こんな話しして興味を持たれました

こんな話しして興味を持たれました
今日は、UFOで知り合った昔馴染みの人に、むかし見たUFOや宇宙がらみの夢について、メールで書き送ったら、とても興味を持ってもらえて、30分以上の長時間の電話会談となりました。
どんな話題を提供したかと言いますと、むろんほんとうにあったことなんですけどね(といっても夢に見たことなんだけど)、こんなふうでした。
— 彼はそういった話が大好きなようなのです。 ≫ 返信
ちょっと言ってなかったですが、妹にもUFO体験があるのです。 妹が阪神大震災前の神戸市長田区のマンション10階に住んでいたとき、夜、窓のカーテンがにわかに明るくなったため、カーテンを少し開けてみると、ものすごい光が照っていて、 すぐに閉めたものの、翌朝鏡を見ると、光を見た方の目が真っ赤に充血していたと言います。 その頃、妹は、一人乗りのUFOに乗って、これが未来の地球なのだと意識しながら、どこまでも続く砂漠を飛行している夢を見たそうです。 そのUFOには、操縦桿などのメカはなく、意志の力だけで自由に飛べたとのことです。
また私も、その昔、短時間ながら奇妙な夢を見ていて、これはその場所が火星だと認識しながら見ているのですが、私はギリシャ神話風の姿をした聖者のような人物が横を向いて「あれを見なさい」と、右の方向を指さしている姿を見ているのです。聖者のはるか砂塵けぶる向うには、二つのピラミッドが並んでいるのが見えていました。 それに対し、私が憑依して視座を持つ人物は、ギリシャ風の聖者が指す方向を見て、「ああっ、ポースの丘だ!!」と叫んだのです。彼にはその光景に見覚えがあったのでしょう。 私はそっちのほうを見ていないので、そこに何があるかは確認できていないのですが、きっと、あの人面岩の丘があったのではないかと思うのです。 火星表面の写真に、ピラミッド群と人面岩の同時に写ったものがたしかありましたよね。 ポースというのは、もしかするとポセイドンで、ポセイドンの丘を縮めて言っているのではないかと思いました。 となれば、あの火星の人面岩は、ポセイドンの顔なのか。 ポセイドンが支配したのはアトランティスですから、アトランティスは火星にあったのかも知れないわけです。
最近になって、NASAなどは火星には地球並みに海があったと言っています。 そして、あの欧州のCERNなどは、火星などへのテレポーテーション実験をしているとか。 だから、欧米の火星移住熱は、本物かと思ったりします。 応募が多数だとのことです。 地球を見限った富裕層というわけでしょうか。
逆に、妹が見た夢のように、今度は地球をダメにして砂漠化させようとしているような気もするのです。 いったい、人類の支配者は、何をしようとしているのでしょう。 MIBのことといい、わけのわからんことばかりして、ずいぶんと横暴な気がします。 火星へもロケットによる移動ではないのかも知れず、もう向うに人が住んでいるというなら、すでにテレポートは安全ルートになっているかとも思いますね。 ○○さん(むかしのUFO仲間の人)はぜひ行ってください。
私は不健康なので、あの世が似つかわしくあります。 というのも、私は去年12月の誕生日の四日前の未明の夢で、死ぬ瞬間の頭頂部から脱出する体験をした、その直後に千の風(透明の身体)になって、 幾人かの仲間とともに、どこかリゾート地らしきところの空を飛んでいるのです。 UFOもなんにも要りません。あるのは、自分の透き通った意識だけでした。
さて、もしテレポートなどが今でも可能になっているのなら、タイムマシンはすぐ目と鼻の先でしょう。 タイターも言ってましたが、2030年代には完成するとのことです。 タイムマシンができたのなら、過去の時代はどうにでもなる道理ではありませんか。
タイムスクープハンターのような、因果律を歪めないための配慮? 倫理?  そんなもの、覇権主義者の果ての彼らが、こだわるとはとても思えません。 むしろ完成した即日のうちに、いくらでも過去から、人類の洗脳教化に励むことでしょう。 だって、彼らの目からすれば、古今に存在する人類は奴隷にしか映らないでしょうから。 しかも、タイムラインは無数にあるわけだから、どんな歴史の変更も問題ないのです。 そこにまた、タイムトラベラーの品格や資質がありますでしょう。
