ごちそうさま

アラスカを背景にしたドラゴンが日本列島を「ごっつあんです」やってます。
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ドラちゃん、ハープの音色で操られてたりしないでしょうね。
センセーのおうちは、すぐ目と鼻の先よ。
ちょっと職員室でお話ししましょうか?
 
東海地方をパコパコやっていたドラちゃんに、文殊センセーが一言いっときました。
もうこれでゲリラ豪雨はないでしょう。

自慢じゃないけど

みなさん、暑いですね。
思考力が鈍り、考えようという気が起きないのが私の昨今です。
もしかすると、もう考えなくてもいい段階にきているのかも知れず、ブログ閉鎖という一連の流れになっているのかも知れません。
というのも、新神話の見届けの体制にあることを申してますとおり、新たな展開を書かずそこで留めておくことで、神界はそこまでのシナリオを実演に移してくれている模様です。
まだボールがあるともったいぶっていると、神界もそれが投げられるまで待機しているやも知れず、そういったことではいけませんからね。
もうボールは投げ終わったとすることで、ボールを渡したことになり、早々に神々に今までのシナリオで舞台上演してもらうことも可能となるように思います。
私は神界のよすがを推理するのみで、実際を知る力はありません。しかし、このブログに縁ある巫女さんたちの助力や、外部の異界情報によって、新神話がまさに上演されていることを知ることができました。
いつかきっとさんは、新神話の異界における「救命ランナー」との評価を伝えてくれており、神界にセンセーションを巻き起こしていることを伺わせてくれました。
そして次の情報は、新神話で梵天はじめ正神たちが作り上げた新しい世界像の顕現を物語るようでなりません。その設計図は神亀・青龍の体にしたためられており、すでに神界では邪神が駆逐され、正神の進出が華々しくなされ、新しい世界が建設されているところのようであります。
玄のリモ農園ダイアリー 「マシュー君のメッセージ」
マシュー君のメッセージの中にある”時空連続体”という概念。これ重要ですよ。
無限分岐する歴史プログラムの時空連続体があり、我々個々は、魂の時間軸に沿ってそれを観測しながら航海する船乗りなのであります。
同じ非凡な能力でもってする観測なら、正神の提示する世界のほうにしましょうよ。
その対極にあるのがジュセリーノの予知する世界。むろん邪神の神話のシナリオを具体的にしているわけで、これに就く就かないは、みなさん個々の自由意志によるというわけですね。
心配ないです。日本列島沈没の歴史を目撃することになっても、それは強欲だった自分の補習授業を受けている姿なのかも知れません。
あーりがーたや、ありがたや。
あーりがーたや、ありがたや。
このごろ地球も人口が増えて、右も左も満員だ。
だけど行くとこたくさんござる。
天には天国、地に地獄。
あーりがーたや、ありがたや。
あーりがーたや、ありがたや。
さあ、学習機に座って、地獄の特訓カリキュラム受けてもらいましょうか。
ポキッ、ポキッ。

