やれやれ。こんどは掲題の食事を、まあまあ、別人に持たせて、届けてくれました。
晩御飯用なわけですが、腹いっぱいになっちゃったよ。
うちには消化せなあかん古い食料が残ってて、ちょっとずつ食べてるんで、
食べるに困ることはないのです。
逆にこういうことになると、また人づきあいでしんどいな、とならないかと懸念。
しかしどうも、オバサンに私の母ちゃんがかかってる感じもあって、いちいちのお小言が
うれしくもあるのです。
まさか、みんなを待たせてしまってるのかなあ。
もひとつ不思議なシンクロ的な夢を、ここに来る直前ぐらいに見てまして・・・。
それはまた今度書きます。
カテゴリー: 日々の推論、仮説
この時代のラストは
この時代のラストは火による浄化になるとか
火による浄化とは・・・戦争? 核戦争なら火ですかね?
いえいえ、そうではありません。
火の鳥がやってくるのです。すっぽりと地球を愛の翼で包み込むために。愛は炎。灼熱の炎です。
ここで書いていますように、
https://mysterycats.darumasangakoronda.com/Date/20141113/
>別天で四神獣が揃い踏みし、地上浄化の工程に入っています。そのはずです。
鶴と亀がすべって、いついつ(五月五月)出やるを体現したわけです。
「いついつ(五月五月)出やる」の結果、どうなるのか。
これには顕れの順序がありまして、まず弥勒が働き出します。
それから次に出るのは、火の鳥になります。
彼は吉凶禍福混交の形で現れるパンダのような存在なので、えっ、こんなことがミロク!?
と思うようなことが起きてくることでしょう。
たとえば、安倍さんなんかは弥勒の顕われです。麻生さんもそう。どちらも、新しい時代の魁という意味のあるお名前(姓名)なんです。甘利さんなんか、天の理ですよ。すごい名前。石破さんは、古事記にも載る戦争の神様・岩昨(イワサク)と同義です。文字通りのシンクロです。
弥勒は新時代に向けての、破壊と建設の共同作用で現れてくるので、彼らは破壊の側を受け持つのではないかと思います。徹底的な破壊がなくては、建設は始めにくいのです。
その刺激が衆生に伝わり、本当の意味での総力あげての建設が始まると言うわけですね。
今まで衆生は、すべて他人任せで金儲けと道楽に走ってました。そして、足元をちっとも見ていませんでした。それが、みんな足元を見定めて、前を向くしかなくなる。すると、やっと日本人の気骨が生まれてくるんですね。とてもスパルタンなのが人という生き物なんです。
まあしかし、これからの人はすごく苦労するでしょうね。それだけの忍耐力ある魂を持った人たちが生まれてきていると、思いたいですね。私は、体力的にも無理、限界ですが。せめて宇宙人のスクナビコナ星人さんがパワーチャージしてくれたらなあ。彼らは私の館に来ているのです。(今はいないけど) これはちょっと余興的真実 ↓
さて、建設がうまくいかないとしても、大丈夫なんです。たとえば、もっとひどく放射能汚染されたり、世相がマッドマックス化して、笑顔でいるだけでは不十分な時が来るようなことがあれば、人々は絶望して投げ出すかも知れないでしょ。
そんなときは、いよいよ最後の審判として、天空から「救いの火の玉」がやってきて、すべてを終わらせることになります。
いよいよ、四神獣揃い踏みのメインシナリオになるわけですね。黙示録にも載ってますよ。
ホピ族も、赤い服を着た救世主という表現をしています。
太陽神ホルスがやってきます。
ホルスはおるすよ、ここにおるすよ。お留守じゃなかとよ。
そのように、もう一人の自分は言っています。
今は第二時空の延長としてのタイムラインでの、太陽の脇侍にはべった姿としてこちらでは撮影されていますが、私のここでの任務完了とともに合流し、アクション開始になる運びです。
むろん、人類がやる気を出して、しかも事態収拾が可能となれば、もちっと先延ばしということもあるでしょうが、このイベントだけは、この世界の数少ないメインエベントのうちのラストフィナーレですから、誰一人として逃れられないのです。先に亡くなった人もみな、審判の場に召喚されます。
ご存じ、死者の書にあるように、冥界の王オシリスの前で、ひとりひとり魂の計量がなされて、先々が決められるわけですね。
ホルスは父オシリスの脇侍に居て、ひとりひとりの罪過の裁きのアドバイスをするのですが、どうしても下界の経験と見聞がないと、基準づくりができません。ホルスの雛形でもある私の第三、第四時空での経験は、大事なデーター蒐集の期間になっています。
我が子雛鳥も、苦労は要るだろうが、いっぱい見聞してきて、私の脇侍でサポートしておくれ。
火の鳥の役目は、いったんみんなの意識を中断することです。中断しておいて、回復不可能にまで魂が傷んだものを取り除き、残りの意識すべてを順次、再起動していきます。
個々の意識は、中断前の意識の流れとほとんど変わらぬ流れの中に意識を営めますから、何ら中断があったという印象は催さないでしょう。
火の鳥が来る時も、一瞬のことですから、記憶にも上ってこないでしょう。
目が覚めてみれば、周りにたくさんいたはずの邪悪の徒が、いつのまにかいなくなっているという不思議を体験するかもしれません。
あるいは、大きく乖離しても、夢の中の出来事なのに気づかないといった現れ方をするかもしれません。
なるべく、何事もなかったかのように、火の鳥はやってきて、すべてのクリーニング処理を終えて帰って行くことになります。
最後の審判は、邪悪な徒や邪神に対して顕著に振り分けとして顕れることになるのです。
11/20午後8時からNHK-BSプレミアムで「飛鳥の大宇宙 ~キトラに眠るのは誰だ~」
我々の関わるシンボリズムの中でも、とても大事だったキトラ古墳。
キトラの四神獣は、新神話戦士のことでもありました。
その被葬者の謎に迫るドキュメント番組が放送されるようです。
被葬者、それはちょうど、セーラー戦士に指令を出すタキシード仮面のような方かも知れません。
こちらに案内されていました。
https://agnes2001.blog.fc2.com/blog-entry-2841.html
この時期に皇室が大神神社参拝とは・・・。
出雲国造家との縁結びとともに、新しい時代がやってくるのを感じさせられます。
このサイト主さんも最後にこう締めくくられています。
>現時点を麻雀に例えるとしましたら、世の立直し立替えのリー
チひとつ手前なのではないでしょうか。(ちょっと例えが悪かっ
たかもね~w)
同感!!