タイターは軍の命令と規律に、いい意味従った人物のようです。 しかし、不心得者なら、ちょっとした事故に見せる手はあります。 未開人の里に、ヘリコプターで不時着したと思ってみてください。 パイロットの可能性としては、部族の神か王になって、支配することだって簡単にできます。 古代に現れた神、嫉妬深い神とは。また預言者とは。
むろん軍の命令でそうしたかも知れないですが。 一般人にはあまりにも知らされていない本当の話が多いように思います。 その知的格差の穴埋めの困難さが、人種差別の原因になっているとも思います。(ゴイムという表現) 洞察することだけが、彼らとタイで張り合うことのできる能力と思うのですが、今の人たちですら、思考停止状態ですから、されるがまま。
妹が見た地球の未来の夢。まあ、仕方がないでしょう。 地球はやがて砂漠化し、火星に海ができるのかなと思ったりします。 それは滅びの種族と、生存種族を決める歴史の一コマになるということかと思います。 ≫ 返信

むかし見た夢(3)・・・幽体離脱後の予知夢

あれは幽体離脱をよくやっていた頃に、幽体離脱して自分の意志でどこかへ行こうとして見たときの夢です。
時期が特定できていて(といっても日付は不明)、1991,2年頃のことです。
どうして幽体離脱が頻発したかは、たぶん当時はマンション住まいで、その立地に理由があったかも知れません。
というのも、そこは神戸大学の工学部かの学舎跡で、私が子供の頃には、レンガや石ころなどの瓦礫地帯だったのです。
つまり、戦後の焼け野原で、大学学舎も被害に遭ったのでしょう。焼夷弾でそうとう人数が亡くなっていそうな所です。
そこが早いうちに造成されて、また何度か建て替えされて、阪神大震災の数年前にはマンションになっていたのです。
私らは、そこを購入し、私だけが単身で住んでおりました。
そのときに、幽体離脱なるものが頻繁に起きること。
仕事が不規則勤務だったこともあり、なおのこと、睡眠障害のようなこともあったのかと思います。
症状としては(病気じゃないんだけどね)、まず意識が朦朧としている時に、頭の中に鳴っている電磁音(シーンと表記されるやつ)が、いきなり振動数を減らして、バリバリバリバリというヘリコプターの爆音のような感じになって、俗に言う金縛り状態になるのです。
何度も起きていると、寝てる最中にも、あっこれは来るな、と思った瞬間に始まるのです。そして、慣れてくれば、しだいに爆音の程度もまろやかになるのが常で、しばらくぶりだと、程度がひどくなったような。つまり、慣れるということは、何においても必要かなと思うわけです。変な話ですが。
しかし、私には、そうした恐怖体験も、なぜか後で、いい啓発になったなあと思うことばかりなのです。
しかも、一度として、(よく他人が遭遇するという)幽霊などに遭遇したことがない。だから、自分だけでしている自発行動なのだからという思いなもので、さほど恐怖がないのです。あの変な爆音と金縛り以外は。それも慣れれば、ああまたか、というだけのこと。
そして、金縛りになった後で、慣れてくれば、縛りを破ってみようという気にもなって、実際何度も試しました。
まず抜けるのが簡単なのは、腕です。右腕を抜いてみる。力をかければ抜けるのです。そして、抜けたはずの腕と手を、天井に向かって見開いている目の前に持ってくるのです。
すると見えないのに気づきます。つまり幽体だからなんでしょう。
しかし、よく見ると、視野の真ん中付近では見えないけど、視野の周辺部で(真ん中を中心としたぐるりですね)、うっすらと手指の輪郭が出ているのが見えるのです。そんな特技のできるのは私だけかも知れませんがね。
何度やっても同じです。腕を目の前に持ってくれば、そのまんまの輪郭です。脳の中で勝手な想像で、幻視しているかどうかはわかりません。