山岳神話に未来を繋ぐ先達の意志・・・御嶽山

今回は、琵琶湖周辺の記事シリーズから東へと展延することになります。
Pさんから先週末に撮影された、彼の修行場として挑む御嶽山の写真が届けられました。
それをもとにしたアプローチを承ったような次第です。
写真を見れば、さすが御神体山の尊容であり、その威風堂々たる様には、古来から山岳信仰の対象とされていたとしても不思議ありません。
また、彼が提供してくれたリーマン氏の解釈法を見れば、氏も神話創造を目指す人であると思えてくるのも、私も及ばずながら神話創造に時間をとってきた者だからであり、氏の神話の意図には少なからず興味する次第であります。
しかし、そこには私の既知になかった神の名もあり(いや知ってはいましたが、私は地理的に尾張で終わりにしていたものだから、考慮していませんでした。この神様には申し訳なく思います)、縁あらばとも思いますが、神名の意図される理想が「仲裁」「手打ち」であることから、私の意図とはいささか方向が異なっている感もあり、やはり私は尾張で終わりを今のところ考えているような次第です。
Pさんには簡単ですが、このようなことと今はお伝えしておきたく思います。(また何らかのシンクロで繋がることを希望したく思います)
Pさんの修行場から撮影された写真集
修行場から御嶽山を眺望する
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御嶽山
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御嶽山に関するPさんのコメント
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【御嶽山:標高3,067 m 剣ヶ峰を主峰にして、摩利支天山、継子岳、継母岳の4峰があり、南北約3.5kmの山頂部による台形の山容である。北端の継子岳は比較的新しい山体の成層火山で、北側山麓から見ると、他の峰が隠れて見えないためきれいな円錐形をしており、日和田富士とも呼ばれている。】
【摩利子天:原語のMariciは、太陽や月の光線を意味する。摩利支天は陽炎(かげろう)を神格化したものである。陽炎は実体がないので捉えられず、焼けず、濡らせず、傷付かない。隠形の身で、つねに日天の前に疾行し、自在の通力を有すとされる。これらの特性から、日本では武士の間に摩利支天信仰があった。
日本では護身、蓄財などの神として、中世以降信仰を集めた。楠木正成は兜の中に摩利支天の小像を篭めていたという。禅宗や日蓮宗でも護法善神として重視されている。】
同時に南アルプスが全部見えまして、その写真も送っておきます。一番高い部分が北岳(3,193m)で、荒川岳(3,141m)赤石岳(3,120m)等々です。あまり詳しくないので、本当かな?西から東向きに撮っておりますので、向かって左側の最高峰が北岳だと思います。
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修行場から南アルプスを展望する
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南アルプス
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Pさんの挑む熟練修行場 (コブだらけですな)
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御嶽神社、御嶽講社の由来
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【御嶽神社の由来*
頂上奥社は文武天皇の御代大宝2年(702年)信濃国司高根道基創建し、光仁天皇の宝亀5年(744年)信濃国司石川朝臣望足勅命を奉じ登山し悪疫退散を祈願され、ついで延長3年(925年)白川少将重頼登山し神殿を再建す。ついで応保元年(1.161年)後白河上皇の勅使が登山参拝された。一合目里宮社は文明16年(1.484年)再建、文亀3年(1.503年)再興と記録にあります。
●古来登山するには麓で百日精進潔斎の修行をしてから登拝したものでありましたが、後世の天明2年(1.782年)に覚明行者が黒沢口登山道を、寛政4年(1.792年)に普寛行者が王滝口登山道をそれぞれ開き講社を作り軽精進潔斎で盛んに登山を奨励し、続いて一心行者、一山行者もこの跡を継ぎ又、諸行者相継いで神山の尊きこと全国に広まり、今日の盛大なる御嶽講社の基礎となっています。】
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さらにPさんは、リーマン氏の提唱される山岳霊場幾何学について紹介されている。
Pさんがリーマン氏のところから引用された文
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【日本全体の中で、中部地区あたりに日本を代表する山が 集中しています。 
これには、宇宙の深い意思が反映されています。
北極星を頂点とする、北斗七星の形象が、日本の国土に 反映転写されています。
・立山=太刀山(タチヤマ)=神剣山=スサノオ=男神山  = 図のγ星
・白山=ククリ秘め神=女神山 =図のβ星
・ 御嶽山=国常立太神=男神山=図のζ星
・浅間山=木花咲耶姫命=女神山=図のη星
この男・女・男・女で構成される4つの山を線で結ぶと菱形の箱になります。
この箱は、北斗七星の柄杓の型を意味します。
伊勢神宮外宮(Polaris)を北極星の位置とみなして、柄杓の形を重ね合わすと、
間の山々やポイントの神社なども見えてくるでしょう。】
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琵琶湖周航の歌6・・・琵琶湖湖底遺跡の謎

琵琶湖湖底遺跡の箇所は非常にたくさんあるらしい。
そのほとんどにおいて地すべり説が有力視されているようだ。
というのも、湖底にある砂の層の上に生活圏の土地が乗っかっている状態で見つかっているからだという。
それだけ水辺の土地は緩んでいるから、地震防災に気をつけねばならないとまで言われている。
果たしてそうなのだろうか。それなら、海岸べりにおいても同様だろうが、町や村ごと海中に滑り落ちるほどの規模になった例があるだろうか。
琵琶湖の水は容易に土木工事で疎水を作り、抜くことも、塞き止めて満たすこともできるわけである。
水のないときでも湿地帯の状態に長くあったに違いない。すると生活するとなれば、干拓するときのような方法で盛り土を行うのではあるまいか。つまり湖底の砂の層の上に生活圏の土砂が乗るわけだ。
ここにも弥生人ごときに何ができるという先入観があると思えてならない。
そもそも、竹生島、沖島、多景島は人工島であると私は考える。
水の中に土砂を運び込むことは不可能に近い。
だが、水のない間になら、土木工事は可能だ。
古墳をも造り出すエネルギーを弥生人といえども持っていた。
当然そのときには、いま水深の浅めのところには、都市集落もあったことだろう。
稲作の集落と土木事業のための都市集落があったはずだ。
その頃には、都市の間を川が流れていて、大阪湾まで繋がっていただろう。
そして政策的に水を塞き止め、満たす段になると、集落はおのずとせりあがっていく。
より新しい集落が岸辺近くに長く留まり、あたかも地すべりでそうなったかのような様子を呈するに至ったのではなかったか。
もっと琵琶湖中心部の泥の堆積の下を詳しく探ってほしいところだ。

