くなり、普通の生き物は住めなくなったとされている。継続させる場合には、システムの多少の劣化を伴うものとなることが多い。というより、依然として邪神の干渉下であり続けたから、劣化したままだったのだ。
そのような経緯でスタートしたこの時代。やはりいっそう困難を増すものとなった。
ギリシャのヘロドトスが言った。かつて、黄金時代、白銀時代、青銅時代、英雄時代とあったが、そのいずれかに生まれたかった。なぜなら、今はいっそう頑なな、嘆かわしい鉄の時代だからだ、と。
その経過が、そろそろ終局に差し掛かっている。
これから先は、火の灼熱になることは新神話の予定としているところだ。が、それは天界の邪神の居場所だけだ。地球上までは予定していないが、もしかするととばっちりがあるかも知れないことだけ覚悟はいる。
しかし、残し置かれることにより、いっそう綿密な計画が要求されることだろう。それが新時代を継ぐ者への課題となる。おおいに宇宙文明の利器を活用するべきだろう。これからの宇宙人は、みな好意的である。
生き物の不思議(第n+2としよう)・・・猫との縁
今回は、たまろ亡きあとでもあって、猫の話です。
何でも、猫という動物は、車に乗るのを嫌うらしいですね。
でも、私が以前に拾った「たま」というメスの子猫は、車好きだったですね。
拾った時点から、私の運転する車の下に潜り込んで、当時は冬場で寒かったからか、暖をとろうとしていた感がありました。しかし、信号待ちの一時停止のときですから、いかに奇妙な現象だったことか。そして、私との縁ができてからは、もう犬並み以上に、私という人間になついてしまって、私の物音を聞くたびに、寝床の毛布の中から飛び出して、「にゃーにゃー」言いながら、ベランダの窓扉をガリガリやっていました。車で家族と出かけるときも、乗り込んでくるなり、私の服をよじ登って、私の右肩に留まってごろごろのどを鳴らしたり、頭の上に載ってバランスとりながら、運転中の車外を眺めていたりしていました。それは平成2,3年のことでした。
それから平成14年頃に、三木市の丸山墓苑というところの雑木林に住む野良猫なんですが、どうも何世代かが同居しているんですね。これがちょうど、雑木林横の細道を車であがっていこうとするとき、一匹の身なりのいい若猫が、行く手をふさぐんです。右にいるから左を通ろうとすると、左に回って座り込むんです。右に行こうとすると右に回ってくる。こんなことを三度も繰り返したら、何か変だと思いますわね。それで車を左に停めて、ドアを開いて出てみたんです。すると、若猫は雑木林に入ります。その方向を見ると、なんと、先の若猫含めて5匹の猫が、きっと先代、先々代くらいまでが、一線に並んで、私を見ているんです。まるでその先に、猫の王宮かなんかがあって、私を客人として迎えようとしているように思えたのです。
それからほどなくしての、三木の西自由が丘というところで、仕事である人を呼びに行かなくてはならず、車から降りて、呼びに出たんです。
ところが、そこで飼われている猫に、人間で言えば80歳以上というおばあさん猫がいまして、それが私の行く手をふさぐんです。そう。猫にはふさがれる・・・ほっといてくださいよ。
そのときの猫の姿たるや、身を最大限に伸ばして、通路をふさいで、こちらをじっと見据えるわけです。そして、口を開いて「にゃー」と言ったとき、私には「おっと待ちな、どこへ行きなさるのかね、お兄さん」と聞こえてしまったほどに、人間的なパフォーマンスをしたんです。
それで思わず日本語で言ってしまいました。「だったら、○○さんつれてきてくれよ」と。すると猫は奥へ行きましたもんね。やがて○○さんが出てきたことは言うまでもありません。
それからやはり同時期のこと。伏儀神農神の化身とも思われる「ノラ」というオス猫に、あるお宅で出会ったのです。この猫は、私が座布団に座っていると、いつのまにかやってきて、私のあぐらをかいたひざの上に載ってきて、少しの間に寝てしまうのです。それはもう、何の怖れもなしに、よだれしながら眠っているわけです。そして、私が帰る段になると、家の玄関から20mほど庭についた通路の先に表玄関があるのですが、その家の家人さんと私をそこまで先導して、玄関先でちょこんと座ってお見送りするのです。この光景は、訪問した際に二度ありました。そして、何か不思議な縁を感じて、デジカメで彼を写そうとしたとき、つまずいて手元が狂い、思わずシャッターが下りてしまって、写した写真が、なんと伏儀神農神らしき人物が、白い大きなつづらを背負っている姿として写り込んでいたのです。そのお宅に、その神の姿を描いた掛け軸がありまして、それがまた、薬草を一本咥え、猫耳をした姿で描かれているんです。
それから今まで猫との縁にはブランクがあって、今回の「たまろ」とのご縁となったわけでした。
母猫の役割
出産後の母猫の役割は、大変だと思います。
人間もそれ以上でしょうけど。
異界からのささやきとも思える”壁鳴り”現象がいっそう煮詰まった8/22の深夜のこと。
私の家の下の作業場兼物置に置いていたダンボール箱に、ノラ猫のメスがお産をして、3匹の子猫を出産いたしました。それが判明したのが、翌23日の朝でした。