そして、何度目かの離脱の時には、手がどこまで伸びるか、電燈の傘の裏を触るとか(寝ていてですよ)、壁を突き抜けて隣室の床を触ってくるとか。いろいろ試すと、全部オーケーでしたね。(これも脳が作る想像の幻影といえばそれまでなんですが)
その延長で行けば、身体を全部脱け出させさえすれば、どこでも行けそうじゃないですか。実際、そうしてみたのです。
腕の抜けが習熟すれば、全身もすぐにコツが掴めて、最初はまるでゴム糊を身体から引きはがすような感触を醸して脱け出したものも、何度もやっているうちに、するりとぬけるようになるのです。むろん、私だけかも知れませんよ。
そんな幽体離脱後のある夢に、私の現在を予見したような夢を見ているのです。
幽体離脱後の夢というのは、いっしゅ明晰夢というものであり、しかも意識を持ちながら見ているわけなので、夢のコントロールが、出だしのあたりまでは、効くのです。
それからいつしかコントロール不能の通常の夢になっていくのですが、それでも明晰夢は続いていて、記憶にしっかりと残っているものなのです。
明晰夢はやはり、原色に近い鮮やかさです。
そして、いっぱい象徴化されていても、予知夢だったと後で気が付くような「観方」をしているものなんですね。
この夢も、象徴化されてはいたものの、予知夢だったと今になってわかる夢だったのです。
その夢には、見たことのない場所があって、普通の光景のようなんですが、緑がこの世に比べて鮮やかで、そんなときに、建物の陰から、いっぷう中国風の仙人のような風貌の人が前に立ちはだかりました。
私は、相手が術者と感じて、なぜか彼に対して、手印で対抗してしまったのです。
そこから、建物をすり抜けて(幽体だから簡単ですわね)、どこか見知らぬ土地に行くわけです。
最初は馬とロバにまたがった二人連れに、まるで西部劇の背景のようなところで出会い、そしてさらに先を行きますと、森の中にきれいなせせらぎがあって、それに沿って花が(チューリップのような)が咲いていて、流れを覗けば、空の色(藍色よりも濃い)を反映して、太陽がせせらぎの波に揺れておりました。
真っ白な太陽が出ているのに、空は濃紺。まるでヒマラヤの山上から空を眺めればこんな色かと思うような、高高度地からの空なんですね。
そして、さらに行きますと、小高い四角いビルのような小さめの建物がいくつかあって、そのすべてが、灰色の苔がむしているのか、建物の外側にそれが丸みを帯びながら垂れ下がっているのです。
と、見ていますと、向こう側から上がってくる人がいました。手に、植えものの鉢を持ちながら。そこで、ああ、これは屋上緑化なのだなと思いながら見ていまして、そしてこちら側から声をかけたのです。
「いつごろからここにおられるんですか」と。
するとその人物は、「ずいぶん前からここにいます」と応えてくれたのです。
その人物は、こげ茶と黄色系のチェック柄セーターを着て、メガネをかけ、ベレー帽を被った、私によく似た顔をしていました。
そして、目的のものが見終えたのでしょうか、そこで目が覚めたのです。
私はいま、山奥の別荘に転居していますが、ここにきて造作する楽しみを見つけ、次々と倉庫兼プランター鉢物置き場を作っていて、この映像のような状況にあります。
それはまるで、夢に出てきた建物のようではありませんか。苔むして周囲に垂れ下がった状態の灰色のものとは、UVシートだったのでしょうか。確かに屋上緑化のお触りのようなことをしています。
そして、せせらぎのあった光景の場所も、昨年の他所の車にうちの猫が乗っかって騒ぎになったときに、猫の移転先にと購入した廃屋つき土地に、せせらぎがあり、しかも廃屋に上る階段がそのせせらぎをまたいでいるのです。
もう少し、土地の雑草などを刈り取り、ちょっと手を加えれば、せせらぎ沿いの花も夢ではないでしょう。
しかし、それが達成できるかどうかは、ちょっとわかりません。
もう心臓は限界ですし、それに空の色が高高度的ですから、きっと異次元の世界かと思います。
そして、夢を前に辿るなら、仙人のような人物と、出会うことになるでしょう。
その方は、新神話では、趙先生と書いています。新神話第九章(左欄に電子本あります)に出てきます。ネアンをセコンドする人物です。