琵琶湖周航の歌5・・・白髭神社思索

Pさんの雪山を自在にこなす健脚はいったいどこから来たのであろう。
仮説 : 彼は過去世に比良三国の山野を駆け廻った天狗さんではないか。
それを修行と心得る態度にも共通のものを見るのである。
そう考えたとき、次の写真集の意義が掴めてくるのではないか。
  場所  白髭神社(滋賀県高島郡鵜川)
  撮影者 Pさん
湖上の白髭鳥居から沖島を望む
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白髭神社-白髭鳥居-沖島は一望のうちに
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白髭神社本殿
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高台から琵琶湖方向を望む
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吉祥の神験か、湯気に煙る高良社
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撮影者Pさんのコメント------------
3/1(土)は、曇天と雨の混じる変な天気だったのですが、白髭神社に着いて撮影しようと思った瞬間、晴れ間がさしました。最近はこんなことがしょっちゅうです。封印され、現世利益ばかり求められてきた神々はどうも、神を理解し広めようと言うブログに掲載される場合には、天気をもコントロールするのか?と思いました。本殿参拝の後、階段を上り3社祀られている内の一番左側の「高良社」では面白い現象がありました。一瞬晴れ間の刺した日光が、銅葺きの屋根にあたり、冷たい雨に濡れた水分を蒸発させ、白い水蒸気となって蒸発していたのです。吉祥な光景と思わず写真に収めました。
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比良三国山系を修行の場とした古代の天狗たち。女人断ちした彼らが心の中で慕う聖女の姿は、ときおり山駆ける木々の間から見える琵琶湖の中の弁天島。
守護神である猿田彦が愛した天のうずめと重ね観て、またあるいは生みの母の似姿と重ね観て、募る思慕の心を癒したのではあるまいか。
荒魂の比良山を御神体とする和魂の祭社・白髭神社は、猿田彦命が妻天のうずめを思慕する心を表わし、湖上の鳥居で逢引の道をつけて、神の心を慰めたとものと思える。
ここからは奥人の勝手気ままな仮説である。
水上になぜ鳥居があるのか。
古事記には、「猿田彦命、アザカに坐ししとき、比良部貝に手を食い合わさへて潮に溺れたまひき」とされている。つまり、水底に沈む伝説が反映されているのではないだろうか。
また、猿田とは去る田であり、土地をなくすという意味である。比良部は選定の意。貝に・・合わさへ、とは貝合わせを連想する。すなわち、形を同じものにそろえるわけであり、幾何学的な意味あいの強い意味がある。
そこでやはり想像してしまうのは、盆地としての土地のあった低地から出る川をせき止めるかして、琵琶湖にしてしまったのではないかということだ。淡路島が相手の貝となる。
このとき、「あはぢ」に対して「あふみ」という阿吽、陰陽の呼応になる地名が生まれたというわけだ。
そのとき、奈良盆地にあった湖を、疎水工事して逆に干上がらせて、都を置くための土地に変えるようなこともあったのではないだろうか。
高良社はけっこう各地に見られるようだが、「こうら」とは「かわら」の転であるとされる。「かわら」とはどこか「カバラ」を思わせる。先修験者である天狗は、修行に身を費やした古流のユダヤ教徒だったと私は仮説しているが、その観点からすると、カバラを神格化した社が天狗の総帥・猿田彦命(比良大明神)の社に並び祭られてもおかしくはないと思える。
カバラはこのほか、桑原、瓦木(生命の木)といった地名や、日干し煉瓦のような中東のよすがを留める「瓦」といった実用品にその名残をとどめていると観られる。
純粋に神に近づくための修行をしていた先修験者・天狗たち。それとは別に市井に入り、為政者に組して歴史の流れを陰からコントロールしようとしたユダヤの一派があった。