母猫は私が表を歩いているのを見て、箱から逃げ出しまして、その際に「ニャーニャー」という複数の子猫の不安がる声を聞いたわけでした。
私は直感的に、壁鳴りの主がもしや子猫に転生したと思ったわけでした。実際、その日から壁鳴りは起きなくなりました。
ならば、あれは予兆だったのか、となるわけですが、これがいわゆる「鳴り物入り」の出来事となったわけでした。
私は現在、書き込み先を、「いつかきっと方式の交信掲示板」にしており、こちらの記事更新は後回しの状態にあります。よって、ほとんどのカレントな経緯については、そちらに載せているありさまで、再度ここにまとめるのは骨が折れるため、そちらを見ていただきたいのです。
簡単に経緯を。
8/23に、私がいないときは母猫が子猫のもとに戻ってくるものの、私がどうしてもしなくてはならないことがあって下りるたびに、母猫が逃げてしまうものですから、こんなことが何度もあると、いずれ帰ってこなくなるのではないかと心配したものですから、町に出て子猫用ミルクやら哺乳器、成猫のえさやマタタビまで買ってきたようなことでした。
ところが、母猫はこの場所では育てにくいと思ったようで、一匹ずつどこかに連れ去ってしまったのです。午後3時には二匹がいなくなっていました。残る一匹はいちばん小さく、兄弟とのミルク争奪戦に敗れたもののようでした。こういう場合は、母親は独自の判断で、連れて行かず置き去りにするという話もありましたから、暗くなる頃までに連れて行ってなければ、私が母猫代わりをしようと決めたわけでした。それに、壁鳴りの主が縁を持ちたくて、このような成行を作っているようにも思ったものですから、なおのことその覚悟を決めておりました。
果たせるかな、残る一匹は、まだ箱の中におりました。もしかすると、母猫が移動行為をとり始めた朝からずっと、母乳をもらっていないなら、これは死んでしまうと思い、決断して家に連れて入り、給餌したようなことでした。
この子猫はオスで、「たまろ」と命名しました。
初日(8/23)、たまろを寝床につれて上がったときは、一晩中微細な痙攣を起こしていて、私は繊細なもので、眠れる間がほとんどありませんでした。
これは子猫が夢をみていたりして多動になるもので、子猫はふつう熟睡にはあまり入らないとのことで、なるほどこれは仕方ないと思ったようなことでした。
ところが二日目は、ミルクを飲まないなどのことで動物病院に運搬などしていて、かなり疲れていたのか、晩早々にきゃーきゃー寝床入りを催促するので排便、ミルクとやって、添い寝したのですが、熟睡してしまって、二時間後には低体温になって、仮死状態みたいになっていたため、タオル巻きカイロで温めて動かし、排便、ミルクとやって寝たところ、さらに二時間後、やはり熟睡で仮死状態。もうこれは駄目なのかと半分絶望しそうだったとき、ふと母猫は、子猫が寝ていようがいまいが、排便を促し、ミルクやりまでやってしまうということを思い出し、そこでなるほどと思ったのです。
子猫が命を早々に落としてしまうのは、この熟睡に延々入ってしまい、仮死状態から本死に至りがちだからだろう。それを母猫は、たとえ子猫が嫌がっても、一連の面倒見の行為を数時間ごとにも繰り返して、子猫の意識を現実に引き戻すことまでやってのけていることに気づいたようなことです。
生きようという意欲に満ちた子猫なら、現実を楽しみたくて、仮死になっていくことは少ないのでしょう。しかし、何がどう個体差となって顕れたのか、意欲の乏しい子猫は、あちらの世界に戻っていきたがるみたいです。
それを母猫は、生きよと叱咤激励していることになります。それすらも功を奏することが難しいのが、生活環境が苛酷なノラの世界なのでしょう。
私はたまたま、断続的にトイレ起きし、熟睡は無論、夢も見なくなった状況下にあって、母猫のノルマをこなせそうなわけで、この母猫は私を見込んで、置き土産してくれたのかも知れないなと思ったりしています。
思うに、母猫はもしかしてわざと、大型の子猫を、とても入れそうにない荷物のあわさいに落としておいたのではないか。そして、自らはもうひとつの大型子猫とこのたまろを連れ帰るつもりだったのではないか。
それを私が、わざわざあわさいから戻しておいたために、助かる見込みの大きい二匹を連れ帰り、見込みの薄いたまろを置いてあいたのではなかろうか。人間だから、何とかできるだろうという咄嗟の判断があったように思うのです。
祖母から聞いた、童話・たぬきの子預けを書いたことで、何となく彼ら生き物の知恵はあなどれないという感を持ちます。
母猫の期待を担っている私、とにかく努力いたします。
と、以上が元記事だったのですが、
ところが、この数時間後、たまろは還らぬ命となりました。
しかし、この経緯の中にも、超常的なものがいくつも散見できました。いずれも、いつかきっと方式の交信掲示板にて、巫女のみなさんがそれぞれに異界から質問回答を得てくださり、その解釈やたまろの写真その他を載せておりまして、このたびのことは、私の心だけでなく、掲示板をご覧になった多くの読者に感動を持っていただいているようなことです。
ぜひ、そちらのほうもまた、よろしくご贔屓にお願いいたします。
ここで、亡きたまろの写真集を掲載いたします。
「救音玉露」を没後名といたしました。