その方に遭うのは、私の死後の魂が、ということになるでしょう。そして、最低限できれば、夢の中の世界に遊びたく思います。先生のもとでもっと修行をしたいし。
もっと欲張るなら、カンナオビやウーちゃんやフーちゃんやチンちゃんたちと一緒に居たいね。むろん後追いしてくるブー、トン、シャンともね。
みんなで新しい世界を創るんだ。子供の頃におままごとして遊んだ世界みたいにね。

むかし見た夢(2)・・・いつかきっとくる日の予知夢か

咳き込むことが多いんだけど、さほど苦しくないのです。
肺の全量使って、めいっぱい吐き出して、はた目にはいかにも苦しそうに見えるけど、
本人はさほど気になっているわけではないのです。私だけかも知れませんが。
しかし、消耗はしているようです。
もうそんなに長くはないことが自分でもわかりますし、それにそろそろ逝ってあげなくてはならないなと思うようにもなっているのです。
というのは、むかし見た夢に、根拠がありましてね。
あれは私がまだ30代の頃でした。私はほんとうにたまに、よく憶えておれる夢をみることがあり、この夢はそのような印象の強い夢だったので、今の今まで詳細を憶えています。
そのような夢に共通するのは、色が鮮やかなことと、何でーという手の夢ですね。
これはかつてあったブログや掲示板でも、一度ずつは書いたことがありますし、新神話にも、超常体験談にも記しているため、また書くのは面倒でもあるのですが、これは今の時期を予見していたかのような夢であるため、改めて検証しながら書くことにします。
その夢とは・・・
何かの催事場に正装して参ったのですが、その入り口でパンフレットをいただくのです。
そこで係員の女性から手渡されたパンフレットの表には、「天帝様へのお会いのしかた」と書いてありました。
たったひとりでそのまま通路から向こう側に出ますと、大きなグランドでした。
といっても、野球場か円形競技場といった感じで、私はグランドの真ん中に行くと、どういうわけでそうしたのか、私は手に持っていたパラソルを開いて、その浮力で天に 昇っていこうとしているのです。
タキシードで頭にハットを被り、手にパラソルですから、まるでマンガのセーラームーンのタキシード仮面のようでありますが、その当時あのマンガがあったもの かどうかは不明です。
と、その前に、右側ですから一塁側観客席ですか、に、けっこう太目の白銀に輝く十字架がたくさん重なり合うように、観客席を埋め尽くしていたのです。
それを横目にしながら、私は上を向きますと、空は若草色(薄青緑:: 映像の露出を加工したときになるような)に、和紙のようなうす雲がかかり、私は上空へゆっくりと揚がっていき ます。
空からは微妙なコーラスらしき音もしています。
と、中空まできたとき、私はまだ行くべきときではないと思い出して、上昇を止めたのでした。
そのとたんに、目が覚めてしまいました。
夢の内容としては、たったこれだけのことだったのですが、その風変りな光景ゆえ印象を強く憶えていたので、深く知り合った人にだけは話すこともあったのです。
風変りな光景。それは野球場にしろ競技場にしろ、私はスタンド側から一度も入ったことがないのに、それらしい入り方をしたことと、キリスト教徒でもないのに、鮮烈な銀白色に輝く十字架群を目にしたことです。
朝日に照り輝いていたかのような。しかし、あれは墓場で見るような分厚い白い十字架のようでしたね。それが観客席の一席ごとに整然と列をなして置かれていたような感じでした。
さあそれから後日になって、といっても十年ちょっと前ということですが、その夢の話をさせてもらったのですが、即座に折り返すように衝撃発言が・・・。
その方は、ある精神修養の道場で同席したことがある、アメリカ人のベティさんという女性が、かつてロサンゼルスのスタジアムの外を車で 通行していたとき、スタジアムの中からたくさんの十字架が空に向かって揚がっていく様を目撃(たぶん幻視でしょう)したという話をしてくれたというのです。
ええっ、それならあの夢で見た球戯場というのは、ロサンゼルスのスタジアムだったのか?