世間ではこちらの歴史のほうが鮮明だが、もとより陰からという意図に従う限りは、隠された謎のほうが大きいだろう。天狗は歴史の流れから異端として追い遣られてしまい、いっそう謎を深めることになるわけだが。
私はニギハヤヒノ命に、秘教組織の特徴を見た。九州から東征に出た神武天皇に河内大和をあっさり譲渡している。銅鐸の製作者でもあると考えている。
銅鐸につけられた名称。これは未だ知られていないが、私は古事記に神名の出る「ウツシクニタマ」であると考えている。銅鐸の形は秀麗な神体山を模しており、その表面に描かれる図柄は稲作農耕の灌漑に関するものが多い。それはおそらく、ニギハヤヒ以前の弥生文化の農耕科学は、山々に関連付けられた信仰のような形をとっていたのであろう。イヤシロチや、龍脈などの大地のエネルギー状態を合理的に測る科学があったと思われる。
だが、中東初発の科学が道教的な大地のエネルギー工学を理解できたかどうか。むしろ、錬金術に命脈を持ったカバラの科学を前面に立てて、得意な金属分野で先住民族を魅了する方法を考えたのではあるまいか。日本の統一という目的の前には手段の如何はこの際関係ない。
こうして先住民の前に、祭祀道具としての神秘的輝きを見せる銅鐸「ウツシクニタマ」(秀麗な神体山を写し取った国津神の魂)を披露したのではなかったか。
あるいは、かの中東で名高い死者を蘇らせた男の例に倣い、回春の秘術で奇跡を起こして人心を掌握していったのではあるまいか。
ニギハヤヒは天目一箇命の第四子とされる。また天目一箇命は天御影神と同一とされる。かの三上山(近江富士)の祭神だ。その一帯は古くから窯業の中心地だ。鍛治・窯業ともに錬金術である。天目一箇命・天御影神は火・鍛治の神とされる。目一箇とは炉の中で赤く熔けた青銅を連想させるが、むしろ、もしかすると彼らのシンボルでありはしなかったか。
すると、古来から最近まで彼らを示すのに同じシンボルが使われていることになろう。ピラミッドに一つ目のことだ。三上山はその秀麗さからピラミッドとする説もあるからなにかシンクロする。
では、三上の意味は何か。御神であるならそれはそれ。三神とすれば、三位一体の神ということではないのか。そこにユダヤ・キリスト思想を観るわけだ。
彼らは歴史の表に立とうとすることは避けてきたようだが、自己顕示欲はあったようだ。一歩踏み込んだ者には分かるようにしてあるのだ。彼らは為政者の裏方に甘んじたが、知る者にはそれとなく知らしめようとした。
たぶんそれは、彼らの背後にある神も同じ寂寥感を持っていたからではなかっただろうか。世界を支配しコントロールしても、見えない者には見えず、ただ警告を発して注意を引くことしかできない。それも関心がいまいちとなれば、誰か知る者の思いの中に、自らへの理解を求めるようにもなる。そうした存在が、私には今の支配神であるような気がする。
しかし、彼が警告を与えた末、いざ最後の手を下ろそうとするや、私が真っ向から邪神呼ばわりしてしまった。それに驚き、振り上げた手をいったん引っ込めねばならなくなったのでは。
千と千尋の神隠しの坊やみたいな神だなと思えてきた。こうなれば、彼の手を引く千になってやることも必要か。
支配神が金太郎腹巻の坊やであると分かってしまえば、ユダヤの市井に展開した別派の時代は終わったも同然となる。賢いようだが、精神性は稚拙そのもの。それが世界に知れるなら。
かつて山岳に展開した秘密部隊が、これに代わって、時空を超えてこの歴史の現時点に集結しているというのも、シンクロと言うべきことだ。
知られなかった山岳の彼らの手に人類存続の鍵が握られている。ばらばらに見えて、その実は見えない意図で繋がれて、適材適所・天の配材として陸海空に展開している。
いまこの病んだ時空にある有情を救おうと、未来から、パラレル宇宙から、他惑星から救助の手が集まっている。
日本の天狗さんたち。こんどは君たちが猿田彦となり、彼ら救助者を地上に先導する番が待っている。
比良三国山系はとくに畿内の生命の木の原理図の中ではダート(暗間)に相当する。ダートがいよいよ表に出てくるとき、それは世界が一変するときである。
陰にあることを社是としていた秘密結社が秘密を暴露されつつある。その急衰退に反比例して、ダートにあったとてつもないものが台頭してくるだろう。
PさんやMさんには、いざ鎌倉の気でいてほしいものだ。