みずがめ座は2008年
みずがめ座は2008年に始まる、とか
みずがめ座には、2008年から入ったそうですね。2000年からではなかったようです。
私にとっては、50歳になる1999.12.15が、無味乾燥な第一時空を辞したときで、2000年からの
第二時空はまるで神々との共演といった展開になり、充実度満点の時間になりました。
2008年というと、彼女が空海さんから、弥勒下生のお告げを聞いた年です。(2008.9.25)
ということは、弥勒はみずがめ座を運んでくる天のお使いということになりますかね。
タイミングのはかり方は空海さんのほうが心得てます。私はよく知らなかったです。
その彼女も、キトラの四神獣の特別展示の初日(2010.5.15)に他界し(青龍と玄武が別天に赴く)、
それから五か月後(2010.10)に白虎のフーちゃんが他界し、
朱雀の私がその五か月後、彼らの居た第二時空で他界(2011.3)して、
別天で四神獣が揃い踏みし、地上浄化の工程に入っています。そのはずです。
鶴と亀がすべって、いついつ(五月五月)出やるを体現したわけです。
第二時空ではまさしく弥勒が働き出すというシナリオだったと、こちらからでは推測するしかないのですが、
その推理で正しいと思います。
つまり、第二時空は、救いの時空、救世の時空だったということでしょう。
それから私は第三時空に入って、変節した魑魅魍魎の時間を過ごしてきまして、
多くのデーター蒐集を行ないました。それを持って神世に帰らねばなりません。
新世界の土台作りのための大切な蒐集物です。過去の時代の脆弱性を克服するための。
去年の12月11日の夢にデス体験して第三時空を辞したもようです。
そのときに持ち帰ったデーターは6割ほど。
私はいま第四時空にいて、残り4割を収集し、謎解きをすべて自己完結させて、ここも辞することになるでしょう。
第五時空というのも、あるのかなあ。それはとうとうあの世になるのかも知れないですね。
なんだか、世の中だんだんとおどろおどろしくなるばかり。今年からは上昇志向したかったのですが、まるでブラックホールに
フリーフォールしているかのようなので、いよいよ緊急脱出となるのかも。
旧神話(古事記)という旧式ロケットを使って、緊急脱出。
旧ソ連製は落ちたようですが。オイオイ
驚き桃の木の連続・・・オバサンの玉子焼き
一昨日に、大きな犬連れのオバサン(私より四つ年下)が、むかし見た予知夢と同じ質問をしてこられた話をブログに書きましたが、
もっときれいにしなさいとお小言を頂戴したことも書きましたよね。
その方がまた今日も犬連れてやってきて、なんと玉子焼きを作ってきてくれたのです。
ひとつのパッケージに大きく二つに分けて入れてあり、昼と晩に分けて食べなさいと指図するくらい、慣れてしまわれているのですが、
それをお昼に食べてびっくり、
むかし、私の母が作ってくれた玉子焼きの味そのものなんです。
この甘さ加減。作り立ての温かみ。どんぴしゃの味。母の味。
むかしのことが走馬灯のように思い出されて、とめどなく涙が・・・。
小学生のころから高校生のころまで、この味を食べていたことを思い出して、母ちゃん!!と、思わず叫んでしまいました。
そういえば、昨日は昨日で、ふたり母の話を書きましたね。
もしかしたら、今は亡き現実の母が、向うから応援の贈り物をしてくれたような気がしました。
いや、きっとそうです。
私の視座になった人物(オバサン)に、今度は母がかかって、玉子焼きを作ってくれたみたいな気がします。
母ちゃん、ありがとう。オバサン、ありがとう。
今度は、神世の母上と叔母上に、私が玉子焼きを作って食べさせてあげたいです。
きっと、このすごい味を知らないだろうから。