いきなりのシンクロ話ですから、私も短絡的にそう結び付けて考えたわけでした。
後にも先にも、そんな話、遭遇したりしませんでしたし。
それに、夢の世界ですから、象徴的に何か必要なことを啓示されたとすれば、何も近場にある野球場である必要はありません。
そして、憶えておけるほどの夢ならば、それ自体に意味があるわけでしょう。
今回は、夢見から20年近く後の、後日照合話のために、布石されていたとも言えるかと思います。
その精神道場というのは、断食道場と言い、兵庫県高砂の高御位山の下麓にあるとのこと。
どんなところか、そのあたりまで私も行ったことがありますが、昔話をしにいくわけにもいか ず、その程度で終わっているわけです。
ところが、その地は大昔にウシトラノコンシンを奉祭した九鬼氏の本拠地だったというのは、後に知ることになったようなことでした。
ただし、私は大本教の信者でもなく、ただ 通りすがりの部外者であります。
「天帝様へのお会いのしかた」というパンフレット。そして場内一塁側観客席の白光した十字架群。
天帝様とは誰なんでしょう。
十字架群たち(きっと霊でしょう)はみんなあのパンフレットにある天帝様をキリストと信じて行かれるのでしょう。
まあ、あのときの夢では、私と十字架群は別行動するようでしたから、どこかでルートが異なることでしょう。だって、私はキリストとキリスト教を信じているわけではないので。
ただ言えるのは、私の方が先に行くのだろうとは思います。
つまり十字架群を私が先導するのか、それとも単に時間的に先になるのかの違いですがね。
もし私が先導して、みながついてくるなら、私は十字軍ならぬ、十字架群を率いることになりますか。下手な洒落ですかね。
それに、ものみの父さんなどから黙示録の話を聞くとき、キリスト教徒は、神様、いったいいつまで待たされるおつもりですか、とやりきれない気持ちで待っておられるそうですね。
私もいい加減うんざりしてますよ。なんでこんなに来るっちまったんだろうとか。
きっと今の心境は、彼らと同じかもしれません。
だったら、一緒に行きましょうかということなのかもしれませんね。
ただ、ロス地震が起きても、私の方がすでに先に逝ってることになるでしょう。
夢の順序からすれば、私が先ですから。ここはトップとらせてもらいますよ。
だって今まで、一番になったことがないんだもん。
ま、それも、いずれもう間もなくのような気がしますが、みんな私がストッパーに回っていたのだとすれば、彼らに対して申し訳ないということもありますし。
だって、私と同様(ん?ほんま?)彼らは真面目な正しい人たちですからね。
そろそろ堰を切って差し上げねば。
咳が出るのはそのせいかな。
なんて、また洒落で誤魔化したりして。
ああ、それにロス地震なんて書きましたけど、地震、雷(戦争)、火事、おやじ(噴火)とありますから、一概に地震というのもナニですが。

むかし見た夢

心臓が苦しいと言うのではないのですが、喘息のような症状が日々起きていて、これは心臓性というもののようで、そもそもレントゲン映像においては肺の半分以上を占めるに至った心臓および気管あたりに写る大きな丸いもの(動脈瘤だろう)について医師から説明がないのです。
そして、後から撮ったCTの映像を順次見ながら、きれいですよ、と言われてしまえば、肺には異常はなくとも、咳の理由説明になっていなくて、この医者はもしかすると告知しない医者なのかと思ったり。
まあ、もちろんもう心臓の限界も近いので、心を煩わせまいとする医師の思いやりかも知れないとも思ったり。ややこしいことですね。
ある人は別の医療機関に見てもらったらというのですが、どうせ費用ばかりかかり、薬害のほうでやられることを思えば、いらないと。そもそも山奥の生き物たちは、そんなものあてにせず、生きるべき期間をちゃんと生きれば、あとは死期がくればそれに従うというのが山の鉄則。私も山に入った以上、それをよしとするものです。
山の生き物は、死ぬるとき、自分の墓をどうしたいとか、菩提を弔ってもらいたいとか思ったりしません。ただ、身体を土に返すだけ。何も持たない。誰悲しむとてもない。その代り、後始末も何もせんでいくわけです。昔から命とはそういうものだった。
そう思うと、何かとても気楽で身軽な気分になるのです。
ちなみに、昨年の12月11日の未明、64の誕生日の四日前に、死ぬ時の夢を見まして、呼気がすべて抜け切ると、頭頂部からすうっと脱け出る感覚がして、その次の瞬間には、空を飛んでいました。
何かのビルの上空をすうっと滑空していて、ビルを行き過ぎたとき、いきなり高さが感じられますね。そのとき、私の背後から女性の声(複数の声で、うわーって言ってる。きっといきなりの落差なので怖かったのか)がして、私は、大丈夫、まかしときなどと応えているのです。
しかし、自分の姿も、背後にいる声の主の姿もないというか、透明なんですね、
その場所は、何かのリゾート地のようで、浜辺があってソテツがまばらに植わり、遊園地のような感じのとこで、みんな、あそこに下りよかと言いつつ、降下しようとして、目が覚めたのでした。
後から思えば、ああこれぞ、千の風になってという意味かなと思ったようなこと。
しかし、風ならどこ行くか風任せになるのでしょうが、ちゃんと滑空して目的の場所に向かうわけで、単に風ではない。これはそうですね、千のガラス板になってというなら、ぴったりするかと思ったようなことでしたね。歌詞を変えてもらわねば。
しかし、あんなに軽く空を飛んだ夢を見たのは、後にも先にも、あれ一回きりです。
それまでに空を飛んだ夢は、飛行訓練のときに、羽根をばたつかせて飛び上がったというのと、だいぶ昔に、補助機材を使って、ゆっくり持ち上がるようにして空に上がるというのがありました。(これはちょっと意味深な夢なんです。また次の記事にでも)
軽く飛ぶ飛ばないは、夢見た当時の、その時々の心の軽重がかなり影響しているように思いますね。
心を軽くするには、世のことや生前の所有に執着しないということに尽きます。ちょうどイザナギノミコトの黄泉国脱出のときの潔さについて考察していたからでしょうか。そんなときに見た夢でした。

台風19号のこと

予想進路が出て、かなり太平洋岸の南になってきました。
当初は北にどんどん行くような予想でしたから。
しかし、伊勢湾台風のコースに近似しています。
マメさん大丈夫かな。ちゃんと準備できるかな。
もっと南側を進むようだったら、暴風被害は少なくなるはず。
そのように19号に、頼んでみます。
ただし、雨はそうとう降るかと思います。いつもそっちが死角になります。
暴風雨のいずれにも気をつけて。
9/27  御嶽噴火
10/6  台風18号
10/15  大地震(注意)